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エデンの夏


水しぶきや歓声がそこら中でしていたのに
鉛色の雲に雷鳴が響くと ぼくらは二人きりになった
水からは上がらずに
立ち泳ぎで顔だけ出して
魚眼(フィッシュ・アイ)であの日見たのは
丸い空に稲妻ー

入江に風が吹き、空に海が映っていた
沖を行く船が雲に浮かび
水着の君が
空を泳いだ

仰向けでゆらゆらと
水を蹴る長い脚を
不思議な生き物のようにずっと見ていた
得も知れぬ狂暴な感情に
叫びたくなるたび
空が光った

罪もないのに罰を受けるなら
このままがいいと
君が笑ったのは
エデンの夏

雨のドラム・ロールが監視員の声を消した
高い波が全ての色と
君と
何もかもを連れ去って 今

無人の砂浜 
閉じたボート・ハウス

入江に風が吹き、海に空が映る
ひこうき雲が波を起こし
空の君が
水着で海を泳ぐ

罪もないのに罰を受けるなら
このままがいいと
君が笑ったのは
エデンの夏

鉛色の雲に雷鳴が響くとー

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ありがとう古田

 5時ちょっと過ぎに千駄ヶ谷に着いた。試合開始の6時20分にはまだ1時間以上あるので、早めの夕食にと入ったラーメン屋はまだ空いていた。カウンター席には客が3人いるだけで、中の一人は餃子にビールで、店員の一人にしきりに話しかけていた。

『選手としてとことんやって、燃え尽きてから監督でもよかったんだよね。野村はがめつかったから監督やりながらでも4番だったけど、彼は“自分より若手を使ってやりたい”みたいに言って引っ込んじゃったでしょ?。たまに代打で出たってそりゃ打てんはな。』

彼とは勿論、先日、監督辞任&選手引退を発表した現東京ヤクルト・スワローズ・プレイイング・マネージャー古田敦也のことだ。先週発表があってその会見の模様は様々なメディアで取り上げられていたが、特殊な立場だっただけあって、監督・選手の両方を辞めると聞かされたファンの心中はなかなか複雑なようだ。

20070922182247_2 イチローや松井や、去年引退した新庄とは違った意味で古田はヒーローだった。2004年に起きたプロ野球の1リーグ化問題で、球団側と対立した選手会側は史上初めてのストライキを決行。その時、選手会会長だった古田の決断と断腸の涙は、野球ファン以外の人々の心をも強く揺さぶった。

 プロ野球の1リーグ化問題は、経営不振によるパリーグ各球団の合併、身売りなどにより球団数が減少し、2リーグ存続が危ぶまれたことに端を発する。そして、そこで提案された解決策が1リーグ制で、毎日、テレビ中継があるジャイアンツとのゲームが少なからず組まれれば、パリーグ球団も少しは収益が上がるだろうというものだった。

 今、考えると、この時、日本のプロ野球は“ジャイアンツ中心主義”でいくのか、それとも“サッカーJリーグをモデルとする地域密着型”でいくのかが争われたような気がする。そして古田たちが行ったのは俺達は今後は後者でいくという主張であり、それはファン中心主義でいくということだ。

昨日の阪神VSヤクルト戦も神宮球場は満員だった。東京音頭と六甲おろしの激突で、スタンドはチーム・カラーが鮮明に分かれており、試合と同様に見ごたえがあった。

 

 20070922212900現在、プロ野球各12球団はそれぞれに地域色を前面に出し、熱心なファンを獲得している。私はこのブログで再三書いているが、“日本のプロ野球人気が低迷している”と言うのは虚構、ハッキリ言えば“嘘”である。ファンが12球団各々に散った分、視聴率が下がったことを嘆くテレビ屋のデマだ。日本の野球はWBC世界一を出すまでも無くレベルは高い。そして、前時代的な“1チーム主義(ジャイアンツ主義)”を克服して、今、最高の盛り上がりを見せている言ってもいい。そして、この現在の流れのスタート地点にはあの古田の決断と涙があり、それを知っている分、多くの野球ファンはチームを超えて古田敦也を愛してきたのだと思う。

“ストライキ”に絡めたことばかり書いてしまったが、選手としての古田は“野村ID野球”の申し子、長い間、日本プロ野球界の最高の捕手であり続けた。オールスターでバッテリーを組んだ桑田は『ヤクルトの投手が羨ましい。古田が要求する球を、古田のミットにめがけてただ投げていればいいんだから。』と、言ったという。

私個人としては1995年のオリックスと争った日本シリーズでのイチローとの攻防が忘れられない。阪神大震災があった年、“ガンバロー神戸”を合言葉にパリーグを制したのは不世出の天才打者イチローを擁したオリックス・ブルーウェーブ。イチローをいかに抑えるか?がヤクルトにとっては勝敗のカギであったが、古田のリードとイチローの戦いは凄い緊張感があった。

古田は結局“代打 俺”を何回やったのだろう?昨日も息子と少し期待して見ていたが、出てこなかった。電工掲示板には“10月7日(日)のチケットは完売しました。当日券もありません”と何回か表示され、古田の引退試合がすでに満員なのを伝えていた。

昨日のヤクルトVS阪神は9対6、3時間以上の打撃戦を制してヤクルトの勝ち。古田引退の報を聞いて選手達が発奮したのかな。

 スコア・ボードを見ると阪神には2割打者しかいないのに、ヤクルトは1番から6番まで3割打者が揃い青木とラミレスが首位打者争いまでやってる。なのに成績は阪神は首位争いの真っ只中で、ヤクルトは最下位争い。結局、投手陣がダメだったんだろーなー、と思うとキャッチャー古田は余計悔しかったろうと思う。

背番号27は永久欠番になるのだろうか。まあ、どうでもいいことだけど。

お疲れ様、そしてありがとう古田。長年“のび太”って言ってゴメンね。

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台風パトロール

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 昨夜、やっと家に帰ってきた。と、言っても家を空けたのはたった一晩だけだが、でも“やっと”という気持ちが強い。

 私は6日の夜、台風9号の接近に伴う安全対策上の必要から、現場ハウスに泊り込むことになった。昔は仕事が終わった後、皆でビールやつまみを大量に買い込んできて、大宴会→日の出→そのまままた仕事、という出鱈目な日々を繰り返していたので、私には現場で寝るということに余り抵抗はない。それよりもこの四月から始まった新橋の現場に私は車で通勤していて、そのため今までただの一度も“有名?な”鴉森口周辺の飲み屋街で飲んだことがなかった。だから、今夜こそ、、、、とそっちの期待の方が高かった。

 泊まり込みのメンバーは我が社からは私とT君、それと某大手ゼネコンのN所長だ。N所長は虎ノ門に個別の詰め所がありそこに宿泊予定だから、つまりT君と私は6日夜、仕事と言いながらほとんど自由、野放し状態であった。

 T君と私は出会ってかれこれ20年近くが経っている。私がこの仕事を始めた20代の頃、まだ十代後半だった彼が同じ現場にバイトにやってきてそこで出逢った。その頃の彼は私がフィラデェルフィアで見たストーンズのコンサートのチケットの半券を羨ましそうに見ているだけの静かな青年だったが、今ではカラオケでRCを歌いながらズラ疑惑のおっさんの頭にダイブしてそのズラを暴くような、いっぱしの不良中年になった。また、たまに“虫取り行動”が出る大の酒飲みでもある。

 PM5:00過ぎ、バイト、パートの人々が全て帰った後、『ホヤが美味しい店があるんですよ。』と、T君が言った。

 私はホヤがあまり好きではない。“海のパイナップル”とか言ってその昔、海に近い友人宅で大量に出されたことがあったが、私は食えなかった。しかし、T君によるとどんなに嫌いな人でもそこのは食えると評判らしくて、それで今夜はそこに行こうと決めた。

 で、PM6:30、いよいよ私とT君は新橋駅鴉森口周辺のパトロールに出動した。台風は接近しているものの、まだ雨、風ともに弱くて、言わば普通の雨降り状態である。飲み屋はどこも満員で、きっと明朝の交通機関の麻痺を見越した仕事熱心なサラリーマン達が今夜はここで夜明かしするつもりなのだろう・・・・というのは嘘で、状況如何にかかわらず、日頃の習慣を変えられない酒飲みのおっさん達が毎度毎度巣食っているだけだった。道は入り組んで狭く、焼き鳥を焼く煙や、ラーメンスープの匂いやらが混ざり合って、これはこれで立派な“癒し空間”だ。そしてそんな何件も立ち並ぶ店の中から『赤札屋』なる看板を選んで、T君は私を招き入れた。

 T君は凄く美味しそうにビールを飲む。着席するなり私の意見など聞かず生ビールを二杯注文し、まるでお腹が空いて泣きわめいているのに放っておかれた赤ん坊が、数時間ぶりに哺乳瓶をくわえさせられた時のようにごくごくとビールを飲み干した。そう、彼はビールで生きている人なのだ。かつて私もそうだったが通風になりその一線からは辞した。きっと彼の体内でも尿酸値がレッドゾーン一杯になっているはずだが、背後の悪魔の存在など気にせず、それまでは存分に飲むが良いのだ。

 焼き鳥や冷奴など定番メニューでひとしきり飲んだ後、私は例のホヤを注文した。ホヤはあのつぶつぶのカラ?と一緒に洒落た器に盛られて酢醤油と一緒に出てきた。見た目で一瞬、いつもの苦手意識がむくむくと沸き上がってきたが、思い切って酢醤油に絡め口に放り込むと案外、旨かった。これなら全然、大丈夫だ、などとT君と話しながらさらに注文し飲もうとすると、携帯が鳴った。N所長だった。『現在、どちらにいますか?』と言うので『鴉森口周辺をパトロール中です。』と、答えた。私の隣の席では常連客と思われるおっさんが店の女の子と談笑していてた。

『今のところ何も異常ありません。いつも通りです。』

 しばらくして店を出るとさすがに少しは仕事らしいこともしなくてはということになり、T君と手分けして現場を見て回ることになった。現場はこの新橋駅周辺に現在7箇所あって、一人で全部回わって見ようとすると悠に1時間以上かかってしまう。東西に長いエリアを日比谷通りで分けて、東側を私が、西側をT君が担当した。現場は各箇所とも昼からの断続的な豪雨のために水没していた。昼間、大挙してちまちまと堀り上げた江戸遺跡が完全に水中に没しているその風景のシュールさに、私は何故か笑いがこみ上げきて仕方なかった。

 現場ハウスに戻ると、自転車でN所長が来ていた。所長は私とT君がまじめにパトロールをしていたと思ったのか上機嫌だった。『こんな時、ビールでもガーと飲むと旨いだろうねー。』と、所長は言い、私とT君は大きくうなづいた。

 PM10時頃、『暴風圏内に入ったら、何が起きても結局は何もできないから、決してハウスから出ないように。』と言い残して所長は自らの詰め所に帰っていった。そして私達も消灯ということにした。T君は1階に、私は2階に寝ることにした。

                     ☆

 風の音で目が覚めたのはAM1:30頃である。私とT君がまったりと現場を見て回った時とはうって変わって、確実に台風が接近しているのが感じられる強い風だった。東京直撃はAM3:00頃と言っていたから、今はその前触れのような状態なのだろう。それからは雨と風の音で眠れず、外に聳え立つ共同通信と日テレのビルをぼーと眺めていたが、ふと、“台風の最中に東京の真ん中をうろつき回ることができる、これはめったに無い経験かもしれない”などという考えが浮かんできて、私は外に出ることにした。傘はもう役に立たないし、合羽を着てもただ洗濯物を増やすだけなので、パトロールとは程遠い、Tシャツにカーゴ・パンツ、それにサンダルをつっかけて私は外に出た。あっという間に全身ずぶ濡れになったがそれもなんだか気持ち良かった。私は日比谷通りを渡り、虎ノ門方面に向かって歩き出した。

 歩き回る私の背後で放置自転車が次々と風で倒れていった。初めの何台かを私は立て直したが、やっていることの馬鹿馬鹿しさに気づいて途中から止めた。通りに止まっているタクシーの後部座席で男女が抱き合っていた。いつもの浮浪者はリヤカーを残したまま何処かに消えていた。吉野家のカウンターには誰もいなかった。そしてこんな夜なのにマラソンしている人がいた。大きなネコが子猫を2匹引き連れてゴミ箱を漁っていた。ほとんど車の走っていない通りで信号が赤の点滅を繰り返していた。

 私がハウスの戻ったのはAM3:00頃である。ずぶ濡れの服を着替えて買ってきたビールを飲んでいるとゴォー!!と言う音とともにハウスに衝撃があった。初めなにか大きな物体が衝突したのかと思ったが、それが台風9号であった。私は丁度好い時にハウスに戻ってきたのかもしれない。こんな風がづっと続いたらこのハウスそのものが壊れるんじゃないかとも思ったが、そのゴォー!!は何回かに一回で、私はまたまたカーテンを開け、窓際にイスを持ってきてビール片手に台風見物をすることにした。

 色んなものが風に飛ばされ視界を通り過ぎていった。

自動販売機脇に良くある缶専用のゴミ箱、傘、雑誌、新聞、街路樹の枝、ムーン・ウォークで後ろ向きに歩いているスキン・ヘッドのヤクザ、夜のお勤めのお姉さん、ピカチュウ、ドラエモン・・・・・そのうち眠たくなってきて夢かうつつか分からない風景が目の前に展開した後、私は眠ってしまった。ZZZZZZZ・・・・・・・。

                     ☆

 目覚めると異様に腹が減っていた。そして思った以上に飲みすぎたのか口の中が気持ち悪かった。AM5:30、吉野家の朝定を喰おうと外に出ると、雨は小降りになっていた。そして誰もいない朝の街路から一人の男の影が、まるで『野獣死すべし』の故松田優作のようにヒタヒタと現れて、目を凝らし良く見るとT君だった。あれ、下で寝ていたんじゃなかったの?一体、何処に行っていたのだろう?彼は私の存在に気づかず通りを曲がって、雨に煙る街の何処へと去って行ってしまった。

 食事を済ませ私がハウスに戻り歯を磨いていると自転車でN所長がやってきた。私は歯ブラシはあるものの歯磨き粉がなく、6月に死者が出た現場にお清めで撒くために買ってあった塩で歯を磨いていた。床にはビールの空き缶が散乱している。背後で所長が言った。

『君たち、今朝、ちゃんとパトロールしたの?』

  

 その後は普通の日常だった。台風一過で午後から現場は快晴で暑く、私はバイトのおじさんと二人で水中ポンプを仕掛け、水没した現場を復旧するのに大忙しだった。

 少し風邪をひいたようでだるく、また寝不足で眠かった。髭を剃りたかったし風呂に入って頭を洗いたかった。そしてちゃんとした歯磨き粉で歯を磨きたかった。

 それで、やっと、昨夜、帰宅したわけで・・・半分は自業自得。で、あのホヤの続きは“台風10号”の時にと、心に誓った。

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ニッカボッカ田中

P20070613001811 今年の夏の高校野球を見ていて、去年、ハンカチ王子こと斉藤と現楽天の田中が延長戦を挟んで決勝を投げ合ったのはつい去年のことなんだよな、と妙な感慨がありました。

 この早稲田斉藤以来、私の職場にも様々な王子が出現しました。“引きこもり王子”とか、“二日酔い王子”とか“借金王子”とか“異端の王子”ばかりですが、本家の斉藤はその後、六大学野球をおおいに盛り上げ、現在も“王子”たる清清しさを残したままです。マサミスト(長澤まさみファン)である私は、以前テレビで『好きな男性のタイプは?』と質問されて、彼女が『ハンカチ王子!』と答えたのを聞いて以来、この斉藤をライバル視しています(嘘)。

今日のニュースに楽天田中10勝というのがありました。この子は健気やなー、時のアイドルに色目を使われることも無く、妊娠させ結婚宣言することもなく、古狸のようなノムさんに褒められながら、けなされながら、あっと言うまにプロの野球人になってしまいました。なんか“現場”で小突き回されて一人前になっていくニッカ・ボッカ姿の職人の男の子のように見えて仕方ありません。

気が付くと楽天は球界のお荷物的なイメージから脱却して、“普通の弱いチーム”になっていました。おじさん山崎のホームランとこのニッカ・ボッカ青年田中の活躍が大きいのですが、“田中10勝”の見出しの隣に“楽天、野村監督に続投を要請”とあり、今年3位以内に入れなかったら辞める言っていたノムさんも前言を撤回し、概ね要請を受諾する見込みらしいです。きっと、楽天としては山崎・田中のおかげで商売的にも上手くいったのでしょう。

野村 『おーい兄ちゃん(田中)、休憩にすんべぇ!!』

田中 『へぇーい。親方、でも後これだけなんでやっちまいまさぁ!!』

山崎&野村 『あいつ最近のお若い子にしてはめずらしく良くやるなあ。』 

山崎&野村 その後休憩。お茶。煙草。ギャンブル&エロ談義。

しばらくして、汗まみれで近づく田中、お茶や菓子に目もくれず一言、

田中 『で、親方ぁ、次何やります?』

良くできる子は手が空くと次に何やるか必ず聞いてきます。逆にボンクラはプレリー・ドッグのようにずーーと立ってます。ニッカ・ボカに地下足袋、ねじり鉢巻の良く出来る職人青年田中。なんかそんなイメージ。

まさみちゃん、田中にも何かリップ・サービスしてやってくれよ。 

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