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終わらない卒業

Ozaki  私の世代の触れられたくない過去。尾崎さん、それが、あなたです(宮藤官九郎のドラマ『マンハッタン・ラブストーリー』の赤羽ちゃん(小泉今日子)の口調で)。

 この春、息子が小学校を卒業し、いよいよ中学生になりますが、彼の卒業に際して、本当なら森山直太郎の『さくら』とかが良いような気がしますが、“卒業”という単語を思い浮かべると、私はもう“夜の校舎、窓ガラス、壊して回った”というあのメロディーが、頭の中で自動的に流れ出してしまいます。これは尾崎豊が高校を卒業する時の作品だろうから、小学校の卒業時にはどうかと思いますが、最近の学校の荒廃は低年齢化していますから、いつか、幼稚園の卒園式にこれが似合う時代が来るかもしれません。

 尾崎豊は昭和40年生まれなので、ご存命であれば私と同じ、今年42歳になったはずです。同じ世代であと誰がいるかと言うと、言わずと知れたキョンキョンこと小泉今日子がおりますが、彼女はひたすら可愛かった時代を走りぬけ、現在はかつての加賀まり子を彷彿とする貫禄ある女優道を邁進中ですので、彼女の活躍を見ると時、ふと、42歳になった尾崎豊の歌というのを想像してしまうことがあります。

 良くテレビのバラエティ番組で、タレントが昔の凄い若かった時の写真を急に出されて、笑いの種にされているのを見かけますが、若かった時、カッコ良かったり、可愛かったりした人が、齢を重ね、そうじゃなくなって“今”を笑われる場合と、昔、イモ兄ちゃん、イモ姉ちゃんだった人が、今、凄く素敵な大人になっていて、“過去”を笑われている場合の二通りがあります。いずれにしても、昔も今も可愛い、カッコ良いというのは、男女問わず相当に努力のいることなんでしょう。

 尾崎豊の場合、生きていたらどうだったでしょうか?ずっと、カッコ良かったに違いないという大多数の声をよそに、私は“今”を笑われているおやじになっていてくれたら、と密かに思っています。というより、そういう風に生きれれば死ななかったろうに、と。

 尾崎豊の訃報を知った時、私は吉祥寺のとある定食屋で、かきあげ丼を喰っていました。その日は家の近くのライブハウス『曼荼羅2』で友人のライブがあり、そのステージ写真を撮るのを頼まれていました。それで、そこに行く前に腹ごしらえをしていたのですが、夕方のニュースで、突然、店のテレビの画面にこのレコードのジャケットが映し出され、“急死”とアナウンスがありました。私はそのまま、曼荼羅2に行って、ライブが始まる前の客席に向かってそのことを告げると、皆がどよめいたのを覚えています。

 ここまで読んでくれた方は、よっぽど私が尾崎ファンなのだなと思うかもしれませんが、実はそんなにファンではありませんでした。というか、彼はデビュー直後のアトミック・カフェコンサートでの飛び降り事件から、ずうと、存在そのものが“事件”だったような人で(私より上の世代の人の例えば“東京オリンピック”とか、“浅間山荘事件”みたいな、いわゆる時代を“象徴する”ってやつです。)、音楽として楽しんで聞いたというような記憶はあまりありません。私が純粋に彼の歌を、ただの“歌”として聞いたのは(聞けるようになったのは)、数年前、色んなアーチストが彼の歌をカヴァーしたトリビュート・アルバムを聞いた時です。宇多田ヒカルの“I love you”や、Coccoが歌う“ダンス・ホール”、それに槙原敬之の“Forget me not”などを聞いて、初めて尾崎なし?の、歌そのものの良さを認識させられたような気がします。私がそのトリビュート・アルバムの中で最も感動したのは“街路樹”です。私、この曲、大嫌いだったのですが、このアルバムで歌ってる人(誰だか名前忘れました)の、ギター一本で歌われる“街路樹”は、本来、こう歌われるべき、といった感じで聞き入ってしまいました。

 上に紹介した『回帰線』は尾崎豊の最高傑作と言ってまず異論はないでしょう。今、聞いてもこれを十代で作ったのかと、今更ながらに驚くほど、大人の観賞に耐えてなお十分な名作です。しかし、42歳になろうとする今聞くと、リアル・タイムで聞いたあの頃と、感動する曲は違いますし、質も違います。それはつまり“反抗”の後にくるものを知る前と、知ってしまった今の違いということなのですが、その辺は切な過ぎて書けません。

 世の中には絶対、十代で読んだり聞いたりしなければいけない文学や音楽があります。小説ではサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』、やスーザン・E・ヒートンの『アウトサイダーズ』、などが思い浮かびますし、音楽ではなんといってもビートルズでしょう。(ビートルズを20~30代に聞き始めると、それは“教養”としてって感じになってしまいます。)

 そして、尾崎豊の十代の三部作『十七歳の地図』、『回帰線』、『壊れた扉から』などもその一つで、感受性が強く、大人達の欺瞞に怒りを表明することを恐れない十代がいる限り(いる限り!!)、彼の歌は永遠に聞かれ続けるのだと思います。

      

         あと何度自分自身 卒業すれば

         本当の自分に辿り着けるだろう?

                      『卒業』 by 尾崎豊

 

 三部作の後の彼は、私の中では文字通り“失速”したような印象です。余りちゃんと聞いていません。しかし、ある時、晩年(26歳で晩年って、凄いよなあ。)の彼の作品がまとめてラジオでかかっていて、『テロリスト』って曲、反逆児として登場した彼が大人になって“次は俺がヤラル番だ”みたいに歌っているようで、面白かったです。その時かかっていた曲の中では私は『永遠の胸』が好きです。

 先日、家の古いビデオを整理していたら、重ね録りした合間に、『夜のヒットスタジオ』(懐かしい!)に出演した時の尾崎豊の映像が残っていました。それは、彼が覚せい剤所持で逮捕され、出所してきてから初めて公の場で歌った時のやつなのですが、彼は『太陽の破片』を、熱唱していました。そう言えば、この頃、月間カドカワで、尾崎豊と村上龍が対談していて、刑務所にいる時、彼は中で村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』を読んでいて、『太陽の破片』とは、その小説の中にあった言葉だと言っていました。そう言われてみると彼の人生は前半は“キク”、後半は“ハシ”のようです。うーーん。そうか、彼こそコインロッカーベイビーズだったのかも・・(小説読んでない人スイマセン。)

 で、彼が歌い終わると、他の出演者が総立ちになって拍手するんですが、真っ先に立ち上がったのは・・・・・・・ミニスカートの中森明菜ちゃん(その頃)でした。

 ああ、ほんと、良い時代だったんだなあ・・・・・・・・・なんて感慨一入です。で、私ですが、あと何度自分自身・・・あ、やっぱ止めよう・・・まだ無理・・・・・。

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コメント

― チュウボウの詩

チュウボウ時代
鋭いカミソリ
「血」と「十本足」のにおい
乱雑なコミュニケーション
教室は画鋲だらけ
座るとケツに刺さる
高価な制服代
大人の甘い汁
「同じ」ジャージ
いつも盗まれ
「同じ」教科書
テストの前に盗まれ

教室の片隅
パンツを脱がされている奴
そいつの学ラン
チョークの粉だらけ
ラクガキされた野良猫
衰弱死寸前
弱さの生贄
教室に「キリスト」降臨せず

先生は憎悪の標的
おまえが俺に怯え
俺もおまえに怯え
未熟な俺に
本気になるな

汚れ無きチュウボウ時代
タバコで息切らしてる
「有機溶剤」に手を出すな

くだらねえぜ チュウボウ時代
しっかりと生き残れ


― 昭和後期残存記憶研究会 jazz坊主

投稿: jazz坊主 | 2007年3月23日 (金) 01時02分

 尾崎豊。3部作後は引退して俳優にでもなれば良かったんじゃない?いい男だったし。『GTO(グレート・ティーチャー・鬼塚)』なんか彼にピッタリだと思うけどね。(反町よりあってたと思う。)そういえば僕は見なかったんだけど、先日『偉人100人』みたいな番組で尾崎豊は9位だったんだって?(生徒たちが言っていました。)う〜ん。同じ歳の奴に偉人呼ばわりされる奴が出てくるとホント複雑な心境だな。でも死んで偉人になるよりも、生きて年下の亀梨を喰い漁るキョンキョンの方が断然いいよ。やっぱ女は強いよな。

投稿: ほぴ村 | 2007年4月 5日 (木) 23時47分

 同じ歳の奴に・・・・って、若くても偉人って、いっぱいいるんじゃない?そもそも明治維新を起こしたやつらなんて、みんな20~30代、俺らからすれば全然年下。ジョン・レノンだってもう越えてしまったしなあ。

 寿命がのびたってのがそもそもいけないんじゃない?落語の熊さん、はっつぁんが訪ねていくご隠居って40代なんだよね。それで、もう第一線から退いて、何にもしないで家にいて、それで近所の下らない相談事を割りと、ふんふんと真面目に聞いてやったりしている。

 今、死ぬってことを余り意識しないから、何をやっても楽しくないんだよな、逆に。なんか、だらだら長く続くと思ってっから、楽しむこととかに貪欲じゃなくなる。

 この前、田村隆一のエッセイ読んでいたら、彼くらいの世代の人って、40になったときとか、お祝いの会とか開いてんの。“祝40”とか。冗談じゃなくて、真面目に。今は還暦くらいからでしょ、そういうの。やっぱり、戦中派は生きてることが身にしみて大事なんだなあ、と思った。

 DNAの研究がすすんでいるらしいから、本当はこの人、幾つで死ぬって、今、医学でわかるんじゃないの。そしたら、短命の人は“死”から逆算して定年とする。そして、長生きの人は生きる分、ちゃんと働いて税金も納める。そうすると、30代でご隠居や、70代で現役バリバリのサラリーマンなんかがいる世の中になる。年金制度の崩壊が食い止められるかも。
 でも、添加物のもばっか食って育っているから、若い奴は皆、短命で、ぶらぶらしているご隠居で一杯になっちゃうかもな。ただでさえ、ニート、てすでにご隠居だもんね。

 最近、自分に残された時間ってことを良く考えるよ。

 メメント・モリ(死を思え)って、感じ。

投稿: ナヴィ村 | 2007年4月 6日 (金) 23時09分

先日、君と同じ様なこと、つまり『死を意識するってことで生の充実が得られる。』ってことをキョンキョンが読売新聞の山田詠美の小説の書評で述べていました。
 DNAから逆算するって話はおもしろいな。でも生命保険会社が若死するってわかってる奴を加入させないとかいって、そこから新た差別が生まれるなんてことにもなりかねない。そういった情報って究極の個人情報だから流失したら大変だしね。
 でもプラスの可能性を考えるのはおもしろいね。
僕はまだまだ隠居できません。

投稿: ほぴ村 | 2007年4月 7日 (土) 07時52分

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