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『ディランを聞け!!』~カメレオンの観察

ディランを聴け!! Book ディランを聴け!!

著者:中山 康樹
販売元:講談社
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  凄い。何が凄いって、この商売を考えたこの本の著者がである。この著者には他にも『マイルスを聴け!!』というのもあって、数年前、タワーレコードの中のブック・コーナーでこのマイルス・デイビスの全曲紹介本を手に取った私は、内心『これで、ディランを書いたら面白いのに・・・』と、思っていたので、本当にこの本が出た時は驚いた。

 本書を含めこの著者のこのスタイルの本を『完全制覇本』というらしい。昨日、本屋にいったら『レノンを聞け!!』というのがあったので、この人、この路線でとことんまでいくつもりらしい。

 さて、ボブ・ディランであるが、私は小学校5、6年生からディランを聴いているので、リスナーとしてのキャリアはもう30年になる。何故、そんなガキの頃からと思う向きもあろうが、丁度、その頃、ディランの初来日というのがあって、それは今じゃ考えられないほどの事件だった。当時、井上陽水や吉田拓郎で盛り上がっていた兄と弟にライバル心を抱いた私は、今、話題になっているこの人のレコードを買えば二人に勝てると思い、当時にしては大金だった2500円をはたいて、“来日記念盤”との帯がついた日本でのみ編集されたディランのベスト版を買ったのである。しかし、買っていきなり、衝撃を受け、それ以来・・・となったかといと、全然そうはならなくて、正直、泣きたかった。全然メロディーのない歌を、変な声の男がわけの分からない内容で歌っているというのが第一印象で、レコードに針を落としてしばらくして、兄に『バッカでぇー』と、言われたことを覚えている。

 だが、これは始めて煙草を吸ったり、酒を飲んだ時と同じで、初め、二度とこんなものに手を出すまいと思っても、2度、3度と悪戯しているうちに、ついにはそれがないといられない体になってしまう。つまり私はその後、少しずつ“デイラン・ジャンキー”になっていったのだ。

 さて、この『ディランを聞け!!』だが、この本の大きな魅力は一曲に対していくつものバージョンが存在するディランの変化自在なスタイルをそれぞれに解説することで、何処にその曲のピークが在るかを詳細に分析した点にある。正に著者の“完全制覇”スタイルはカメレオン、ディランのためにあると言っても過言ではあるまい。例えばアルバム『時代は変わる』の中の、あまり目立たない曲だった『いつもの朝に(One  too many morninng)』は初め★★だが、ライブ『ロイヤル・アルバート・ホール』のバージョンは★★★★☆となり、ライブ『ハード・レイン』においてついに★★★★★となる。~One too many morninngのみならず、ディランの全音源の中でこのバージョンこそがベスト~と著者に言わしめるほどである。

 また、この本の新しいところは、往々にしてその詩に重点が置かれ、解説、分析されてしまうディランを、1にも2にも“音楽家”“歌手”としてディランを捕らえようとした点であり、新しいボブ・ディラン像を出現させることに成功している。また、その視点で各アルバム、各曲を見ていくと、従来のものとは大きく評価が変わり、今まで傑作とされていた曲やアルバムが意外と評価が低く、余り評判が良くなかったものが“傑作”とされている点が面白い。       

 ちなみにこの評価の幾つかが、意外に私のそれと同じだったりするので、個人的に痛快だったりする。その中の一つに『武道館ライブ』についてがあり、著者はこの『武道館ライブ』から『ストリート・リーガル』の頃が音楽家、アレンジャー、歌手としてのディランの一つのピークとして見ている(うん。うん)。ちなみに『ストリート・リーガル』の中の一曲、“イズ・ユア・ラヴ・イズ・ヴェイン”について。~“ドゥ ユウ ラブ ミー”と歌い始めるディランのざらついた声、毒と皮肉をやさしさというヴェールで包んだかのような声。これほどの名曲、名演、名唱があるだろうか?ないと断言できず、事実ほかにあるのがディランだが、中でもこの、“イズ・ユア・ラヴ・イズ・ヴェイン”はトップに位置すべき傑作中の傑作。~とある。(その通り!)。

 この本はディランが新作を出すたびバージョンxxとして、絶えず更新される。(つくずく凄い商売。)私は一冊持っているが、ディランの最新作『モダン・タイムス』の曲が解説されたバージョンのこの本が出たら、また買ってしまいそうで怖い。しかし、この著者は確かに凄いが、それをやらせてしまうディランが元々凄いのであって、品切れ状態の世界にあって、彼こそ生きる伝説と言って相応しい。

 この本によると、1994年、奈良の東大寺においてディランは東京フィル・ハーモニー・オーケストラをバックに『激しい雨が降る』、『アイシャル・ビー・リリースト』、『リング・ゼム・ベルズ』の3曲を歌っていて、これが“歌手”ディランの凄さを思い知らせる超絶的な名演、名唱らしい。しかし、オーストラリア版でEPがあるのみで現在入手困難とある。誰か持っている人いたら連絡下さい。

 とにかく『ディランを聴け!!』を読め!!

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叫ぶ女神(ディーバ)

Vibl139_2  昨年逝去された漢字学者の白川静氏の著作に日本語の“うた”の起源についての記述がある。詳細な引用は避けるが、それは『雄略記』、あるいは『播磨風土記』に出てくる天皇に矢で討たれた猪が天に向かって“阿太岐ーあたきーうたき”をあげる、つまり雄叫びを上げるというところからきていてー“阿太岐”とは神に訴え迫る、聖なるものに近づくための特殊な音声ーということらしい。

 私は“叫び声”フェチかもしれない。ジョン・レノンの曲“マザー”のおよそロックで言うところのシャウトというのを遥かに逸脱した後半の“Mama don’t gone!!”という叫び声なんかゾックとくるし、佐野元春の名曲“ロックンロール・ナイト”のビルの残響の中にこだまするような“ウォー”という叫び声も素晴らしい。ボブ・ディランも特に“ローリング・サンダー・レヴュー”の頃なんかはこうした“叫び”の宝庫である。

 私のこうした聖なるものに近づく特殊な音声、“叫び”に対する指向?を気付かせてくれたのが何を隠そう今回のCoccoです。

 私は全然彼女のことを知らなくて、ある日、仕事場にアルバイトに来ている一人が『明日、渋谷でCoccoの絵画展があるので休ませてください』と言った。『ぬわにいー!Coccoだあ?ふざけんなー!』と、私は怒り、その彼は泣く泣く諦めたが、その名前は妙に記憶に残った。後日、そんなことを忘れた頃、本屋の中をブラブラしていると、とても美しい絵本を見つけ、手に取るとそこに“Cocco”の名前が記されていた。だから、私が彼女を知ったのは彼女が一時音楽を止め、故郷沖縄に隠遁し?絵を描いていた頃ということになる。

 彼女はある雑誌のインタビューで“自分を傷つけたり裏切ったりした者たちに復讐するために音楽を始めた。”と言っていた。彼女はバレリーナになりたかった人らしいが、それが果たされないと知るや、突如、音楽を始める。沖縄の“ヤンキイ”だった、と自ら語る彼女は『復讐から何が始まるか見たかったら、私についてきな。』と、当時のプロデューサーに言ったという。

 Coccoの初期の傑作『ブーゲンビリア』、『クムイウタ』、『ラプンツェル』の中にはヘヴイな楽曲が沢山ある。とても個人的な感想だが、それらを聞き終わった時、私は誰かに似ているなと思った。それはジョン・レノンだった。

 どうゆう理由によるものかは個別だが、優れた表現者の中には、何か常人には計り知れない“傷”や“欠損”を抱え、それらを充足させるかのように作品を生み出す人たちがいる。ジョン・レノンもCoccoも共にインテリジェンスに溢れた二人だが、私は二人の歌に動物的な“阿太岐”を感じ取る。二人の歌はまさに矢に射抜かれた猪の叫びなのだ。

 彼女の初期の作品には死者に向かって語りかけるような歌が多い。それと特徴的に自罰感があり、また、愛されないことに対する怒りと苛立ちもあって、その中で彼女は文字通り叫んでいる。

 私が好きな彼女の“叫び”は『ラプンツェル』の1曲目『けもの道』の中のそれである。この曲、漫画で映画化もされた“あずみ”や現在、テレビ東京でやっている“逃亡者(のがれもの)おりん”のテーマソングにすればいいのに。映画館のドルビー・システムやお茶の間のテレビからこの叫び声が流れてくることを想像するだけで、“叫び声フェチ”の私としては快感を覚える。

 

       息を削りながら さあ 逃げなさい

       闇が続く限り もがく星

       この脚を伝って 縺れた記憶

       溺れるほど赤い 吹きだまり

       傷には雨を

       花には毒を

       わたしに刃を

       嘘には罰を

       月には牙を

       あなたに報いを

          (『けもの道』 by Cocco)

 

 こんな詞を読むと知らない人は彼女を何かおどろおどろしい人のように思ってしまうかもしれないが、彼女には悪霊(ディーモン)に憑かれたような歌もあれば、マザーグースのように可愛らしい歌もある。会ったことは無いので知らないが、その時々でどちらかにチャンネルが合ってしまう、普段はきっとフラットな人なのだと思う。

 彼女の人柄を知るのに格好の映像がある。2003年、音楽の世界から引退していた彼女が、故郷沖縄でゴミ問題を訴えるために1度だけ地元の高校生たちと企画した『Heaven's hell-ゴミ拾い大作戦ラブ・レンジャー参上』というDVDだ。

 引退後、沖縄で一人黙々とゴミを拾い続けていたCocco。ゴミ問題を訴えるために彼女が一人で音楽会を企画、運営、音楽指導などを行う様子を綴った感動のドキュメンタリーだ。アメラジアン(沖縄の女性とアメリカの基地の兵士との間に生まれた子供たち)スクールの子供たちを加えた、高校のブラスバンドとコーラスをバックに歌うCocco。“大人になることを恐れてはいけない、今大事に思っていることは大人になってもちゃんと持っていられるものだからヨ”と、沖縄の訛りで高校生たちに語りかけるCoccoが私は好きだ。この『ゴミゼロ大作戦』は去年、スペシャル・ワンマンライブが行われ、今、その写真集も発売されている。

 去年、5年ぶりに音楽の世界に戻ってきたCocco。叫べ!! 

 PS そう言えば毎年暮れに行われるジョン・レノンスーパーライブに去年、彼女は出演した。何を歌ったのか知っている人、教えてください。

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古酒(クース)

     

      ー下村 誠追悼ー

     

     もう長い間

     手をつけなかった古酒(クース)の

     樽の栓をあなたは抜いたのだ

     年月の澱を沈め

     グラスに注がれた古酒(クース)は

     懐かしい南の島の

     日没の海の色をしていた

     

     太陽と風と恋

     孤独を熟成した黄金色

     

     その永遠の相を

     一瞬に閉じ込めた味わいこそが

     あなたの歌だった

     

     あなたが生涯で

     出逢った人たちの

     一人一人もあなたの歌だ

    

     今夜 町中に

     ゴボゴボと古酒(クース)が溢れる

     

     金色の出逢い 

     金色の別れ 

     金色の旅

     金色の夢

     

     金色の怒り 

     金色の叫び 

     金色の涙

     金色の風 

     金色の空

     金色の森

     金色の微笑

    

     金色の歌ー。

 

 あなたの追悼会があった1月14日は良い1日でした。僕は再会した多くの人たちに酔っ払ってしまいました。下村さん、ありがとう。

    

     

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『フィールド・オブ・ドリームス』~キャッチボールと神話

Photo_6  この映画はそれぞれ違う女の子と3回映画館に行って、3回ともあの有名なラストシーンで泣いてしまい、それぞれに気味悪がられてしまった覚えがある。私は父を亡くして間もない頃で、また父が元社会人野球の選手だったこともあり、映画を見た時期といい、内容といいあまりにもタイムリーだったのだ。

 この映画でケビン・コスナー演じる主人公がトウモロコシ畑を潰して作る野球場を撮影した場所を、元広島カープの衣笠が訪ねる番組を以前テレビで見た。アイオワ州にあるそこは現在、映画の時のままグラウンドが保存され、多くの親子連れがキャッチ・ボールをしに訪れる観光地として人気スポットになっているらしい。

 息子が野球に興味を持ち、度々野球場に通うようになって、私は野球場そのものが美しいと思うようになった。実際、いるだけでゲームの内容抜きにストレスや疲れが消えるような気さえする。

 良く行くインボイス西武球場の外野自由席は座席は無く、人口芝なので、早めに行って選手がバッティング練習をしている時はシートを敷いてごろっと横になる。

 一度、本当に眠ってしまったことがあって、ぐーぐー寝ている私の頭スレスレのところにボールが飛んできて、見ていた息子の話によるとあと少しで直撃だったらしい。場所を変えまた寝ていると、またボールが飛んできて、その都度、お姉さんが『練習中のボールにご注意下さい。』と、まるで私一人のためにアナウンスしているようであった。誰かが私を狙っている?それは横浜ベイスターズ“蟹股打法”種田だった。

Img_788597_12035955_2_3  

 父親が息子に往年の名選手たちのプレーの話を聞かせる。私も良く亡き父から川上や藤村や稲尾や中西の話を聞かされた。私も現在、息子に王や長島や野村や福本の話をする。これはまるでインディアンが部族の神話を子供に代々語り継ぐのと同じような感じがあって、ようするに野球のゲームというのは日々作られる“神話”なのだ(例えば“江夏の21球”なんてホント神話)。

 この映画の主人公もかつて父親から聞いた伝説の名選手“シューレス・ジョー”を自ら作ったグランドに呼び戻す。そういう風に考えると、この映画は自らの手で神話を再現しようと奮闘する男の話と見ることもできる。

 この映画の原作『シューレス・ジョー』を書いた作家のレイ・キンセラには他にも野球ネタの小説として『アイオワ野球連盟』があるが、本当はカナダ・インディアンを主人公にした連作短編もので有名な人だ。野球好きで北米先住民の文化に興味がある私にとってはあのジャック・ケルアックとは別の意味で、自分のための作家のような気さえする。そう言えばケビン・コスナーもこの映画と前後してアメリカ・インディアンを題材にした名作『ダンス・ウィズ・ウルブス』を作っているので、野球とインディアン、何か関係があるのだろうか?考えて見れば不思議な取り合わせである。

 もし若き日の父に会えたら、私はこの映画のように絶対『キャッチ・ボールしませんか?』と、言ってみたい。気持ちの良い風が吹く夏の夕闇せまるグラウンドで。でも、やや太り気味の中年になった私を見て、父は『ぶったるんでる。キャッチボールじゃなくて、ノックだ!』と言うかもしれない。『フィールド・オブ・ドリームス』じゃなくて『巨人の星』になってしまいそう。 

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南の島の“じゃんがら”

Photo_22     

     いつか いつでもいいから 

     強い風ならば

     僕をかかえて吹き飛ばしてよ

     できれば南の方へ

               ( パーティ By 甲本 ヒロト )

 

 本当かどうか定かではないが、沖縄の言葉で“アー極楽!”って言う時“ハワイっさー”と言うらしい(たまたまネットでそう紹介している記事を見つけたんだけど、誰か正しいこと知ってる人いたら教えて下さい)。私の郷里には去年映画『フラ・ガール』で再び注目を浴びた常磐ハワイアンセンター(現スパリゾート・ハワイアンズ)があり、沖縄流の言い方を裏返せば“常磐極楽センター”ということになろうか??

 しかし、遠い昔にこのいわきから、独り南の島へ“極楽”を届けに行った人がいる。今回の帰郷で沖縄の伝統舞踊エイサーが、実はこの“いわき”発であったと聞いて、私は頭の回路がショートしてもやーんと白い煙が立ち上るほどビックらこいてしまった。

 そんな離れ業を演じたのは今から約450年前、いわきに生まれた袋中(たいちゅう)上人(1552~1639)という浄土宗のお坊さんです。戦国期から江戸初期の人で、学問に秀で、人々から感服される名僧だったそうです。

 この袋中さん(尊敬と親愛の情を込めて以下、こう呼びます。)、51歳の時、西遊記の三蔵法師と同じ志に燃えて、明(現中国)に渡り、未だ知られぬありがたいお経を持ち帰ろうと決心します。が、当時は秀吉の朝鮮出兵の影響もあり、明に着いたものの上陸が許されません。何度もトライしますが願いが叶えられぬまま、当時の琉球王国(現沖縄)に漂着します。慶長8年(1603年)のことです。

 この“ちゅらしま”で、袋中さんが言葉もよう分からんシマンチュウ達に極楽浄土の教えを広めるために故郷いわきの“じゃんがら念仏踊り”を教えたのがエイサーの始まりということらしいです。(“教えた”って一口に言うけど、きっと歌えて踊れる坊さんだったんでしょう、誰かみたいだな、この人。)

 時の琉球国王尚寧(しょうねい)王も袋中さんに深く帰依し、彼のために桂林寺なるお寺を建立したりします。この尚寧王と袋中さんには悲しいが感動的な話があって、袋中さんが島を去った数年後、琉球王国は薩摩藩から侵略されますが、王様は袋中さんから学んだ無駄な血を流してはいけないという仏教の教えを守り、城をいわゆる“無血開城”します。

 王は罪人として江戸に連れて行かれる途中、京都で袋中さんと感動の再会を果たし、その時、尚寧王が袋中さんに寄贈した宝物が、現在、京都に残されているそうです。(こういうのNHKの大河ドラマとかでやってくんないかな。いつまでも入れ替わり立ち代り“サル!”“親方サマ!”とかやってないでさ・・・)

 数年前、家族で沖縄を旅した時、エイサーを見る機会があった。踊っているのは20代位の若い男女で、テレもないその真剣な踊りからは“サイキック”なパワーが立ち上っているようで、私は軽いトランス状態に陥った。また、それからさらに数年後、私は祖母を亡くし、夏のお盆の時、地元の青年団が実家の庭先で“じゃんがら”を踊ってくれたのだが、この時も同じような感覚になった。踊り手の中には私の小中学校の同級生たちがいて、もし東京へ行かず、このいわきでずうと生きていたなら、私も一緒に踊れたかもしれないと思うと、少し人生を後悔した。

 そうか、同じだったのね。“エイサー”がクラプトンやジミヘンだとすると、“じゃんがら”はロバジョンやマディー・ウォーターズってとこかも。(例えが雑で、またロックやブルースに詳しくない人ゴメンナサイ)。

 いわきの“じゃんがら”は今も盛んで全部で100を越す団体があるらしい。しかし、“エイサー”をベースにした沖縄の音楽がワールド・ミュージックとして世界に認知されているのに比べ、“じゃんがら”は守るべき伝統芸能という域を出ず、外部の人には余り知られていない。

 この現状を打破すべく、一人行動を開始したのが、今回この話を私に教えてくれたJuce&Loveさんです。様々な顔を持つ彼はいわきと水戸のライブハウス“SONIC”の経営者でもあって、去年、“じゃんがら”をワールド・ミュージックという視点からCD化すべく、自分の店ですでに1曲レコーディングしたということです。いつか、“じゃんがら”をベースにした、レゲエのボブ・マーリイや、沖縄の喜納昌吉のようなカリスマがいわきから現れ、世界の音楽シーンをリードする日が来るかも・・・。

 写真は今年正月3日、袋中上人ゆかりの能満寺に詣で、私が撮った上人誕生の記念碑です。ああ、数キロ先にはハワイアンセンターがある。この南国の“極楽”がいわきにあるのもなんだか必然に思えてきました・・・・・・ハワイっさーてか。

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星の村で

     

     血の濃さをして震え走る故郷の川よ

     冬の神話の夜空の奥から

     艶っぽい月を盗みさらって

     翡翠の肌を

     さらさらと水面で愛撫している

    

     (すると そのすぐ隣で)

     ふわりと柔らかな

     墨汁を零した夜気のベールを

     激怒した風が

     金切り声上げ

     真一文字に切り裂く 枯れたすすきの野辺。

       

       流星は子午線をなぞり 死んだ女の影を連れて

       追憶の木造校舎の音楽室で

       ぎしぎし古い

       オルガンが鳴る

     

     腕の良い職人のように

     村人達は早くに眠ってしまった

     違和を予感し 私は

     箪笥の晴れ着の匂いの土地を

     嗅ぎ回り

     デラシネの目の犬

     

     掌に月の肌を汲み

     口に含むと

     知覚過敏の奥歯に

     しみる

     除夜の鐘の音。

     

     新しい時間の渦に投げ出され 故郷は

     微かに崩れ

     やがて見知らぬ

     物語となるー。

 

今夜は満月です。厳密には昨日ですが夜空のそれはまん丸。今回、帰郷して一番感動したのはほんものの闇の暗さ。暗いというより、もう“真っ黒”って感じでした。近くのお寺まで除夜の鐘をつきに行くと時、子供たちも怖がっていましたが、その分、星がきれいでした。月明かりや星の光を頼りに歩くなんて、都会じゃ贅沢なことでしょう。寒さの中、帰宅後、熱燗が身にしみました。

      

    

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日記06.12/30~07.1/2

6_1  あけましておめでとうございます。今、東京に帰ってまいりました。このブログ共々、今年も宜しくお願いします。何を書いていいのやら全くアイディアも無く書き始めてしまったので、以下、年末から年始にかけての私の3年連用日記からの抜粋で今日のところはお許しを。

 12月30日(土) 晴れ

朝、AM8;00頃起床。息子、ネットで道路交通情報を調べる。首都高、常磐道ともに空いているとのこと。朝食を食べ、AM9;30郷里のいわきに向けて出発。首都高を抜け、常磐道に入りすぐ桜土浦で6号国道に降り下道を行く事にする。途中、面白い看板が一杯あり(ひょうたん美術館、はにわの里、スーパー・ヒーロー、ダチョウ王国などなど)妻、娘喜ぶ。“子豚市場”なる看板見つけ、そのネーミングの悲しさから二人“ドナドナ”合唱。この“魂の旅”?に似つかわしくないと、カーステのニールヤング『ロッキン・イン・ザ・フリーワールド』のボリュームを上げる。途中、日立海浜公園に寄るが予想していたのと違い、“遊園地”だったので、入らずに行く。昼食は大手チェーン店は止めようということになり、長距離ドライバー達が集まるようないわゆる“めしや”を選ぶ。店名は『まつ屋』。娘、雰囲気の悪さにやや気分を害する。自分“にんにく焼肉定食”、妻“カレー”、息子“カツどん”、娘“親子丼”。量が多く、美味く、安い。こんな時じゃないと絶対入らないだろ?とかなんとか娘をなだめる。北茨城に入り、岡倉天心ゆかりの五浦海岸へ行く。有名な六角堂へ行こうとするがあいにく記念館が休みで入れず。海岸まで降りて、天心が見たであろう藍色の海と六角堂の写真を撮る。PM3;30頃いわきに到着。入院している母を見舞う。夜、弟嫁の店『アバンティ』で食事。アバンティ・カレー(ナイトバージョン)を食す。美味!ローリング・ストーンズの“ライク・ア・ローリングストーン”を聞きながら実家の家に帰宅。PM11:30頃就寝。

 

 12月31日(日)曇り

 やや遅い起床。本日で2006年も終わり。今夜の大晦日の大宴会?のための買出しに今日から休みの弟夫婦、我が家族全員で行く。母を病院に見舞った後、昼、平の“かつ丸”でトンカツ食す。その後、大型スーパー“エブリヤ”で食料品の買出し。自分と息子はスポーツ用品店で、有名野球選手のグローブやバットなどの展示に感激する。夜、皆で正月の飾りをする。宴会のセッティングにやや難儀する。山形の兄家族が来るまでの時間、最愛の女性?Coccoちゃんのライブの録画見る。かっこいい!!またまた母の病院へ行き、紅白見れるようにテレビをセッティングしてやる。PM8:00頃、兄家族到着。宴会開始。紅白は見てはいたがこれといって印象なし。森進一の“おふくろさん”くらい。カウントダウンの後、全員でおめでとうの挨拶。その後、息子、娘、甥と4人で法海寺に行く。真っ暗な田んぼ道。星が恐ろしいほどデカクきれい。超寒い。一人ずつ除夜の鐘つく。百八つある煩悩の“どれ”をついたのかは秘密。帰宅後AM2:00頃就寝。

 

1月1日(月)晴れ

 遅い起床。昨日、飲みすぎ喰い過ぎで体調悪し。どういう言葉のやりとりからか妻とやや言い合いになり、バッグ、枕、本などが飛んできてわけも分からずひたすら謝る。凄い年明け。が、その後、とてもとても優しくなる。不思議な人。皆で映画に行こうということになり、候補は『武士の一分』、『硫黄島からの手紙』、『フラガール』など。しかし、結局、おせちと酒、焼酎の前から動けず行かず終い。夕方、実家の犬“ジャニス”の散歩。酔い覚ましがてらに行く。きれいな青空にひこうき雲。写真撮る。

 

1月2日(火)曇り

 朝から全員で箱根駅伝に見入る。途中、息子が東京で手に入らないおもちゃがあり、いわきにあるかもしれないとのことで、平のおもちゃ屋へ行く。しかし、今回も見つからず。映画『カーズ』のポスターを買う。帰り県道の名前が66号線(ルート66!)なのに気づき、看板の写真撮る。昼ごろ、兄家族、山形へ帰る。PM3:30頃、かねてよりこの年末年始に会おうと約束していたJuce&Love氏来る。本日まで仕事とか。そんな中来てくれて恐れ入る。年末に亡くなったS氏の思い出話の後、突如、江戸時代初期のいわきが生んだ名僧袋中上人と沖縄エイサーの関係、そしてハワイアンセンターの話となり、初めて聞く話でただただ驚く。袋中上人ゆかりの寺“能満寺”はなんと、自分が通っていた中学校から数キロの場所とのこと。(この話はあまりに面白いので近いうちにちゃんと調べてこのブログにも書こうと思います。)夜、弟夫婦と回転寿司へ。PM11:00頃就寝。

・・・・で、今朝、“能満寺”へ行ってから、帰路に着いたというわけです。2007年はどんな年になるか。馬鹿なことを真剣に、が今年の目標です。皆、がんばろうネ。

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