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『逃亡者(のがれもの)おりん』~おりん、Come back!

 

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 中村敦夫氏が様々なジャンルでその後活躍しても、ずっと「紋次郎」と呼ばれるように、このドラマのヒロインを演じた青山倫子は今後ずっと「おりん」と呼ばれるんじゃないだろうか?。そのくらいこのドラマ、インパクトがあった。『逃亡者(のがれもの)おりん』。時代劇ってこういうのもありなのか、と初め見て誰もが呆れ?その後はハマッて見ずにはおれないということになって、一時、このドラマはネット上で話題騒然と言った感じだった。

何に皆が一番驚いたかって、それは主演の青山倫子の大根ぶり(ごめんなさい!)と変な特撮交じりの殺陣(たて)、またその時の彼女のありえないコスチュームだろう。

 初め時代劇が好きな娘が第一回の放送を見ていて、途中から見るでもなしに見ていた私は、この番組の主人公は宅間伸か榎本孝明だと思っていた。しかし、それが途中から脇役と思っていた画面の中で一番演技が下手な女性が主演と知って新鮮な思いがし、そして、この時間帯にしてはちょっと露出の多い色っぽいシーンと例の殺陣を見て思い切りのけぞってしまった。

 誤解無き様、言っておくが、これは本格的な時代劇で物語は抜群に面白い。父がある陰謀によって殺され、その後闇の暗殺集団の一員として暗躍していたおりんが、自らの行動に疑問を持ち、死産だと思っていた娘が実は生きていると知って一味を抜ける。そして、ある事件の濡れ衣を着せられ、おりんは組織を抜けることを許さない一味と公儀の両方から追われる破目に。またそこには将軍吉宗の陰謀と暗殺に関する密書も絡んでいるという、てんこ盛りな内容で、この逃亡の道中、彼女を助ける市井の人々との心の触れ合いによって闇の暗殺者・手鎖人だったおりんは段々と人間らしさを取り戻していく。

 何が素晴らしいかと言って、それは主人公おりんの人間としての成長ぶりと青山倫子の時代劇女優としての成長ぶりが段々シンクロしてきて、ついでに初めは笑いを誘うしかなかった殺陣も回を増すごとにキマッテきて、見ている者が日本の時代劇にニューヒロインが誕生する瞬間に立ち会っているような気にさせられたことだ。

 で、例の特撮とコスチュームだが、これは賛否両論真っ二つに分かれていて、見て、“ありえない、下らない、許せん”と言う人と、“笑える、セクシー、突っ込みどころ満載でおもろい”と言う人がいて、私は圧倒的に後者だった。あえて言わせて貰えばこれ、本格時代劇と仮面ライダーに代表される変身ものの合体。市井の人々の人情の機微に触れる重厚な人間ドラマの後のあの戦闘場面。おりんのもとに次々に送り込まれてくる刺客は、まるで仮面ライダーに出てくる“なんとか男”のようだ。アクロバチックなアクションと爆破シーンまであって、ありえない、ありえない、と見ていると最後に“ライダー、キーーック”みたいに“手鎖御免!”と例の決め台詞があって、“闇の鎖、また一つ切りました”と言うことになる。

Fidol2120109010500pv2_2  これは新しい、おもろい、一体誰が考えたんだろう?何回目かを見た後、私はパチパチと手を叩いてしまった。リアリティがどうとか、時代考証がどうとか言う奴はNHKの大河ドラマのチェックだけしていただくことにして、私は日本の映画やTVドラマの中のこういう反則技に等しい演出が大好きだ。昔の日活映画の無国籍ぶりを見ろ、小林旭の背中に背負っているギターを見ろ、だいたい水戸黄門の印籠を出す場面だってあんなに何回もありえないし、遠山の金さんだって桜吹雪の彫りもん見せるまで、誰も気付かないなんて変だし、桃太郎侍だって“一つ・・・・”なんて言ってるところに切り込めばいいじゃねえか、ってことで、ようするに突っ込み所は=見せ場、それは由美かおるの入浴シーンにまで通じている。

 実はこのドラマの最終回を見逃していて、ずっと気になっていたのを今日、レンタルしてきてついに見ることが出来た。予想通り江戸城内はショッカーのアジトのようになっていて、榎本孝明は死神博士のようだった。そして、予想外の黒幕。

 悪玉と思っていた輩が実はそうではなくて、善玉と思っていた輩が・・・・・・でも、一番予想外だったのは、おりんが最後に死なないというところだった。これはDVDの特典映像での青山倫子もインタヴューで言っていて、私も最後におりんは死ぬものとばかり思っていた。念願の娘にも会え、母が生きていたことを知り、父の汚名を晴らしたおりん。自分が手にかけた人々と、自分をかくまったばかりに死んでいったあまりに多くの人々の霊に報いる為にも、最後には自らも死のうと思っていたおりん。しかし、そんなおりんが生きていこうと決意し、また旅立つところで物語は終わる。例の東京スカパラダイス・オーケストラのスカ・ビートに乗せての股旅姿。そして一番最後のカットは続編の可能性をわずかに匂わせる。

 これは最近のドラマには珍しく2クールやったので21話まであるが、もっともっと見たい気がする。

 青山さん、せっかく立ち回り、あんなにできるようになったんだからさ、現代劇もいいけどあなたは時代劇の中でこそ輝く女優ですぞ。

 おりん、Come back!

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火の効用


火は怒りの形
火は愛の温度 火は罪人の涙
火は優しさの色 火は悲しみの星 
火は闇の叫び 火は水の戦友 火は風の愛人
火は夢の記憶 火は岩の眠り 火は孤独の歌
火は憎しみの熱さ 火は獣の震え 火は戦士の剣
火は聖者の知恵 火は鳥の羽ばたき
火は旅人の祈り

火の効用についてあなたは語った
火の神聖さについて
サンフランシスコ州サンタ・バーバラの町
海沿いのメキシコ料理の店で
あなたは泣いた
会えない娘を想って
太平洋の巨大な水の暗いうねりが
少女の影を
砂にして崩していた

“あの世なんてこの世とさして変わりはないさ”
赤いTシャツとジーンズ姿で
棺の中 あなたは今 花に埋もれている
黒衣の群れが寄ってたかって
新しい旅の身支度に
世話を焼きたがる

あなたの火はちょうど良かった
誰を焼き尽くしもしなかった
あなたの温もりが今、多くの人の胸の中で
燃え上がり 緑の炎の
共和国をつくる

そしてまた火を潜る旅です
どうか良き旅を 
そして ありがとう
あなたはとても
温かかったー


 

 今日、恵比寿の「縄」というお店で、去年の12月6日、火事でこの世を去った下村誠さんの追悼の催しがあり行ってきました。そして本日9日は、昔、私がアメリカで一文無しになって困っていた時に助けていただいた日橋さんという方の命日でもあります。波乱万丈な人生を生きた日橋さんの生涯をここで詳しく述べることはできませんが、主にネイティブ・アメリカンの人達の権利のためにアメリカで、日本で様々に尽力した方です。

 12月9日と言うとジョン・レノンの命日ということで毎年なんらかの感慨を持ってはいましたが、この日橋さんといい、去年の下村さんといい、一年のこの時期は私にとってリアルに死者を追悼する季節になってしまいました。

上の詩は日橋さんの葬儀の時に書いたもの。今日、「縄」では日橋さんの奥さんの歌もあり、それは初々しいネイティブ・アメリカンの歌でした。

 日橋さんと下村さん、二人に。改めて合掌。 

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未来から来た人

 

Photo  鳥のヒナが初めて見たものを親と思うのを同じように私はこの人のファンなのだと思う。矢沢永吉。何を隠そう私が生まれて初めて見たロックのコンサートは矢沢永吉のコンサートなのだ。

 その頃は中学2年生、ビートルズもストーンズもディランもすでに聞いていた。常磐ハワイアンセンターの日曜日の歌謡ショーで桜田淳子も新沼謙司も岩崎宏美も石野眞子もキャンディーズも見ていた。ハワイアンセンターの近辺で、平凡だか明星の撮影をしていたキャンディーズの3人には偶然会ってサインを貰ったこともある(一緒にいた弟が“将来自分は絶対有名になるから”と三人にサインをあげたのを思い出す)。しかし、私が初めて見たロッケン・ローラーはエーちゃんだったのだ。

カッコよかった、美しかった、コンサート会場には暴動と血の匂いがして、族の兄ちゃん達が暴れ回り、実際にコンサートは途中で中止になった。でも良かった、サイコーだった。ニワトリのトサカのようなリーゼントのエーちゃんは宇宙人、もしくは未来から来た人のように見えた。ガキながらロックを音楽としては充分知っているつもりでいたが、ロックを生きている人を見たのは初めてだったのでその衝撃はもの凄いものがあった。私は肩にかけて歩いたりはしなかったものの、会場であのE.YAZAWAのバスタオルを買い、自分の勉強机の前の壁にピンで留めたりした。

名著『成り上がり』で知られる彼の生い立ちとか、その後のサクセス・ストーリーとか、彼がカリスマになったのには様々な要素が挙げられるが、私がエーちゃんの何が一番好きかというと、当たり前だが、それは1にも2にも彼の書く曲の良さ。

昔、親戚のお兄ちゃんの家にキャロルが登場したばかりの頃の週間プレイボーイがあり、そこに書かれていたメンバー個々の紹介文には、“矢沢永吉君ー天才的なメロディーメーカー”と、確か書かれていたのを覚えている。

 エーちゃんの曲、特に初期のバラード、『古いラブレター』とか『キャロル』とか『安物の時計』とかは当時、ロックンロール・ナンバーの合間のクール・ダウン用に歌われる曲という以上に、中学生だった私にはミシェル・ルグランとかエンニオ・モリコーネのような映画音楽、大人な世界を垣間見れる絶好のテキストだった。それまで聞いていたフォークソングの中の恋愛模様と違って、何か違う国の男女の話のように聞こえた。

 エーちゃんは、とてつもなく歌の上手い歌手。これは現代詩手帖に友部さんが書いていたのだけど、私も本当にそう思う。それといつまでも少年のように音楽を愛している人で、彼の語りの熱さはその愛情の熱さなのだと思う。

今、YouTubeでエーちゃんの過去の映像を様々見ると、初期の頃のエーちゃんは自分のことを“ヤザワ”とは言っていない。これは私の勝手な想像だが、エーちゃんは名実共にスーパースターになった頃から、自分の一人歩きしてしまった虚像と距離を置くために例の語り口で自分を“ヤザワ”と呼ぶようになったのではないだろうか?距離を置き、ある程度自分を商品化するために。

 上に挙げた『KISS ME PLEASE』は確かアメリカ進出直前の作品。彼の自伝第二弾『アー・ユー・ハッピー』を読むと、このアルバムには実人生のエーちゃんがとても色濃く反映されていたことが分かる。『バイバイ・サンキュー・ガール』から『過ぎていくすべてに』まで。そして私が見て衝撃を受けたエーちゃんは一度ここで終わる。その後のアメリカ進出から詐欺事件を経ての今日は、また違った感動なのだが、私の中でエーちゃんはとっくに殿堂入りしていて、もう何をやっていても良いといった感じの人だ。

ただ、欲を言えば小さいホールでのアット・ホームなコンサートをもっとたくさんやって欲しいなと思いう。

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