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帰郷

      
十二月の
鋭く尖った夜の冷気が
何故か頬に優しく触れた

薄墨色の空も次第次第に明かりを落とし
漆黒の闇のシーツが
田園の景色をすっぽり包んでしまうと
耳鳴り
のような静寂(しじま)から
ある死者の声が
私を呼び止めた

『お帰り』

肉体は火に焼かれ
形象を失っても
なおも変わらぬ
祖父よ 父よ
痛苦を脱ぎ捨て
今はこの故郷の しんとした大気の粒に
おのが身を解き放ったか
草を育て
木を育て
四季折々の光彩る
宇宙の息に
姿
変えたか

〈台所で知らぬ間に死を準備している日常〉
〈不在者の空白が 今 確かな一族の主〉

寝床では
私の小さな獣が二匹
眠っている
この精霊の家を
身も知らぬ旅の宿と勘違いして

風に揺れる川原の枯れ草の陰に
猫が二匹
ゆっくりと
消えていった

 

 あと、数時間で今年も終わる。何かをやり残したような後悔もなければ、何かをやり遂げたような達成感もない。ただ、日々を淡々と生きていた結果、今年もこの日が来たという感じ。

 今日、実家のいわき市に戻ったが、普段、気負っているつもりはないのだけれど故郷に戻ると心身がみるみる弛緩していくのが分かって、また、ここを出てから起った事の全てが幻のような錯覚を覚える。

 今年は二月に母が亡くなったので、正月はないことになっているのだが、兄、弟夫婦と今夜はこれから飲み明かし、例年通りの年越しになると思う。

 上はもう何年も前の大晦日に書いた一編。この頃はまだ子供たちも小さくて、祖父と父が居ない実家にその二人が眠っている様子が何故かとても不思議に思えて書いたのを覚えている。

この一年、読んでくれた人、ありがとう。

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Crystal eyes

 

川面に映る冬の陽のきらめき
旅立ちの朝の
空のひこうき雲
恋人の胸
静かな森に響く
陽気な口笛
子供達のはしゃぐ声と
たなびく
夕餉の煙

ソロー
アレン
ゲイリー
ミラレパ

無名で
ユーモラスな山の民の言葉

睡蓮 
向日葵
ブーゲンビリア
梅 

そして
それら全てを含む
あなたの

Crystal eyes-

 

 詩人ナナオ死す。23日、長野県大鹿村でのこととか。私はあんなにきれいな瞳の老人にいまだかつてあったことは無いし、これからもないだろう。

「君の脚は時速何キロだい?脚は最高の交通手段だよ、そう思わないか、君?」いつだったかナナオが私に言った言葉。カップヌードルの海老で鯨を釣ることが詩だ、とも。ご冥福を祈ります。合掌。

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3度目の歌舞伎~京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)

 一幕目『高時』も見た。しかし、体調は最悪でとても鑑賞したと言える状態じゃなかったので、これについては今回は書かない。理由は二日酔い。昨夜、新橋で忘年会があり、2次会は銀座に流れ、結局、帰宅せず。現場事務所で寝たのだけれど、これが最悪で、暖房をつけても寝るには寒く、今朝は自分の歯がガタガタ鳴る音で目が覚めた。

 しかし、こうなることも多少は予想していて、もし事務所に泊まることになったら翌日は歌舞伎を見に行こうと思っていた。新聞で今歌舞伎座でやっている12月大歌舞伎での坂東三津五郎演じる『娘道成寺』がとても良いと読んで、是非見たいと思っていたからだ。

 幸い『高時』が終わる頃、酒が抜ける。途中、来たことを後悔し帰ろうとも思ったが、これは神様のご加護か?すぐに気分を建て直し、気合を入れて『娘道成寺』を見ることにした。

               ☆

 さて、初めて見る『娘道成寺』がこの三津五郎の『娘道成寺』だったことがはたして幸せだったのか、不幸だったのか。今回のそれはオーソドックなものに比べると“坂東流”と言うことで、例えば普通「道行」では義太夫を用いるところを、常盤津を地(伴奏)で使い、着物の色も昔通りの「赤」なのだとか。

『道成寺縁起』は室町時代に完成した。一夜の宿を求めた僧安珍に家の娘清姫が恋をする。安珍は清姫との約束を果たさず、彼女が後を追う。案珍は紀州和歌山の道成寺に逃げ込み、鐘の中に身を隠し、怒りから蛇体になった清姫は鐘に巻きつき安珍を焼き殺す。

 歌舞伎の『道成寺』はその後日談。鐘が焼かれた寺に新しい鐘が奉納される。本来は女人禁制の寺の境内だが、ある白拍子が鐘を見せて欲しいと懇願し、「舞」を見せるなら・・ということで通される。この白拍子は実は清姫の霊であり、舞いながら鐘に飛び込む・・・と言うもの。しかし、物語は言わば舞踊のための場の設定、動機の設定といった役割で、これは様々な段での女形舞踊を十二分に堪能するための演目。1753年に初代中村富十郎が初演し、現在では様々なバリエーションがある。

 これは名女形が手がけてきた踊りだそうだが、三津五郎は立ち役、女形ではない。しかし、私は今日初めて本格的な女形舞踊というものを見たが、三津五郎の踊りはそんな初心者?の私の目にもある種の霊気が立ち上がってくるようで、素晴らしかった。何か説明のつかない凄いものを見たと正直に思う。

 この女形舞踊というものは不思議だ。圧倒的に美しく色っぽいのにそこで舞っているのは女ではなくて男、だからこの美しさ、セクシャリティーとか、エロスを感じる、というのじゃなく、でも確かに色っぽいし・・・・うーん、上手く言えないが・・・ただただ美しい。それはやはり芸の美しさということなのだろうが、逆にその修練の度合いというか演者の力量が如実に分かる恐い世界だと思った。そして技術だけじゃできない、思想のようなものも問われる、と。

「『道行』までは怨念、恨みの根性で芝居しますが、舞台へ来たら『娘』になる。嫉妬を見せる部分も、娘が嫉妬のまねをするつもりでいたします。」

「女形の卒論のような曲ですし、女形でも歌舞伎座で上演する機会は少ない。立ち役の私には大変なプレッシャーです。」(坂東三津五郎、毎日新聞でのインタヴューから)

 この三津五郎の「娘道成寺」は多分に変則的なものなのだろうが、最初がこれだと、私にとって『娘道成寺』は今後、これが基準になってしまうなあ。それが幸か不幸かは・・・なんて、あんな感動的なもの見たんだから幸せに決まっているが。

帰り道はすっかり二日酔いはなおっていたが、違うものに酔っていて、今も酔っている。それは三津五郎の芸の美しさ、歌舞伎の快楽、だ。

まだ歌舞伎を見始めて間もない私だが、偉そうに言ってしまおう。これは“平成の名演”であると。

まだ見て無い人、今月26日まで。見ないと損ですよ。

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静物画


愛って何?
それはまるで用意されていたように
男と女がいて
目を合わせていてもそらせていても
酸っぱい味が
胸に広がっていく
あの感じ
自分が男だということに
少年が気づき
ママの口紅を
少女が悪戯するときのこと

それは
海の水と空の雨が
入れかわる
冬の午後のこと

少年じゃなくなった男は
テーブルになり
口紅がさまになった少女は
陶器になり やがて
二人が
一枚の絵になること

そしてそれは
田舎の縁側に
座る老婆の
手の中で 香放つ

一個のレモン

 

 これはごくごく初期に書いた詩。どういう状況だったかは全く覚えていない。多分、高校生くらいだったと思うから今読むと随分ませた高校生だったと思う。

この詩、冒頭の“愛ってなに?”という書き出しがとても恥ずかしい。しかし日本の現代詩人はこの「愛」という一言に対してどうゆう態度でいるかによって二分しているようなところもあって、例えば私の敬愛する二人の詩人、故田村隆一氏と故諏訪優氏は対照的だ。

まず、田村氏。

“青年のときは/愛/と言う言葉がぼくには苦手だった/特に詩の中で/愛/と言う言葉がどうしても使えなかった”(愛ってなあに?)より

という詩の一説があるくらい。次に諏訪氏。

 “・・・僕たちは/その重苦しいときを待つ/ふるえながら/魂は愛にうちふるえながら”(精霊の森)より

これは彼の代表作の一つと言ってもいい長編詩『精霊の森』の一説だが、この詩に関して渋沢孝輔氏は、「「愛」と言う言葉をこれほど率直に使った詩が現れたということ自体が、私の眼にはひどく感動的なものに映ったのである。・・・」云々と、この「愛」と言う言葉が多用される傑作に初めて接した時の驚きを詩人論の中で記している。思えばこの「愛」と言う言葉に恥ずかしさを覚えたという田村氏は、古今の大詩人がそうであるように挫折した政治家のようにも見え、戦後最大の詩人という評価を得、また一方の諏訪氏は誤解を恐れず言えば、終生“愛のマイナー・ポエット”であった。

 実は私もこのブログに以前、愛と言う言葉を多用した詩をエントリーし、その後、あまりの気恥ずかしさを感じ、削除してしまったという経験がある。

で、今回、また別の詩をエントリーしてしまったわけだが、思うにこの「愛」と言う言葉を使うときの気恥ずかしさは、

一体どこからくるのだろうか?

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欲望~ある抽象画のための


文字の無い手紙のような
灰色の空に向かって
巻き上がる ワイン・レッドの

時の推移によって
光の加減は
微妙に変化するから
見るたびに違う表情を投げかける


この絵は本当は
私の心を
標本し 額装しただけのもの

それは例えば
この世の
快楽のキャンバスをあらゆる器官で
隅々まで
舐め尽くしてみたいなどと
考えたりしている
午後の

やめられない毒のように
全身に効いてくる

無機質な画廊の壁に
“しん”と飾られている
私の激しい

欲望

 

 これは昔、ある友人が描いた絵を見て書いたもの。あっという間にできたのを覚えています。

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