追憶の親子丼
親子丼。今日、家族皆の分を作ったが、上手くできたのもあれば失敗作もあって、改めて料理の難しさを実感した。子供の頃、この親子丼が私の好物ということになっていたことが一時あり、それは今は亡き祖父の思い出と繋がっている。
私の祖父母は、去年、ヒットした映画『フラガール』でお馴染みになった福島県いわき市で、かつての常磐炭鉱・鉱夫のための“保養所”をやっていた。
“保養所”と言っても今一ピンとこないかもしれないが、簡単に言えば大きな温泉旅館。宿泊客もあれば、何処かの会社の宴会もあり、また当時の地域におけるなかなか豪華な結婚式場でもあった。子供の頃、千葉にいた私は、夏休みや冬休みのたびに母の実家であるこの保養所に帰省して、文字通り夢のような日々を過ごした。
特に夏休みの思い出は秀逸で、“チョットコイ、チョットコイ、”というコジュケイの啼き声で目覚め、それから夕食の時間まで、でかい建物の中や大浴場を走り回り、宴会場のマイクで歌い、食堂のテーブルで卓球をし、布団部屋でトランポリンをしたりして遊び呆けて暮らしていた。また保養所の裏には大きな池があって、あたりには食用蛙の鳴き声が響き、そこには、おたまじゃくしやらフナやらがいて、釣り糸をたらしているだけで一日を充実して過ごせてしまうのだった。
この頃には東京からリトルリーグのチームが合宿に来たりもした。一夏その子たちと仲良くなって、練習に混ぜてもらったり、夜は皆で花火をやったりしたのは絵日記のような思い出だが、いよいよ合宿最終日になって、その子たちが東京に引き上げていく時の寂しさといったら、なかなか強烈だった。今まで一日ガヤガヤしていたものが、なんだか急にシーンと静まり返り、夕暮れには“カナカナカナカナ・・・・”とひぐらしの鳴き声がして、食堂で貰ったリボンシトロンを飲みながら、毎年、夏が終わろうとしていることを知る。
そんな、なんとなく寂しい気持ちでいた夏の終わりのある日、私が元気がなさそうに見えたのか、突然、祖父が『ひろしは親子丼が好物だろう。親子丼作ってくっれって今調理場に言ったきたから、できたら食べろぉ。』と、ニコニコとして言った。
何故、親子丼?と驚いたが、思い当たることが一つあった。それはかなり前に、昼食の時、何かで普段は優しい祖父を怒らせてしまい、私は怖くて顔を上げられず、ひたすら飯を無言で喰い続け、その時食べていたのが親子丼だったのだ。それでそのあまりの食いっぷりの良さに祖父は私が親子丼が好物なのと勘違いしたらしかった。
ロビーから食堂の横を通って調理場にいく途中に和室の部屋があり、私はそこで祖父が勘違いして作らせた親子丼を汗をかきながら食べた。
今でも親子丼というとその時の、電気をつけるべきなのかつけないべきなのか迷う部屋の微妙な暗さと、青い畳の匂い、部屋の隅に積み重ねられた座布団、壁にかけられた棟方志功の版画のレプリカと歴代首相の似顔絵の額、それとひぐらしの鳴き声を思い出す。きっと、戦時中の食糧難の時代を経験している祖父は、子供が元気が無い程度のことは好きなものでも食わせれば治ると思っていたのだろう。そんな祖父の長閑な優しさが今はとても懐かしい。
その時、私は丁度、腹が減っているのを忘れていたような感じでいたところだったので、出された親子丼はその雰囲気とともに、とてつもなく美味かったものとして永遠に記憶に刷り込まれてしまった。
今日、作った親子丼は今一。最初に鳥を煮る時のつゆの量が微妙に多すぎて、卵を流した時べちゃべちゃになってしまったり、火にかける時間が長すぎて、卵のふんわり感が上手く出せなかったりだった。
でも例え有名なお店で親子丼を頼んでも、私は満足できないような気がする。
オーソン・ウェルズの映画『市民ケーン』の“バラの蕾”では無いが、私が求めているのはきっと、あの時の親子丼だけなのだ。
そう、“追憶の親子丼”だ。
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