『欲望の翼』~蒸し暑い恋
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欲望の翼
販売元:ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン |
ザビアクガードの音楽とフィリピンの熱帯雨林、そして1960年代の香港。蒸し暑さで登場人物たちの肌が汗でテラテラと光って、強烈にセクシーな映像。日本では1992年公開と言うから、もう15年も前の作品だが、現在においては香港映画の範疇を越えて映画史的にも“神話的”な傑作とされている。
監督ウォン・カーウァイにはこれの“2”の構想もあったと言うが、作るのはもう難しいだろうとも言っている。何故なら急速な勢いで変化を遂げる香港において、現在ではこの映画撮影時のロケ地がもう無くなってしまったこと、また何よりも出演者が皆、その後、スーパー・スターになってしまってギャラが高くなってしまったことなどを理由にあげている。
初めて見たときの印象は雨。物語の大半のシーンにザーという雨の音がして、そして蒸し暑そうな部屋で汗を光らせながら、やたら良い男と良い女が求め合ったり拒んだりのシーンを繰り広げる。そしてこの息苦しさ、蒸し暑さは恋をしている時のそれを表現しているようでもある。蒸し暑いのが好きな人はいないと思うが、こんなに甘美なムードにもなり得るんだと、私はこの映画で知った。
この映画は物語らしい物語は無く5人の男女の愛憎を描いた群像劇だが、5人が5人とも微妙に重なり合ってはいても、誰一人恋が成就することはない。自分を捨てた男を憎みながら夜になると男の家の前まで行かずにおれないスー(マギー・チャン)、それを見守る夜回りの警官(アンディ・ラウ)など、この二人がくっつきゃいいのに・・と思う組み合わせが幾つもあるのに、どれもそうはならない。
この映画を見て主人公の一人レスリー・チャン演じるヨディを許せないと言う女性は結構いると思う。だが私は女性達の意見とは全く逆の意味で彼が許せず、それには多分に羨望が込められている。
美女を口説き、関係を持ち、その後は女をまるでモノのように扱うヨディ。そして、うっとり夢見心地でいる女に『床を拭け!』なんて掃除婦に命じるように言ったりするが、女達はどんな酷い仕打ちを受けてももう彼を愛することを止めることができない。
近頃の日本の映画、テレビ・ドラマなんかで作られる恋愛ものは、ほぼ100パーセント女性に振り回される男、つまり女がコントロール可能な存在としてのペットのような男ばかりが描かれているので、それに慣れきった目でこの映画のヨディを見ると私はいつも、おお、なんてお久しぶりなヤツと、思わず手を叩たかずにはおれない。
このヨディのような男を説明するのに昔は『不良』という便利な言葉があったが、現在の日本では『不良』は『ヤンキー』にとって変わられてしまって、本来とてつもなくカッコいいものだったという、その部分のみが駆逐されてしまった感がある。
この映画の中のヨディの台詞に詩のような美しい言葉がある。
脚の無い鳥がいるそうだ
飛び続けて疲れたら風の中で眠り
一生に一度だけ地上に降りる
そう言って、勝手気ままに、欲望のおもむくままに生きて死ぬヨディ。最後は『真夜中のカーボーイ』のダスティン・ホフマンを想起させるが、最後の最後に実はそう酷い男でもなかったのかな、と思わせる。
映画のラストにはなんの脈絡も無くワン・シーンだけトニー・レオンが出てくるが、ウォン・カーウァイ監督が本気でこの続編を作るつもりだったのがこんなところからも分かる気がする。
女性に腕時計の針が一回りするのを見させ、その後、『19××年×月×日×時×分。僕がこの1分間、君といたという事実は否定できない。』と耳元で囁く。それが、1分になり、2分になり・・・・・蒸し暑い梅雨がこれから訪れようとするこの季節、かぶりつきたくなるような良い男が毎日訪ねてきて、こんな風に口説かれたら、女性のあなたはどうしますか?
応じれば身を焼くような恋の地獄が待っています。拒めば・・・・・・息も詰まるような快楽なんて、一生味わえませんよ。
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