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Stone Buddha

 

     金色の花粉は

           静寂の中をスローモーションで

     やがて

     印画紙の季節に色彩を施す

     強く緑が匂う森に <そこだけ明るく陽の当たる>

     密やかに息づく

     野生の庭園

      風の催眠術師の命によれば

     私はここで石仏になり

     花々の国の栄枯盛衰を

     未来永劫

     見続けることになるいうのだが

 

     地を覆う獣の群れ

     その夏の性的な叫び声よ

     葵の空の滴りに

     鷲摑みにしたノースリーブの腕

     きりもなく愛はとろけ合って

     真昼のシーツ

     反り返る 喉のカーブ

     愉悦の草を這う 

     ヒンズーの蛇

 

     不滅の人の瞬きの間に間に

     花は流れ 人は滅ぶ

     その葉脈と

     幼子の血の中に

     濃い遺言の

     文字を 刻んで

 

     鐘が鳴り

     千年が瞬時に過ぎ去る

     夕暮れの夢から醒めてもまだ

     命はくっきりと私の形して

     大地に在る

 

     麻酔のように

     夢から漂いくる

     花々の香りに

     祝祭のような今を

     絶え間なく葬られながら

 

 

 

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Long good-bye

 

     味噌を酒で溶くと

     味噌汁の味にこくが出ると

     あなたは僕に教えてくれた

     すべからく世の快楽には

     味わう前に 独自の

     ほんのもう一工夫がいるのだと

     

     ギャンブルが人生じゃない

     人生がギャンブルだと言う人もいるが

     勿論 人生はギャンブルではない

     

     ありきたりな幸福の眩さに

     誰よりも憧れ 目を瞬かせた人

     そして それに背を向けた人

     細いロープの上を大きな体で

     大股で歩いた人

    

     右側は平凡な天国

     左側は華麗なる地獄

     

     あなたがどちらの側に落ちたのかは 今や

     神のみぞ知るところ

     

     青年が結婚し夫となり父となるその傍らで

     あなたは何になった?

     何になれなかった?

    

     『お前、太ったな』と、最後にあなたは言って

     いや、余計なものを身に付けすぎたのは

     あなたの方ですと

     僕は 言えばよかったのか あの時

     

     あなたが消えたと知って

     初めに浮かんだのは

     レイモンド・チャンドラーの小説の中のこの言葉

    

     『さよならとは少しの間 死ぬこと』。

 

 これは小説『豚骨スープの湯気に別れの挨拶を』(カテゴリー『魂のラーメン!』の第1話)のモデルにもなった私の恩人が、実際にいなくなった時に書いた詩。あのラーメン屋の前を通る度、思い出す。

 

 

 

      

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夜逃げもどき

 
       船着場にて
       櫂の柄は朽ち
       水夫(かこ)は花町
       女漁り
       逃げましょうにも
       女房 子連れじゃ
       先の長旅
       足手纏い
       向こう岸まで
       行くに
       行かれず
       月は追う追う
       夜の終わり
       浮世のことなど
       知るも面倒
       ここはひとまず
       狸寝入り
       貧しさ知らずの
       世間知らず
       川鵜泣く泣く
       夜逃げもどき

 

       川鵜泣く泣く
       夜逃げもどき

 

       玉突き場にて
       893鉄砲(ちゃか)撃ち
       間夫(まぶ)はお陀仏
       あとの祭り
       ほっかむりして
       尻は隠さず
       竿にゃ重たい
       賭場の金子
       よその国まで
       行くに
       行かれず
       サツは追う追う
       夜の帳
       政(まつりごと)など
       知るもまっぴら
       とどのつまりは
       やっぱ出入り
       掟知らずの
       命知らず
       川鵜とぶとぶ
       夜逃げもどき

 

       川鵜泣く泣く
       夜逃げもどき

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Nude

           

         獣(けだもの)の

         汗と火照りとが去った後で

         肌は

         冬の陽のように白い

         大理石の輝きを増す

         未熟から成熟

         そして腐乱へと辿る死への過程で

         こんなにも美しい時を仕掛け得て

         神は

         満足して密かにほくそ笑む

        

         密林を映す湖上の舟の

         息苦しく流された先で

         青年は覗き見る

         ある奇妙な生き物が

         惜しげもなく

         夜に

         命をさらけ出すのをー。

 

 

 ある朝、物凄いシュールな夢を見て、飛び起きて書いた。私にはそんな詩がいくつもある。これはその中の一つ。ちょっとエロチックで、少し怖い夢だった・・・

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『コインロッカー・ベイビーズ』~永遠の近未来小説

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 この本は今でもラストシーンの部分だけを読むことがある。これはこの小説全般に言えることだが、氏の膨大な著作の中で最もポエジーが炸裂していて、私は特にこのラストを長編詩を読むような気持ちで読む。勿論、ストーリーを全部知っているからでもあるが、そのような読み方をするだけで何度も感動が味わえる。

 私の言うラスト・シーンとは危険物質ダチュラで都市の破壊をもくろむ主人公のキクと恋人のアネモネが250CCのオフロード・バイクで渋滞の高速道路を疾走するあたりから、その破壊された街を精神病院を抜け出したキクが彷徨い、妊婦を殺そうとし、止めるラストに至るまでである。

 この本を初めて読んだ時のことは鮮明に覚えている。高校2年の夏、高円寺のとある予備校に夏期講習を受けるために田舎から出てきていた私は、夏のアルバイトで一夏留守にしている当時大学生だった兄のアパートで過ごしていてそこで読んだ。

 田舎者だった私は受験勉強という大義名分を隠れ蓑にして東京での一人暮らしを満喫していたが、慣れない東京は心細くもあった。お金もそんなに無かったので、特に夜をどう過ごして良いか分からず、それでたまたま本屋で表紙の不思議な装画に魅かれてこの本を買い、毎晩、貪るように読んだ。本当は勉強しなければならない身分だったのに、あまりに物語に夢中になりすぎて下巻は1日予備校を休んでひたすら読み続けたのを覚えている。

 物語の主人公は赤ん坊の時、コインロッカーに遺棄されて助かった二人の青年だ。一人はやがて“ダチュラ”で都市を破壊しようとするキク、もう一人はドアーズのジム・モリソンを想起させるようなロックシンガーになるハシである。

 解説で評論家の三浦雅士氏はこの小説を“破壊”と“心臓の音探し”という二つの側面から考察を加えている。キクにとっては都市自体が自分を閉じ込める“コインローカー”そのものであり、彼の企てる破壊は自分を閉じ込めるものを突破し、そこから出て行こうとする、いわば『外部』を絶えず求めつづける意思のメタファーである。

 一方、もう一人の青年ミュージシャンになったハシは狂気に駆られながら常に一つの“音”を探し続ける。それは母親の胎内で聞いていた“心臓の音”であり、生命力の象徴でもある。

 この小説のイメージはその後、80年代後半から20世紀末の日本の様々な表現の中で、流用、再生産された。大友克洋の『アキラ』にもそれは見られるし、岡崎京子の漫画『Pink』にはこの小説のヒロイン、アネモネと同様、鰐を飼う女が出てきたりする。そのせいかこの物語をすでに古く感じるという声を、身近にいる若い友人から聞かされたことがあるが、本当にそうだろうか?

 “近未来小説”と銘打たれたこの小説が発表されたのは1980年である。物語の中でもキクやハシが生まれたのが1972年とあるから、確かに私たちはこの小説に描かれた近未来をとっくに通り越した社会に生きていることになる。

 それは“オウム事件”や9・11等のテロを経験した社会でもある。反面、サッカーの中田英寿のような古い価値を突破し、世界に出て行くヒーローが出現したりして、氏が本作品で描いたイメージやテーマは図らずも現実化してしまった部分も、また実現した部分もあるように見える。

 しかし、例えば数年前起きたイラクでの人質事件の時のような国の対応、“自己責任”とする世論の形成のされかたを目の当たりにすると、私はこの物語が全く古びていないのを感じる。

 危機に直面すると日本人は必ず内部を囲い込み、右傾化をすすめ、決して『外部』に通用しない論理で自己を正当化しようとする。そして今、その内部では自殺者が年間3万人以上もいると言うのに、“美しい国”とか言っている。自滅である。つまり、この小説はイメージとしては古びた点はあるが、テーマとしては未だに近未来のままなのだ。

 やぼは承知で、私が何度も読み返すラスト・シーンをここで引用してしまおう。

 “そうだ、心臓の音は信号を送り続けている。ハシは息を吸い込んだ。涼しい空気が舌と声帯を冷やす。母親が胎児に心臓の音で伝える信号は唯一のことを教える。信号の意味は一つしかない。ハシはまた息を吸い込んだ。冷たい空気が喉と唇をつなぐ神経を一瞬、甦らせ、ハシは声を出した。初めて空気に触れた赤ん坊と同じ泣き声をあげた。もう、忘れることはない、僕は母親から受けた心臓の鼓動の信号を忘れない、死ぬな、死んではいけない、信号はそう教える、生きろ、そう叫びながら心臓はビートを刻んでいる。筋肉や血管や声帯がそのビートを忘れることはないのだ。

ハシは妊婦の顎から手を離した。赤ん坊と同じ声をあげながら女から遠ざかる。無人の街の中心へと歩き始めた。ハシの叫び声が歌に変わっていく。聞こえるか?ハシは彼方の塔に向かって、呟いた。

聞こえるか?僕の、新しい歌だ。 (村上龍 『コインロッカー・ベイビーズ(下巻)』より”

 高校生の私は読後、街に出た。まだ夜明け前だったが、夏で部屋は暑かったので、外は涼しくて気持ちよかった。なんだか圧倒的な力が全身に漲っているような気がして、私は夜明け前の東京の街をあても無く歩き回った。そしてハシのように遠くのビルを見上げた。自分に今、物凄い生命力が溢れているのが分かった。

 あんな、読書体験はあの時が最初で最後である。

 今でもあの時のような“力”を感じたくなる度、私はこの小説を読む。

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ぼくらが学校に行く理由

     

     今朝 遠くの空で

     何かが轟く音が聞こえた

     風でなく 鳥でなく 稲妻の音でもなく まして

     精霊へと孵化した誰かの命が

     空を駆けていく時の

     音でもない

     

     数学者が知っているのは

     シンプルな定理に潜む

     世界の美しさ

     恋人の横顔に見蕩れた覚えのあるものなら

     誰でも

     数学者になれるだろう

     あらゆる美しさに見蕩れ

     その謎を

     解き明かそうする者なら

     誰でも

     

      地球は丸い

      ゆえに

      君の国の夕焼けの美しさと

      僕の国の朝焼けの美しさは等しい

      

     戦火の中で

     壊れた建物の隙間から

     へんな形の空を覗く少女の夢は

     お腹いっぱい食べることと

     学校へ行くこと

     そして遊ぶこと

     何故なら楽しく遊びながらでなければ

     人は

     平和を学ぶことができないと知っているから

      

     『憎しみのプラカードを書ける人の多さに比べ

     愛の手紙を書ける人のなんと少ないことか』 

                 By ティク・ナット・ハン

     

     今朝 遠くの空で

     何かが轟く音が聞こえた

     政治家と

     富める者が互いを蔑み 罵り合う声が響くその中

     誰からも見捨てられた

     世界のゴミ溜めで

     

     新しい救世主が目覚める。

 

 この春、中学生になる息子が小学校4年生の時、学級崩壊が起きた。毎日ちゃんと学校へ行っても、授業が行われない状態なので、息子は無駄なので学校へ行きたくないと言い出した。それで私は『それなら、一人前に扱うから仕事しろ。』といって、私の仕事の現場に連れて行って、真夏の炎天下の中、働かせた。今、職場の人が撮ってくれた現場での息子の写真が残っていて、大人たちに混じり、頭にタオルを巻いて働いている彼の姿がユーモラスでなんだか愛しい。

 忘れもしないその夜、テレビを点けると、フィリピンのスモーキー・マウンテンでゴミ拾いをして、病気の母親と幼い妹と弟を養う少女のドキュメンタリー番組をやっていた。日本から取材で行ったアイドルだか女優だか分からない女の子が『今一番したいことは何?』と聞くと、少女は『学校へ行きたい。』と答えた。タガログ語の少女は宝物と言って、捨てられた古雑誌のページを一杯持っていて、それで“英語の勉強”と言って、夜、それをじーっと眺めていた。

 第三世界の国々や戦火に見舞われている国の子供たちに同じ質問をすると80パーセント以上が同じように答えるという。そして、将来の夢のダントツが『学校の先生』だそうだ。

 うーん。この差って一体なんだろう、とその夜、私は考えた。そして、確かに思ったことは次のこの地球を真に担っていくのは彼、彼女たちであって欲しいということだ。かく言う私も、学生時代、学校のありがた味など意識したことはなく、どちらかといえば反抗し、無視していた方なので偉そうなことを言える人間ではないが。

 それで、その夜、この詩を書いた。

 願わくば一人の親として、子供たちにとって学校が楽しい場所であって欲しいと願う。

    

  

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     風に震える花は
     吸い上げる葉脈の水音に
     命の声を聞く
     春の嵐の雲の切れ間に
     太陽の
     逆巻く髪を捜しなが

     花よ  無情に延びている直線の地平は
     実は球体であなたを支えている

     花よ  いつか風にさらわれたあなたの種子たちは
     国境を越え 
     アスファルトの裂け目密かに芽吹いている

     花よ  激痛とともに手折られたあなたの半身は
     旅人の手の中で 今
     彼の意固地な魂をそっと癒していいる

     花よ   泣いてはいけない 昨日の輝きが
     ただ未熟さゆえのことと知った今でも

     時間の無い世界では
     産声から念仏までの
     生まれてから老いていく
     命があるだけ
     まして輪廻など
     ただ一度きりの
     自分がいるだけ

     風に震える花は
     その痛みの記憶を
     愛の磁力に変え 
     強さに変える

     自惚れた神々が気まぐれにもたらした
     その美しさを
     なんとか 散らさまいとして

 

  今日は立春。暦の上ではもう春です。近頃は異常気象なのか、暖かい日もありますが、朝夕はまだまだ寒い。私は実は一年の中でこの時期が一番苦手。なんかバイオリズム的に良くない感じがします。ま、Hold onってことで。

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