金曜日の夜、フジテレビでやった『これぞ日本の大家族!勘三郎感動密着413日 涙と笑いの親子愛SP 』を見て、その中で印象的だったシーン。
平成中村座での『仮名手本忠臣蔵』の稽古中、息子勘太郎の塩治判官が正座、辞儀しながらむせび泣く演技を見て勘三郎が客席から叱責する。「肩を動かせ!肩を!」。
楽屋にも呼んで「お前は真面目すぎ。映画やテレビドラマの撮影のようにやり直しの効かない世界だから気持ちなんかいくら作ったってダメ。舞台の場合“型”で見せないと客には伝わらない。」というようなアドヴァイスをする。そしてその場で本人が瞬間芸的に幾つかの型を披露。そして、その繰り出される演技のなんと見事なこと。「な、気持ちなんか全然込めなくたってこのくらいできるんだよ。」と勘三郎。
うーん。ほんの些細なシーンだったが、これは歌舞伎の演技に関らず、なかなか深い教訓が含まれていると思った。
普通、私達の日常では行動や立ち振る舞いに“気持ちを込める”とか、“真心を込めて”というと美しく、立派なことのように考えられている。勿論、そうなのだろうが、しかし、毎回では疲れるし、第一、やりすぎて慇懃無礼という場合もえてして、ある。
この勘三郎の言葉は誤解を恐れずに言えば“気持ちを込めない”ということの勧めで、その代わり追求され、継承されるべきは“型”。それこそが歌舞伎なら江戸の昔から、日常の立ち振る舞いと言うなら、もっと古くからの歴史や文化の中で人間が確立してきた知恵の結晶というものなのだろう
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さて、本日、私にとっては五度目の歌舞伎、坂東玉三郎演じる『鷺娘(さぎむすめ)』を見てきた。去年末に気づいたことの一つは自分が意外と“舞踊好き”だと言うこと。そして、上の話ではないがこの舞踊こそ“型”が最高度に磨き上げられた芸と言っても良いだろう。周囲の意見では同じ舞踊でも玉三郎の美しさはもう別物と言うことで、ピンの彼を是非見たいと思い行ってきた。
この『鷺娘』内容は何も難しい演目ではない。人間の男に恋をした鷺の精がその切なさと喜び、そして苦しみの果てに雪の中、哀しく死にゆく様を踊りで表現したもの。解説によると踊りのルーツは宝暦年間に遡り、一度途絶え、明治に入り九代目團十郎が復活させたものとか。六代目菊五郎が大正時代、ロシアのアンナ・パブロアの『瀕死の白鳥』を見てさらに自らの踊りにアレンジを加えたとの逸話もある。
玉三郎のこの『鷺娘』もそういった経緯があるからか、今まで見た舞踊とは少し違う印象を持った。なんというかこれは現代劇的と言うか絵画的。演出の影響が大きいと思いますが、これが元々そういう演目なのか、玉三郎が海外で何度も演じた末にこうなったのか、私には良く分からない。ただその美しさはもう独自のもので、まるで別ジャンルの芸のようだった。
最後の最後に死んで動かなくなった鷺の精を見て、私の脳裏にある一枚の絵が浮かんだが、それが誰のなんという絵か分からず、帰宅後、調べるとそれはミレイの『オフェーリア』だった。昔、勉強した西洋美術史のテキストに出ていて、つまり、かように私にとってこの演目は西洋的、絵画的印象だったということ。恋ゆえに狂死する『ハムレット』の中の女性とこの鷺の精が重なった。
ただし、今日の玉三郎を見てもう一つ思ったのは、一人の役者の当たり役というのはいつがピークなのか、ということだ。今日の演技は素晴らしいものだったが、しかし、過去にもっと最高のものがあったのだろうな、という感じもした。そして考えたのは“型”と“気持ち”という最初の話プラス“見ごろ”と言うこと。
玉三郎の『鷺娘』は1984年ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場で行った公演をきかっけとして世界に認められることと成り、なんでもその時の公演には20世紀の伝説的なバレエダンサー達が多数出演していて、『鷺娘』はバレエの名作『瀕死の白鳥』と並ぶほどの傑作として絶賛された、と解説にはある。しかし、これは私の勝手な推測だが、その当時の『鷺娘』はきっと芸としては今日ほど完璧なものじゃなかったのでは?と思った。
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さて、私の歌舞伎鑑賞、ここのところ立て続けに舞踊ばかり見たが、来月はいよいよ『勧進帳』。
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