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高田スワローズ「創造の夜」

20080329154052本日、開幕シリーズ・ヤクルトVS巨人の第二戦目を神宮球場に見に行った。昨日の開幕戦は車のラジオで聞き、今年監督が高田になってスワローズは良いかも、と思ったが、その予想に違わず今日も見事な逆転で勝利を飾った。

高田はさすがあの“軍神”川上哲治の薫陶を受けたV9戦士の一人だけあって、チーム作りも采配も手堅く、今日のゲームも良く計算された試合運びだったと思う。バントで送るべきところでは送るし、また盗塁など積極的に足を使った機動力野球で、つまりは基本に忠実な野球であった。そして野村の『巨人軍論』にあったように、それこそがあのV9の頃の巨人野球の正体なのである。初回、先発の村中が制球に苦しみ3点を失うが、その後やや立ち直ると、2回、4回、5回に1点づつ取り返しついに同点に。ゲーム後半、巨人の中継ぎ陣の弱さに付け入り7回一挙に逆転すると、今年入団のストッパー林昌勇を投入して見事に逃げ切った。

番に入った青木がセフティー・バントの失敗や、川島慶の盗塁の失敗などがあったが、そうしたことを果敢に繰り返すことでピッチャーはランナーの足を常に意識せねばならず、そのムードが後半の逆転劇を用意したと思う。高田ー!お前が代打で出て、ファールを打ってくれー」と、私はビールに酔って叫びそうになったが、「高田ファール」なんて、もう知っている人いないしな。

考えてみるとヤクルトは去年、最下位だっとは言えチーム打率は相当に良かった筈で、投手陣さえ立て直せればかなりいいところまでいく筈なのだ。今日は相手方巨人のレフトには去年までの主砲ラミレスがいて、ヤクルトファンは皆ブーイングで迎えていたが、私には彼は絶好の守備の“穴”に見えた。

そのラミレスも含め巨人は守備のミスが目立ち、重量打線にこだわったために非常に守りが下手くそなチームになった印象を受けた。

私は今日のゲームはかつての巨人野球と現在の巨人野球の戦いのように見えた。

しかし、どうやったら巨人のように 若くて有能な選手をああも次々とダメにすることができるのだろう?矢野なんて他のチームに行ったらスタメン出場してクリーンナップを打てるのになあ。

とにかく今年の高田スワローズは良い。去年の最下位チームを引き継いで、新しいムーブメントを作りつつある。なんかそんな気がした。

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みゆきとユーミン

太平洋の防波堤/愛人 ラマン/悲しみよ こんにちは (世界文学全集 1-4) (世界文学全集 1-4) Book 太平洋の防波堤/愛人 ラマン/悲しみよ こんにちは (世界文学全集 1-4) (世界文学全集 1-4)

著者:フランソワーズ・サガン,マルグリット・デュラス
販売元:河出書房新社
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 この池澤夏樹個人編集の世界文学全集のラインナップを見て、実は本書が一番読む気をそそられない一冊だった。私は不遜にも「今更、『愛人(ラマン)』かよ、今更『悲しみよこんにちわ』かよ。」と思ってしまった。しかし、そう言う割には私は両者の小説をちゃんと読んだことなどなくて、つまりサガンもデュラスも読んだことはなくても十分知った気にさせられるほど有名な作家だと言うことだ。

 解説書で池澤夏樹は二人について、二十世紀前半にフランス人として生まれた女性で、若くして小説を書き始め、また生涯書き続け、アルコールに溺れ、次々と男を取替え・・・と言った共通点を挙げている一方、一冊の本の中に両者をまとめたことが良かったか悪かったかを今になって考えている、と言っている。私も読んでみて、その作品世界は全く対照的だという感想を一番に持った。そして予想に反して3作品とも非常に面白く読むことができた。

 この両者の作品世界の違いを説明するのに私はイメージとして中島みゆきとユーミンの違いを思い浮かべた。あくまでイメージだが。

 デュラスの『愛人(ラマン)』は実は昔、映画を見た後、原作もと思って読もうと試みたことがある。その頃この作品はフランスの有名な女流作家が若き日の性愛体験を赤裸々に語ると言った風なスキャンダラスな紹介がされていて、非常に下世話な興味から私は手に取ったのだが、なんだか良く分からなくて途中で放り出してしまった。映画の方も見たという以外ほとんど記憶にないので、小説、映画とも余程当時の私には合わなかったのだろう。

 今回、この全集に収められたデュラスの『太平洋の防波堤』と『愛人(ラマン)』は一人の作家の一つの体験をベースにした二つの小説だ。前者はそのキャリアの前半に、後者はその後半に書かれた。そして私は一読者としてこの時を経て書かれた二つの小説を続けざまに読めるということはとても豊かな体験だという気がした。

 『太平洋の防波堤』はかつてのフランス領インドシナが舞台で、そこで貧困に喘ぐ家族の物語。季節ごとに高波に晒されるため作物など作れない土地を買ってしまったがために貧困に陥り、半ば狂気になっている母親と、教養が無く暴力衝動を内に秘め、鬱屈した兄と暮らす美しい少女。

 ある日、とある金持ちの青年がこの少女を見初め、高価な贈り物をし始めることから家族はそこに悲惨な日常からの脱出口を見出そうとする。少女も自分の“商品価値”を多分に意識して、あらゆる打算や駆け引きに躍起になる。

 この小説はデュラスの自伝的な要素が濃く、彼女自身が見、経験した社会悪と、それが元で舐めねばならなかった貧困、またそれに対する怒りや無力感からくる倦怠などが余す所無く書かれていて、そこで行われる性と富の交換はなんともブルージーな感じだ。

 そしてこの小説から34年後に、同じ体験を違う声色で書いたと言っても良い『愛人(ラマン)』でも同様に、これは富める男が貧しくも美しい少女を金で買うといったような通俗的な話ではなく、あくまでものその関係の主体が少女の側にあるという点が陰惨な話であるのに、読後、ある種の強さを感じさせる所以だと思った。

                  ☆

 さて、次にサガンの『悲しみよこんにちは』だが、これってサイモン&ガーファンクルの『サウンド・オブ・サイレンス』の元ネタになった小説だといったことが以前テレビで紹介されているのを見たが、ホントだろうか?この小説というより、小説冒頭に引用されているエリエールの詩、と言うなら分かるが。

 この小説とサガンのことを考える時、どうしてもこれが19歳の時に書かれたものだいう点は外せない。ただ、私は早熟の天才と言うものにも二通りあって、若くして才能を発揮して段々と枯渇していってしまう人と、デヴュー時の天才をそのままに生き切っていく人とがあると思うのだが、このサガンはどっちだったのだろう?シーンから消え去ることなく生涯小説を書き続けた人なので、多分、後者に属する人と思うが、この『悲しみよこんにちは』に匹敵する、またそれ以上の作品をその後書き得たのかどうか、彼女の作品をこれ1作しか読んでいない私には分からない。

 しかし、この『悲しみよこんにちは』は、19歳だから書けた、と一言で片付けてしまうにはあまりにも良く出来た小説で、最初からもう古典のような風格さえある作品だと思う。編者の言葉に「サガンは一生この処女作をなぞって書き、この小説のように暮らして死んだ。」とあるが、この小説がそれだけの拡大再生産に耐え得るほどのテーマを持った作品と言うこともできるだろう。前回の『存在の~』が哲学小説なら、これは心理小説といった感じで、感受性が鋭い女性による心理描写を核とした作品を一つのジャンルとしてサガンは書き続けたということだろう。

 日本人がフランスという国に持つ一般的なイメージ、“おフランス”という感じがサガンの小説にはある。一聴すると甘ったるいシャンソンのようで、実はその詞には毒とエスプリが効いているといった風な。(巻末の年表を見ると実際にグレコのシャンソンの作詞をサガンはしたこともあるよう。)

              ☆

 私はデュラスとサガンの小説を今回初めて読んで、両者の別の作品も読んでみようかなという気にさせられた。そして私は本書にデュラスの小説が2つ、サガンの小説が1つというこの形に、この二人の作家の違いが明らかになるよう、編者があらかじめ意図したものに思い至った。

 デュラスはその声色の多様さを味わう作家だということ。

 サガンは一つの声で最初の天才を歌い続けた作家だということ。

・・・・・・・・・・・やはりみゆきとユーミンのようだ。                             

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2008・3・20 パリーグ開幕!

 語ろうパ・リーグ! パ・リーグを愛するファンの本 語ろうパ・リーグ! パ・リーグを愛するファンの本
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 今日はプロ野球パリーグの開幕でした。去年はあんなに大騒ぎし、楽しみにして西武ドームまでゲームを見に行ったりしていたのに、今年は今日だってことも全然知りませんでした。例年よりちと早くねぇか?と思い、このブログのバックナンバーを見ると去年のパリーグ開幕は3月24日、やはり今年は少し早いような気がします。

 今日は春分の日ですが朝から雨でしかもとても寒い一日でした。妻の両親のお墓参りに行く予定でしたが止めて後日ということにして、それで一日中ゴロゴロして本を読んでいました。朝、新聞を見た息子が楽天VSソフトバンク、西武VSオリックスなどのテレビ中継があると教えてくれて、それを見ればいいやってことになりました。

今年は大物ルーキー中田の動向に終始したオフだったような気がしますが、その陰で西武カブレラや阪神浜中のオリックスの移籍などがあって、パリーグのゲームの見方も少し変るだろうと思います。私が気になっていることの一つに西武ドームのチケット売り場のところにある「カブレラ地蔵」があって、どうなったのだろう?と思って息子に聞くと、チョッと前のスポーツ新聞に撤去された旨が書かれていたそうです。

結局、我が家が何度も通った球場は西武球場で、それは一番近いからというだけの理由だったのですが、さすがに何度も行くと西部ライオンズというチームそのものに愛着を覚えるようになります。何度も通い、その経験がカテゴリー「たましいのラーメン!」の中の小説『延長戦』を私に書かせたりもしました。それは和田がいてカブレラがいて中島がいて松坂がいて・・・・そんな西武。今年は監督も変って一体どうなるのだろう?と思いますが、これは西武に限ったことではないので、その辺の去年との戦力、指揮官の違いなども楽しみにこの一年また野球観戦を楽しみしたいと思います。

結局、テレビでは楽天VSソフトバンク戦を見ました。9回表まで楽天が3対1で勝っていましたが、テレビ中継終了間際に柴原のスリーランホームランが飛び出し、ホークスのサヨナラ勝ち。岩隈は去年に続き開幕勝利投手にはなれませんでした。

楽天は最後にストッパーにドミンゴを投入。この男が今日のぶち壊し屋になってしまいました。彼は1シーズン最多ボーク記録、一試合最多ボーク記録の保持者で、その辺のことを息子と笑って話していると、多村、松中と2連続安打を許した後、柴原に持っていかれちまいました。最後のホームランは低めの球を柴原が上手く打ったと言うしかありませんが・・・。

 今日は寒くてとても球場まで足を運ぶ気になれませんでしたが、暖かくなったら今年もせっせと球場に足を運びたいと思います。まだ千葉マリンスタジアムに行ったことがないので今年は行こうと息子と話しました(あそこはビール売りのお姉さん美人揃いと言うし)。

それと、ノムさん、ストッパーにあのボーク男、止めたら。

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祈る人 

Photo_4



古く美しい礼拝堂が
前触れも無く
突然、崩れ落ちる夢を見た

丘の向こう 黒雲が迫り
小さな鳥が
燃え滾る空の火口へと
落ちていく夢も

「生は死が広めた噂」と、ある詩人は言った
「人は死体を担いだ 小さな魂にすぎない」とも

だが、ぼくはこう言う
「生は永遠に続くひと連なりの夢」なのだ と

幾つもの
氾濫する夢の断片を重ね
この宇宙の庭で
ぼくたちは しばし
共に生きた

ぼくの夢には最初からあなたがいた

食べかけのケーキと用意された衣服
言いそびれた言葉と列車の響き

最後の日も 
あなたはきっと
部屋のガラス窓越しにあの
梅の木を見ていた

白紙の新聞が届き
世界で
何も起きていなかった
あの日

母さん
あなたは今
着古した肉体(からだ)を焼き捨て
鮮やかに旅立ったところ
若く、美しく
あなたから何度も出て行ったぼくに
今度は見送る者の
寂しさを残して

今日
森羅万象にあなたを見て
黄昏れるぼくに
空から
語りかける
と ある声が聞こえた

花が散り流れるのは 
ただ
風の行方を
つきとめるためだ と

ぼくはしばらくは
神にではなく あなたに祈る

さようなら 母さん
ありがとう
また 会えますよね 

ぼくは
あなたの子供で嬉しかった 

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