未来から来た人
鳥のヒナが初めて見たものを親と思うのを同じように私はこの人のファンなのだと思う。矢沢永吉。何を隠そう私が生まれて初めて見たロックのコンサートは矢沢永吉のコンサートなのだ。
その頃は中学2年生、ビートルズもストーンズもディランもすでに聞いていた。常磐ハワイアンセンターの日曜日の歌謡ショーで桜田淳子も新沼謙司も岩崎宏美も石野眞子もキャンディーズも見ていた。ハワイアンセンターの近辺で、平凡だか明星の撮影をしていたキャンディーズの3人には偶然会ってサインを貰ったこともある(一緒にいた弟が“将来自分は絶対有名になるから”と三人にサインをあげたのを思い出す)。しかし、私が初めて見たロッケン・ローラーはエーちゃんだったのだ。
カッコよかった、美しかった、コンサート会場には暴動と血の匂いがして、族の兄ちゃん達が暴れ回り、実際にコンサートは途中で中止になった。でも良かった、サイコーだった。ニワトリのトサカのようなリーゼントのエーちゃんは宇宙人、もしくは未来から来た人のように見えた。ガキながらロックを音楽としては充分知っているつもりでいたが、ロックを生きている人を見たのは初めてだったのでその衝撃はもの凄いものがあった。私は肩にかけて歩いたりはしなかったものの、会場であのE.YAZAWAのバスタオルを買い、自分の勉強机の前の壁にピンで留めたりした。
名著『成り上がり』で知られる彼の生い立ちとか、その後のサクセス・ストーリーとか、彼がカリスマになったのには様々な要素が挙げられるが、私がエーちゃんの何が一番好きかというと、当たり前だが、それは1にも2にも彼の書く曲の良さ。
昔、親戚のお兄ちゃんの家にキャロルが登場したばかりの頃の週間プレイボーイがあり、そこに書かれていたメンバー個々の紹介文には、“矢沢永吉君ー天才的なメロディーメーカー”と、確か書かれていたのを覚えている。
エーちゃんの曲、特に初期のバラード、『古いラブレター』とか『キャロル』とか『安物の時計』とかは当時、ロックンロール・ナンバーの合間のクール・ダウン用に歌われる曲という以上に、中学生だった私にはミシェル・ルグランとかエンニオ・モリコーネのような映画音楽、大人な世界を垣間見れる絶好のテキストだった。それまで聞いていたフォークソングの中の恋愛模様と違って、何か違う国の男女の話のように聞こえた。
エーちゃんは、とてつもなく歌の上手い歌手。これは現代詩手帖に友部さんが書いていたのだけど、私も本当にそう思う。それといつまでも少年のように音楽を愛している人で、彼の語りの熱さはその愛情の熱さなのだと思う。
今、YouTubeでエーちゃんの過去の映像を様々見ると、初期の頃のエーちゃんは自分のことを“ヤザワ”とは言っていない。これは私の勝手な想像だが、エーちゃんは名実共にスーパースターになった頃から、自分の一人歩きしてしまった虚像と距離を置くために例の語り口で自分を“ヤザワ”と呼ぶようになったのではないだろうか?距離を置き、ある程度自分を商品化するために。
上に挙げた『KISS ME PLEASE』は確かアメリカ進出直前の作品。彼の自伝第二弾『アー・ユー・ハッピー』を読むと、このアルバムには実人生のエーちゃんがとても色濃く反映されていたことが分かる。『バイバイ・サンキュー・ガール』から『過ぎていくすべてに』まで。そして私が見て衝撃を受けたエーちゃんは一度ここで終わる。その後のアメリカ進出から詐欺事件を経ての今日は、また違った感動なのだが、私の中でエーちゃんはとっくに殿堂入りしていて、もう何をやっていても良いといった感じの人だ。
ただ、欲を言えば小さいホールでのアット・ホームなコンサートをもっとたくさんやって欲しいなと思いう。
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