登洪崖洞

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 中国は重慶に行っていた。9か月振りに娘と再会、またスカイプ越しに言葉を交わしていた彼女の友人達に直接会えて楽しい時を過ごした。いい旅だった。中国、また行きたい。


 雨の重慶
 その雨後の筍は
 七十年の歳月を経て
 銀色のビルの竹林となった

 夕暮れに
 喜凌江と長江のほとりに出た僕らは
 輝く船を見つめ
 出逢いと再会を喜んだ
 赤子のようにたどたどしく
 互いのことばを
 教え合いながらー

 朽ちた寺院の瓦屋根
 地下鉄6号線
 力夫(クーリー)
  火鍋
 パイナップル売り

  「雨」からの解放を
  記念した
 碑(いしぶみ)の前の賑わい ※1 

 你是中国人吗?
 我是日本人。

 「雨」の国の人よ
  あなたは慈雨であれ
 その一滴も
 いつか大河になればこそ。

 白日依云  黄河入海流
 欲穷千里目 更上一层楼 ※2

 洪崖洞(ホンヤードン⦆の壁に
 恐竜のまぼろし ※3
 その階段を
 新しい人たちが上っていく
 それは
 千里を見はるかすためでなく
 只、今を楽しむため

 軽やかな足取りで
 一段一段

 確かな足取りで
 一段一段

 加油!加油!加油! ※4

            
                          2017.4.17
.

※1  日中戦争中の1938年2月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍は重慶に対し断続的に計218回におよぶ戦略爆撃を行った。解放碑(jiě fàng bēi)は1945年、抗日戦争に勝利したことを記念するため建てられたものである。

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※2 『唐詩選』 巻六 「登鸛鵲楼(かんじゃくろうにのぼる) 」 王 之渙

白日山に依りて尽き 黄河海に入りて流る
千里の目を窮(きわ)めんと欲し 更に上る一層の楼

【輝く夕日は】山の稜線にもたれかかるようにして沈み、黄河は【海に入ってもさらに流れる】。【千里の眺望を】見はるかしたいと思い、さらに【一階上の楼】へと上っていく。

※3 この地域はジュラ紀の地層が露出する世界でも屈指の恐竜化石の宝庫。写真は重慶自然科学博物館にて。

 

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※4  油を加える、でがんばれの意。中国語、面白い。

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加川良さん死去~駒沢あたりで

  

 加川良、と言う名前を初めて知ったのは吉田拓郎の「加川良の手紙」という曲だった。小学生の時。4つ上の兄のカセットテープから流れてきて面白い歌だなあ、と思った。

 今朝、早く起きすぎて眠れなくなって、拓郎に纏わる思い出話をここに書いたばかりだが、良さんの死を知って、今日、また上手く眠れるかどうか分からない。高校生の頃、いわきの「キネマ館」で、村上律さんと一緒のステージを何度見ただろう。打ち上げで「いわきでは冷やし中華にマヨネーズが付くんですよ!」と言ったら、「そんな気色悪いもン誰が喰いますかぁ!」と良さんが笑ったのを思い出す。

 後年、いつかのアースデイ、雨の中ライブを見ていたらビニール傘を貸してくれる人がいてなんと良さんと良さんの奥様だった。僕の事など覚えている筈もなかろうから、きっとそういう事が誰にでも自然にできる人だったのだろう。今日は朝から思い出話ばかり書くことになった。

 悲しい。ご冥福をお祈りします。

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1983年8月3日、夏休みだった。

 

 先日、「アジアの片隅で」についての小文を書いてから色々見ていたら、1981年8月3日の吉田拓郎の宮城スポーツセンターでのコンサートのセットリストを見つけて懐かしかった。

 高校生になったばかりのある日、拓郎のラジオを聞いていたら、「チケットを買ったが、行けなくなったので抽選で当たった人にあげる」という視聴者からのハガキを拓郎が読み上げた。それでダメ元で番組にハガキを送ると忘れた頃にチケットが届いたのだった。あの頃はまだガキでいわきから仙台までも一人で行くのは冒険だったっけ。拓郎は「アジア~」という硬派な傑作アルバムの後、その反動のように「無人島で」というポップな(C調な?)作品を発表して時期は丁度その頃。桑田と長淵の確執のようなことを良く聞くが、その二人のどちらにも影響を与えた人だけに、今セットリストを見ると確かに硬軟取り混ぜてある。それが拓郎の魅力だった。

 http://www.livefans.jp/events/258781

 動画はまさにその頃のラジオから。「サマータイムブルースが聞こえる」と「Y」。「サマータイム~」は正式に発表されたものと違うが自分はこっちの方が好きだった。ずっと昔のことですっかり忘れてしまい、学校さぼったのだったっけ??とずっと思っていたが、夏休みだったのだ。15才。オープニングも『夏休み』だった。

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東郷寺に行ってきた。

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 府中の東郷寺に行ってきた。ここの山門は黒澤明の映画『羅生門』のあのセットのモデルとなった事で有名。地元では桜の名所として知られる。あいにくの小雨交じりだったが春から新入学を控えた子供を連れ、若い母親たちが桜をバックにせっせと写真を撮っていてなかなか賑やかだった。

 映画は、平安時代、一人の男の遺体が見つかり、その真相を突き止めようとするうちに全く違う証言が三つ出揃い、第一発見者兼裁きの傍聴者だった杣売りと旅の法師が、人間の業の深さに恐れ慄くというは話。誰が何を隠し、誰が嘘をついているのか?

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原作は芥川龍之介の『藪の中』。真相が分からない時に"藪の中"という言い方はこの小説の題名から来ている。映画のラストは地獄からの抜け道として黒沢が用意した人間賛歌のようでもあるが、あの杣売り(志村喬)が本当にその後、言ったように生きるのか?と疑念の眼を向けるとまた世界はいきなり曠野と化す。フェイク・ニュースとオルタナティブ・ファクトの今見られるべき映画だと思う。

 東郷寺は日蓮宗の寺。例によって帰りに御朱印を貰った。天気が良い日にもう一度来たいと思った。

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アジアの片隅で

 異様な曲。12分46秒。岡本おさみ&吉田拓郎には70年代に綺羅星のような名曲群があるが、それとは一線を画する。発表はバブル前夜の1980年。藤原新也が『東京漂流』で"東京最後の野犬有明フェリータ"の死を告げる3年前のこと。故岡本おさみは目前に迫っているこうした得体のしれない時代と抗う歌を拓郎にもっと歌わせたかったようだが、この頃、新譜ジャーナル誌上での論争が引き金となって二人は絶縁する。

 岡本おさみが亡くなった時、自分は『世川行介放浪日記』なるブログの“岡本おさみ雑感”というカテゴリーの文章を全部読んで、アルバム『シャングリラ』収録の『いつか夜の雨が』が岡本&拓郎コンビの最後の歌・・という意見に大いにうなづいたが、この「アジアの片隅で」はその後に来る。これは巨大なピリオドなのか、それとも何かの始まりを告げようとしたものなのか。

 そしてもう一つは天才ギタリスト青山徹のこと。青山は80年代後半から90年代頃のコンピューターによる打ち込みが主流になった業界に自分の居場所はないとギターを置いて本当に伝説の人になってしまった。この曲の拓郎と青山のツィンのリードギターは『ホテル・カルフォルニア』のドン・フェルダーとジョー・ウォルシュのそれに匹敵すると言う文章をさっき読んだが、今聞いてもなるほど憤怒の声を上げているようで肌が泡立つ。

 拓郎の『人間なんて』を漫画『巨人の星』の大リーグボールに例えて“日本ロック1号”という友人がいるが、その言い方で行けばこれはその2号だろうか。拓郎はまだ3号を投げていない。が、歌のサビは“このままずっと生きていくのかと思うのだが・・・・”で終わっていて、それは3号は自分で投げろ、と言う事だろう。

 それにしても書かれてから30年以上経って曲のリアルさは日々増すばかり。岡本おさみ、恐るべし。青山徹、恐るべし、吉田拓郎、恐るべし。

 

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城巡り。鉢形城・川越城に行ってきた。

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 城巡りが好きになった。そこにはそれを目的としなければ決して降り立つことはなかったであろう駅や町を見ることも含まれる。城がどのような地の利を生かして作られたのかなどを見て、勝手に“うん、ここなら大丈夫だ・・・”などと思ったりする。

 少し前のことになるが3月末の連休中、埼玉県大里郡寄居町の鉢形城と川越市の川越城に行った。どちらも日本百名城の一つ。鉢形城がある寄居はつげ義春の漫画にでも出てきそうな辺鄙な(失礼、長閑な)ところで、城までの道すがら地元のお店は皆閉まっていた。休業日なのか、それとももうやっていないのか。そうした路地を太目の猫がのったり歩いていたりして、住む人の佳さを思わせた。城は深沢川と荒川の合流地点の断崖にあって堀や土塁がしっかり残っていて良かった。城跡から川を眺め、しばし陶然となる。

 その後、電車で移動して川越城へ。こちらはうって変わって観光地特有の賑わい。現存天守の城で江戸の頃を良く伝える。中に熊の黒毛を使って飾られた槍鞘があったが、不思議な形だと思った。

 写真は川越の蔵造りの街並にある「時の鐘」。作られたのは400年前だが度重なる火災で消失し現在は4代目とか。午前6時・正午・午後3時・午後6時の1日4回鳴るということ。教会の鐘で時を知らされるヨーロッパの街の暮らしに憧れるがこれもいい。ただ残念なことに時間が合わず鐘の音を聞けなかった。

 自分は年度末の慌ただしさから昨日ようやく解放されてほっと一息ついたところ。それでも日に四回の鐘だけの長閑さには程遠いが。この鐘の音を聞くためにもう一度出かけてもいいなどと思う。駅前でキノコ汁のうどんで酒を飲んだ。酒の銘柄は聞かなかったが美味かった。

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好きな詩集 「エルヴィスが死んだ日の夜」。

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 80年代は文化・経済の状況がアメリカの50年に似ていたためかビートジェネレーションの翻訳が多数出版されたが、結局、自分はあの時代の申し子なのだと思う。

 敬愛する詩人は故・諏訪優さんと中上哲夫さんだが、知っての通り諏訪さんはギンズバーグの翻訳家で、中上さんは主に80年代以降に出版されたケルアックの本の翻訳家だ(偶然、大学の先輩ということもある)。ある時、Book offの音楽関係の棚に題名が誤解されてそこに置かれたと思われる中上氏の詩集『エルヴィスが死んだ日の夜』を見つけ、立ち読みし動けなくなった。何故ならまるで自分のことが書いてある様だったから。  

 ビートジェネレーションというと黒ずくめの服装にサングラスでワインを燻らしながらジャズやロックをバックに詩を朗読する・・みたいにだけ思っている人がいるが、何よりもギンズバーグは害虫駆除の仕事をしていたのだし、ケルアックは鉄道関係の仕事をしていた。つまり日本でビート的に生きようとするならば土方(この言葉も今は自主規制の対象らしいので肉体労働者)になる他なく、事実そうしながら彼らは詩や小説を書いたのだ。そして中上氏の詩集『エルヴィスが死んだ日の夜』も、全く日々自分が目にするそうした風景が詠われている。例えば『生涯で最悪の日』という詩。
.
産業革命のときのイギリスの少年のような
実働十二時間の
寒風の中の立ち仕事
こんな日の夜
(A Hard Days Night)
ひとはいったいどのように振舞うのだろうか
うたた寝しながら郊外の
わが家にたどりついたわたしは
どんぶり飯をかっこむと
この詩を書いて
熱いシャワーも浴びずに
ベッドにもぐりこんだのだった

.
 他にも『二十世紀最後の夏はこんな仕事をした』や『現場監督見習いをしたことがある』などの詩。どちらもリアル。

 表題『エルヴィスが死んだ日の夜』の過ごし方は読むと自分がチャック・ベリーが死んだ日の過ごし方と同じで、それで余計にこの詩集に親近感が沸くのかもしれない。

 そう言えばあの日見た映画でエルヴィスの歌は重要なモチーフになっていたっけ。好きなLPを紹介するように好きな詩集を挙げろと言うなら、僕は諏訪優の『太宰治の墓 その他の詩篇』と中上哲夫の『エルヴィスが死んだ日の夜』を挙げるだろう。路上派と(というものがあるらしい)言われる二人。

 美は路上にあり、ということか。 

 この詩評が素晴らしい。
 http://www.interq.or.jp/sun/raintree/rain28/elvis.html

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『牯嶺街少年殺人事件』を見た。

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 今週はこの映画を見逃さない事だけを心掛けて生きていた。3時間56分、トイレに立ちたくないので(途中休憩無しの上映なので)、朝から水分と食事を控え気合を入れて出かけたが、
上映後、映画館から出た時は、映画に打ちのめされたのか腹が減り過ぎたののか良く分からないような状態でフラフラ。“見た”というより、60年代の台湾の明るい光と暗闇、そしてその中を蠢く不良少年たちの抗争と、映画史に残ると言われるファムファタールとの純愛を“体験”したという感じ。

 明後日、二十日にはこの映画を愛してやまない坂本龍一氏個人所有のスピーカーによる爆音上映というのがあって、本当はそれに行きたかったがチケットは早々とソールドアウト。こんなに静かな映画なのに爆音上映?と思いきやこの映画は音響の臨場感が凄い。それだときっと"体験"の深度がさらに増すのだろうと納得。

 パンフレットに故エドワード・ヤン監督の生前の文章があるがそれが感動的だ。以下、一部抜粋。

 「歴史の授業で教えられることに私が不信をぬぐえないのは、自分が個人的に体験したことが歴史には記録されていないからだ。1950年代というかなり近い過去ですらそうなのだ。<中略>幸いなことに、過去の偉大な精神が、芸術、建築、音楽、文学等々の形で残してくれた鍵のおかげで、将来の世代はどうにか真実を再構成し、人類への信頼を取り戻すことが出来る。映画もまた、将来の世代のために、同じ目的で奉仕されなければならない。」 エドワード・ヤン 1991年6月

 権利関係のもつれで最初の上映以後、DVD化もされず、スクリーンでの上映も叶わなかった伝説の傑作だが、上記の監督の文章によれば制作時、スタッフの60%。キャストの75%がこの映画でデヴューを飾る言わば素人だったとか。その無垢と熱狂。出来れば若い人に見て欲しい、と思った。今、人生の時間の中の3時間56分に『牯嶺街(ク―リンチェ)少年殺人事件』の焼印がある。まだ、じゅーっと音がしてモワ~ンと煙が上がってる状態。ボーイ・ソプラノのプレスリーが耳を離れない。切ない。

     http://www.bitters.co.jp/abrightersummerday/

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2017年 あけましておめでとうございます。

 あけましておめでとうございます。年末に断食して、その明けに食べた食パンとホットミルクが物凄く美味かった。その後は徐々に戻し、大晦日・年明けの馳走、おせち、と相成ったが、胃が小さくなり吸収が良くなったのか少しで満腹。また意識して方々出掛けるようにもしていたので良く歩いて体重が減った。正月にこんなことは初めて。

 写真は初日の出。初富士を撮ろうと元旦の朝、平山橋の上に行ったら丁度日の出の時間で、拝もうと子供たちが集まっていた。それでパチリ。

 初夢は何か見たのかだけ分かっていて覚えていないのは例年通り。去年は緊急でIMRを受けたりしていたが、今年は体調も良く、おまけに暖かくて良い正月。さて、今日は何処に出掛けようか。

 皆さん、今年も宜しくお願いします。

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Merry Christmas~スティングの「I saw three ships」

Merry Christmas!

 

       三隻の船がやってくる
       クリスマスの日に クリスマスの日に
       三隻の船がやってくる
       クリスマスの日の朝に

       三隻の船に誰が乗ってる?
       クリスマスの日に クリスマスの日に
       三隻の船に誰が乗ってる?
       クリスマスの日の朝に

       イエス・キリストと聖母マリア様
       クリスマスの日に クリスマスの日に
       イエス・キリストと聖母マリア様
       クリスマスの日の朝に

       三隻の船はどこにいくのか
       クリスマスの日に クリスマスの日に
       三隻の船はどこにいくのか
       クリスマスの日の朝に

       ベツレヘムへ行った
       クリスマスの日に クリスマスの日に
       ベツレヘムへ行った
       クリスマスの日の朝に

       地上に鐘が鳴り響く
       クリスマスの日に クリスマスの日に
       地上に鐘が鳴り響く
       クリスマスの日の朝に

       天国の御使い歌い出す
       クリスマスの日に クリスマスの日に
       天国の御使い歌い出す
       クリスマスの日の朝に

       地上の民が歌い出す
       クリスマスの日に クリスマスの日に
       地上の民が歌い出す
       クリスマスの日の朝に

       我らは喜びにあふれて
       クリスマスの日に クリスマスの日に
       我らは喜びにあふれて
       クリスマスの日の朝に

   


(ブログ「ハッピークリスマス!クリスマスソング特集」より )

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31度目の歌舞伎 「あらしのよるに」

 

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 十二月大歌舞伎・第1部「あらしのよるに」を見た。ちゃんと歌舞伎になっていることに驚く。自分はずっとこの物語の最終話は「ふぶきのあした」で良いと思っていたが(自分が見たNHK「母と子のテレビ絵本」放送時(2003年)にはまだこれが最終話だった)、今日、初めてその後の話、「まんげつのよるに」があって良かったと思った。でなければこういう歌舞伎にならなかったろうから。がぶ=獅童、めい=松也、ぎろ=中車ほか。

 狼と山羊の禁断の友情物語。許されない愛を生きる男女、民族や宗教の壁を越えて生きようとする人々・・・様々な状況を重ねて見ることが出来るが、内向化、非寛容化が進む今を顧みてテーマはとても現代的だ。そして、ちょっと近松っぽく感じらる部分もあってそれは発見だった。きっと何度も再演され、その度、改良、改変がされ歌舞伎の演目としても定番ということになっていくのだろうと思う。ところで上記のテレビ放送時、がぶの声=中村獅童ばかり記憶に残っていたが、めいの声は成宮寛貴!だったんだよなぁ。

 笑えて、泣けて良い芝居。また見たい。ぎろ役の中車も怖くてしびれました。写真は歌舞伎座下、東銀座駅・木挽町広場の売り場に飾られたがぶの手ぬぐい。留学中の娘に贈るのに買った。

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スティングのニューアルバム

Photo_5  最近、スティングのニューアルバムばかり聞いている。聞いて『ダブルファンタジー』の頃にジョン・レノンが、"ロックンロールなんて俳句みたいに簡単だ、定型があるのだからそれにただ自分の想いを乗せて歌えば良いのだ" みたいに言っていたのを思い出した。何かが吹っ切れたかのように瑞々しいのだが、これには過去の焼き直し、手慣れ云々・・・という批判も当然あるようで、それも分かる。ただ何が歌われているのか?と歌詞を見たら、それぞれの曲がシンプルなポップソングのようでいて今の世界で起きている事に対するメッセージが様々に込められている。こういう彼は久しぶり。やはりかっこいい。

 故ボウイ、故プリンス等、急逝した同業者について歌われた「50000」、地球温暖化の問題について言及した「Fine day」、ボートで海を渡る難民たちを歌った「インシャラ」、2014年にシリアで殺害されたフォトジャーナリスト、ジェイムス・フォーリーのドキュメンタリー映画「ジム」のエンドタトルとして使われた「ジ・エンプティ・チェア」等等、かつて「ラシアンズ」や「They dance alone」を歌ったスティング節は健在だ。さる11月13日にパリ同時多発テロの現場となったバタクラン劇場再開の杮落しとして行われた彼のライブでは先行シングルになった「I can't stop thinking about you」の“you”が犠牲者たちに捧げられていた。

 ポリスの頃はまあまあ、ソロになってすぐの頃が一番好きで、その後はあまり感情移入できなくなっていたが、ここにきて点が繋がって線になったようにスティング熱が再燃。ロックミュージックを聞くことがノスタルジー交じりの、やや予定調和なものになりかけていたのを思わぬ人から思い切り正された感じ。今、この新作のプロモーションで来日しているみたいだが、来年6月には日本公演が予定されているとのことで楽しみ。それまでに聞いていなかった過去何作かも遡って聞いてみよう、などと思っているところ。

   

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ブログ10年目。

 このブログを始めて先日28日で10年立ちました。これからも宜しくお願いします。写真は先日行った八王子・滝山城址にて。城めぐり企画中です。

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映画「弁護人」を見た。

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 韓国人(特に若い人)が"パボノムヒョン(バカ盧武鉉)"と言う時は僕らには分からない親しみと哀惜の念が込められているらしい。貧しい農家に生まれ、高卒で、工事現場などで働きながら自力で司法試験に合格し、初めは金もうけ主義の、後に軍事政下で不当な暴力に苦しむ人々を助ける人権派弁護士へと生まれ変わり、ついには大統領まで上り詰めた人。そして多くの人に愛されながら悲劇的な最後(自死)を遂げた人。

 昨日の夕刊に先週見た「湾生回家」の黄銘正監督のインタヴューが出ていたが、その隣に大好きなソン・ガンホのインタヴューもあり、読んで早速、今日、映画「弁護人」を見てきた。映画の主人公のモデルはその弁護士時代の若き盧武鉉。実際に起きた事件を材に取り、ただの男が国家権力と闘うに至る過程とそのラストを見て、自分は現在起きている朴槿恵退陣を求める100万人デモの核にあるものを見たような気がした。

 http://www.huffingtonpost.jp/sungmin-kim/counsel-movie_b_13039290.html

 残念だったのは本日は以前フォークシンガー中川五郎さんから教えて貰った本「九月、東京の路上で」の著者加藤直樹さんのトークショーがあったが満員で見る回が違ってしまい、その場にいるのに見れなかったこと。本当に残念。

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映画「湾生回家(わんせいかいか)」を見た。

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 わが父方の一族は台湾からの引き上げで、いわゆる「湾生(わんせい)」。夏に族長的な伯父が亡くなったのを機にこの秋は、数年不義理をしてしまっていた伯母二人と再会したが、そこでも二人から聞かされたのはかつての台湾での暮らしのこと。小さい頃から亡き父から何度も聞いた話もあれば初めて聞く話もあった。

 今日見た映画「湾生回家(わんせいかいか)」はこの「湾生」たち数人の人生を追ったドキュメンタリー。

http://www.wansei.com/index.html

 本日が日本公開初日とあって台北駐日経済文化代表処・駐日代表や出演者の舞台挨拶などがあった。会場の年齢層は幅広く、上映途中、会場内は年齢問わずすすり泣く声が聞こえていた(僕も涙腺決壊)。そしてこの傑作を台湾と日本の若いスタッフが作り上げたことに先々への希望を感じた。

 僕は先週末、伯父の遺品を整理していたら出てきたと言う古い写真をいわきの伯母から川崎の伯母へ渡すのを買って出たばかり。今度伯母にあったら住んでいたのは台湾のどのへんなのか、地図でも手に入れて詳しく聞いて来ようと思う。一度行かなければと思う。

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新六角堂のガラス

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 先週末、仙台ーいわき間の小旅行の帰路、北茨城・五浦の六角堂へ行った。何度も出かけている場所だが、2001年3月11日に津波で消失した後に復興された「新六角堂」を近くで見るのは初めてだった。新しい六角堂は復興時の調査で明らかになったことが盛り込まれていて良かった。遺跡の発掘現場では場合により「壊さなければ分からないよ。。」という言い方をする事があるが、文化財が被災した際、平時だったら決して知り得ないことが分かることがある。熊本城の石垣しかり、この六角堂しかり。新生六角堂は被災の記憶も含めた新たな遺産となっていた。

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 天心自筆の棟札には「六角堂観瀾亭」と明記されており、「瀾」とは「波」で、それは「波を見るあずまや」との意味だとか。“天心は波に永遠性と絶え間ない変化を同時に認め、宇宙の本質と考えていた”と、現地の案内板にあった。建設時の「円筒法」でつくられたガラスは屈折が生じ、ガラス越しの景色が曲がって見えるのだが、新六角堂にもそれが使われていて凪いだ海でも波が生じているような効果が楽しめる。写真で分かるだろうか。

 周辺は震災前よりも様々に整備されていて他にも見どころはたくさんあるようだったが、時間が無くて見れなかった。今までも何度も来た場所だが、これからも何度も来ようと思った。

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  http://rokkakudo.izura.ibaraki.ac.jp/attraction

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枯葉とウィスキー ニッカ・宮城峡蒸留所にて

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       ウィスキー色の枯葉と
             
 枯葉色のウィスキー
             
 その琥珀の光は
               
命を謳歌したことの
             
 証に思え
             
 秋の夕日に
             
 どちらともなく
             
 かざしてみる
.
             
 おいしい水割りの作り方は
             
 ウィスキー1に水が2
             
 それに氷を3個だと
             
 美女が教えてくれたが
             
 でもこれは
               
先人たちの夢
             
 夢を水で
             
 割るわけにはいかない
.
             
 枯葉のように
             
 夕日が落ちる
             
 ウィスキーが落下する
             
 喉から胃へ
             
 胃から血液へ
             
 血液は脳へと巡り やがて
               
Premiumな夢を
             
 旅人にもたらす
.
             
 そして またしても
             
 枯葉色のウィスキー
             
 そういえば
             
 水がきれいな土地では
             
 太陽も
             
 ウィスキーの色をしているな

                     2016.11.5


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カザフの歳三

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 重慶に留学中の娘のルームメイトIさんはカザフスタン人で大の土方歳三ファンだとか。何故?思いつくのはアニメ「薄桜鬼」だが、来週末、今度は息子が妹に会いに重慶に行くのでお土産にフィギアでも授けようと思ってスカイプで聞くと、欲しいのはリアル土方の写真だとのこと。

 なんでもIさんは子供の頃から独学で日本語と日本文化を勉強していて、土方もその過程で知りずっと好きだったのだと言う。日本人が少ない重慶に日本人が来たと知り、ルームメイトになるのを申し出てたら、相手が日野出身たと知り大喜びだったとか。娘も初めてやったアルバイトがお土産物屋で「歳三まんじゅう」を売ることだった、と自己紹介したという。

 そんなこともあって先日、普段行かない高幡不動前の土産物屋「池田屋」に行って色々とグッズを見たりした。こんなもので良いのか?と思い昨日スカイプ越しに土方の写真・絵葉書を見せたら歓声が上がっていた。なんか不思議な気持ち。

 スカイプの向こうの娘はかなり中国語が話せるようになっていて、近くに誰かいると通訳して会話に混ぜてくれ、それがとても楽しい。色々な国の人がいて飛び交う言葉は中国語の他に英語、韓国語、カザフ語等々だが、昨日、何故か僕が話す日本語を聞いてカザフ語に聞こえると言われ、幾つか単語を教えてもらい口にするとウケしていた。娘を重慶に一人で旅立たたせてしばらく不安に付きまとわれていたが、最近、そんな様子を見てやっと少し安心したところ。歳三、守ってくれたのか。

 一番上の写真は娘が送ってくれたもの。例の硝子の橋か。今週末、訪中する兄を何処に連れて行こうかと娘&友人たちがスカイプの中で色々と思案していた。羨ましい。ダバイ!(カザフ語でCome on!のような意味?)と言われたが、ぼくは来年。 

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ドンブラ

 娘からのスカイプのメールにドンブラという楽器が出てきました。調べるとカザフスタンの二弦の弦楽器。それでちょっと聞いてみました。楽しくやっているようです。

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https://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%82%B6%E3%83%95%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD-%E6%B0%91%E6%97%8F%E9%9F%B3%E6%A5%BD/dp/B0017GSG6G

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ブルーにこんがらがって

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 双子なのでいわきに行くと時々弟と間違われる。なんとなくやり過ごすのだけど、先日、映画「君の名は。」を見た時、はたと思い立って慄然とした。それらの人たち、実は間違えたんじゃなくて本当に僕自身に何かを伝えようとしていた人たちなんじゃないかと?思って。

 そして映画を見終わってしばらくたって脳内に流れたのはジョン・レノンの「リメンバー」とディランの「ブルーにこんがらがって」。

 特に「ブルーにこんがらがって」だが、一頃ディランは大学で絵を学んでいて、同じ平面上にあらゆる時間を盛り込める絵画表現に感心し、歌でもこれができないか?と書いたのがこの曲とか。実際は不可能なのだが、その代わり物語は時系列に進まず、バラバラに分割して切り貼りされる。タランティーノの「パルプフィクション」やイニャリトゥの「バードマン」のようなあれ。それと「君の名は。」。そう言えばディランは自伝もこの手法で書いている。

 現在、スェーデンアカデミーが彼に連絡が取れなくて困っているらしいが、理由が“違う時空に行っていたから”だったら可笑しいな。

 「ブルーにこんがらがって」の“ブルー”って時間のことではないだろうか。あなたも、もし見知らぬ人に声をかけられたら、その人、未来のノーベル賞受賞者かもしれないですよ。

 写真は「ブルーにこんがらがって」が収録されている「血の轍(Blood on the tracks) 1975」の裏ジャケット。最初に聞く人には自分ならこれを勧める。

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Skypeを待つあいだ

 

          Skypeを待つあいだ
          火山が噴火した
          遠い国にいる君も
          この国にいる僕も
          その音を聞かなかった

          Skypeを待つあいだ
          ウィリアム・ブレイクを読んだ
          正確には
          ブレイクについて書かれた
          本を読んだ
          「想像は吾が世界である」と
          神秘的な詩人は言った

          Skypeを待つあいだ
          時差について考えた
          ディスプレイに映った君は
          ほんとうに君だろうか?
          あの光を放つ星さえ
          遥か昔に
          消滅している
                かもしれないのに

          Skypeを待つあいだ
          「イマジン」を聞いた
          通信技術の進歩で
          世界が小さくなり
          陸から溢れた人たちが
          ボートを漕いで
        海を渡り始めた
      
                Skypeを待つあいだ
                深呼吸し コーヒーを飲んだ
          ヨガのテキストを見て瞑想した
          世界は
          僕の想像ではなかった

          Skypeを待つあいだ
          テレビの中で
          少女が雨に打たれていた
          爆弾が爆発し
          兵士が銃をかまえていた

          Skypeを待つあいだ
          棺が運ばれ
          何処かで子供が生まれた

          Skypeを待つあいだ
          何語で語り掛けるべきか
       言葉を探していた    

          Skypeを待つあいだ
          君が恋をした

          Skypeを待つあいだ
          世界は
          Skypeを待つあいだ、だった

        Answer.

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「母をお願い」を読んだ。

 世界30カ国以上で翻訳されたという韓国の大ベストセラー小説「母をお願いー엄마를 부탁해(オンマルプタケ)、英題 Please Look After Mom 」申京淑著ーを読んだ。息子を訪ねる途中のソウル駅で行方不明になった母を探す家族の物語。第一章は作者自身を投影したと思われる長女の、第二章がこの母が誰よりも宝物のように育てたという長男の、第三章は決して褒められた亭主ではなかった父の・・・というように、各章ごと様々に視点が入れ替わり母への追想が語られる中、遂には誰も知らなかった母の秘密やもう一つの人生が明らかになっていく。

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 ドラマチックな構成もさることながら、貧しさゆえ字の読み書きもできず、ただただ自らが育てた野菜や家畜で子供たちを愛し抜き、そのため時には子供達からさえ鬱陶しいがられ、蔑みの眼ですら見られてしまうこともあったこの母の描写と、子供たちの後悔を含む小さなエピソードのそれぞれにすっかり泣かされた。圧巻の最終章では誰もが母と再会する(この小説の、と言うのではなく)仕掛けにも驚いた。

 作者申京淑は去年、三島由紀夫の「憂国」を盗作したとの問題で大騒ぎになったが、事の真偽はさておき、自分はこの作家の代表作「離れ部屋」を読んで以来のファン。騒動の顛末として、本国で文学賞の審査委員辞退、作家活動自粛ということになってしまったが、僕はもっと彼女の小説を読みたい。

 読書の秋、また韓国の小説ってどんなだろ?という興味からでも是非。母親との関係に悩む人、もう故人の人、どちらにもお勧めです。自分もこれを読んで、この彼岸、亡き母に再会した。

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I saw the Light

         

     眩しさから
     目を逸らすことがことができない
     胸の高鳴りを
     抑えようとして苦しい
          
     その時 レゴは瞬時に組みあがる
           その時 風景は初めて色を得る

     まるで 
     音楽が奏でられる前の静寂
     まるで
     弦を調律する微かな響き
     
     あの人の
     たわいのない仕草の一つ一つが
     何かの合図のように
     乱反射して
     見えるのは 何故

     眩しさから
     目を逸らすことがことができない
     禁じられても
     太陽を凝視する
     子供のように

     未来から呼ぶ声がする
     
     偶然を
     運命に変えようとして
     今 広場の彫刻が
     眩しさに向かって歩き始める

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加油!

 今日、娘が留学のため中国の重慶に旅立った。ほとんど言葉の通じない場所に一人きりで行って、勉強しながら一年を暮らすなどと言う経験が自分にはないので、旅立ちに際してもアドヴァイ スらしいことは何も言えなかった。こう言う場合どの親もそうだと思うが、願いと言えば心身ともに健康で無事に帰ってきて欲しいという、ただそれだけ。

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 先月、娘が山形に行っている間に、娘の友人達が秘密裏に寄せ書きをしてくれていて、それを搭乗直前にサプライズで渡す。このために朝四時に起きて七時に成田まで来てくれた N・Fくんに感謝。姿が見えなくなるまで僕ら夫婦は見つめていたが、ゲートを通過したら娘はもう一度も振り返らなかった。かっこよかった。

 ぼくも勧められた寄せ書きには娘の後押しで始めた韓国語で"셰상은아름답다(セサンウンアルムタプタ)"と書いた。中国はTwitterも Facebookもダメなのでやりとりは手紙でしょうと約束したが、どんな手紙が貰えるだろう?どんな手紙を書こうか。上のハングルの意味はその時に教え るつもり。写真は前日入りした成田のホテルから撮った今朝の空。加油!(これは中国語)。

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没後20年特別展 星野道夫の旅~あなたは私の家にいることができます。

Photo  
 銀座で「没後20年特別展 星野道夫の旅」を見た。

 http://www.asahi.com/event/hoshino20/

入ってすぐのところのガラスケースに古い雑誌と二通の手紙が展示されていた。解説文を読むとそれは1969年刊のナショナルジオグラフィックの写真集「Alaska」と、星野道夫がある人と交わした手紙。

 若き日、神田の洋書屋でその雑誌の中の「ベーリング海峡と北海がぶつかる海域に浮かぶ小さな島」という空撮された写真を見て、こんなところにも人の暮らしがあるのか・・・と驚いた星野青年は手紙を書く。宛先はその島のシシュマレフ村の村長。「仕事はなんでもしますのでどこかの家においてもらえないでしょうか?」との内容だったとか。それから半年後、村長から手紙が届く。「夏ごろに来れば良いでしょう。あなたは私の家にいることができます。」

 展示されていたのはその道夫が見て衝撃を受けたという雑誌の見開きページと、その往復書簡だった。まだ何者でもない星野青年が丁寧なゴチック体で綴ったエアメールには日本の50円切手が貼って在って消印は1973.12.18となっていた。宛先にThe mayor Shishmaref  Alaska USA" ”とだけ書かれた封筒。村長の手紙は未知の青年を気遣うようなきれいな筆記体で書かれていた。

 この手紙のやり取りから星野道夫の旅が始まる。

 その後の展示では信じられないようなアラスカの自然と動物とネイティブの人々の暮らし、そしてその神話世界の写真が目に雪崩れ込んできて、しばらくその場を離れたく無い気持ちになった。愛用していたカメラも展示されていてニコンFE/ニッコール24mm F2.8とアサヒペンタックス6×7 タクマ105mm F2.4。それと愛用のカヤック。

 そして最後まで見て思ったのはやはり最初の雑誌と2通の手紙の事だ。人の旅(人生を旅というならまさに旅)が何をきっかけに始まるのか。星野の凄い写真を数々見た後でとても不思議な気持ちなった。“あなたは私の家にいることができます”。もう思い出せないが、ネットのない手紙の時代には、何かを待ったり、受け入れたり、またその間にゆっくりと気持ちを育てたりするような、世界にはまだゆとりがあったという事なのか。

 写真は勿論の事、あの二通の手紙が今も大切に保管されていることに強い感動を覚えた。

 展示は銀座松屋で9月5日まで。

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暑中お見舞い申し上げます。

 暑中見舞い申し上げます。

 毎朝、会社の朝顔が幾つ花開いているのかを楽しみに出かけます。作ってもらった弁当にどうしてももう一品付け加えたい喰い意地の張った自分の最近の楽しみは、現場前のオリジン弁当のお惣菜を昼ごとに100g(大体200円前後)買って、メニューを完全制覇することです。いよいよ明日達成されます。レジのおばさんが優しい。エビ&イカチリソースが絶品です。

 去年末からだいたい府中にいて小さい現場をこなしてきましたが、6月末から市新庁舎建て替えに伴う調査をしています。もしかしたらしばらくここにいることになるかもしれません。府中は自分がこの仕事を始めた場所でして密かに縁を感じています。

 去年の今頃は赤羽にいて、その現場はエレファントカシマシのメンバーの母校を解体するそばから掘り始めるという内容で、しかも発生する残土の置き場がリーダーの元家の跡・・・ということもあり、結局、夏中彼らの歌を聞いて過ごしました。

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 赤羽台団地は元旧陸軍の被服本省があった場所なので、その煉瓦造りの基礎を掘りだしただけでかの時代に逆戻りしたようでしたが、防空壕と思しき遺構の中に細長い楕円の硝子に何らかの液体が入っている物体を見つけ、すわっ火炎瓶か?と思ったら、全く違ってそれは「消火弾」というものでした。空襲などで周りが火の海になったら投げ込むようにと防空壕に備えられていて、それが起き去られたものなのかもしれません。それと缶に入った8mmフィルムが出てきたっけ。

 先週の日曜日、いつも行くラーメン屋に携帯を忘れ、気が付いて取りに行くと店は閉店で“月・火は休み”の貼り紙がしてありました。つまり週の初めの二日間、ぼくは携帯を持たずにいたわけで、それは落ち着かないような気楽なような、何とも言えない妙な気分でした。あの小さな機械がないだけで少し自由になれたような・・・その二日間、現場至近の神社には例の新しいゲームをする人々が鈴なりで、ガラケーユーザーでそれさえ不所持の自分の小さな無頼心がくすぐられたりしましたが、思えば我が細君は未だ携帯すら使わない人。彼女が日頃、何を疎んじてそんな風に暮らしているのか少しだけ分かった気がしました。

 携帯は水曜日に取りに行くと無事にありほっとしましたが、十年通って初めて無口な店主と言葉を交わしました。人間万事塞翁が馬。因みにそのラーメン屋には電話がありません。上には上がいるものです。

 今年はお盆休みもなさそうです。あんなに一生が夏休みだったら・・・としきりに夢見ていた頃が嘘のように、時々、仕事していた方が楽だと思う自分がいます。やっと大人になったのか、ある部分が怠惰になったのか・・・良く分かりませんが。

 毎年のことですが今年の夏も暑くなりそうです。謙虚に見せようとかなんとかそんな下心抜きに、マジにこの季節は一日一日を生きている感じがします。昨日は水を1リットル飲みました。塩飴が欠かせません。皆さんもご自愛下さい。

 ところであの8mmには何が映っていたのでしょうか。今度、聞いてみようと思います。

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The letter

 

 昨日、懐かしい人に電話した。懐かしい声が耳元に広がって、声が少し震えていた。それを聞いてぼくの声も少し震えてしまった。

「何度か手紙を書いたけど、いつも戻ってきてしまったの。」と、代わった妻にその人は言ったという。知らなかった。自分たちが、昔あんなに世話になったその人に、そんな存在になってしまっていたなんて。

 仕事はどう?
 子供は大きくなった?
 普通が一番よ。

 私、パソコンはやらないから、と前に会った時に言っていたっけ。「スマホ」どころじゃなくて「パソコン」。ぼくらに書いて戻ってきたという手紙には何が書いてあったのだろう?そしてその手紙を前にしてその人がどんな思いでいたのか。

「今年は今の住所をちゃんと書いて年賀状を送るね。」と妻が言った後、少し会話して受話器を置いた。会わ(え)なかった時間の全部が、ありきたりな言葉と声に含まれていた。

 今日は空も鳥も木の葉も公園のベンチも、みんなその届かなかった手紙の中の言葉に見えた。思えた。そんなに遠くない昔、世界はそんな言葉で出来ていたのだ。

 昨日、その声は
  ぼくにその事を教えてくれた。

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Momento Magico

Photo  娘が九月に重慶に留学してしまう前に、ということで、昨夜、家族プラスぼくの韓国語の先生を交え食事した。場所は日野駅前の「ホンガネ」。先生は娘の友人でソウルからの留学生。

 「ホンガネ」という店名は"洪さんの家"の意で、彼女(以下、선생님(ソンセンニン)=先生)の苗字も「洪=ホン」さんなので、一度一緒に・・・と前から話していたのだ。日本に在る韓国料理店は何処も日本人に合わせてあるので生粋のソウルサランである선생님(ソンセンニン)の舌に合うかどうかちょっと心配だったが、満足してくれたようだ。さすがオモニ。どれも美味しかった。http://www.honggane-hino.com/

 昨日の食事中、「オリエンタルラジオの「パーフェクトヒューマン」はPSYの「カンナムスタイル」のパクリではないか」という話になった。言ったのは娘。韓国の歌手PSYの「カンナムスタイル」は世界の動画再生回数1位になった曲で、ちょっとしたリップサービスも含んだ発言だったと思うが、我が선생님(ソンセンニン)はPSYが嫌い。あれやいわゆるK-POPのようなものが世界中に広まり、韓国の音楽があれだけと思われるのは心外だ、のような感想を선생님(ソンセンニン)は述べた。「ナ・ユンソンは?」と聞くと「彼女のような人がもっと知られるようになってくれればいいと思います」と、선생님(ソンセンニン)は言った。

 以前、トム・ウェイツの「Jockey Full Of Bourbon」の凄いカヴァーをYouYubeで見つけて以来、ずっと聞いているナ・ユンソン(나윤선)。冬季ソチオリンピックの閉会式に彼女は登場したがその歌声は日本では無視されていた(と思う)。

 ↓はヨーロッパを一撃した彼女の「Moment Magico」。

   https://youtu.be/43OO1AQvIuM<

 この曲を聞くたびにJazzyなメロディーの中、彼女の声にパンソリ(韓国の民族歌謡)の響きのようなものを勝手に感じてしまい、「アジアの同胞」(古い言葉)としては、自然、嬉しくなってしまう。ケルアックの伴奏者だったデヴィッド・アムラムの言葉の幾つかを思い出す。

 昨夜の東京は蒸し暑かったが皆で相談してプデチゲ(部隊鍋)を食べた。汗をかいて外に出ると生ぬるいはずの風が一瞬、涼しく感じた。Momento Magico!楽しい、佳い夜だった。

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いわきculbSONICで仲井戸麗市を見た。

 昨夜、いわきのculbSONICで仲井戸麗市を見た。66才の「少年」だった。ルート66。昨日、彼のステージを見ながら、自分はその昔、目の前 にいる少年のような彼のその「少年期」に憧れていたのではないか?と、そう思った。60Sの新宿。風と月のカフェ。ビートルズ武道館公演。押し寄せるブリ ティッシュ・インヴェイジョン。そして、そんな日々の中でのバンド活動。「新譜ジャーナル」を見ながら一緒に彼のポーズを真似ていた地方都市の同志が経営す るハコで見た仲井戸麗市は、しかし、すっかりおじさんになり始めている自分を尻目に"強靭な少年"だった。

 少年期は牢獄だ。居心地良さが骨身に染みているくせに、何時の頃から誰もが「大人」になるためにそこからの逃走を試みる。区画整理予定地の荒地に建てら れたプレハブの飯場。石巻の元漁師だった出稼ぎ親父たちの、夜ごとの猥歌をイヤフォンで耳塞ぎながら、かび臭い布団にくるまりカセットテープでガブのみに 聴いたのは、彼の1stソロアルバム収録の「One night blues」。少年はどんなに逃げても必ずもう一人の自分にとっ捕まり連れ戻される。何時の頃から自分にとっての少年期とは、ドジで、ヘマで、無力で、鬱陶しい時代の代名詞になってしまった。アントワーヌ、大人は判ってくれない。

 

 昨日も66才の「少年」は囚人だった。ブルースとロックンロールの囚人。だが、何処にも行けない、逃れられないという常日頃の自分の思いに対し、彼 は、そこにいればいい、それでいい、と告げていた。SEは「What wonderful world」と「EVERYTHING'S GONNA BE ALRIGHT」。いつまでも踊っていたかった。

 深夜のハイウェイ。空で風の道を雲が歩いてた。太平洋の暗い水のうねりが少女の影を砂にして崩していた。防波堤の長いベッドにかつての自分が寝転んでい るのを見た。5秒毎に走る灯台の光と密漁船の幻。ボトルネックのギターの響きが脳みそをビブラートして助手席の眠りを妨げる。蒸し暑い夜のボンネットとそ れにへばりつく蛾。リポD片手のインスタントなサマーツアーの、夢のカーステレオから流れるのは「The仲井戸麗市 book」。

 昨日、いわきに仲井戸麗市がいた。
 
 少年は永遠に夏を生きている。

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宇多田ヒカルの「花束を君に」

 毎朝見ているNHK朝ドラ「とと姉ちゃん」。宇多田ヒカルが歌うその主題歌が彼女の母・故藤圭子へのレクイエムだと最近気づいた。(世間の人には自明のことなのだろうか?だとしたら不覚)。テレビではワンコーラスしかやらないが通して聞くとその伝わり方が凄い。

 http://pvfull.com/utadahikaru/to-you-a-bouquet-of-flowers

M_utadahikaru02torend
 宇多田ママの、そのデヴューに至るまでの壮絶な生い立ちとか全盛期の頃の様子とかは知らない。ただ子供の頃、家にアニソンのオムニバスアルバムがあり 「明日のジョー」や「巨人の星」等の歌に混ざって「さすらいの太陽」なるアニメの歌も収められており、その主人公は藤圭子をモデルとしていた。(それも後 年知ったのだが)。とにかくここではそのようなアニメが作られるほどママは空前絶後な人だったとだけ覚えておきたい。

 そして特定の故人に向けられて書かれた歌にせよ、それが普遍的な鎮魂歌になっているところは娘もさすが。加えてこの歌をさりげなく毎朝流しているNHK にも拍手。ここ数年起きたことを思えば、一見、日常にすっかり溶け込んでいる風のこのメメントモリな朝を自分は嫌いではない。

 「花束を君に」の「君」はかつての日本・・・・というよう風に自分は聴いた。それは貧しさの中を誰もが生きていた父母の日本。そして稀代の天才ポップ・クリエイターの中にその風景がしっかりと受け継がれていることを確認できて、毎朝密かな喜びを覚える。

 ・・・・と、昨日この小文を書いたが、今日は祖母の命日。合掌。

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«The poet speaks ギンズバーグへのオマージュ フィリップ・グラス×パティ・スミスを見た。