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1980.12.11NHK「サウンド・ストリート」~ラジオはあの時何を伝えたか

 

 先日、部屋を片付けていたら一本のカセット・テープが出てきた。そのテープのインデックスにはこう記されている。“1980.12.11NHKサウンド・ストリート DJ渋谷陽一”と。

 これは1980年12月8日に起きたジョン・レノン射殺事件から数日後のラジオ番組を録音したもので、約10年前、とある女性から頂いたもの。

 この放送、自分も当時リアルタイムで聞いていて、自分でもテープに録音した覚えがあるが、そちらの方はとうの昔に失くしてしまった。

 これをくれた女性は私よりやや年上で大のジョン・レノンファンだった。メンタル系の病にかかり、1度は復帰したものの、結局、会社を辞めることとなり、その最後に日、いつも楽しくレノン談義をしてくれた御礼にとこのテープをくれたのだった。

 このテープ、初めの渋谷陽一氏のコメントの後、曲が数曲流れるだけなのに、当時の空気感がそっくりパックされているようで今聞いてもさすがに生々しい。ジョン、40歳、渋谷陽一29歳、そして自分15歳。

 ジョン・レノンは死後、すっかり“愛と平和の人”にされてしまったが、その間違いがいつ何処から始まったのか、このテープは教えてくれる。それは死の直後からすでに始まっていて、つまり彼のような才能を評する言語を日本のジャーナリズムは持っていず、適当な人間がお手軽に矮小化して理解したつもりになってしまった、と言うことで、その辺りを若き日の渋谷氏がワナワナと苛立っている。

 この番組の中の選曲は、当時の幾多あった追悼番組の中でもベストだったと思う。と言うより、当時は「亡きジョン・レノンに捧げます・・・・。」なんて、言って『イエスタデイ』や『レット・イット・ビー』をかけるラジオなんかが実際あったので、そんな状況下において、一番、真っ当だったと言うべきだろう。

 渋谷氏のその後の様々な分野での活躍を見ると、この時の、この種のことに対する怒りが多分に原動力になっていることが分かる。

 さて、ジョン・レノン死後28年目の今日、この番組を文字起ししてここに収録しておく。

               ☆         

  ピ、ピ、ピーーーーーン!。

   1曲目  パワー・トゥ・ザ・ピープル

 えー、渋谷陽一です。今日のサウンドストリートは急遽予定を変更いたしまして、ジョン・レノン特集をお送りしたいと思います。

 えー、今回のジョン・レノンの事件についての、まあ、詳細というか、まあ、そうしたことは新聞とか、あるいはニュースの報道、あるいはラジオの報道で皆さん良くご存知だと思うので、えー、そうしたことに触れる必要はないと思います。あるいはジョン・レノンの業績うんぬんということに関しても、今さら僕がどうこう言ったところでしょうがないと、えー、言う気がするわけです。で、数多くの今、その、ジョン・レノン特集みたいな番組が組まれ、そして放送され、あるいはそのジョン・レノンについて多くの言葉が今、語られているわけなんですが、そういう言葉、そういう放送、あるいは色々なものを聞く度に、僕は自分自身が小学校6年、あるいは中学校で、えー、の生徒であって、そしてビートルズのファンであった時に、見ていた、その、腹立たしさ、なんでこういう人達が、えー、ビートルズについて、こういう見当違いなことを語らなければいけないのだろうかと言う、そういう腹立たしさが、今、29歳の自分に甦ってくることが、非常になんか、奇妙であるし、あるいはそのメディアの一環を担っている自分自身にとって、凄く腹立たしいことだという気がするわけです。

 えー、僕ら世代の人間、まさにビートルズ世代によって、このジョン・レノンの死は、それなりに語られなければならなかったにも関らず、ほとんどそういう声を聞くことはできない、あるいはそういう声はきっとあるのだろうし、そういう哀しみというのも凄く多く存在しているのだろうけれども、それが表に出ないという、現在のロック・ジャーナリズムのあるいは、そういう状況、みたいなものに、何というか決定的な腹立たしさ、というものを覚えるわけです。

 で、ジョン・レノンの死については無論のこと、その死、そのものをちゃんと正確に位置づけることの出来ない我々世代というようなものの、えー、何と言うか、こう腹立たしさと、それから、悔しさみたいなものを、えー、今、感じています。そして、ディスク・ジョッキーである僕自身が今、現在ここでやれること、僅か40分の時間ですけれど、僕自身が持っているこの時間内にやれること、というのはジョン・レノンの曲を選んで、そして皆さんにお送りすることだけだという気がします。

 これからの40分間、ジョン・レノンの曲をじっくり聴いてもらいたいと思います。

 

   2曲目  アウト・オブ・ブルー

   3曲目  ニューヨーク・シティ

    4曲目  インスタント・カーマ

   5曲目 スターティング・オーヴァー

   6曲目 イマジン

   7曲目 真夜中を突っ走れ

   8曲目 リメンバー

   9曲目 スタンド・バイ・ミー

   10曲目 ブレス・ユー

   11曲目  母の死

 ↑はこの番組で、私が一番、衝撃を受けたナンバー。この曲を聴くと当時のいわきの自分の部屋と、そこなあった石油ストーブの匂いを思い出す。

 思い出せ、思い出すんだ 。

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コメント

サウンドストリート、懐かしいね。月曜日が佐野元春、火曜日が坂本龍一、水曜日が甲斐よしひろ、木曜日が山下達郎、そして金曜日が渋谷陽一。だいたい、毎日聞いたなぁ。これが、自分のルーツかも知れない。みんな、若かったんだなぁ… それにしても、みんな若いのに今の若者とは格段の差で何か違う。渋谷陽一の、云わんとしている事はよくわかる。しかし、若いだけあってまだ言葉に重みが無い。でも、情熱ともどかしさは良く伝わるコメントだ。しかし、マスコミはもっと薄っぺらだったんだろうね。うるさい事を言わせて貰うと、「凄く」というのは否定的な表現に使うのが正しい。だから、本当は「とても」という言葉を使うのが正しい。
「凄く腹立たしい」ではなく、「とても腹立たしい」というのが正しい表現。まぁ、若者はよく「とても嬉しい」と云わず「すごく嬉しい」とよく云う。
あれは、正しくないのだ。今の若者達に、どれぐらいわかる者がいるか?
俺も、昭和のオッサンか…

投稿: 志村貴彦 | 2008年12月11日 (木) 08時54分

 僕が聞き始めたときは月曜日松任谷正隆、火曜日森永博志、水曜日甲斐よしひろ、木、金が渋谷陽一だった。

 この貰ったテープは90分テープでA面がジョン・レノン暗殺直後の渋谷陽一サウンドストリート、B面がボブ・マーリー死の直後のやはり渋谷サンストが入っています。
 
 この前の週が確か発売直後の『ダブル・ファンタジー』特集でした。その番組を聴いて僕は『ダブル・ファンタジー』を買って、家で聞いている時に弟から衝撃的にニュースを聞いたので、この数日間のことは異様に覚えています。

 渋谷陽一氏はほんとワナワナしている感じですが、言いたいことはキッチリ言う、みたいでまだ若かかったのに、たいしたものだと思います。

 

 

投稿: ナヴィ村 | 2008年12月11日 (木) 22時01分

確かに、今の二十代全てではないけれど言葉を巧みに操る者は少ない。音楽に限らず、今よりも情報が少ない時代にラジオを通じて怒りをぶつける姿勢は素晴らしいと思う。
サウンドストリートの面々、松任谷正隆もやっていたなんて知らなかった!坂本龍一なんて、今でこそよく喋るけれど最初の頃なんてボソボソ云って何喋ってるんだかわからなかった。しかも、沈黙があったり。曲もトーキングヘッズやジャパンをかけたり新鮮だった。夏休み特番の電気的音楽講座、あれを聞いて俺はドラムを始めた。山下達郎のポップス講座もよく聞いた。テープが90分は、わかる。番組が45分だったからね。実家に行けば、当時エアチェックしたテープが出てくるかも知れないな。
あの頃、親戚にダブルファンタジーを貰った。今でも、そのLPは手元にあるよ。
やっぱり、あの頃が今の自分の源流だ。

青山にあった、パイドパイパーハウスとか…

忘れかけていた色々な事を思い出した。

投稿: 志村貴彦 | 2008年12月12日 (金) 01時43分

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