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『今夜、すべてのバーで』~乾杯(スコール)

 

今夜、すべてのバーで (講談社文庫) Book 今夜、すべてのバーで (講談社文庫)

著者:中島 らも
販売元:講談社
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 この小説の中で中島らもが書いている通り酒もドラッグなのだと思う。日本で最も手に入り易い合法(リーガル)ドラッグ。最近はワインも焼酎もウィスキーもかなり美味いものが安く手に入るようになったから、以前にも増して誰でも気軽に色んな種類の酒を愉しむことができるようになったが、上に述べたようなことを少しは頭の隅に入れておいても良いだろうと思う。

 誤解されては困るが私は何もここで飲酒の害を説こうと言うのではない。私は自分なりに酒をとても愛していて、これを書いている今も日本酒を冷で飲んでいる。で、とても美味しい。何故、ポン酒かというと理由などなくて、たまたま冷蔵庫を開けたらあったからというだけだ。ビールがあったらビールを、ウォッカがあったらウォッカを、ワインがあったらワインを、紹興酒があったら・・・・と、つまりアルコールなら何でも良いというような酒飲みで、おかげで痛風持ちである。

 酒は気が付いたら自然と飲むようになっていた。学生服を着て便器に突っ伏し、ゲー、ゲー吐きながら『味噌汁が飲みてー』と母に言うと、そばで聞いていた父が『な?俺がいつも言ってる通りだろ。二日酔いの時、急に味噌汁が飲みたくなる時があるんだよ。』と、嬉しそうに言ったのを覚えているから、高校生の時にはすでに飲んでいた筈だ。高校の後半から浪人生だった頃には行きつけの店ができていて、そこのマスターは多くのロックやジャズのレコードとともに私に様々な種類の酒を飲ませてくれた。そして、私は美味いも不味いも無く出されたものは律儀に全て飲んでいた。ズブロッカ、デンキブラン、アブサン・・・しかし、それは、酒を愉しむというようなもんじゃなくて、なんかやばい薬を試しているような気分に近かかった。

 そんなこんなで私はイッパシの酒飲みになったのだが、では私のような酒好きと病的なアルコール依存症とは一体何処が違うのだろう?

 この小説はアル中の主人公が治療のため入院した病院で体験する出来事を軸に話が展開するが、仕掛けとして主人公はアルコール依存症について書かれた医学的、精神医学的な文章を読みながら飲むということになっていて、小説でありながら様々な文献からの引用がある。

 私に一番刺さった引用は『アル中地獄』(邦山輝彦著 第三書館)という本からのものだ。本の中の文章をそのまま信じればこの本はアル中患者自身が書いた世界で唯一の本と言うことだが、ここではアルコールによる幻覚、被害妄想、『虫取り行動』(アリやゴキブリが体を食い破り、体内外を這い回るというアル中特有の幻覚からくる異常行動)などが語られている。そして、それらの引用が私に何故一番“刺さった”かというと、その話が初めて聞く話で驚いたというのじゃなく、私はそのような症状の人と一緒に暮らしていたことがあって、この本によってそれらを余さず見ていたことを思い出したからだ。

 それは、昔、転がり込んでいた飯場でのことだ。だいたいが東北からの出稼ぎのおっさん達なのだが、これがそろいも揃って大酒飲みであった。普通の人だと一緒に飲むのが怖いような雰囲気の人達なのだが、大学を出ているのにそんな所にやってきた私は面白がられて、とにかく四六時中酒を勧められた。朝、“おはよう”を言う代わりにウィスキーの水割りを突きつけられるような環境で、でも状況が許せば私は極力飲んだ。

 私を一番可愛がってくれた人で、中にNさんというおじさんがいた。シラフの時はとても優しく、またかつては腕の良い職人だったらしいのだが、この人がアル中だった。で、私が『アル中地獄』の文章を読んで真っ先に思い出したのはこのNさんのことである。

 この人にはひどい被害妄想があった。昔の女房が自分を殺しにナタを持って近くをうろついていると言って、隣の部屋だった私は真夜中に見張りに立たされたことがある。本の中に脳みそが破裂してバラバラになった幻覚を見た男に周囲の人が付き合ってばらばらのピースを拾っている振りをしてやるという場面の引用があるが、見る幻覚の種類は違うものの、飯場の他のメンバーも明日は我が身と、このNさんの幻覚に付き合ってやっていた。

 Nさんは故郷で家族や娘さんがもの凄く心配していて、魚やら何やらを沢山送ってくるのだが、でも帰ってきたら迷惑だとも思っているらしく、Nさん自身もそれが分かっていて、盆も正月も絶対帰ら(れ)なかった。

 『人間は誰でも酔っ払うんや。』と、ある時、飲み怒りしながらNさんが叫んだ。お前だって酔っ払う、俺だって酔っ払う。なのに何故、俺だけこんな目に合うんだと言っているように聞こえて、その時私は悲しかった。

 Nさんは結局、アルコールが原因と思われる被害妄想から、同じ飯場にいたOさんをフライパンで滅多打ちにし、逮捕されそのまま居なくなってしまった。

 一体、私のような酒好きとNさんのような依存症の人を分けるものは何なのだろう?未だに答えは出ないが、一つだけ確実なのは私の立っている場所のすぐ隣にもの凄い深淵があって、そこに落ちる可能性は誰にでも平等にあるということだ。

 この小説はその深淵に落ちかけた男の話で、だが内容に反して、読後とても力強い印象を受ける。それは小説中、作者がウイリアム・バロウズについて語っているのと同じ理由によるものだ。

 “中毒者でないものが薬物に関して発言するとき、それは『モラル』の領域を踏み越えることが出来ない。バロウズが薬物について語るとき、それはもちろんモラルの気配は帯びておらず、ただただ『生きる意志』についての話になる”

 そう、この本も同様な意味でただただ『生きる意志』についての話だ。

 エルビスやジャニスやジミヘンではなくて、バロウズやキース・リチャーズやデニス・ホッパー。

 当時を知っている人と話しをすると、大方の意見としてNさんはもう生きていないかもしれないと皆言う。もし、そうなら私は彼にこう言ってやりたい。

“あんたはあんたの分をただ全部飲んだだけ”だと。

独断的評価★★★★

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コメント

とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!

投稿: 株の投資 | 2013年5月23日 (木) 08時54分

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