« Farewell | トップページ | ボブ・ディランのTVCM »

ユートピアをめぐる反逆

 

楽園への道 (世界文学全集 1-2) (世界文学全集 1-2) Book 楽園への道 (世界文学全集 1-2) (世界文学全集 1-2)

著者:マリオ・バルガス=リョサ
販売元:河出書房新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 これはフランス印象派絵画の巨匠ポール・ゴーギャンとその祖母で社会主義運動の先駆者フローラ・トリスタンの物語。本書によって私は初めてあのタヒチの画家ゴーギャンにこのような祖母がいたことを知った。

 フローラ・トリスタン(1803~1844)はその不幸な結婚生活からまず女性解放を目指す運動を始め、その後、運動は労働運動、社会主義運動に発展。彼女はフランス中を労働者の団結を説きながら旅し、旅先のボルドーの地にて41歳でこの世を去る。

 19世紀の横暴な資本主義に孤立無援で戦いを挑んだ彼女は「スカートを履いた扇動者」と呼ばれ、後のマルクスやエンゲルスの著作のベースには彼女の著書があると、この小説の作者バルガス・リョサは指摘している。

 「小説の読者は作中人物を愛する権利がある。」と、この全集の編集者池澤夏樹氏は解説の中でそう言っているが、私も小説中の多くのやや間抜けに描かれる男達と同様に、この物語のフローラに愛情を抱かずにはいれなかった。

 写真などは勿論ないが、残された肖像画からは実際の彼女の美しさが十分に伝わってくるし、バルガス・リョサも解説で“小柄で黒髪で色白、スズメバチのように細いウエストをした、頭の回転が早いフローラ”とその魅力を表現している。

 そして、当の彼女自身は最悪な結婚生活から男性とのセックスには拒否反応を示し、肉体的な官能は同性からしか得られないという設定で、男の読み手からするとそのことのもどかしさも伴って、余計に「愛」を喚起させる不思議な存在だ。

 読了後、私が感じたこの「愛」を冷静に分析するに、それは魅力的な女性に対するものと言う以上に、多分に人類愛的なものであるのが分かる。それはフローラが時空を越えて投げてよこしたボールをそのまま投げ返したような感情だ。

「わたしの祖国はフランスである以前に人間性という国です。」P141より

「よく名前を覚えておくのね。フローラ・トリスタンよ。生命を賭けて貧乏な人たちに対する不当な行為と闘っているのよ。ブルジョワだって、労働者がほかの労働者を搾取するような最低のことなんかしませんよ。」P213より

「解決しなければならない問題を抱えた人がたくさんいるというのに、わたしには古臭い石の塊など興味ありません。覚えておいてください。キリスト教世界でもっとも美しい教会でも、たった一人の聡明な労働者のためにわたしは躊躇せず差し出しますからね。」P397より

 軍人や女性を蔑視する男、教会の権力、その他、偏見と無知から彼女の思想や運動を阻止しようとする者たちに上記のような言葉でもって次々と応戦するフローラ。19世紀のこの頃は、アナーキズム、ユートピア社会主義など様々なイデオロギーが生まれた時代で、まだ健康だったそれらイデオロギーの手触りと、その時代の臨場感がフローラを通して伝わってくるようで、その点は作家バルガス・リョサの力量を感じずにはおれない。

 さて、一方のポール・ゴーギャン(1848~1903)だが、伝記的な説明は彼の場合、不要だろう。証券と株の世界で成功をおさめながら、30代で突如、絵画を天職と悟り全てを捨て、西洋の美に原始美術を導入しようとタヒチやマルキーズ諸島に渡ったゴーギャンの生涯は、モームの『月と6ペンス』をはじめ、様々な小説や映画の題材になっている。

 フローラの社会運動を描く筆致と同様、この小説のもう一つの魅力に、現在では絵画史に残る傑作として名高い数々の作品をポールが製作している、まさにその場に立ち会っているかのようなシーンが挙げられる。『マナオ・トゥパパウ(死霊が見ている)』、『ネヴァモア』、『説教の後の幻影(ヤコブと天使の闘い)』、『我々は何処からきたのか?、我々は何者か?、我々は何処にいくのか?』などなど、製作される過程やエピソードも含め、例えフィクションとは言え美の創造の秘密が眼前に繰り広げられるような経験が味わえる。

 この小説はフローラの物語が奇数章に、ポールの物語が偶数章にと、交互に、パラレルに描かれるが、二つの物語は決して合流することはない。しかし、私はフローラが娘に、ポールが母に思いを馳せる場面が、二つの物語をかすかに橋渡しているように思い、この辺にも作者の上手さを感じた。

 そして、ここからは私独自の読み方だが、この小説は二人の反逆者の物語の陰に“理想社会(ユートピア)における「性」の在り方”、というテーマが潜んでいる気がする。フローラもポールも各々の時代において十分に反逆者だが、セックスに対し怖いまでにストイックなフローラの章と、それとは真逆に放縦なポールの章がコントラストとなって、どんな歴史の段階を踏んでもなお、この問題が現代に至るまで未解決なものであることを示している。

 男性と恋の鞘当てのようなことをしても、いざその場面になると拒否してしまうフローラ。そして自らに肉体的な悦びを与えてくれる唯一の同性の恋人にすら彼女は運動の妨げになると言って別れを告げる。一方のポールは南の島で、現地の13~14才の様々な女性を妻に娶り、十分にセックスを楽しみ、孕ませ、そしてその官能を基に多くの傑作を生み出す。

 現在の私達はイギリスの売春宿に男装して潜入したフローラが、そこで見たものに涙を流して怒る場面に共感する一方、ポールの原始社会に残る開放的な性の習慣や風習を賛美する気持ちも同様に持ち合わせている。

 私は作家バルガス・リョサはこの血の繋がった二人の、“ユートピアをめぐる反逆”を通して、現代においてもなお引き裂かれたままの「性」の問題を暗に提起しているように思えてならない。

 性は搾取や権力と結びついた時、打倒すべきものとなるが、時に生命力と自由を獲得するための起爆剤ともなり得る。

「肉体のことはお忘れなさい、エスクディエ。革命に必要なのは精神、思想よ。肉欲は障害です。」P403より

「今、おまえは自由に向かって新しい一歩を踏み出した。ボヘミアンで芸術家の生活から、原始人で異教徒で野蛮人の生活へ。大きな進展だよ、ポール。今、おまえにとってセックスは、ヨーロッパの多くの芸術家が考えているような精神の退廃を洗練させたものではなく、よりよい創造を行うための、よりよく生きるための気力と活力の源であり、おまえを新しくするための手段でもあった。おまえがついに到達した世界では、生きることは永遠の創造なのだから。」P77より

 このフローラ・トリスタンとポール・ゴーギャンの人生は「楽園」へ至る別々の、二つの道筋の暗喩であると、私はこの小説をそのように読んだ。

 

PS

 それにしても、フローラのような女性の前では、男の欲望って、なんて愚かで惨めで滑稽なのだろう?落ち込む。

|

« Farewell | トップページ | ボブ・ディランのTVCM »

Books (71)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/186188/9978354

この記事へのトラックバック一覧です: ユートピアをめぐる反逆:

» 『楽園への道』マリオ・バルガス=リョサ (著) [Anonymous-source]
ゴーギャンとその祖母をテーマにした巨匠の待望の大作を本邦初紹介。 画家ゴーギャンとその祖母で革命家のフローラ・トリスタン。 飽くことなくユートピアを求めつづけた二人の激動の生涯を、 異なる時空をみごとにつなぎながら壮大な物語として展開。 ... [続きを読む]

受信: 2008年2月17日 (日) 21時42分

« Farewell | トップページ | ボブ・ディランのTVCM »