宇宙の輪郭
-Mに-
霧煙る
広角の黄色い荒野に
老いた精霊が少年を誘う
迎え火の日に
それは生のありふれた暗い空間から
快活に精神が解き放たれる夏
汗をかいて夏は
森を
小学校のグラウンドを
音符のように走り回る
やがて
夏は疲れると
きまって神社の境内で眠りこける
ひぐらしの潮騒が
ゆっくりと耳に満ちて
命の揺らめきが凪ぐ一瞬
その時
精霊の手が闇から伸びてきて
生の頬を捕らえる
と いうのも
甘やかな汗の匂いに
死が
命の日の夏を
懐かしんだため
印象派の夢の中に
お前を連れ去るもの
足跡は確かな道標となり
少年は原色の夢の中を駆ける
木漏れ日の蝶が
森に新たな時刻を告げると
美しい迷宮に
少年は喜んで迷っていく
眠りにつく一方で目覚めるものがあり
その覚醒の絵の中で
少年は溶けてしまう
宇宙が無限に広いものなどと
それは天文学者がついた嘘だ
宇宙は 例えば
草原で持ち上げた
大きな石
その下の虫達ののたうちに
少年は見る
罪深い自分の
人間の
擬縮されたこの宇宙での
背に痛い運命の重力について
牛を連れた
野蛮な風体の男が
地霊のように現れて
黄色い荒野からブルーの巷に
少年を奪還する
夕闇を破る迎え火の列を
地霊はヒタヒタと
聞こえない足音を
軒先に響かせていく
夜 目覚めると
舌のように鋭敏な指先がまだ
宇宙の輪郭を覚えていて
その抽象を一枚の絵にすることが
この夏の
少年の宿題である
これは私の友人の、映画監督であるM君の映画『宇宙のりんかく』を見た際に書いた詩だ。私は昔、彼と一緒に暮らしていた時期があって、(私が彼の家に居候していた。)、しかも昼間も同じバイト先だったので、文字通りその頃は四六時中彼といっしょにいた。結局、私は彼のアパートを追い出されたのだが、その追い出し方が、彼の内に秘めたナイーヴさと優しさが滲み出るようなやりかただったので、追い出されたのに私は何故か、とても感激したのを覚えている。
数年後、私の長男が生まれた時、彼は韓国に一人で旅してきたばかりで、その旅の最中に感じた思いと、私の子供に捧げるような内容の詩を書いて持ってきてくれ、また、その時、彼は映画のシナリオを書き上げたばかりで、そのシナリオも一緒にくれた。
その時くれたシナリオはこの『宇宙のりんかく』ではない。それは彼の自伝的な内容のもので、映画が完成したとの話しを聞いた時、わたしはてっきり、あの時くれた作品だと思っていた。だから、この『宇宙のりんかく』を見た時、私はふいをつかれ、また、その内容と予想以上の映像の美しさに感激して、思わずこの詩を書いてしまった。
その後、私と彼とは一度だけ鎌倉で、この映画の上映と私の詩の朗読、それにヤンシイ&コテツという最高のR&Bユニットの演奏で、イヴェントに出させてもらったことがある。
私は彼のその後の作品『犬の類』を見ていない。せっかくDMを送ってくれたのに、私は上映会の日を一日間違えて覚えていて、見逃してしまったのだ。
この詩は映画『宇宙のりんかく』の物語の設定が夏のなので、必然的に夏の詩である。今の桜の開花を気にする季節には全然、合わない。が、昨日、彼がまだ大学生だった頃、メキシコから私にくれた葉書が出てきて、急にこの詩を思い出した。
彼は私より年下だったが、あの頃、私は彼に多くのことを教えられた。大江健三郎の小説(そう言えば、彼と大江邸を訪ねて行ったこともあった。)オーデンの詩、タルコフスキーの映画、などなどであるが、私はその頃、すでに詩を書いていたので、二人でいる時はいつも詩の話しをしていたような印象がある。彼はその頃も、多分、詩や小説のようなものを書いていたはずだが、一度も見せてくれたことはなかった。しかし、初めてくれたシナリオと、そしてこの映画を見れば、彼が本質的に詩人であることが良く分かる。
この『宇宙のりんかく』の頃、彼に娘が生まれて、この詩とセットでその子にあてた詩も書いたのだが、今回は載せません。娘さん大きくなったろうね。うちの息子は明日、卒業式だよ。M君、もし、これ見てたら、たまには電話下さい。
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