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カッコいいイスラエルの日本人~壁と卵

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   村上春樹はポール・サイモンに似ている、と言ったのは村上龍である。大昔、雑誌の対談か何かで読んだ。そうかな、私はそんなに似ているとは思わないけどな。・・・・雰囲気は共通するものがあるのは認めるが。

 でも、一番似ているのはその作品世界の方で、いつかポール・サイモンの詩をまとめて読んだら、なんだか村上春樹の小説を一冊読んだような気分になったことがある。

 それでこのエントリーの題を今考えた。“カッコいいイスラエルの日本人”。以前、このブログでポールサイモンについて“カッコいいアフリカのアメリカ人”というのを書いたのでそのセルフ・パクリです。

 村上春樹のエルサレム文学賞受賞スピーチを今朝、ラジオで聞いた。ラジオのパーソナリティは「イスラエルのガザ侵攻に対し国際的に非難が高まり賞を受けることに批判もある中、氏は受賞し、そして大統領初め各要人が居並ぶ中、その授賞式のスピーチで堂々とイスラエルを批判した。」というような説明をした。そして、そのスピーチの内容を要約して「体制を“壁”そして人間を“卵”に例え、私はいつも“卵”の側に立つ。」といった詩的なものだったとも。

 昼休み、私はこのスピーチの内容の全文を知りたいと何誌か新聞をあたったが、今朝の新聞には記事すらなく(私が見つけられなかっただけかもしれないが)、英字新聞に僅かに事のあらましが紹介されているだけだった。それで“壁”と“卵”のイメージを脳裏に残したまま、今日はほぼ一日中、村上春樹について考えていた。

 今、ネットで受賞スピーチの全文を読んで、ガザ侵攻に対してイスラエルを非難した、と言うのとはちょっと違うと思った。もちろん、そうしたことを意図したものであるのも確かだが、これはもっと広義な意味で冷徹なシステムと、その中で生きる人間の脆弱さ、かけがえのなさ、またその神性についての言葉だ。そしてそれはそのまま彼の作品世界の意味を端的に表しているものでもあって、見事だと思った。

「仮に壁が堅く高く、卵が潰えていようと、たとえどんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていようと、ぼくは卵の側に立ちます。」

 やば。この部分を読んでちょっとウルッときた。何故ならその言葉に“風三部作”の「僕」や「鼠」、『ノルウェイの森』の主人公と直子さんとミドリさん等、その他たくさんの氏の小説の登場人物たちを思い出したからだ。

 今、村上春樹って世界中で読まれているんだよなあ。世界で一番読まれている作家といっても過言じゃない。日本人はそのことを過小評価しすぎていると思う。

 三島も大江も川端もそれぞれ世界的に有名だが、こんな風に読まれたことなど無い。日本人が紡いだ物語がこんなに世界中で読まれるなど、これは有史以来初めてのことなのだ。そして、私達は何故、彼の作品がこんなに世界中で読まれるのかちょっと考えてみた方がいい。

 何かの代表の如く言われるのを最も嫌う氏のことだから、「同じ日本人として」、という形容詞は省くが、やはり今日は一日なんだか誇らしかった。この気持ち、イチローがシスラー越えのヒットを打った後、彼が真っ直ぐその家族に握手に行ったのを見た時以来かも。

 村上春樹エルサレム文学賞受賞スピーチ、まだ読んでいない人、こちらを。 

 この毅然とした静かな怒りはポール・サイモンの『リズム・オブ・セインツ』収録の『クール・クルール・リヴァー』の歌詞の主人公のようだ。

 やっぱ、ポール・サイモンって村上春樹に似ているなあ。 あ、逆か?

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Books (71)」カテゴリの記事

コメント

行かなくても誰からも非難されなかったであろうに、敢えて行く。クールじゃなくてホット。カッコイイですね。俺なりの敬意を表すと「ムラカミはパンクだ!」
草食系男子クソ食らえ!です。

投稿: jazz坊主 | 2009年2月19日 (木) 00時04分

村上春樹は僕らの世代にとっては、ビートルズだと思うんだよ。当時、周囲の大人たちは「最近の若い奴は村上春樹しか読まねえ。」「あんなの読んだって読書したうちに入らん。」とかってさんざん言っていた。

 しかし、時が経ちいまやノーベル文学賞最有力候補とかまで言われるようになって、村上文学はこの地球上で疑いも無く“世界文学”ってことになった。それはビートルズの音楽が辿った経緯と同じだ。

 その辺がね、デヴュー作からずっと読んできた僕としては胸のすく思いがするわけなんです。

 今回のことに関しては、政治的な発言などからは最も遠い所にいた彼が、ついに・・って感じで、事ここに至れり、って感じです。そして、文学者というのは本当に“言葉のプロ”なのだなとも思った。

 本来、政治i家もそうあるべきなのだが、最近は酔ってろれつが回らないらしいから。

 この二つの出来事が同じ日にニュースになっていたのも感慨深かったです。

 PS, 最近、草食系男子っていうのがいるらしいですね。女の子の方はそれでいいのかな。疑問。

投稿: ナヴィ村 | 2009年2月19日 (木) 05時16分

 村上春樹がビートルズって、俺も書き込もうと思ってたらもう先に書かれてたよ(笑)ホント双子っておもろいな。でも同感だ。彼が英語でスピーチする姿はかっこ良いいよな。日本の政治家の中にもこれぐらいの知性と見識をもって発言する人がいないもんかな?でもスラエルに異議申し立てするってことは単純な図式で考えれば後ろで手を引くアメリカにケンカ売るってことだもんな。ホント根性あるよ。世界文学者としての発言だから影響力も大きいんだろうな。バブルの功績ってきれいで自立した女性を出現させたことと、世界市場に参加出来るだけのポテンシャルをしっかりとため込む事ができた点にあると思う。(くだらないこともたくさんあったけどね。)村上春樹はバブルの恩恵に預かりながら、それで得たものを作品に還元してきた、ストイックな作家だと思う。ストイックな格好良さってなんか久々に触れたって感じがするな。

投稿: ほぴ村 | 2009年2月20日 (金) 01時27分

今日、村上春樹のエルサレム文学賞受賞スピーチの全文を読んだ。上のエントリー時に読んだものは多少検閲?が入ったものを翻訳したものらしく、オリジナルを読むともっとストレートなイスラエル批判のスピーチだった。詩的だなんてとんでもない。そして、広義な意味で云々というのは全然、違った。

 海外のそれに比べ日本のネットのニュースはやがて削除されてしまうので、個人的な保存用にこのコメント欄に訳文、原文とも、コピペしておきます。


 村上春樹イスラエル文学賞受賞スピーチ全文

こんばんは。わたしは今日、小説家として、つまり嘘を紡ぐプロという立場でエルサレムに来ました。
 
もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。よく知られているように政治家も嘘をつきます。車のセールスマン、肉屋、大工のように、外交官や軍幹部らもそれぞれがそれぞれの嘘をつきます。しかし、小説家の嘘は他の人たちの嘘とは違います。小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、一般市民や批評家からの称賛が大きくなります。なぜ、そうなのでしょうか?


 それに対する私の答えはこうです。すなわち、上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、真実の本来の姿を把握し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。しかしながら、これを成功させるには、私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。


 そうは言いながらも、今日は嘘をつくつもりはありません。できる限り正直になります。嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、今日がちょうどその日に当たったようです。


 真実をお話しします。日本で、かなりの数の人たちから、エルサレム賞授賞式に出席しないように、と言われました。出席すれば、私の本の不買運動(ボイコット)を起こすと警告する人さえいました。これはもちろん、ガザ地区での激しい戦闘のためでした。国連の報告では、封鎖されたガザ市で1000人以上が命を落とし、彼らの大部分は非武装の市民、つまり子どもやお年寄りであったとのことです。


 受賞の知らせを受けた後、私は何度も自問自答しました。このような時期にイスラエルへ来て、文学賞を受けることが果たして正しい行為なのか、授賞式に出席することが戦闘している一方だけを支持しているという印象を与えないか、圧倒的な軍事力の行使を行った国家の政策を是認することにならないか、と。私はもちろん、このような印象を与えたくありません。私は戦争に反対ですし、どの国家も支持しません。もちろん、私の本がボイコットされるのも見たくはありません。


 しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。おそらく、他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたことと正反対のことをする傾向があるのです。「行ってはいけない」「そんなことはやめなさい」と言われると、特に「警告」を受けると、そこに行きたくなるし、やってみたくなるのです。これは小説家としての私の「気質」かもしれません。小説家は特別な集団なのです。私たちは自分自身の目で見たことや、自分の手で触れたことしかすんなりとは信じないのです。


 というわけで、私はここにやって参りました。遠く離れているより、ここに来ることを選びました。自分自身を見つめないことより、見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。
 ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。


 「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。


 そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?


 この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。

 
 しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。


 私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。


 私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折、僧侶をしていました。京都の大学院生だったとき、徴兵され、中国の戦場に送られました。戦後に生まれた私は、父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げているのを見るのが日常でした。ある時、私は父になぜそういったことをするのかを尋ねました。父の答えは、戦場に散った人たちのために祈っているとのことでした。父は、敵であろうが味方であろうが区別なく、「すべて」の戦死者のために祈っているとのことでした。父が仏壇の前で正座している輝くような後ろ姿を見たとき、父の周りに死の影を感じたような気がしました。

 
 父は亡くなりました。父は私が決して知り得ない記憶も一緒に持っていってしまいました。しかし、父の周辺に潜んでいた死という存在が記憶に残っています。以上のことは父のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。


 今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。

 
 このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。
 これが、私がお話ししたいすべてです。

 
 「エルサレム賞」、本当にありがとうございました。私の本が世界の多くの国々で読まれていることはとてもうれしいことです。イスラエルの読者の方々にお礼申し上げます。私がここに来たもっとも大きな理由は皆さんの存在です。私たちが何か意義のあることを共有できたらと願っています。今日、ここでお話しする機会を与えてくださったことに感謝します。ありがとうございました。(仮訳=47NEWS編集部)


<原文>

“Jerusalem Prize” Remarks

Good evening. I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies.
Of course, novelists are not the only ones who tell lies. Politicians do it, too, as we all know. Diplomats and generals tell their own kinds of lies on occasion, as do used car salesmen, butchers and builders. The lies of novelists differ from others, however, in that no one criticizes the novelist as immoral for telling lies. Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics. Why should that be?

My answer would be this: namely, that by telling skilful lies--which is to say, by making up fictions that appear to be true--the novelist can bring a truth out to a new place and shine a new light on it. In most cases, it is virtually impossible to grasp a truth in its original form and depict it accurately. This is why we try to grab its tail by luring the truth from its hiding place, transferring it to a fictional location, and replacing it with a fictional form. In order to accomplish this, however, we first have to clarify where the truth-lies within us, within ourselves. This is an important qualification for making up good lies.

Today, however, I have no intention of lying. I will try to be as honest as I can. There are only a few days in the year when I do not engage in telling lies, and today happens to be one of them.
So let me tell you the truth. In Japan a fair number of people advised me not to come here to accept the Jerusalem Prize. Some even warned me they would instigate a boycott of my books if I came. The reason for this, of course, was the fierce fighting that was raging in Gaza. The U.N. reported that more than a thousand people had lost their lives in the blockaded city of Gaza, many of them unarmed citizens--children and old people.

Any number of times after receiving notice of the award, I asked myself whether traveling to Israel at a time like this and accepting a literary prize was the proper thing to do, whether this would create the impression that I supported one side in the conflict, that I endorsed the policies of a nation that chose to unleash its overwhelming military power. Neither, of course, do I wish to see my books subjected to a boycott.
Finally, however, after careful consideration, I made up my mind to come here. One reason for my decision was that all too many people advised me not to do it. Perhaps, like many other novelists, I tend to do the exact opposite of what I am told. If people are telling me-- and especially if they are warning me-- “Don’t go there,” “Don’t do that,” I tend to want to “go there” and “do that”. It’s in my nature, you might say, as a novelist. Novelists are a special breed. They cannot genuinely trust anything they have not seen with their own eyes or touched with their own hands.
And that is why I am here. I chose to come here rather than stay away. I chose to see for myself rather than not to see. I chose to speak to you rather than to say nothing.

Please do allow me to deliver a message, one very personal message. It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:

“Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.”

Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will do it. But if there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?
What is the meaning of this metaphor? In some cases, it is all too simple and clear. Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor.

But this is not all. It carries a deeper meaning. Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: it is “The System.” The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others--coldly, efficiently, systematically.

I have only one reason to write novels, and that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it. The purpose of a story is to sound an alarm, to keep a light trained on the System in order to prevent it from tangling our souls in its web and demeaning them. I truly believe it is the novelist’s job to keep trying to clarify the uniqueness of each individual soul by writing stories--stories of life and death, stories of love, stories that make people cry and quake with fear and shake with laughter. This is why we go on, day after day, concocting fictions with utter seriousness.

My father passed away last year at the age of ninety. He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest. When he was in graduate school in Kyoto, he was drafted into the army and sent to fight in China. As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfast offering up long, deeply-felt prayers at the small Buddhist altar in our house. One time I asked him why he did this, and he told me he was praying for the people who had died in the battlefield. He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike. Staring at his back as he knelt at the altar, I seemed to feel the shadow of death hovering around him.
My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know. But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important.

I have only one thing I hope to convey to you today. We are all human beings, individuals transcending nationality and race and religion, and we are all fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong--and too cold. If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others’ souls and from our believing in the warmth we gain by joining souls together.
Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow the System to exploit us. We must not allow the System to take on a life of its own. The System did not make us: we made the System.
That is all I have to say to you.

I am grateful to have been awarded the Jerusalem Prize. I am grateful that my books are being read by people in many parts of the world. And I would like to express my gratitude to the readers in Israel. You are the biggest reason why I am here. And I hope we are sharing something, something very meaningful. And I am glad to have had the opportunity to speak to you here today. Thank you very much.


投稿: ナヴィ村 | 2009年2月20日 (金) 20時51分

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