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架空の土地の考古学

 

アブサロム、アブサロム! (世界文学全集 1-9) (世界文学全集 1-9) Book アブサロム、アブサロム! (世界文学全集 1-9) (世界文学全集 1-9)

著者:ウィリアム フォークナー
販売元:河出書房新社
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 昔、人から聞いた話によると『麻雀放浪記』の作家阿佐田哲也(色川武大)は子供の頃、サイコロを振って行う独自のカードゲームを考案し、それで相撲や野球ゲームに熱中していたと言う。それも毎日、番付表や打者の打率、チームの勝率や優勝争いの行方等、現実顔負けの「場所」や「リーグ戦」の記録をつけ続け、それは少年期から二十歳ごろまで続いたと言うから凄い話だ。そうなるとこの話はゲームに熱中するという次元を超え、自らの妄想の囚人、その妄想に奉仕している状態と言った方が事実に近いのかもしれない。

 今回初めてウィリアム・フォクナーの『アブサロム、アブサロム!』とその解説を読んで、私が彼の小説に対して持った印象は上の阿佐田のカード・ゲームに感じたそれと似ている。

 フォクナーはアメリカの「南部」を表現するのに“ヨクナパトーファ郡”という架空の土地を創造した。この“ヨクナパトーファ”とは、彼が生涯住んだミシシッピー州ラフェット郡がモデルだが、この小説のジェファーソンという町も彼の住んだオクスフォードの別の呼称であると言っていいだろう。フォクナーは実人生においてはこのオクスフォードの町に暮らしながら、その一方でこのヨクナパトーファの住人でもあり続けたのだ。

 本書の巻末の解説に詳しいので、ここで繰り返すのは止めるが、このヨクナパトーファ・サーガと呼ばれる彼の作品群は圧倒的だ。一人の人間の脳内でこれほど細部から本流まで、大小さまざまな物語が破綻なく創出され続けた例はちょっと無いだろう。だから本当はこの一冊だけを読んで彼について何かを語るのは1本の大木だけを見て森全体を語ろうとするかのように無理がある。この小説で小さな役だった誰かが他の作品では重要な役割りを担っていたり、本書の小さなエピソードが、他では違う視点から見た短編になっていたりするから。だから彼の作品の場合、本質的に脇役と言うのは無い。

 『アブサロム、アブサロム!』は一言で言うと、トマス・サトペンなるある成り上がり者の一代記で、様々な手法を屈指して彼の隆盛と破滅までが描かれる。

 このサトペンなる男が、ある日、このヨクナパトーファ郡ジェファーソンにやってくる。黒人奴隷の一団を引きつれ、インディアンを騙し広大な土地を手に入れると、彼は2年かけてそこに大邸宅と自らの名を冠した荘園を作り上げる。よそ者の彼に関ったある家族、結婚、生まれた子供、南北戦争・・・・・様々な要因が繭玉のように絡みつき、彼が自らの過去に復讐されるように滅ぶまでの物語を、読者は決して読み飛ばすことの出来ない濃密な文体と手法で語り続けられるのに最後まで耳を傾けねばならない。

                    ☆   

人物にしても歴史認識にしても、一つの実像、事実を突き止めようとする場合は多角的に検証されねばならないと言うのは定石だ。もし、一人の証言やある一つの立場から事実を語ろうとしたならば、それは“一つの物語”あるいは“一つのイデオロギー”になってしまうから。

 フォクナーはこのサトペンの生涯を表現するのに、様々な手法を屈指する。回想、手紙、会話、内的独白、議論・・・時間的にもあちこちに行きつ戻りつしながら、様々な人に、様々な方法でサトペンの呪われた物語を語らせ、検証し、浮き彫りにして見せる。巻末の家系図と登場人物のプロフィールを確認しながらでないと、途中、私は読み進めることができなかった。

 この困難さは実は私には覚えのあるもので、それは私の仕事に通じる。私は考古学に携わる者で一つの土地の利用痕跡を年代別に解き明かすことを仕事としているが、調査データを見て様々な時代を行きつ戻りつして考えるのは日常のこと。フォクナーのこの小説を読むのはちょっとこれに似ている。「え、今、この二人が語っているのはこの時代の、誰それのことか・・・・・」と。

 唐突だが私が実際に調査した例を挙げると、(問題になるので何処の遺跡のことか明言は避ける)、そこでは初め縄文時代前期の住居がまばらに作られ、やがて中期になると大集落が営まれた。その後弥生時代になると方形周溝墓、つまり集落域から墓域に突如変り、その後は古墳が作られる。奈良平安時代は再び居住域になり、中世に再び人骨が伴う墓が出土し、その後江戸時代に耕作地、畑となった。今、現在でも、例えば墓を潰してパチンコ屋を作ったり、その逆に住宅地を取り壊して霊園を作ったりはしないのと同じで、集落→墓域など極端な変遷があった場合、その次期に何か強力な政治体制の変化か経済的要因があったと考える。

 また、実際の発掘作業以外にも、近隣のお年寄りの話を聞き取り調査することもあって、例えば2008年現在、90歳のおじいちゃんに昔のその土地についての話を聞こうとした場合、会話の中で「わしが、子供の頃、爺さんに聞いた話では・・・・」なんてことになると、その“爺さん”はもう幕末の人であり、どんな文書記録にも残っていない土地土地の事実がオーラルに明らかになる場合がある。

 私がこのようなデータに直に触れ、そこにあった物語を想像しようとして眩暈を覚えそうになったことは1度や2度ではないが、フォクナーはこれを自らの想像力のみで、しかも小説世界でやってしまっっている。

 ではこの“架空の土地の考古学”でもってフォクナーが表現しようとしているものは何か。

 それはリアルな「南部」ということだ。インディアンの土地に暴力的に入植し、アフリカから大量に連れてきた黒人奴隷を家畜のように使役し繁栄を遂げた南部。陵辱し混血し、その血を穢れとし嫌悪した南部。そして、その血に呪われた南部。南北戦争に負けた南部。『風と共に去りぬ』には決して描かれ無かったリアルな南部を、フォクナーは自らの内部で増殖し続ける架空の土地に様々なディテールを書き加え続けることによって表現した。

 「私もまた敗戦国の人間です」(1955年来日時のフォクナーの発言)。

                         ☆ 

この池澤夏樹個人編集世界文学全集は一ヶ月一冊の配本で、そのペースで読んでこのブログに書けば良いと思っていたが、ここにきてそれが頓挫した。今、書店には残雪&バオニンの『暗夜/戦争の悲しみ』と、クッツェーの『鉄の時代』が積まれている。

 それもこれもこのフォクナーの『アブサロム、アブサロム!』が手強過ぎたから。やっと読み終わった。長かった。疲れた。でも全てを読み終って、このシリーズの何かを読み返すとしたらまずこれから、と、今はそんな気がする。それとフォクナーの他の作品。

 フォクナーに影響を受けていると言われつつ読んだ中上健次の小説を思い出した。確かに。 

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