無力の王 (2001年10月7日)
夜が解け 青ざめた地平線を
無力の王が彷徨っているのをごらん
遠い故郷の国 懐かしのモスク
それは 鉄の鳥が群れなして飛ぶ
賑やかな東方の市
朝の 銀の食器の中の
レアの肉の色に
あの美しい村で起きた悲しい出来事を思う
もう何年も死神の奴は
私の庭で忙しく立ち働くので
砲撃も
子供達の泣き叫ぶ声も
今では小鳥のさえずりや
祭礼の日の花火のようだ
愛からも恥辱からも
等しく子供が生まれ来ることは
女なら誰でも知っていること
私にはもう
愛と暴力の見分けがつかない
人間にもたらす結果として
二つは
似ているとは思わないかね?
愛が傷つけるときと
憎悪が
目覚めさせる時と
私は見た 誰にも知られず息絶えていく
百万の神の子供らを
飢え、苛立ち、裸足で 足の小指が千れ
血のラインを引きずりながら
何マイルもの距離を
逃げ惑う片足の少女を
私は見た 濁った目つき
清清しいインディゴ・ブルーの空の下
空腹のあまり老婆がコーランを
か細い声で
呪いの歌に変えるのを
私は見た 国境の向こうとこちら側で
天国の病と地獄の良心とが
密かに契約を交わすのを
私は見た 余りの無知と無力とが
大量虐殺するのを止められず
自らの教義に絶望した巨大な仏陀が
地響きをたてて大地に崩れ落ちるのを
私は見た 食料と勘違いして
降り注ぐ爆弾の雨に
喜び勇んで
走り出す母親達を
私は見た 女をレイプした後で
眠りについた兵士の
羊飼いだった頃の
平和な草原の夢を
私は見た やっと逃げ延びた避難民が
たどり着いた場所で保護されたとたん
頭に弾丸をぶち込まれ
そのこめかみから血の噴水が上がるのを
私は見た 疲れ果てた英雄に休息を与えるため
神がテロリストを仕向け
彼を爆殺するのを
私は見た 婚礼を祝う花火を大砲と間違えた
星条旗に誤爆され
上半身を吹き飛ばされた花婿と
下半身を吹き飛ばされた花嫁が
互いに誓いの言葉を言いそびれるのを
私は見た 炎が上がり
白が茶色に
やがて
黒に変わるのを
私は見た 愛し合う命の激しさの中に
すでに暴力が隠されているのを
愛と暴力がコインの裏表なら
空高く放り投げ賽の目を占うよりも
今はテーブルで独楽のように回し
球形のコインを見てみたい
それはどんな形をみせるのか?
それはどんな光を放つのか?
夜が解け 青ざめた大地を
無力の王が彷徨っているのをごらん
亡命先の飽食に恥じ入っても
あの仏陀のように
大地に崩れ落ちるわけにもいかず
人間よ 自らの生命に宿る
暴力の美しさを恐れなさい
私は政治的な人間ではない。しかし、どうしても怒りを表明せずにはいられない衝動にかられた事件があって、それは9・11の報復として2001年10月7日にアメリカが行ったアフガニスタンへの空爆である。この頃、私はあまりの怒りに自分でもどうしていいか分からず、作家宮内勝典氏のウェブ上での呼びかけに賛同し、生まれて初めてデモに出かけたりもした。
今のイラクの泥沼も結局はこの時の暴挙が引き金となっており、21世紀初頭にアメリカ政府は最悪の舵切りをし、とんでもない方向へと世界を導いてしまった。
私はデモに行く前日、ベトナム戦争の反戦デモに参加したアレンギンズバーグをイメージして、ボブ・ディランを大音量で聞きながらこの詩を書いた。
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