届かない絵
風邪をひいた。頭痛がして悪寒がして、それに関節痛に咳。発熱はなし。こういう時はいつも半身浴で少し長めに風呂につかるのだけど、お供は古新聞。本と違い、濡れても気兼ねが無い。
昨日、風呂で読んだ記事は1月23日の毎日新聞。その2日前の21日に私も見に行った『ベンシャーン展』で展示された約500点の絵のうち、海外から貸し出された70点あまりが福島には届かないという内容だった。同展はこの後、名古屋、岡山、福島市と巡回するが、私が見たような形のものは岡山までだと言う。理由は案の定、放射能。
ベン・シャーンのように核の愚かさと放射能の恐怖を訴えた画家の仕事の全貌が福島では見れないのだ。それが彼のメッセージに反したことなのか、良く汲み取った行為なのかは分からないが、私はその決定が所蔵側のどういった感情から出たことなのか、興味がある。
今、“FUKUSHIMA”という単語が世界で“チェルノブイリ”かそれ以上の「負」のイメージで語られるようになったと想像するに、その決定は名称からくる生理的な拒否だったとも考えられる。そして、もしそうなら福島の人間の一人である私としては一瞬、義憤にかられるが、心のもう一方から、冷静たれ、との声もする。
本当に考えられねばならないのは放射能の数値ではないか。福島でその展示が行なわれる時、福島の放射線の値がどのくらいか、そしてその期間中、そこに置くことでその「物」としての作品がどれほど被爆するか、本当はそれが問われねばならない。そして、ホットスポットが各地に点在していることが知られるようになった現在、これは今回のこの展示に限らずあらゆるイヴェントに関る問題なのだ。去年の夏、屋外で反原発のロックイヴェントが多数行なわれていたが、私は疑問だった。
福島原発と放射能の問題は収束はおろか現在も進行中なのだ。本当は「データ主義」とでも言うべき気運が日常の中で高まるべきなのだと思うが、それどころか巷はすでに諦念と思考停止になってしまった。
新聞によると福島県立美術館の荒木康子学芸員がもっとも福島に来て欲しかった絵は『解放』(1945年。ニューヨーク近代美術館所蔵)であるという。それは第二次世界大戦終結後の瓦礫のパリで、虚ろな顔で子供達が遊んでいる絵。「これ、今の福島と同じだなって思うんです。」と荒木学芸員の言葉。
『解放』は私も見た。鉄柱から垂れた紐のようなものに三人の女の子とおぼしき子供がぶら下がって遊んでいるのだが皆、虚ろ、というより不安げな、不気味な表情をしている。この絵を含め、今回、重要な作品の幾つかが福島には届かないが、せめてそのような問題が起きたという事実もセットで、この展覧会を考えるべきだろう。
で、図録の福島県立美術館長酒井哲朗氏の文章から引用。
第五福竜丸は、アメリカでは「ラッキードラゴン」と訳された。福島を英訳すれば「ラッキーアイランド」である。どちらも放射能汚染というアンラッキーな運命を共有することになった。さらに、<ラッキードラゴン>という作品を福島県立美術館が所蔵するという不思議な偶然が重なっている。
しかし、いま福島は「ヒロシマ」「ナガサキ」とならんで、ローマ字やカタカナ表記によって世界中に知られることになった。「ヒロシマ」「ナガサキ」は戦争という非日常の状況の中で、人間の決断の結果生じた悲劇であるが、「フクシマ」は平和な日常の中で起こった災害である点で異なり、いつかどこかで起こり得る普遍性を持っている。いわば現代文明が生んだ災害である。いまわれわれベン・シャーンとともに少し立ち止まって、人間の運命や未来について考えてみても良いのではないだろうか。
しかし、私は「フクシマ」も人間の決断が生じた悲劇だと思う。だからこそいつかどこかで起こり得る普遍性があると思うが。そして、何故、誰も東京電力の原発が東北の地にあったことをもっと問わないのだろう?
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