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祝『元春レディオショー』復活記念!再録『Growing up~成長するってことー懐かしの「モトハル・レディオショー」によせて』

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 Moto's WebServerの最新ニュースによると、なんとこの春からあの伝説的なラジオ番組『NHKサウンドストリート・元春レディオショー』がレギュラー番組として復活するらしいオー・イェイ、パチパチパチ、素晴らしい。私がこれの第1回目を偶然聞いたのは多分15・6の頃だから、それからすでに四半世紀が過ぎていると思うとちょっと驚き。

 この番組については現在休刊中(と、私は思っておりますよ、S木さん!)の『GU』と言う雑誌に『Growing up~成長するってことー懐かしの「モトハル・レディオショー」によせて』という原稿を昔、書いたことがあって、今回は番組の復活を祝してその文章を再録しようと思います。とても長いので心して読んで下さいまし。 

                  

80sanomotoharu  高校生の頃、ある月曜日の夜、いつも聞いていたラジオ番組にチャンネルを合わせるとDJが変っていた。その新しいDJはとてもへんな喋り方をしていた。それは奇妙な喋り方で、どこかの地方の方言というのでもないし、だからと言って、わざとそんな喋り方をしているのでもないらしかった。それについては彼自身も自覚しているらしくて「自然ニオシャベリシヨウトシテモナンダカコンナフウニナッチャウンダ。」なんて番組の中で弁明していた。

 DJのトークは聞いているほうがハラハラしてくるぐらいぎこちないものだったが、なにしろ良い曲ばかりかかるのでずっと聞いていると、番組の最後の所になって、“実ハ僕モミュージシャンデ今度×月×日ニ新シイシングルガデルンダ”なんて言って自分の曲をかけた。

 その歌の“ことば”は明らかに彼の変な喋り方の延長線上にあるのだが、メロディーとビートがそれに重なると“変な”と言うより“斬新な”と言いかえたほうがふさわしいほどの疾走感と熱を帯びて、僕は驚いてラジオのボリュームを上げた。

 そして僕はその曲が、その日かかったビートルズやローリング・ストーンズやサイモン&ガーファンクルなどのどの曲よりも良い曲だと思った。小学校の頃から兄貴や親戚のお姉さんの影響で洋楽ばかり聞いて育った僕にはそれは初めての体験だった。ロックンロールにこんな風に日本語を乗せて歌われるのをその時僕は初めて聞いたのだった。

 “NHKサウンド・ストリート”という番組の正式な名前にその変な喋り方のDJは“モトハルレディオショー”とサブタイトルをつけていて、そこに“DJとしても一人前にやっていくんだ”といった意志がうかがえた。僕は彼の歌のカッコよさに感動したと同時に、「え、こいつ本気でDJやっていくつもりなの?」と、なんだか笑っちゃうような楽しい気分も加わって、久しぶりにシアワセな気持ちになった。

 今にして思うと彼は新しい言語の発明者だったのだ。翌日、学校の図書館で朝日グラフに『突っ走るロックの新星』と題されたグラビア記事が特集されているのを見つけ、僕は夕べのDJについてさらに詳しく知る事となった。

 そのDJの名前は佐野元春といった。

                 Ⅱ 

 昔、ある雑誌でムーン・ライダースの鈴木慶一が「自分が一番多感だった頃にリアルタイムでビートルズを聞けたってことが、なんかもうザマア見ろって感じだ。」というようなことを言っていたが、佐野元春に対して僕はそれに似たような気持ちを持つ。

 今年で30になった今でも 『ガラスのジェネレーション』と『ハート・ビート~小さなカサノヴァと街のナイチンゲールのバラード』を聞くと 10代の頃のあの“心がザワザワと震える”感じがまざまざと甦る。特に『ハート・ビート』の波の音にピアノの音が重なったあのイントロを聞くと、突然、良質な映画の中に引き込まれていくような錯覚を覚える。それもワイド・スクリーンの商業映画ではなくて、粒子の粗いフィルムで撮影されたプライヴェートな8mm映画。なんだかカラカラと、フィルムの回る音まで聞こえてきそうだ。

 『ハート・ビート』のような映像的であらかじめフィクションと知りながら、聞き手が感情移入できる曲はそれまでの日本のロックの楽曲にはなかったのではないだろうか?

 洋楽少年だった僕なら例えばブルース・スプリングスティーンの『7月4日のアズべリーパーク~サンディ』やヴァン・モリソンの『マダム・ジョージ』なんかを思い浮かべるが、それが日本語で、しかも十代の男の子と女の子の切ない恋の情景をこんな風に歌に出来るなんて、まるで手品でも見せられたような新鮮な驚きだった。その上、それを聞いた僕自身も十代だったこともあって、鈴木慶一じゃないが、なんかもう「ザマア見ろ」って感じだった。

Photo  『ガラスのジェネレーション』と『ハート・ビート』はその後の佐野元春が書いた様々な楽曲の言わば“種”のようなものだと僕は思う。“つまらない大人にはなりたくない!”と叫ぶ少年やテラスを飛び越えるナイチンゲール、また訳も無く滲んでくる涙を拭う小さなカサノヴァ達が都市の中でどのように葛藤し成長していくのか、元春はニューアルバムを発表する度にその過程を誠実に歌にしていった。彼の著書『ハートランドからの手紙』の中でボブ・ディランについて彼は次のように述べている。

 「彼は一貫して同時代の自分と共に成長してきた人たちに向かって曲を書き続けてきた。そして彼はいまだにアメリカの45才、50才の人たちにむけて真摯なメッセージを正直に歌い続けている。<中略> ディランは同時代の都市の住人の向けた曲を書き続けてきたんだ。これはなんて素晴らしい態度なんだろう」と。

 そしてこれは佐野元春自身の音楽についても全く同じ事が言えるだろう。『サムディ』『ロックンロール・ナイト』『ワイルド・ハーツ』『虹を追いかけて』『ルッキング・フォー・ファイト』『約束の橋』『僕は大人になった』『レインボー・イン・マイ・ソウル』『君を連れて行く』『君がいなければ』等など、思いついただけでもこれらの曲はすべて人間の“グローイング・アップ”がテーマで書かれたものであり、十代で『ガラスのジェネレーション』や「ハート・ビート」を聞いた僕はそれらのナンバーを自分の成長に合わせて聞くことができた。一ミュージシャンとファンの関係でこれほど幸福な関係があるだろうか。そして、そう思っているのは僕一人じゃないはずだ。

               

Photo_2  車の免許を取ったら真っ先に『モトハル・レディオショー』を聞きながら夜の町にドライヴに出かけようと、18の頃、僕は思っていた。丁度『日曜洋画劇場』で『アメリカン・グラフティ』を見たばかりだった。ウルフマン・ジャックがDJのラジオを聴きながら、アメ車に乗って夜の街を走り回る、50年代のアメリカのティーン・エイジャー達の一夜の生態を描いた青春映画だ。

 自分で何かしなければ本当に何も起こらない退屈な地方都市に住んでいた僕には、その映画はまぶしく羨ましいものに思えた。そしてその世界に少しでも近づくためには車の免許とカッコいいロックンロールをガンガン流してくれるDJが是非とも必要だった。

 そしてある日、ついにそれを実行に移す時が来た。ちなみにその頃、我が家には父親専用のマニュアル車と、祖父専用のオートマ車の2台があり、どうゆうわけか僕の父はオートマ車は非常に危険なものと考えていたらしく、僕は祖父の車には絶対に乗ってはいけないと言われていた。だが、免許を取ったあくる日、どうしても前々からの企みを実行したくてしょうがなかった僕は、その日、通っていた予備校をサボってまだ運転の仕方も分からない(僕が免許を取った頃にはオートマ講習などというものはまだ無かった。)祖父の車で、ダビングしてあった大量の「モトハル・レディオショー」のテープと一緒にヨロヨロと走り始めた。

 まず夕方近く同じ予備校に通っていたその頃仲の良かったガールフレンドを駅まで迎えに行き、彼女を家まで送り届けると、今度は地元では有名なとある進学校のオチこぼれグループ達と待ち合わせ、海を目指して走って行った。カーステレオにテープを入れると、『アンジェリーナ』の前奏に続いて“コンバンハ、サノモトハルデス、ミンナゲンキデヤッテマスカ・・・・”と例の声が聞こえてきた。それは正に至福の瞬間だった。車の中に歓声が上がった。今まで退屈に思えた見慣れた町並みが何故かとてもロマンチックな風景に見えた。そして自分が住んでいる街がこんなに広いのだと初めて知った。

 それから僕らは海沿いの通りでセーラー服のスカートの長い女の子たちをからかったり、男同士でモーテールに入ったり、浜に下りていって焚火をしてみたり、とにかく思いつく限りの下らないことを延々とやり続け、そのバックにはビーチ・ボーイズやバディ・ホリイやエルヴィス・プレスリー、ビートルズ、ロネッツ、シュープリームス、オーティス・レディング、ダリル・ホール&ジョン・オーツ、カルチャー・クラブ、ブルース・スプリングスティーンなど等、新旧様々な曲が流れ続けていた。完璧だった。

 結局、家に帰ったのは夜中の2時頃で、玄関先で僕は父に殴られた。

                 

Motoharusanovisitors  80年代の日本には素敵なDJが二人いた。それは土曜日の夜のテレビ『ベスト・ヒットUSA』の小林克也と月曜日10時のNHK『サウンド・ストリート』の佐野元春である。その頃の音楽好きの若者達は次の日が日曜日だという安心感に包まれながら『ベスト・ヒットUSA』を夜更かしの楽しみに見て、週明けの月曜日、この一週間をなんとか元気に生き延びるために『モトハル・レディオショー』にダイヤルを合わせていた。僕は小林克也のDJのスタイルにウルフマン・ジャックを、元春のDJのスタイルにジム・ピューターの影を見ていた。

 大学に入り上京してからは様々やったアルバイト先で、特に『モトハル・レディオショー』のファンだった、というたくさんの人たちに会った。それはなんだかアマチュア無線でずっと交信を続けていた仲間にやっと会えた時のようで、皆すぐに友達になれた。『そう言えば、元春がニューヨークへ行ってセントラル・パークのヤギにインタヴューをした時・・・・』なんて話になると皆がニコニコと顔を輝かせ俄然場が盛り上がるのだった。

 佐野元春はその活動の初期においてフィフティーズのアメリカ文化を意識していたように思う。バディ・ホリイのような黒のボストン眼鏡をかけていたのも、おしゃべりを極力排し、選曲によってリスナーを励ましていくといったスタイルをとっていたのもその現れである。(彼が50年代のビート・ジェネレーションの作家達を敬愛しているのも象徴的だ。) 

 それはずっと年のいった人たちから見れば多分にレトロ調だったのかもしれないが、フィフティーズのアメリカに匹敵するほどの経済の爛熟期だったエイティーズの日本にそれは不思議なほど良くマッチしていた。MTVが今ほどまだ巷に定着していなかった時代、『モトハル・レディオショー』はラジオというメディアが持つ本当の輝きを見せてくれたほとんど最後の“ラジオ番組らしいラジオ番組”だった。見知らぬ誰かと電波を通して手を握り合える。それは80年代におけるささやかな「神話」である。

                 ☆

 ふーん。この文章を書いた時、私は30才だったのかあ。もう14年も経ってる。それ自体が驚きだな。そしてこの時は暗にMTV対ラジオという図式が背景にあったが、今はなんだろう?多分インターネットだと思うが、そうなるとこのブログだってライバルということになるのか。インターネットVSラジオ。コミュニケーションの種類・多様化と言う面から考えると興味深い。 

 いずれにせよ、私が今もレディオ・キッズ(43才でキッズなのかはさておき)なのは今も変わらない。

 今からあの決め台詞 I wanna be with you tonight!! が待ち遠しいです( ̄ー+ ̄)。

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