『フィールド・オブ・ドリームス』~キャッチボールと神話
この映画はそれぞれ違う女の子と3回映画館に行って、3回ともあの有名なラストシーンで泣いてしまい、それぞれに気味悪がられてしまった覚えがある。私は父を亡くして間もない頃で、また父が元社会人野球の選手だったこともあり、映画を見た時期といい、内容といいあまりにもタイムリーだったのだ。
この映画でケビン・コスナー演じる主人公がトウモロコシ畑を潰して作る野球場を撮影した場所を、元広島カープの衣笠が訪ねる番組を以前テレビで見た。アイオワ州にあるそこは現在、映画の時のままグラウンドが保存され、多くの親子連れがキャッチ・ボールをしに訪れる観光地として人気スポットになっているらしい。
息子が野球に興味を持ち、度々野球場に通うようになって、私は野球場そのものが美しいと思うようになった。実際、いるだけでゲームの内容抜きにストレスや疲れが消えるような気さえする。
良く行くインボイス西武球場の外野自由席は座席は無く、人口芝なので、早めに行って選手がバッティング練習をしている時はシートを敷いてごろっと横になる。
一度、本当に眠ってしまったことがあって、ぐーぐー寝ている私の頭スレスレのところにボールが飛んできて、見ていた息子の話によるとあと少しで直撃だったらしい。場所を変えまた寝ていると、またボールが飛んできて、その都度、お姉さんが『練習中のボールにご注意下さい。』と、まるで私一人のためにアナウンスしているようであった。誰かが私を狙っている?それは横浜ベイスターズ“蟹股打法”種田だった。
父親が息子に往年の名選手たちのプレーの話を聞かせる。私も良く亡き父から川上や藤村や稲尾や中西の話を聞かされた。私も現在、息子に王や長島や野村や福本の話をする。これはまるでインディアンが部族の神話を子供に代々語り継ぐのと同じような感じがあって、ようするに野球のゲームというのは日々作られる“神話”なのだ(例えば“江夏の21球”なんてホント神話)。
この映画の主人公もかつて父親から聞いた伝説の名選手“シューレス・ジョー”を自ら作ったグランドに呼び戻す。そういう風に考えると、この映画は自らの手で神話を再現しようと奮闘する男の話と見ることもできる。
この映画の原作『シューレス・ジョー』を書いた作家のレイ・キンセラには他にも野球ネタの小説として『アイオワ野球連盟』があるが、本当はカナダ・インディアンを主人公にした連作短編もので有名な人だ。野球好きで北米先住民の文化に興味がある私にとってはあのジャック・ケルアックとは別の意味で、自分のための作家のような気さえする。そう言えばケビン・コスナーもこの映画と前後してアメリカ・インディアンを題材にした名作『ダンス・ウィズ・ウルブス』を作っているので、野球とインディアン、何か関係があるのだろうか?考えて見れば不思議な取り合わせである。
もし若き日の父に会えたら、私はこの映画のように絶対『キャッチ・ボールしませんか?』と、言ってみたい。気持ちの良い風が吹く夏の夕闇せまるグラウンドで。でも、やや太り気味の中年になった私を見て、父は『ぶったるんでる。キャッチボールじゃなくて、ノックだ!』と言うかもしれない。『フィールド・オブ・ドリームス』じゃなくて『巨人の星』になってしまいそう。
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