届かない絵

 風邪をひいた。頭痛がして悪寒がして、それに関節痛に咳。発熱はなし。こういう時はいつも半身浴で少し長めに風呂につかるのだけど、お供は古新聞。本と違い、濡れても気兼ねが無い。

 昨日、風呂で読んだ記事は1月23日の毎日新聞。その2日前の21日に私も見に行った『ベンシャーン展』で展示された約500点の絵のうち、海外から貸し出された70点あまりが福島には届かないという内容だった。同展はこの後、名古屋、岡山、福島市と巡回するが、私が見たような形のものは岡山までだと言う。理由は案の定、放射能。

 ベン・シャーンのように核の愚かさと放射能の恐怖を訴えた画家の仕事の全貌が福島では見れないのだ。それが彼のメッセージに反したことなのか、良く汲み取った行為なのかは分からないが、私はその決定が所蔵側のどういった感情から出たことなのか、興味がある。

 今、“FUKUSHIMA”という単語が世界で“チェルノブイリ”かそれ以上の「負」のイメージで語られるようになったと想像するに、その決定は名称からくる生理的な拒否だったとも考えられる。そして、もしそうなら福島の人間の一人である私としては一瞬、義憤にかられるが、心のもう一方から、冷静たれ、との声もする。

 本当に考えられねばならないのは放射能の数値ではないか。福島でその展示が行なわれる時、福島の放射線の値がどのくらいか、そしてその期間中、そこに置くことでその「物」としての作品がどれほど被爆するか、本当はそれが問われねばならない。そして、ホットスポットが各地に点在していることが知られるようになった現在、これは今回のこの展示に限らずあらゆるイヴェントに関る問題なのだ。去年の夏、屋外で反原発のロックイヴェントが多数行なわれていたが、私は疑問だった。

 福島原発と放射能の問題は収束はおろか現在も進行中なのだ。本当は「データ主義」とでも言うべき気運が日常の中で高まるべきなのだと思うが、それどころか巷はすでに諦念と思考停止になってしまった。

  新聞によると福島県立美術館の荒木康子学芸員がもっとも福島に来て欲しかった絵は『解放』(1945年。ニューヨーク近代美術館所蔵)であるという。それは第二次世界大戦終結後の瓦礫のパリで、虚ろな顔で子供達が遊んでいる絵。「これ、今の福島と同じだなって思うんです。」と荒木学芸員の言葉。

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 『解放』は私も見た。鉄柱から垂れた紐のようなものに三人の女の子とおぼしき子供がぶら下がって遊んでいるのだが皆、虚ろ、というより不安げな、不気味な表情をしている。この絵を含め、今回、重要な作品の幾つかが福島には届かないが、せめてそのような問題が起きたという事実もセットで、この展覧会を考えるべきだろう。

 で、図録の福島県立美術館長酒井哲朗氏の文章から引用。

 第五福竜丸は、アメリカでは「ラッキードラゴン」と訳された。福島を英訳すれば「ラッキーアイランド」である。どちらも放射能汚染というアンラッキーな運命を共有することになった。さらに、<ラッキードラゴン>という作品を福島県立美術館が所蔵するという不思議な偶然が重なっている。

 しかし、いま福島は「ヒロシマ」「ナガサキ」とならんで、ローマ字やカタカナ表記によって世界中に知られることになった。「ヒロシマ」「ナガサキ」は戦争という非日常の状況の中で、人間の決断の結果生じた悲劇であるが、「フクシマ」は平和な日常の中で起こった災害である点で異なり、いつかどこかで起こり得る普遍性を持っている。いわば現代文明が生んだ災害である。いまわれわれベン・シャーンとともに少し立ち止まって、人間の運命や未来について考えてみても良いのではないだろうか。

 しかし、私は「フクシマ」も人間の決断が生じた悲劇だと思う。だからこそいつかどこかで起こり得る普遍性があると思うが。そして、何故、誰も東京電力の原発が東北の地にあったことをもっと問わないのだろう?

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映画『傍(かたわら)~3月11日からの旅~』と苫米地サトロの『満月』

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 先週末の金曜日、東中野のポレポレ座に『傍(かたわら)~3月11日からの旅~』という映画を見に行った。しかし、「見た」と書けないのは映画の上映はPM5:00からで、私の仕事の作業終了時もPM5:00。映画は2時間だから急いで駆けつければ後半だけは・・・と願って出掛けたが、総武線の人身事故の影響で新宿のホームで足止めとなり、残念だが見れなかった。

 映画『傍(かたわら)~3月11日からの旅~』は第85回2011年度キネマ旬報ベストテンの文化映画部門で1位だった『大丈夫。-小児科医細谷亮太のコトバー』を撮った伊勢真一監督の最新作。

  http://www2.odn.ne.jp/ise-film/

 映画には3月11日に宮城県亘理町で被災した友人のシンガーソングライター苫米地サトロの周辺と彼の歌が大きく取り上げられており、私はサトロさんから招待されて行ったのだけど、上のようなことで、結局、上映後のパーティーにだけ参加した。

 私が到着した時はすでに宴たけなわという感じで、ノンフィクション作家の柳田邦男氏他、様々な人々がスピーチしているところだった。私はサトロさんが歌うのを聞ければ、と思っていたがそのコーナーも既に終わったと言う。しかし、本人に聞くと一番最後にもう1曲歌うというので、安堵してワイン、その他の料理をパクついた。

Photo  で、サトロさんが最後に歌ったのは『満月』という曲。私自身はもう十年以上聞き続けている名曲だが、歌う前にサトロさんはこの曲が出来た時の状況の話をした。それは亘理町の吉田浜の海に満月が見えた年の大晦日の夜のことで、後年、伊勢監督と出会い、彼の映画にその年の大晦日のシーンがあるのを見つけ、同じ年の同じ時刻に何かを思い、何かを創作していたということの縁を感じた、という話だった。

 この歌の最後は“君は泣いているだろうか 僕は泣けるようになったよ”という言葉。

 会場の壁には映画『大丈夫。-小児科医細谷亮太のコトバー』のポスターが貼られていて、歌を聞きながらふと目をやると、そこに“私は泣けなくなったら医師をやめなければいけないと思っています。”という細谷医師の言葉が書かれていた。私の中で、映画の言葉と歌の言葉が共振するようだった。

 パーティーの後の二次会にも参加することになって、そこで伊勢監督を紹介された。監督の印象は自分の考えを押し付けない、人の話を良く聞く人、という感じ。約2時間の映画『大丈夫。』のために彼は細谷医師の十年以上にわたる膨大なインタヴューを撮影しているという。そこに彼の人柄を見るようだと思った。

 そして、映画『傍(かたわら)~3月11日からの旅~』の撮影に関った多くのスタッフたち。年齢は私と同じ位か、もしくはもっと若い人たちばかりだったが、中に、映画の撮影と称して被災地に入って行く時の罪悪感のようなものを素直に吐露し、泣いている女性がいた。皆、真剣で熱い人たちだった。

 サトロさんはその夜、我が家に泊まることになっていて、いざ帰ろうとすると何と!帰りも人身事故による足止め。しかし、駅や車中での時間、色々と話ができた。

 この日は試写パーティーだったが、映画は2月14日、18日になかのゼロで、26日に神奈川県大倉山記念館で公開される。絶対、見なければ。

 http://www2.odn.ne.jp/ise-film/ise2/jyouei/jyouei_new.htm

 

 PS 写真は2007年クリスマスの早朝、東京日野市の満月。

 

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「ベン・シャーン~クロスメディア・アーティスト、写真、絵画、グラフィック・アート」展に行く。

 昨日、神奈川県立近代美術館に「ベン・シャーン~クロスメディア・アーティスト、写真、絵画、グラフィック・アート」展を見に行った。

 http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2011/benshahn/

 ベン・シャーンについてはこのブログでも以前、第五福竜丸事件について彼が描いた『Lucky Dragon』について書いたことがあり、今回のこの展覧会ではその絵が来ているということもあったが、その他にも彼の写真、ポスター、レコードジャケット、挿絵その他、多岐にわった作品が一挙に見れるということもあって楽しみに出掛けた。

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 彼には画家である他にも写真家としての顔もあるが、特にFSAーFarm Security Administration(農業安定局)の活動の一環で、1930年代の不況と砂嵐で土地を失った農民を撮ったドキュメントが有名である。

 そしてその自ら撮影した写真や、新聞などからスクラップした写真を基に絵画を制作するのだが、ドキュメントである写真を違うコンテクストの中において「絵」に昇華させる過程が興味深かった。

 一枚の写真から何パターンもの絵が時を経て様々に制作されるのは、一つの楽曲に様々なバージョンが存在するディランの歌のようだと思った。(↑は幾つかに変奏された例として挙げられていたものの中で私が一番好きな一枚。『至福』1952。)

 また社会にプロテストする作品を制作する一方で、商業デザインの仕事も多く手がけているが、初め別れているようなその二つのラインが段々と渾然一体となっていくようなのも面白かった。絵画には商業デザインで鍛えられた大衆に訴えかける方法が混ざっていき、デザインには社会との接点が絶えず見られるようになる。スーパーマーケットのカートが並んでいる線だけで表現されたセリグラフを見て私はそんなことを考えた。

 で、そんな彼の最晩年の仕事というとリルケの「マルテの手記」に材を得た詩画集の挿画と聖書の「詩篇150篇」を描いたリトグラフ。

 まず「詩篇150篇」の絵だが、それが途中見てきたシュバイツァー博士によるバッハの演奏のレコードジャケットに描いたイラストが変奏されたものと気がついて驚いた。遡って見て、彼の社会の不正に対する様々な抗議の絵が心の何処から発せられたものかを知るようだった。

Photo_4  そして「マルテの手記」の挿画。「マルテの手記」にこんな一節がある。

 “人は一生かかって、しかもできれば七十年、八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。詩は人が考えるように感情ではない。・・・詩は本当は経験なのだ。”

 最後の22枚は彼の「わずか十行の詩」。彼の多岐に渡る膨大な作品群はまさしく「経験」に他ならないが、通して鑑賞してのこれは・・素晴らしかった。

                ☆

 見終わって、彼の絵は彼の手によるものだと知らずに触れているものが一杯あるような気がした。私の場合は特にレコードジャケット、特にジャズのアルバムに。昨日も帰宅してCDラックの中の幾つかを確認してしまった。

 そしてあのシュバイツァーによる演奏のバッハでベン・シャーンのイラストがジャケットのレコード。まんまCD化されているだろうか?凄いコラボ?だ。欲しい(笑)。

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ユーミンの『春よ、来い』

 ちょっと話題が古いけど紅白の話。最近は見ない人も多いので共通の話題となり得ないところでもあるけれど、去年の紅白、赤組7年振りの優勝の理由は半分以上ユーミンによるものだと思う。

 だいたい、フォーク・ニューミュージック(こんな呼び名が今でもあるのが驚きだが)の大御所とやらが紅白に出ると大概こける。数年前、吉田拓郎の『外は白い雪の夜』はぱっとしなかったし、中島みゆきは『地上の星』で、矢沢永吉は「時間よ止まれ」で、それぞれ歌詞を間違えた。

 去年のユーミンは良かった。特に去年のような年の終わりにこの曲は普段以上の意味があった。良くみゆき派か、ユーミン派かと言う時、どちらかと問われれば私はみゆき派なのだけれど、この曲は悔しいけどホント良い曲。この曲の“和”な感じ、さすが呉服屋の娘という気がする(笑)。

 今日は午前中暖かかったのに、午後から急に冷え込んだ。東京、予報だと明日は雪だとか。早く暖かくなって欲しい。

         

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森と図書館

    

    一枚の木の葉に秘められた真理を

    読み解く森の人

    その木からできた紙に書かれた知識を

    持て余す街の人

    図書館の本を全部読んだ人と

    森の賢者の

    どちらの人生が立派なのか

    僕には分からない

    「木」という文字でしか木を知らぬことで起こる悲劇と

    「木」を自然科学的に理解することを知らずに

    起こる悲劇の

    

    どちらの悲惨が大きいのか

    分からないのと同じように

    アルファベットも

    『マルテの手記』も

    1+1も

    E=mc²も

    ぼくらが初めて目にした時

    それらは木に記されていた

    本という木に

    <図書館が好きな人の体内には、太古の昔、

    森で暮らしていた頃のDNAが色濃く残っている、と

    以前、ラジオで聞いたことがある。確かに森と図書館は

    似ていると思う。>

    森が死ぬと

    地球という街角から図書館が一つ消える

    だが

    白紙の頁に秘められた真理を

    君が読み解くと

    森は甦る

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時代劇考~『平清盛』と『逃亡者(のがれもの)おりん2』

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 先日、今年の大河ドラマ『平清盛』の第1回放送の低視聴率を受けて、兵庫県知事がNHKに抗議をするというニュースが話題になった。「画面が汚らしくて見る気がしない。」と言ったらしいが、それに対してNHK側は「リアリズムが最近の流れだから」と反論したとか。

 もし、知事の抗議の動機が“観光客が減る”との理由でなければ、私は賛成とまではいかなくても心情的に分からないまでも無い、という気がした。時代劇は今、演出の方法が様々に揺れているのだ。

 その発端は進化するテレビの画質にある。

 テレビは知っての通り白黒からカラーに、カラーになると色はより鮮明に、その後はより決めの細かい画像へとどんどん進化していき、今のハイヴィジョンVTRでは、とてつもなくリアルで臨場感のある映像をお茶の間で見ることができるようになった。しかし、その過程で一つ落とし穴があって、それが時代劇だ、と私は考える。

 映像が高度になると時代劇の場合、作り物の部分ももろに伝わってしまう。あからさまなかつらや化粧等のこしらえ、卸し立てのような着物、わざとらしい傷や汚れの表現、人の暮らしの匂いがしないピカピカのセット・・・皮肉にも、よりリアルで鮮明な画像を追求した結果、時代劇は逆に一定のリアリティを保つことができず、何か大人の学芸会を見せられているようになった。

 だから画像の美しさの進歩というものを素直に喜ばしいとした世代の人以外の、それらが当たりの別に恩恵を感じない多くには、もう時代劇は楽しみに見る価値の無いものになってしまったのではないか?多分『水戸黄門』はそのようにして終わった。

 で、その作り物くさい画像に対する“アンチ”として登場したのが、アグレッシブ・カメラというやつ。NHKはこれを2年前の大河『龍馬伝』で採用、また『坂の上の雲』もそうで、概ね好評を得た。『平清盛』はこの流れにあるのだ。このカメラの特徴は映像に陰影があり深みが感じられる。全体がくすんでいるようでもあり、知事が画面が汚い、と言ったのはきっとその点で、その意見に反論した人々の多くは知事の感覚を逆に時代遅れと感じたに違いない。

 ではこれからの時代劇はこのアグレッシブ・カメラ路線で本当に良いのか?

Photo_4  その対極にある例として私は『逃亡者(のがれもの)おりん』を挙げたい。

   http://penguin-pete.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_dd93.html

 うそ臭い画像を逆手にとったかのようなこのドラマ、悪役はカルカチュアしたかのようなデモニッシュないでたちで、主人公のおりんにいたっては股旅姿をひとたび脱ぐとレオタード姿、まるで仮面ライダーのよう。そしてアニメとの合成まである。で、時代劇を見る喜びが上で挙げた幾つかと、この『おりん』とどちらが深いかというと、私個人としては意外にも『おりん』の方が深い。

 見たことの無い人にどういう話か説明すると、徳川の裏の暗殺集団“手鎖人”のおりん(実はお家断絶になった名家の娘)が、一味を抜けようとするのを、それを許さない首領が次々と手下を送り込み、おりんを殺そうとするというもの。逃亡するおりんを助けるのは下層で必死に生きる少し訳ありの人々で、彼らはおりんを助けたことでことごとく死んでいく。そして、彼らとの触れ合いの中で、おりんが少しづつ人の心を取り戻していくというお話。

 『逃亡者(のがれもの)おりん』は歌舞伎。私はそう思う。未来の歌舞伎座で未来の名女形がこのおりんを演じていてもおかしくない気がする。おりんの荒唐無稽さを私は“かぶいている”と見る。決めの文句もあるし、見得も切る。一昨日のスペシャルはさしずめ“道悦殺し・吉原炎上の場”といったところ。吉原大火の濡れ衣を着せられ、おりんはまたも逃亡者(のがれもの)になり、来週から“2”が始まる。

 NHKの“リアリティ追求型”とこのおりんを並べると、かつての黄金時代の時代劇がリアリティとカルカチュアの、とてつもなく絶妙なバランスの上に成り立っていたのが良く分かる。それはもう取り戻すべくも無いものだが、逆に失った分、時代劇は今さらに大きな鉱脈となった気がする。

 『逃亡者(のがれもの)おりん』はキワモノと見られていたが、今や民放時代劇最後の砦となった。

 え、青山倫子が好きなだけじゃないかって?あのね、いい男、いい女をきっちり見せるというのも時代劇の役割なのだよ。

 で、今週の『平清盛』はどうか。(と、取ってつけたように)。

 PS 『逃亡者(のがれもの)おりん2』が何故、深夜枠なのか?知事さん、テレ東にも抗議を!

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24度目の歌舞伎~新橋演舞場・寿初春大歌舞伎

Photo  昨日、七草明けの日曜日、正月気分のダメ押しに歌舞伎を見に行ってきた。新橋演舞場・寿初春大歌舞伎。

 一体、こうして何度歌舞伎を見に出掛けたことだろうか?久しぶりにこのブログのカテゴリー「いろは歌舞伎」をクリックしてみると、そうか、24度目の歌舞伎。

 シネマ歌舞伎『わが心の歌舞伎座』について書いた時、私は“黄金時代”と書いたが、その直後、中村富十郎が亡くなり、勘三郎が病気に倒れ、十月には芝翫、暮れには岩井半四郎とが続いて亡くなった。なんだかディス・ノートならぬディス・ブログの主になったような気分だが、あの歌舞伎座が無くなった事は一つの時代の変わり目だったのだなあ、とつくづく思う。

 見たのは午前の部で演目は『相生獅子(あいおいじし)』、『祇園祭礼信仰記~金閣寺』、そして『加賀鳶(かがとび)』の3本。

 『相生獅子』は歌舞伎舞踊として能の「石橋」を題材にした「石橋もの」の最古の曲とか。紅白のそれぞれの振袖を着た姫二人による華麗な舞踊だが、姫は魁春と芝雀。私は意外と舞踊好きで、久しぶりの歌舞伎の最初が舞踊で良かった。二人の踊りは良い意味で軽くて、見ていて肩の力が抜けた。すんなりと入っていけた。

 『祇園祭礼信仰記~金閣寺』は松永大膳に三津五郎、雪姫に菊之助、真柴久吉に梅玉。典型的な“国崩し”の三津五郎=大膳が良かった。見得がすっきりしっていて、小柄な彼が大きく見えた。見ていて歌舞伎的な醍醐味があった。

 菊之助の雪姫は意外にも初役らしいが、悔しがる演技と驚く演技の区別が曖昧で、ややめりはりに欠けた。しかし、さすが気品がある美しい雪姫で、例の「爪先鼠」の場面では足先を少し出す仕草も可愛く、色っぽかった。私は歌舞伎の三大花魁、夕霧、揚巻、八橋を全て玉三郎で見たが、この菊之助の雪姫が初役と知って、歌舞伎の三姫と言われるあとの“本朝廿四孝”の八重垣姫と“鎌倉三代記”の時姫も全て菊之助で見たいと思った。またもう一度この雪姫も。ひいきの役者が演じる役とともに成長するのを見続けられたら、それこそが贅沢というものだろう。

 梅玉の、知勇をたたえ颯爽とした武者ぶりの真柴久吉は良かったが、此下東吉との演技の落差がもう少しあっても良かった気もする。しかし、やりすぎでも品が損なわれる。これは難しい役なのだ。

 で、最後の『加賀鳶』。これは吉衛門の松蔵につきる。愛嬌のある小悪党、道玄を演じる菊五郎もそつがなく良かったが、この松蔵相手では分が悪い。三幕目第二場、竹町質見世の場での、例の河竹黙阿弥の七五調のセリフ回しといい、貫禄、余裕、存在感といい、いずれも申し分がない松蔵だった。見ていて気分が良かった。 

                 ☆

  昨日、新橋演舞場に行く途中、現在、建設中の歌舞伎座を見た。歌舞伎座、と言ってもまだ、そんな風情は微塵も無くて、ただ建築現場というだけであったが。Kabukiza_3

 去年は震災と原発事故があり、今年同様、正月に一度見たきりで、すっかり歌舞伎から遠ざかってしまった。6月に見る予定にしていた国立劇場での仁左衛門の『絵本合邦辻』は中止になった。

 今年は二月に勘太郎が勘九郎を襲名する。六月には亀次郎が猿之助になる。あらゆる面で時代の変わり目にあるこの国だが、拙くとも若い力がさらに大きな舞台に出て行く様は、見ているこちらも力を得るようである。

 もっと彼らの芸に頻繁に触れるには、やはり歌舞伎座の幕見しかないと思うのだが、しかし、完成するまで待ちきれない。

 今年こそは一杯歌舞伎を見ようと思う。さて、どんな風に見ようか。

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小説『悪人』~教会のような灯台

Photo_4  去年見た中で、私には忘れがたい映画が三本ある。それは東京近代フィルムセンターで見た『裁かるるジャンヌ』(1929仏 カール・テオドール・ドライエル)と『近松物語』(1954日 溝口健二)、それとテレビで見た『悪人』(2010日 李相日)の三本である。

 特に悪人はたまたま娘が見ていたものをそばで見るでもなく眺めていて、段々と目が離せなくなってきて、結局、釘付けになって見た。そして、見終わった後、ビックリして、しばし娘と顔を見合わせてしまった。直後に二人で色々と話したが、結論は「凄く感動しているのに、その感動の理由が分からない」、ということで、その日は寝た。

 以後、物語の内容やセリフ、あらゆるシーンが事あるごとに思い出されるようで、ずっと気になる映画のままだった。

 昨日、知人とのメールによる私信のやりとりで、この物語が長崎の、抑圧されている人々の物語であると教えられ、驚き、今日、一日かけて原作を読んだ。

  http://publications.asahi.com/akunin/

 そうした視点を得た後に読むと、映画を見たときとはまた違った様相が物語に帯び、目からウロコだった。そして普通こうした原作があるものを映画化した場合、どちらが良いか?のような話になるが、これはどちらも良いという、稀有な例だと思った。

 映画に、私にはどうしても気になる点があったが、原作を読んでもそれは解消されなかった。しかし、解消されないその部分こそがこの物語のテーマであり、それは見た者それぞれが自分で背負っていくべきものだ。不可解さ=人間の深遠さ、とでも言うべきか。

Photo_6  映画化され脚光を浴びて以降、上下巻に分かれる文庫本の装丁は上巻が妻夫木聡 の、下巻が深津絵里の写真になってしまったが、私が古書店で買い求めたのはそれ以前の灯台のイラストのもの。今、ネット上で探したが無かった。主人公二人が最後に隠れる灯台だが、イメージとして私は個人的に灯台が教会のように見える。

 映画化された時のキャッチコピーに“ほんとうの「悪人」は誰か”と、あるが、映画を見た直後、私も娘とそんな会話をした。二人とも答えは全員、だった。

 が、今日、原作を読んでその全員には自分も含まれると思った。私もあなたも。これはそういう物語。で、最初、分からなかった感動の理由はそこに、あった。 

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年賀状の筆跡

 昔、刑事ドラマなどで良く見た“筆跡鑑定”というのは今でもやっているのだろうか?

 こうしてブログだ、Twitterだ、Face Bookだ、とやっているとつい直筆の文字がその人なりの個性を伝え得るものだということを忘れがちになる。

 去年は思いがけず多くの書をじっくりと見る機会に恵まれた。最初は夏に見た緒方拳の書画展で緒方の、次に『空海と密教美術展』における空海の、そして12月に『法然と親鸞~ゆかりの名宝展』で法然、親鸞の書をそれぞれ見た。一人は現代の役者であり、後はそれぞれ偉大な宗教家であるが、時代、立場は違えども皆、人間なのには変りはない。

 それと各寺を巡るたび、書いてもらうことを始めたご朱印帳の字。その字の上手下手が決してその寺の寺格をあらわすものではないけれど、貰うたびに様々な感慨がよぎる。

 先ほど挙げた人物達の中で私が一番心惹かれたのは後の3人には悪いが緒方拳の書である。しかし、これは役者という、言わば人を楽しませるのが商売である人が遊び心に溢れて書いたものなので、見て良くないわけがない。そもそも緒方には世間一般で言うところの“上手く”書こうという発想が無く、それゆえ孤独にたっぷりと浴し、自らも書くことを楽しみとした個性の書と言える。↓はネットで拾ったその書。

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 一方、空海、法然、親鸞のそれぞれの書については世間が宗教家としての彼らに対して持っているイメージそのままとの印象を持った。それともそういうイメージを持っているから書もそう見えるのか。

 空海は三筆の一人と言われるだけに書体も自在で達筆だった。が、私には超然とし過ぎていて何か近寄りがたく感じた。これは昔、どこかで三島由紀夫の直筆原稿を見た時に感じたものとよく似ていた。美しく、完全だが、それゆえに何処か人の血が通っていないような印象。

 片や法然の書はなよやかで、大らか、親鸞のそれは筆圧のある癖字で人間臭かった。

                  ☆    

 何故、急に書の話しなぞするかというとこの時期の年賀状。最近は宛名も文面も印刷で、直筆の部分は個々へのメッセージ的な一言だけというのが多くなったが、それでもその一言の部分は内容以上にその文字から何事かを伝えることが多い。年賀状だけの付き合いになってしまい、直接に会う時の感触を忘れかけた人でも、字がそれを思い出させてくれる事もある。

 近年、私は頂いたものに対する返信と言う形でしか年賀状を出さなくなったが、これは全く不徳の致す所。去年は写経を始め、今年こそは毛筆でなどと意気込んでいたが、不発に終わった・・・。写経は手本を筆で上からなぞっているのだが、その部分では“オレもなかなか・・・”と自画自賛し書き進むが、最後の願文、跋文の、自らの字体で書かねばならないところにくるといつも愕然とさせられる。それに怯んだ、というところもある。

 絵手紙作家小池邦夫と緒方拳の交流は25年間続いたと言うが、その間、二人が直接にあって言葉を交わすことは一度も無かったという。しかし、その間に二人の間を行き来した絵手紙の数々。こういうハガキを出せたらと、見るたびに憧れることしきりだが、道は遠い。

 デジタルばかりが強化されていく昨今、今年はアナログの部分もさらに、と思う。 

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Theme of Enter The Dragon

 2012年 元旦 あけましておめでとうございます。皆様、本年も宜しくお願いします。

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『はせがわくんきらいや』と『小さなよっつの雪だるま』

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 長谷川集平、という人を誰かに紹介しようとする時、ボクは最近、“ロッカー”と言うことにしている。それは集平さんが絵本作家・児童文学作家であると同時にミュージシャンであって、そのミュージシャンの部分をもっと知ってもらいたい、とかそういうことじゃなく、その全部を含めてロッカー。ロックンローラーじゃなくてロッカー。

 集平さんは1976年『はせがわくんきらいや』でデヴューしたが、時はあたかもロンドンでパンクロックの火の手が上がろうとする時代。だからボクはセックス・ピストルズが『Never mind』で、クラッシュが『White Riot』でデヴューしたというのと同じ地平で考える。集平さんはその時、日本で、『はせがわくんきらいや』でデヴューしたんだな・・と。

 『はせがわくんきらいや』という作品を知らない人に一言言っておくと、これは衝撃の作品だ。

   http://www.hico.jp/sakuhinn/7ma/ma03.htm

 ボクは当時のことは知らないが、今見ても比喩でもなんでもなく日本の絵本界にあってこれはパンクロックに匹敵する衝撃だったんじゃないかと想像する。今年の夏、ボクは上野の国際児童図書館で何年かぶりにこの絵本を見たのだけど、世界中の絵本が立ち並ぶ中にあってそれは未だに衝撃作だった。ロックだった。

Photo_2  さっき上でピストルズやクラッシュの名を挙げたけど、久々に見た『はせがわくんきらいや』の印象はポリスやエルビス・コステロやU2。青春の、刹那的なエネルギーと見紛うが、そこには世界に一撃くらわせてやる!という野心と強固なプロテストの意志と同時に、若き集平さんの戦略を感じた。あたかも深い知性と技術を兼ね備えたコステロやスティングがパンクムーブメントの嵐の中から現れたような。

 そして原発事故による放射性物質の飛散により食の安全が問われ騒然としていた今年の夏に(今だって騒然としていてしかるべきと思うが)これを読んで、ボクはため息が出てしまった。「集平さんって、これがデヴューなんだよな・・・」って。ホントにオドロキ・・・絶句。                   

               ☆

 最初の画像で紹介する絵本『小さなよっつ雪だるま』はそんなデヴュー作を持った集平さんの最新作。30年のキャリアを持つ作家のデヴュー作と最近作を並べてものを語るというのも大変失礼のような気もするが、夏に『はせがわくんきらいや』を再読し、冬にこの『小さなよっつのゆきだるま』を手にして、ボクは幸福だった。

 本の帯びには“生きていることの幸せや、命をつないでいくことの尊さをやさしく静に語る、長谷川集平の新境地。”とあるが、ボクは新境地というよりも深化、だと思った。『はせがわくんきらいや』にある怒りはこのような、世界に対する愛を基本にしている、していた。そう思うと泣けてくる。

 今、東京で原発事故や放射性物質による内部被爆について語ると、「もう、自分はいつ死んだって良い・・・」という声を凄く多く聞く。

 話が少し脱線するがこの前テレビで映画『悪人』を見たが、その中で娘を殺され、そのキッカケを作った男が何の良心の呵責もなくヘラヘラしているのを見て、父親演じる柄本明が憤ってこんなセリフを言う。「今は大事だと思える人がいないという人間が多すぎる」と。実際もそんななのかな?

 もし、自分が死んで魂だけの存在になりながらもずうと地上にいて、自分の子供や子孫、またそうじゃなくとも、その後の世界の人々が泣き、苦しむ姿をずっと見続けねばならないとしたら、それを地獄というのではないだろうか?ボクなら嫌だ。

 ボクが見ていたいのはこの絵本にあるような世界。それはボクらがずっと繰り返してきた世界。実際、この本の中の入院しているお母さんが赤ちゃんを抱いて笑っている絵は、数年前、亡き母がこのような状態だったので忘れられない一枚となった。ボクはいつまでもこのような世界の一部でいたい。

 ボクのような東北人で東京在住の人間からすると、長崎は暖かい南国というイメージが未だ強いが、そこからの雪景色の贈り物。集平さんはティン・ホイッスルも吹くので、それを知っていると長崎がアイルランドにもなる。

                ☆ 

 昨日が仕事納めで、例年ならすぐに実家のいわきに帰って兄弟親戚と過ごすというのが常だったが、今年は原発事故の影響を考えずっと東京にいることになった。ボクもこれからこの本の主人公のように心の中でゆっくり自らの絵本を紡いで過ごそうと思うが、その本を悲しい結末で終わらせるわけにはいかない、と思う。

 ボクの好きなロッカーの一人はニール・ヤング。だけど彼の『ヘイヘイ、マイ、マイ』の中の“錆びてしまうよりは燃え尽きてしまったほうがいい”というあの言葉は嫌い。実際、その言葉を遺言のようにしてカート・コバーンが自死して以降、ニールはこの歌を唄うのを封印しているが。

 いつまでも錆びないで静に燃え続けている方が良い。ボクならそう思う。集平さんのように。 

 そして、もう、ロックには聞くものが無くなった・・という友人に今度会ったら言ってやろう。

 長谷川集平を聞けよ(読めよ)って・・ネ。 

 

 PS このブログ、今年はこれで終わりです。また来年。みなさん、良いお年を。

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絶景ー2011.12.25 to ブエナビスタ

     

     雪を降らせた黒雲を残し

     西の空が紅(くれない)色に染まる夕暮れ時

     芝コースを引かれる君は

     とても静かな足取りだった

     君の走りに想いを重ねたのは人間の勝手だが

     いつしかぼくには 

     君が

     ある使命を帯びて天から使わされた

     妖精かなにかに

     見えていた

     勝った馬も

     負けた馬も

     本当は人の想いなど乗せて

     走ってはいないのに

     自らの思い込みの終わるところを見て

     ぼくらはまた 

     置き去られた

     寂しさを知る

     一頭の馬が通り過ぎる

     

     黒雲と紅の空と緑の芝コース

     2011年12月25日 中山競馬場

     その 忘れえぬ

     絶景。

 

 昨日の競馬、有馬記念のあとブエナビスタ(絶景)の引退式があった。レース直後には雪まで降って凄く寒かったが、スタンドから人は去らなかった。私は最前列にいて、文字通り目の前をブエナが通り過ぎて行くのを、見た。

 一つの時代の終わり。ありがとう、ブエナビスタ。

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リンゴの魂~NO4のイマジン

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 ビートルズ解散後もそれぞれのメンバーのソロワークの後ろでドラムを叩いていたリンゴ・スター。ジョン・レノンが撃たれた時、ヨーコのそばにいて、まだ幼かったショーンの面倒を見ていたリンゴ・スター。

 今年、東京ではジョン、ポール、ジョージそれぞれの映画が上映されていたが、リンゴのは無かった。職場でその話題になると、「彼はいつか“おかしなおかしな石器人2”でもやってくれればそれで良い」なんて言って笑っていたんだけど、そんな事を言ったその日、家に帰ると夕刊に彼の写真が出ていて驚いた。銃身が捻じ曲がっり、Imagineのロゴが入ったピストルの模型の前でピースサインするリンゴ。ジョン・レノン暗殺から31年目にして暴力撲滅運動をするとの記事だった。

 http://www.afpbb.com/article/entertainment/entertainment-others/2844800/8180175#blogbtn

 このブログでは毎年クリスマスに“クリスマス・ソングじゃない曲をクリスマス・ソングとして聞く”みたいなことをやっていて、今年、選んだのリンゴ・スターの『Imagine me there』。

 ちなみに去年までライナップは

     2006 『地の塩』ーローリング・ストーンズ

     2007 『ボヘミアン・ラプソディ』ークィーン

     2008 『ニューヨークの夢』ーポーグス

     2009 『ローズ』ーベッド・ミドラー

     2010 『明日』ー平原綾香

 で、今年はリンゴのイマジン。2001年発表の彼の最高傑作アルバム『リンゴ・ラマ』の中の1曲で、このアルバム、発売当初、ある音楽雑誌で紹介された時の別称は“リンゴの魂”。

 ジョン・レノンは天国や地獄、所有が無いとイマジンしろ、と言うが、リンゴはそんな事は言わない。彼はただ、ぼくがそばにいることをイマジンして、と言うだけ。そう、ぼくらはジョンにはなれなかったが、リンゴにならなれる(気がする)。それは  With little help my friend という事だ。

 今年は震災と原発事故で大事な人と離れ離れになった人も多い筈。また、そうじゃない人も、例年より周りの人たちとの繋がりを色々と考えさせられた一年だったと思う。

 今年のクリスマスはリンゴ・スター。(動画の最後に出てくるこのスライドショーをUPしたおばちゃんも良い人そう・・)。

 それにしてもこの男がNO4だった。ビートルズって凄いバンドだ。

 皆さん、メリークリスマス。

               

     Imagine me there

     

    カーテンが思いがけず風に揺れても

    心配いらないさ

    君はちゃんと守られてるよ

    想像してごらん ぼくがそこにいるって

    

    月明かりの中 踊る影を見つけたら

    それは君がぼくの愛を受け取った証拠

    上手いくさ

    想像してみて ぼくがそこにいると

     

    痛みの無い安らかな眠りがずっと続くよう

    想像して 

    決して孤独じゃないと

    そして夢見て

    いつもぼくがそばにいると

    

    愛と信頼はいつも君の周りの満ちていて

    そこにぼくはいるよ

    想像して

    

    隣の部屋がまるで遠く中国みたいに思えるときは

    知っていて欲しいんだ

    必ずぼくが君を見つけ出すって

    想像してよ ぼくがついてっるて

     

    痛みの無い安らかな眠りがずっと続くよう

    想像して 

     

    決して孤独じゃないと

    そして夢見て

    いつもぼくが君のそばにいると

     

    愛と信頼はいつも君の周りの満ちていて

    そこにぼくはいるよ

    想像して

     

    時々 人生が儚い仕事のようで

    不安で気が狂いそうな状況に陥ったとき

    ぼくはいつもきみがそばにいるって想像するんだ

    だから君も

     

    想像して

    いつもぼくがそばにいると。

     (意訳 ナヴィ村)

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東京美人と山形ガールズとスカーレット・オハラ

Vivien1  先日、今、東京に美人が少なくなった、という番組を見た。司会久米宏。

 本当の番組のコンセプトは『東京に暮らしていて幸せか?』という、都市一極集中の是非を問うもので、家賃、通勤時間、子育てなどなどのデータを地方と比べて、どちらが豊かな暮らしかを比較するという内容だった。その中に女性のお洒落度、美人度という項目もあった。

 最近の地方の女の子達は都会に出たいという意欲がほとんど無いらしい。大きなショッピングモールが方々に出来て買い物は便利。本場のブランド物の洋服やなんやかんやもネット通販で手に入る。地元を見直そうとする本格的な雑誌なども今はあって、皆、東京の文化など無視で、自然のロケーションやゆったりした時間、人との繋がりを大事に生きていた。

 大体、東京の人には田舎は不便、という印象がある。が、番組では赤坂にあった本社を福岡に移転した会社の従業員の暮らしをレポートして、それまで家賃14万で暮らしていたマンションよりさらに広い間取りでもっとキレイな所をその半額以下で借りられ、通勤に50分かかっていたのが、徒歩で15分となり、今の方が良い、と言う夫婦が取り上げられていた。東京にいる時より今の方が都心にいる、とも言っていた。

 さて、問題の美人度だが番組の中でこんな実験があった。東京と地方、道行く女性達を無作為に選び、なんの先入観も与えずに自画像を2分間で描いて下さいと、色紙とペンを渡すというもの。

 地方の女性達のそれは多くが笑顔だったのに対し、東京の女性のそれは圧倒的に無表情、もっと言うと故意にしかめっ面か、疲れているいるような表情を描いた(これには番組のコンセプトに添うような作為をやや感じたが)。

 つまり、美人が少なくなった、というのは皆、疲れている、と言うことなのだった。ブス、というのはブスっとしている、ということだった。番組制作者サイドの言として地方の女性は声をかけると面白がってやって来て、わいわいと描いてくれるが、東京の女性はほとんど無視・素通りなので苦労したとも言っていて、そこでも何か分かれる感じがした。

 一言で言うと、東京は大きな自閉空間なのだ、とこれは私の個人的な意見。人が多すぎて、人を看板か空缶のようなモノと感じなければ生きられないというところまで来ているが、それが自然なことのようになっていて誰も気付かない。かく言う私も若い頃、電車ではすぐケンカしてしまい、そのため今は耳にイヤホーンで音楽をがぶ飲みし、不快な事が目に入らぬよう常に本を読んでいる。確かに不幸だな・・・これは。

                   ☆

 原発事故で福島を離れ、山形で避難生活をしている弟がついに帰農した。Facebookで毎日、作っている野菜や作業の様子を写真っでアップして見せてくれているが、その中に“山形ガールズ”というのが紹介されていた。これは山形で農業に従事している若い女性のグループらしくて、見ると、皆、可愛い(おせじじゃなく)。早速、友達リクエストを出した。へへ。

     http://www.kf831.com/girls/

 東京と地方を比べ、そのある一面だけを拡大解釈してものを論じるのは危険だ。だが、番組で紹介されていた様々なデータは事実として受け止めたいと思った。また、コマツの会長が言っていた、アジアを視野に入れた場合、首都は九州あたりにあったほうが自然・・という意見は正しいと思う。故網野善彦の著作にあった日本海を北向きにした日本地図を思い出した。

 さて、最後に美人に対する私の意見だが、別に意見と言うほどのものは無くて、ただ紹介したい一文があるだけ。それは『風と共に去りぬ』の冒頭の文章。

 “スカーレット・オハラは美人ではなかったが、彼女の魅力に捕まった男はたいていそのことに気づかなかった。”

 ガンバローぜ、東京。 

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月の写真

Photo  

 先日の月食は良く見えた。

 ↑は知人のFace bookのウォールより。あまりに素敵なのでシェアするよりこっちに持ってきた。本当は満月の日まで温存しようかと思ったけど、今月はもう無く、辛抱たまらん、となって今UP。

 月をテーマにした曲を色々と貼り付けたくなってしまうが止める。思いついたところで苫米地サトロの『満月』、カサンドラ・ウィルソンの『ムーン・リバー』、ポリスの『ウォーキング・オン・ザ・ムーン』、スティングの『シスター・ムーン』、ビートルズの『ミスター・ムーンライト』・・・かな。

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映画『近松物語』~香川京子という至福

Tikamatsu_main_2 先週の国立劇場に続き、今月二度目の近松。

 文楽の為に書かれた本(戯曲)は文楽で見るのが一番という気持ちがある一方で、他の様々なジャンルに移されたものの中にも名作・傑作があるのも重々承知。で、今日、東京国立近代フィルムセンターで見てきた溝口健二監督の『近松物語』はその代表であろう。ゴダール等にも影響を与えたと言われる正に世界映画史に残る一本。

 この映画、昔、とある映画狂の人に「見たら他の映画を見るのが馬鹿らしくなるから決して早くから見てはいけない」と言われたことがあった。無論、その言を守っていたわけではないが、どうせ見るならビデオやDVDではなく映画館のスクリーンでと思っていて、本日、ついに実現した次第。

 近松門左衛門と言うと、世話物、心中物ということになるのだが、これも一種の心中物なのだろう。原作は『大経師昔暦』。しかし、これは『曽根崎心中』や『心中天網島』などとは一線を画す。

 心中とはこの世で一緒になれない二人がせめてあの世で結ばれようとする浄土思想に裏打ちされた行為だと思うが、この映画の茂兵衛(長谷川和夫)とおせん(香川京子)は自分達の手では死なない。死のうとする最後の瞬間に、タナトス(死への欲動)がエロス(生への欲動)へと変転し、この世にいながらにして固く結ばれてしまうのだ(この辺りは大島渚の『愛のコリーダ』とはベクトルが逆)。言わば思いがけずにこの世で浄土が実現されてしまう。↓は正にそのシーン。

 http://youtu.be/UsDReXBPoD4

 映画はこれ以降、前半、登場人物たちの立場や心理を説明するような静かな展開だったのが一転して、後半、茂兵衛とおせんの暴走気味な、激愛の物語へと化す。

 映像はモノクロの映像美の極みとも言うべきシーンの連続で、私は特に二人が隠れる茂兵衛の故郷の納屋の中のシーンの、まるで竹細工のような光と陰のコントラストに惚れ惚れした。

 それと香川京子。私は後世にこの香川を残してくれた溝口にありがとうと言いたい。この映画での香川京子を見ることは映画を見ることの至福の一つと言っていい。美しい。

 スクリーンの中で茂兵衛とおせんは貪るように抱き合っていて、離れたシーンになっても互いを求め合ってすぐに一つになる。まるで離して置いておいても磁力が強くてくっついてしまう磁石のように。そして、二人の激愛ぶりによって周囲の者たちが慌て、みるみる崩壊していく様が心地よかった。茂兵衛・おせん以外、この映画の人々はことごとく悪人ばかりだから。

 それにしても日本映画の1950年代というのはなんと凄い時代なのだろう?。ジョン・フォードを意識し、結局、スピルバーグやルーカス等に影響を与えるようになった黒澤のような人もいれば、ヨーローッパ映画のその後を決定付けたとも言える小津やこの溝口のような人もいる。

 今回のフィルムセンターでの『香川京子特集』では溝口の映画は他に『山椒大夫』もやっていたが、見れなかった。悔しい。

 溝口の映画をもっと見たいと思った。

 この映画についてとても良く説明されているブログを見つけた。是非、参照の程を。

 『近松物語』という完璧な映画について 

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カップヌードルのCM~ヨーダ編

 

 カップヌードルが好きだ。昔、自然食やらマクロバイオティックに凝って人に薦めたこともあるし、現在も放射能汚染に少しでも対抗するため免疫力を高める食事をしなきゃ、とFacebookに書き込みしたりしているに矛盾しているが。

  カップヌードルというのは現場で生きる人間のお供、というイメージがある。ミュージシャンの楽屋とか工事現場とか、そういったところで立ったまま忙しさの最中これをずるずるとかっ込んでいるイメージ。実際、私も昼休みも返上で働かなくてはならなくて、下半身を水に浸かりながら、雨の中、傘をさしてもらいながら、何度も喰った。

 一説にはこのカップヌードルが今のように大衆に認知され社会に定着したキッカケにあの浅間山荘事件があるらしい。あの攻防戦の時、現場の自衛隊員が白い息を吐きながら食べていたのが事件の前年に発売になったばかりのカップヌードルだったとか。あの時、それを国中が見守った。

 昨日、朝、出かけにテレビの画面にふと目をやったらこのCMが流れていた。宇宙規模のHuman Errorに直面する日本だが、ついにヨーダのお出まし。そう、今、日本全体が一つの危機の「現場」と化している。売れるだろうな、さらに。

 カップヌードルはオーソドックスなしょうゆ味の他、カレー味、シーフード味があるが私が一番好きなのはオーソドックスなやつ。しかし、数年前、「トリビアの泉」で中国四川の料理人数人に日本のカップ麺を全て味見させ一番は何かと試したら、この日清のシーフード味だったのを見て、シーフードもたまに食べるようになった。

 一緒に見ていた娘は『STAR WARS』を良く知らないので、意味が分からん、と言っていたので、こう説明した。

 「あー、この人偉いんだよ。」

 って、ヨーダって人なのか?フォースって何だろう?

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FRYING DUTCHMANの『humanERROR』

 このブログを始めて5年目になるが、思いがけない人が見てくれていることが分かって、最近、恐縮することが多い。

 昨日、とある人が近づいてきて「ペンギン・ビート急行で拡散してください」と、YouTubeのアドレスを教えてくれた。それが↓。

このブログに訪れた人、どうかクリックしてそして17分5秒、どうか最後まで聞いて下さい。そして拡散お願いします。

 PS、 Uさん、ありがとう!

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映画『ジョン・レノンーニューヨーク』~NO1のリアル

Nyuyoku

 今、スーパースターと言うと変装や人体改造・美容整形などして「ちょっと妖怪化」した人、というイメージが無いだろうか?それはマイケル・ジャクソンあたりから顕著になってきたことだが、最近のレディ・ガガ等を見ていてもそんな風に感じる。つまり、地を分からなくすることでプライベートを守り、かつ一般大衆からの区別・差別化を図る、というような感じ。

 1980年12月8日のジョン・レノン暗殺はその後のスターのあり方に大きく影響したのではないか?と、私は考える。ジョン・レノンの評伝を読んだり、映画を見るたび思う事は“こんな人がスーパースターだった”というより、“スーパースターなのにこんな人だった”という事。

 最近、某化粧品のCMで松田聖子と小泉今日子が並んで闊歩しているやつがあるが、聖子ちゃんはキレイだがやはり妖怪化している。キョンキョンは小じわが増え年齢を感じさせるが、自然体で往年のオーラそのまま、なんたってアイドル、で素敵である。その見方でいくとレノンはもろキョンキョン側の人。つまり「地」の人。人生全部がすっぴんの人。

 映画『ジョン・レノンーニューヨーク』は70年代初め、故国イギリスでのヨーコバッシングに嫌気が差した2人の、ニューヨークの小さなアパートに移り住んでからの日々を追ったドキュメンタリー。

 http://youtu.be/dHwGpFmLgRI

 極左の活動家達と接近したため危険人物と見なされ国外退去命令が下り、それはベトナム反戦運動の傍ら永住権を求めての裁判に明け暮れるという、彼の人生の中でも最も過激かつ憂鬱な日々でもある。そして、死後、すっかり“愛と平和の人”という言葉にに閉じ込められてしまった彼のイメージを払拭するに十分なエピソードが満載の日々でもある。

 平たく言うとこの映画の最大の見所は彼のダメ男ぶり(笑)。特に写真家ボブ・グルーエンが撮影し、今回の映画で初公開されたジョンがヨーコに土下座している写真はアニー・リボビッツが撮った素っ裸になって胎児のようにヨーコにしがみついている例のやつより衝撃的だった(笑)。

 http://img.yaplog.jp/img/09/pc/k/e/n/kenlennon/3/3563.jpg

 ニクソン大統領が再選した夜、エレファント・メモリーバンドのメンバー達とヤケクソパーティーのようなことをして、その時、でん酔した彼は女の子を一人連れ帰ってなんとヨーコがいる場でセックスし始めてしまう。バンドの一人が慌ててボブ・ディランのレコードの音を大きくしてごまかそうとした、なんて言っているけど後の祭り。その後、シラフに戻り強烈な自己嫌悪にかられて上の写真のような土下座となるのだが、今までイマイチ良く分からなかったその後の“失われた週末”と言われる日々への理由がこれでハッキリした。分かり易いじゃないか、ヨーコ。

 で、その“失われた週末”と言われる、ヨーコに追い出され単身ロスアンジェルスで過ごしている日々がまた、酷い(笑)。あんまり酷くて書きたくない(笑)。つまり、ヨーコに会いたくて、会えなくて、死にたくて大酒をかっくらい人の迷惑も顧みず大声で下品に騒いでいる酔っ払いのオッサン、それがこの頃のジョン・レノン。

 女子トイレに入り、おでこに生理用ナプキンをつけて現われ、周りは引いているのに本人はウケていると思って踊っているという、その場に一緒に居合わせた当時の愛人メイ・パンのその時を振り返る口調は今でも怒っていた。そりゃ、そうだろう・・・な。

 この当時のエピソードで私が一番驚いたのはジョンが飲んでいるクラブの周辺に元ビートルズがいるということでもの凄い数の群集が集まり、その中にジョン自身が突っ込んで行ったというもの。酔っ払った彼は「一体、オレの何が欲しいってんだ!」と怒って、そうしたらしいけど、一緒にいて救出したメンバーの一人は「本当に恐かった、まるで餌に群がるイナゴの大群のようだった」と言っていた。私はリチャード・バックの小説『イリュージョン』の主人公が死ぬ最後のシーンを思い出した。

 その後、ヨーコと無事よりを戻してからの日々は今や誰もが知るところである。ショーンが生まれ、育児にいそしみ、パンを焼くジョン・レノン。後に『ダブル・ファンタジー』のプロデューサーとなるボブ・グルーエンはこの頃、街で偶然ジョンと出合った時のことを語っていた。「姿形、歩き方も喋り方も何もかもが変っていた。何かあったら電話してくれ、と番号を貰ったがこちらからはかけなかった。ジョンは何かを見つけたのだと思った。」・・・彼はメタモフォーゼしたかのようなジョンを見て、彼が心を平安を得たのだと知り、そっとしておいてやろうと思ったのだ。そして、その頃は昔を知る人たちの間で彼はもう、そういう存在になっていたみたい。

 しかし、電話はジョンの方からかかってきた。

 この映画を見ると、ジョン・レノンの偉大さというものの正体が垣間見れる。彼は何も『イマジン』や『ギブ・ピース・ア・チャンス』を書き、ベッド・インをやったから偉いのではない。彼は愛や平和だけでなく、情けない自分、ダメな自分をも包み隠さず、その自己嫌悪や愛を失う恐怖、謝罪までもを歌にした。それも素晴らしくリアルな胸に迫る歌に。これが僕らのジョン・レノン、スーパースターなのにスッピン・・・・でも、こんな人はやはり殺されてしまうのだろうな・・・。

 この映画はレコーディング中のコンソールルームからミュージシャンに指示を出すジョンの声で構成されている。中にこんな言葉があって大笑いしてしまった。「そのベースライン、いいね、僕の人生で最も欠けていたのは良いベースなんだ。」

 この男がNO1だった・・・ビートルズっで凄いバンドだ。

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社会人のための文楽鑑賞教室~『曽根崎心中』

 もし、三月の震災・原発事故が無かったら、私にとって今年は“文楽イヤー”になっていた筈だ。その位、二月に見たそれは衝撃の体験だった。国宝吉田蓑助の“道行初音旅”に私は完全に“もっていかれちまった”のである。

 http://penguin-pete.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-672d.html

 その時に一緒に見た人達と昨夜また国立劇場に行った。見たのは「社会人のための文楽鑑賞教室」及び「曽根崎心中」。二月の時、職場で皆で調べるうち毎年十二月にこうした企画があると知り、その時から行こうと言っていて、それが実現した次第。

Sonezakiomote  

 講座は義太夫の語りと三味線、それと人形のそれぞれの説明。

 トークが面白く、分かり易かった。三味線の音色、ピッチなどが登場する女形の人形のキャラに合わせて変るというのを実践で見せてくれた。AKBバージョン(溌剌とした娘)と鈴木京香(艶やかで色っぽい大人の女性)バージョンと。なるほどなあ。

 それで人形。文楽の人形は三人で操る。首(かしら)+右腕で一人、左腕で一人、脚で一人。どれも難しそうだが、何気に一番難しそうに見えたのが左腕。これは首(かしら)+右腕の人が出す微かなサインによってそれに併せているとのこと。確かにタイミングがちょっとずれると動きが不自然になる。それで疑問に思ったのは、初めてやらせてもらえるのはどのパートなのだろう、ということ。足か?左腕か?

 で、演目の『曽根崎心中』だが、これは歌舞伎でも映画でも見たが、元は浄瑠璃・文楽から移したもの。去年、何に移されていても、文楽のために書かれたものは文楽で見るのがやはり一番では?との思いを強くしたので、これも見るのが楽しみだった。特に「天満屋の段」で徳兵衛がお初の脚に取りすがり、2人が心中の決意を伝え合う場面。文楽の女形の人形には脚が無い。どうやるのだろう?と興味があった。

 そして、最後の「天神森の段」。見ていて語りに“南無阿弥陀仏”の詠唱があるのに気がついた。心中とは現世を地獄と悟り、あの世で結ばれようとする行為なので、この物語が正に浄土思想を形にしたものであるのにやっと思い至った。

 原発事故以後、私は故郷いわきのじゃんがら念仏踊りに思いを馳せ、そこから色々と調べるうちに写経をするまでになったが、こんな風にものの見方が変るものか。

 近松の戯曲はどれもがきっと重奏低音のようにこの浄土思想を基礎にしたものだろうと予感する。愛とは地獄であるという俯瞰した目が近松にはあり、昨夜は強くそれを感じた。

 それにしても文楽の人形以上に日本女性の美を具現化したものがこの世にあるだろうか?と、この思いもまた煩悩=地獄。

 だが、まだまだそこに留まっていたい(笑)。

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