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ごめんねナポリタン

 初めての君の印象はというと、やっぱりあの赤いワンピースだな。時代はバブルの真っ只中で、今思えば随分グロテスクな時代だったけど、それにしたってあんな頭のてっぺんから足のつま先まで赤ずくめのスタイルの女の子なんて、当時だってそう何処にでもうろうろしてるって訳じゃなかったから、話しかけられた時は随分とどぎまぎしたのを覚えてるよ。

あの頃、流行っていた音楽と言ったら何だっけ。マドンナ?プリンス?マイケル・ジャクソン?悪いけど80年代の音楽って、僕は全然思い入れないんだよ。あの頃、同世代の友人達は皆、『時代遅れな野郎』って僕を馬鹿にしてたけど、僕がその頃夢中になって聞いていたのは50S~70S初期までのロックやジャズで、80Sの音楽なんてこっちから願い下げって感じだったから。

 でもこの間、何処かの店で飲んでいた時、店のスピーカーからシンディー・ローパーの『オール・スルー・ザ・ナイト』が流れて来てさ、それで急にあの頃に引き戻されるような感覚に陥った。別にシンディー・ローパーを当時熱心に聴いていたって訳でもないのに、不思議だね。音楽って、時に予想もしなかったような状況に人を引きずって行って、それで勝手に置き去りにして行っちまうから、ある意味いい迷惑だよ。

 で、その時、突然に、唐突に僕は君を思い出したんだよ。それが音楽の仕業なのか何なのかは良く分からないけど、とにかくじゃじゃ馬で、どうしようもなく自分勝手で、それでいて寂しがりやだったあの頃の君をね。

 ある日、君が女性ボーカリストの中じゃシンディー・ローパーが最高だなんて言うから、僕がむきになって君にジャニス・ジョプリンを教えたことがあったろう?丁度、彼女の伝記映画『ジャニス』が公開されたばかりでさ、吉祥寺のバウス・シアターでやっているから見に行けって、君に言ったのを覚えてる。で、その次に君に会った時、君はすっかりジャニスにいかれていて『コズミック・ブルースを歌う』と『パール』を持っていたから驚いたよ。まあ、君は相当に大人びてはいたけど、実際は僕より4つ年下で、それで僕の話について行こうとして随分背伸びしていたのかもしれないな。

 君がイタリアに留学することになって、その前に会おうと言うことになって、最後に行った国分寺のパスタ屋、覚えているかな?大学から帰る坂を下りて左に曲がると、道路を渡ってすぐの所にある店。今でもあるのかどうか知らないけど、僕は当時は定食屋か立ち食いそば屋みたいなところにしか行かなかったから、随分、洒落た店を選んだつもりだったんだぜ。

 今でも覚えているけど、その店で僕はぺペロン・チーノを、君はカルボナーラを頼んだんだ。つまらない事ほど僕は何故か良く覚えているんで嫌んなっちゃうんだけどさ。で、その時、本当は僕はナポリタンを食べたかったんだ。でもなんか格好つけちゃったんだよね。その頃、ナポリタンってなんかお子チャマな印象がしてさ、年下の君に子供っぽく思われるのがきっと嫌だったんだろうな。

 飛行場のエスカレーターに消えていく間際、君が僕になんて言ったか覚えてるかい?それについちゃ今でも相当恨んでいるんだけど、君はもう長い間会えないだろう僕に向かってマジな目つきで、

『Mさんは遊んでばっかりですね。』

 って言ったんだよ。君は否定するかもしれないけど君は確かにそう言って旅立たんだ。僕がどんなに落ち込んだか君は知らないだろうな。でも、今思うと、夢があって着実にそれに向かって進んで行く君に比べ、その日暮しみたいにしていた僕だったから、その落ち込みには嫉妬の感情が相当混じっていた。

 今日、久しぶりにナポリタンを自分で作って食べた。ペペロンチーノやカルボナーラの方が逆に喰い飽きてしまってね。で、出来はと言うと、お子チャマの食い物なんてとんでもない、白ワインをちょっと入れたせいか、中々、大人の味わいだった。

 君が遠い空の下からせっせと書いてくれた手紙に、僕はついに一度も返事を出さなかった。それでその後、僕も東京の街を転々としていたから、もうお互い連絡も取れなくなっちまった。

 あのパスタ屋で僕が素直に言えなかった言葉は実はもう一つある。でも、それはもう一生言う必要がなくなった。今となっちゃ言わなくて良かったって本気で思っているよ。

ただ、今日、自分が作ったスパゲッティに向かってこう言ってみたんだ。

『ごめんね、ナポリタン』ってね。

PS 実は白状するけど、今、僕はジャニス・ジョプリンよりシンディー・ローパーの方が好きなんだよ。まあ、人は変わるってことさ。 

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