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ロックン・ローラー金太郎!

41tvjdtcmvl__sl500_aa300_  ブルース・スプリングスティーンは矢島金太郎である。これを思いついた時、私は笑ってしまった。余りにもぴったりくる説だったからだ。

 矢島金太郎とは本宮ひろしの大人気漫画『サラリーマン金太郎』の主人公の名前である。テレビドラマ化され、映画にもなった。漫画は関東一円を縄張りとする暴走族“八州連合”のヘッドだった金太郎が、あるキッカケでサラリーマンになり、様々な事件、仕事を通して人間として成長していく物語なのだが、裏通りのチンピラ風だったスプリングス・ティーンが、アメリカの民衆の心を代弁する国民的詩人、シンガーへと変貌する様はまさに“金太郎”的だ。

 スプリングスティーンの初期の3枚『アズベリー・パークからの挨拶』、『青春の叫び』、そして『明日なき暴走』までは、言わば金太郎の八州連合2代目総長、伝説のヘッドだった時代に相当する。女なし、シンナーなし、喧嘩上等の走りである。スプリングスティーンはこの頃、ロックンロール神話の中をビッグマシンに乗ってフルスロットで駆け抜ける、正に走り屋だった。言葉は饒舌でスピード感があり、歌の内容も、裏通りに生きる不良たちの刹那的な生き様や悲劇、愛の情景をロマンチックに表現したものが多かった。そしてこの頃のEストリートバンドはまさに“八州連合”だ。

 金太郎がサラリーマンになるのは海で大和建設の社長を助けたことがキッカケとなるが、スプリングスティーンが裏通りの兄ちゃんから民衆の声を代弁する歌手になるのに、何があったかは分からない。しかし、その路線がどこから始まったかは明白である。それは4作目『闇に吠える街』の1曲目、“バッド・ランズ”から始まった。

 

  背中が焼けるまで農場で働き

  真相を知るまで車輪の下で働く

  俺には 今 真相が良く分かる

  貧しい者は金持ちになりたがり/金持ちは王様になりたがる

  そして王様はすべてを支配するまでは/満足できない

            -<中略>ー

  生きていることが素晴らしいと感じることが

  罪ではないという考えを

  心に深く持っている者たちのために

  俺は俺の心を見抜いていない一つの顔を見つけたい

  俺は一つの場所を見つけたい

  そして俺はこれらバッドランドにつばをはきかけたい

 

       『バッド・ランド』 By ブルース・スプリングスティーン

 

 スプリングスティーンの伝記を読むと、彼の家庭は貧しくて、子供の頃、家に本なんて一冊もなかったらしい。 だから彼が読書という習慣を身につけるのはずっと後になってからのことだと言うが、この『闇に吠える街』の頃、彼はジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』を読んだのだという。1930年代、大不況下のアメリカで、貧しいながらも強く生きていく人々のこの物語が彼に与えた影響は多分、本人が考えているよりずっと深い。これは憶測に過ぎないが、彼はこれを読むことによって、自分の生い立ちの貧しさにアイデンティファイすることを自らに許し、さらにそれをアートにまで昇華する方法を発見したのではないだろうか。これ以前と以後に分けられる程、彼の詩作のテーマも方法も大きく変わってしまう。そしてその最初の到達点が名曲『ザ・リバー』だろう。

 その後、ギター1本の『ネブラスカ』へと続き、この方法はさらに深化するが、彼が歌の中で表現し、擁護しようとする人々にこの頃、現実の場で何が起きていたかというと、時はアメリカ、レーガン時代、80年代不況の真っ只中だったのである。『サラリーマン金太郎』も第7巻で、仕事で事件に巻き込まれ、こともあろうに愛する家族や同僚、上司が敵の卑劣な手段によって傷つけられる。怒りにぶっち切れた金太郎はスーツを脱ぎ捨て、かつての八州連合を召集し、大暴走を始めてしまう。元の“族”に逆戻りしてしまうのである。

 スプリングスティーンもこの頃、同じことをする。『召集かけろや・・・』と、きっと椎名のようなスティーブ・ヴァンザントあたりに言ったにちがいない。そう、アメリカ音楽史上最大の大暴走『ボーン・インザ・USA』ツアーの幕開けである。この毎回4時間を越す怒涛のロックンロール・ショウは私も見た。2度。何をそこまで・・・と思うほど彼は吠えた、跳ねた、叫んだ。2度目の私の席はステージ真横の2階席だったのだが、ステージ上、ドラム・セットの裏に水を入れたバケツが用意されていて、一曲ごとに彼はざっぶっっと頭を突っ込み、ぼとぼとと水を滴らせマイクに向かっていく。サックスのクラレンス・クレモンズがさすがに呆れて笑っていた。私が初めて見る美しく狂った人間の姿だった。

 大暴走の後、金太郎は逮捕される。スプリングスティーンの大暴走は勿論、犯罪ではないので、捕まることはなかったが。金太郎はムショの金網越しに大和建設の社長に諭され『俺、一人で生きてんじゃないんすね・・・』と言って泣く。これで金太郎は本当に“族”を辞めるのである。スプリングスティーンもこの、時の大統領をも巻き込む一大事件となったアルバム『ボーン・イン・ザUSA』と、そのツアーの後から本格的に民衆を代弁する歌手への道を歩き始めたような気がする。私には『トンネル・オブ・ラブ』のあの写真がシャバに出てきて、今度こそは本当にサラリーマンになった金太郎のように見える。

去年、発表された新作『ウィ・シャル・オーヴァー・カム シガーズ・セッション』はスプリングスティーンにとっては国民的大歌手としての大先輩ピート・シガーが長年レパートリーにしてきたトラディショナル・ソングのカヴァー集である。一体、誰がバンジョーやフィドルをバックに歌う彼を想像しただろうか。しかし、裏通りのチンピラも民衆の声を代弁する詩人も辞めたスプリングスティーンは音楽を本当に楽しんでいて、これは素晴らしく好感の持てるアルバムだ。私にはサラリーマンを辞め、島で漁師になった金太郎に見える。綺麗に日焼けしている姿まで見えるようでもある。

 漫画ではこの島にかつての同僚が金太郎を呼びに来ることから、また物語が展開する。私の予想ではこの後、スプリングスティーンはEストリートバンドとロックンロール・アルバムを作る筈だが、呼びに来るのは・・・・・・そう、ロイ・ビタンだ!

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音楽コラム(89)」カテゴリの記事

コメント

私の持っている『明日なき房総』のLPレコードはカビている。
ヘビースモーカーだった私がある日突然タバコを吸わなくなってしまったように聞かなくなってしまった。
私のロック四天王はストーンズ、ザ・バンド、ニール・ヤング、ディランなんだが、何か共通したものがある。
それは誤解を招く表現かもしれないが「弱さ」を感じるのである。「もののあはれ」というか。
ストーンズはキースがいつ死ぬか自分のオヤジ並みに心配だし、
バンドのリチャード・マニュエルは正統派のダメ男で自殺したし、
ニール・ヤングはギターは轟音なのに声はヘナヘナだし、
ディランは『モダン・タイムズ』で奇跡のカムバックをした40過ぎのチャンピオンボクサーみたいだし、

それにくらべ、スプリングスティーン、ボーノ、スティングは凄く「強い」感じがするのである。
個人の感受性の問題だから仕方ないか。

※変換ミスのLPレコードタイトルは素敵な感じがするので訂正せず

投稿: jazz坊主 | 2007年2月 2日 (金) 22時01分

スプリングスティーンについて書くのは本当は凄く難しい。彼は不思議な人だよ。君の四天王は皆、ジャズ・ジャイアンツって言葉があるように、言わば皆、ロック・ジャイアンツ。黄金の60年代に出てきて、いまのロックを作った人たちだ。ボーノとスティングはその後の70年代後半のパンク・ムーヴメントの流れから出てきた。そして過去のロック・ジャイアンツたちに文句をいっていた。

 スプリングスティーンはキャロルキングやジェイムス・テイラーやエルトン・ジョン、ジャクソン・ブラウンなんかが全盛の70年代前半のシンガーソングライター・ブームに乗って出てきた人なんだよね。面白いのはその人たちは皆、段々、バンドを充実して“ロッカー”みたくなっていったのに、皮ジャン着て、初め場違いなシャナナのメンバーみたいだったスプリングスティーンはロッカーだったのに、段々とシンガー・ソングライターみたくなっていく。そして、ジャイアンツ世代とパンク世代の橋渡しのようなことをしたのも一人スプリングスティーンだけなんだよな。だから、70年代前半、彼は遅れてきたロッカーでもあれば、早すぎたパンクスだでもあったわけ。

 僕が不思議なのは彼には最初からブルース・ミュージックの影響が全く無いということ。R&Bの影響はあるけど、それほどディープなものじゃなくて、ガキの頃、ラジオで聞いて好きになった音楽を覚えていて今またやってます、って感じ。

 思うに、誤解を承知の上で言えば黒人以外“ブルース”ってお金もちのお坊ちゃんの音楽なんだよ。ホントにブルースな状況にいる時、黒人以外の人ってブルースなんて聞かないよ。例えばミックやキースってなんだかんだ言っても、中産階級のお坊ちゃんで、それで、悪ぶるアイティムとしてお小使いでブルースのレコード買って聴き始めて、で、本当に悪になっちゃた、ミュージシャンになっちゃったって感じ。

 スプリングスティーンって悪ぶることもできなかったんだよね。きっと。彼は旋盤工や自動車修理工なんかがその職業を選ぶみたいに音楽を始めたんだ思う。つまり、生きるための“決意”のかたさみたいなものがあって、それが君の言う“強さ”に通じるんじゃないかしら。

 強い。だから“サラリーマン金太郎”になぞらえたのもあながち間違いじゃないでしょう?
彼はアメリカの“ボス”だからさ。日本の“ボス”は矢沢だけど。二人が競演したら笑っちゃうな。大統領と首相になって日米首脳会談とか。スプリングスティーンが歌う“トラベリング・バス”とか、矢沢が歌う“ボーン・トゥ・ラン”聞きてー!!

 

投稿: ナヴィ村 | 2007年2月 3日 (土) 07時42分

 ナヴィ村君の文章を読んで、急にボスを聴きたくなりました。考えてみたら十年以上ぶり。初来日当時は毎日何回も聴いていたんだけどね。
 他のアルバムもそうだけど、同じのを擦り切れる程聴くっていうのはなくなりましたね。

 昨日うちの嫁に、先日下高井戸で話したナヴィ村親子が夕焼けを見に行く話をしました。すると「大切な事を忘れていた…」と涙ぐんでいました(笑)。ホントにいい家族だと感動していたよ。

(それにしても革ジャンの上から袖をもぎ取ったGジャンを着るって、ボスのセンスは今考えてもすごい…)

投稿: JUICE&LOVE | 2007年2月 3日 (土) 19時27分

元レースクイーンの奥さん、ありがとう。貧乏自慢みたいな話でスイマセン。この間の下高井戸は集まった事情が事情なだけに、僕は感情の量が多くなって泣いたり、笑ったり、でも良い一日でした。ついこの間まで“朝焼け隊”っていうのもやってました。娘と。中央道を朝早く走るとまだ静かな東京の町並みをスッゴイきれいな朝焼けが照らして、信じられないくらい綺麗なんだよね。僕は仕事で冬場、都心の方まで車ででかけなきゃならいことがあって、寒くてすげー辛いんだけど、その朝焼け見るのだけ楽しみに毎朝早起きして行きました。その話、娘にすると“見たい”ということになって、休みの日も同じ時間に同じことするという(笑)。
 子供たちとの黄金時代もそろそろ終焉が近づいてきているので、懐かしいです。

 スプリングスティーンは“ボーン・イン・ザ・USA”以降のアルバムが良いよ。最近、そう思うんだよね。僕は毎朝、仕事に出かけていくとき“ライジング”の1曲目“ロンサム・デイ”カーステで聞いていきます。今日も孤独な一日だけど、オーライト!みたいなさ。ネオコンが牛耳ったアメリカには幻滅ばかりしていたけど、彼の歌を聞くとアメリカへの愛情がよみがえる気がします。今、アメリカで反戦デモが凄いらしいね。全然、報道されないけど。彼は今、本気で“ウィ・シャル・オーヴァー・カム”歌ってんだよね。だっせーけど、かっこいいよ。

投稿: ナヴィ村 | 2007年2月 3日 (土) 23時13分

いや~、村田くんのスプリングスティーンは矢島金太郎だという説はすごく面白かったよ!(^o^)/この話についていけるのは、日本中でどれくらいいるのかね??うちには「サラリーマン金太郎」全巻揃ってるし(子供の名前に「太郎」が付いているのは、ハッキリ言って金太郎から取りました!!)、スプリングスティーンもオリジナルアルバムは全て揃っているからね~(笑)
残念なことにこのカバーアルバムだけは、聞いていなかったんだぁ~。(「Born To Ran 30周年アルバム」も良かったね!)

でもやっぱ、敢てスプリングスティーンの頂点は、どのアルバムかって考えると、僕はやっぱ、「Born In The U.S.A」だなぁ。あのアルバムとライブの影響で、元春も浜省も3時間を越すライブをやるようになったからね~。日本のロックにおける影響力って相当なもんだったと思うよ。
で、金太郎の頂点っていうと、僕は東北大暴走ではなく、山王会の本城親分に会いにいったところだと思うんだけど、どうだろう??
(^-^)
ところで、話は変わりますが、G-Uのひるます氏とで、「下村誠さんのブログ」を立ち上げました。(http://holybarbarians.blogspot.com/)

キチンと責任ある意見を求めたいので、敢て登録制としました。

是非是非、村田くんも参加してください。。。

どうぞよろしく。

投稿: 鈴木 | 2007年2月 6日 (火) 00時39分

鈴木さん、コメントありがとうございます!このエントリー、マニアック過ぎてどうかと思っていたんだけど、結構、反響あって、わざわざ電話くれた人もいます(笑)。
 このエントリー書いて、すぐ、たまたま本屋で手に取った村上春樹のエッセイ『意味がなければスイングはない』とかいう本に、スプリングスティーンについての文章があって、タイムリーでびっくりしました。レイモンド・カヴァーとスプリングスティーンの共通点、というか二人はほとんど同じ世界の表現者だとして、村上春樹が語る文章に、自分と“ノーベル文学賞候補”作家の違いをまざまざと思い知らされました。(比べてどうするって感じですが。)

 二人はアメリカ社会の中で、労働者階級の暮らしというものを“社会問題”としてではなく“アート”として提出した、ほとんど初めての存在なのだ、というようなことが書いてありました。片や短編小説家、片やロックンローラーとして。
 しかし、大金持ちになってしまったスプリングスティーンが貧しい人々の暮らしをリアルに綴っていくとゆう手法が許されるのか?という道義的な問題から、『ボーン・イン・ザUSA』以後の彼はそういった階級意識に根ざさないアートを創出しなければならないという困難な格闘を強いられることになったのだといことです。

 レイモンド・カヴァーはまた別の局面から、でも、スプリングスティーンと同じ問題に突き当たり、それを乗り越えた作品集が『大聖堂』など晩年の傑作群なのだそうです。

 村上春樹はそう言った意味で『ライジング』を褒めて?いましたね。僕は・・・どれが一番とはすぐ答えられませんが。(曲なら、最近、意外なところで“ビリリアント・デスガイズ”が名曲だなと思いました。)

 早速、下村さんのブログ拝見しました。彼が残した膨大な文章。その通りですよ。僕にとって下村さんって、歌も歌うライターなんだよね。というかその頃が全盛期だったような気がします。晩年の彼と付き合っていた人は“昔、文章を書く仕事をしていたらしいシンガー”って受け取り方の人が多いです。僕は、以前GUにも書かせていただきましたが、高校生の頃、彼の新譜ジャーナルとかの記事で、ビートニクスだのヌーベルバーグだの、色んなこと知ったんですよね。

 『下村誠全集』あったら読みたいですね。

 このブログもそういった意味では彼の影響なんです。“金太郎”と絡めるのも(笑)。下村さんのも独創的なの多かったですよね!

 ブログ、もう少し気持ちの整理がついて、彼に関して何か書けたら参加させていただきます。

 それでは。

 


 

投稿: ナヴィ村 | 2007年2月 6日 (火) 05時33分

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