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みんな“平和”に耐えられない

Jmagine0013_2  一週間がとても短い。一日もとても短い。さっき、起きたかと思ったらもう夜。充実していると言えば言えなくも無いが、何が昨日より前進したのか全く分からない。

 天気図の解読、補給線の確保、人員の募集、人心の掌握、重機器の配置、計画と実行、撤退の決断。私が毎日毎日繰り返しているのはこんなことで、あんた、戦争してるの?と思う人もいると思うけど、私がやっているのは遺跡の発掘だ。

 私は昔、一人で最高80人近い人を使って?いたことがあって、私より遥かに立派な会社に勤め管理職にあった人、もと左翼の過激派、自閉症で数年間部屋から出たことがなかった自称詩人、登校拒否児、六本木のクラブで歌うジャズ・シンガーの女性など、ありとあらゆる人が渾然一体となって一つの作業をしたのだが、今回、4月から携わっている現場は人種の面から言えばそれ以上で、どんなハーモニーを奏でるかはマエストロである私自身の腕にかかっている。

 20代の後半の頃、こうした自分の立場を上手くこなすマニュアルは無いものかと、色々な本を当たったが、良くあるビジネス書やハウツー本などは全く役に立たづ、紆余曲折を経てたどり着いたのが司馬遼太郎の『坂の上の雲』や、その他の戦(いくさ)における兵法書などだった。実際、遺跡発掘に限らず、土木、建設業界の経営者にはこういった本の愛読者が多いらしく、平和主義者の私でも戦争が人類の英知のある一面を顕現しているのを認めざる終えない。

 私達の日常を取り巻く様々な機器は、戦時下に発明された物を平和利用しているものが沢山ある。それを考えると、平和や環境に対する情熱より、戦争にに対するそれの方が人間は本来、遥かに熱心なような気がする。

 何の話か良く分からなくなってきたが、私が今の忙しい毎日の中でふと感じるのは、何か目的を想定しそれに向かって集団で邁進する最高のモデルは戦争であること、そして、そこには得も知れない達成感や快感が必ずあるといったことで、その中で人が生き生きと充実感や同朋意識を育て、日々過ごしていることは何とアンビバレンツなことだろう。

 今日、久しぶりに『イマジン』を聞いた。近年、政治的な活動が活発なU2のボーノに『行動を起こさず、考えているだけなんて・・・・』見たいなノリで批判されたりしている曲だが、確かに時として、ちゃちに聞こえる。しかし、上に述べたようなことを考えてまた聞くと、色んなことに気づかされる。

 この曲はすでに周知の通り、オノ・ヨーコの著作にヒントを得てジョンが書いたものだが、実際、そのヨーコの著作を見ると、すでにこの歌の歌詞の重要な構造は出来上がっていて、そう考えるとこれは実際はジョンとヨーコの共作に近いような気がする。

 数年前、水戸にオノ・ヨーコ展を見に行ったが、私はある作品の前で衝撃を受け、動けなくなってしまった覚えがある。それは確か“Exit”という作品で、ずっらと並ぶ棺おけの顔を見る部分から、それぞれに木が生えているといったもの。彼女の平和に対する執念が具現化されたものを目の当たりにしたようで、驚きの後、じわりと感動がやってきた。

 人間が集団でいる時、何故か平和な時間が苦痛そうに見える。例えば休憩時間の時、皆、休んでいるというより、途方に暮れているようにしている時があって、頼みもしないのに独自に何か奇妙なことを始める人達がいる。

 そう言えばジョン・レノンの言葉に「僕の得意技は何もしないこと」と言うのがある。

 もしかしたら退屈に耐える力を“平和”と言うのではないだろうか?

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音楽コラム(89)」カテゴリの記事

コメント

 昔、ギンズバーグやナナオが平和なときこそ詩を書くといいってなことを言っていたよね。君がプライベートでやっていることです。戦争は極力避けなきゃならないから、その代替策として考えられるものってやっぱ『祭り』かな?でも日頃から戦を想定して生きるってやっぱ男にとっては必要なことかもしれんよ。(でも夫婦喧嘩の戦場に子供を巻き込んじゃいけないぜ!!)

投稿: ほぴ村 | 2007年7月21日 (土) 01時04分

 オノ・ヨーコ展には盤もコマも皆、真っ白なチェスがあた。やっているとどっちが敵か味方か分からなくなるチェス。また国境線が入っていない世界地図に、世界各国の名前のスタンプがそれぞれ揃えられていて、適当にべたべた押していくというやつ。前衛とかアヴァンギャルドだと全然、思わなかった。とても優しいアートだった。
 
 代替案としては祭り。そうかな?ヨーコのように個々が脳みそに革命が必要なのかも。人は石器時代に石で戦っていた頃から、全く変化していない。

 “イマジン”やヨーコのアートが示しているのは、平和、二人のスローガンだったLove&peaceなのだが、全然、退屈じゃなかった。ヨーコって、瑞々しい少女の感性が全開したまま生きている人みたいで、当時、小学校2年生位だった娘が一番反応していました。

投稿: ナヴィ村 | 2007年7月21日 (土) 07時39分

 ヨーコの作品を直に見てみたいと思う。
でもそれとは別に、彼女が提示している世界観とは、国境があり、そのことで紛争やありとあらゆるも問題があるからこそ、意味を持つものであるともいえる。プロテストソングが熱心に聴かれる時代は良い時代ではないと言われるが、彼女の作品にも同じことが言えると思うのだ。彼女の作品が何の感慨もなく眺められる日が来たら、それが一番すばらしいことなのではないか?
 また、人は段階に応じて愛着を感じるテリトリーを広げるのであって、まずは親、兄弟を、家を町を故郷を祖国を愛し、それら共通の思いを自分と同じように抱いているということで、世界の人々に対してもシンパシーを感じるのだと思う。だから、段階を踏まずに一足飛びに人類愛をポリシーにしてしまうことは、逆の意味で、身近な人間との信頼を積み重ねるといった地道な行為を軽視してしまって、かえって日常を、世界を混沌に陥れる危険性もあるのである。
 ヨーコやジョンの作品がそのように、思わぬ形で我々の日常を脅かすことがあればそれは悲しいことである。


投稿: ほぴ村 | 2007年7月22日 (日) 01時35分

 昨日は一日、ジュリーを聞いていた。

 “その人のやさしさが
  花にまさるなら
  その人の美しさが
  星にまさるなら
  君は手を広げて守るがいい
  からだを投げ出す値打ちがある
  ひとりひとりが思うことは
  愛するひとのためだけでいい
  君に話すことがあるとしたら
  今はそれだけかもしれない
  今はさらばといわせないでくれ
  今はさらばといわせないでくれ”

            BY 『ヤマトより愛をこめて』

 この“ヤマト”は宇宙戦艦ヤマトですが、時を経てその主題歌だったことを抜きに聞くと、『男達の大和』の歌は長淵じゃなくて、こっちでもよかったなあ、思わせるほどの名曲です。

 君のコメントを読んでこの曲を思い出しました。やっぱ、ジュリー、凄い・・・・。

 

投稿: ナヴィ村 | 2007年7月22日 (日) 07時46分

 こんな歌詞が歌謡曲として(アニメの挿入歌)として聞かれていた時代って、今考えると凄いよね。当時はまだ太平洋戦争を肯定的にとらえる発言や表現ってマスコミではタブーとされていたところがあって、『宇宙戦艦ヤマト』の劇場版『ヤマトより愛をこめて』は新聞紙上では賛否両論だったと記憶しています。
(ヤマトが敵艦に体当たりして光となるラストシーンは『神風特攻』を思い出させるとかで批判している人がいました。)確かその映画のエンディングでこの曲が流れるんだったよね。歌詞だけみればそこまで考える必要はないのかもしれないけど…。
 当時だったら長渕は抹殺されているかも。ニューアルバムではついに『神風特攻隊』って曲まであって『軍歌ロック』的な作風でさすがに後ずさりするものがあります。(薩摩の長渕と京都のジュリー。どちらに品があるのかはいうまでもない。)
 でも世界平和に臨む姿勢って、やはり個々の想像力の深度・質によるところが大きくって、『身近なところで、実感できるところから始める(現実的な立場)』か『ボーダレスな世界市民と自らを規定して始める(進歩的な立場)』なのかで大きく変わってしまうところが、ややっこしいと感じます。
 ジョン&ヨーコはイマジンで『君は僕をドリーマーと言うかもしれない』と前置きしたあとで、はるか遠くを見る者の目で『いつの日か世界はひとつになるのさ』と歌ったのであり、ジョンの遺作となったダブルファンタジーではきちんと、身近なものへのラブソングを残しているあたり、見事なまでのバランス感覚を有していたと思います。二人が多くの人に愛される理由がここにあるのかもしれません。

投稿: ほぴ村 | 2007年7月22日 (日) 10時42分

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