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『カーズ』~追憶のルート“6”

Photo_3 今日がクリスマスなのでこれが終わるといよいよ仕事納めまであと数日ということになる。私は毎年、仕事の最終日の深夜か翌日の早朝、家族を連れて実家のある福島県いわき市に帰ることにしている。方法はいつも首都高か関越を抜けて常磐道を通っていく。常磐道は三郷インターからきっかり2時間でいわきに着くので、東京都内の混雑を上手く回避できれば、それ程のドライブではない。

 しかし、この常磐道ができるまでは福島のいわきまでと言えども、なかなかの“冒険”だった。小さい頃、私は千葉の市川市に住んでいていわきは母の実家だった。夏休みや年末、父の運転するイスズ・ジェミニに乗って6号国道をひたすら北上していくのだが、私はこの“長旅”が好きだった。

 普段見慣れない色々な町並みをゆっくり眺めながら、父がつけるカーラジオのAM放送の流行歌に耳を傾ける。父が変な車や歩行者を見かけると勝手にほら話を面白おかしくでっちあげて話してくれる。車が渋滞したり父が運転に疲れてくると、すぐに入れそうな土地土地のラーメン屋や定食屋に寄って食事をしていく。そんなこんなで6時間か7時間でいわきの“常磐ハワイアンセンター”の看板が見えてくるのだが、それは当時チビッコだった私にとって至福の旅だった。

後年、私がジャック・ケルアックの小説やヴィム・ベンダースのロード・ムービーに愛着を示すのも幼少期のこの幸福な体験があったからだと自己分析している。ある場所から次の場所に移動している感覚。できれば一生この感覚の中に身を浸して生きていきたいと本気で考えていたこともある。

 ディズニー・ピクチャーズの映画『カーズ』には高速道路が出来たことによって交通量が激減し、地図からも名前が消えてしまった道“ルート66”と“ラジェター・スプリングス”という町が出てくる。生意気で傲慢な一匹狼的なレーシング・カー“ライトニング・マックィーン”がひょんなことから迷い込む町だ。そこで出会う様々な車との交流によってマックィーンが成長していく物語なのだが、私は“トイズ・ストーリー”以来、久々にこの子供向けのアニメを見て泣けてしまった。

 この映画を製作するにあたって、スタッフは本当の“ルート66”を取材したという。そのエピソードは現在市販されているDVDにおまけ映像として入っているが、そのインタヴュー映像の中に『今の人は楽しみに行くために走る。昔は走るのを楽しんでいたのに。』という胸を打つ言葉が出てくる。

“ルート66”は一時廃れてしまったが、現在はその保存活動によって“歴史街道”のような形で、古き良きアメリカの旅を楽しみたい人々によって再び人気を集めていると言う。この映画を見た後、私は早速、ネットで“ルート66”を調べると、日本人の中にもこの旅を楽しんでいる人が結構いるようで、その写真付きのページを見ているだけで楽しい。

ところで、昨日、私が買ってきたトミカの“ライトニング・マックィーン”は何故、青なのだろう?映画では赤なのに。

 映画には声優として私がスティーブ・マックィーンと同様、愛して止まないポール・ニューマンが渋い役どころで出演している。もし、彼が声をやった“ドッグ”のトミカが発売されたら絶対買おう!このポール・ニューマン、マックィーンとは『タワーリング・ィンフェルノ』以来2度目の競演である??また、先程引退した皇帝ミハエル・シューマッハも最後にちょっと出てくる。

『お前が大きくなって車の免許を取ったら、二人で“ルート66”に行こう。』と、息子と約束した。夢がまた一つ増えた。

今年は久々に6国(ロッコク)で帰ろうかな・・・・・。

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地の塩

Photo  今日はクリスマス・イヴ。昔、居候させてもらっていた友人は『日本人にとっちゃ、チキン食ってエッチする日だ・・』と、嘯いていたけど、やはりいいもんだと思います。朝から、なんとなく神聖かつ楽しい気分になって、子供たちとおもちゃ屋にいきました。息子はお目当てのものが無くてガッカリしていたけど、親である私がトミカコレクションで出ている映画『カーズ』のキャラクター、“ライトニング・マックィーン”を買ってしまいました。今年は最後まで“マックィーン”です。

 お昼少し過ぎてパソコンを立ち上げてみたら、なんと佐賀からのトラック・バック!!先日のテキスト『豚骨スープの・・・・』を読んで頂いた方らしく、本当に感謝しています。身内、と言うか知人以外の読者がいることをあまり想定していなかったのでビックリしております。小説のモデルになった人といい、なんか私、佐賀の人に縁があるんですかね。

 でもクリスマスって本当はあまりいい思い出ってない。昔はいつも飲み屋でバイトしていて、その日は物凄く込んで、店は繁盛して良いのだろうけど、働いてる私たちはたまったもんじゃなかった。普段、飲みなれない酒を飲んでげーげー吐く奴が続出し、トイレの掃除が大変だった。あの曲かけろ、この曲かけろってリクエストが一杯くるし、またカップルがデレデレしていていつもウンザリしながら適当なカクテルつくって出してた。結局、店が終わるのは午前3時ごろで、帰りにコンビ二で煮詰まったおでん買ってビール飲んで“ちくしょー”とか思いながら寝た。

 今日もおもちゃ屋に行ったら、その駐車場で凄い年取ったおじいさんが警備員をやっていた。昔、飯場にいた時も、出稼ぎのおっさんたちはクリスマスなんて関係なく、皆、道路のフェンスやシートの見回りを律儀にやっていた。

 そんなことを思い出したり、考えたりしてこのクリスマスに思い出したのがローリング・ストーンズのこの名曲です。本当は私が大好きな児童文学の作家にしてミュージシャンの長谷川集平さんの訳したのが最高にかっこいいんだけど、転載禁止となっているため、今回は過去の色々な訳を参考に自分で訳してみました。

 

 

 

地の塩    ジャガー&リチャーズ

 

労働者階級に乾杯

生まれの低い人々に乾杯

善と悪のためにグラスを上げろ

“地の塩”のために乾杯しよう

 

兵士たちのために祈ろう

そして彼らの骨身を削る任務について考えよう

彼らの妻と子供たち

家の火を絶やさぬようにし、

まだ大地を耕している そう

彼らの妻と子供たちのためにも祈ろう。

 

俺は顔の無い群集を見ている

灰色と黒と白が蠢いて

なんだかリアルに感じられない

とっても奇妙な光景だ

 

労働者階級に乾杯

数のうちにも数えられない人々に乾杯

彷徨える百万もの人々について考えよう

指導者が必要なのに 代わりにいるのはばくち打ちだけ

 

選挙に行かない人々について考えよう

彼らの空っぽの瞳はヘンテコなビューティ・ショウと

灰色のスーツを着た買収人どもの行進を見つめている

彼らに見分けられるのは

癌と小児麻痺だけ

 

俺は顔の無い群集を見ている

灰色と黒と白が蠢いて

俺には人だと思えない

とっても奇妙な光景だ

 

労働者階級に乾杯

生まれの低い者たちのことを考えよう

ボロを纏った人たちのことを考えよう

“地の塩”に乾杯しよう

 

労働者階級に乾杯

“地の塩”に乾杯

20億人の人たちに乾杯

生まれの低い者たちのことを考えよう

そう “地の塩”に乾杯しよう

“地の塩”に乾杯しよう。

 

 いろんな人の訳+ナヴィ村訳 (詮索および転載禁止)

 

“地の塩”とは聖書に出てくる言葉で、『地球にとって一番大事な人やもの』を指す言葉らしいです。ああ、やっぱりストーンズはかっこいいなあ・・。皆さん良いクリスマスを。

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『大脱走』~息子に“男”を教える映画教室

Greatescape1963  ある朝、小学校6年生の息子が頼みがあると言って、新聞を読んでいる私の肩をちょんちょん、と小突いた。

『お父さん“大脱走”って映画知ってる?』息子はややためらい口調でそう言った。

 

『ん??“大脱走”。あー!!!“大脱走”!』

『今度ビデオ屋さんに行って借りてきてくれない?』息子の目が輝いた。

『あの鉄条網ジャンプするやつか。』と私は頷いた。テレビで映画音楽ベスト100みたいな番組をやっていて、そこで有名なあのシーンを見て完全にしびれてしまったらしい。“お願いします”と言って息子は私に合掌し頭を下げた。

こうして“息子に男を教える映画教室”が毎週末繰り広げられることになった。

 最初はリクエスト通り『大脱走(Great Escape)1963』を借りてきた。隣の部屋の女ども(妻と娘)は立ち入らせず、部屋の明かりを消し、気分は映画館だ。

第二次世界大戦中のドイツ。脱走不可能と言われた第三捕虜収容所から連合軍兵士達が脱走を企てる。チャールズ・ブロンソン演じる通称“トンネル屋”が実は閉所恐怖症でトンネルを進むのにもたもたするあたりから、段々物語は緊迫してくる。

Photo_2  

 森へ出るはずが測量ミスでトンネルを数メートル手前で堀り上げてしまったからだ。結局、バレて最初200人逃がすつもりが70数人しか逃げられない。その後で例の“鉄条網越え”のシーンがあるのだが、ベッドに腰掛けて見ていた私たちはその瞬間、本当にピョーーンと体が跳ね上がった。マックィーンは何度も抜け出し、何度も捕まるが決してあきらめない。そこで教訓 1・息子よ、教室から逃げて、何度とっ捕まってもめげるなよ!

 次に借りてきたのは『荒野の7人(Magnificent Seven 1960』である。言わずと知れた黒澤明の傑作『七人の侍』のリメイク版だが、実は私も今回はじめて見た。あの有名な音楽とストーリーは知っていたが、知ったつもりで見なくてもいいやと半分思っていた。だが、この映画は指標とすべき“男”の宝庫だ。男が惚れる男、味のある男どもが総出演である。マックィーンをはじめ、ユル・ブリンナー、ジェイムス・コバーン、ジェイムス・ガーナー、チャールズ・ブロンソン、などなど。アメリカにも、昔、こんな男がいたなーと妙な感慨が沸いてくる。

 私の好きなシーンはなぜか子供たちに慕われるチャールズ・ブロンソンに、中の一人が『父ちゃんたちは腰抜けだ!』みたいなことを言い、彼がそれを叱るシーンである。結局、7人の活躍に引きずられるようにメキシコの村の農民たちも自ら蜂起するのだが、最後に撃たれて死んでいく間際、チャールズ・ブロンソンは子供たちを呼び寄せ『お父さんたちの勇敢な姿を良く目に焼き付けておくんだよ・・。』と言い聞かせる。泣ける、最高に美しいシーンだ。ここで教訓 2・息子よ、いくらロクデナシになっても子供には人の道を説け!

 その次に見たのは『シンシナティ・キッズ(Cincinati kid)1965』だ。これは若きギャンブラーがポーカーの名人位をかけて、伝説の老ギャンブラーに勝負を挑む話である。主人公は途中、周囲の思惑もからみ、友人であるディーラーから八百長を持ちかけらるがそれを断る。実はこの友人の奥さんが妖婦アン・マーグレットなのだが、主人公のマックィーンは可愛い恋人がいるにもかかわらず、この女と密かにできちゃってたりする。この映画には凄い台詞がある。それはエドワード・G・ロビンソン演じる老名人ラーシンのこの台詞だ。

『真のギャンブラーにとって金は単なる道具にすぎません。言葉が思想を語るのと同じように。』 

ナールホド、やっと分かった。身近に金を湯水のごとく使ってギャンブルにのめり込み、いなくなってしまった人を知っているけど、あの人は金で自分の思想を語っていたのか!!

 さて、物語の結末は言わないでおくが、最後、賭場から出てくるマックィーンをちゃんと元の恋人が待っていてくれるのだ。教訓。3・息子よ、結果はどうあれ、正々堂々と戦えば逃げた女は戻ってくるぞ。

 と、ここまで読んでお気づきの方もおられるでしょう。この3本とにスティーブ・マックイーンが出ていることを。長々と書いてしまったが、つまり、今回は息子以上に私の方がマックィーンにハマッテしまったということなんです。4・息子よ、真の男になりたけりゃ、マックィーンの映画を全部見ろ!

 20070421081648

ということで、次に見たのが『栄光のルマン』・・・・・・・・いや、もう、止めよう。

いつか“息子に女を教える映画なんてのも・・・・”やって見たい。(楽しそう。。。)

PS  写真は“ツインリンク・もてぎ”の本田博物館内にあるマックィーンの直筆サイン入りポスター。いいな。

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砂絵

 

 そこでは音楽が鳴っていた
 沈黙の音楽 太古のリズム
 太陽の矢が僕の額を射抜いた時
 砂時計の砂が
 大地に
 永遠のように散らばった

 <きっと命はここで始まり 
 これからもずっと続いていくだろう>

 黙示のような夏の雲の下
 ユージンとリエコが祈る
 ナバホの祈り ナバホの聖
 爆心地から遠く
 広島の八月

 目を閉じて
 僕は記憶を取り戻した
 野牛だった頃のこと
 鷲だった頃のこと
 ひび割れた大地に降り注ぐ

 虹色の
 雨だった頃の記憶を

 <そうさ、ユージンここはU・S・Aなんかじゃないよ>

  遠く
 金色の岩肌に陽射しが陰り
 この惑星の
 裸を愛撫する
 僕ら
 風紋の砂絵

 

 

 私がナバホの居留区を訪ねたのは1989年だから、17年も前のことになってしまった。大学の頃企画したイヴェントを通して知り合った、ナバホ族のユージンさんと、また彼と結婚した広島出身の女性リエコさんを訪ねての旅だった。何日頃、と漠然とした約束しかしなかったのに、アメリカ中を忙しく走り回る二人とあの広い大陸で会えたことは、これまでの私の人生の中で起きた奇跡の一つである。若気のいたりとはいえ、突然、訪ねてきた若者に、二人はとても優しかった。

 

 あの頃から比べるとアメリカ・インディアン=ネイティブ・アメリカンの文化は随分と広く受け入れられるようになったかに見える。私が訪ねた翌年封切られた映画『ダンス・ウィズ・ウルヴズ』の影響が大きかったように思うが、しかし、現地で生きる人々の実情は、明るい部分にのみ光が当てられてしまった分だけ、さらに辛い状況にもなってしまったようだ。

 

 勿論ただ1度訪ねただけで彼らの置かれている状況に何かを言う権利は私には全然ない。しかし、彼らの歴史に起きたことは、今、現在、地球上で起きている全ての問題の始まりだったわけだし、また逆にそこを生き延びたかれらの知恵の中に未来へのヒントがあると思える分、これからも意識し続けたいと思っている。

 

 このネイティブ・アメリカンの文化やニュースを伝えてくれる素晴らしいブログがある。元雑誌『宝島』や『ポパイ』の編集長で、現在、先住民族の研究家にして紹介者の北山耕平氏の“Native Heart”である。今ならリンクをたどって行くとネイティヴ・アメリカンの神話を題材にした可愛いアニメ『レイヴン テイルズ (ハゲワシ編)』が見れますヨ。これNHKとかでやってくれるといいんだけどなあ。またテレ東にでも電話してみっか。。Web環境が万全な方は是非。

 

 

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ひげを伸ばせ小笠原!

 

魂(ガッツ)のフルスイング―泥臭く、ひたすら振りぬく! 魂(ガッツ)のフルスイング―泥臭く、ひたすら振りぬく!

著者:小笠原 道大
販売元:ロングセラーズ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

  小笠原道大様。私の野球への情熱に再び火をつけてくれたのはあなたでした。野球のルールも知らないのにプロ野球チップスのカードを集め始めた息子の部屋に、最初に飾られたのもあなたの写真でした。“侍小笠原”とは良く言ったもんで、鋭い目つき、ひげ面のあなたのその幕末の浪人のような風貌と、常にフルスイングのそのバッティングは、3年前のパリーグ・プレイオフ第1ステージ3戦目でのホームラン以来、常に私を魅了し続けました。土曜日夕方5時からテレ東でやっていた日ハムのアニメも欠かさず見ました。息子は誰も日ハムを応援していなかった頃から、日ハムのキャップを被り、妻も冷凍食品を扱うパートからハムを作る仕事に自ら志願しました。(うそ、これは野球とは関係ないです。)それなのに!それなのに!何故??なんで?どうして?シンジラレナーーイ(ヒルマン監督の真似してご一緒に!)、なんでジャイアンツなのヨー。しかもひげまで剃っちゃってさあ。(せめて岩村が抜けた後のヤクルトなら・・・)

 詩人長谷川龍生に『王貞治が6番を打つ日』という詩があるらしい。らしい、と言うのは私は読んだことが無いからだが、これを受けて、以前、松村雄作氏は『アントニオ猪木が前座試合に出る日』というテーマでエッセイを書いている。つまり、応援していた選手が衰えてゆき、それと同時に、応援していた人たちの人生も変わってしまうという内容の詩、エッセイである。

 『小笠原道大がひげを剃った日』。小笠原は衰えたわけではないので、意味は全然違う。全然違うが、私の中で何かが変わってしまうのは確かだろう。憎っくきはジャイアンツである。きっと、北海道と関東で家族と離れ離れに暮らし、顔にこそ出さないが、さみしい思いをしていた侍のほっぺたを札束でぴしぴししたのだろう。可愛そうな小笠原、無敵の剣豪はついに悪大名に召し抱えられてしまったのである。

 来シーズン、私は鬼になろうと思う。愛する飛雄馬をセンジンの滝に突き落とすべく中日のユニホームを着た一徹おやじの気分である。ジャイアンツ戦なら毎晩テレビ中継があるので、今までの声援を罵声に変えて、ひげを伸ばせと野次りつづけよう。城を出ろ!路上に戻れ!小笠原!

 でも、やっぱり、かっこよすぎて、ジャイアンツを応援するようになっちゃったりして。

 

 

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Winter breath

Mangetu1_1   昨日の記事、月のカレンダーにリンクできるようにしておいたの見てくれた人います?これを使うと、例えば、自分が生まれた日の空にどんな月が出ていたのかとかが分かるので面白いんです。このブログを始めた一番最初の記事にちょっと書いたけど、私は三年連用日記というのを毎日毎日苦行のように書き続けて6年目ですが、その日記とこの月のカレンダーを併せると、自分の精神のバイオリズムと月の満ち欠けに一つの法則が見出せるから、驚きます。人間といえど宇宙の一部であるからには、心身ともにその影響があるのは必然ですが、どうもどんな月の時、どんな状態になるのかは個々に違うらしいです。それでも、満月の日に事件が多いとの統計があるようです。先日、私の友人が亡くなったのは満月の次の日の夜で、これから満月よりちょっと欠けた月を見るたび、そのことを思い出してしまうかもしれません。

 宇宙の一部といっても、そのことをいつも意識して生きている人なぞそうはいないでしょう。ただ、仕事や家事やお金の心配など色々面倒の多い人の世ですが、一息ついて月を見ると、月のサイクルが魂をチューニングしてくれるような気持ちになりますよ。まあ、太古の昔から人間はずっとやってきたことなのでしょうけど。

   

                   満月が

         裸の木々を影絵にして

         冬眠する獣たちの寝息で

              冬の静けさは

               できている

 

  亡き友人にこの短い詩を捧げます。音楽が終わった後に聞こえてくる音楽にあなたはなりました。ゆっくりおやすみ下さい。

 皆さん、月を見ましょう。(雨の日はリンク先のカレンダーで。)

 

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猫の悪夢

     

                    猫の夢の中で

                    俺は嫌なやつだった

                    集会で虚偽の報告をさせたり

                    魚屋で秋刀魚を盗んでこさせては

                    それを隣の家の猫の仕業に見せかけるよう

                    命令したりした

                    毎日、凄いプレッシャーをかけた

                    猫は踏み切りに佇んで

                    遮断機をじっと

                    見つめて

                    いた

    

                    電車が走り抜けた

  

                    まんまるの眠りの猫が

                    ビクン、と驚いて目覚めるのを

                    見たことがある

     

                    今夜は下弦の月

         

                    塀の上で猫は

                    つくずく人間でなくて良かったと

                    思っている

       

                    猫は

                    あまり

                    俺に近づかない

 

  今夜は下弦の月です。あいにく天気が悪くて私の住む町では見れません。そういえばこの前、夜中、家の近くのスーパーの駐車場で猫の集会を見ました。 本当に真ん中に一匹で、周りを他の猫が取り囲んでいました。寒空の下、何、発表してたんだろう?興味深い・・・。

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自転車にのって

 

Imagecatb1m7r_3   今年に入って自転車が2台も盗まれた。私も妻も子供たちもいつも必ず鍵をかけるのだが、年に何度かかけ忘れる時がある。その僅かの隙をついて盗んでいくのだからたいしたドロボーである。

 今だから感心したようなことを書いているが、盗まれた直後はもちろん腹を立てているので、犯人を捕まえたい、捕まえられなくとも盗もうとしたヤツをなんとかひどい目に合わせてやりたいと、妻とあれこれ算段したものである。

『サドルにガムをくっつけておくとか・・』妻の目が不気味に光る。

『いや、それなら画鋲を仕込んでおくほうがいい・・暗闇じゃ見えないほどの細いワイヤーで置き場の柱に長く繋いでおいて、しばらく走って行ってから、転倒するようにしたらどうだろうか?』と作戦武官の私。

『そして、音がしたら熱湯をバケツに用意しておいて、犯人にぶっかければ・・』と、妻。

『いいや、それならペンキのほうがいい・・逃げたとしてもペンキが滴っているから、逃走経路が分かり、すぐに捕まえられる・・』

『そして、その後、布団叩きで・・・・・・・・・・・・』

 平和な夜の食卓で、日頃は善良な父と母の底なしの悪意を初めて目にし、息子は呆れ、娘は怯えていた。子供たちよ、清らかで美しい聖者の心にもふとしたキッカケで、毒の花が芽吹くこともある、このことを良く覚えておきなさい。

 そんなこんなでしばらく私と妻は自転車なしの生活を強いられた。なければないで人は慣れるものである。最近ハムをつくる仕事に従事している妻は、朝、いつもより少し早く家を出るようになり、コンビ二まで歩くのがおっ苦うな私は買い置きのビールが無くなればそれ以上飲まなくなった。だが、ある日、我が家から少し遠くにおいしいコロッケを出す肉屋があり、家族中大好物なのだが、それなのに妻が近くのスーパーのコロッケを買ってくるのを見て事態の深刻さを悟った私は、ついに新しい自転車を買う決心をした。

『中古でいいか。』と私。

『どうせまた盗まれるから。』と妻。

 で、現在、乗っているのは五千円で買った中古のママチャリである。頭に浮かんだ言葉がすぐ口について出てしまう妻は『ほんとうにこれ電気点くの?』と店先で言ってしまい、『失礼だなぁ。』と自転車屋の兄ちゃんは何故か、妻じゃなく私を睨めつけて言った。

 私はママチャリ・ファンだ。子供たちが今よりずっと小さかった時もハンドルの部分につけるイスを設置して、後ろにも前にも子供を乗せ走り回った。警官が『それは違反だ。!』と言っても『じゃあ、なんでこの商品の販売を許しているんだ?』と叫んで振り切ったし、少し大きくなってからも3人で多摩川沿いを良くサイクリングしたものだ。

 その時、良く口ずさんだ曲が3曲あって、それはクィーンの“Bycecle race”と、矢野顕子&佐野元春の“自転車でおいでよ”それと故高田渡の“自転車にのって”である。前半は意気揚々と“バーイセコッ、バーイセコッ”と,蜘蛛の子を散らしたようにクイーンで出発、疲れてマッタリしてくるとアッコ&元春で、走行中のほとんどの距離は高田渡の“自転車にのって”であった。

 

           自転車に乗って

     ベルを鳴らし

    あそこの原っぱまで

    この間の野球の続きを

    そして帰りにゃ

    川で足を洗って

    自転車にのって おうちへ帰る 

 

           『自転車にのって』~高田渡

 

 

 渡さんのこの曲は自転車に乗るときの気分を本当に良く表していて、渡さんの偉大さ?が実感できる名曲である。しかし、これはマウンテン・バイクや本格的なレース用のやつじゃ駄目で、ママチャリでなければいけない。真似して見ようと思った方、要注意です。

 我が家の新顔の中古自転車くんはまだ盗まれてはいない。変な仕掛けは施していないから、深夜、自転車の転倒する音に夫婦揃って耳を澄ますようなこともない。今のところ家族全員、またおいしいコロッケが食べることができて、ひとまずめでたしめでたしである。

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さよならマイ・ヒーロー

20061208185216_1  12月6日、僕の最愛の兄貴分だった下村誠さんが亡くなられました。こんなニュースを書くためにこのブログを開設したんじゃないのに・・・出会えて嬉しかったです。・・今日はもう何も言えません。

 

 そこにいてくれて ありがとう。

 

 暖かい眼差しをありがとう。(『Native Minnd』下村誠)より

 

 

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映画『フラガール』の衝撃

Hulagirl  

 今日、ネットで映画『フラガール』が日刊スポーツ映画賞の作品賞を、松雪泰子が主演女優賞、富士純子が助演女優賞、蒼井優が新人賞と、4冠を受賞したニュースを見た。

 泣けた!凄い!本年度のNO1!五つ星!と、べたな褒め言葉しか思いつかない程の傑作です。レンタルしていつか見ればいいやと思っている人、これは映画館でみないと絶対損しますよー。

 映画『フラガール』は昭和40年、閉山の危機に晒された東北の炭鉱町で起きた実話を映画化したもので、福島県いわき市の常磐ハワイアンセンター(現スパリゾート・ハワイアンズ)の創成期を描いた作品です。私は実家がこのハワイアンセンターのすぐそばで、母も長年働いていたものだから(踊り子さんじゃない!)この映画のヒット、各賞受賞のニュースは我がことのように嬉しいです。

Photo  私は公開初日に見に行きましたが、途中、何度も不思議な感覚に襲われました。私はハワイアンセンターと同じ昭和40年生まれなので、当時を知る由もありませんが、自分は本当はスクリーンの中の世界にいたのに、何かの拍子に違う世界に飛び出てしまい、元いた世界をじっと見せられている、そんな気分でした。できればいつまでもいつまでもこの世界を眺めていたいと思いました。『カイロの紫のバラ』状態とでも言うのでしょうか。考えるに、そのような現象を引き起こした主な要因は風景やセットのリアルさではありません。それは多分、見事に再現されていた“今ではもういそうでいない”、当時の『人間』たちです。

ただこの映画は、過去に題材を求めながら、実は2006年現在と、また未来についての物語だと思いました。(あの夕張市の財政破綻のニュース!!)映画の中のフラガール達は一見、故郷の危機のために立ち上がったかのように見えますが、本当は新しい価値を探したんだと思います。それは映画の中の蒼井優演じる紀美子の『おらぁ、かあちゃんみてぇに生きたぐねぇ!おらの人生はおらのもんだ!』という台詞によく表れています。心地よく、愛すべき、だが滅びようとする“今”から、どんな風に未来を生み出すのか、この映画に描かれているものは正に現在の切実な状況そのものです。

 そしてあの衝撃のラストシーン!衝撃の・・というとグロテスクな殺人シーンとか巨費を投じたスペクタクルなどを想像しがちですが、どんな風に衝撃的なのかは・・どうか見て下さい。あそこはもう映画じゃありません。

 『ラストのダンスがダメだと全てが台無しになる。プレッシャーで何度も福島から逃げ出そうと思った。』と、蒼井優は言っったそうですが、短期間であれだけ踊れるようになるなんて、40年前同様、今回も相当なウルトラCです。

 私の故郷は“フラ”のダンサーによって二度救われたのかもしれません。1度目は40年前の少女たちのダンスに。2度目はこの映画の女優のダンスに。40年前、愛すべき共同体の危機の中から少女たちが見い出した希望を、現代の天才女優の強靭な意志が体現しています。次はアカデミー賞だ!

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La Mer 

 
 冬の海の
 深い藍色の叫びと
 びゅーびゅーと荒ぶる風の魔力に捕らえられ
 巨大で
 美しい絵の中に閉じ込められた午後は
 駆ける砂の上に
 人類の痕跡はもはや二人の足跡だけで
 目の端をかすめ行く太古の舟は
 地動説の水の淵に
 今、零れ落ちるところ

 風に暴かれた貝殻の墓地よ
 濡れて滴る水彩の空の青の下
 万物は
 目に見えない生の時間が
 結実しもたらした色とかたち
 闇と光
 眠りと波
 自然とは偶然の出来事じゃなく
 たとえば
 無限の砂の一粒にさえも
 こらされている精霊に意匠
 その込められた熱意の激しさにおいては
 平等だ
 幼いあなたの
 柔らかく黒い髪も

 海は女だから
 私はあなたから生まれた
 海は女だから
 私はあなたと交わり あなたを授かった

 沈黙に秘められた未知の和音(コード)を
 探り当てようとして波は砂にその指を広げ
 太陽の中で煌く炎の都市が
 爆発するたびに揺れ動く水の地球
 言葉は釣りそこねた魚のように
 影になり逃げるから
 あなたの心に
 海は
 轟くばかりで 
 まだ何も語りかけぬまま

 海が知っているのは 彷徨う風の行方
 海が知っているのは 輪廻する空の記憶
 海が知っているのは 死に逝く月の遺言
 海が知っているのは あの鳥が目指す国
 海が知っているのは 眠る海亀の見る夢
 海が知っているのは 人が攻めぎ合う愛の領土

 だがあなたの内部で息潜める未来の種と
 その咲く花の色を海は知らない

 うねる海原に散らばる銀の
 割れた鏡を拾おうとして
 君が触れるのは

 初めての孤独
 真新しい孤独

 それから眠くなりまどろむ君の目を
 射抜いて飛び去る
 錆色のカモメと
 今日の日没の
 最後の一滴

 

 

 

昼間は暖かいと思っていたけど、夜はやはり寒い。柚子湯に入って寝ます。おやすみなさい。 

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ベースボール・ラプソディ~野球人気低迷はほんとうか?

2006 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表 栄光への軌跡 2006 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表 栄光への軌跡

販売元:ジェネオン エンタテインメント
発売日:2006/05/31
Amazon.co.jpで詳細を確認する

  少し前のことになるが、私はテレビ局各社に怒りの電話をかけまくった。ずうっと我慢していたのだが、ついに堪忍袋の緒が切れたのである。

『何故、パリーグ・プレイオフの中継をやらねえんだ!!』

 その日は仕事がヘヴィな一日で、心身ともに疲れていた。私は午後くらいから仕事場の同僚と『今日はプレイオフがあるから・・・』と恋人の手紙を心の拠り所に砲撃を耐えしのぶ戦場の兵士のようにして過ごしていたのだ。

 夜、家の近くのコンビ二でビールとつまみを買い、ただいまも言わずに風呂場に直行しシャワーを浴び、息子と喜び勇んで、さあ、テレビのチャンネルを回すと、ない、ない、ないないないないどこでもやってなーーーーいではないか!ちっくしょおう!!と言う事で上のようなことになった次第。実は数日前、セリーグ優勝の時の落合監督の胴上げもテレビはおろかラジオでも中継が無く、問題になったばかりだから、まさかとは思っていたのである。

 まずはNHKに電話し、日テレ、TBS、フジ、テレ朝、テレ東の順でかけた。中でも一番怒鳴りつけてしまったのは日テレである。『はい、私どもといたしましては巨人の優勝がなくなった時点で、野球中継はどうも・・・』などと言うものだから、私の打倒巨人の魂に火がついてしまったのである。逆にテレ東にかけるころには『もう、たのんますヨー、お宅しかねえんだよ、もう・・』と哀願口調になってしまった。するとテレ東の担当者は『ハイ!そう思いまして私たちテレビ東京では明日7時より・・・』と得意げに言ってくれたもんだから私は大声で歓喜の声を上げてしまった。さすが『開運!なんでも鑑定団』だ!、昭和天皇の大喪の礼の時もかまわず時代劇をやっていたテレ東だ!(ほんとか?)

 日本のプロ野球人気が低迷していると言われて久しいが本当だろうか?私は今年、息子と10回近く球場に通ったが、いつも球場は賑わってた。インボイス西部ドーム、神宮、後楽園、宮城フルキャストスタジアムなどだか、どこも熱心な野球ファンで一杯だった。テレビの視聴率が悪いこと即、人気低迷というのはテレビ屋の傲慢ではないだろうか。メディアが今の野球人気の本質に対応できていないだけである。断言するが、去年から今年にかけては球史に残るゲームがたくさんあったのだ。

なにもたかが野球と思っているそこのあなた!あなたにこの言葉を送ろう。

『ベースボールが人生の一部なのではない。人生がベースボールの中にあるのだ。(BYロジャー・エンジェル)』

『ベーブ・ルースといえどもベースボールより偉大なわけではない。(BYスパーキー・アンダーソン)』

翌日、野球中継を見ていて息子が言った『お父さん、昨日、テレビ局に電話してくれてありがとう。』

俺のおかげじゃないっつうの・・・・・・

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