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2度目の歌舞伎ー船弁慶(ふなべんけい)

 20081121193258 最近、外タレのコンサート・チケットって異様に高くないだろうか?ザ・フー、ビリー・ジョエル、ジャクソン・ブラウン、キャロル・キング・・・この秋は私が好きなアーチスト達が大挙来日していた(る)のだが、結局、どれも行かなかった。仕事のスケジュールと合わないのが一番の理由だが、プラス、チケットの高さもその要因の一つに挙げられる。

 あんまり言うと貧乏人の愚痴のようで嫌なのだが、でも、こんな高額な金を出してロックのコンサートを見てるのって日本人だけじゃないのか?他の国がどのくらいなのか調べたことはないが・・・・・・・・。

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 私は本日も昔ながらの庶民の娯楽、歌舞伎見物に行ってきた。久々に「あと、ヨロシク。」と5時30分に戸締りもバイトの面接も人任せにして事務所を出、5時50分にはもう歌舞伎座の前へ。幕見席のチケット売り場は行列が出来ていて、そして予想以上に外国人客が多くいた。三幕目はどうしようか散々まよったが、少々風邪気味で、余り帰宅が遅くなるのも嫌なので本日は二幕目のみにした。金800円なり。

 今日見たのは夜の部二幕目『船弁慶』。海路で西国を目指す義経に弁慶が静御前を都に返すように進言し、義経はこれを受け入れる。義経と静御前の別れの場面。別れを惜しむ舞いの後、出船となるが、海は荒れて、やがて平知盛の霊が現れて義経らに襲い掛かる。

私は歌舞伎は見始めたばかりなので、その芸についてウンチクを語るほどの知識も批評眼も持ち合わせていないが、この『船弁慶』、前回見た『盟三五大切』が大作の演劇とすると、これは和のミュージカルと言った印象を持った。この静御前と平知盛を今日演じたのは菊五郎だ。

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 今私が読んでいる戸板康二著『歌舞伎への招待』によると、昭和24年7月に世を去った6代目尾上菊五郎はとんでもない名優だったそうで(歌舞伎の世界で、一言、六代目、と言うとこの菊五郎のことを指す)今日のこの菊五郎は何代目なのだろうか?私、そんなことも知らない。また芸の方はどうなのだろう?。(今、調べたら今日の菊五郎は7代目、しかも現在の歌舞伎界のスーパースター、人間国宝であった。あわあわあわ・・・(恥))

 前回の経験から、今回、私は音声サービスの機械は借りなかった。これも人それぞれだと思うが、私は場面場面を解説され“理解”するより、舞台全体の流れと情感そのものを“感じる”ほうが楽しめるような気がする。かつてお忍びで来日していたジョン・レノンも歌舞伎を見て、なんの予備知識も無い演目だったのに涙を流して見ていたと言うから、そういう鑑賞の仕方も可能なのだと思って。

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 誰か外タレのコンサートを歌舞伎化してくれないだろうか。昼の一幕目『ザ・フー「四重人格」の場』、二幕目『ジャクソン・ブラウン「レイト・フォー・ザ・スカイ」の場」』、夜の一幕目『ビリー・ジョエル「ピアノマン~ニューヨーク52番街」の場』、二幕目『キャロル・キング「つづれおり」の場』、みたいな。それでチケット代は一幕8~900円程度で1ヶ月公演。無理か、そんなもん。

 またロック界に世襲制度も導入する。もうジュリアン・レノンをジョン・レノンということにしないか。ザック・スターキーはリンゴ・スター、ダニー・ハリソンはジョージ・ハリソンということに。またジェイコブ・ディランをボブ・ディランということにする。で、その調子で行くと、5代目ミック・ジャガーと5代目スティービン・タイラーあたりになるとその違いなど分からなくなって、それを分かる人が“通”ってことになる。

 永遠にこの地球上に現役のビートルズやディランやローリング・ストーンズがいる。「レノン屋!」とか「キース屋!」なんて声が掛かったりする。キースがテレキャスで客をぶん殴ったりすると、「先代にも優るとも劣らない・・・・」とか言って目を細める。ミックが見得を切ると、「あーりゃー、こりゃー」とバックのメンバーが言って、最後に「デッケイ!」と声を掛ける。荒唐無稽な話に聞こえるが、歌舞伎の世界は実際にそれをやっている。200年もかけて。だから今日見た菊五郎はそういう意味じゃ江戸の世からずっとこの世にいる。肉体はどんどん変っているけど、芸こそがDNAみたいなものでずっと生きている。

誰が考え出したのだろう、凄い制度だ。

最近、すっかり歌舞伎にはまってしまって、その関係の本ばかり読んでいるが、これが非常に楽しい。この年になって全く知らなかった世界を知るというのは・・・・・・スリリングなものだ。で、上の話、ポール・マッカートニーはどうしたって?ポールはずっと本人のまま。200年くらいたっても、ポールはポール。『グリーン・マイル』の主人公と鼠みたいに。

PS それにしても見たくないか?キャロル・キング、曼荼羅で20回公演とか(笑い)。無理か。ニルソンとかレオン・ラッセルなら可能と思うけど、その場合、完全にドサ回りって感じになるなあ。わたしゃ行くけどね。               

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枯葉


あの夏の日に言えなかった言葉が
黄色に染まり足元に落ちる
逆光の燃え盛る未来に
飛び去る小鳥を
呼び止めようとして あの時
言えなかった言葉

日々のピアノの連弾から
いつしかあなたの音だけが消えて
気付かづに夢中で弾き続けた
ローレライよ
その音符の黒い粒は夕暮れの木立を抜け
哀しみの沼に
静かな波紋をたてて空に昇っていく

そばにいても決して重ならなかった人生が二つ
立ち並ぶ銀杏の木のように
言葉だけを枝に
おびただしくたたえながら

<空の鳥篭に斜めに陽がさし>

ひらひらと
言葉が降る
声になるまでに持ちこたえられなかった言葉が
舞うように
黄色いモザイクの絵を大地に描きながら

降る 
言葉が降る
銀杏の葉の形して

言葉が降りしきる

あの夏の日に言えなかった言葉が
心一面
黄色に染め上げるー

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初めての歌舞伎ー盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)

Kabukiza_1 少し前のことになるが、2010年の4月に歌舞伎座が取り壊されるとのニュースを聞いた。なんでも老朽化が進み、耐震性やバリヤフリーの観点で見ると問題有りで苦渋の決断とか。

で、その是非はともかくとして、1度も生で歌舞伎を見たことが無い私はこのニュースを聞いて、見るなら是非今の歌舞伎座で、と、真っ先に思った。幸い、私の現在の職場から歌舞伎座はすぐ。しかも私の隣の席の女性は大の歌舞伎ファンで、色々と鑑賞の手引きとなるような本を貸してくれる。それで、ここのところいそがしい合間をぬって、休憩時間等にそれらの本をなんとなく眺める日々を過ごしていたが、ついに本日、妻を連れたって歌舞伎を見に行くことにした。

昨日、11月1日は『歌舞伎座百二十年~吉例顔見世大代歌舞伎』の初日で、今日は二日目。演目は昼の部 1.盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ) 2.廓文章(くるわぶんしょう) 夜の部 1.菅原伝授手習鑑~ 寺子屋(てらこや) 2.船弁慶(ふなべんけい)  3.八重桐廓噺(やえぎりくるわばなし)の五つ。今日、私達が見たのは『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ』

              ☆ 

歌舞伎って見るのに一体幾らかかるのか?もの凄く高いのでは?と思っている、私と同様な初心者の方、ご安心を。上に紹介したような演目一つを“一幕”として、最上階の「幕見席」で見るのなら、一幕がだいたい800円~900円。今日、私達が座ったのもこの幕見席。花道が余り見えない難点はあるが、観劇するには十分で、気軽に見れるので初めての方は絶対ここから始めた方が良いだろう。また、歌舞伎=難しいもの、といった先入観がある人は音声ガイドを利用すると、演目について場面ごとの細かい解説が聞けるので利用するのも手かと思う。これは1400円で借りられる(内1000円は保障料なので機械を返すと戻ってくる)。

 本当は昨日まで、私は『船弁慶』を見るつもりでいた。源義経と静御前の別れの場面、荒れた海に平知盛の霊が現れて、弁慶が一心腐乱に祈る例のやつだが、何故、それが見たかったかというと、お話として知っているのがそれだけだったからだ。しかし、それがかかるのは夜の部。わざわざ休日の夜に出かけなくとも普段の仕事の後、新橋から都営浅草線を使えば一駅で東銀座、歌舞伎座の前までものの10分もかからないので、これは平日に見る機会もあろうかと、それで昼の部を見ることにした。

                ☆ 

 今回の演目の簡単な解説がチラシに出ているが、今日見た『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』は読んでも良く分からなかった。しかし、見てりゃ分かるだろ、と、思い切って入ったのだが・・・これは凄かった。複雑な構成と展開は簡略された文章では良く分からなかったが、実際に見ると意外にあっさり理解でる。それで想像以上にディープな世界についつい引き込まれ、初め、妻と一幕目の「五人切りの場」で今日のところは帰ろうと話していたが、結局二幕目「愛染院門前の場」まで一気に見てしまった。

 これは四代目鶴屋南北の作品で、公開当時は「暗い」と言われ不評を買ったとか。しかし、その後、また段々と演じられるようになって、今では『四谷怪談』と並んで南北の代表作の一つになっている。エロスあり、ホラーあり、それでいてコミカルで・・・そのうえ泣ける。忠臣蔵と四谷怪談がミックスされているような話と聞いて、故深作欣二監督の映画『新説四谷怪談』を想起したが、全くの別物。

 芝居の最中、「音羽屋!」とか「萬屋!」なんて掛け声が上がって、最初、歌舞伎通ぶったどこぞのおやじが血迷って大声出しているのだろうと思ってたら、これは「大向」と呼ばれる人たちの掛け声。役者が見得を切る時や、見せ場の時にこういった掛け声が上がるルールがあることなども、見るほどに自然に了解されてきた。

 さて、この『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』。特に私が気に入ったシーンは、片岡仁左衛門(私等の世代には片岡孝夫と行った方がピンとくるかも)浪人薩摩源五兵衛が自分を騙した小万の前に最後に姿を現し、全てが終わって雨の中を去って行くところ。効果音の雨音が効いて、本当の雨の中にいるようで、凄惨な場面の後の強烈な侘しさが我が事のように伝わってきた。地味なところだが、これは映画や普通の芝居じゃ味わえない歌舞伎ならではと思った。

                ☆ 

 ところで、2010年にこの歌舞伎座、取り壊されて新設された後も「幕見席」ってあるんだろうか。今日見たような大作が一幕目と二幕目に別れている場合、この制度はとても助かるんだけど。一幕目で帰る場合も「二幕目は期間中に来て、後日、また見れば良い。」って気分でいられ、途中で帰ったって気にならずに済むから。それにとにかく安いし。

私はこの11月にもう一度歌舞伎座に行って、今度は『船弁慶』を見ようと思っている。想像以上にハマッテしまって、このブログにもう一つカテゴリーが増えないようにしなくちゃ、と思う。(『幕見席』とか。でも『外野自由席』ってのがあるもんな。二番煎じだな)。

それにしても鶴屋南北って・・・・凄い作家だ。

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