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『せんせいけらいになれ』~宇宙のはじまり

せんせいけらいになれ Book せんせいけらいになれ

著者:灰谷 健次郎
販売元:角川書店
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 “子供の個性を伸ばす教育をしよう”といったスローガンは、昨今、余り魅力的に響かない。かつての詰め込み主義的な偏差値教育の“アンチ”としての“ゆとり教育”が大問題になってしまった現在では、そもそもの理想としてあった出発点がどこだったのかさえ省みられることは無くなったかに見える。

 この本は去年の11月23日に亡くなった児童文学の作家灰谷健次郎氏の出発点となった著作である。“著作”というと少し語弊があり、実際に書いたのは、長年、小学校の教師をしていた灰谷氏が出逢った子供達である。子供達が書いた詩に対して灰谷氏が、指導し、コメントを付け加えたものなのだが、私はその灰谷氏の指導とコメントも含めて“詩”のように読んだので、私はこの本は灰谷健次郎氏と子供達の合作、コラボレーション作品だと思っている。

 小さい子供と接し、子供の持つ言語感覚に驚嘆した覚えがあるという人は少なくないと思うが、それを“詩”にまで昇華させるには、やはり、努力がいる。この本の第一章で様々な学年の子供達の作品を紹介した後、第二章の冒頭で灰谷氏は

 “詩て、おもろいで。詩て、誰でも書けますよ。詩にペケはありません。かいたらみんなマルです。”と、子供に話しかける。“ひとつだけやくそくがあります。それはしょうじきにかくことです。これだけまもっていたらみんなマルです”と。

 そして、子供、特に低学年の子供達におしゃべりをさせることから始めるのだが、ここから“小さな宇宙”とでも言うべき展開が繰り広げられる。氏はほんとうにやさしい言葉を使って、情景をよく観察し言葉に置き換える方法や、比喩の効果、形容詞をなるべく使わないこと、リズムの重要性、読者に想像の余地を残すことなど、を子供達に教える。“教える”といってもそれらは氏特有のユーモラスなおしゃべりの中にまぶされていて、頭で考えるものではなく、子供達は文字通り、それらを体得していけるようになっている。

 普通、子供の絵や詩は素晴らしい、と言われるが、それは“子供の”という、条件がついた中でのことであって、例えば、私が子供のような絵や詩を書いても、誰も素晴らしいとは言ってくれない。しかし、私は今回、この本の中に“子供の”という条件を排してもなお優れた作品と思える詩を幾つも発見した。例えば三年生の女の子が書いた『いつまでも』という詩だが、赤ちゃんの時からずっとお母さんと寝ている女の子が、家の人に『すっちゃん、いつになったら一人でねられんのん』と言われる。それでその子が、私はいつまででもおかあちゃんの胸の中で寝る、と宣言した詩なのだが、私はまるで美しい“聖母子像”の絵を見せられているような気持ちになった。

 この本は笑いながら読める。しかし、ただそれだけなら単なるユーモラスで瑞々しい子供達の語録を集めただけの本で終わってしまったことだろう。この本の本当に凄いところは、詩作を通して、子供達に人が生きていく上で避けられない幾つかの事柄に向き合わせている点にある。罪というものに向き合った“チューインガム一つ”、知的障害を持つ児童とともに過ごし、共生することを学んだ子供達の言葉“黄色いかさとちあきちゃん”、友達の死に直面した時の“あなたは今日から花です”、そして、大人の不注意によって足を失くした少年が書いた“ほねくん、きみはぼくのあしがあるとおもって、のびてくれるんだね” などだが、どれも、子供達の筆致は“正確”で、読む者の胸を打つ。

 中でも、この本の中で、多分、一番有名な詩は“チューインガム一つ”だと思うが、これは英訳もされているので、児童文学に興味のある海外の人にもきっと広く読まれたものだと思う。

 三年生の女の子がほんの出来後ごろで、年下の子と店先からガムを盗んでしまう。厳密には自分では手を下さず、年下の子に盗ませてしまうのだが、だから余計に罪悪感も深い。すぐに見つかり、母に叱られ、家にいたくなくて少女は出かけるのだが、行く当てがない。これはその時の心細さを書いた詩なのだが、少女のそのときの感情を掬い取った言葉は、“正確”としか言いようがなく、つまり非常にリアルなのだ。この詩を受けての灰谷氏の指導がまた凄くて、普通、こんなに罪に慄いている子供を見たら、優しく抱きとめて許してあげそうになってしまうところを、氏は自らも子供時代、貧しさから兄とともに“ドロボー”をしたことがあると、涙ながらにその経験を話し、そして、まだ未完成だった詩を少女に完成させろと言う。氏は言う。

 先生は、たとえどんな小さなことでも、わるいことをすれば、えいきゅうにそのつみはきえないのだと思います。それを一生もって生きていくことが、人間の生きていくすべてだと思います。安子ちゃん、そこのところをしっかりかんがえてください。ほんとうにきびしい人間は、いつだって自分をごまかしたりなんかしません。安子ちゃんがこの詩を書いたことは、その、うそ、のない人間になろうとしているあかしだと思います。だからこそ、先生は、安子ちゃんの詩をよんで、なみだが出たのです。安子ちゃん。先生はあなたを信頼しています。いま、先生が言えることはそれだけです。

 これを読んで私は灰谷氏が後年、神戸児童連続殺傷事件が起き、まだ未成年だった犯人の顔写真を写真週刊誌『フォーカス』が掲載したことに抗議して、新潮社から著作の権利を引き上げた事件を思い出した。その行動に対する是非はここでは問わない。ただ、氏はまだ善でも悪でもない子供の心性にも、はっきり“ダーク・サイド”が存在すること、また、子供がそこに魅入られてしまう瞬間というものを、誰よりも知っていたのだな思う。

 この『せんせいけらいになれ』から、7年後、上に紹介した灰谷氏自らの悲しい“ドロボー”体験は、氏の不朽の名作『兎の眼』の、処理場に暮らす人々の権利のため、一人ハンストを決行する足立先生と子供達の感動的なラスト・シーンに結実する。

 灰谷氏の文学は日本の60年代後半~80年代の行き過ぎた偏差値教育のアンチ・テーゼといった流れの中で広く読まれたように思うが、時代が一回りして、“ゆとり教育”の問題に直面している現在でも、この『先生けらいになれ』は全く力を失っていない。そして、その後、巨大な光芒を放つ灰谷文学の出発点が、この“ちいさな宇宙”に耳を傾ける作業から始まったことは、もっと記憶されて良いことと思う。

 遅ればせながら、灰谷健次郎氏の死を深く悼む。

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コメント

私がいつもいく島じゃない沖縄の離島で偶然、灰谷健次郎さんの自宅(か別邸かわからん)を見たことがある。
島にある山の峠にぽつんと一軒だけ建っていて、フランク・ロイド・ライトが設計したようなモダンで素敵な家だった。律儀に立派な表札があったので彼の家ということがわかった。亜熱帯の常緑樹が生い茂り、山の急斜面には野生か家畜か区別のつかない白い山羊がへばりつくように生きていた。氏の家からは眼下に美しい海が見晴らせ、夕日があたると海面が黄金色に光り輝いていて、その景色は大きな金塊よりもはるかに価値のあるもののようにみえた。灰谷氏のように人間ができている方だからこそあのようなすばらしいロケーションのところに住めるのだなと妙に納得してしまった記憶がある。

投稿: | 2007年3月11日 (日) 20時01分

拝啓 灰谷先生 詩を書いてみたよ
俺は38歳の「子供」だ!


おお人生!

「刺激」は自ら作り出すもの

「刺激」こそは我が喜び

生まれたことを喜び

怒り 狂い 悲しみ

異性を惑わし 

楽しみ

そして愛し

己の血を残し

汚名も気にせず

土に帰る


お願いだ!

焼け残った俺の頭蓋骨を

金槌で

粉々に打ち砕いてくれ!

投稿: jazz坊主 | 2007年3月12日 (月) 00時30分

『せんせいけらいになれ』の子供の詩を読んで、じつは思い出していたのは君の詩です(笑)。皮肉じゃなくてさ・・・・意外と感動してんだよ、俺は。書き溜めて、一冊にすると良い詩集になるよ、きっと。君の詩は“パンク”な叫び声がきこえる。

 ジョー・ストラマーじゃなくて、ジョン・ライドンの方、 だな。

投稿: ナヴィ村 | 2007年3月12日 (月) 20時07分

ナヴィ村さん、ありがとう。
何かフォレスト・ガンプになったような気分だ。待てよ、俺あんなに足早くないな。
でも卓球なら自信があるな。たいいくの授業で「きょうはラリーをしなさい」と言われたのにスマッシュを打ちまくって先生に叱られたのは“大学一年生”のときだった。やっぱ俺ガンプだ。

フォレスト・ガンプを日本版でリメイクするとおもしろそうだ。
主演は「田原俊彦」で決まり。今なら安そうだ。
監督は確か映画監督だった3歳年上の同級生M野さん。(どこに居るのか知らないけれど)
カメラは“元プロフォトグラファー”のナヴィ村さん。(水曜日に“現場”に戻ってきた)
スポンサーはjazz坊主でもいいけど100万位しか出せないな。

投稿: jazz"フォレスト"坊主 | 2007年3月13日 (火) 02時20分

妻が!「ナヴィ村さんの何かに何か書き込んでいるの?」といきなり訊いてきた。「ど、ど、ど、どうして・・・」と俺。「だってナヴィ村さんからの年賀状にいつもコメントありがとうって書いてあったじゃない」「ウゲッ!・・・」。今頃言うなよ。俺はフリーメーソンの会員のような気分。血の気が引いた。また家庭崩壊の危機だ!証拠湮滅だ!

かおりちゃん かおりちゃん 好き 好き~♪♪(皆!叫べ!俺の命が懸かっている。かおりちゃん・・・)

今更手遅れだって・・・。

投稿: jazz坊主 | 2007年3月14日 (水) 02時01分

問題発言と思われるものだけ削除しましょうか?俺の側からなら、それ、できるけど(笑)。もう、遅いか?

投稿: ナヴィ村 | 2007年3月14日 (水) 08時07分

ご心配おかけしてすみません。
大丈夫です。
“Stone Buddha”と呼ばれたこの私が(誰も呼んでねーよ!)このくらいのことで・・・
ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ゲホッ、ゴボッ、グフッ、吐血(ウソ、ウソ)

投稿: jazz坊主 | 2007年3月14日 (水) 10時52分

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