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憧れの酒飲みへ

Photo  以前、『たまに一人で飲みに行く。』と言ったら、若手のバイト君たちに驚かれたことがある。『えっ、君等は行かないの?』と聞いたら、『行きませんよー。なんかそれって暗くないっすかー』と言われてしまった。

 良く居酒屋に自分では一口も酒を口にしないのに酔っ払い以上にハイテンションで盛り上がっている人がいるが、私はそういう方が理解できない。そういう人は一様に雰囲気が好きとか言うが、単なるお調子者か人恋しいだけなのだと思う。

 私は居酒屋の雰囲気など全然好きではない。特に煙草を止めてからと言うもの飲み屋の類にはほとんど行かなくなっってしまった。

 しかし、よくよく考えるとこれは「酒」というものを意識し始めた年齢に、どんな酒飲みを理想としたか、つまりはどんな酒飲みの大人が自分の周りにいたか、ということに関ってくるような気がする。下品で周囲に迷惑ばかりかけているアル中のような人がいつもそばにいる環境だったなら私は酒を飲まなかったかもしれない。

 私の遭遇した最初の酒飲みは多分大方の人がそうであるように父である。父は私が酒を飲める年令になった頃にはすでに病んでいて、一緒に酒を酌み交わしたという経験はついぞ無い。が、親戚のおじさん達や父の昔の友人たちの話を聞くと父は相当の酒豪で、また、粋な遊び人だったらしい。一度、若き日の父の酒の席での逸話をたっぷり聞く機会があって自分の知らない父の姿に驚いたことがある。

 しかし、それじゃ父が理想の酒飲みの姿として自分の中にあったか、というとそんなことは全然なくて、それは単なる寓話のようなものに過ぎない。私が実際に目にした酒を飲む時の父は、普通の何処にでもいる陽気な酔っ払いで、少し説教などもして別に憧れの対象というものではなかった。

 私の憧れの「酒飲み」は3人いる。しかし、そのうちの一人は詩人、一人はシンガーソングライターで、勿論、一緒に飲んだことなど無く、その作品世界から酒を飲む姿を垣間見るのみで勝手に憧れているだけだ。

 残りの一人は実際に良く一緒に飲んだ。一種独特のオーラがあって超絶的に女性にもて、また、男にももてた。待ち合わせなどする時は大概小料理屋(居酒屋ではない)のようなところで、決まって先に来て一人で飲んでいた。暖簾をくぐって店に入るとカウンターにその人がいる。身体の大きな人なのですぐ目に入り、見ると枝豆にビールだったり、熱燗に煮込みだったりするのだが、複数で来て談笑する人々の中にあって超然としていてカッコ良く、しきりに憧れた。あまりにカッコ良くて、以来、私の中に「酒は一人で飲むもの」といった哲学が根付いてしまった。そう、あれはなかなかの「風景」だったなあ。

 カッコいい酒飲み、と言うのは行儀がいいとか乱れないというのとは全然違う。実際、その人もでん酔して川に落ちたり、女の人に引っ叩かれたりしていたから聖人君子だった訳ではない。と言うかそういうのと対極にいる人だったと言ってもいい。でも、醜態を演じているのに周囲に好感を残すという曲芸のようなものを毎度近見させて貰ったという自負?が私にはある。

 あのカッコ良さの理由は何だったのかは今もってハッキリ分からない。分からないがあの時自分はまだ「子供」で、あの人は「大人」だったと言うのは分かる。肩肘を張らずに自然に一人でいる、その佇まいのようなものかなあ、とも思う。 

 初めに戻れば今の若い人達には身近にカッコいい大人がいないと言うことなのかもしれない。しきりに憧れ、真似してみたくなるような。

 日本には真の大人がいなくなってしまったということかな。一生、大人にならなくても良い国になったと言うか・・・・・。

そう言えば、その人から良く、『一人で飲み屋に行くのが気が引けるなら、蕎麦屋で飲め。』と言われたっけ。

今もってそうしてますよ。先輩。

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