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叫ぶ女神(ディーバ)

Vibl139_2  昨年逝去された漢字学者の白川静氏の著作に日本語の“うた”の起源についての記述がある。詳細な引用は避けるが、それは『雄略記』、あるいは『播磨風土記』に出てくる天皇に矢で討たれた猪が天に向かって“阿太岐ーあたきーうたき”をあげる、つまり雄叫びを上げるというところからきていてー“阿太岐”とは神に訴え迫る、聖なるものに近づくための特殊な音声ーということらしい。

 私は“叫び声”フェチかもしれない。ジョン・レノンの曲“マザー”のおよそロックで言うところのシャウトというのを遥かに逸脱した後半の“Mama don’t gone!!”という叫び声なんかゾックとくるし、佐野元春の名曲“ロックンロール・ナイト”のビルの残響の中にこだまするような“ウォー”という叫び声も素晴らしい。ボブ・ディランも特に“ローリング・サンダー・レヴュー”の頃なんかはこうした“叫び”の宝庫である。

 私のこうした聖なるものに近づく特殊な音声、“叫び”に対する指向?を気付かせてくれたのが何を隠そう今回のCoccoです。

 私は全然彼女のことを知らなくて、ある日、仕事場にアルバイトに来ている一人が『明日、渋谷でCoccoの絵画展があるので休ませてください』と言った。『ぬわにいー!Coccoだあ?ふざけんなー!』と、私は怒り、その彼は泣く泣く諦めたが、その名前は妙に記憶に残った。後日、そんなことを忘れた頃、本屋の中をブラブラしていると、とても美しい絵本を見つけ、手に取るとそこに“Cocco”の名前が記されていた。だから、私が彼女を知ったのは彼女が一時音楽を止め、故郷沖縄に隠遁し?絵を描いていた頃ということになる。

 彼女はある雑誌のインタビューで“自分を傷つけたり裏切ったりした者たちに復讐するために音楽を始めた。”と言っていた。彼女はバレリーナになりたかった人らしいが、それが果たされないと知るや、突如、音楽を始める。沖縄の“ヤンキイ”だった、と自ら語る彼女は『復讐から何が始まるか見たかったら、私についてきな。』と、当時のプロデューサーに言ったという。

 Coccoの初期の傑作『ブーゲンビリア』、『クムイウタ』、『ラプンツェル』の中にはヘヴイな楽曲が沢山ある。とても個人的な感想だが、それらを聞き終わった時、私は誰かに似ているなと思った。それはジョン・レノンだった。

 どうゆう理由によるものかは個別だが、優れた表現者の中には、何か常人には計り知れない“傷”や“欠損”を抱え、それらを充足させるかのように作品を生み出す人たちがいる。ジョン・レノンもCoccoも共にインテリジェンスに溢れた二人だが、私は二人の歌に動物的な“阿太岐”を感じ取る。二人の歌はまさに矢に射抜かれた猪の叫びなのだ。

 彼女の初期の作品には死者に向かって語りかけるような歌が多い。それと特徴的に自罰感があり、また、愛されないことに対する怒りと苛立ちもあって、その中で彼女は文字通り叫んでいる。

 私が好きな彼女の“叫び”は『ラプンツェル』の1曲目『けもの道』の中のそれである。この曲、漫画で映画化もされた“あずみ”や現在、テレビ東京でやっている“逃亡者(のがれもの)おりん”のテーマソングにすればいいのに。映画館のドルビー・システムやお茶の間のテレビからこの叫び声が流れてくることを想像するだけで、“叫び声フェチ”の私としては快感を覚える。

       

       息を削りながら さあ 逃げなさい

       闇が続く限り もがく星

       この脚を伝って 縺れた記憶

       溺れるほど赤い 吹きだまり

       傷には雨を

       花には毒を

       わたしに刃を

       嘘には罰を

       月には牙を

       あなたに報いを

          (『けもの道』 by Cocco)

 

 こんな詞を読むと知らない人は彼女を何かおどろおどろしい人のように思ってしまうかもしれないが、彼女には悪霊(ディーモン)に憑かれたような歌もあれば、マザーグースのように可愛らしい歌もある。会ったことは無いので知らないが、その時々でどちらかにチャンネルが合ってしまう、普段はきっとフラットな人なのだと思う。

 彼女の人柄を知るのに格好の映像がある。2003年、音楽の世界から引退していた彼女が、故郷沖縄でゴミ問題を訴えるために1度だけ地元の高校生たちと企画した『Heaven's hell-ゴミ拾い大作戦ラブ・レンジャー参上』というDVDだ。

 引退後、沖縄で一人黙々とゴミを拾い続けていたCocco。ゴミ問題を訴えるために彼女が一人で音楽会を企画、運営、音楽指導などを行う様子を綴った感動のドキュメンタリーだ。アメラジアン(沖縄の女性とアメリカの基地の兵士との間に生まれた子供たち)スクールの子供たちを加えた、高校のブラスバンドとコーラスをバックに歌うCocco。“大人になることを恐れてはいけない、今大事に思っていることは大人になってもちゃんと持っていられるものだからヨ”と、沖縄の訛りで高校生たちに語りかけるCoccoが私は好きだ。この『ゴミゼロ大作戦』は去年、スペシャル・ワンマンライブが行われ、今、その写真集も発売されている。

 去年、5年ぶりに音楽の世界に戻ってきたCocco。叫べ!! 

 PS そう言えば毎年暮れに行われるジョン・レノンスーパーライブに去年、彼女は出演した。何を歌ったのか知っている人、教えてください。

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コメント

お前、そんな事も知らないのか。
それは「ノルウェーの森」だ!!

投稿: ほぴ村 | 2007年1月21日 (日) 15時37分

小学生のとき、ドッヂボールをするといつも友達を盾にして最後まで生き残った。そんなズルイ私でも稀に落ち込むことがある。そんなときはジョン・レノン“マザー”を聞くことにしている。この曲が作られる過程でジョンに対する"プライマル・スクリーム”という精神療法が大きく影響したということが書かれていたのを読んだことがある。要するに心の傷を全て吐き出してしまえ!と言う治療法らしいが、そんなことはどうでもいい。"マザー”の曲と歌い方が好きだ。ジョンの心の傷によって私の心を癒してしまう。やっぱり私はズルイのだ。
私にはもう一曲、心を癒してくれるとっておきの歌がある。「襟裳岬」である。特に"理由のわからないことで悩んでいるうち老いぼれてしまうから…”と"日々の暮らしはいやでもやってくるから、静かにわらってしまおう…”。悟りの境地である。曲を作ったのはよしだたくろうと誰かもう一人だったが、やはり、森進一の歌唱によって私は救われるのである。(CD持ってないけど)。
ナヴィ村さん、私の稼ぎはjazzのCDに費やされてしまうので"Coccoの叫びを聴く会”を開いて下さい。

投稿: jazz坊主 | 2007年1月21日 (日) 18時19分

そういえば全盛期の吉田拓郎も叫びの人だった。もしかしたら僕を“叫び声フェチ”にしたのは彼かもしれない(笑)。

 Coccoの叫び声を聴く会。考えておきます。
 

投稿: ナヴィ村 | 2007年1月21日 (日) 19時04分

 寺によって違うけど、禅宗系お葬式では作法の中で「喝ァーツ!」と引導を渡す場合があります。すごい叫びです。スピーカーが割れる位の叫びです。居眠りしていた会葬者がイスからズリ落ちる位の叫びです。

 生まれてすぐに「オギャー!」。死んでから和尚が「喝ァーツ!」。…って。

 そういえば最近腹の底から叫んでないなー。

 
 

投稿: JUICE&LOVE | 2007年1月21日 (日) 20時37分

生まれるときの『オギャー』。あれは凄かった。僕、立ち会ったので分かります。また子供って小さい時、意味も無く叫ぶことありますよね。うちの子達もそういう時ありました。初めうるさいと思ったけど、段々、僕も一緒に叫ぶようになって一度近所の人に怒られました。一緒に障子びりびりに破ったり、あの頃は子育ての全盛期でしたね。あれも神に近ずく行為だったのかも。それと、子供寝かしつける時、よく絵本を読んだんだけど、本棚に本をとりにいくのがメンドクサイときには自分ででたらめな話をつくって、時には子供と話の筋を考えたりしてお話つくりました。その時の訓練が今、このブログに生かされている?いような気がします。子供たち、もう一緒の布団に入ってもくれんですが。ちと、さびしいです。

 

投稿: ナヴィ村 | 2007年1月23日 (火) 21時46分

もう随分前からの話なんですが、あっ!!という間に子供たちが大きくなってしまって"赤ちゃん語”を使うのが家で「私」ひとりになってしまったのが、ちと、さびしいでちゅ。

投稿: jazz坊主 | 2007年1月23日 (火) 23時55分

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