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猫の遺言

 

命の美しさが
時に 猫の形して“在る”ことを
お前は教えてくれた訳だ
ただの一度も
言葉を使わずに

言葉の無い世界を
夢見た詩人もいたが
     
さすれば
お前の生涯はまさしく夢
柔らかく 温かく
眠ると
俺の膝の上に
夢そのものの重さだった

夢が終わるのは目覚めの時
だから
十五年の最後の瞬間にも
お前は
目を閉じなかった な

その時 お前の目に映ったものを
見たことのある人は未だにいない
〈みたことのある猫も〉

お前の遺言は言葉じゃなく
Yellow greenの
目だ

見蕩れるほどキレイな
死の色を映した目だった

さよならチャーミー
さよなら

 

 今日は記事をアップすもりはなかったが、ふと仏壇を見ると亡き愛猫君の位牌に平成14年1月29日の文字。本日6回忌。で、その死から数日後に書いたのがこの詩。

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5度目の歌舞伎~鷺娘(さぎむすめ)

P1010013_2  金曜日の夜、フジテレビでやった『これぞ日本の大家族!勘三郎感動密着413日 涙と笑いの親子愛SP 』を見て、その中で印象的だったシーン。

 平成中村座での『仮名手本忠臣蔵』の稽古中、息子勘太郎の塩治判官が正座、辞儀しながらむせび泣く演技を見て勘三郎が客席から叱責する。「肩を動かせ!肩を!」。

 楽屋にも呼んで「お前は真面目すぎ。映画やテレビドラマの撮影のようにやり直しの効かない世界だから気持ちなんかいくら作ったってダメ。舞台の場合“型”で見せないと客には伝わらない。」というようなアドヴァイスをする。そしてその場で本人が瞬間芸的に幾つかの型を披露。そして、その繰り出される演技のなんと見事なこと。「な、気持ちなんか全然込めなくたってこのくらいできるんだよ。」と勘三郎。

うーん。ほんの些細なシーンだったが、これは歌舞伎の演技に関らず、なかなか深い教訓が含まれていると思った。

普通、私達の日常では行動や立ち振る舞いに“気持ちを込める”とか、“真心を込めて”というと美しく、立派なことのように考えられている。勿論、そうなのだろうが、しかし、毎回では疲れるし、第一、やりすぎて慇懃無礼という場合もえてして、ある。

この勘三郎の言葉は誤解を恐れずに言えば“気持ちを込めない”ということの勧めで、その代わり追求され、継承されるべきは“型”。それこそが歌舞伎なら江戸の昔から、日常の立ち振る舞いと言うなら、もっと古くからの歴史や文化の中で人間が確立してきた知恵の結晶というものなのだろう

                 ☆

さて、本日、私にとっては五度目の歌舞伎、坂東玉三郎演じる『鷺娘(さぎむすめ)』を見てきた。去年末に気づいたことの一つは自分が意外と“舞踊好き”だと言うこと。そして、上の話ではないがこの舞踊こそ“型”が最高度に磨き上げられた芸と言っても良いだろう。周囲の意見では同じ舞踊でも玉三郎の美しさはもう別物と言うことで、ピンの彼を是非見たいと思い行ってきた。

 この『鷺娘』内容は何も難しい演目ではない。人間の男に恋をした鷺の精がその切なさと喜び、そして苦しみの果てに雪の中、哀しく死にゆく様を踊りで表現したもの。解説によると踊りのルーツは宝暦年間に遡り、一度途絶え、明治に入り九代目團十郎が復活させたものとか。六代目菊五郎が大正時代、ロシアのアンナ・パブロアの『瀕死の白鳥』を見てさらに自らの踊りにアレンジを加えたとの逸話もある。

 玉三郎のこの『鷺娘』もそういった経緯があるからか、今まで見た舞踊とは少し違う印象を持った。なんというかこれは現代劇的と言うか絵画的。演出の影響が大きいと思いますが、これが元々そういう演目なのか、玉三郎が海外で何度も演じた末にこうなったのか、私には良く分からない。ただその美しさはもう独自のもので、まるで別ジャンルの芸のようだった。

最後の最後に死んで動かなくなった鷺の精を見て、私の脳裏にある一枚の絵が浮かんだが、それが誰のなんという絵か分からず、帰宅後、調べるとそれはミレイの『オフェーリア』だった。昔、勉強した西洋美術史のテキストに出ていて、つまり、かように私にとってこの演目は西洋的、絵画的印象だったということ。恋ゆえに狂死する『ハムレット』の中の女性とこの鷺の精が重なった。

ただし、今日の玉三郎を見てもう一つ思ったのは、一人の役者の当たり役というのはいつがピークなのか、ということだ。今日の演技は素晴らしいものだったが、しかし、過去にもっと最高のものがあったのだろうな、という感じもした。そして考えたのは“型”と“気持ち”という最初の話プラス“見ごろ”と言うこと。

玉三郎の『鷺娘』は1984年ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場で行った公演をきかっけとして世界に認められることと成り、なんでもその時の公演には20世紀の伝説的なバレエダンサー達が多数出演していて、『鷺娘』はバレエの名作『瀕死の白鳥』と並ぶほどの傑作として絶賛された、と解説にはある。しかし、これは私の勝手な推測だが、その当時の『鷺娘』はきっと芸としては今日ほど完璧なものじゃなかったのでは?と思った。

                  ☆  

さて、私の歌舞伎鑑賞、ここのところ立て続けに舞踊ばかり見たが、来月はいよいよ『勧進帳』。

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初雪 2009.1.24

 

雪の華 Music 雪の華

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 今日、とある用事を済ませ八王子の某喫茶店で一人コーヒーを飲んでいると、窓の外にひらひらと舞うものが。良く見ると雪。もしかしたらこれは東京で今年初めての雪では?などと考えていたら、八王子の駅前+初雪のセットで、もう何年も忘れていたある記憶がみるみる甦ってきた。

 それは私が初めて八王子に来た時のことで、かれこれ20年近くも前のこと。どういう経緯があったかしれないが、私はその時八王子富士美術館に『ロバート・キャパ&コーネル・キャパ 二人のキャパ展』という写真展を友人の彼女と見に行くことになったのだ。

 私は学生時代から通してずっと中央線沿線に暮らしていたが、国立より西には行ったことが無くて、初めて降り立った八王子は田舎なのか都会なのか良く分からない印象だった。

 富士美術館は八王子の駅からバスに乗って行かなくてはならない。それでその友人の彼女とは確かそのバス停で待ち合わせたと思う。その頃、彼女は友人と同棲していたが関係が上手くいかなくなっていて、部屋を出て自立しようと、美術館近くのとある寮付きの知的障害者施設に勤めようと考えていた。私に付き合ってくれたのはどうやらその周辺の下見もかねてのことらしかった。

 バス停に私が着いて、会うなり彼女は「雪が降りそうじゃない?」と、言った。確かにその日も朝から凄く寒くて、着膨れして変な印象の彼女の傍らで薄着の私はぶるぶると震えていた。

 バスに乗ってしばらく行くと景色はどんどんと田舎の風景になって行った。私はなんだか福島の実家の周辺にいるような錯覚に陥りそうになった。この季節の日本の田舎の風景というのは基本的に何処も同じだ。刈り取られた田んぼと鄙びた売店、それと薄くたなびく焚火の煙とその匂い。

 私は当時なんのあてもないのに写真家になりたいと漠然と考えていて、その頃出た沢木耕太郎訳リチャード・ウィーラン著の『キャパ』の影響で、この世界で最も有名な戦場カメラマンに憧れていた。そして、その本で知った弟のコーネルにも。バスの中で私は彼女にひとしきり二人の説明をしたが、彼女は全く興味がなさそうだった。そして話すこともなくなって、私は当時付き合っていた二人の女の子の性格を話した後、どっちにしたらいいか?と、彼女に相談したがそれにも彼女はじっと押し黙ったままだった。

 雪は写真展を見た帰りのバスに乗っている時、本格的に降ってきた。道は渋滞していてバスは遅々として進まず、こうしている間にも雪が本降りになって積もってしまったら、果たしてちゃんと八王子駅に戻れるのか、と乗客皆が不安そうだった。彼女も彼とのゴタゴタや将来のことでも考えているのか、窓の外をじっと押し黙ったまま見ているだけだった。雪は全然キレイじゃなくて、なんだか焚火で舞い飛んだ灰のように見えた。

 結局、雪の中を無事バスは八王子駅に戻り、我々は彼女が当時住んでいて、私が4年間通った大学がある国分寺に行き、そこの、今はもう無い「グルマン」でカレーを食べようと言うことになった。「グルマン」でも私は相変わらず二人の女の子の話ばかりしていて、カレーが食べ終わる頃、ついに彼女が言った。

 「あんたみたいな男はね、」と、彼女。

「豆腐にぶつかって死んじまえ!」


               ☆   

当時ブルーハーツの追っかけのようなことをしていて『ダンス・ナンバー』の素敵な詞の一節を贈ってくれた彼女は今、私の妻。その後、どういう運命のひとひねりがあったのか、そういうことに。人に歴史あり、ということか。

今日、ひらひら降る雪を見て、ふと思った。結局、私達はあの時の、雪の中の渋滞のバスに取り残されたままなのじゃないか、と。

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4度目の歌舞伎~春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)

 20090103142659 あけましておめでとうございます。このブログを始めて三度目の正月。しかし、去年の二月、私は母を亡くしたので、厳密には今年正月は無いことになっている。だが年が明けた瞬間、「あけましておめでとう!」と言わなかった事と初詣に行かなかったこと以外は例年通りの過ごし方で、それはつまり実家で酒&刺身&その他の馳走、ということ。

もう一つ違ったことと言えば、例年だと仕事納め後すぐに実家に戻って、仕事始め前日に東京に戻るといったパターンだったのに対し、今年は大晦日と正月の2日間だけ田舎にいてあとは東京にいたということ。息子の部活やら私の仕事の事情でそうなったのだが、いつも見れない年末年始の東京の様子が見れたことがかえって新鮮で、今後、子供の事情が色々と増えるにつれ、こうした状況が定番化していくのだろうなと思う。

 さて、そんな年末、東京にいる間どう過ごしていたかというと基本的にはなるべく体を動かし、それ以外はビデオに録りためた歌舞伎を見ていた。以下、この年末ビデオで見た演目。

 

1 『心中天網島~河庄(しんじゅうてんのあみしま~かわしょう)』 坂田藤十郎ほか  

2 『八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう』 片岡我富ほか

3 『藤娘』 坂田藤十郎

4 『梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)』中村吉右衛門ほか

 

その他、過去にNHKアーカイブでやった『第十二代市川團十郎襲名』と、一昨年、團十郎と海老蔵がパリ・オペラ座でやった『勧進帳』の様子を取材した番組『パリの弁慶』、松本幸四郎の『勧進帳』千回の番組など、全く歌舞伎三昧の年末だった。

昨日も東京に舞い戻りテレビをつけると早速、NHKで歌舞伎の特集番組をやっていて、過去の名優たちの名演とともに去年私が見た菊五郎の『船弁慶』などが放送されていて、またまた見入ってしまった。

                ☆ 

 さて、ここまでくるともうとことんと行ったれ!と言う感じで、本日も歌舞伎座に行ってきた。新橋に向かう途中の日比谷通りは箱根駅伝のため交通規制がされていたがそれも珍しい経験で、車のラジオを聴きながら何人ものランナーを見送った。で、歌舞伎、見たのは夜の部。『壽曽我対面(ことぶきそがのたいめん』と『春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)』。

『壽曽我対面』は曽我五郎に中村吉右衛門、曽我十郎に尾上菊五郎、工藤祐経に松本幸四郎、近江小藤太に市川染五郎と豪華キャスト。ただ初日だからか、なんだかまだ全体に固い印象だった。また、そういう演目だからしょうがないが、私自身、どこに注目すべきか良く分からなくて、乗り切れ無いうちに終了してしまった。良く勉強していつかもう一度見たいと思う。

 次の『春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)』は勘三郎。私の初勘三郎体験だ。勘三郎はステージに出てきた瞬間、幕見席にまで届くほどの大きなオーラを感じた。誰もを招きいれ、寛(くつろ)がせ、魅了する強いオーラ。前半は鏡開きのために呼ばれた小姓弥生の、恥じらいつつの女形舞踊だが、初々しさを感じさせるとともにダイナミックな踊りだった。もっと繊細に踊る人もいるんだろうな、と考えればきっと雑味もあるのだろうが、それをも含めて完成とした、大きな歌舞伎だと思った。

ただ一つ気になったのは胡蝶の精を演じた千之助と玉太郎。子役なので可愛いが、その左右対称を意識した二人の踊りが、舞台上の位置が少しずれていてシンメトリーになっていなかった。そんなこと気にするのは私だけか?丁度、中心に位置するところで見ていたので余計気になった。

                  ☆

去年の11月から突如始まった私の歌舞伎熱。まだ全然若葉マーク付きだが、この短期間で気づいたことの一つに自分が意外にも“舞踊”好きだということ。前回見た三津五郎の『娘道成寺』、テレビで見た藤十郎の『藤娘』、そして今日の勘三郎の『鏡獅子』。演者によっていかほど違うのか、今後とも楽しみである。・・・・と、ここまで書いてこの1月の『歌舞伎座さよなら公演~壽初春大歌舞伎』の昼の部の最後の演目が玉三郎の『鷺娘(さぎむすめ)』なのにチラシを見て今、気が付いた。

玉三郎か・・・・・。 皆さん、今年も宜しく。

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