イノカシラフラスコモを見に井の頭公園に行ってきた。

 かいぼり(池の水を抜いて泥をさらい、天日にあてること)をしたことによって絶滅危惧種となっていたイノカシラフラスコモなる「藻」の一種が約60年ぶりに復活して、今、井の頭公園の池がモネの池のようにキレイだと聞いて、先日、行ってきた。

 モネの池のようかどうかは知らないが、確かに美しい。大雨の後の晴天の朝に行ったので、空気も澄んでいるようで気持がよかった。願わくはずっとこのままに。

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八年ぶりの実家。

 原発事故のため弟家族が山形に移住したため貸家・空き家にしていた実家をまた使えるようにすると言うので、昨日、いわきの家の庭の片づけに行ってきた。通電し、水も使えるとか。家財道具は一切なく、先乗りしていた弟家族も皆、寝袋を持ち込んで屋内キャンプのような様相だった。

 自分が到着したのと入れ違いに弟家族は出かけたので、その後、一人で伐採され放置されたままになっている木片や枝の片づけをした。昔は生前の母が花壇を作ったり弟が野菜を育てたりした割と広い庭なのだが、8年間ほぼ手付かずだったので当然の事ながら荒れている。でも2、3時間ほど作業すると荒れたなりにある一角がすっきりとして満足感があった。自分が子供の頃、この庭には父のゴルフ練習用のネットがあったが、自分や弟はそれを野球のバッティング練習に使った。ティーバッティングやトスバッティング。そして、時々、近所のともだちが集まってそのネットの前をホームベースにして三角ベース的な草野球の試合すらした。そんなことを思い出した。写真は去年の春、庭だけ訪れた時に撮った群生した水仙。

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 仕事していると、普段、無人の場所に人がいるのを珍しがっているかのようにカワラヒワがやってきて、ずうと良い声で鳴いていた。家は玄関口に“売家”の表示が掲げられたままで、ここをこうして使えるのがこれからずっとのことなのか、買手が見つかるまでの一時的なもなのかは分からないが、頻繁に訪れてのんびり庭づくりするのは良い過ごし方だと思った。自分はスマホ使いではないしPCもないがそれで良い。寝袋とラジオと好きな本くらいを持参して、火は使いたくないので湯沸かしポットでも持って来ればよいか。風呂は近くに良い温泉の施設がいくつもある。あと酒があれば夜はぐっすり眠れる気がする。

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 昨日はその後、遅い昼食のついでにいわきグリーンスタジアムまで行き、昔の炭鉱のチーム「オール常磐」のユニホーム等を見た。そういえばこのスタジアムで一度もゲームを見たことがない。この数年、家がなかったせいでいわきに来ても叔母の家に泊めてもらったり、日帰りの墓参りだったりしたので腰を落ち着けていたことがなかった。近くプロ野球のイースタンリーグの試合がある筈。観に来ようか。このグリーンスタジアムの前身は炭鉱チームの練習場だった浅貝球場というのがあり、そこも個人的に思い出のある場所だが、その話はいずれまた。このブログといい、実家の家といい、完全にあきらめたら戻ってきて、そして、どちらもこれからの使い方、付き合い方を考えているところ。

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昭和36年(1961) 全国都市対抗野球 オール常磐VS川崎トキコ戦の記事。

 弟のフェイスブックを見ていたら昭和36年(1961)に父が全国都市対抗野球に出て後楽園球場でさよならホームランを打った時の新聞記事と当時のスタンドの様子などを撮った写真がアップされていた。写真はそこから拝借したもの。

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 映画「フラガール」で主人公の兄を演じた炭鉱夫役の豊川悦司の部屋に野球のボールが転がっているのに気付いた人はいるだろうか?当時、我が郷里の常磐炭鉱には社会人野球のチームがあって父はそこの選手だった。この試合の時の相手チームは神奈川の川崎トキコ。いわきの野球と言うと、この後、昭和46年の磐城高校・甲子園準優勝の熱狂があり、これは水島新司の漫画『ドカベン』の明訓高校が決勝で戦ういわき東高校のモデルにもなった。社会人チームオール常磐と磐城高校準優勝の関係は2013年のこの記事に詳しい。https://diamond.jp/articles/-/36507

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 父の時は川崎トキコで、磐高の時は神奈川・桐蔭学園。そういえば「ドカベン」明訓高校も神奈川のチームだ。何か因縁があるのだろうか。日本の野球はアメリカ大リーグより強い、と終生言い続けていた父は平成元年に他界し、野茂もイチローも見ず、日本の二度のWBC世界一も知らない。元号が変わることなど気にも留めないでいたが、野球のことを考える時だけ上の事情からことさらな実感ある。

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 平成の終わりは昭和の終わり、と言ったのは故・橋本治だが、野球も当時と今とでは随分と変わった。先日、いわきグリーンスタジアムに電話したら、施設の一角にいわきと野球の関係が分かる展示があって、そこでオール常磐や準優勝時の磐城高校の資料が見れるという。10連休のどこかで見に行けたらと思うが、弟がアップした写真の数々(アップしたよりもっとあるはず)はそこに寄贈したら良いのではないかと思う。

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王ゲート、長嶋ゲート。

 写真は先月、イチローを見に東京ドームに行った時撮った王ゲートと長嶋ゲートのそれぞれのレリーフ。

 後日、テレビで現ソフトバンク監督・工藤公康のドキュメンタリーをやっていて、見ると、ダイエー時代の、例の"王監督卵ぶつけられ事件"を間近で見ていたことが彼が指導者としての道を歩むキッカケだったとのこと。王さん自身も出演していて、そして「あの時、卵をぶつけてくれた人が一番のホークスファンだったんですよね。」と語っていた。また感服してしまった。

 

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 一方の長嶋さんネタでは平成スポーツ名場面ベストなんとか、みたいな番組で、1994年のセリーグ「10・8決戦」の時の秘話が取り上げられていた。前々から登板を告げられていた桑田が心配になって、前日、「監督、試合のどのあたりに準備しておけばいいでしょうか?」と聞きに行くと一言「君、そりゃあ、しびれる、ところだよぉ~」と例の調子で言われたのだとか。爆笑してしまった。

 

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 王さんは一本足打法のポーズで長嶋さんが空振りしたところ。これを作った人たちは良く分かってらっしゃる。平成の終わりは実は昭和の終わり、と誰かが言っていたが、現役最後のイチローを見に行って、合わせてこれも見てなんだかそれを実感してしまった。ま、野球は続くけど。

 

 上のようなことがあったせいか、最近は古い時代の野球の本ばかり読んでいる。今読んでいるのは稲尾の自伝。そして録画してある「江夏の21球」もまた見てしまった。野球は楽しい。

 

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PS 去年末パソコンが壊れ、ブックマークして長年使っていたためIDとアドレスを忘れてしまい、ログインできなくなっていた。もうどうしてもダメで、完全にあきらめていたが、ひょんなことからメモが見つかって、昨日、無事再開できた。ところがその間、プロバイダーがリニューアルしていて、新しいやつは使いずらいといったらない。

 

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うめる

   Ⅰ.

   埋める
   死者を埋める
   犯罪の証拠を埋める
   ハイエナがかすめ取った
   骨付き肉を埋める
   盗品を埋める
   ゴミを埋める
   サラリーマンが
   違えた約束を酒の席で埋める
   予定を埋める
   クロスワードパズルのマスを
   文字が埋める
   考古学者が
   調査済みの現場を埋める
   熱い風呂を
   水で埋める
   SNSのコメント欄を
   ネトウヨが
   ヘイト発言で埋める
   株の損失を埋める
   命令の後の沈黙を
   従順な
   返答が埋める
   海を埋める
   珊瑚を埋める
   ダンプがバックして
   土砂が
   青い
   青い海を埋める
   
   何を弔った?
   何を隠した?
   どれだけ食った?
   何を取った?
   何処に投げた?
   どれだけ酔った?
   工程通り?
   どんなスローガン?
   何が分かった?
   ぬるくない?
   どんなフェイク?
   何に使った?
   誰の言いつけ?
   何を殺した?
   何色になった?

   Goddamn.

   私たちは生める
   詩を
   歌を
   物語を
   絵を
   新しいアイディアを
   互いの理解を
   まだ若い父親が
   震えて待つ
   産院の朝を
   生める
   赤ん坊を
   パンを
   次の食事を
   サラダボウルの淵
   の
   淡い光
   ミニマルな日々の
   点描の
   タブローを

   Ⅱ.

   うめる
   にわとりはたまごを
   かみさまはうみを
   うみたてのたまご
   うみたてのうみ
   うめたたまご
   うめたうみ
   うめたてられたうみ
   うみすてられたたまご
   うめる
   わたしたちはうめる
   こわされたものを
   ねじまげられたものを
   こわれたたまごを
   こわされたうみを

   うめる
   なんどでも
   うむ
   うめる
   わたしたちは
   うみをまた
   うめる
   うみをまだうめる
   うみを
   またうむ

   うみはまたうまれる

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ダム

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        風が吹かなければ
        澄んだ底の方に
        郵便ポストが見えるかも
        学校や床屋や
        めし屋
        それと古い写真館とか

        と すると
        この翡翠色の大きな水は
        沈んだ村の
        墓標なのかもしれなくて
        だからぼくは
        会いにくるのかな
        前世で故郷だったかもしれない

        この美しい
        大きな水に。

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死んだP.C(SX2885-54F)に

 

   例えばファミレスを居酒屋代わりにして
   昼間から一緒に飲んでいた友人が
   突然、胸を押さえ倒れたみたいに、お前は息絶えた。

   一度だってオレはお前を労ったことなど無かったし
   お前だってオレに何かの証を立てたことなどなかった。

   だが
   こうなってみると
   結局、
   期せずして
   二人は友達だったのだ
   朝も、昼も、夜も
   オレはお前に語り続けた
   お前の「向こう側」にいる誰かなどにではなく
   文字通りお前に。

   手紙を書き、写真を見せ、好きな音楽を教え
   共に歌った。

   悪意に怯え、不実に怒り、共にユーモアに笑った。

   知らなかったのだ いつまでも若いつもりでいる
   オレの隣で
   こんなにも早くお前が年老いることなど。


   知らなかったのだ 饒舌なビートニクスみたに喋る
   オレのことばを
   お前が余裕綽綽でうけとめてくれていたのではなかった
   ということを。

   最後にお前の目に映ったのは
   オレが撮った
   夕焼け空に飛行機雲の直線が
   淡くほどけていく写真。

   ドクター曰く
   「おうちにタバコを吸う人はいませんでしたか?」

   セカンドオピニオン曰く
   「加齢により 管がよくなっていたのでしょう。」

   昨日、妻に前抱きにされたお前が
   オレには
   遺影か骨壺のように見えた。

   さよならP.C
   さようなら

   こういしてイニシャルだけ書くと
   なんだか古(いにしえ)の
   ジャズミュージシャンみたいだな。

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THE SPEED BALLSと塩屋埼灯台に行った。

 いわきのライブハウス、バロウズでThe Speed bollsとThe Stone Rollers のライブを見た。両バンドとも少なからず個人的に関わりのあるバンド。ず東京に出てきてバンドの真似事をし、仲間とオリジナルソングの比べっこのような事をしていたその頃、法政大学R&Bsoseityの面々と出会ってぼくは衝撃を受けた。彼らの、その黒人音楽への愛情の深さと熱量の大きさに。

 

 彼らはオリジナルソングなんて作らなかったし、若い頃にありがちの「プロのなりたい」のような野望が全く無かった。あるのは愛する音楽を愛すべき仲間たちととただただ演奏する喜びだけ。そんな情熱を奇跡のように真空パックしたのまま結成30年のSPEED BALLSの音楽が人の胸を打たない筈がなく、土曜日のいわきでの初ライブは素晴らしかった。カッコ良すぎてビビった。

 

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※写真はクリックすると大きくなります。
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そしてその対バンの、こちらもミック・ジャガーパフォーマンス歴30年(以上?)の高淳を擁するStone Rollers。いぜれにしても一つのジャンル、スタイルを徹底して貫くと、それは一つの生き方になるのだと見せつけられたような夜だった。実現してくれた上野夫妻と関さんに感謝。また両バンドのメンバー全員、映像担当の坂本さんも、ありがとう。楽しかったです。演奏に夢中になり過ぎてあまり写真を撮らなかった(いい写真が無い)。写真は昨日、皆で行った塩屋埼灯台とそこからの眺め。こちらもいい時間だった。

 

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劇団民藝の「時を接ぐ」を見た。

 劇団民藝の「時を接ぐ」を見た。八月の酷暑の最中、妻の知人から手紙が届き、なんでもその方のお母さんの生涯が劇化されこの秋に公演があるとのことだった。そのお母さんとは戦前の満映(満洲映画協会)で編集技師として活躍した岸富美子さん。満洲国崩壊後も中国に残り、かの国の映画人に技術を伝え、無名のまま今日の中国・アジア映画の礎となった方だとか。

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 劇は彼女のその波乱の生涯を描いたもので、今日は公演最終日ということもあって、手紙をくれた知人夫婦とも期せずしてお会いできた。ということは劇中の登場人物(主人公の娘さん)から途中休憩時等に直接解説が聞けるオマケつきだった、ということ。

 広告の裏に年老いた主人公が誰に見せるでもなく書いた回想録を娘が見つけワープロで清書し、ノンフィクションとして書籍化する件を見て(聞いて)、自分もその昔、中国にいたという今は亡き祖父母に当時の話をちゃんと聞いておけばよかったと激しく後悔した。

 この夏は満蒙開拓団の資料を一部自治体が破棄、または未整理で放置したままとの報道があり暗澹たる気持ちになったが、その一方でこんな風に今になって明るみになる歴史もある。劇中、岸富美子さんが編集に携わったという中国映画が幾つか出てきて、それらを見てみたいと思った。そしてこの劇の原作となった「満映とわたし」(文藝春秋BOOKS)を読んでみたいと思った。

https://books.bunshun.jp/articles/-/3742

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「応答せよ1988」を見た。

 最近、夢中になって見ている韓国のドラマ「応答せよ1988」。オリンピックがあった韓国の1988年は日本人にとっての60年代のような感じだろうか。皆、貧しくて、隣同士が支え合って生きていた時代。そして民主化運動があった時代。ある時、点けっぱなしのテレビの画面で絵に描いたようなおばちゃんパーマの女性が3人、縁台でモヤシをちぎりながら下ネタ含みの下卑た会話を大声で(しかも長々と)していて、ヘンなドラマだなぁ・・・と見ていたらあれよあれよと泣かされ、笑わされ、いつの間にか録画して毎晩見るのが楽しみになった。

 ネットで調べるとこの「応答せよ~」はシリーズ化されていて(自分は他2つは未見)、この「~1988」は第三弾にして最高傑作との触れ込みだ。本国でのヒットは勿論のこと、中国での人気も凄く(オンラインサイトでの放送回数2億回以上)、その他のアジアの国々でも見られていて日本でも最近ケーブルテレビで放送され始めたよう(初放送は2017年6月)。

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 同じ路地に暮らす幼なじみ5人の若者たちがメインのドラマなので彼らの恋の行方のような面ばかり話題になってしまうが、これは彼らが暮らす路地=「共同体」そのものが主人公のドラマ。母親たち、父親たち、兄弟姉妹、おじさん・・・・、それぞれの心情を丁寧に描いていて、見る人の年齢や立場から必ず感情移入出来るキャラクターがいる。そして扱われる話題も、オリンピック、恋、民主化運動、リストラ、更年期までと様々で、日本では久しく作られなくなった「ホーム・コメディ」と言えば言えなくもないが、それにしては出てくる若者たち一人ひとりが魅力に溢れすぎていてる。当時を知る多くは懐かしさで見るだろうが、それを知らない若い人達が彼らにつられこのドラマの世界観を無意識に沁み煮込ませるようだったなら・・・これは未来へのドラマでもあると思った。

 

 ・・・・と、ここまでベタ褒めの文章を書いたが、見るにあたり難点もあって、それはTV放送時の尺のこと。オリジナルは全20話で1話約100分あり、自分が見たのはそのオリジナルバージョンの方だが、見逃した1~3話を残念がっていたら他のチャンネルでまた放送が始まり、見ると一話が1時間(CMが入るので45~50分)。放送時間に合わせぶつ切りにされていて、1話づつが話の変なところで終わり、変なところで始まる印象。DVDもこのぶつ切りになった版が採用されている。また日本では『恋のスケッチ』なる凡百ありがちなラブコメみたいな題が付けられていて不快。昨日、レンタル屋で見たらこのシリーズの他のものはちゃんと「応答せよ~」の題で商品化されているのに何故だろう。一話ずつの完成度がとても高いドラマなのでオリジナルでの放送、商品化を望む。

 キャスティング発表時、大ブーイングだったのに放送後大絶賛に変わったというヒロイン、ソン・ドクソンを演じるGirlsdayのヘリのじゃじゃ馬振りが素晴らしい。
 
 登場人物の中の誰に思い入れがあるが、見た後で話するのも楽しいドラマだと思う。

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八月の菓子

 
 誰も食べたことのない菓子の味を知るためには
 食べたことのある人から聞くしかなくて
 でも近ごろでは食べたことのある人は段々に減って
 その味がどんなものであるかはようとして知れない
 
 思えば自分が子どもの頃は
 食べたことのある大人が周りに沢山いて
 麦酒<ビール>なんぞを飲んだ折りなど
 こちらから聞かずとも語ってくれたもの
 
 ある叔父は口をすぼめて目を固く閉じ
 あれはすっぱいものだと言い 
 ある叔父は顔を真っ赤にして
 あれは辛かったと涙目に語った
 何故だが中には鼻息荒く
 何をそんなに誇るところがあるのか
 その頬をとろかすような甘さでも思い出すのか
 いじきたなそうにニヤニヤする人もいた
 
 無表情で黙っている人もいた

 誰も食べたことのない菓子の味を伝えるために
 また聞きのことばを誰もが喋る
  また聞き
 孫引き
 ひ孫引き 
 デマ
 あれは酸っぱい らしい
 いやあれは辛い らしい
 いやいやあれは甘い らしい そして
 ほんとうはすごく美味しい らしい と 
 
 目を固く閉じたりせず
 涙目にもならず
 いじきたなそうなニヤニヤ笑いもなく

 誰も食べたことのないその菓子はどの家にもあって
 もう何年も戸棚の奥にしまわれている
 誰も食べたことのない菓子の味を知りたければ
 食べてみればいいじゃないかと
 声高に言う人が近頃じゃ段々に増えて
 腹ペコの子供が夕暮れ 皿に手を伸ばす
 

 誰も食べたことのない菓子の味を知るためには
 食べたことのある人から聞くしかなくて
 でも近ごろでは食べたことのある人は段々に減って
 その味がどんなものであるかはようとして知れない
 
 誰も食べたことがない菓子の味を
 これから どうして伝えよう
 いつもは戸棚の奥の暗がりにしまわれていて
 毎年八月にだけ取り出してきては皆で眺めている

 あの菓子の味を
 

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いわきアリオスウォールギャラリー企画「いわきニュー・シネマ・パラダイス」に寄せて。

  いわきアリオスウォールギャラリーの「いわきニュー・シネマ・パラダイス」という企画に文章を寄せてくれと依頼がありました。“いわきで見た映画の思い出”とのこと。以下、その文章です。

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  『ホームランとカルメン』                     

 小さい頃、母に連れられて行った怪獣映画やアニメ映画以外の映画を初めて映画館で見たのは、平駅(現いわき駅)前の「聚楽館」だと思う。“思う”と書いたのは、当時は複数館体制だったので、実際は「アポロ座」だったのかもしれないし「平東宝」だったのかもしれない。1976年でぼくは11才で小学校5年生だった。

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 見た映画は『がんばれ、ベアーズ(1976 米 マイケル・リッチー監督 )』と『激走!5000キロ(1976 米 チャック・ベイル監督 )』の二本立て。元社会人野球の選手だった父に連れられて弟と3人で見た。子供会のスポーツ少年団のソフトボールチームに属し(今はどうか知らないが、当時のいわきの子供たちは野球ではなくソフトボールをやっていた。そして野球をやっているつもりになっていた。)、そして弟とビートルズを初めて聞いて夢中になり始めたのもこの頃のこと。

 「見た映画の思い出」ではなく「映画館の思い出」ということで語らせてもらえば、この時、父がチケットを買うのに並んでいる間、ぼくと弟は隣の館のポスターを眺めていたのだが、そのポスターは『ラストワルツ(1976 米 マーチン・スコッセジ監督 )』だった。4人のカナダ人と1人のアメリカ人からなるロックバンドThe Bandの解散コンサートを捉えたドキュメンタリー映画。だが、勿論、そんな事は当時子供のぼくらは知るわけはなく、ただ映画のワンシーンを捉えた一枚のスチール写真に釘付けになっていただけだった。映っていたのはリンゴ・スター。今の人には信じられないかもしれないが、あの頃は好きな外国のミュージシャンが動いてる姿を見る機会など皆無に等しかった。動いているビートルズが見れる!「こっちでもいいな」と、弟と言い合ったのを思い出す。

 ちなみにこの初めての映画体験である『がんばれ、ベアーズ』にはロックに纏わるこんなシーンがある。テイタム・オニール演じる主人公の女の子は後にチームの主力となる不良少年とある賭けをした結果、デートをすることになるが、そのデートがローリングストーンズのコンサートなのだ。ウォルター・マッソー演じる監督が「ガキのくせにストーンズ?」みたいに言うのを聞いて、子供のぼくはストーンズという単語を何かとても大人びた、そして少しいかがわしい「場所」のように、その時、想像した。

 それから13年後、1989年の夏に父はこの世を去ったが、その初七日も終わらぬうちにぼくはアメリカ旅行に出かけ、その道すがら、当時、日本には来日できないと信じられていたローリング・ストーンズのコンサートをフィラディルフィアで見た。「スティール・ホイールズ・ツアー」の初日。アンコールの曲が終わりメンバーがステージを去った後、何発もの花火が打ち上げられ、映画「Let's spend the night together」の時のようにジミ・ヘンドリックスの「星条旗よ永遠なれ」が流れると思っていたらそうではなく、曲はなんと不意打ちのようにビゼーの「カルメン」だった。「カルメン」は「がんばれ、ベアーズ」の挿入曲。平の映画館のスクリーンに弧を描いた不良少年ケリーが撃った打球が時空を超えフィラディルフィアの夜空に届いたような気がした。そしてその時も、ああ、父と平の駅前でベアーズを見たな、と思った。

     https://youtu.be/dDBhj4GfPBc

 大学進学を契機に、ずっとぼくは東京で生きることになって、特に原発事故以降、様々な事情からいわきに帰る機会は以前よりさらに少なくなった。そしてたまに帰ると平の街の変貌ぶりにいつも驚かされる。だが、当たり前だが街は変わっても思い出は残る。そしてぼくの少年時代の思い出は上に書いたように思わぬところで見た映画と繋がっていて、その映画の多くは平の街で見た映画だ。

 今度「ポレポレいわき」(「聚楽館」の後身)は2シアターを残して存続…と、従来とは少し形が変わってしまうと聞いたが淋しくない。どんな形であれ映画が上映され続ける限り、そこに新し思い出が生まれ続けることを知っているからだ。ぼくはもう50を過ぎたが、あの前を歩くと今も頭の中で「カルメン」が流れ出す。

     https://youtu.be/6j7MQ2g01_0

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ゴールデンウィーク 小机城 孟宗竹 

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※写真はクリックすると大きくなります。

  四月に息子と娘が出ていって妻と二人の生活になったが、それを一番実感するのはなかなか米が減らないと言う事。また今まで家族用にと買っていたスーパーのパックの鮭が、同じ値段で数の少ないのを買うようになったせいなのか身が少し厚くなった(気がする)という事。出ていってすぐは家の中がやけに広く感じられ、意識して「淋しい」と口に出さないようにしていても、お互いそう感じているのが見た目にも明らかで、切なかった。

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で、それにもようやく慣れたこのゴールデンウィーク。最初に娘が帰って来て一晩いてまた出ていった。娘は一昨年から去年にかけて重慶に留学していたが、せっかく喋れるようになった中国語の能力が落ちるのが嫌で、大学の、中韓からの留学生の寮に引っ越してそこで暮らしている。学校とインターンとバイトを掛け持ちしていて忙しそうだった。中韓の友人たちと夜ホラー映画を見る会を作ったと言っていた。また台湾のバンド五月天のライブがこの20日に武道館で行われ、それを見に行くのだとのこと。五月に五月天を見る、と自慢げだった。

 息子は一昨日(2日)の深夜に帰って来た。就職した会社の研修で名古屋にいる。文系の学部を出ているのに理系の仕事に就いたので心配していたが、なんとかやっているらしい。良かった。

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 ゴールデンウィークというと以前なら実家のいわきに家族で帰って......というのが通例だったが、何時の頃からか(特に原発事故以降)それもなくなった。今回は特にどこにも出かけず家の周辺で過ごしているが、ここ日野が生まれ故郷の子供らの帰省の様子を見て、自分たちが迎える側になったことに様々な感慨を覚えた。一番考えたのは亡き両親のこと。こんな気持ちだったのかとようやく知った。東京の大学生だった頃、ゴールデンウィークにいわきに帰っても、溜まり場にしていた店に寝泊まりして一度も家に寄らずにまた東京に帰って来てしまったことが確かあった。なんて酷いことをしたのだろうか。

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 写真は休み前半の30日に妻と行った横浜の小机城跡。孟宗竹(もうそうちく)の多い城跡で、なんでも孟宗竹という名は年老いた母に食べさせようと冬に筍を取りに行った孝行息子の名前にちなんだもので中国の故事から来ているのだとか。にょきにょきと皮を突き破って塔が立った竹が、取り損ねた、親不孝の象徴のように見え、またこれからさらに伸びていく(だろう)子供たちのようにも見えた。

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南極の氷

海洋探査から帰って来た友からのみやげだと
息子が南極の氷を貰って来た
南極の氷と冷蔵庫の氷の、何処が違うのか?と聞くと
何でも三千万年前の空気が
入っているのだと言う。

見ると確かに細かな気泡が
つぶつぶつぶつぶ一杯あって 
水につけるとじゅわーと音がし泡が 昇ってきては 
その三千万年前がはじけて鼻孔をくすぐる筈だと宣(のたま)う。

さてどうして使ったものかと妻に問えば
コーラに入れようと言うのだが
それでは三千万年前のじゅわーと
コラーのじゅわーが混ざってしまって何だかとてもおもしろくない。

やはりウィスキーのロックだと
グラスを出して
ハタと思うに
マンモスの毛やペンギンの糞
タロとジロの涎やらが入っていないだろうか?
〈シロクマの目ヤ二とか〉

我が酒神、大いに尻ごみて
髭のボトルを棚に戻すと
風呂が熱すぎた時にでも入れればいいと考えたが
南極の氷が溶けると海面が上昇し
やがて大陸が沈むのだとの、いつかのラヂオを思い出す。

やはりウイスキーのロックだ、と気を取り直し
氷ぶち込みトクトク注ぎ 
黄金(こがね)のグラスに耳を当てれば
氷の中の三千万年はじゅわーではなくピキピキピキピキ。

それはまるで大きな伽藍が倒壊する時の
小さなひびが徐々に徐々に広がる音。

聞くほどにドキドキしてきて
グラスのウイスキーをがぶりと飲めば
妄想のオーロラが脳内に現れかけたその矢先
点けっぱなしのテレビの天気予報から
明日は季節外れの春の陽気と、アナウンス。

すわ、温暖化、と、やにはグラスに指突っ込み
急いで氷を救出すると、
また冷凍室に戻してバタンと戸を閉めたのだった。

以来、
夜毎、気が付くと
エコロジストの顔つきで
冷蔵庫を開けては確かめている
南極の氷。

ピキピキピキピキピキピキピキピキ
ピキピキピキピキピキピキピキピキ。

                               2018 3.4

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花蓮・玉里安通温泉へ行く。

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※写真はクリックすると大きくなります。

 今年の正月は台湾に行っていた。目的は湾生(日本統治時代に台湾で生まれた日本人)だった亡き父の生まれ故郷を訪ねる事。場所は花蓮県玉里にある安通温泉。(写真は玉里駅前)。一昨年、族長のような叔父が亡くなったのをきっかけに叔母二人に会ったところ、この玉里の話が出てどうしても一度行かなければと思っていた。せっかく行くのだから、と妻が台北市内の「鉄板」とも言える観光旅行も一緒にセッティングしてくれて、それは言わば豪華な前菜のようになった。

 私の会った事の無い祖父・佐々木一郎氏は1930年に宮城県石巻市から台湾に渡り、花蓮県玉里で警察官の招待所の責任者・番頭を務めていた(らしい)。そこは現在は地元で有名な安通温泉ホテルとなっている。父も二人の伯母もそこで生まれた。話は少し飛ぶが、先日、読んだ東山彰良の傑作小説「流」の中にこんな一文がある。

 “一九三〇年代に台湾先住民が日本の統治に対して武装蜂起した事件だ。手始めに派出所が襲われ、約百四十人の日本人が殺害された。総督府はただちに軍隊と警察を投入して徹底的に武力弾圧した。暴動を鎮圧したあとも日本人は報復を続け、約千人の台湾人が殺された。(第六章「美しい歌」の部分 文庫P192より抜粋)”

 事件とは「霧社事件」のこと。起きたのは現在の花蓮の隣の南投だ。勿論、ここでこの事件についての色々を問いたいのではなく、言いたいのはただ祖父の台湾行きにはそうした時代的な背景・要請があったのだろうと、ぼくが勝手に想像したと言う事。だが、それは当たらずも遠からじな想像だと思う。

 前置きが長くなったが、台北市内のホテルから玉里に向かったのは5日の早朝。AM6:17分の電車に乗るために家族皆で5時に起き、タクシーで台北駅に向った。

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当日は生憎、天気が悪く、車窓の風景は暗く打ち沈んだ蘇鉄と田んぼの連続だったが、もし季節が違って快晴であったなら、水を入れた水田に青空が映り、それはそれは南国的な景観であったろうと少し残念に思った。そしてもう一つ。電車の中は冷房が効きすぎていてとても寒かった。短い滞在スケジュールの中、台北からの日帰り旅行なので、やれる事と言ったら食事して風呂に入るくらいしか無いのだが、帰りの電車も冷房がこの調子だと湯冷めしてしまうのでは?と、行きの道中からしてすでに心配になった。だが、そんな思いもよそに妻、息子、娘は連日の台北での市内観光に続く早起きが効いたのか、眠る、眠る、眠る。話し相手もいないので仕方なく耳に入れたウォークマンのイヤフォンから聞こえてきたのはボブ・ディランの『サンダー・オン・ザ・マウンテン』。山にかかった濃い霧が時折、解けた。

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                ★

 実は台湾に来てからずっと野鳥を見ていた。台北市内にいても例えばホテルの窓から外の街路樹を見ると確かにいるのだが、日本のスズメのように路上に舞い降りてきたりとかあまりしないようで(たまたまぼくが出くわさなかっただけだと思うが)、いるのは分かっても何の鳥なのか分からない。去年、四月、中国の重慶に行った時、やはりホテルの窓からたまたま撮影した2種類が、それぞれ日本では中々見られない鳥であることが後日分かって、以来、味を占めて大きな移動をした際には気にかけるようになった。

 この電車からも何匹もの鳥が空を行き交っているのが見えたが何なのか分からなかった。車窓からチャチなデジカメの望遠を最大にして目で追うが無理。 諦めたが、とある駅に停車中、ふと外を見るとホームの下の線路脇の砂利の上に黒い鳥が一羽、歩いているのを発見する。すかさずパチリ。液晶で確認すると何かのゆるキャラのように見えて一人笑ってしまった。去年、重慶で見たクロウタドリだと思う。(多分)。

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 電車は予定通り9:16に、玉里に着いた。月台(プラットホーム)の柱に客家花布。

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 旅行中、いつもはホテルで済ませるところを、その日は早朝に出発したので全員朝食がまだだった。着いたら駅前で何か食べようと当初は思っていたが、皆で話して、バスで安通温泉ホテルにすぐに行き、そこで食べようということになる。ネットの情報を見ると宿泊しなくても食事と風呂はOKと出ているとのこと。だが、この決定が後の悲劇?の始まりに。

 娘が駅の従業員にバス停を聞き、少し待っての出発。停留所の手書きの時刻表には安通に行く1137便 光復―富里号はAM10:00となっているが、買ったチケットにはAM10:20とある。しかし、時刻表にAM10:20発のバスなどなく、何かの間違いだろうと誰も気にしなかった。これもさらなる悲劇に拍車をかけることになった。

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 到着した場所はただ「安通温泉」と看板がある二車線の道路脇。降りたらすぐホテルと全員が思っていたので面食らう。よくロードムービーやアニメのシーンで、予想外の風景で降ろされ、土煙を上げ走り去るバスに置き去られる主人公みたいなシチュエーションがあるが、文字通りその状態。

 皆、空腹なところに小雨までちらついて、その上、ここからどのくらい歩くのか検討もつかず、一挙に雰囲気が悪くなる。しかし、突っ立ってるわけにも行かず、皆で歩き出すことに。昔、アメリカを放浪した際に取った杵柄で、よっぽどヒッチハイクしようかと考えたが・・・止める。父は良く家から学校までの長い距離を歩いて通ったと話していたから、ぼくらにも歩け、ということか。そして、こんな状況にも何か意義を見出そうと周りを見渡すと、またしても目につくのは鳥、鳥、鳥。社会人野球の選手だった父は学校の登下校中に鳥を捕まえようと石投げをして、それで肩が強くなったと言っていたっけ。今度も写真に収めようと何度かシャッターを切るが不首尾に終わる。

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 歩く。日本にいる時の習慣で道路の左側を歩いていると、対向車が凄いスピードでやって来て、右側を歩いた方が良いと渡る。しばらく行くと道路脇の斜面に農家があり、そこで一人の老人が手を振っているのを見つける。台湾の場合、ご高齢の方の方が日本語が話せる可能性が高いと思い、意を決して斜面を駆け上がり、話しかけるがやはり通じない。先に行ってしまった中国語が話せる娘を呼び戻し、せめてここから徒歩であと何分くらいか聞いて貰うと、20分、だとの事でホッとする。その後も途中、“2時間”の聞き間違いでは?・・・などと疑心暗鬼なったりしながらも、ようやくホテルが見えてきて安心する。ほどなくしてAN TONG SPRING HOTELに無事到着。やれやれ。

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                 ★

  「夜だけ?」
  「そう、夜だけ」。
 
 これが二つ目の悲劇?の始まり。着いたらすぐ食事、と、皆、それだけを励みに歩いてきたが、着いてフロントで娘に聞いて貰うと、確かに食事だけでもOKだが、それは夜だけの事だとか。途端にまた雰囲気が悪くなる。どうしようか?皆で喧々諤々になる。するとホテルに宿泊しこれから帰路に着こうとしている年配の女性の一団の中から、一人の女性がやって来て、片言の日本語で話しかけてくれる。状況を説明すると、他の方達も集まってきて色々とアドヴァイスをしてくれたが、結局、「フロントでタクシーを呼んでもらい、また玉里駅前に戻れば?」と言うのが大方の意見のよう。が、せっかくここまで歩いてきたのに、それはしたくない。ふと見ると道路を挟んだホテルの対面の看板に「食事」の文字がある(↑一つ目の写真の「富田錦」)。

 先の日本語が話せる女性が率先して店のお姉さんに色々と聞いてくれたが、なんでも作った料理を出すのではなく、店のものを買ってここで食べるのがOKなのだとか。いわばイートイン。お姉さんが店のカップ麺を指さす。完全な個人商店で家と店が一体になっているような感じのお店。お湯は沸かしてくれるらしい。謝謝。でも、ここまで来てカップヌードルかぁ!・・・口や顔には出さないものの、皆の心の中の落胆の叫びが聞こえるよう。だが、親切にしてくれた人々の手前、そうすることにする。しかし、この事がぼくに一つの決心を促すことになった。

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 実は歩いてくる道すがら、帰りの電車の冷房を心配して、風呂には入らなくてもいいや・・・という気になっていたのだ。ホテルの食事をして、周りの風景を写真に収めればそれでいい・・・そんな風に思い始めていたが、食事がカップ麺だった今、ここまで来て温泉にもつからずでどうする!という気になる。撤回。見ると、さすが分かりやすい我が家の面々、カップ麺であれ、空腹が収まると途端に落ち着いて先程の空気が嘘のように和やかな雰囲気になる。人、衣食足りて礼節を知る。誘うと息子も入るという。

 通訳を娘にばかり頼っていてはいけないと思い、筆談でなんとかしようとフロントで“我欲、唯湯屋・・・”みたいなことを適当に書き始めると英語で応対される。そうだよなあ、忘れていた、英語。入浴のみは250元。小さなタオルとミネラルウォーターが1本ついてくる。

 そして案内され脱衣所で服を脱ぎ周りを見ると、ゲッ、他の客は皆、海水パンツを付けている。もしや、ここはそういうスタイルでしか利用できない施設なのでは?と思い、もう一度フロントに戻り聞く。「Japanese style OK? 」「Japanese style OK! 」。上はネットで拾ったこのホテルのスパ施設。パンツを着用していた人達はつまりここの利用者で、Japanese styleは建物の奥にある。そりゃそうだ。Japanese styleの風呂は昔の古い銭湯のような感じ。そしてJapanese styleはぼくと息子だけ。浴槽が熱いのとぬるいのと二つあるだけのシンプルな造りだがお湯が良い。台北のホテルはユニットバスで主にシャワーだけ利用していたから、数日振りに湯に肩までつかりしばし陶然となる。いわきの父の墓前から持って来た玉砂利の小片も一緒に入浴。親父、帰ってきたよ。

                 ★

 カップ麺とは言え食事もし、お湯にまでつかりもすると、人は前向きになるらしい。風呂から上がると、さっきのフロントの女性に、つたない英語ででも自分とこの温泉との関係を説明してみようとの気持ちなっていた。しかし、フロントに戻ると、先程、英語で対応してくれた女性は居ず、居たのは二人いた内のもうお一方。「きゃんにゅうーすーぴーくいんぐりっしゅ?」と聞くと頷くので、自信満々(?)の英語でぼくは話続けた。「わんすあぽんなたいむ、まいぐらんどふぁーざー、わず、わーきんぐ あと ひあ。あと じす すぱ」。「あと ないんてぃーんさーてぃず。あばうとないんてぃいゃーずあごう。」。若い女性スタッフは初め怪訝な顔をしていたが、ここぞとばかり娘のスマホに入っている祖父の写真を見せると驚いた様子。

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 台湾旅行をするにあたって、父の墓参りがてら、いわきの伯母の家を訪ね、きれいにアルバムに貼られていた祖父の写真を娘が撮ったのだった。古色蒼然としたセピア色の写真の祖父はハッピを着ていて、合わせの部分に玉里安通温泉とはっきりある。驚いた若いスタッフは早速、経営者らしき女性を紹介してくれた。経緯を話すと、その昔、父や叔母たちが暮らした日本家屋は今も残っていて、なんでも日本統治時代のドラマや映画の撮影のために使われたりするらしい。「見れますか?」と聞くと「もちろんです。案内します」と上手な日本語で答えてくれた。行く途中の壁に当時の建物の様子を伺える写真が額装してあった。これ。

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  そして、現在。

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 建物には縁側があり、それには慨視感があった。そこに座って撮った祖父とまだ小さい父の写真を見たことがあるように思う。1989年、父は亡くなる時、昏睡状態のまま鼻歌を歌い始めた。家族の誰もそのメロディが何か分からなかったが、父の姉に当たる叔母だけがそれが玉里小学校の校歌だ、と分かった。生前、父は台湾での話を良くしてくれたが、あからさまに望郷の念を語ったことは無かったので驚いた。それ程までに父が帰りたかった場所に自分が自分の家族と今いることの不思議。何より息子、娘と来れて良かった。

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 そして最後に猫のこと。年末にいわきの伯母を訪ねた際に聞いたところ、叔母にはこの玉里で一緒に育った猫がいたとのこと。叔母が生まれた時、祖父がまだ目も開かない状態の子猫を貰ってきて、文字通り乳を分け合ったのだと言う。叔母が虐められると相手に飛び掛かり、調理場で働く女性たちが歌を歌いながら仕事をしているとニャアニャアと鳴いて、歌い終わると鳴くのを止める。当時、皆、「あの猫は自分が人間だと思っている」と言って笑ったそうな。

 だから日本家屋を見せて貰ってロビーに戻った時、一匹の猫が現れ、まとわりついてきたのに驚く。それは80年前の時空から迷い込んで来たように見えたから。単にここで飼われている猫なのかもしれないが、ぼくにはそう見えた。でも案外、本当に無計画に旅をする、飼い主のこの末裔たちを笑いに来たのかもしれない。それともじいちゃんがあいさつ代わりによこしたか。

 その後はタクシーを呼んでもらって、玉里駅まで戻り、駅前の食堂でやっと食事らしい食事をした。店のおじさんが陽気な面白い人で、帰りの電車の時間近くまですっかり店に居座ることになった。サービスで色々なものを出してくれた。もし、また来たら絶対に立ち寄るから、と言って店を出た。本当にまた来ようと思った。

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玉里麺。

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おじさん。

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 これが、この正月の出来事。いい旅だった。春になったらあの玉砂利をいわきの墓に返 しに行こう。

 

 








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豆花(ドウファ) 


初めてなのに
見覚えのある空が広がっていた
見覚えのある笑顔 
花 ざわめき

〈空に吸われし 
天燈の群れ 〉
 
ことばを知らないから
幼児に戻り
故に
 目もまた
幼児の目になる

市場の
色が
味が
匂いが
音が
一斉に語りかけてくる 君は誰だ?

階段で
居眠りする犬
水彩の
水色の海が見える旅の茶屋で
口中に
甘い原色の花が咲く

懐かしいのに
見知らぬ空が広がっていた
その暮れ色と
煙の匂い


口中に咲く
甘い甘い豆花(ドウファ)
 


    2018. 1.3 台湾 九份にて。

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高幡不動の紅葉

 散歩がてらに高幡不動に行ってきた。紅葉がキレイだった。

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Good bye 、冷蔵庫くん。

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 家の近くに新しいスーパーが出来て、開店記念セールでハーゲンダッツのアイスクリームが安かった。先日それを買ってきて風呂上りに楽しみに食べようとしたら、あらら、溶けてブヨブヨになっている。なんとそのタイミングで冷蔵庫が壊れたのだった。以前も似たような事があり、様子を見ていたら症状が改善されたので騙しだまし使っていたが、今回はついに復帰しなかった。それで昨夜、新しいのを買いに行って、今日、配達と古い方の引き取りがやってきた。驚いたのは引き取りに先立ち妻が最後の掃除をしながら見ると、壊れた冷蔵庫の製造年月日は1984年。33年前。

Img_3113 自分はまだ上京する前で、郷里のいわきにいた。ジョージ・ウォーエルが小説に書いた1984。スティーブ・ジョブスがIBMとの戦いにMacintoshで挑み、伝説のプレゼンをした翌年の1984。日本ではチェッカーズの『涙のリクエスト』がヒットしていた1984、そしてブルース・スプリングスティーンのあの『ボーン・イン・ザ・USA』がリリースされたのが1984だ。

 今PCに「冷蔵庫の寿命」と入れて検索すると、だいたい10~15年、と出てくるが、この冷蔵庫はその倍近く生きて?仕事したことになる。娘が生まれたばかりの時、貧しい若い夫婦に近所の電気屋さんが見るに見かねて中古品をメンテナンスして安く売ってくれた物で、その時ですでに13年選手。以後、20年、我が家にあった。人間で言えば何歳だろう?と、愚かにも電化製品を見て考えてしまった。

 妻曰く完全に使えないのは冷凍庫で、他の部分はまだ少しは冷えるのだとの事。妻は「直せばまだ使えるかもしれない」と、引き取り業者が廃棄ではなくリサイクル、という点に最後まで望みを託していたが、ぼくは知っていた。フロン使用なのでそれはもう無いということを。だが、もしも“昭和の暮らし”のような展示がある博物館にでも置いてもらえたら・・・と、ぼくも最後に儚く祈った。そして長年一緒に暮らした大型の電化製品って、まるでロボットのようだと思った。今日の午後はまるで『ロボコン』の最終回みたいだった。

    で、最後に、スプリングスティーンの「ボビー・ジーン」の歌詞になぞらえて、 I miss you baby, Good luck ,Good bye 冷蔵庫くん。長い間、ありがとう。

https://youtu.be/hWAkBrSEh3I

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登戸研究所資料館の見学会に行ってきた。

 昨日、明治大学平和教育登戸研究所資料館の見学会に行ってきた。            

http://www.meiji.ac.jp/noborito/mean/index.htm

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 写真は風船爆弾。以前、郷里のいわきに帰省途中に立ち寄った五浦海岸で「風船爆弾放流地跡」なる碑を見たことがあるが、自分はもっと単純なものを考えていた。

http://penguin-pete.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_da7f.html

 仕組みを聞いたら高度維持装置など意外に精巧に作られていて驚いた。旧日本軍はこれで爆撃による成果を上げようとしていたのでは勿論なく、ウィルス兵器を使おうとしていたのだとか。同種のカウンター攻撃を恐れて実際にはウィルス兵器は使われなかったものの、それでもこの風船爆弾は約1000発がアメリカに着弾していて死者も出している。昨日、見学者の中には少女の頃この製造に携わったという方がおられ、聞いている色々な話がいきなり身近に感じられた。  

 誘われるままにどういう会なのかもあまり知らずに行ったのだが、資料館館長・山田朗先生の解説は、ここにこの施設が作られた経緯や地理的環境の話から始まり、次第に戦後史のミステリーにつながるような内容で思わず引き込まれた。スパイ兵器、対人毒薬などコワい話もあったが、自分が一番興味をひかれたのは贋札作りに纏わるお話。そんなこともしていたとは知らなかった。

 負の遺産を活用し、戦争の愚かさを立体的に考える良い企画だった。チラシを見ると見学会は12月にあと2回予定されている(2日と16日)。興味がある方は是非。

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デニス・バンクス氏死去 R.I.P

 去る10月29日にデニス・バンクス氏が亡くなった事を、11月1日の弟のフェイスブックの記事で知りました。その日、日本は十三夜で、東京でもきれいな月が見えました。大学の頃、仲間と企画したイベントを通して彼を知り、後日、バイトしていた学内の語学教室まで恩師が連れてきてくれ直接お会いしたことがあります。R.I.P。

 http://www.chunichi.co.jp/s/article/2017103101001400.html

 http://blog.goo.ne.jp/au…/e/34f48aa7b448a450922314faff70ce3b

  昔 インディアンは花と遊びながら
  光る命の意味 花に学んだ
  花に学んだ

  俺とこの星との歌が歌えるまで
  夢はみちてひいて くりかえすだろう
  くりかえすだろう   

          作詞 KURO&大塚まさじ 歌 加川良

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谷川俊太郎&Divaの朗読、ライブを聞いた。

 台風接近中の最中、家から近い日野市七生公会堂に詩人・谷川俊太郎さんの朗読&Diva(ご子息の谷川賢作さんのグループ)の歌のコンサートに行ってきた。谷川さんの朗読を聞いて干しシイタケが水に戻されたようなそんな心持になった。アンコールで『百三才になったアトム』を読んだ後に『鉄腕アトムのテーマ』(作詞/ 谷川俊太郎)と来て、何故か涙腺決壊。大雨の中帰ってきたが心はスッキリしていた。

 

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道を歩いて来たつもりはない
ただ歩いている足元をいつも見つめていただけ
いつも見る足跡は今付けたただ一つ
道なき道を行ったとか
その足跡が道になったとか
そんなカッコイイ話じゃない
現に振り返れば初めの一歩は風雨に晒され
今は消えていて
微かに昨日くらいからの足跡が
消えそうに残っているだけ

道を歩いて来たつもりはない
ただ歩いている足元をいつも見つめていただけ
この一歩の次はどちらへ
いつも迷っているのは次の一歩
ただ誰かが敷いた道を行くにせよ
歩くのは自分自身 この足 この足元の
線になることを拒否した一つの点 
だが その点が
いつしか地面から剥がれて
蝶のようにフワフワと舞い始めた

道を歩いて来たつもりはない
ただ歩いている足元をいつも見つめていただけ
いつしか足は動いているのに
地上にもう足跡は残らない
自転車のペダルを漕ぐ感覚で
一足ごとにぐんぐん空に登っていく
生まれた町の 国の 星の
その表面にある 文明のひびのような
色々な道が
眼下に見えているだけ

川沿いの道 車が渋滞する道 
砂漠を貫く道 けものみち
掌に刻まれた
生命線

道を歩いて来たつもりはない
ただドスンと生まれ落ちたベッドの上から
いつか来た空への道を
いつも眩しく見上げているだけ

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中国の古いオカリナ

Img_2986_800x600  
 これが何かお分かりか。実は娘が先日また重慶に行っていて、一昨日、帰ってきたのだが、これは四月に自分が行った時に知り合った若いカザフスタンの友人達に託されてきた物の中の一つで中国の古いオカリナ。シュン(またはケン)という(らしい)。6300年の太古の昔からあるものだとか。でも簡単には音が出ない。

 最初「本当に笛なのかしらん?」と思う程だったが、ふーふーやっていると何回かの1回にとてもきれいな音が出て、今はその1回を楽しみにふーふーやっている状態。本当に上手な人の演奏はどんなのだろう?とYouTubeを見ると超絶的な演奏がいっぱいあって愕然とする。こんな風にいつか吹けるようになりたいなあ・・と夢見るが、ドレミ・・・のような音階を出す運指すらも分からない。吹けるようになりたいという思いもある一方、楽器としてとても美しいのでコレクション欲も掻き立てられる。元々は西安あたりの発掘の出土品だったらしく、ぼくの仕事を考慮しての贈り物だったのならなお嬉しい。穴の数は色々あるようで分からないことだらけ。誰か吹き方が分かる人教えて下さい。

↓は分かりやすいところで映画「天空の城ラピュタ」のテーマ「君をのせて」をこれで吹いている画像。穴の数が多いやつのように見えるが・・・良い。

        https://youtu.be/AUOp-TjqKOo

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映画「パターソン」を見た。

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 ジム・ジャームッシュの新作「パターソン」を見た。

 http://paterson-movie.com/

 ウィリアム・C・ウィリアムスとかアレンギンズバーグとか、またディランの歌で有名なボクサー、ハリケーン・カーター等、知った名前が出てきて身近な感じがした。そして見終わった直後から永瀬正敏演じる「日本の詩人」が連発する“a ha”が口癖のようになってしまった。詳しいうんちくは控えることとして、一つだけ感想を言えば、今度、犬を飼うなら絶対ブルドッグにしようと思った。

 上の写真はこの映画のパンフレット。シティ・ライツとかから出ている詩集のようで気に入った。“a ha”.

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その夜 ラ・カーニャで  2017.10.08

  NAKED FOLK SINGERS-ギターをとって弦を張れ!-を見て
               中川五郎さん 三浦久さん 若松政美さんへ

その夜のラ・カーニャは
沸騰する水を見るよう
子供の頃 キャンプファイヤーで
歌ってくれたお兄さんが
突如 現れ
あの頃の続きを今また歌い始めてくれたよう
お兄さんは年を取ったが 
ああ でも今は あの時より若い(1)

 水は
  西の広場の井戸から沸いた
 ギターの音とことば
 薬缶から"ピーっ!"と音がして
 ことばから噴きあがるその水蒸気の斧が
 神社の椎の木を
 なぎ倒す幻をぼくは見た(2)

その夜のラ・カーニャは
水槽に水が溜まるのに見惚れるよう
細流はみるみる物語(バラッド)になって
ゆっくりと
人のたましいを満たす
年老いた旅の禅僧に
どこまでもついていく月  
ああ でも今は あの時より若い

 水は
  カリフォルニアの井戸から沸いた
 ギターの音とことば
 水槽に水があふれても
 それを止めに走るひとは誰もいない
 暗がりに立つ
 美しい女の目から
 涙がこぼれ落ちるのをぼくは見た(3)

その夜のラ・カーニャは
一杯の柄杓の水
夜勤明けのきみが 砂にまいた
柄杓の水
だがこの水は
ギターの音でもことばでもなくただの水
だが潤された砂は元の砂にあらず
砂に咲く花が
開くときの音をぼくは聞いた

その夜 ラ・カーニャで
その夜 ラ・カーニャで

(1) ボブ・ディラン 「My Back Pages」より。
(2) 中川五郎さんの「トーキング烏山神社の椎の木ブルース」に歌われる朝鮮人虐殺の加害者を労うために立てられたという椎の木のこと。

(3)レナード・コーエン 「Bird on the wire」の歌詞からのイメージ

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ポール・サイモンの『オヴィアス・チャイルド』

 ポール・サイモンの『ザ・コンサート・イン・ハイド・パーク』を聞いている。夏にネットでこの記事を見かけてから、何度ここに貼られた動画を見ただろうか。http://www.sonymusic.co.jp/artist/PaulSimon/info/484392

 2012年に行われたライブのDVDが今年発売された理由は映像を見てすぐに分かった。多様性に溢れたパフォーマンスと音楽、そして観客。異なる民族文化を持つ人々と一時的に共演することはあっても、それを自らの楽曲に本格的に取り入れ、なおかつヒットさせスタンダードにした人なんてポール・サイモン以外にいないのではないか。

 

 時折、映される観客たちの表情がどれも感動的。「オヴィアス・チャイルド」の間奏のリズム隊のブレイクとその後に続く歓声は可視化された「グレイスランド(グレイスに溢れた土地)」だと思った。

 「楽隊の音は、あんなに楽しそうに、力づよく鳴っている。あれを聞いていると、生きて行きたいと思うわ!」 (友人のFBで紹介されていた今日の毎日新聞・高橋源一郎の人生相談からチェーホフ『三人姉妹』より) 

・・・・・・と、これを今アップした直後、Yahooに戻り、 ラスベガスのコンサート会場での銃乱射事件のニュースを見て衝撃を受ける。平和なコンサート風景が昔懐かしいもの・・のような世界にならないことを切に祈ります。R.I.P

・・・・さらに、トム・ペテイ死去のニュースも。2017年の10月2日はぼくら音楽好きにとって何という日だろう!

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ライヴ・イヴェント  NAKED FOLK SINGERS-ギターをとって弦を張れ!中川五郎×三浦久 10・08 下北沢ラ・カーニャ

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  うたうことば

 「歌は歌われるべきものであり、読むものではない」。とはボブ・ディランのノーベル文学賞受賞記念講演の中のことば。しかし、ただでさえヒアリングの落第生だったぼくにとって、海の向こうの歌を聞くことは70%くらいは聞くものであっても、30%くらいは読むものだった。特にボブ・ディランやブルース・スプリングスティーン、レナード・コーエン等々、詞やメッセージに重きを置くアーティストの場合には尚更。そして彼らのうたを聞くとき、その「聞く」と「読む」の比率は時に拮抗してしまうことさえあったと思う。  

 中川五郎さんと三浦久さんはフォークシンガーであり、また共に歌の翻訳者でもあるので、今回の受賞に際して世の中が(そしてディランが)見せた戸惑いも、逆にその受賞の正当性も十分知っておられるだろうと思う。「私が書いているのは文学なのか?」と自問してディランは言うが、自らもステージに立ち歌うこの翻訳者二人も、こう思ったことはないだろうか?今訳しているこのことばは文学なのか?歌なのか?と。

 白状するとぼくがお二人の歌を聞いたのは、その訳業に親しんでから随分と後のこと。長い間、五郎さんも三浦さんもぼくにとっては歌の翻訳者としてあった。だから初めて二人の歌を聞いた時のストレートに言葉が耳に届く驚きといったらなかった。ディランやスプリングスティーンの歌を介してぼんやりと見えていたものが突然、ハッキリ姿を現したような、そんな感じがしたのだ。  

 五郎さんの「トーキング烏山神社の椎の木ブルース」をライブで聞いた時、ぼくはディランの「ハッティ・キャロルの寂しい死」等のプロテストソングを初めて理解した。また三浦さんの、市井にいる(た)人々の姓名が出てくる数々の物語風の歌を聞いて、スプリングスティーンのフォークアルバム『ネブラスカ』や『ゴースト オブ トムジョード』の中の歌たちが、海の向こうの人たちにどのように聞こえているのかを教えられた気がした。  

 「トーキング~」を聞いて、後日、僕は烏山に例の椎の木を見に行った。そして三浦さんの「カムサハムニダ イ スヒョン」を聞いて新大久保駅のホームに立ってみた。どれだけ時を経ても決して許されない差別への抗議の歌が、真昼の神社に静かに立つ椎の木の中にあった。また一人の青年が示した勇気を讃える歌が、電車が入ってくるJR山手線のホームのざわめきの中にあった。もしかしたらぼくらを取り巻いている風景、世界、それ自体が「歌」なのかもしれないとその時思った。  

 「アウトローは正直でなければ生きていけない」、「回り道をしない人生に何の意味がある?」「空ゆく鳥は空の鎖から自由だろうか?」・・・・ディランの歌にはその一行で人の生き方を変えてしまうようなフレーズがいっぱいある。それに比べると「歌は歌われるべきものであり、読むものではない」という、歌ではない彼の講演の中の言葉は一見ありふれている。でも上に書いたように「歌」の事を考えると、そのことばは違う意味を持って響いてくる。そして、「歌=フォークソング」としても良いのだが、五郎さんと三浦さんはそのようなフォークシンガーで、この不穏な時代に二人の歌を聞き共に歌うことは、それに対する一つの処方箋のように思うのだ。  歌の翻訳とは詰まるところ、一緒に歌うということではないだろうか?二人はずっとそれをやっててこられた。ぼくらはただそれを読んでいただけなのかもしれない。今こそぼくらも一緒に歌う時なのだ。Sing !

http://www1.ttcn.ne.jp/lacana/live/1212.html

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カントリーな夏でした

 今日、9月3日は二十四節季では処暑にあたり、暦を見ると、暑さが和らぐ頃、とある。異常気象と言われる昨今でもこの周期はいつもピッタリ当たっていて季節の変わり目が来るたびに驚く。ここのところようやく涼しくなってきて、早速、今年の夏の事を色々と思い出しているところ。

 今年は7月の暑い盛りに一週間ほど長野の霧ヶ峰に行って仕事をしたが、その前に知人の引っ越しを手伝い、思いがけず頂いたお金でカントリーのCDを買った。ウォークマンに入れて高原でカントリーを聞いて過ごすのは良いアイディアのような気がしたから。

 R&Rが黒人のブルースと白人のカントリー&ウェスタンとのクレオールミュージックと理解して、昔からブルースは良く聞いたが、何故かカントリーは聞かなかった。で、これを機に聞いてみようと思い、買ったのは輸入盤でジョニ―・キャッシュの3枚組のベストとハンク・ウィリアムスの4枚組。

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その後、ジョニー・キャッシュのフォルサム刑務所でのライブ盤も買った。そしてフェイスブックにその事を少し書いたら、ジョニー・キャッシュが「刑事コロンボ」に出た時、ハンク・ウィリアムスの「I saw the light」を歌ったことや、去年、ハンク・ウィリアムスの伝記映画が公開されていた事などを教えてくれる友人がいてそれも見た。いわきに帰省した際は中古CDも扱う友人の店で有名どころによるハンク・ウィリアムスのトリヴュートアルバムを紹介され、それも購入。どれも良くて、今までを不覚に思うやら、まだ未知の分野がこれだけある事を喜ぶやらだった。

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 最初に買った二つが歌詞対訳の無い輸入盤だったので、聞いているうちに、どんな事が歌われているのだろう?と気になった。特にハンク・ウィリアムス。ディランは「ハンクのルールに従って」ソングライティングをしていると発言しているし、レナード・コーエンは「歌の塔」という曲で、「その最上階にはハンク・ウィリアムスいる」と歌っている。ネット上で数曲、対訳している人がいて最近それをなんとなく眺めたりしているが、英語で直接理解できればなあ、とため息が出てしまう。

 http://jtkanehira.com/hank.html

 それとジョニー・キャッシュ。『AT FOLSOM PRISON』のライブ盤には歌詞対訳が付いていて、囚人たちを前にして歌われたその歌にいちいちに驚く。特に「FOLSOM PRISON BLUES」の“俺はリノで男を撃った 彼が死ぬのを見るためだけに”と言う一行はブルース・スプリングスティーンの「ネブラスカ」の“理由のない卑劣な行為というものがあるのだよ”という歌詞に響いていると思った。対訳はスプリングスティーンの翻訳も手掛ける三浦久氏。この秋にお会いできる(はずな)ので、その辺の事を話し出来たらと思う。

 ネットにはハンク・ウィリアムスの歌詞対訳だけでなく、コード譜もあって、最近、?十年ぶりにギターをひっぱり出してきて練習しているのは「Cold cold heart」。指の皮が段々厚くなってきた。

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霧ヶ峰に行っていた

 しばらく仕事で長野の霧ヶ峰に行っていた。

 緑に埋もれた朽ちたワゴン、オートレース場の周回音のように耳から離れない蜂の羽音、塗装のはげた鉄の窓枠に分割された青空。去年、壊したスズメ蜂の巣にヒナがいて、毎朝、番の鳥がせっせと餌を運んでいた。

 蛾と蝶の違いについて考えた。

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 宿は諏訪湖畔。昔、諏訪湖マラソンを走った時に訪れて以来。朝と風呂上がりの夕暮れに散歩するのが日課だった。風が気持ちよかった。

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イグアナ 이구아나

 詩人・茨木のり子の著書『ハングルへの旅』の中で、詩人が韓国をバスで旅行中、子供に時間を聞かれて「試されている・・」と勝手に緊張してしまった、という件が確かあった。

 日本語の数の数え方に1(イチ)、2(ニ)、3(サン)・・・という数え方と、一つ、二つ、三つ・・・という数え方があるように、韓国語にも1  일/イル、2  이/イ、3  삼/サム、4  사/サ、5  오/オ、6  육/ユク、7  칠/チル、8  팔/パル、9  구/ク、10 십/シプと数える漢字語数詞と、1 하나/ハナ、2 둘/トゥル、3 셋/セッ、 4 넷/ネッ、5  다섯/タソッ、6 여섯/ヨソッ、7 일곱/イルゴプ、8  여덟/ヨドル、9 아홉/アホプ、10 열/ヨル、と数える固有語数詞とがあって、使い方が時々に違うので確かに日本人には難しい。

 例えば時間だが、~時の部分は固有語数詞だが、~分の部分は漢字語数詞でなければならない。韓国語に興味を持って始めて見ようという方がいても、この数のところで挫折してしまう人は案外多いのではないだろうか?自分にも難しかったし、今も難しい

 結局は慣れるしかないのだが、最近、YouTubeを見ていて良い曲を見つけた。韓国のロッカー、カンサネと、ロックバンド、ヒョゴのコラボ、『イグアナ 이구아나』と言う曲。この動画はハングルの字幕が出るので、それを紙に書きとってネットの自動翻訳機にぶち込み、大体の内容を知るという涙ぐましいことをしていたが、後半部はこの数字を使った言葉遊びのようになっている(多分)。

 

 9は구/ク、なので 頭に指示詞の이(イ) これ・この、を付けて数えて、最後が「イグアナ」になるというオチ。作詞作曲はカンサネ。面白い。韓国の音楽というとCD屋ではいわゆるKポップと言われるやたら美脚の女の子やイケメン男子が集団で歌うものしか見かけないが、カンサネやヒョゴのようなロックは一体何処で買えるのだろう?

 因みに現在、日曜日の午後、時間はタソッシ、シプチルプン、です。

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ぼくが出会ったサイト

 十月に予定されている或るイヴェントに文章を頼まれて、その主催者から資料代わりにと紹介されたサイトをここのところずうっと読み耽っていた。

 そのサイトとはフォークシンガー三浦久さんの「ぼくが出逢った歌 ぼくが出逢った人」というもの。

http://www.nagano.net/journal/miura/

ウェブ・マガジン長野ジャーナルで1996年から2005年まで連載されていたもので、1960年代にアメリカに留学していた氏の青春記。前半がアメリカ編で後半が日本編。三浦さんの名前はボブ・ディランやレナード・コーエン、ブルース・スプリングスティーン等々の歌詞の翻訳と数冊のディランの研究書の著者として知っていたが、その人となりは不覚にも全く知らなかった。

エッセイは1から97まであって、一つ一つに歌や詩の題名が記されている。第一話はボブ・ディランの「風に吹かれて」で最終話はニール・ヤングの「ハートオブゴールド」。

 1965年生まれの自分の世代だと、例えば、佐野元春の「サムデイ」を初めて聞いたのは・・とか、RCサクセションの「トランジスタラジオ」は、あの時・・なんて思い出が誰にでもあると思うのだが、三浦さんの場合はそれが「風に吹かれて」や「八ッテイ・キャロルの淋しい死」や「スザンヌ」や「サウンドオブサイレンス」や「ア デイ インザ ライフ」だったりする。そして二人のケネディとキング牧師の暗殺があり、ヴェトナム反戦運動があり、ヒッピームーブメントがあり・・・と、時代は正に激動の真っ只中で、自分は数日、まるであの時代のタイムカプセルを予期せずに開けてしまったかのように、のめり込んで読んでしまった。

Photo_3 紹介したいエピソード、目からウロコの話が満載だが、感動したのは別のところ。それは氏が友人、知人、有名人、また一期一会の人も含め、登場するそれぞれの人々を、まるで一曲の歌を歌うかのように語っているところ、その声。友部正人の「ロックンロール」と言う歌の歌詞に“ぼくが出逢った人が僕の歌なのかもしれない”というヴァースがあるが、このエッセイは本当にそうだ。そして「歌」は古い友人のように語られる。あまりに面白くて「書籍化はされていないのだろうか?」と思ったら、前半のアメリカ編が『追憶の60年代カルフォルニア』(平凡社)として出版されているとのこと。でも自分には日本編もすごく面白かった。

 内容はもう読んで頂く他ないのだが、最後に一つだけ音楽以外の話で紹介したいのが、文中、英語の教師でもあった氏が提唱するその勉強法。「シュリーマン方式」と言っているが、それは生涯で22か国語を完璧な話せたという考古学者シュリーマンがとったもので、このエッセイの第23話「エリナリグビー」の回に書かれてある(マクロバイオティックの提唱者・桜沢如一も同じ方法だと、後の回でも書かれている)。自分も韓国語の勉強を始めて3年目になるが、行き詰まりを感じていたところなので、早速、この方法を採用させて頂くことにした。

 氏は現在、信州長野で「オーリアッド」というライブハウス&コーヒーハウスをやっているようで一度行ってみたいと思った。そして十月が楽しみ。

 

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“翼”くんから返礼

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 重慶で逢った若いカザフスタン人の友人二人に印鑑を送ったらお礼の返事が来た。元々は訪中の際にお土産は何が良いか考えた末のもので、思いついたのはそれぞれの名前を漢字で当て字して印鑑を作り贈ろうというもの。

 ただ娘のルームメイトの女性の名はキレイに決まったものの、後の二人はヘンテコな当て字にならざる得なく、結局、現地で会って当人たちに希望を聞いてから作ろうということにした。で、そうしたところ、一人はカザフ語で“月の光”を意味する名で、もう一人はカザフ語で“翼”を意味する名だとか。それで“月の光”くんのカザフ語は音的に少し長いのでカタカナにすることになって、“翼”くんは文字通り“翼”一文字にすることにした。

 一昨日、二人からSkypeで直接お礼を言われたが、娘のSNSを転送する形でさらにメッセージをくれたのは“翼”くんの方。重慶の西南大学周辺をバイクに僕を乗せノーヘルでぶっ飛ばしてくれた彼だ。メッセージに添えられた写真を見ると、“剣”という文字が大きく書かれていて彼らしいと思った。

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 重慶では彼らにハラール料理(イスラムの戒律に基ずく料理)でもてなされたが、その席で“翼”くんが見せてくれたのは『武藝』と題された本(写真)。宮本武蔵の『五輪の書』と柳生宗矩の『兵法家伝書』が一冊になっている。高校の頃からの愛読書なのだとか。へぇー。

 荷物が届いた6月1日は偶然にも中国では『こどもの日』に当たるらしく、その日は親が子ども贈り物をする習慣があるらしい。彼のメッセージに「子供の日に贈り物をもらった」とあった。で、今、妻と二人、子供が増えた気分でいる。彼はドンブラ(カザフスタンの二弦の楽器)の名手だとか。いつか聞けたらと思う。 

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吉見百穴と埼玉古墳群に行ってきた。

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 会社の研修旅行で埼玉県比企郡の吉見百穴と行田市の埼玉古墳群に行った。始終楽しい一時だったが、印象に残ったのは古墳ではなく、吉見百穴と第二次大戦中そこに掘られた軍需工場跡の方。吉見百穴は古墳時代後期(6~7C)の横穴墓群だが、その一部には大戦末期、旧日本軍が軍需工場を作ろうとして掘った巨大な坑道があった。同じ凝灰質砂岩に掘られた横穴にしても百穴とこの坑道ではベクトルがまるで違う。一方は送葬と祈りのための穴、一方は戦争へとひた走るための穴だ。

 今日は夏のような陽射しで暑かったが、坑道の中は涼しいを通り越して寒かった。良く見ると息が白かった。指定された見学コースを一通り見てそれだけで圧倒されたが、展示されている掲示を見るとなんとコースはほんの一部で、立ち入り禁止の向こうにはその何倍もの坑道が掘りめぐらされているのをだった。驚いた。もしかしたらこの坑道はあれから、そして今もずっと掘られ続けているのではないかと妄想した。

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カササギの歌

Photo  旅先で聞いた歌でその旅の思い出に耽るというのは良くあることかもしれないが、中国で特に音楽を聞かなかった僕等には、先日ここに貼り付けたシロガシラの鳴き声がその代りになっている。聞くたびに夫婦で「楽しかったねー。」と言い合っている。

 去年の今頃、自分の会社の別の現場で休憩時間に野鳥を見ることが一部の人に流行ったらしい。ちょうど自分の現場に鳥に凄く詳しい人がいて、皆、スマホで撮った写真を図鑑で調べ、分からないと彼に写メして聞いてた。その度その彼はちゃんと説明を返していて見事だと思った。

 古今東西、鳥を題材にした詩や歌謡というのはいっぱいあるが、僕が好きなのは「カササギの歌」。アメリカの詩人ゲイリー・スナイダーの詩(ナナオ・サカキ訳)に、飯能のグレイトフルデッド(と、ぼくが勝手に言っている)ひのこバンドのマスターが曲をつけたもの。僕が何度も聞いたのは下村さん&吉田ケンゴさんのバージョンだが、これはヒットソングになど決してならなくとも、色んなイヴェントや祭りでカヴァーされることがままあって、きっと自分の「心のヒットソング」にしている人は多い筈。この詩を昔、武蔵小金井でゲーリー自身の朗読で聞いたことがあるが、歌とは全く違う印象だった。逆にこれをこうした歌にした作曲者は凄いと思った。

 上述のシロガシラからの連想で思い立ち、さっきYouTubeで初めて!カササギの鳴き声を聞いた。この鳴き声が、最後のオリジナル・ビート二クス、ゲイリー・スナイダーにはこう聞こえるらしい。

 兄弟、心の色は 
 ほら 空の青 トルコ石ブルー

 ひのこバンドの「カササギの歌」はYouTubeにいくつかアップされているので聞いてみて下さい。誰かカヴァーしてCD化してくれないものか。

 

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めし

 連休明けから始まった新しい現場は京王線の多磨霊園駅至近。お昼を何処で食べようかと思案していると、作業員のUさんが良いところがあると言うのでついて行くことに。そして店を見た時、体に電気が走ったようになった。

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 ここは5年前に癌で他界した友人がその闘病中に、近くで仕事するような時があったら行け、と教えてくれた店。その時、わざわざ一度来て、この暖簾の写真をフェイスブックにアップして、元気になったら一緒に行こう、とやり取りしたのだった。すっかり忘れていた。

 メニューは日替わりランチがあるものの、種類豊富なおかずとご飯の組み合わせもOKで、それには味噌汁と冷ややっこが付く。ご飯は大=250円、中=200円、小=170円。ただし「中」と言ってもそれは普通の店の大盛りで、小で十分。今日、自分はサンマの開き(300円)と小ご飯で占めて470円の昼食だった。満足。自分も含めた汚れた格好の作業員数人と来たが、こういう事をしたがっていたな、晩年の彼は。今はもう腹が減らない事になってほくそ笑んでいるかもしれないが、生きてるこっちは三度三度めしを喰わなきゃならない。この現場は約2週間。いる間、通うことになりそう。

でも、やはり一度一緒に来たかった。

 ↓はこのお店の食べログの記事。

 https://tabelog.com/tokyo/A1326/A132602/13083123/dtlrvwlst/B194031746/?lid=unpickup_review

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シロガシラとクロウタドリ

 

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 先月行った重慶のホテルでは毎朝、鳥の鳴き声で目が覚めた。2階の部屋にいて窓の外には池と木があったのだが、そこに毎朝、羽根に黄色い筋の入った鳥が来て綺麗な声で鳴く。他にはまん丸の眼で愛嬌のある黒い鳥。

 何とか写真に撮って日本に帰ってから職場の鳥に詳しい人に見て貰うと、初めのはシロガシラというヒヨドリの仲間で、日本では主に沖縄とか南西諸島の方にしかいない鳥、後のはクロウタドリという、これも日本では旅鳥に属する中々珍しい鳥だとのこと。

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スズメみたいに普通にいたので気にしなかったが大きな移動をするとこいうことがあるのかと、そんな当たり前のことに驚いている。今朝も鳥の声で目が覚めたがこちらはいつものメンバー。だが気持ちがいい。でも間違ってシロガシラが来ないものかと毎朝外を確かめてしまう。

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