加油!

 今日、娘が留学のため中国の重慶に旅立った。ほとんど言葉の通じない場所に一人きりで行って、勉強しながら一年を暮らすなどと言う経験が自分にはないので、旅立ちに際してもアドヴァイ スらしいことは何も言えなかった。こう言う場合どの親もそうだと思うが、願いと言えば心身ともに健康で無事に帰ってきて欲しいという、ただそれだけ。

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 先月、娘が山形に行っている間に、娘の友人達が秘密裏に寄せ書きをしてくれていて、それを搭乗直前にサプライズで渡す。このために朝四時に起きて七時に成田まで来てくれた N・Fくんに感謝。姿が見えなくなるまで僕ら夫婦は見つめていたが、ゲートを通過したら娘はもう一度も振り返らなかった。かっこよかった。

 ぼくも勧められた寄せ書きには娘の後押しで始めた韓国語で"셰상은아름답다(セサンウンアルムタプタ)"と書いた。中国はTwitterも Facebookもダメなのでやりとりは手紙でしょうと約束したが、どんな手紙が貰えるだろう?どんな手紙を書こうか。上のハングルの意味はその時に教え るつもり。写真は前日入りした成田のホテルから撮った今朝の空。加油!(これは中国語)。

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没後20年特別展 星野道夫の旅~あなたは私の家にいることができます。

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 銀座で「没後20年特別展 星野道夫の旅」を見た。

 http://www.asahi.com/event/hoshino20/

入ってすぐのところのガラスケースに古い雑誌と二通の手紙が展示されていた。解説文を読むとそれは1969年刊のナショナルジオグラフィックの写真集「Alaska」と、星野道夫がある人と交わした手紙。

 若き日、神田の洋書屋でその雑誌の中の「ベーリング海峡と北海がぶつかる海域に浮かぶ小さな島」という空撮された写真を見て、こんなところにも人の暮らしがあるのか・・・と驚いた星野青年は手紙を書く。宛先はその島のシシュマレフ村の村長。「仕事はなんでもしますのでどこかの家においてもらえないでしょうか?」との内容だったとか。それから半年後、村長から手紙が届く。「夏ごろに来れば良いでしょう。あなたは私の家にいることができます。」

 展示されていたのはその道夫が見て衝撃を受けたという雑誌の見開きページと、その往復書簡だった。まだ何者でもない星野青年が丁寧なゴチック体で綴ったエアメールには日本の50円切手が貼って在って消印は1973.12.18となっていた。宛先にThe mayor Shishmaref  Alaska USA" ”とだけ書かれた封筒。村長の手紙は未知の青年を気遣うようなきれいな筆記体で書かれていた。

 この手紙のやり取りから星野道夫の旅が始まる。

 その後の展示では信じられないようなアラスカの自然と動物とネイティブの人々の暮らし、そしてその神話世界の写真が目に雪崩れ込んできて、しばらくその場を離れたく無い様な気持ちになった。愛用していたカメラも展示されていてニコンFE/ニッコール24mm F2.8とアサヒペンタックス6×7 タクマ105mm F2.4。それと愛用のカヤック。

 そして最後まで見て思ったのはやはり最初の雑誌と2通の手紙の事。人の旅(人生を旅というならまさに旅)が何をきっかけに始まるのか。星野の凄い写真を数々見た後でとても不思議な気持ちなった。“あなたは私の家にいることができます”。もう思い出せないが、ネットのない手紙の時代には、何かを待ったり、受け入れたり、またその間にゆっくりと気持ちを育てたりするような、世界にはまだゆとりがあったという事なのか。

 写真は勿論の事、あの二通の手紙が今も大切に保管されていることに強い感動を覚えた。

 展示は銀座松屋で9月5日まで。

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暑中お見舞い申し上げます。

 暑中見舞い申し上げます。

 毎朝、会社の朝顔が幾つ花開いているのかを楽しみに出かけます。作ってもらった弁当にどうしてももう一品付け加えたい喰い意地の張った自分の最近の楽しみは、現場前のオリジン弁当のお惣菜を昼ごとに100g(大体200円前後)買って、メニューを完全制覇することです。いよいよ明日達成されます。レジのおばさんが優しい。エビ&イカチリソースが絶品です。

 去年末からだいたい府中にいて小さい現場をこなしてきましたが、6月末から市新庁舎建て替えに伴う調査をしています。もしかしたらしばらくここにいることになるかもしれません。府中は自分がこの仕事を始めた場所でして密かに縁を感じています。

 去年の今頃は赤羽にいて、その現場はエレファントカシマシのメンバーの母校を解体するそばから掘り始めるという内容で、しかも発生する残土の置き場がリーダーの元家の跡・・・ということもあり、結局、夏中彼らの歌を聞いて過ごしました。

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 赤羽台団地は元旧陸軍の被服本省があった場所なので、その煉瓦造りの基礎を掘りだしただけでかの時代に逆戻りしたようでしたが、防空壕と思しき遺構の中に細長い楕円の硝子に何らかの液体が入っている物体を見つけ、すわっ火炎瓶か?と思ったら、全く違ってそれは「消火弾」というものでした。空襲などで周りが火の海になったら投げ込むようにと防空壕に備えられていて、それが起き去られたものなのかもしれません。それと缶に入った8mmフィルムが出てきたっけ。

 先週の日曜日、いつも行くラーメン屋に携帯を忘れ、気が付いて取りに行くと店は閉店で“月・火は休み”の貼り紙がしてありました。つまり週の初めの二日間、ぼくは携帯を持たずにいたわけで、それは落ち着かないような気楽なような、何とも言えない妙な気分でした。あの小さな機械がないだけで少し自由になれたような・・・その二日間、現場至近の神社には例の新しいゲームをする人々が鈴なりで、ガラケーユーザーでそれさえ不所持の自分の小さな無頼心がくすぐられたりしましたが、思えば我が細君は未だ携帯すら使わない人。彼女が日頃、何を疎んじてそんな風に暮らしているのか少しだけ分かった気がしました。

 携帯は水曜日に取りに行くと無事にありほっとしましたが、十年通って初めて無口な店主と言葉を交わしました。人間万事塞翁が馬。因みにそのラーメン屋には電話がありません。上には上がいるものです。

 今年はお盆休みもなさそうです。あんなに一生が夏休みだったら・・・としきりに夢見ていた頃が嘘のように、時々、仕事していた方が楽だと思う自分がいます。やっと大人になったのか、ある部分が怠惰になったのか・・・良く分かりませんが。

 毎年のことですが今年の夏も暑くなりそうです。謙虚に見せようとかなんとかそんな下心抜きに、マジにこの季節は一日一日を生きている感じがします。昨日は水を1リットル飲みました。塩飴が欠かせません。皆さんもご自愛下さい。

 ところであの8mmには何が映っていたのでしょうか。今度、聞いてみようと思います。

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Momento Magico

Photo  娘が九月に重慶に留学してしまう前に、ということで、昨夜、家族プラスぼくの韓国語の先生を交え食事した。場所は日野駅前の「ホンガネ」。先生は娘の友人でソウルからの留学生。

 「ホンガネ」という店名は"洪さんの家"の意で、彼女(以下、선생님(ソンセンニン)=先生)の苗字も「洪=ホン」さんなので、一度一緒に・・・と前から話していたのだ。日本に在る韓国料理店は何処も日本人に合わせてあるので生粋のソウルサランである선생님(ソンセンニン)の舌に合うかどうかちょっと心配だったが、満足してくれたようだ。さすがオモニ。どれも美味しかった。http://www.honggane-hino.com/

 昨日の食事中、「オリエンタルラジオの「パーフェクトヒューマン」はPSYの「カンナムスタイル」のパクリではないか」という話になった。言ったのは娘。韓国の歌手PSYの「カンナムスタイル」は世界の動画再生回数1位になった曲で、ちょっとしたリップサービスも含んだ発言だったと思うが、我が선생님(ソンセンニン)はPSYが嫌い。あれやいわゆるK-POPのようなものが世界中に広まり、韓国の音楽があれだけと思われるのは心外だ、のような感想を선생님(ソンセンニン)は述べた。「ナ・ユンソンは?」と聞くと「彼女のような人がもっと知られるようになってくれればいいと思います」と、선생님(ソンセンニン)は言った。

 以前、トム・ウェイツの「Jockey Full Of Bourbon」の凄いカヴァーをYouYubeで見つけて以来、ずっと聞いているナ・ユンソン(나윤선)。冬季ソチオリンピックの閉会式に彼女は登場したがその歌声は日本では無視されていた(と思う)。

 ↓はヨーロッパを一撃した彼女の「Moment Magico」。

   https://youtu.be/43OO1AQvIuM<

 この曲を聞くたびにJazzyなメロディーの中、彼女の声にパンソリ(韓国の民族歌謡)の響きのようなものを勝手に感じてしまい、「アジアの同胞」(古い言葉)としては、自然、嬉しくなってしまう。ケルアックの伴奏者だったデヴィッド・アムラムの言葉の幾つかを思い出す。

 昨夜の東京は蒸し暑かったが皆で相談してプデチゲ(部隊鍋)を食べた。汗をかいて外に出ると生ぬるいはずの風が一瞬、涼しく感じた。Momento Magico!楽しい、佳い夜だった。

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いわきculbSONICで仲井戸麗市を見た。

 昨夜、いわきのculbSONICで仲井戸麗市を見た。66才の「少年」だった。ルート66。昨日、彼のステージを見ながら、自分はその昔、目の前 にいる少年のような彼のその「少年期」に憧れていたのではないか?と、そう思った。60Sの新宿。風と月のカフェ。ビートルズ武道館公演。押し寄せるブリ ティッシュ・インヴェイジョン。そして、そんな日々の中でのバンド活動。「新譜ジャーナル」を見ながら一緒に彼のポーズを真似ていた地方都市の同志が経営す るハコで見た仲井戸麗市は、しかし、すっかりおじさんになり始めている自分を尻目に"強靭な少年"だった。

 少年期は牢獄だ。居心地良さが骨身に染みているくせに、何時の頃から誰もが「大人」になるためにそこからの逃走を試みる。区画整理予定地の荒地に建てら れたプレハブの飯場。石巻の元漁師だった出稼ぎ親父たちの、夜ごとの猥歌をイヤフォンで耳塞ぎながら、かび臭い布団にくるまりカセットテープでガブのみに 聴いたのは、彼の1stソロアルバム収録の「One night blues」。少年はどんなに逃げても必ずもう一人の自分にとっ捕まり連れ戻される。何時の頃から自分にとっての少年期とは、ドジで、ヘマで、無力で、鬱陶しい時代の代名詞になってしまった。アントワーヌ、大人は判ってくれない。

 

 昨日も66才の「少年」は囚人だった。ブルースとロックンロールの囚人。だが、何処にも行けない、逃れられないという常日頃の自分の思いに対し、彼 は、そこにいればいい、それでいい、と告げていた。SEは「What wonderful world」と「EVERYTHING'S GONNA BE ALRIGHT」。いつまでも踊っていたかった。

 深夜のハイウェイ。空で風の道を雲が歩いてた。太平洋の暗い水のうねりが少女の影を砂にして崩していた。防波堤の長いベッドにかつての自分が寝転んでい るのを見た。5秒毎に走る灯台の光と密漁船の幻。ボトルネックのギターの響きが脳みそをビブラートして助手席の眠りを妨げる。蒸し暑い夜のボンネットとそ れにへばりつく蛾。リポD片手のインスタントなサマーツアーの、夢のカーステレオから流れるのは「The仲井戸麗市 book」。

 昨日、いわきに仲井戸麗市がいた。
 
 少年は永遠に夏を生きている。

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約30年ぶりに恩師による映画の講義を受けた。

Photo_2  昨日、有明の武蔵野大学で約30年ぶりに恩師による映画の講義を受けた。「ウェスタンからハードボイルドへ~アメリカ国家建設神話の崩壊」。取り上 げた映画は「荒野の決闘」(1942年米 ジョン・フォード監督)と「チャイナタウン」(1976年米 ロマン・ポーランスキー監督)。

 「マカロニウェスタンには教会と学校がない」とは淀川長治の名言だが、本家アメリカの西部劇には勿論、教会と学校がある。ヒーローは荒野から町にやって 来て悪を倒し、秩序をもたらすとまた荒野へと去っていくが、その時、町には病院、教会、学校等(文明の象徴)が残されるのだ。映画「荒野の決闘」の主人公 ワイアット・アープの盟友ドク・ホリデーは医者だし、ヒロイン"愛しのクレメンタイン"は教師。建設前の教会における日曜礼拝でのあの有名なダンスシー ンでは星条旗がたなびいている。

 しかし、その後、西部劇が作られなくなって、代わって作られるハードボイルド映画では事件が収束(解決ではない)しても決して町に秩序はもたらされない。悪は居直って在り続ける。それどころか主人公ですら多少いかがわしい人物であり、ただ一線を越えそうなところをギリギリで自らの信条・哲学に踏みとどまるのだ(それによりさら悲劇が起きてしまったとしても)。

Photo_4  映画「チャイナタウン」でジャック・ニコルソン演じる探偵はかつてチャイナタウンで起きた出来事がトラウマとなっているが、それについては最後まで語ら れない。この物語には最初から空洞がある。だが映画にはシーンごとに様々な暗喩や散りばめられている。

 恩師は若い学生達に今回の都知事の不祥事を例に、ユーモラスに説明していた。事件には初めから空洞があ り、一応、収束はするが(決して解決ではない)、悪は居直って在り、町(東京都議会)に真の意味で秩序はもたらされない、我々はハードボイルドな世界に住んでいるの だ、と。

 昨日はどうゆうわけか打ち上げでぼくが恩師にカクテルを振る舞うことになっていたが、二人で「ギムレットには早すぎる」(レイモンド・チャンドラー著 「長いお別れ」の中のセリフ)を連発しながら原宿のレンタル・スペースに移動・・・だが最後には無事シェイカーを振れた。良かった。

 30年前、この恩師の授業をジャックして別の講演者を立てしまったりするふとどきな学生だったが、つくづく自分は損をしていたのだと思った。昨日、一回 分取り返した。来週は「ディア・ハンター」(1978年米 マイケル・チミノ監督)と「アメリカン・スナイパー」(2014年米 クリント・イーストウッド監督)。ヴェトナム戦争とイラク戦争について。講義があるのが平日で残念。

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「婦人公論」の増刷

Photo  小保方晴子さんと瀬戸内寂聴さんの対談が掲載された「婦人公論」は異例の大増刷なのだとか。今日の昼休み、至近の書店に行ったら最新号と並んで旧号である筈のそれが並んで平積みになっていた。小さい男の子を連れたお腹の大きなお母さんがそれ真剣な表情で立ち読みしていた。

http://biz-journal.jp/2016/05/post_15296.html

批判、告発、糾弾、断罪。そうした言葉に皆うんざりしているのだろうと思う。「STAPP細胞騒動の真実」とか、「小保方さんの現在」とか言うより、瀬戸内さんの「人を許す言葉・生かす言葉」にこれは人々が反応した結果なのだと思う。

 命が尽きる寸前までいって拒食症のようになって、固形物が喉に通らなくなっていたところ瀬戸内さんからの手紙に接し、一生懸命に食べ4㎏増やして小保方さんはこの対談に臨んだのだと言う。SNSにより日々言葉が無力化していくのに加担しているような後ろめたさを覚える中、言葉にまだこのような力があるのだと見せられて自分は素直に安堵した、というのが正直な気持ち。

 先日、VHSのビデオを見ていたら(我が家にはまだこのようなものがある。ハードもソフトも。そして結構良く見る。)、2008年NHK放送の「源氏物語~男君の世界」なる番組全話が録画されてあって数年ぶりに興味深く見た。解説・瀬戸内寂聴。ホリ・ヒロシの人形劇による「源氏物語」に登場する「男」を考察する番組なのだが、その第七回「柏木の悲恋」の回の終わりに総括のように瀬戸内さんはこんなことを言っている。

「人間の情熱と言うのは自由にならないものです。<中略> でも、中に情熱がはみ出す人間というのがいる。そうした情熱を制御できない人間は道徳とか法律とかは消えてしまうんですよ。無我夢中になったら。そういうことは恐ろしいことですけど、でも、もしもそれを味わった人間には、味あわない人間の知らない深い人生を味わうことができるのです。」

 対談のキッカケになった自身の著書を小保方さんは「研究というものに対する恋愛の書」というような言い方をしてた。詳しい事実の検証は他の人に譲るとして、自分は彼女は瀬戸内さんの言うところの「情熱がはみ出した人間」なのだと思う。中には裁かれて然るべき場合も多々あれど、それ以上に今は男女の事であれ仕事であれ、過剰に情熱を持つ人間は忌み嫌われる世の中なのかもしれない。

 瀬戸内さんに救われ、導かれた人というとその代表格にショーケンこと萩原健一がいるが、色んな雑誌等を読むにつけ有名無名、実に様々な人が瀬戸内さんを訪ね救われている。作家で宗教家である瀬戸内さんは小さな言葉が「言霊」にも「呪詛」にも成り得るということを良く知っているのだろう。今回の「婦人公論」の件、もしかしたら仏教で言うところの「法力(ほうりき)・慈悲」というものが商業主義の中で発揮される稀な瞬間を見たのかもしれない。

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宇多田ヒカルの「花束を君に」

 毎朝見ているNHK朝ドラ「とと姉ちゃん」。宇多田ヒカルが歌うその主題歌が彼女の母・故藤圭子へのレクイエムだと最近気づいた。(世間の人には自明のことなのだろうか?だとしたら不覚)。テレビではワンコーラスしかやらないが通して聞くとその伝わり方が凄い。

 http://pvfull.com/utadahikaru/to-you-a-bouquet-of-flowers

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 宇多田ママの、そのデヴューに至るまでの壮絶な生い立ちとか全盛期の頃の様子とかは知らない。ただ子供の頃、家にアニソンのオムニバスアルバムがあり 「明日のジョー」や「巨人の星」等の歌に混ざって「さすらいの太陽」なるアニメの歌も収められており、その主人公は藤圭子をモデルとしていた。(それも後 年知ったのだが)。とにかくここではそのようなアニメが作られるほどママは空前絶後な人だったとだけ覚えておきたい。

 そして特定の故人に向けられて書かれた歌にせよ、それが普遍的な鎮魂歌になっているところは娘もさすが。加えてこの歌をさりげなく毎朝流しているNHK にも拍手。ここ数年起きたことを思えば、一見、日常にすっかり溶け込んでいる風のこのメメントモリな朝を自分は嫌いではない。

 「花束を君に」の「君」はかつての日本・・・・というよう風に自分は聴いた。それは貧しさの中を誰もが生きていた父母の日本。そして稀代の天才ポップ・クリエイターの中にその風景がしっかりと受け継がれていることを確認できて、毎朝密かな喜びを覚える。

 ・・・・と、昨日この小文を書いたが、今日は祖母の命日。合掌。

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The poet speaks ギンズバーグへのオマージュ フィリップ・グラス×パティ・スミスを見た。

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 フィリップ・グラス×パティ・スミスによるギンズバーグへのオマージュ(訳 村上春樹、柴田元幸)。「お経のよう」というのはネガティヴな意味で使われることが多い言葉だが、昨日のパティのリ―ディングはポジティブな意味で経のようだと思った。「ウィチタ渦巻きスートラ」「ひまわりのスートラ」。ギンズバーグの詩には「~スートラ」という題のものが幾つかあるが、スートラとは経典という意味。パティはカウンターカルチャーの渦中からこの時代の悪霊を鎮めるために使わされた魔女、いや高僧のように見えた。

 リーディングの合間にレニー・ケイのギターと娘ジェシー・スミスのピアノで数曲が歌われたが、昨日はモハメド・アリの訃報が伝えられたこともあり、彼に一曲(確かアルバム「Gone Again」の中の「Wing」)が捧げられていた。「彼は世界中の人々にインスピレーションを与える美しい男だった」とパティ・スミスは言った。

 そして最後にアコースティックな「People have the power」。小石を投げた水の波紋が最後に大きな波のうねりになるような演奏と会場。終わっても、雷に打たれたような、嬉しい困惑の中に置き去りにされたような気持ちだった。そして一夜明けてもその困惑はまだ続いている

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ゴールデンウィークが終わる  

 明日でゴールデンウィークが終わる。自分は2日、6日と仕事だったので10連休とはならなかったが、それでも谷間の出勤日も巷の空気は休日のそれだったので、やはり大型連休という気分を十分に味わった。連休中は前半に会津若松市―山形県長井市ー高畠町を旅して、後半は文庫本片手に都内を散策したりして結構充実していた。

 この5月、数年前に退官した恩師が武蔵野大学で映画についての講義をイレギュラーですることになったと聞き、また取り上げる映画の一つが「ダンス・ウィズ・ウルブス」(米 1990 監督 ケビン・コスナー)と知り、受講できるかどうかも分からぬままに予習(復習?)のつもりでずっと読んでいたのは「ブラック・エルクは語る~スー族聖者の生涯」(J・G・ナイハルト著 弥永健一訳 現代教養文庫)と言う本。大学の頃から何度も読んでボロボロになり、保護フィルムを貼って、本棚の奥にしまってあったものをひっぱり出してきて数年ぶりに読んだ。

 http://www.aritearu.com/Influence/Native/NativeBookPhoto/BlackElk.htm

 本はアメリカ西部開拓史の終焉を告げたと言われる事件「ウンデッドニーの虐殺」を経験した年老いたメディスンマン、ブラックエルクが、自らの生い立ちを含めJ・G・ナイハルトにその経験を語ったもの。丁度、読んでいる時、会津若松の飯盛山で白虎隊の墓を見、会津戦争の資料を鶴ヶ城内に新設の博物館で見ていたので、奇兵隊に虐殺されるスー族と官軍の前に斃れる会津人たちの姿が重なってしまった。

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 西部開拓史、と言うと日本人にはピンと来ないかもしれないが、「ウンデッドニーの虐殺」が起きたのは1890年で会津戦争が1868年。会津戦争が先だ。因みにこの休み中に見た映画「レヴェナント~蘇えりし者」(米 2015  アレハンドロ・G・イニャリトゥ)も西部開拓時代の話で時代設定が1820年代とあったから、順番に並べると、「レヴェナント」→「会津戦争」→「ウンデッドニーの虐殺」となる。日本で言えば江戸時代後半から幕末、明治中期の頃となろうか。当時の世界が何処から何処に移行しようとしていたかが垣間見れるような気がする。

 この休日中の大きなニュースというと続く熊本の地震と、3日の"憲法記念日"の護憲派による大きなデモ、また反対に首相が改憲に向けての声明を出したこと、それとアメリカでドナルド・トランプ氏が大統領選挙共和党候補の指名権を獲得したたことだろうか。今はどんな時代にいるのか。後世にどんな時代だったと言われる時を生きているのだろうか。

 写真は会津・飯盛山にある『ローマ市寄贈の碑』。白虎隊の精神に深い感銘を受けたローマ市が昭和3年に寄贈したもの。碑の円柱はポンペイから発掘された古代宮殿の柱だとか。以下、案内板より。

 基礎表面にはイタリア語で“文明の母たるローマは白虎隊勇士の遺烈に、不朽の敬意を捧げんが為、古代ローマの権威を表わすファシスタ党の鉞(まさかり)を 飾り、永遠偉大の証たる古石柱を贈る”の文字が、裏面には“武士道に捧ぐ”の文字が刻まれてあったが、第二次世界大戦後、GHQに削り取られた。

 今の時代に後世が刻む文字は何か。そして削られるのは。

 ゴールデンウィークが終わる。

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三鷹再訪と달려라  메로스

 毎週、武蔵境で韓国の留学生から韓国語を習っている。初めの数回は直接武蔵境に行ったが、最近は少し早く出て三鷹まで行き、そこから歩いて行くようになった。三鷹は約30年前、東京に出てきてすぐに住んだ場所だ。変わった場所、変わらない場所、様々だが、路地の辻々で忘れていた出来事を突然思い出し、勝手に狼狽えたり、懐かしがったりしている。

 質屋の看板、果物屋、古い蕎麦屋・・・ありふれた風景の中に小さな物語が秘められていて、まるで今読んでいるチャトウィンの「ソング・ライン」の中のアボリジニの人々が、何の変哲もない石や木に祖先の声を聞きながら旅するような、そんな突飛な妄想を抱きながらの小旅行。昨日、昔良く行った蕎麦屋で当時と同じように時代劇を見ながら酒を飲んでいたら、そのままかつてのボロアパートに帰って、少し寝ようかな・・・のような気分になってしまい驚いた。
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 しかし、当時からあるのに全くそうした感傷を呼び起こさない場所が一つあって、それが禅林寺にある太宰治の墓所。若い頃、自分は太宰に強い反発があって努めて読まないようにしていたが、30を過ぎた頃からポツリポツリと読むようになって今に至る。なので以 前、目と鼻の先に住んでいながらここを訪れたのは昨日が初めてだった。桜桃忌(6月19日)まではまだ間があるが、墓はきれいに花で飾られ満開の桜が覆って いてきれいだった。対面には鴎外の墓もあった。

 その後、いつもの店に行って、太宰の墓に行ってきたと我が先生にデジカメの液晶で写真を見せると、彼女はノートに“달려라  메로스”と書いてくれた。走れ メロス。彼女は大学で日本文化を学んでいて、村上春樹は分からない、夏目漱石が好きで、走れ メロスはつまらなかった、と言った。韓国の小説家にどんな人がいるのかと聞くと、이웨스(イ・ウェス)という名前を教えてくれた。全く知らない。翻訳はあるだろうか?調べてみようと思う。

 写真は連雀通りを行って、武蔵境まで行く途中に見た桜。 花冷えの、でも佳い一日だった。

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野鳥観測

 

     空のミュージアムから
     落ちてくる笛の音(ね)
     あの羽根の色を模写したい 
     そのノートから
     同じ模様の鳥を
     飛び立たせたい

     毎朝 公園のベンチで
     警備員が落とすパン屑を食べ
     もう何度も輪廻した鳩

     電車が通り過ぎるたびに
     飛びのいてはまた
     街路樹に舞い戻るハクセキレイ    

     携帯で写した     
     名の知らぬ鳥たちが     
     送信ボタンの一押しで
     一斉に羽ばたく幻を見た

     未来の遺跡に
     緑が絡まり
     その木の葉を啄む
     虹色のオウムの夢も

     もう
     どんな想像力も
     あの鳥より高く飛ぶことはできないだろう

     地下鉄のエスカレーター
     水鳥の群れの孤独を抱え
     旅人の手の中には
     宇宙船の搭乗券と
     古びた
     野鳥図鑑

     不相応な望遠レンズは
     星ではなく 
     鳥を見るため

     冬の夜空に
     鳥が流れていった

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「カクテル」を読んだ。

Photo_3  主演のトム・クルーズが出演したしたことを悔やむ程に酷い映画だった「カクテル」。でもその原作は世紀の傑作と言われる代物であることをあなたはご存知だろうか?

 大昔、村上龍のエッセイで激賞されていたのを読んで以来、頭の片隅にずっとあり、書店・古書店に行く度になんとなく気にしていながらも見つけることができなかった小説。で、先日、ずっとあきらめていたのをYouTubeでビーチボーイズの「Kokomo」を見て思い出し、Amazonで探したらとあっさりとあった。そう、この「カクテル」は今、原書も翻訳も絶版という、増々レンジェンド度を高めている読み物なのだ。最低なもの(映画の方)が世に残り、最高なもの(小説の方)が消えていく・・・これも世の常なのかと憂いつつも、この休日はこれを読み耽っていた。圧倒された。

600ページ越えのピカレスク(悪漢)もの。そして、これ、作者ヘイウッド・グールドもさることながら、芝山幹郎氏の翻訳が凄い。原作のパワフルな言語遊戯のバーを軽々と(無論、軽々の筈はないですが)越えていき、読む者を泣かせ、笑わせ、酔わせ、欲情させ・・・・そのものズバリの俗語、猥語満載であるのにも関わらず作品全体に品格すらも備えさせると言う離れ業。酒をここまで美しく書いた本はない、とAmazonのカスタマーズレヴューにあるが、御意。村上龍はエッセイで「かのヘンリー・ミラーをしのぐ文体・・・」と言い、あとがきで芝山氏はこれを文学とは言わず「高級娯楽小説」と定義しているが、いずれにせよ確かにヤバイものをキメタ時のような特権的な読後感で・・・クラクラする。

Img_0185_5    

 ネット上で本書を検索すると出てくるが、如何せんどれも画像がないので写真をアップしておく。↑の最初が原書で次が翻訳。どうせなら原書のようなデザインにして欲しかった。ネットでこっそりと、またお近くの古書店などで見かけたら迷わずゲットされたし。もし所持していることが見つかったり、読むのが止められなくなったりしても・・・病院に送られたり、逮捕されることは・・・・・・ありません。

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映画「オデッセイ」を見た。

 今日見た映画「オデッセイ」は火星に取り残された男が地球に帰ろうとする話。

http://www.foxmovies-jp.com/odyssey/

酸素=地球の1/200、食料=31日分、通信手段なし、救出が来る可能性は4年後・・・ぼくはtrailerのこの歌い文句だけなら見なかったかもし れない。でも船長が残して行ったのが何故か70年代のダサダサ、デイスコ・ミュージックのヒット曲集!で、主人公がそれを生きる縁(よすが)に頑張る (本当は嫌いだけどそれしかないから)・・と人づてに聞いて俄然興味が沸いた。ディスコ・ミュージックがBGMのサヴァイヴァルSFムービー。新しい。

 

 ネットでは“火星版Dash村”などと早くも言われているが、言い得て妙。今後この手の音楽を聞くたびにぼくはあの赤茶けた火星の風景と無機質な 宇宙空間、それに有機栽培のジャガイモ畑を思い出してしまうだろう。どの曲もシーンに合っていて、もし歌詞を知っていると、この映画、面白さが更に増すのだろう。(さてデビッド・ボウイの「スターマン」はどんな場面でかかるでしょうか?)

 監督は「エイリアン」「ブレードランナー」のリドリー・スコット。主演は「グッドウィルハンティング」のエンドロール以来、ぼくが勝手にビートニクスの末 裔だと思っているマット・デイモン。音楽は70sディスコミュージックだが、映画の奥そこに60Sのカウンターカルチャーのメッセージが遠くこだましている気がした。
 
 日本版のキャッチコピーは「70億人が、彼の還りを待っている」だが、映画を見て、ぼくらもひょっとしたら、この星の偶然の生存者にすぎないのでは?と思った。70億分の1の。そしてこの火星、もしかしたら未来(今)の地球の暗喩かもしれない。

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「スマイルふくろうプロジェクト」のふくろうを買った。

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 昨日は久しぶりに鎌倉へ行った。向かったのは「おもちゃ大好き&アナトールカフェ」というお店。山形に避難した弟たちが作る野菜を鎌倉その他に広く販売するのを手助けしてくれている旧友夫妻が新らたに始めた「スマイルふくろうプロジェクト」の“ふくろうちゃん”を手に入れるためだ。詳しくは↓をクリック。 

http://palavas.dreamlog.jp/archives/2016-02-02.html

 今年の3月11日は発生時と同じ曜日周りだったので例年より生々しく思い出されることが多かった。あの時、都心で帰宅困難者として一晩現場ハウスに泊まった翌朝、レンタル中だった3tトラックで、前日までの混乱が嘘のような甲州街道を富士山を見ながら帰ったのだった。そう明けて土曜日だった。帰ってすぐ布団を被り寝て、そして目覚めて原発事故を知った。

 今日は予定がないと言う息子と二人で出かけ、昼頃着いたので早速昼食をと鎌倉駅前のラーメン屋「海鳴(うなり)」に向かったが店はもう無かった。四年前、弟たちが作った最初の野菜(小松菜)を出してくれた店だが、あの時は食べに来て涙ぐんでしまったっけ。ここにも歳月は流れていた。

 http://penguin-pete.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-1920.html

 店でふくろうはきれいににディスプレイされていた。「不苦労」と書いてお守りになるのだと言う。確かに実際のふくろうはいつも大きな目を見開いていて、首も360°(右180°左180°)回り、何かを見張っているよう。見るととても丁寧な作りで家族一人に一つと思い4つ買った。

 いつも突然行くので旧友夫妻には会えなくて残念だったが、その後は改修を終えたばかりの大仏を見て帰路についた。最近、車の事故、不注意からくる違反が多くて免許の点数が残り少ないのを思い、写真のようにしてみたがこれでは気になって余計危ない。家で母の遺影の前に飾ることにした。いい感じ。

 リンクにあるように「ふくろうちゃん」を置いてくれるお店・事業所を募集中です。が、個人で一つからでも買えるようです↓。どうかお好きな「フク」を。

http://palavas.dreamlog.jp/archives/2016-02-09.html

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僕らはまだ揺らめいている巨大なものの前にいる

     

     昨日の3・11
     PM2:46に
     市の放送があって黙祷した
      しかし 実際は
     地震があったこの時間から
     さらに約10~15分後に起きた
     津波によって
     被害は
     甚大なものになった

     去年のその時のことを
     思い出すと
     自分は都心のプレハブの 3階にいて
     何かのアトラクション
     のような目に合った後
     外に出て
     現実とは思えないほど揺らめいている
     高層ビルを
     呆然と
     見つめていた

     周囲も皆
     騒然としていたが
     実は その時にこそ
     津波という
     もっと具体的な
     悲劇が始まっていたのだが
     誰も知らなかった 
     その時には

     文字通り 悲劇が渦巻いているのに
     何も知らずにいた
     あの10~15分間が
     その後の1年をずっと
     覆っていた
     ような気がする

     いくら
     いろんな事実が
     明るみになっても
     まだ自分は何かを知らないでいる
     という感覚が
     あの時から始まったのだ

     3・11は
     終戦記念日や
     防災の日のような
     記念日や
     祝日には
     ならないだろう

     僕らはまだ
     揺らめいている巨大なものの前にいる
     

     それは高層ビルではない            

                                                           

                  2012.3.12  




 今日は沈黙しよと思っていたが、思いがけず自分のブログの過去のある文章が普段より大勢の人に読まれていることを知り、せっかくだからと思ってその文章を行分けして詩のようにしてみた。

 今日の2:46に自分の周りでは放送もサイレンもなかった。が、自分のこの時の気持ちは真空パックされたままです。黙祷。

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"狐火"を見た。

 昨夜、友人の若松政美プロデュースのライブ『NAKED SONGS Vol.9』で初めて"狐火"を見た。先入観を持たずにいようと思ってあえてYouTubeなどで見ないようにして出かけたが、なかなか衝撃の体験だった。ラップというジャンルは門外漢なので詳しいことは分からないが、ライム(韻)を踏むとか色々それ なりの約束事があるのだと思う。しかし彼の作品、パフォーマンスはそこから全く自由でトーキング・ブルース、ポエトリーリーディングに近いと感じた。批判もきっといっぱいあるのだろうが、どの曲(詩)もアウ トローぶること無く、等身大の、今の日本に生きる青年の切羽詰まった気持ちが時にラップという形からはみ出しながら歌われていて、イベントの題名通りまさにNAKED SONG (裸の歌)と感じた。

 福島出身というのでライブ終了後、話をすると、なんといわき明星大学出で郷ケ丘に住んでいたとか。友人が経営するライブハウスに何度も出ていると言っていた。頼んで一緒に写真を撮った。シャイな好青年だった。これからも応援しようと思う。↓は昨夜歌われたナンバーのなかで特に心に残った3曲。 

 

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詩人の墓

Photo_2  
 少し前のことになるが、一月の暖かい或る日、JR鶯谷駅を下車し台東区根岸にある法昌寺に行ってきた。目的は詩人・故諏訪優氏の墓参り。氏は1992年の冬に亡くなって、その葬儀の時に訪れて以降、寺には一度も行ったことがなかった。いつもなら近所を散歩するだけのところ、妻と二人少し足を延ばしてということにした。

 24年前の葬儀の時、ぼくは喪服を持っていず、なんとなくそれらしい格好をと黒のタートルネックと黒のジーパン、それと黒のジャケットを着て行って、少々肩身の狭い思いをしたのだが、ほぼ同じような格好している人がもう一人いてそれが音楽評論家でミュージシャンだった故下村さん(その他に白石かずこ氏 友川かずき氏がいた)。ぼくらはとにも場違いなビート二クスのようだったが、今思うと諏訪さんの葬儀には相応しかったような気がする。

 法昌寺は法華経のお寺で七福神の中では毘沙門天を奉っている。着いてすぐお参りし、御朱印を貰ったりした後、早速、墓地に行きしばし散策。詩人の墓を探す。以下、詩人と生前交流があったという佐野元春の文章。

 “諏訪氏のお墓は木立に埋もれるようにひっそりと、しかし絶えることの無い墓参者の花に囲まれ建っていた。強い光が墓石に反射して淡い光の輪を作っているように見えた。あるボヘミアンの墓だった”

   -「ビート二クス コヨーテ、荒地を行く」(佐野元春著 幻冬社) p87より-。

   しかし、すぐに見つかるものと思ったが、いくら探しても墓は見当たらない。(故立松和平氏の墓はすぐに分かった。) 妻と手分けしていくら見て回ってもないので、もしかしたら場所を間違えたのか、と一瞬、考えた程。それで、先ほど御朱印を貰った寺務所にまた行き尋ねることにした。

Photo  この寺の住職はあの“短歌絶叫コンサート”の歌人・福島泰樹氏である。尋ねると歌人・住職曰く、墓はずっとあったが、数年前、他へ移されて今はもうない、とのこと。「どういうご関係ですか?」と聞かれたので手短に話すと「諏訪優はいい男でした。」と一言。そして、「諏訪さんのことを思い出してくれてありがとう。僕もいつも諏訪優のことを思い出しています。」と歌人・住職は言ったのだった。かえって胸が熱くなってしまった。

 
諏訪さんが翻訳したアメリカの詩人バリー・ギフォードの著書「ケルアックズ タウン」(思潮社)の訳者あとがきに、J・ケルアックの「路上」の有名な個所を引用したあとにこんな一文がある。

 “わたし自身、立派な墓(それも、知ったら冷や汗がでるような銘になど飾られた)に絶対収まりはしないが、引用の「路上」の一部でケルアックが描いたような生活と死はイヤである。はやくからのわたしのビート世代への関心と共鳴は、その一時にかかっている。”「ケルアックズ タウン」バリー・ギフォード著 諏訪優訳 p91より

 立派な墓には収まらない、と書いていたが収まってしまったか・・・と常々思っていたが、ボヘミアンの墓、と佐野が言ったその墓は、ぼくの(ぼくたち)の前から忽然と消えてしまったと、そう思った。

 その後はせっかくここらまで来たのだからと、“恐れ入谷の”鬼子母神にお参りに行き、ラーメンを食べて帰った(江戸前煮干し中華そば きみはん 美味なり)。

 根岸の人達は着いた当初から道を尋ねてもなんでも皆とても優しくて、妻にカメラを構えていると “撮ってあげましょうか?”とツーショット写真を撮るのを買って出てくれる人がいたりで嬉しかった。考えてみると東京に暮らして30年近くになるが、山手線内回り田端から先はあまり馴染みがない。
東京の下町、田端・谷中・根津・千駄木・根岸界隈。良いところなのだろう。諏訪さんには詩集「谷中草子」という名作がある。妻と今度は谷中あたりを散策しようと話しているところ。ゆかりの風景の中でゆっくり酒などの飲みたし。


 -見てよ 月が昇るー
 そう言って
 女は一瞬 幼女のような顔になるのだ
 男は暮れなずむ西の空を眺めていた

 振り返ると寺の屋根ごしに
 白い月が掛かっていた

  詩集『谷中草子』“月は東に 陽は西に” より。 
 
 佳い日だった。


 
 PS 詩人の墓はどこにあるのだろう?この日以来、勝手に様々空想していたが、後日、北烏山の
宗福寺(浄土宗)にあると教えてくれる人がいた。ちょうど先日、神保町の古書店街で、二十年前、どういうわけか手元を離れ戻らなくなってしまった氏の詩集「太宰治の墓 その他の詩篇」を見つけ購入したところだった。見開きにかつて見覚えのあった筆跡でサインと印があり懐かしかったが、墓参りが空振りだったこともあってここのところそのサインを墓碑銘のように眺めていた。今度こそ墓前で手をあわせたいと思う。


 諏訪さんについて書かれた文章を見つけた。ご存知ない方は是非。

 http://homepage2.nifty.com/HENDRIX/diary/2003diary/diary2003.2.htm#tokyo

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JUICE&LOVEのニューアルバム「50/50(フィフティ・フィフティ)」~新しい歌

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 避難してきた人、ずっと住み続けている人、復興作業員、原発作業員・・・現在いわき市には、様々な事情を抱える人たちが暮らしているが、そこで営まれる日常の思いや葛藤が詞にも演奏にも自然に滲み溶け込んでいるロックナンバーは、今、何処を探してもこのアルバムでしか聞けないのではないかと、そう思った。大袈裟なもの言いに聞こえるかもしれないが、それはきっと事実だろう。

   のこされ島に今住んでいる
   逃げ遅れたままと言われている
   予定外のストーリー

   「のこされ島」 (作詞 関野豊  作曲猪狩定一 関野豊)

 いわきのバンドJUICE&LOVEのニューアルバム「50/50(フィフティ・フィフティ)」。19年前の1stアルバムの頃、まだ青く少し危なっかしい演奏とボーカルがまた魅力、と言った感じだったものを、長い歳月は彼等を強靭なダディーズ・バンドに変貌させていた。特に猪狩定一のGuitarが快演。カッコイイR&Rアルバムはあっという間に聞き終わってしまうがこれもそう。12曲で50分。CDではあり得ないA面、B面をカセットテープの巻き戻し音で表現していて、そこも古くて新しいこだわりで面白い。

 どのナンバーも味わい深いが個人的に特に好きなのは「腕の中で」と「7×7」。7×7=49。きっと毎年、夏が来るたび、ぼくはこの鎮魂歌を聞くだろう。

 それとこのアルバム・ジャケット。普通にかっこいい写真だと思っていたら、年末、関さんに直接手渡された時、これは2011年3月16日の常磐線いわき駅前を撮ったものと聞いて驚いた。原発事故の5日後。静かに目に見えない破壊が進行する無人の街路で、叫び声がやがて「新しい歌」に変わる。まるで小説「コインロッカー・ベイビーズ」のラストシーンのようじゃないか。この写真をセレクトしたバンドのアルバムに込めた思いが伝わってくる。

 リピートにして最終曲「Seed」が終わると、いわき駅前の雑踏のものと思われるSEの後、テープが巻き戻される音がする。そのたびにぼくは無人の街路に立たされた気になる。そして聞こえてくるのはまた1曲目の「Hello the world」だ。これは希望の歌。ぼくらが何処で終わり、何処からまた始めるべきなのか、確認したくて何度も繰り返し聞いてしまう。

 新年を飾る、胸のすくようなロックンロール。故郷からの嬉しい贈り物。

 しかし、何故、いつも傷ついた場所から励まされることになるのだろうか。


     人生行くなら
     サヨナラちりばめた
     しぼりだして言う
     真夜中のハロー
     Hello the world

      「Hello the world」 (作詞・作曲 関野豊)

 
 

 アルバムは1月15日、全国発売です。上で紹介した2曲は↓のページで試聴できます。是非。

 http://juicelove.jimdo.com/

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2016年 あけましておめでとうございます。

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 一富士、二タカ、三なすびと言うが、今年の初夢は、何か見たのだろうが忘れてしまった。この正月は典型的な寝正月。やや体調を崩していたこともあって、録りためていたドラマや映画を見ながらゴロゴロしていた。子供たちが友達と会うと出かけたり、アルバイトだったりで、段々と妻と二人きりで過ごす時間が増えてきたが、去年から彼女もやや健康に不安があって、昨日2日は一緒に初詣に行ったその足で血圧計を買った。

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 体調が悪いと言いつつも酒だけはちびりちびりと飲んでいて、飲んでいるのは浦霞(宮城)と菊水(新潟)。美味い。30日の早朝に息子が友達と築地に出掛け何故か鯨の刺身を買ってきたが、それが手つかずで残っていて、今夜またそれを肴に飲む。それで正月気分も終わるだろう。

 写真は我が家から近い日野市平山橋の上で撮った今朝の富士山と今夕の富士山。明日から仕事。良い休みだった。

 皆さん、本年も宜しくお願いします。

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