一幕目『高時』も見た。しかし、体調は最悪でとても鑑賞したと言える状態じゃなかったので、これについては今回は書かない。理由は二日酔い。昨夜、新橋で忘年会があり、2次会は銀座に流れ、結局、帰宅せず。現場事務所で寝たのだけれど、これが最悪で、暖房をつけても寝るには寒く、今朝は自分の歯がガタガタ鳴る音で目が覚めた。
しかし、こうなることも多少は予想していて、もし事務所に泊まることになったら翌日は歌舞伎を見に行こうと思っていた。新聞で今歌舞伎座でやっている12月大歌舞伎での坂東三津五郎演じる『娘道成寺』がとても良いと読んで、是非見たいと思っていたからだ。
幸い『高時』が終わる頃、酒が抜ける。途中、来たことを後悔し帰ろうとも思ったが、これは神様のご加護か?すぐに気分を建て直し、気合を入れて『娘道成寺』を見ることにした。
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さて、初めて見る『娘道成寺』がこの三津五郎の『娘道成寺』だったことがはたして幸せだったのか、不幸だったのか。今回のそれはオーソドックなものに比べると“坂東流”と言うことで、例えば普通「道行」では義太夫を用いるところを、常盤津を地(伴奏)で使い、着物の色も昔通りの「赤」なのだとか。
『道成寺縁起』は室町時代に完成した。一夜の宿を求めた僧安珍に家の娘清姫が恋をする。安珍は清姫との約束を果たさず、彼女が後を追う。案珍は紀州和歌山の道成寺に逃げ込み、鐘の中に身を隠し、怒りから蛇体になった清姫は鐘に巻きつき安珍を焼き殺す。
歌舞伎の『道成寺』はその後日談。鐘が焼かれた寺に新しい鐘が奉納される。本来は女人禁制の寺の境内だが、ある白拍子が鐘を見せて欲しいと懇願し、「舞」を見せるなら・・ということで通される。この白拍子は実は清姫の霊であり、舞いながら鐘に飛び込む・・・と言うもの。しかし、物語は言わば舞踊のための場の設定、動機の設定といった役割で、これは様々な段での女形舞踊を十二分に堪能するための演目。1753年に初代中村富十郎が初演し、現在では様々なバリエーションがある。
これは名女形が手がけてきた踊りだそうだが、三津五郎は立ち役、女形ではない。しかし、私は今日初めて本格的な女形舞踊というものを見たが、三津五郎の踊りはそんな初心者?の私の目にもある種の霊気が立ち上がってくるようで、素晴らしかった。何か説明のつかない凄いものを見たと正直に思う。
この女形舞踊というものは不思議だ。圧倒的に美しく色っぽいのにそこで舞っているのは女ではなくて男、だからこの美しさ、セクシャリティーとか、エロスを感じる、というのじゃなく、でも確かに色っぽいし・・・・うーん、上手く言えないが・・・ただただ美しい。それはやはり芸の美しさということなのだろうが、逆にその修練の度合いというか演者の力量が如実に分かる恐い世界だと思った。そして技術だけじゃできない、思想のようなものも問われる、と。
「『道行』までは怨念、恨みの根性で芝居しますが、舞台へ来たら『娘』になる。嫉妬を見せる部分も、娘が嫉妬のまねをするつもりでいたします。」
「女形の卒論のような曲ですし、女形でも歌舞伎座で上演する機会は少ない。立ち役の私には大変なプレッシャーです。」(坂東三津五郎、毎日新聞でのインタヴューから)
この三津五郎の「娘道成寺」は多分に変則的なものなのだろうが、最初がこれだと、私にとって『娘道成寺』は今後、これが基準になってしまうなあ。それが幸か不幸かは・・・なんて、あんな感動的なもの見たんだから幸せに決まっているが。
帰り道はすっかり二日酔いはなおっていたが、違うものに酔っていて、今も酔っている。それは三津五郎の芸の美しさ、歌舞伎の快楽、だ。
まだ歌舞伎を見始めて間もない私だが、偉そうに言ってしまおう。これは“平成の名演”であると。
まだ見て無い人、今月26日まで。見ないと損ですよ。
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