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『ロッキー』~奇跡のB級映画

Photo_11  続編が作られなければ良かったとつくづく思う映画だ。以前はこのシーリーズ、1と2は名作だと思っていたが、約20年ぶりにそれら二つを見直して、第一作目が圧倒的に素晴らしいと思い知った。

 あまりにも有名なストーリーなので説明はしないが、この第一作目、後に作られる続編4作に比べれば意外にボクシング・シーンが短い。その代わり丹念に長々と描かれているのはイタリア系アメリカ人コミュニティの底辺で生きる人達の人間模様で、この時のスタローンはまだアクションスターではなく、あくまで正攻法でこの下町人情物語?を演じている。

 あまり言われないことだが、この第一作目は1976年のアカデミー賞主要3部門を受賞している。歴代の受賞作品が大掛かりな作品が多いのに比べるとこの『ロッキー』は超低予算で作られた映画なので、いかに当時の映画界がこのシンプルな物語に驚いたのかが分かる。

 今回私が思ったのはこの映画に出演した役者達のその後だ。別に詳しく知っているわけじゃないが、きっと皆、あまりパッとしなかったんじゃないかと思う。と言うか、この映画での印象があまりにも強すぎて、もう他の作品で何かを演じるのが難しくなったんじゃないか、などと考えてしまった。

 タリア・シャイアはもうエイドリアンにしか見えない。バート・ヤングは肉屋のポーリーにしか見えないし、カール・ウェザースはアポロ・クリード以外の何者でもない、そんな気がする。本当はシルベスタ・スタローンもロッキー以外演じられない役者になるはずだったが、『ロッキー』の後作られた『フィスト』『パラダイス・アレイ』の失敗から、彼はある事実を学んだのだと思う。それは基本的に自分は大根役者だということ、そして自分は過剰な肉体を必要とする物語の中でのみ輝くことが出来る役者だということだ。

 この学習の結果が『ランボー』であり、『コブラ』であり、『オーバー・ザ・トップ』、『クリフ・ハンガー』などなどの作品群で、実はロッキー・シリーズの3と4はこの開き直りの過程で作られているので、同じ役者、同じ登場人物たちなのに、なんか全然違う映画のような気がする。

Rocky_1976_40

 第一作目の『ロッキー』は実に様々な奇跡が重なって出来ている。物語とスタローン自身の成功物語が重なって見えることはよく言われることだが、この貧しい負け犬たちの話がテレビドラマの制作費程度の低予算で作られているといったことも実は勝因になっている。一見して画面がなんだかとても安っぽくて、どう見てもB級映画のそれなのだが、この映画の場合、それが物語になんとも言えないリアリティを与えている。この映画は形容矛盾を承知で言えば、一級のB級映画と言えるのじゃないだろうか。

 勿論、映画的な感動を得られるシーンは満載で、ビル・コンティのあの有名な音楽をバックに朝のフィラデルフィアを走るロッキーがマラソンのリズムから段々全力疾走になっていくシーンは、それだけでなんか凄いものを見せられているような気になる。

 また、この映画が好きな人が一様に口を揃えて感動の要素の一つとして上げるのが、段々と美しくなっていくエイドリアン。このタリア・シャイア演じるエイドリアンはモンローやブリジッド・バルドーなどとは全く違う意味で、男にとっての“夢の女性”だ。内気で人見知りで、それでいて愛する男を信じ、またその愛によってみるみる美しくなっていくエイドリアン。女は自分で美しくするもんだという裏のメッセージを私は少年の頃、この映画から学んだ。

 この映画で私が最も好きなシーンはロッキーとエイドリアンが初めてデートするスケート場のシーン。感謝祭の夜、兄のポーリーに半ば暴力的にロッキーとのデートに促されるエイドリアン。ロッキーは彼女を何処に連れて行って良いのか分からず、ポーリーに聞くとスケートが好きだというので、閉館したスケート場を10分間、10ドルでなんとか貸切にする。

 この時のエイドリアンは変な帽子を被り、変な眼鏡をかけておせじにも美しいとは言えない。どちらかというとダサい。スケートも好きと言う割にはそんなに上手くも無く、なんかヨタヨタと奇妙な鳥みたいだが、でもなんか忘れられないピュアなシーンだ。みっともないけど美しい。初めてのデートって、きっとそんなものなのだろう。

 そして例のボクシング・シーンはまるで『あしたのジョー』のようだ。スタローン、ジョー読んだのかな、とマジで思った。特に14ラウンドのダウンして立ち上がるロッキーと、それを見て呆然とするアポロ。正にジョーVSホセ・メンドーサ戦のよう。

  試合終了後、インタヴューアーに何を聞かれても『エイドリアーーン!!』としか言わないロッキー。美しく変貌し、赤い帽子を飛ばしながら『ロッキー!!』と叫び走るエイドリアン。ベタだなあ、シンプルだなあ、と苦笑しつつ・・・・・でもしっかりやられてしまった。ちょっと涙。やっぱり続編はいらなかったなあ。後のはスタローンのプロモーション・ビデオみたいなもんだからなあ、『フラガール』も切ににそれだけは止めて欲しいなあ・・・・

と言いつつ、今、映画館で『ロッキー・ファイナル』やってる。見に行こうっと。

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コメント

 私もロッキーが好きです。昔、1と2を同時上映で見て、映画館を出た後、駅前までシャドーボクシングをして帰りました。
 だんだん現実離れした話になってきてしまいましたが、3ぐらいまではまだ見れたんじゃないかな?
『アイ・オブ・ザ・タイガー』で今の私達に必要じゃない?

投稿: ほぴ村 | 2007年4月28日 (土) 00時59分

 何年か前、ウチのハコのクラブイベントにZ次郎がDJとして参戦。ロッキーのテーマをかけたらみんな喜んで踊っていました。意外にダンスミュージックなので驚きました。
 そんなZ次郎、ついに酒屋を卒業して来月からショップをオープンします。見学しに行きましたが、なんとも形容しがたい不思議な店です。自分の目で確認した方がいいかも。
 とりあえず機会があったら行ってみてください。

投稿: JUICE&LOVE | 2007年4月28日 (土) 01時26分

2も名作だと思っていましたが、今回、見て少し印象が変わりました。この映画が作られたのは80年代の前半ですが、この2には後に大流行するMTVの萌芽が見て取れました。“意外にダンス・ミュージック”・・・・確かに。ロッキー2がMTVの元祖という新たな説が自分の中に生まれ、もし、そうだとすると、それを発明したスタローンはそれはそれで偉大なのか、と思ってしまいます。

 1作目は純粋に映画。若い頃のマックィーンやポール・ニューマンが主人公で、モノクロで撮られていてもおかしくない感じです。が、2~4まではスタローンでなくては駄目で、つまりそこからはたんなる80年代のMTV的なアクション映画に堕してしまったのです。

 と、ここまで書いて5は?と思ったかもしれませんが、これは名作とまではいかないまでも、それはそれでちゃんとした“映画”でした。この5は1を作ったジョン・G・アビルドセンが監督で、2,3,4はスタローン自らの監督。1ではアカデミー賞監督賞を受賞していますので、あまりにも無残になってしまったかつての名作をなんとかまともに幕引きしようと、最後にもう一度アビルドセンに監督を頼んだのかもしれません。

 今、上映されている『ロッキー・ファイナル』はまたまたスタローン自身の監督なので、ちょっと心配しています。

 ところでZ次郎のショップって何屋なのだろう?彼にはエイドリアンはいなのかな。

投稿: ナヴィ村 | 2007年4月28日 (土) 08時40分

彼はいわきに『シティーライツ社』(ビート系の作家たちを庇護したサンフランシスコの伝説的な本屋)を作ろうとしているのでは?前にそんなこと言ってた。下村さんの訃報を聞いて『今度は俺達がやる番』って言ってた。どんな店だか楽しみにしてます。近いうち行きます。

投稿: ほぴ村 | 2007年4月29日 (日) 00時29分

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