登戸研究所資料館の見学会に行ってきた。

 昨日、明治大学平和教育登戸研究所資料館の見学会に行ってきた。            

http://www.meiji.ac.jp/noborito/mean/index.htm

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 写真は風船爆弾。以前、郷里のいわきに帰省途中に立ち寄った五浦海岸で「風船爆弾放流地跡」なる碑を見たことがあるが、自分はもっと単純なものを考えていた。

http://penguin-pete.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_da7f.html

 仕組みを聞いたら高度維持装置など意外に精巧に作られていて驚いた。旧日本軍はこれで爆撃による成果を上げようとしていたのでは勿論なく、ウィルス兵器を使おうとしていたのだとか。同種のカウンター攻撃を恐れて実際にはウィルス兵器は使われなかったものの、それでもこの風船爆弾は約1000発がアメリカに着弾していて死者も出している。昨日、見学者の中には少女の頃この製造に携わったという方がおられ、聞いている色々な話がいきなり身近に感じられた。  

 誘われるままにどういう会なのかもあまり知らずに行ったのだが、資料館館長・山田朗先生の解説は、ここにこの施設が作られた経緯や地理的環境の話から始まり、次第に戦後史のミステリーにつながるような内容で思わず引き込まれた。スパイ兵器、対人毒薬などコワい話もあったが、自分が一番興味をひかれたのは贋札作りに纏わるお話。そんなこともしていたとは知らなかった。

 負の遺産を活用し、戦争の愚かさを立体的に考える良い企画だった。チラシを見ると見学会は12月にあと2回予定されている(2日と16日)。興味がある方は是非。

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三鷹南口のフォー

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 先週末、原発事故からの避難先の山形で帰農し学習塾の経営もする弟が、田舎暮らしを指向する人たちのための催しで講演するため東京に来た。有楽町の東京交通センター内のふるさと回帰センターというところ。身びいきするわけではないが良い話だった。

 講演後、日野に来て高幡不動で飲み、翌朝は高尾の極楽湯で湯につかり、その後、30年前、二人で住んでいた三鷹に行った。昔良く行った幾つかの店を探したがことごとくなくなっていて、唯一、店名が変わり今も残っているラーメン屋を見つけたが、あいにくその日は休み。で、結局、その隣のベトナム料理屋でフォーを食べたがこれが美味。食べながら弟から、沢木耕太郎が旅先の土地で、若い頃にここに来たかった・・・のように言うと故・立松和平が、何故、そんなことを言うのか、今、ここにいることを喜べ・・のように言った、とかいう話を聞いた。そうだな、これからは、昔、通った店を探すなんてことは止そう、これからはここに来よう、と言い合った。

三鷹駅南口の『サイゴン』という店。

https://tabelog.com/tokyo/A1320/A132002/13185862/

隣は昔『江口』で今は『みたか』というラーメン屋。写真は弟が食べたトムヤンクン味のフォー。自分はベトナムカレーと鶏ガラスープのフォーのランチセットを食べたが、どちらも美味かった。

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デニス・バンクス氏死去 R.I.P

 去る10月29日にデニス・バンクス氏が亡くなった事を、11月1日の弟のフェイスブックの記事で知りました。その日、日本は十三夜で、東京でもきれいな月が見えました。大学の頃、仲間と企画したイベントを通して彼を知り、後日、バイトしていた学内の語学教室まで恩師が連れてきてくれ直接お会いしたことがあります。R.I.P。

 http://www.chunichi.co.jp/s/article/2017103101001400.html

 http://blog.goo.ne.jp/au…/e/34f48aa7b448a450922314faff70ce3b

  昔 インディアンは花と遊びながら
  光る命の意味 花に学んだ
  花に学んだ

  俺とこの星との歌が歌えるまで
  夢はみちてひいて くりかえすだろう
  くりかえすだろう   

          作詞 KURO&大塚まさじ 歌 加川良

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谷川俊太郎&Divaの朗読、ライブを聞いた。

 台風接近中の最中、家から近い日野市七生公会堂に詩人・谷川俊太郎さんの朗読&Diva(ご子息の谷川賢作さんのグループ)の歌のコンサートに行ってきた。谷川さんの朗読を聞いて干しシイタケが水に戻されたようなそんな心持になった。アンコールで『百三才になったアトム』を読んだ後に『鉄腕アトムのテーマ』(作詞/ 谷川俊太郎)と来て、何故か涙腺決壊。大雨の中帰ってきたが心はスッキリしていた。

 

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道を歩いて来たつもりはない
ただ歩いている足元をいつも見つめていただけ
いつも見る足跡は今付けたただ一つ
道なき道を行ったとか
その足跡が道になったとか
そんなカッコイイ話じゃない
現に振り返れば初めの一歩は風雨に晒され
今は消えていて
微かに昨日くらいからの足跡が
消えそうに残っているだけ

道を歩いて来たつもりはない
ただ歩いている足元をいつも見つめていただけ
この一歩の次はどちらへ
いつも迷っているのは次の一歩
ただ誰かが敷いた道を行くにせよ
歩くのは自分自身 この足 この足元の
線になることを拒否した一つの点 
だが その点が
いつしか地面から剥がれて
蝶のようにフワフワと舞い始めた

道を歩いて来たつもりはない
ただ歩いている足元をいつも見つめていただけ
いつしか足は動いているのに
地上にもう足跡は残らない
自転車のペダルを漕ぐ感覚で
一足ごとにぐんぐん空に登っていく
生まれた町の 国の 星の
その表面にある 文明のひびのような
色々な道が
眼下に見えているだけ

川沿いの道 車が渋滞する道 
砂漠を貫く道 けものみち
掌に刻まれた
生命線

道を歩いて来たつもりはない
ただドスンと生まれ落ちたベッドの上から
いつか来た空への道を
いつも眩しく見上げているだけ

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中国の古いオカリナ

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 これが何かお分かりか。実は娘が先日また重慶に行っていて、一昨日、帰ってきたのだが、これは四月に自分が行った時に知り合った若いカザフスタンの友人達に託されてきた物の中の一つで中国の古いオカリナ。シュン(またはケン)という(らしい)。6300年の太古の昔からあるものだとか。でも簡単には音が出ない。

 最初「本当に笛なのかしらん?」と思う程だったが、ふーふーやっていると何回かの1回にとてもきれいな音が出て、今はその1回を楽しみにふーふーやっている状態。本当に上手な人の演奏はどんなのだろう?とYouTubeを見ると超絶的な演奏がいっぱいあって愕然とする。こんな風にいつか吹けるようになりたいなあ・・と夢見るが、ドレミ・・・のような音階を出す運指すらも分からない。吹けるようになりたいという思いもある一方、楽器としてとても美しいのでコレクション欲も掻き立てられる。元々は西安あたりの発掘の出土品だったらしく、ぼくの仕事を考慮しての贈り物だったのならなお嬉しい。穴の数は色々あるようで分からないことだらけ。誰か吹き方が分かる人教えて下さい。

↓は分かりやすいところで映画「天空の城ラピュタ」のテーマ「君をのせて」をこれで吹いている画像。穴の数が多いやつのように見えるが・・・良い。

        https://youtu.be/AUOp-TjqKOo

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映画「パターソン」を見た。

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 ジム・ジャームッシュの新作「パターソン」を見た。

 http://paterson-movie.com/

 ウィリアム・C・ウィリアムスとかアレンギンズバーグとか、またディランの歌で有名なボクサー、ハリケーン・カーター等、知った名前が出てきて身近な感じがした。そして見終わった直後から永瀬正敏演じる「日本の詩人」が連発する“a ha”が口癖のようになってしまった。詳しいうんちくは控えることとして、一つだけ感想を言えば、今度、犬を飼うなら絶対ブルドッグにしようと思った。

 上の写真はこの映画のパンフレット。シティ・ライツとかから出ている詩集のようで気に入った。“a ha”.

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その夜 ラ・カーニャで  2017.10.08

  NAKED FOLK SINGERS-ギターをとって弦を張れ!-を見て
               中川五郎さん 三浦久さん 若松政美さんへ

その夜のラ・カーニャは
沸騰する水を見るよう
子供の頃 キャンプファイヤーで
歌ってくれたお兄さんが
突如 現れ
あの頃の続きを今また歌い始めてくれたよう
お兄さんは年を取ったが 
ああ でも今は あの時より若い(1)

 水は
  西の広場の井戸から沸いた
 ギターの音とことば
 薬缶から"ピーっ!"と音がして
 ことばから噴きあがるその水蒸気の斧が
 神社の椎の木を
 なぎ倒す幻をぼくは見た(2)

その夜のラ・カーニャは
水槽に水が溜まるのに見惚れるよう
細流はみるみる物語(バラッド)になって
ゆっくりと
人のたましいを満たす
年老いた旅の禅僧に
どこまでもついていく月  
ああ でも今は あの時より若い

 水は
  カリフォルニアの井戸から沸いた
 ギターの音とことば
 水槽に水があふれても
 それを止めに走るひとは誰もいない
 暗がりに立つ
 美しい女の目から
 涙がこぼれ落ちるのをぼくは見た(3)

その夜のラ・カーニャは
一杯の柄杓の水
夜勤明けのきみが 砂にまいた
柄杓の水
だがこの水は
ギターの音でもことばでもなくただの水
だが潤された砂は元の砂にあらず
砂に咲く花が
開くときの音をぼくは聞いた

その夜 ラ・カーニャで
その夜 ラ・カーニャで

(1) ボブ・ディラン 「My Back Pages」より。
(2) 中川五郎さんの「トーキング烏山神社の椎の木ブルース」に歌われる朝鮮人虐殺の加害者を労うために立てられたという椎の木のこと。

(3)レナード・コーエン 「Bird on the wire」の歌詞からのイメージ

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ポール・サイモンの『オヴィアス・チャイルド』

 ポール・サイモンの『ザ・コンサート・イン・ハイド・パーク』を聞いている。夏にネットでこの記事を見かけてから、何度ここに貼られた動画を見ただろうか。http://www.sonymusic.co.jp/artist/PaulSimon/info/484392

 2012年に行われたライブのDVDが今年発売された理由は映像を見てすぐに分かった。多様性に溢れたパフォーマンスと音楽、そして観客。異なる民族文化を持つ人々と一時的に共演することはあっても、それを自らの楽曲に本格的に取り入れ、なおかつヒットさせスタンダードにした人なんてポール・サイモン以外にいないのではないか。

 

 時折、映される観客たちの表情がどれも感動的。「オヴィアス・チャイルド」の間奏のリズム隊のブレイクとその後に続く歓声は可視化された「グレイスランド(グレイスに溢れた土地)」だと思った。

 「楽隊の音は、あんなに楽しそうに、力づよく鳴っている。あれを聞いていると、生きて行きたいと思うわ!」 (友人のFBで紹介されていた今日の毎日新聞・高橋源一郎の人生相談からチェーホフ『三人姉妹』より) 

・・・・・・と、これを今アップした直後、Yahooに戻り、 ラスベガスのコンサート会場での銃乱射事件のニュースを見て衝撃を受ける。平和なコンサート風景が昔懐かしいもの・・のような世界にならないことを切に祈ります。R.I.P

・・・・さらに、トム・ペテイ死去のニュースも。2017年の10月2日はぼくら音楽好きにとって何という日だろう!

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ライヴ・イヴェント  NAKED FOLK SINGERS-ギターをとって弦を張れ!中川五郎×三浦久 10・08 下北沢ラ・カーニャ

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  うたうことば

 「歌は歌われるべきものであり、読むものではない」。とはボブ・ディランのノーベル文学賞受賞記念講演の中のことば。しかし、ただでさえヒアリングの落第生だったぼくにとって、海の向こうの歌を聞くことは70%くらいは聞くものであっても、30%くらいは読むものだった。特にボブ・ディランやブルース・スプリングスティーン、レナード・コーエン等々、詞やメッセージに重きを置くアーティストの場合には尚更。そして彼らのうたを聞くとき、その「聞く」と「読む」の比率は時に拮抗してしまうことさえあったと思う。  

 中川五郎さんと三浦久さんはフォークシンガーであり、また共に歌の翻訳者でもあるので、今回の受賞に際して世の中が(そしてディランが)見せた戸惑いも、逆にその受賞の正当性も十分知っておられるだろうと思う。「私が書いているのは文学なのか?」と自問してディランは言うが、自らもステージに立ち歌うこの翻訳者二人も、こう思ったことはないだろうか?今訳しているこのことばは文学なのか?歌なのか?と。

 白状するとぼくがお二人の歌を聞いたのは、その訳業に親しんでから随分と後のこと。長い間、五郎さんも三浦さんもぼくにとっては歌の翻訳者としてあった。だから初めて二人の歌を聞いた時のストレートに言葉が耳に届く驚きといったらなかった。ディランやスプリングスティーンの歌を介してぼんやりと見えていたものが突然、ハッキリ姿を現したような、そんな感じがしたのだ。  

 五郎さんの「トーキング烏山神社の椎の木ブルース」をライブで聞いた時、ぼくはディランの「ハッティ・キャロルの寂しい死」等のプロテストソングを初めて理解した。また三浦さんの、市井にいる(た)人々の姓名が出てくる数々の物語風の歌を聞いて、スプリングスティーンのフォークアルバム『ネブラスカ』や『ゴースト オブ トムジョード』の中の歌たちが、海の向こうの人たちにどのように聞こえているのかを教えられた気がした。  

 「トーキング~」を聞いて、後日、僕は烏山に例の椎の木を見に行った。そして三浦さんの「カムサハムニダ イ スヒョン」を聞いて新大久保駅のホームに立ってみた。どれだけ時を経ても決して許されない差別への抗議の歌が、真昼の神社に静かに立つ椎の木の中にあった。また一人の青年が示した勇気を讃える歌が、電車が入ってくるJR山手線のホームのざわめきの中にあった。もしかしたらぼくらを取り巻いている風景、世界、それ自体が「歌」なのかもしれないとその時思った。  

 「アウトローは正直でなければ生きていけない」、「回り道をしない人生に何の意味がある?」「空ゆく鳥は空の鎖から自由だろうか?」・・・・ディランの歌にはその一行で人の生き方を変えてしまうようなフレーズがいっぱいある。それに比べると「歌は歌われるべきものであり、読むものではない」という、歌ではない彼の講演の中の言葉は一見ありふれている。でも上に書いたように「歌」の事を考えると、そのことばは違う意味を持って響いてくる。そして、「歌=フォークソング」としても良いのだが、五郎さんと三浦さんはそのようなフォークシンガーで、この不穏な時代に二人の歌を聞き共に歌うことは、それに対する一つの処方箋のように思うのだ。  歌の翻訳とは詰まるところ、一緒に歌うということではないだろうか?二人はずっとそれをやっててこられた。ぼくらはただそれを読んでいただけなのかもしれない。今こそぼくらも一緒に歌う時なのだ。Sing !

http://www1.ttcn.ne.jp/lacana/live/1212.html

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カントリーな夏でした

 今日、9月3日は二十四節季では処暑にあたり、暦を見ると、暑さが和らぐ頃、とある。異常気象と言われる昨今でもこの周期はいつもピッタリ当たっていて季節の変わり目が来るたびに驚く。ここのところようやく涼しくなってきて、早速、今年の夏の事を色々と思い出しているところ。

 今年は7月の暑い盛りに一週間ほど長野の霧ヶ峰に行って仕事をしたが、その前に知人の引っ越しを手伝い、思いがけず頂いたお金でカントリーのCDを買った。ウォークマンに入れて高原でカントリーを聞いて過ごすのは良いアイディアのような気がしたから。

 R&Rが黒人のブルースと白人のカントリー&ウェスタンとのクレオールミュージックと理解して、昔からブルースは良く聞いたが、何故かカントリーは聞かなかった。で、これを機に聞いてみようと思い、買ったのは輸入盤でジョニ―・キャッシュの3枚組のベストとハンク・ウィリアムスの4枚組。

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その後、ジョニー・キャッシュのフォルサム刑務所でのライブ盤も買った。そしてフェイスブックにその事を少し書いたら、ジョニー・キャッシュが「刑事コロンボ」に出た時、ハンク・ウィリアムスの「I saw the light」を歌ったことや、去年、ハンク・ウィリアムスの伝記映画が公開されていた事などを教えてくれる友人がいてそれも見た。いわきに帰省した際は中古CDも扱う友人の店で有名どころによるハンク・ウィリアムスのトリヴュートアルバムを紹介され、それも購入。どれも良くて、今までを不覚に思うやら、まだ未知の分野がこれだけある事を喜ぶやらだった。

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 最初に買った二つが歌詞対訳の無い輸入盤だったので、聞いているうちに、どんな事が歌われているのだろう?と気になった。特にハンク・ウィリアムス。ディランは「ハンクのルールに従って」ソングライティングをしていると発言しているし、レナード・コーエンは「歌の塔」という曲で、「その最上階にはハンク・ウィリアムスいる」と歌っている。ネット上で数曲、対訳している人がいて最近それをなんとなく眺めたりしているが、英語で直接理解できればなあ、とため息が出てしまう。

 http://jtkanehira.com/hank.html

 それとジョニー・キャッシュ。『AT FOLSOM PRISON』のライブ盤には歌詞対訳が付いていて、囚人たちを前にして歌われたその歌にいちいちに驚く。特に「FOLSOM PRISON BLUES」の“俺はリノで男を撃った 彼が死ぬのを見るためだけに”と言う一行はブルース・スプリングスティーンの「ネブラスカ」の“理由のない卑劣な行為というものがあるのだよ”という歌詞に響いていると思った。対訳はスプリングスティーンの翻訳も手掛ける三浦久氏。この秋にお会いできる(はずな)ので、その辺の事を話し出来たらと思う。

 ネットにはハンク・ウィリアムスの歌詞対訳だけでなく、コード譜もあって、最近、?十年ぶりにギターをひっぱり出してきて練習しているのは「Cold cold heart」。指の皮が段々厚くなってきた。

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霧ヶ峰に行っていた

 しばらく仕事で長野の霧ヶ峰に行っていた。

 緑に埋もれた朽ちたワゴン、オートレース場の周回音のように耳から離れない蜂の羽音、塗装のはげた鉄の窓枠に分割された青空。去年、壊したスズメ蜂の巣にヒナがいて、毎朝、番の鳥がせっせと餌を運んでいた。

 蛾と蝶の違いについて考えた。

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 宿は諏訪湖畔。昔、諏訪湖マラソンを走った時に訪れて以来。朝と風呂上がりの夕暮れに散歩するのが日課だった。風が気持ちよかった。

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イグアナ 이구아나

 詩人・茨木のり子の著書『ハングルへの旅』の中で、詩人が韓国をバスで旅行中、子供に時間を聞かれて「試されている・・」と勝手に緊張してしまった、という件が確かあった。

 日本語の数の数え方に1(イチ)、2(ニ)、3(サン)・・・という数え方と、一つ、二つ、三つ・・・という数え方があるように、韓国語にも1  일/イル、2  이/イ、3  삼/サム、4  사/サ、5  오/オ、6  육/ユク、7  칠/チル、8  팔/パル、9  구/ク、10 십/シプと数える漢字語数詞と、1 하나/ハナ、2 둘/トゥル、3 셋/セッ、 4 넷/ネッ、5  다섯/タソッ、6 여섯/ヨソッ、7 일곱/イルゴプ、8  여덟/ヨドル、9 아홉/アホプ、10 열/ヨル、と数える固有語数詞とがあって、使い方が時々に違うので確かに日本人には難しい。

 例えば時間だが、~時の部分は固有語数詞だが、~分の部分は漢字語数詞でなければならない。韓国語に興味を持って始めて見ようという方がいても、意外とこの数のところで挫折してしまう人は案外多いのではないだろうか?自分にも難しかったし、今も難しい

 結局は慣れるしかないのだが、最近、YouTubeを見ていて良い曲を見つけた。韓国のロッカー、カンサネと、ロックバンド、ヒョゴのコラボ、『イグアナ 이구아나』と言う曲。この動画はハングルの字幕が出るので、それを紙に書きとってネットの自動翻訳機にぶち込み、大体の内容を知るという涙ぐましいことをしていたが、後半部はこの数字を使った言葉遊びのようになっている(多分)。

 

 9は구/ク、なので 頭に指示詞の이(イ) これ・この、を付けて数えて、最後が「イグアナ」になるというオチ。作詞作曲はカンサネ。面白い。韓国の音楽というとCD屋ではいわゆるKポップと言われるやたら美脚の女の子やイケメン男子が集団で歌うものしか見かけないが、カンサネやヒョゴのようなロックは一体何処で買えるのだろう?

 因みに現在、日曜日の午後、時間はタソッシ、シプチルプン、です。

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ぼくが出会ったサイト

 十月に予定されている或るイヴェントに文章を頼まれて、その主催者から資料代わりにと紹介されたサイトをここのところずうっと読み耽っていた。

 そのサイトとはフォークシンガー三浦久さんの「ぼくが出逢った歌 ぼくが出逢った人」というもの。

http://www.nagano.net/journal/miura/

ウェブ・マガジン長野ジャーナルで1996年から2005年まで連載されていたもので、1960年代にアメリカに留学していた氏の青春記。前半がアメリカ編で後半が日本編。三浦さんの名前はボブ・ディランやレナード・コーエン、ブルース・スプリングスティーン等々の歌詞の翻訳と数冊のディランの研究書の著者として知っていたが、その人となりは不覚にも全く知らなかった。

エッセイは1から97まであって、一つ一つに歌や詩の題名が記されている。第一話はボブ・ディランの「風に吹かれて」で最終話はニール・ヤングの「ハートオブゴールド」。

 1965年生まれの自分の世代だと、例えば、佐野元春の「サムデイ」を初めて聞いたのは・・とか、RCサクセションの「トランジスタラジオ」は、あの時・・なんて思い出が誰にでもあると思うのだが、三浦さんの場合はそれが「風に吹かれて」や「八ッテイ・キャロルの淋しい死」や「スザンヌ」や「サウンドオブサイレンス」や「ア デイ インザ ライフ」だったりする。そして二人のケネディとキング牧師の暗殺があり、ヴェトナム反戦運動があり、ヒッピームーブメントがあり・・・と、時代は正に激動の真っ只中で、自分は数日、まるであの時代のタイムカプセルを予期せずに開けてしまったかのように、のめり込んで読んでしまった。

Photo_3 紹介したいエピソード、目からウロコの話が満載だが、感動したのは別のところ。それは氏が友人、知人、有名人、また一期一会の人も含め、登場するそれぞれの人々を、まるで一曲の歌を歌うかのように語っているところ、その声。友部正人の「ロックンロール」と言う歌の歌詞に“ぼくが出逢った人が僕の歌なのかもしれない”というヴァースがあるが、このエッセイは本当にそうだ。そして「歌」は古い友人のように語られる。あまりに面白くて「書籍化はされていないのだろうか?」と思ったら、前半のアメリカ編が『追憶の60年代カルフォルニア』(平凡社)として出版されているとのこと。でも自分には日本編もすごく面白かった。

 内容はもう読んで頂く他ないのだが、最後に一つだけ音楽以外の話で紹介したいのが、文中、英語の教師でもあった氏が提唱するその勉強法。「シュリーマン方式」と言っているが、それは生涯で22か国語を完璧な話せたという考古学者シュリーマンがとったもので、このエッセイの第23話「エリナリグビー」の回に書かれてある(マクロバイオティックの提唱者・桜沢如一も同じ方法だと、後の回でも書かれている)。自分も韓国語の勉強を始めて3年目になるが、行き詰まりを感じていたところなので、早速、この方法を採用させて頂くことにした。

 氏は現在、信州長野で「オーリアッド」というライブハウス&コーヒーハウスをやっているようで一度行ってみたいと思った。そして十月が楽しみ。

 

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“翼”くんから返礼

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 重慶で逢った若いカザフスタン人の友人二人に印鑑を送ったらお礼の返事が来た。元々は訪中の際にお土産は何が良いか考えた末のもので、思いついたのはそれぞれの名前を漢字で当て字して印鑑を作り贈ろうというもの。

 ただ娘のルームメイトの女性の名はキレイに決まったものの、後の二人はヘンテコな当て字にならざる得なく、結局、現地で会って当人たちに希望を聞いてから作ろうということにした。で、そうしたところ、一人はカザフ語で“月の光”を意味する名で、もう一人はカザフ語で“翼”を意味する名だとか。それで“月の光”くんのカザフ語は音的に少し長いのでカタカナにすることになって、“翼”くんは文字通り“翼”一文字にすることにした。

 一昨日、二人からSkypeで直接お礼を言われたが、娘のSNSを転送する形でさらにメッセージをくれたのは“翼”くんの方。重慶の西南大学周辺をバイクに僕を乗せノーヘルでぶっ飛ばしてくれた彼だ。メッセージに添えられた写真を見ると、“剣”という文字が大きく書かれていて彼らしいと思った。

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 重慶では彼らにハラール料理(イスラムの戒律に基ずく料理)でもてなされたが、その席で“翼”くんが見せてくれたのは『武藝』と題された本(写真)。宮本武蔵の『五輪の書』と柳生宗矩の『兵法家伝書』が一冊になっている。高校の頃からの愛読書なのだとか。へぇー。

 荷物が届いた6月1日は偶然にも中国では『こどもの日』に当たるらしく、その日は親が子ども贈り物をする習慣があるらしい。彼のメッセージに「子供の日に贈り物をもらった」とあった。で、今、妻と二人、子供が増えた気分でいる。彼はドンブラ(カザフスタンの二弦の楽器)の名手だとか。いつか聞けたらと思う。 

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吉見百穴と埼玉古墳群に行ってきた。

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 会社の研修旅行で埼玉県比企郡の吉見百穴と行田市の埼玉古墳群に行った。始終楽しい一時だったが、印象に残ったのは古墳ではなく、吉見百穴と第二次大戦中そこに掘られた軍需工場跡の方。吉見百穴は古墳時代後期(6~7C)の横穴墓群だが、その一部には大戦末期、旧日本軍が軍需工場を作ろうとして掘った巨大な坑道があった。同じ凝灰質砂岩に掘られた横穴にしても百穴とこの坑道ではベクトルがまるで違う。一方は送葬と祈りのための穴、一方は戦争へとひた走るための穴だ。

 今日は夏のような陽射しで暑かったが、坑道の中は涼しいを通り越して寒かった。良く見ると息が白かった。指定された見学コースを一通り見てそれだけで圧倒されたが、展示されている掲示を見るとなんとコースはほんの一部で、立ち入り禁止の向こうにはその何倍もの坑道が掘りめぐらされているのをだった。驚いた。もしかしたらこの坑道はあれから、そして今もずっと掘られ続けているのではないかと妄想した。

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カササギの歌

Photo  旅先で聞いた歌でその旅の思い出に耽るというのは良くあることかもしれないが、中国で特に音楽を聞かなかった僕等には、先日ここに貼り付けたシロガシラの鳴き声がその代りになっている。聞くたびに夫婦で「楽しかったねー。」と言い合っている。

 去年の今頃、自分の会社の別の現場で休憩時間に野鳥を見ることが一部の人に流行ったらしい。ちょうど自分の現場に鳥に凄く詳しい人がいて、皆、スマホで撮った写真を図鑑で調べ、分からないと彼に写メして聞いてた。その度その彼はちゃんと説明を返していて見事だと思った。

 古今東西、鳥を題材にした詩や歌謡というのはいっぱいあるが、僕が好きなのは「カササギの歌」。アメリカの詩人ゲイリー・スナイダーの詩(ナナオ・サカキ訳)に、飯能のグレイトフルデッド(と、ぼくが勝手に言っている)ひのこバンドのマスターが曲をつけたもの。僕が何度も聞いたのは下村さん&吉田ケンゴさんのバージョンだが、これはヒットソングになど決してならなくとも、色んなイヴェントや祭りでカヴァーされることがままあって、きっと自分の「心のヒットソング」にしている人は多い筈。この詩を昔、武蔵小金井でゲーリー自身の朗読で聞いたことがあるが、歌とは全く違う印象だった。逆にこれをこうした歌にした作曲者は凄いと思った。

 上述のシロガシラからの連想で思い立ち、さっきYouTubeで初めて!カササギの鳴き声を聞いた。この鳴き声が、最後のオリジナル・ビート二クス、ゲイリー・スナイダーにはこう聞こえるらしい。

 兄弟、心の色は 
 ほら 空の青 トルコ石ブルー

 ひのこバンドの「カササギの歌」はYouTubeにいくつかアップされているので聞いてみて下さい。誰かカヴァーしてCD化してくれないものか。

 

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めし

 連休明けから始まった新しい現場は京王線の多磨霊園駅至近。お昼を何処で食べようかと思案していると、作業員のUさんが良いところがあると言うのでついて行くことに。そして店を見た時、体に電気が走ったようになった。

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 ここは5年前に癌で他界した友人がその闘病中に、近くで仕事するような時があったら行け、と教えてくれた店。その時、わざわざ一度来て、この暖簾の写真をフェイスブックにアップして、元気になったら一緒に行こう、とやり取りしたのだった。すっかり忘れていた。

 メニューは日替わりランチがあるものの、種類豊富なおかずとご飯の組み合わせもOKで、それには味噌汁と冷ややっこが付く。ご飯は大=250円、中=200円、小=170円。ただし「中」と言ってもそれは普通の店の大盛りで、小で十分。今日、自分はサンマの開き(300円)と小ご飯で占めて470円の昼食だった。満足。自分も含めた汚れた格好の作業員数人と来たが、こういう事をしたがっていたな、晩年の彼は。今はもう腹が減らない事になってほくそ笑んでいるかもしれないが、生きてるこっちは三度三度めしを喰わなきゃならない。この現場は約2週間。いる間、通うことになりそう。

でも、やはり一度一緒に来たかった。

 ↓はこのお店の食べログの記事。

 https://tabelog.com/tokyo/A1326/A132602/13083123/dtlrvwlst/B194031746/?lid=unpickup_review

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シロガシラとクロウタドリ

 

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 先月行った重慶のホテルでは毎朝、鳥の鳴き声で目が覚めた。2階の部屋にいて窓の外には池と木があったのだが、そこに毎朝、羽根に黄色い筋の入った鳥が来て綺麗な声で鳴く。他にはまん丸の眼で愛嬌のある黒い鳥。

 何とか写真に撮って日本に帰ってから職場の鳥に詳しい人に見て貰うと、初めのはシロガシラというヒヨドリの仲間で、日本では主に沖縄とか南西諸島の方にしかいない鳥、後のはクロウタドリという、これも日本では旅鳥に属する中々珍しい鳥だとのこと。

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スズメみたいに普通にいたので気にしなかったが大きな移動をするとこいうことがあるのかと、そんな当たり前のことに驚いている。今朝も鳥の声で目が覚めたがこちらはいつものメンバー。だが気持ちがいい。でも間違ってシロガシラが来ないものかと毎朝外を確かめてしまう。

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映画「ムーンライト」~ククルクク・パロマ

 アレサ・フランクリンの「One step ahead」、バーバラ・ルイスの「Hello,stranger」、ボリス・ガーディナー「Every nigger is a Star」等々、音楽の使われ方がいちいち絶妙だった映画『ムーンライト』。シーンと音楽の関わり方についてならどの曲についても何か書けそうだが、取り上げたいのは「Cucurrucucu Paloma」(ククルクク・パロマ)と言うメキシコの古い民族舞踏曲。

 虐められてドラッグユザーの巣窟のような廃墟に逃げ込んだ小さなシャロンを心優しき売人のファンが見つける、その出逢いの頃のシーン。ピッタリだった。あまり褒められた人間でない大人の方が子どもに人生を良く教える、ということがままあるが、この出会いの後、ファンも様々なことをシャロンに教える。

 人気のない開いた戸の前に
 毎朝、一羽の鳩が飛んできて哀しそうに泣く
 あの鳩はきっと彼の魂だ
 鳩よ、お願いだ
 そう ククルククと泣かないで
 誰にも彼の愛が分かるはずもないのだから

                                      作詞作曲 トマス・メンデス

「自分の道は自分で決めろ。絶対に他人に決めさせるな。」とファンは小さなシャロンに言う。ドラッグ中毒の母親に育てられたゲイの黒人の物語・・・と言うと自分とは無関係、と考えがちだがそうではない。これはアイデンティティについての映画。アカデミー賞受賞については賞が白人至上主義だという批判やトランプ政権誕生の影響が囁かれるが、こんな寡黙な映画が受賞したのはやはり事件だろう。どうやら僕らは本当に時代の変わり目にいるらしい。

 

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『幻の女』(新訳)を読んだ。

「現実とはああいうものじゃないか?」妻殺しの裁判で死刑を言い渡された容疑者のお粗末な陳述を聞いていて、担当刑事ははたと気づく。彼は嘘を言っていない、と。

 飛行機の中で読もうと空港で買ったが結局読まなかったウィリアム・アイリッシュの『幻の女』(新訳・ハヤカワ文庫)をこの休みに読んだ。世界中のミステリーファンの間で行われるオールタイムベスト投票では常に1位から上位、作品は1942年発表(あの大戦中にこんな傑作が書かれ、読まれていた。)というから、これはもう古典中の古典だ。帯にはあの、江戸川乱歩が「世界十傑」と評した推理小説、とある。納得。

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 四月に少し早めに大きな旅行をしてしまったので、このゴールデンウィークは家にいて昼間は読書三昧(そして、いつの間にか寝落ち)夜は映画という日々。映画は夫婦割りが使えて安いのだが、そう毎回は妻も付き合ってくれず、特に証明も求められないので偽の妻を現地で調達しようか・・・などと悪巧みすると、この小説中の刑事バージェイズのこんなセリフにたしなめられる「顔を覚えるのが苦手な人間は、見知らぬ女を劇場に連れて行ったりしてはいけない。」と。そう怖いのだった、それはそれは。

 読んだのは新訳だが、旧訳の冒頭の一行は翻訳の世界では大変な名訳とされているものだそうで、それだけはそのまま踏襲する、と新訳者の断りがあとがきにあった。それは、こんな文章。

 The night was young,and so was he.But the night was sweet,and he was sour.
 
 「夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。」

 お休み中、特に予定のない方にお勧め。予定のある方は引き続き良い休日を。

読後の気分は苦くない。

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映画『ライオン~25年目のただいま』~SIAの「NEVER GIVE UP」

 映画『ライオン~25年目のただいま』を見た。5才の時、インドで迷子になり、オーストラリアの養父母の元で育った青年が5年かけてグーグルアースで我が家を見つけ、25年ぶりに帰還したという驚愕の実話。主演は『スラムドッグ・ミリオネア』のデヴ・パデルだが、圧巻は主人公サル―の幼年期を演じたサニー・パワール。何千人ものカメラテストが行われる中、実際に恵まれない子供達が通う学校で見いだされたという彼。演技経験が初めてとは思えないほどのその存在感に圧倒された。動画はシーアが歌う主題歌「NEVER GIVE UP」。この時代の新しい『Get up, stand up』に聞こえる。このゴールデンウィークに是非。

 

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ラリーアッサラームの『ブルーバージンズ・レヴォリューションズ』~16年ぶりの1stアルバム

 中国旅行から帰ってきてすぐ仙台のシンガーソングライター ラリーアッサラームから連絡があった。何でも故下村誠プロデュースで2001年に制作され全国発売された1stアルバム『ブルーバージンズ』を音源はそのままにボーカルトラックだけ新たに再録したものができたのだが、送るので感想を聞かせて欲しいとのこと。そして16年前、このアルバムのために僕が書いた文章をライナーにそのまま使うとの断り。それで早速、本日、届いたのだがこれが良い。

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 このRE・1stアルバムともいうべき"新ブルーバージンズ"には下村さんの「スターダストブルース」「虹の戦士」「Native Mind」の三曲のカヴァーもあってそのポップな解釈も感動的だ。特に「スターダストブルース」は下村さんが間違って音源を消してしまった、として仕方なくボツになったものがギター(下村誠)とピアノ(井上徳子)の音のみが残ったテープが発見され再録されたのだとのこと。16年前の下村さんともう一度セッションした・・・というような事が手紙にあった。ミュージシャンは羨ましい。

 彼のボーカルについて、"幼児が発見したスペクタクルをなんとか言葉で伝えようとする時の"衝動"をドキュメントしているようで新鮮"と16年前の僕は書いている。そして今回そのボーカルは力強く再録されたわけだが、驚いたのはその新鮮さが全く損なわれていないこと。

 それにしてもこのポップな「虹の戦士」と「Native Mind」!下村さんに聞いて貰いたかった。やっとこういうのが出てきた。ありがとう。ラリーアッサラーム。

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登洪崖洞

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 中国は重慶に行っていた。9か月振りに娘と再会、またスカイプ越しに言葉を交わしていた彼女の友人達に直接会えて楽しい時を過ごした。いい旅だった。中国、また行きたい。


 雨の重慶( Chóngqìng)
 その雨後の筍は
 七十年の歳月を経て
 銀色のビルの竹林となった

 夕暮れに
 嘉凌江と長江のほとりに出た僕らは
 輝く船を見つめ
 出逢いと再会を喜んだ
 赤子のようにたどたどしく
 互いのことばを
 教え合いながらー

 朽ちた寺院の屋根
 地下鉄6号線
 力夫(クーリー)
  火鍋
 パイナップル売り

  「雨」からの解放を
  記念した
 碑(いしぶみ)の前の賑わい ※1 

 你是中国人吗?
 我是日本人。

 「雨」の国の人よ
  あなたは慈雨であれ
 その一滴も
 いつか大河になればこそ。

 白日依云  黄河入海流
 欲穷千里目 更上一层楼 ※2

 洪崖洞(ホンヤードン⦆の壁に   
 イービノサウルスの幻 ※3
 その階段を
 新しい人たちが上っていく
 それは
 千里を見はるかすためでなく
 只、足元の今を生きるため

 軽やかな足取りで
 一段一段

 確かな足取りで
 一段一段

 加油!加油!加油! ※4

            
                          2017.4.17
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※1  日中戦争中の1938年2月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍は重慶に対し断続的に計218回におよぶ戦略爆撃を行った。解放碑(jiě fàng bēi)は1945年、抗日戦争に勝利したことを記念するため建てられたものである。

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※2 『唐詩選』 巻六 「登鸛鵲楼(かんじゃくろうにのぼる) 」 王 之渙

白日山に依りて尽き 黄河海に入りて流る
千里の目を窮(きわ)めんと欲し 更に上る一層の楼

【輝く夕日は】山の稜線にもたれかかるようにして沈み、黄河は【海に入ってもさらに流れる】。【千里の眺望を】見はるかしたいと思い、さらに【一階上の楼】へと上っていく。

※3 この地域はジュラ紀の地層が露出する世界でも屈指の恐竜化石の宝庫。イービノサウルスは四川で発見された新種恐竜で化石は重慶自然科学博物館所蔵。 写真はその博物館にて。

 

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※4 加油(jiā yóu)  油を加える、でがんばれの意。中国語、面白い。

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加川良さん死去~駒沢あたりで

  

 加川良、と言う名前を初めて知ったのは吉田拓郎の「加川良の手紙」という曲だった。小学生の時。4つ上の兄のカセットテープから流れてきて面白い歌だなあ、と思った。

 今朝、早く起きすぎて眠れなくなって、拓郎に纏わる思い出話をここに書いたばかりだが、良さんの死を知って、今日、また上手く眠れるかどうか分からない。高校生の頃、いわきの「キネマ館」で、村上律さんと一緒のステージを何度見ただろう。打ち上げで「いわきでは冷やし中華にマヨネーズが付くんですよ!」と言ったら、「そんな気色悪いもン誰が喰いますかぁ!」と良さんが笑ったのを思い出す。

 後年、いつかのアースデイ、雨の中ライブを見ていたらビニール傘を貸してくれる人がいてなんと良さんと良さんの奥様だった。僕の事など覚えている筈もなかろうから、きっとそういう事が誰にでも自然にできる人だったのだろう。今日は朝から思い出話ばかり書くことになった。

 悲しい。ご冥福をお祈りします。

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1983年8月3日、夏休みだった。

 

 先日、「アジアの片隅で」についての小文を書いてから色々見ていたら、1981年8月3日の吉田拓郎の宮城スポーツセンターでのコンサートのセットリストを見つけて懐かしかった。

 高校生になったばかりのある日、拓郎のラジオを聞いていたら、「チケットを買ったが、行けなくなったので抽選で当たった人にあげる」という視聴者からのハガキを拓郎が読み上げた。それでダメ元で番組にハガキを送ると忘れた頃にチケットが届いたのだった。あの頃はまだガキでいわきから仙台までも一人で行くのは冒険だったっけ。拓郎は「アジア~」という硬派な傑作アルバムの後、その反動のように「無人島で」というポップな(C調な?)作品を発表して時期は丁度その頃。桑田と長淵の確執のようなことを良く聞くが、その二人のどちらにも影響を与えた人だけに、今セットリストを見ると確かに硬軟取り混ぜてある。それが拓郎の魅力だった。

 http://www.livefans.jp/events/258781

 動画はまさにその頃のラジオから。「サマータイムブルースが聞こえる」と「Y」。「サマータイム~」は正式に発表されたものと違うが自分はこっちの方が好きだった。ずっと昔のことですっかり忘れてしまい、学校さぼったのだったっけ??とずっと思っていたが、夏休みだったのだ。15才。オープニングも『夏休み』だった。

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東郷寺に行ってきた。

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 府中の東郷寺に行ってきた。ここの山門は黒澤明の映画『羅生門』のあのセットのモデルとなった事で有名。地元では桜の名所として知られる。あいにくの小雨交じりだったが春から新入学を控えた子供を連れ、若い母親たちが桜をバックにせっせと写真を撮っていてなかなか賑やかだった。

 映画は、平安時代、一人の男の遺体が見つかり、その真相を突き止めようとするうちに全く違う証言が三つ出揃い、第一発見者兼裁きの傍聴者だった杣売りと旅の法師が、人間の業の深さに恐れ慄くというは話。誰が何を隠し、誰が嘘をついているのか?

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原作は芥川龍之介の『藪の中』。真相が分からない時に"藪の中"という言い方はこの小説の題名から来ている。映画のラストは地獄からの抜け道として黒沢が用意した人間賛歌のようでもあるが、あの杣売り(志村喬)が本当にその後、言ったように生きるのか?と疑念の眼を向けるとまた世界はいきなり曠野と化す。フェイク・ニュースとオルタナティブ・ファクトの今見られるべき映画だと思う。

 東郷寺は日蓮宗の寺。例によって帰りに御朱印を貰った。天気が良い日にもう一度来たいと思った。

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城巡り。鉢形城・川越城に行ってきた。

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 城巡りが好きになった。そこにはそれを目的としなければ決して降り立つことはなかったであろう駅や町を見ることも含まれる。城がどのような地の利を生かして作られたのかなどを見て、勝手に“うん、ここなら大丈夫だ・・・”などと思ったりする。

 少し前のことになるが3月末の連休中、埼玉県大里郡寄居町の鉢形城と川越市の川越城に行った。どちらも日本百名城の一つ。鉢形城がある寄居はつげ義春の漫画にでも出てきそうな辺鄙な(失礼、長閑な)ところで、城までの道すがら地元のお店は皆閉まっていた。休業日なのか、それとももうやっていないのか。そうした路地を太目の猫がのったり歩いていたりして、住む人の佳さを思わせた。城は深沢川と荒川の合流地点の断崖にあって堀や土塁がしっかり残っていて良かった。城跡から川を眺め、しばし陶然となる。

 その後、電車で移動して川越城へ。こちらはうって変わって観光地特有の賑わい。現存天守の城で江戸の頃を良く伝える。中に熊の黒毛を使って飾られた槍鞘があったが、不思議な形だと思った。

 写真は川越の蔵造りの街並にある「時の鐘」。作られたのは400年前だが度重なる火災で消失し現在は4代目とか。午前6時・正午・午後3時・午後6時の1日4回鳴るということ。教会の鐘で時を知らされるヨーロッパの街の暮らしに憧れるがこれもいい。ただ残念なことに時間が合わず鐘の音を聞けなかった。

 自分は年度末の慌ただしさから昨日ようやく解放されてほっと一息ついたところ。それでも日に四回の鐘だけの長閑さには程遠いが。この鐘の音を聞くためにもう一度出かけてもいいなどと思う。駅前でキノコ汁のうどんで酒を飲んだ。酒の銘柄は聞かなかったが美味かった。

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好きな詩集 「エルヴィスが死んだ日の夜」。

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 80年代は文化・経済の状況がアメリカの50年に似ていたためかビートジェネレーションの翻訳が多数出版されたが、結局、自分はあの時代の子供なのだと思う。

 敬愛する詩人は故・諏訪優さんと中上哲夫さんだが、知っての通り諏訪さんはギンズバーグの翻訳家で、中上さんは主に80年代以降に出版されたケルアックの本の翻訳家だ(偶然、大学の先輩ということもある)。ある時、Book offの音楽関係の棚に題名が誤解されてそこに置かれたと思われる中上氏の詩集『エルヴィスが死んだ日の夜』を見つけ、立ち読みし動けなくなった。何故ならまるで自分のことが書いてある様だったから。  

 ビートジェネレーションというと黒ずくめの服装にサングラスでワインを燻らしながらジャズやロックをバックに詩を朗読する・・みたいにだけ思っている人がいるが、何よりもギンズバーグは害虫駆除の仕事をしていたのだし、ケルアックは鉄道関係の仕事をしていた。つまり日本でビート的に生きようとするならば土方(この言葉も今は自主規制の対象らしいので肉体労働者)になる他なく、事実そうしながら彼らは詩や小説を書いたのだ。そして中上氏の詩集『エルヴィスが死んだ日の夜』も、全く日々自分が目にするそうした風景が詠われている。例えば『生涯で最悪の日』という詩。
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産業革命のときのイギリスの少年のような
実働十二時間の
寒風の中の立ち仕事
こんな日の夜
(A Hard Days Night)
ひとはいったいどのように振舞うのだろうか
うたた寝しながら郊外の
わが家にたどりついたわたしは
どんぶり飯をかっこむと
この詩を書いて
熱いシャワーも浴びずに
ベッドにもぐりこんだのだった

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 他にも『二十世紀最後の夏はこんな仕事をした』や『現場監督見習いをしたことがある』などの詩。どちらもリアル。

 表題『エルヴィスが死んだ日の夜』の過ごし方は読むと自分がチャック・ベリーが死んだ日の過ごし方と同じで、それで余計にこの詩集に親近感が沸くのかもしれない。

 そう言えばあの日見た映画でエルヴィスの歌は重要なモチーフになっていたっけ。好きなLPを紹介するように好きな詩集を挙げろと言うなら、僕は諏訪優の『太宰治の墓 その他の詩篇』と中上哲夫の『エルヴィスが死んだ日の夜』を挙げるだろう。路上派と(というものがあるらしい)言われる二人。

 美は路上にあり、ということか。 

 この詩評が素晴らしい。
http://www.interq.or.jp/sun/raintree/rain28/elvis.html

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『牯嶺街少年殺人事件』を見た。

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 今週はこの映画を見逃さない事だけを心掛けて生きていた。3時間56分、トイレに立ちたくないので(途中休憩無しの上映なので)、朝から水分と食事を控え気合を入れて出かけたが、
上映後、映画館から出た時は、映画に打ちのめされたのか腹が減り過ぎたののか良く分からないような状態でフラフラ。“見た”というより、60年代の台湾の明るい光と暗闇、そしてその中を蠢く不良少年たちの抗争と、映画史に残ると言われるファムファタールとの純愛を“体験”したという感じ。

 明後日、二十日にはこの映画を愛してやまない坂本龍一氏個人所有のスピーカーによる爆音上映というのがあって、本当はそれに行きたかったがチケットは早々とソールドアウト。こんなに静かな映画なのに爆音上映?と思いきやこの映画は音響の臨場感が凄い。それだときっと"体験"の深度がさらに増すのだろうと納得。

 パンフレットに故エドワード・ヤン監督の生前の文章があるがそれが感動的だ。以下、一部抜粋。

 「歴史の授業で教えられることに私が不信をぬぐえないのは、自分が個人的に体験したことが歴史には記録されていないからだ。1950年代というかなり近い過去ですらそうなのだ。<中略>幸いなことに、過去の偉大な精神が、芸術、建築、音楽、文学等々の形で残してくれた鍵のおかげで、将来の世代はどうにか真実を再構成し、人類への信頼を取り戻すことが出来る。映画もまた、将来の世代のために、同じ目的で奉仕されなければならない。」 エドワード・ヤン 1991年6月

 権利関係のもつれで最初の上映以後、DVD化もされず、スクリーンでの上映も叶わなかった伝説の傑作だが、上記の監督の文章によれば制作時、スタッフの60%。キャストの75%がこの映画でデヴューを飾る言わば素人だったとか。その無垢と熱狂。出来れば若い人に見て欲しい、と思った。今、人生の時間の中の3時間56分に『牯嶺街(ク―リンチェ)少年殺人事件』の焼印がある。まだ、じゅーっと音がしてモワ~ンと煙が上がってる状態。ボーイ・ソプラノのプレスリーが耳を離れない。切ない。

     http://www.bitters.co.jp/abrightersummerday/

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2017年 あけましておめでとうございます。

 あけましておめでとうございます。年末に断食して、その明けに食べた食パンとホットミルクが物凄く美味かった。その後は徐々に戻し、大晦日・年明けの馳走、おせち、と相成ったが、胃が小さくなり吸収が良くなったのか少しで満腹。また意識して方々出掛けるようにもしていたので良く歩いて体重が減った。正月にこんなことは初めて。

 写真は初日の出。初富士を撮ろうと元旦の朝、平山橋の上に行ったら丁度日の出の時間で、拝もうと子供たちが集まっていた。それでパチリ。

 初夢は何か見たのかだけ分かっていて覚えていないのは例年通り。去年は緊急でIMRを受けたりしていたが、今年は体調も良く、おまけに暖かくて良い正月。さて、今日は何処に出掛けようか。

 皆さん、今年も宜しくお願いします。

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