二つの“夏服を着た女たち”

Photo_3  今日、ある女性とどういう話の流れからか、最近“婚活”の逆で“離活”というのがあるという話になった。つまり離婚後のよりよい生活のために主に女性が色々と準備するという話。

 もちろんその彼女はシアワセな結婚生活を営んでいる方で、別に深刻な話ではなかったけれど、彼女曰く「もし、旦那に浮気されたらそれは女として自分に至らない点があったのだと、反省する。」とのこと。それを聞いて私は男の習性を説明する言い分としてアーウィン・ショーの名編『夏服を着た女たち』を例に挙げた。

 これはマイクルという男とフランセスという仲睦まじい夫婦が、ある日曜の朝、ニューヨークのワシントン・スクエアの辺りを歩いているところから始る。

 マイクルはニューヨークの街を闊歩する美しい夏服の女たちにいちいち目を奪われ、妻のフランセスは初め「首の骨を折るわよ」なんて冗談を言っているが、段々と会話は深刻になり、やがて素敵な日曜日に暗雲が立ち込めてくる。マイクルは色々と言い訳するが妻の機嫌は中々直らない。そして、会話が袋小路になって、妻が酒場の席を立ちニューヨークの風景に溶け込んだ瞬間、マイクルは妻を“なんてかわいらしい女だろう、なんて素敵な脚だろう・・・・・”と思って眺める、と言う話。

 この小説は多分、女性へのうけは良くないと思う。けど、私は昔からこれを特定の女性(この場合、もちろん妻フランセス)に捧げたラブ・ソングのような話として読んでいる(それとニューヨークという街に対しての)。

 ジョン・レノンの『ウーマン』がオノ・ヨーコという特定の女性に向けて歌われているラブソングが広い意味で全女性に対する感謝の歌になっているのとは逆に、この小説は不特定多数の女性の美しさの中に特定の女性の美しさを発見するというアプローチになっている。男は社会的な生き物なので、あるパーソナルな空間では決して気づき得ない美しさが、広い社会の中で輝くのを見る時、とても幸福を感じるのではないか。その辺のことをショーは上手く描いていると思うが・・・・やはり女性にはうけは悪いだろうな。

 と、ここまで書いて我がスプリングス・ティーンにこの小説とほぼ同じ題名の歌があることを思い出した。例によって訳詩。

   

       ガールズ・イン・サマー・クローズ

  

       街灯がプレッシングアヴェニューを照らしている

       恋人達が手をつなぎ並んで歩いている

       そよ風がポーチを渡り

       自転車のスポークが回る

       上着を着て、俺は家を出る

       今夜は楽しもう、思い切り

  

       夏服の少女達

       夕明かりの涼しさの中

       夏服の少女達が通り過ぎる

       

       子供のゴムボールが音を立て

       街灯の側溝で跳ね返る

       銀行の大きな時計が時を告げる

       家々のフロントポーチの淡い灯りが消えていく

       ダウンタウンの店の灯りは

       夜が更けるにつれ明るくなる

       辛いことがいろいろあった

       でもわかっている これからよくなると

       

       夏服の少女達

       夕明かりの涼しさの中

       夏服の少女達が通り過ぎる

 

       町外れにある旧友フランキーのダイナー

       ネオンサインが輝いている

       まるで魂の救済所の十字架のよう

       蛍光灯の灯りがポップスグリルの上で点滅し

       シャニがコーヒーを運んできて聞く

       「おかわりどう?」

       そして言う「ねえ、ビル、何考えてるの」

       

       彼女は去った、 俺をナイフのように刺したあと

       ねえ、美しい人よ、君は俺を救うことができる

       ただ一瞥するだけで、この魔法のストリートで

       恋は愚か者のダンス

       俺はセンスはよくないが、踊れる足は持っている

       

       夏服の少女達

       夕明かりの涼しさの中

       夏服の少女達が通り過ぎる

       (詩 ブルース・スプリングスティーン  訳詩 三浦 久)

  

  この歌は我等男性陣の思うところ(勝手なロマンティズムと言うべきか)が良く出ている(と思う)。そしてこのPVがまた良いんだ(笑)。貼り付けできないようになっているのでリンクさせときます。見てね。

 

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古い電車

       

       古い電車の写真パネルを

       見つめる少年

       

       君、あれは未来の乗り物じゃあない

       あれは

       君のお父さんやお爺ちゃん そのまたお父さんを

       毎日毎日乗せた電車だ

       

       その写真の中のレールに沿って

       古い電車の旅に出れば

       君は見たことの無い風景に

       出会うだろう

       

       デパートの催し物会場の<平成>から

       鉄橋を渡り<昭和>へ

       そして トンネルをくぐり<大正>へと

       

       君がいる街の昔を写した写真の中に

       変わった部分と

       変らない部分

       どれだけあるか探してみな

       

       そして 人の想いも 

       

       終点まで行ったら また折り返してきて1と駅づつ

       今に戻ってくればいい

       もし 元いた駅を通り越してしまったら

       

       君

       そこが未来だ

 

 これは息子がまだずっと小さかった時、聖蹟桜ヶ丘のデパートで催された“鉄道の日記念写真パネル展”車両の変遷に見る京王電鉄の歴史”を見に行った、その会場でできた詩。小さい息子は熱心でいつまでも会場を離れようとせず、暇を持て余した私は会場のアンケート用紙に、用意されていたペンでこの詩を書いた。

Photo_3 今日、とある駅のホームに立っていると、現在、鉄道博物館で開催されている『第2回時刻表展』のポスターが貼ってあるのを見つけた。最近は鉄道マニアの人を“鉄ちゃん”と称してお笑いの対象にしてしまう風潮もあるが、私はこの時刻表を偏愛する人々を昔から素敵な人々だと思っていた。

 お金がある人と言うのはだいたいにおいて時間が無いし、時間だけはたっぷりあるという人は大方お金が無い。私のように貧乏暇なしなのは言わずもがなで、そんな時、この時刻表で“幻想旅行”に出ると言うのはなかなか豊かな時間という気がする。

 きっと古い時刻表には今はもうない路線の、今はもうない駅の名前が記されているはずで、この旅行ではそんな風に時空間を行き来することも自在な筈だ。

 今、一番したい旅は 私の場合、駅弁を食べながらの鈍行列車による一人旅である。

 ところで、昔の時刻表、当時どんな駅弁があったのかも分かるだろうか(笑)。

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“ジョン・ナッシュ型”競馬

Photo_2  もう先週の話になるが、私は生まれて初めて競馬をやった。第50回宝塚記念。この歳で“初めて”というのが嬉しいが、キッカケは私が責任者を務める現場に競馬ファンが多く、休憩時間等の彼らの話を聞いているうちに興味を覚えたからだ。ある日、自分で競馬専門のブログまで立ち上げているというM君に挨拶がてら、「今度、俺にも競馬教えてよ。」と言うと、「何を言っているんですか!ナヴィ村さんの班にはIさんという“競馬の神様”がいるじゃないですか!」なる答えが帰ってきた。

 私の仕事は現場作業で大体80人弱の人間が五つの班に分かれて仕事に従事する。私は全体の責任者でありながら自分でも1班持っていて、その“神様”は私の班の班長さんだ。

 北野武が父菊次郎を評して「毎日判で押したような暮らしぶりで、仕事帰りに行く飲み屋も、飲む酒も、頼む肴もみんな決まっていた・・・。」と、以前テレビで言っていたが、彼もそんなタイプ。下町育ちの江戸っ子で無口。毎朝、私が車で仕事場に向かうと、必ず某通りの某カフェのテラスに座りスポーツ新聞を広げており、そして新聞をたたむ時間も、そこを立ち去る時間も決まっている(多分)。つまり、昔はそこかしこに良くいた頑固者で、今の若い人にはただただ変人としてしか映らないようだが、私はその人柄に密かに愛着を感じている。数ある作業員さんの中で私が唯一暑中見舞いと年賀状を出しているのは彼だけである。

 そして、その“神様”に「競馬、いつもどういう風に買っているんですか?」と、聞くとある奇妙な返事が帰ってきた。

                               ☆

 ちなみに私同様、競馬をやったことの無い人に説明しておくと、馬券の買い方は幾通りかあり、例えば1着だけを当てるのを“単勝”、1-2-3着の馬を当てるのを“3連単”、選んだ馬が3着までに入っていれば良い“複勝”、順番はどうでも1~3着を当てれば良い“3連複”などなどがある。

 私はそのことを聞いたつもりだったのだが、“神様”は私が「どの馬がくると思うか?」と聞いたのだと思ったらしく「競馬中継って8チャンネルでやるんですけどネ、今週から8チャンの×時からやるニュースのお姉さんが○△×さんから○□さんに変ったでしょ、それで8チャンがスポンサーの映画が今週から封切りになるんですけど、その映画の題名が『×××』、ちなみにうんちゃら通りとかんちゃら通りの角にあるビルの広告がソニーのだれそれからキリンのだれそれに変ったんですが、その二人の頭文字を並べると・・・ほうら、もう分かったでしょう?」と言って、ニヤリと笑った。分かんねえよ、そんなもん・・・・絶句。

 それで、その思いつきによっぽど自信があったのか、なんと、昼休み、神様は“当たり”を取るのを前提に以前から欲しかったというCDコンポまで買ってきてしまった。あわあわあわ・・・。

               ☆                    

・・・と、以下、私の周囲の人達の競馬のやりかたを私なりにタイプ別にすると、大きく3つに分かれる(ような気がします)。

 1 学究型・・・血統や過去のデータを綿密に調べ、勝ち馬を割り出していくタイプ。

 2 グレート・マザー型・・・好きな馬をわが子を愛する母のように応援し、そこからバリエーションするタイプ。

 3 ジョン・ナッシュ型・・・日常のあらゆる変化に目を配り、そこに“サイン”を読み取るタイプ。神様はこれ。

               ☆ 

ジョン・ナッシュとは映画『ビューティフル・マインド』で有名な実在の天才数学者である。精神にある病を抱えていて、タイム誌の記事のアルファベットの配列に旧ソ連の対米核戦略の暗号が隠されているとの妄想を抱き、長年その解読に務めたジョン・ナッシュ。上の3の人の競馬のやり方とはまるっきりそれと同じで、良く言えば“インスピレーション”、悪く言えば単なる“妄想”である。で、初めて競馬をやるに際し、色々考えた挙句、私はこの“ジョン・ナッシュ型”でいくことに決めた。

 宝塚記念当日、朝、私にはすでに心に決めた馬がおり、立川のWINSに馬券を買いに行こうと玄関で靴を履いていると、背後に妻。「何処に行くの?」と聞くので、馬券を買いに行くと言うと、突然、嬉々として、「やっと、あなたも競馬をやってくれる気になったか。」と言った。職人の娘で川口出身の彼女は競艇や競馬をやっている大人に囲まれて育ったらしく、抵抗はないらしい。それどころか新聞を見せながら私が買おうと思っている馬を告げると、しばらく新聞を睨んだ後、「あなた、マイケルが死んだことをどう思っているの?」と、一言言った。

 そう、この日の前日、あのマイケル・ジャクソンが死んだのだった。その事実を、そのサインを、その天の配剤を、あなたはどう読み取り、このレースにどう反映させるのか?妻は私にそう問いかけたのであった。あああ、ここにもいたジョン・ナッシュ・・・。

それで買ったのが単勝マイネルキッツと、1-マイネルキッツ 2ーディープ・スカイ 3-サクラメガワンダーの3連単。マイケル=マイネル・・・・・ちょっと苦しいけどなあ。

 テレビ中継は娘と見た。娘には以前「競馬でもパチンコでも麻雀でもギャンブルと名の付くものをちょっとでもやったら別れる。」と言われていて(本当にこう言われたんです。)、怒るかな、と思ったら一緒に見てくれた。で、結果は?と言うと・・・・・ま、言わずもがな、でしたが、高い額を買ったわけではないので単純に遊びとして面白かった。

              ☆

 翌日、仕事場にいくと神様が当たり馬券のコピーを見せながら「ね?」と、一言言った。またまた絶句。で、こんなわけの分からん世界、今回限りにしようと思っていたら昨日、神様が私に近づいてきて「今週の函館、××ですよ。」と、ある馬の名前を囁いた。理由は?と聞くと「今週、だれそれが死んで、その人が北海道生まれでそしてこの馬に乗る騎手の名前が同じでその人の年齢が○歳で、どこどこのスーパーの・・・・・・」

 うーーーーん、神様、難しすぎて私のような凡人には分からん・・・・です w(゚o゚)w。

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シーシャ(水煙草)バー”の誘惑

Photo_3  昨日、現場で作業員同士のちょっとしたイザコザがあり、今日、それについてある青年と話していると、彼曰く、「ストレスの解消法をきっと知らないんですよ。」とのこと。「へぇー、君は知っているのかい?」と聞くと、なんでも“趣味に没頭する”ことと、“シーシャ(水煙草)バー”に行くことだ、と言った。

 私はシーシャ(水煙草)なるものを知らなくて、聞くと水がフィルターの変わりになっていて、ニコチンは含まれるが、薄く?吸引時間が長い為、体へのダメージは少ないらしい。ホントか?フレイバーにも色々と種類があってとても楽しめるとのことだった。それで、帰りの車の中で後輩の社員にそのことを話すと、なんと彼も定額給付金でちょっと洒落たシーシャのパイプを買ったばかりだと言っていた。

 え!それって今、流行っているのか?で、好奇心旺盛な私は現在そのシーシャとやらを試したい気持ちで一杯のところ。実は数週間前から、夜帰宅後、止めていた煙草を10年ぶりに吸うようになってしまい、禁煙に苦しんでいる最中であるのにもかかわらず、この気持ち、どうにも止められない。

 “シーシャ(水煙草)バー”って、結構あるらしくて、食事とともに煙を楽しむような感じの場所だと言っていた。私は頭が古いので映画『ワンス・アポン・ア・タイム・アメリカ』のラストシーンのデニーロが足を運んだアヘン窟のようなところを想像してしまうが、いたって健全な所らしい(当たり前か)。

 「さあ、遅かれ早かれどうせいつかは死ぬんだし、健康なんて気にせず、楽しめるものはなんでも試した方が良いぜ。」と言う、悪魔の囁きがさっきから聞こえる・・・と、言ったら大袈裟か。

 でも“シーシャ(水煙草)バー”。興味あるな。

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Rain Girl

今年も半分終わりましたな。今日から7月です。梅雨の真っ只中、でも雨もいいですね。

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梅雨のオペラ鑑賞~レナード・バーンスタイン『ウエストサイド・ストーリー“メイキング・レコーディング”』

Photo_3  実は先月から妻とオペラを見るようになった。とは言っても本物のオペラはチケットは高いし、第一何を見て良いのか、全然知識もないのだが、ある日、家の前の公園の掲示板に地域のある団体が“映像による音楽”と題してオペラの舞台のフィルム上映会を催しているのを見つけ、それに行くことにした。

 私の住むH市の音楽連盟の会長M氏の解説が初めにあって、日本語字幕つき。第一回の前回はプッチーニの『ラ・ボエーム』で、その素晴らしさに夫婦で共に感動し、それで毎回行こう!と言うことになった。会場は我が家から歩いて5~6分の新しく出来たばかりのH山交流センター大ホールで、何しろ無料と言うのが良い。

 で、本日も朝食を食べ、少ししてから雨の中、傘をさして出かけたのだが、本日の上映予定はレナード・バーンスタインの『ウエストサイド・ストーリー“メイキング・レコーディング”』というもの。1957年ブロード・ウェイ・ミュージカルとして大ヒットし、また映画としても今や不朽の名作である同作だが、今日のこれは作曲者バーンスタイン自身が指揮し、本格的なオペラ歌手を擁してレコーディングしようとした1984年の歴史的セッションを記録した映像である。私と妻はてっきり映画のメイキングだと思って、ジョージ・チャキリスのように斜め45度に足が上がるか?など馬鹿なことをしながら「え、ウエストサイド・ストーリーってオペラなの?」とか言って、何にも分からないまま家を出た。

 会場は前回の『ラ・ボエーム』の時と同様、年配の方ばかりで、多分、私と妻が一番年少だった。そして、これも前回と同様に皆さんお洒落な方達ばかりで、私と妻が中で一番がさつ者な感じだった。

 それで解説の後、本編が始って5分と経たない内に私達夫婦は顔を見合わせることとなった。そう、なんだか凄いものを見せられていることに二人ともすぐに気づいたのだ。それはまるで宇宙の創造に立ち会っているかのような映像で、もちろん、この場合、創造する神はバーンスタインなのだが、このおっさんがまたとんでもなくかっこよかった。

 この頃のバーンスタインはすでに見るからに爺さんだが、ニューヨーク・マフィアのボス風の彼はエネルギッシュで、機知にとみ、時に残酷で優雅、女性ならずともセクシーの一言。その彼が自ら書いた名曲の数々に、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったオペラ歌手達を導きながら新たな命を吹き込もうとする様は圧巻で、後半フォセ・カレーラスが『マリア』のOKテイクを歌い終えた瞬間は、私は不覚にも涙が出そうになった。

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 映画『ウエスト・サイドストーリー』を見たことが無いという人も今は多いと思うので簡単にあらすじを説明すると、対立する二つの不良グループの一方に属する青年トニーと、もう一方のグループに属する青年の妹マリアが恋に落ちるというもので、言わば50年代のアメリカ版『ロミオとジュリエット』と言ったところ。このレコーディングではトニーを若きフォセ・カレーラスが、マリアをニュージーランド出身でマオリの血をひくキリ・テ・カナワが担当している。キリについてのバーンスタイ談。

 「キリの歌うマリア、というのは一つの夢だった。マリアはプエルト・リコ人の女の子だが、キリの声には暗さがあるだろう。マオリの血をひいているからね。これはとても感動的で、はまり役だと思う。それに高音で、女の子らしい、リリカルな響きがほしい時にもほんとうにそのとおりの声を出している。」(『ウエストサイド・ストーリー“メイキング・レコーディング”』レーザーディスク解説より)

 私がこの映像を見て一番に感じたことは、歌手、演奏者、全ての人々が、皆この『ウエスト・サイド・ストーリー』の音楽を愛しているということ。上述したキリや、フォセ・カレーラスはじめ、これに関る多くが映画『ウエスト・サイド・ストーリー』にリアルタイムに触れた世代でもあって、例えばキリは青春時代、あるピアニストと許されない恋をしていて、彼の伴奏でそれらの歌を歌った、だからマリアの気持ちになれる・・というようなことをインタヴューで明かしていた。

 そして、このニューヨークっ子の物語を歌い上げるのに一番苦労して見えたのは、今や世界三大テノールの一人として押しも押されぬ大家になった若き日のフォセ・カレーラスである。スペイン人の彼には発音の上で、とても難しい面があるらしくて、バーンスタインに何度もダメだしされる彼は痛々しくさえあった。そして、その彼に「譜面を見ているから間違えるんだ!俺を見ていろ!」と言い、口伝に歌のテンポを教えようとするバーンスタイン・・・・うーーん、すげえ・・・。

 このバーンスタインを見ていると、天才の仕事というのものにはある共通したものがあると思った。それは音楽に限らず、全ての傑作というものは最初から宇宙の何処かに存在していて、彼らはただそれを忠実に地上に再現しようとしている風に見えること。バーンスタインにはこの作品の最高度のレベルがどの辺にあるのかが分かっていて、そのためにはどんな人の忠告にも耳を貸さないし、どんな些細なことでも自分のイメージと違うことにはハッキリとNO!と言う。しかし、そのダメ出しも高貴なユーモアと愛に満ちているといった感じ。映像の中でキリが「モーツアルトと仕事をしているようだった。」とか「彼は宇宙人・・・。」とか言っていたが、天才って皆、そんな風なんだろうか。

 この上映会は毎回レーザー・ディスクで見ているようなので、今日、終了と同時にM会長にこの作品がDVD化されているか?と聞いたら、もちろんある、と仰っていたので早速、ネットで探したらあった。勢いYouTubeも見たらUPされていたのでその一端だけでもと思い貼り付けておきます。

 普段はこうしたDVDやらCDやらをすぐに衝動買いしてしまう私に苦言を呈する妻も今回は「これは買おう、買おう!」と言ってくれた。が、毎回この会に参加する度にこうしたことにならないように気をつけなきゃな。

 それとこのブログのカテゴリーが増えないようにしないと。・・・・・だって、収拾つかんよ、まったく・・・(笑)。

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梅雨のオペラ・グラス

Photo_2  子供の頃、父に初めてグローブを買ってもらった時、抱いて寝た覚えがある。少年野球のチームでレギュラーになり背番号入りのユニホームが支給された時も確かそれを着て寝た。そして初めて病院から息子&娘が来た日も、初めて嫁が来た日も、初めての彼女が初めてのお泊りに来た日も、それぞれをそれぞれの状況で抱いて寝た・・・・と、何の話か分からんようになってしまいましたが、かように私は昔から欲しいモノが手には行った時は必ず体で喜びを表現する奴でして、で、現在、今回はどう表現?しようかと思案しているところ。

 手に入ったのはオペラ・グラスと財布。明日、第三日曜日は「父の日」ということで、今日、一日早いが妻からはオペラ・グラスを、娘から財布をプレゼントされました。嬉しい。目は快楽の器官、と言ったのは写真家藤原新也ですが、私も本当にモノを“見る”のが好きな性質(たち)でして、最近は、野球や歌舞伎にはしょっちゅう行くし、時々、野鳥観察のようなこともしますので、ちょっと程度の良いオペラ・グラスが欲しいなあ・・・と、常々思っていて、以前、何かの折にそう言ったのを妻は覚えていてくれたようです。そして娘は財布。私の仕事は現場仕事なのであんまり良いものを持っていても仕方が無いと思っていましたが、今使っているやつがあんまりボロいので買ってくれたのでしょう。

 このオペラ・グラスはJOYFUL M21×21(ジョイフルM7~21倍21mm)というやつでなかなかの優れものです。私の部屋の窓からやや遠くには陸橋があるのですが、さっき何気にこれを覗くと、運転手の顔がいきなり至近に見えて驚きました。面白くて色々な倍率でキョロキョロ周囲を見回していると、「あんまり、見ているとのぞきに間違われるから止めなさい。」と娘に注意されてしまいました。

 これで真っ先に何を見たいかと言うと、やはり歌舞伎でしょうな。老眼鏡こそかけるようになったものの、遠くは全然大丈夫なので私は未だに幕見席の住人ですが、やはり役者の微妙な表情などはでかく見たいものです。それと鳥。去年度まで私が仕事場にしていた事務所は窓の外が空き地になっていて、落ちた草の実を食べに雀やらセキレイやらツグミやらがやって来て、それを皆で見ていたのですが、以来、家の近所にどんな鳥が飛来してくるのか気になるようになってしまいました。

 昔、男子なら誰でも戦争映画などで主人公が戦車から顔を出して双眼鏡を覗くシーンなんかを、ちょっとカッコいいと思ったことがあると思うんですが、これにストラップをつけて胸の前に下げているとやはり気分がでます。ただ難を言えば、とっさに覗いた時、まだどっちが覗き窓か分からなくて、逆さに見て、それで近くのものがすごーーーーく、遠くに見えてしまう時があることです。

 でも、今気づいた、そうか、嫌な奴が来た時はそう使えば良いのか・・と、怒るだろうな、やっぱ(笑)。

 とにかく・・・・ありがとう!妻&娘! (´Д⊂グスン。

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Journey  [RIP SLYME]

 インド放浪中の青年から定期的にメールが届く。饒舌な長文メール。まるでケルアックの『路上』のような旅の実況中継。おもろい(笑)。それを読みながら地図を開くと、なんだか自分も旅しているみたい、です。次はネパールか。

 で、↓は・・・ハマッタなあ。

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蜜蜂はどこへ (COLONY COLLAPSE DISORDER)

     

         消えた蜜蜂はどこへ?

       

         それは花の中へ 

         密やかな花弁の奥の

         手招く

         夏の迷宮の中へ

     

         花の色に酔い

         花の蜜に溺れ

     

         嵐の後

         朝の舗道に落ちた花々の種は

         嬉々とした

         蜜蜂たちの

         死。

     

         見ろ

         飛ぶのに飽いて 

         転生し

         街路に咲く

       

         美しき蜜蜂の群れをー。

 

 

 世界的な規模で蜜蜂がいなくなる現象を、以前、このブログでも取り上げましたが、その頃はまだ一部の人しかこれを話題していませんでした。この問題、数日前の新聞で大きく取り上げられていましたが、原因は諸説考えられるものの、正確にはまだ分かっていないとのことです。

 ただこれを人間が自然界のシステムを破壊して何かが狂ったため・・・というような考え方ははっきり言って嫌いです。過去にもこの現象はあったとの報告もあり、もっと違う面からの考察も必要でしょう。

 一番、不思議なのは蜜蜂が大量に消えているのに死骸は全く見つからないということ。それで思いついたのが上の詩。

 絶対そうだ、そうとしか考えられない・・・・・・(笑)。

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コメント承認制のお知らせ

 いつの頃からか、ブログのコメント欄に海外からのものと思われるスパムが大量に送られるようになってしまいました。気がついたらその都度削除しているのですが、いい加減面倒くさいので、今後、コメントは承認制とさせていただくこととします。別に普通のものなら検閲など?せずに公開しますので、今までと同様気兼ねなくコメント下さい。また、逆に公開されたくない私信についてはそう一筆添え、メルアド記載の上、お願いします。

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