ズタズタ47番
四月の暖かい陽射しが、まだ空席の目立つブルーのスタンドを光と陰の部分とに分けていた。試合開始はPM2:00だが、早く着きすぎてしまったため、久しぶりに横浜の街を散策し時間を潰そうかと思ったが、球場周辺の異様な雰囲気を察知し、予定を変え早々と球場に入ることにした。
プロ野球セリーグ開幕、巨人VS横浜3連戦。一勝一敗で迎えた3試合目の今日、息子の予想では今日の先発、巨人は高橋尚成、横浜は工藤。特に工藤は昨日の2戦目と思っていたので、昨日、投げなかったことを受けて、ついに“生鉄人”の雄姿を見れると、俄然、我々親子の会話は盛り上がった。
PM12:30頃、球場に着いたが、一塁側横浜ベイスターズ側の内野自由席はすでに満員。我々の持っているチケットではもはや、三塁巨人側スタンド席しか無いとあって、仕方なくジャイアンツファンが大挙する三塁側に回る。通路から24番ゲートを潜りスタンドに出ると、日陰に慣れていた目が一瞬、眩しさで視界があやふやになった。見ると、打撃練習をしているのは巨人の選手達で、やや浜の風を感じる春の空に、気持良い球音を響かせていた。私達は売店で買った弁当を食べながら、今日のゲームのスタメン発表を心待ちにした。
以前、“ロックンロールとベース・ボールこそアメリカ人が人類に貢献した最も偉大な発明だ、と、このブログの何処かに書いたと思うが、この試合前の練習中、そうしたBGMを聞きながら飛び交うボールを目で追っていると、つくずくそう思う。熱心なファン達はグランド際まで行って、携帯でお気に入りの選手の写真を撮ったり、ファール・ボールを追い掛け回したりしている。私は実際のゲームもさることながら、この練習を見ている時間が好きである。
“横浜、ピッチャー工藤”、とアナウンスがあると、球場全体から歓声が上がった。去年までチームの至宝としてマウンドを守ってくれていたジャイアンツファンにしたら、さぞ想いは複雑だろうと思って見ていたが、工藤という投手はすでそういう次元を超えていて、皆、敵味方の区別なく素直に声援を送っていた。
工藤公康は今年四十四歳。プロ野球の世界に入ったのが81年というから、現役今年26年目である。81年と言うと、ジョン・レノンが暗殺された翌年だから、それを考えると目も眩むような思いがする。
我が家には1986年の日本シーリーズ、西武VS広島、広島に三連敗した後の4戦目、今は亡き“炎のストッパー”津田恒美から工藤がサヨナラ安打を放ち、そこから逆転優勝をとげるビデオがあるが、その時の広島には山本浩二がいて、衣笠がいる。西武には東尾や現西武監督の伊東がいるので、それを考えると、彼の野球人生がいかに長く劇的なものかが分かる。
工藤はいつまで投げるのだろう?投げられるのだろう?。球場中で皆が話していたが、投げられるまで投げるに決まっていて、彼は惜しまれながら引退、というパターンではなく、文字通りボロボロになるまで投げるつもりだろう。
しかし、そんな暖かい声援もつかの間、ゲームが始まってしまうとそれは厳しいプロの世界。グランドでの結果が全てであるし、それは工藤自身が一番良く知ってい筈だ。
今日の工藤は三回と1/3を投げて、被安打10、自責点6。正に“ズタズタ47番”であった。途中、私の隣の席の、レプリカ・ユニホームを着て、巨人が勝ちさえすればなんでも良いみたいな家族までが、“替えてやれー”と、叫んでいた。
三塁側から見ると、左腕である工藤の背中“47”がずうと見えていて、私はこの姿を忘れないように覚えておこう、と不遜にもそんな感傷的なことを思ってしまった。
工藤がマウンドを去っていく時、またしても球場中から拍手が起きた。皆、工藤がこのまま先発要員から外れて、段々と一線から引いていくことを考えてしまったのだろうか?
だが、工藤公康の野球人生に、こんなことは山ほどあったはずだし、それを何度も何度も乗り越えてきたからこそ彼は偉大なのだ。
“間抜けなことも人生の一部だと、今日の愚かさを笑い飛ばしたい”という、吉田拓郎のこの言葉を今日の彼に送ろう。
打たれる中年男には哀愁があって、それはそれで色っぽかった。
今日はたまたま調子が悪かっただけ。シーズンはまだ、始まったばかりだぜ!頑張れ! 工藤公康。
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