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映画『スラムドッグ$ミリオネア』~グローバリズムへの一撃

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     必ず君を見つけ出す。これは運命だからー。 

『スラムドッグ・ミリオネア』。これがアカデミー賞を総なめにしたのは、オバマ政権誕生と関係があるような気がします。アメリカ一国主義的なグローバリズムを推し進めたブッシュ時代だったら、きっと作品賞は『ベンジャミン・バトン』だったでしょう(冗談。笑)。

 私は音楽や映画を評する時、すぐ“名作”とか“傑作”とかいう言葉を使って良くお叱りを受けてしまうのですが、これは紛れも無い傑作です。それもとんでもない傑作、モンスター級の傑作。

 かつて故淀川長治氏はチャップリンの映画の何処が素晴らしいかと問われて、「食べること、働くこと、愛すること、それら人生に必要なことが全て描かれているところ。」と言いましたが、この映画も正にそう。食べる為、愛する為、人生というリングで激闘を続けたインドのスラムで育った少年が、幼い頃からの純愛に勝利するまでの物語。“リング”と言えば見終わった後、中学生の時『ロッキー』を初めて見たときのような感じになりました。そう、これを『クイズ・ショー』に形を変えたインド版『ロッキー』と強引に言ってしまいましょう。

 1970年代のインド、ムンバイ。宗教対立からくる暴動で母を亡くしたサリームとジャマールの幼い兄弟は、その逃げ惑う惨禍の中で同じ年頃の一人の少女と出会います。名はラティカ。幼く無力な3人は一心同体のようになって盗みを働いたり、ゴミ拾いをしたりして文字通り犬のようになって生きていきますが、ほどなくしてすぐ、スラムの子供を手なずけて物乞いなどをやらせ、ゆくゆくは犯罪の道具にしたてようとする組織に拾われます。そうとも知らず楽しく過ごす3人。だが、あることをキッカケにそこは危険な場所だと知って脱走を企てまが、この時、兄弟は脱出に成功するもののラティカ一人が置き去りになってしまいます。

 ラティカに恋していたジャマール。そして、この時からジャマールの人生はラティカにもう一度会うこと、この広いインドの中からなんとか彼女を探し出すことに注がれるようになります。

                  ☆

 インドにはカースト制度があります。それがどれ程のものかインドに行った事のない私には分かりませんが、この映画ではそれがアメリカ・グローバリズムによって持つものと持たざるものに分けられた現在の世界のメタファーになっているように見えました。クイズ・ショーの前半、司会者が、ジャマールがスラム育ちで今はコール・センターでお茶汲みとして働いていると知って露骨に卑下したもの言いをするのも、今の世界が目指し、そのいき着く先(現在、すでにそうなっているとも言えますが)を見るようで薄ら寒いものを感じました。そして、そのような偏見を払いのけながら問題に一つ一つ答えていくジャマールですが、教育を全く受けていない彼が何故、その問いのそれぞれの答えを知っているのか?どのようにして彼はそれを知るに至ったか?・・・。 偏見から最終問題の一歩手前でイカサマと疑われ、一度警察に連行され、ジャマールは拷問までされますが、結局、仕切り直しで番組は最終問題だけ後日ということになります。そして全インドが注視する中で彼が出した“ファイナル・アンサー”とは・・・・・・・?

                  ☆  

 私達が身に付けている知識なり知性というのはどうしたって教育の賜物であり、大概はそれを基礎にして本を読んだり、今ならネットで検索して得たものというのが普通じゃないでしょうかネ?そして、それを生活の中で確認したり検証したりしながら確かなものにしていくというような。

 しかし、この映画を見て、私は人間という生き物がものを知る・知識を得るということが本来どういうことなのかを知りました。そしてこのジャマールの場合、経験を通して、とかそんなレベルではなく、その知識の一つ一つは魂に刻印されてしまっている。それぞれにその位の過酷な体験がある。ネタバレになるので詳しく書けませんが、何故インド札の肖像がガンジーだとさえ知らない彼が、アメリカ百ドル札の肖像がベンジャミン・フランクリンだと分かるのか。その辺りはね・・・切なくて哀しい、そしてつい最近までのインドの現実がこうならとても恐いのですが・・・・・・どうか見て下さい。

                 ☆ 

 さて、この映画でもう一つ眼を見張るところがあるとすれば、それはムンバイの街です。猥雑で聖と俗が入り混じり、パワーに溢れ、混沌とした都市。その片隅のバラックは空撮すると原色の洗濯物やらなにやらでポップな印象すら感じさせる演出で、シリアスな内容でありながら映画全編にエネルギーが満ち溢れているのは一つにこの街の捉え方にあると思います。何より全編にわたってその場に居合わせているような臨場感が凄い。このムンバイでの撮影について監督のダニー・ボイルの談。

 「あの街は命を称えている。死も暴力もたくさん存在するが、生命力溢れる感覚に圧倒される。だから僕らは、それを、変えたり、コントロールしようとするより、むしろ、その生命力を捉えるために全力をつくしたんだ。」

 また“生命力”と言えば、この映画、子役たちが圧倒的に素晴らしい。うんこにまみれ、ハエがブンブンたかってホント汚らしいのですが、とても可愛い(笑)。幼少期、少年期、とありますが誰もが皆名優です。ま、彼らのお茶目さ加減はアカデミー賞の授賞式でもう御馴染みになってしまいましたがね。

 それと特筆すべきは音楽。担当は天才A・R・ラフマーン。確かこの映画、アカデミー賞では作曲賞と主題歌賞を受賞していますよね。絶対あとでテレビで・・・とかDVDになってからなどと言わず、映画館で見たほうが良いですよ。

                  ☆

 ブッシュ時代の完全なる終わりを告げる狂おしいまでの大傑作。原作はヴィカス・スワラップの『僕と1ルピーの神様』、監督は『トレイン・スポッティング』のダニー・ボイル、脚本は『フル・モンティ』のサイモン・ビューフォイ。ぶっちぎりで高純度の純愛&青春映画・・・・・・・・生涯最高の1本は?と問われたら、今なら迷わず“これ”っと言ってしまいそうです。その位ハマってしまった。

 それにしてもデーブ・パテルって良いな・・・・えっ、また傑作って言ってるって?そうかな・・・・・だって、本当だもん!!(笑)。まあ、見て。

 

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スーザン・ボイルの『I dream a dream』

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 先日あるニュース番組で見て、感動したのがこれ。スーザン・ボイルの『I dream a dream』。画像の埋め込みが無効になっているのでリンクしておきます。スーザンはイギリスの視聴者参加型のオーデション番組に出演した見た目も地味な47歳のおばさん。審査員も観客も始め冷ややかな視線を送っていたものの、歌い始めるや否やビックリ仰天”!!。その美声に誰もが驚き、その後は賞賛と感動の嵐へ。まるで映画ワンシーンのようです。

 このYouTubeの動画へは今もの凄い数のアクセスがあるらしく、スーザンさんは母親の介護をしながらの質疎な生活者から、一夜にして世界的な大スターになってしまた。

 どんなに偏見を持っていないつもりでも、人はやはり人を見かけで判断している。この動画の感動はそこを大きく裏切られたところから起こるのだが、それと同時に人間の未知の可能性というものに大きく目が開かれる思いがする。

 これはミュージカル『レ・ミゼラブル』からの一曲。『レ・ミゼラブル』も大きな人間賛歌だが、この映像もしかり。どんな慎ましやかな人生も少し角度を変えて見るととてもドラマチックに見えるもので、スーザンの歌声は一瞬にしてそのことを聞く者に思い至らせた。うーん、スーザンさんの他の曲も聞いてみたいですネ。

 で、皆さん、あなたの隣にいる人も実は凄い人だったりするかも・・・・・・よ。

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ウイスキー・ダイエット

 毎晩、走っているが帰ってきて必ず酒を飲む。「それじゃ、意味ないじゃん。」と妻は言うが、ダイエット目的で走っている訳じゃないので別にいい。では何の為走っているのか?と聞かれると分からない。ただ仕事での疲れはストレスや何やらメンタルな部分でのことなので、この状態にフィジカルな疲れを与えてやると、メンタル面のそれは汗とともに吹き飛んで、かえって生き返る思いがする・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と、言うのはこじつけで、やはりその後の酒が美味いからだろうな、やはり。

 昔、矢沢永吉は「自分の息子に将来どんな男になって欲しいか?」と質問されて、「ビールを美味しく飲める男になって欲しいネ。」と、答えたと言う。

 知っての通りビールは仕事の後とか何か大きな“事”をやり遂げた後の仲間との乾杯の一口目が一番美味しい飲み物なので、エーちゃんは周囲の人間との同胞意識を持ちつつ、充実した仕事をやり遂げる男になって欲しいということを例の口調で端的に言い表したのだと、確か中上健二か村上龍が何処かに書いていた。

 仕事と絡めるととてもかっこいい話になるが、何かをやり遂げたと思えるような事など我々凡人にはそうそう毎日あるわけではなく、それでも毎日飲みたい私にとってジョギングは、その達成感をインスタントに作り出す装置としてあるのかもしれない。

 ・・・・と、ビールの話を書いておいて実は私が今飲んでいるのはウイスキー(話が支離滅裂でスイマセン。少々酔っ払っているので)。“ウイスキーがお好きでしょう。もう少し喋りましょう”と、小雪の例のCMか、“少し愛して、長ーく愛して”の昔の大原麗子のCMのような雰囲気で本当は飲みたいのですが、吉田拓郎で育った私はどうしても“男飲み”になってしまいます。ツマミは何も喰わず、ひたすらストレート&チェーサー。

 でも、酒そのものが太る原因ではなく、それと一緒に食べるものが問題な筈なので、これをダイエットと言っても良いのでは?ウイスキー・ダイエットとか(笑)、ダメか、そんなもん。でも、実際、計りに乗ると2㎏減っているんだけどなあ。

 運動して汗をかいた後、アルコールを口にするって実は痛風に一番良くないパターンですが、それがまたスリリングで良いんです。大丈夫だよ、ビールじゃなくてウイスキーなら。

 スイマセン。アル中とは違う、馬鹿なオリジナルな病気・・・・・と、思って下しゃんせ。

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九度目の歌舞伎~曽根崎心中

Photo_2 借金を苦に一家無理心中・・・といういうのは今でもたまに聞きますが、許されぬ愛ゆえに男女が共に命を絶つなんてことは現代では皆無なんじゃないでしょうかね?あるのかな?調べた訳じゃないので良く分かりませんが。

 1703年、大阪曽根崎の森で実際に起きた天満屋お初と平野屋徳兵衛の心中事件は、近松門左衛門の手によってすぐに人形浄瑠璃として書き下ろされ、たちまち大評判となりました。その後はしばらく途絶えていましたが、近松生誕三百年の昭和28年、歌舞伎の演目として二世中村雁治郎の徳兵衛、坂田藤十郎のお初で復活上演されると、それは社会現象を巻き起こすほどだったと、解説にはあります。

 昭和28年と言うと、まだ“戦後”を引きづった感がたっぷりといった時期だったと思われますが、その5年前の昭和23年には作家太宰治と山崎富江の玉川上水で入水自殺があったことからも分かるように、この頃はまだ意外にこうした「情死」というのが多かったのかと想像されます。

 フロイトによると人間の中心には「生=エロス」への欲動と同時に「死=タナトス」への欲動というもがあるそうで、長年、死を美徳として教えられてきた国民は、戦後、その激変した価値観にかえって戸惑い、その時のこのタナトスの権化とも言える太宰の「情死」は、ある人々にとって反社会的でありながらとても聖なる行為に見えた、と何かで読んだことがあります。

 私はこの『曽根崎心中』を「エロス」が「タナトス」へ変転する物語として見ました。愛と死はコインの表裏として不可分で、悲劇であるのに最後に美しいと感じるのは、死が純粋に愛の成就でもあるからです。

 お初には人間国宝坂田藤十郎、徳兵衛に翫雀、油屋九平次に橋の助。特に藤十郎は今回の興行でお初上演千三百回を迎えます。

 

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 で、そのお初ですが、この女性に関しては昔、映画『曽根崎心中』で梶芽衣子が演じているのを見て以来、ずっと現代的な強い女、という印象がありました。目力があって今の柴崎コウ的な顔立ち。自らの“愛=死”は徳兵衛の身の潔白を証明するための武器のようでもあって、印象は鮮烈でした。

 昨夜の舞台、藤十郎のお初にも、映画ほどではないにしろそれを感じました。喜怒哀楽がくっきりしていて、初々しい中にも意志の強さが感じられます。同じ近松でも前回見た『吉田屋』の夕霧がじっと耐える、奥ゆかしい女性なら、お初は意思表示がハッキリとした行動する女性。特にヒール役の九平次が、徳兵衛が死んだら身請けしてやると言うやいなや、それをあざ笑い、徳兵衛が死んだら自分も死ぬと言い放つ北新地天満屋での例の場面では、大向こうと一緒に声を上げそうになりました。

 この『曽根崎心中』を見て、私は自分が何故、こんなに歌舞伎にハマッテいるのかが分かりました。それは私は歌舞伎座に言うなれば“情の濃さ”を見に来ているということ。歌舞伎の演目すべては日本人の情念を芸に昇華したものと言っても過言ではなく、そして、それは“濃ければ濃い”方が面白い。

 今まで見た『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』、『京鹿子娘道上寺』、『鷺娘』、『勧進帳』などなども、時には人倫さえ踏み越え、死をもろともせづ、愛や信念を通し、また激情に突っ走ってしまう人々のお話でした。

 そしてこのお初と徳兵衛はその最たるものです。見ていて可哀相と言うよりも、途中からはアナーキーな程の強ささえ感じらる程です。愛ゆえの心中など現代にはなかなかありえないこの芝居を皆が食い入るように見つめるのは今の私達にそのパワーに対する憧れがあるからで、それはそのまま巷からそれが消えつつある証拠でもあります。(・・・・とそんなことを書いていると、テレビで、最近歌手デヴューした山口百恵の息子のインタヴューをやっており、なんでも家でお母さんは“最近のJポップは分からない”と、言っているとのこと。なんか象徴的な話だな・・・。)

 『曽根崎心中』は文楽では勿論のこと、宇崎竜童&阿木耀子による『ロック~曽根崎心中』というのもあり、はたまたこれも両者による『フラメンコ 曽根崎心中』は本場スペインでも高い評価を受け、なんでも“日本の『ロミオとジュリエット』”と評されたとか。そうか、この江戸の“情念の濃さ”は世界基準ということか。

 また、昨日、初めて私は浄瑠璃と三味線を意識して見ました。特に天満屋の場。浄瑠璃 竹本谷太郎、 三味線 鶴澤泰治二郎。それで感じたのは文楽から来た芝居はやはり文楽でも見てみたいということです。

 こうした情感溢れる芝居を見ると、乾燥ワカメみたいになっていた自分の気持ちが、まるで水に戻されたように感じます。昨夜、歌舞伎座を出て新橋方面へ一人歩いていると、やはり『曽根崎心中』を見た帰りと思われる女性がパンフレットをしかと胸に抱え、上気した面持ちで空を仰ぎ歩いているのを見ました。分かるよ、その気持ち。

 悲劇を見た後だというのに、昨夜は普段殺伐と見える夜の銀座が何故かとても優しく見えました。街の灯かりが一つに繋がって見えた。で、我が脳内BGMは前回エントリーした宇崎竜童の『夜へ』。修羅、修羅、阿修羅、修羅、慕情、嫉妬、化身・・・・・・・・・・・。

 で、その後、私が何処に消えたのかは秘密・・・です。

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Kiss&Cry

 思春期突入の息子&娘に。ふーん。ガンバレヨ~(笑)

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宇崎竜童 『夜へ』

 今月の歌舞伎座、私があともう一つ、どうしても見たいと思っているのが『曽根崎心中』ですが、『曽根崎心中』と言うと思い出すのがこの人、宇崎竜童。昔、映画でその主人公徳兵衛を演じていて、お初は長年高橋恵子と思っていましたが、今調べると梶芽衣子でした。

 それで、映画の中でかかっていたわけでも無いのに『曽根崎心中』と聞くと、何故か私の頭の中で自動的に流れてしまうのがダウンタウン・ブギウギ・バンドの『身も心も』です。まあ、映画は当時には珍しく、時代劇なのに音楽はロックだったので、当たらずも遠からずと言うところでしょうか。

 ↓は前々回の山口百恵のエントリーでもリンクさせておいた『夜へ』のセルフカヴァー。これは名盤です。他にも女性シンガーに彼が書き下ろした様々なナンバーを自ら歌っています。

 日本のロックシーン、桑田圭佑の前にはこの人がいた。そのサザンには『Hey Ryudo!』って彼に捧げたナンバーもあります。

PS 山口百恵への曲のセルフ・カヴァーには他にもこんなのもあって、自分で作った曲とは言え、さすが超かっこいい!!。

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君のキレイのために

 もうセックスの対象だとか、男臭いロックンロール歌手に見られたいなんてぜんぜん思わない。ずっと昔に卒業した。そんなこと思い描くことにも興味はない。だから赤ん坊の世話をしてパンを焼き、主夫でいたことを誇りに思っている僕をみんなにもっと知ってもらいたいんだ。~<中略>~これは未来に向けてうねりを上げている波だ。僕は自分がその波頭に立っていることを嬉しく思うよ。(『ジョン・レノン ラスト・インタヴュー』より)

             ☆    

 私の職場にはアーティスト・タイプの人が多く、特に男性陣に多い。彼らは大概、生活力のある素敵な女性に支えられていて、それで口が悪い私は羨望を込めて彼らを「ヒモ」呼ばわりしてしまうのだが、そんな時の彼らの照れくさそうな(嬉しそうな?)、表情にはなかなか味わい深いものがある。

 で、ジュリーの『君のキレイのために』。

 『カサブランカ・ダンディ』や『サムライ』を歌っていた彼がこういう歌を歌うのを聞くのは隔世の感がある。それで含んでいるメッセージは今やこっちの方がリアルだ。手元に歌詞カードがなく、聞き書きだが、例によってその詞。

     

     メイクの顔も素顔も 24時間見ていたい

     「しょうがない人・・・」と笑って 出かけていく背中

     君がもっと輝くなら オフィスの視線浴びてきて

     家事(ハウス・キープ)は任せてよ

     仕事より楽園

      

      このままの僕でいい 君はいつも言うけど

      計り知れない愛だろうか

      季節幾つ分の

      君はまだ 眩しいな

     

     後ろ指さえ快感 打たれ強くもなったみたい

     人並みに気も配るけど 役立たず ゴメン

     

     このままの僕でいい 君のキレイのために

     こんな男でもし良ければ 好きにしてよどうか

     それだけが出来ること

      

      このままの僕がいい サラリと言える君の

      海より深い愛だろうか

      季節幾つ分の

     

      このままの僕でいい 君のキレイのために

      こんな男でもし良ければ 好きにしてよどうか

      それだけがしたいこと

                  

                  『君のキレイのために』 

 

 道行く女性が皆、生き生きとキレイなら、それはとても感じのいい社会だ、と言ったのは詩人の故田村隆一だが、それは男がそういう社会を目指すべきだというメッセージでもあって、その意味からするとこの歌の主人公のように“君のキレイのために”生きている男が多い社会というのは、ある意味とても洗練されているのかもしれない。

 そうか、つまりジュリーは進化した男性像の最先端を行っているということか。そう言えばこのナンバーが収められているは『来タルべキ素敵』だった。なーるほど。ところで↓のライブ、何故ジュリーはこんな格好してんの?

 今、YouTUbeを見ると去年のドーム・コンサートの映像がいっぱいアップされています。前回、書いた『睡蓮~君のキレイのため』のシーンもあって、またまた見てしまいました。もうちっとカッコいいのを見たい方はこちらを(笑)。

PS 歌詞は聞き書きなので間違いにお気づきの方はご指摘のほどを。

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山口百恵~『曼珠沙華』と『夜へ』

 この前、ある所で彼女の歌をまとめて聞く機会があった。凄かった。特に阿木曜子×宇崎竜童作品は歌というより、監督宇崎竜童、脚本阿木曜子、主演山口百恵という、まるで芝居か映画。中でも『曼珠沙華』。これは二十歳の女の子にこんな歌を歌わせたら・・と目論んだ不良(ワル)い大人がいて、それを天才が完璧に演じてしまった稀有な例。聞いていて鳥肌がたった。

篠山紀信が彼女を撮った写真を今見ると、何故か藤原新也の『インド放浪』等の写真と同じテイストを感じる。つまり時代が写ってるってことで、その時代とは70年代。ここに写っているものはもう跡形も無く何も無い。音楽も映画も演劇も詩も何もかも最高のものはこの時代に全部出つくしたのだと思う。あとは砂漠のように編集とサンプリングの時代が延々と続いている。

 それにしても・・・こんな人はもう2度と現われないな。いいものを体験した、と改めて思った。

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八度目の歌舞伎~廓文章(くるわぶんしょう)ー吉田屋

Photo_5 今のようなご時勢だと何かに“身をやつして”いる人というのはいっぱいいるんでしょうね。この四月大歌舞伎・夜の部2幕目『廓文章ー吉田屋』は歌舞伎で言う所の和事“やつし”芸の代表のようなお芝居です。

 高い身分の者が何かを理由に零落し、違う立場に身をやつす。お芝居は放蕩三昧の末、家を勘当され落ちぶれの身となった主人公の藤屋伊左衛門が、二世の約束をした遊女夕霧に一目逢いたいと、阿波の大尽が餅つきをして騒ぐ新町吉田屋にやって来る所から始まります。

 芝居は近松門左衛門の浄瑠璃『夕霧阿波鳴波(ゆうぎりあわのなると)』の上の巻を改作したもの。

 昨夜、伊左衛門に仁左衛門。夕霧には玉三郎。

 私は半月ほど前、ダンディで凄くかっこいい仁左衛門の大石内蔵助を見たばかりなので、この仁左衛門演じる蕩児伊左衛門のイカレポンチ振りの見事さには、ただただ目を丸くするばかりでした。

 なよなよ、ふにゃふにゃ、動きはもはや形というより踊りのようで、しかも笑いを誘いながらも段々と色っぽくさえ見えてきます。前回の役との落差もあって、仁左衛門の役者ぶりは私にはかなり強烈に映りました。

               ☆ 

 ところで、歌舞伎座に通うようになって約半年経ちますが、いつも思うことは平日は外人客が多いと言うことです。そして、気になるのは「どのくらい、分かってんのかなあ。。。。」と言うこと。

 歌舞伎座は多分、外国人観光客にとっては観光コースの一つに組み込まれていて、それで観劇している人が多いのだと思いますが、音声ガイダンスを借りているのならともかく、そうでない人は大概が意味不明な表情をしています。

 昨夜、私の左隣の席は外国の女性の方で、仁左衛門の蕩児振りにはただキョトンとするばかり。こういった遊び人の所作?立ち振る舞いというのはどうやら万国l共通ではないらしい。

 仁左衛門の演技は、例えばこの物語の設定が何も分からなくても、日本人なら誰でも遊蕩の挙句身を持ち崩した男であることが分かるほどのものです。そして、江戸時代からこのような男を表現するため、その立ち振る舞いの一挙一動を形として継承してきた日本人というのもやはり不思議な民族だと、私は妙なことに感心してしまいました。

 物語は夕霧恋しの伊左衛門と吉田屋の主人喜左衛門(我富)、そして、その女房おさき(秀太郎)とのやり取りに終始しますが、物語の中盤に、ついに夕霧が姿を現します。

 この時の玉三郎演じる夕霧の美しさはね、ちょっと言葉では言い表せません。それまでも緊張感溢れるいい芝居が続いていましたが、その瞬間は何かもっと別の次元に移行する時ような、その位のスペクタクルを感じました。そして、その時、お隣をふと見ると、なんと両手を頬にあて“ムンクの『叫び』”のよう!。つまり“持って行かれちまって”いました。さすがにここは万国共通です。

 このお芝居の中で、伊左衛門はずっと“紙衣(かみこ)”なる衣装を身に付けている設定で、それは江戸の頃、勘当された男が身につける慣わしの紙でできた着物なのだとか。歌舞伎の舞台では主に紫っぽい色調の地に、恋文の文句がほどこされたデザインで、一目で紙衣であると分かるようになっています。

 仁左衛門演じる伊左衛門が着るこの紙衣と、玉三郎演じる夕霧のど派手な着物(あんな絢爛な着物、歌舞伎の女形以外に、着て似合う“状況”ってあるのかね。)が、これまたピタリとマッチしてとても贅沢なものを見せられている気になりました。

 さて、伊左衛門と夕霧。伊左衛門はあんなに会いたがっていた夕霧なのに、他の客の座敷に出ていたところ見た途端に機嫌を損ね、いざ再会を果たしても冷たく当たってしまいます。そして、それに泣きながら耐える夕霧。可憐で、奥ゆかしくて、可愛い。しかし、太鼓持ちが現われてやがてそれも収まると、何の説明も無いままに、突然、勘当が許され、さらにまた身請けの金まで運ばれて来ます。かくして相思相愛の二人は結ばれて、絵に描いたようなハッピー・エンド。で、めでたしめでたし。

 これは昨今の不況の時代に巷に溢れた多くの“やつし者”に勇気?を与える一作と言っても良いんじゃないでしょうかネ(笑)。そう、その程度の不幸、笑い飛ばしてしまえってことで。古典の凄みを思い知ります。

                ☆ 

 毎度のこと、あわよくば今夜のうちに3幕目も・・・・と、ちょっと頭をかすめましたが、同じ近松でも、3幕目の『曽根崎心中』は悲劇なので、今日はこのハッピーエンドの気持ちのまま・・・・と、昨夜は退散と相成りました。

 実は今月、これを見る予定にはしていなかったのですが、勢いで来て良いものを見ました。これはとても楽しい芝居。昨夜はなんかとても得した気分でした。

 で、喜劇も好きだが悲劇も好きな私は、今月は、あとどうしても『曽根崎心中』を・・・・・・見たいんだな。

 いつ行こうかな。

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アイル・リメンバー・エイプリル

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 April【四月】一説にはギリシャ神話の「愛と美の女神Aphrodite(アフロディテ)の月」の意味だと言われる。~初級クラウン英和辞書より。

                ☆

 今週の火曜日夜11:00から1時間、ついにあの『モトハル・レディオ・ショー』が始まりました。その日の新聞には“30~40代の人向け・・・”との番組紹介があって、はて、昔はキッズ向けの元気な音楽番組といった印象でしたが、なるほど20年ぶりに新装開店の今回はクールで落ち着いた感じです。今、エアチェックしたテープでまた聞いているところ。

 で、相変わらず選曲はサイコーです。また音楽がぐっと生活に戻ってきた感じがして嬉しい。きっと気に入った曲がいっぱいできて、CDの買いすぎにならないか、今から心配です。

 年度末からこの四月前半は引越しシーズンで、荷物を積んだダンプやらトラックやらをそこかしこで目にしますが、私がいた事務所もご他聞に漏れず新橋から虎ノ門へお引越し。

 新橋周辺はサラリーマン相手の安い居酒屋や立飲み屋が多かったですが、虎ノ門は官庁に近いせいかもっと洒落た印象です。そして、微妙に物価が高い。遺跡の発掘をやっていて、まさかこんなところで仕事をするようになるとは思わなかったなあ。

 新事務所の前のビルでは毎週金曜日の昼休みに演奏会が行われていたりなんかして、それだけでハイソな感じですが、早速行った女性スタッフから話を聞くと、昨日はジャズでとても良かったとのこと。来週は私も行って見ようと思います。

 ↑はアメリカの寺尾聡ことボズ・スキャッグス(嘘(笑)。寺尾聡が昔、日本のボズ・スキャッグスと言われていた)。これはボズによるジャズ・スタンダード・ナンバーのカヴァー集です。

 この中から番組の中で紹介されたのは『 I 'll remember April 』。聞いてすぐ気に入りました。

 四月は出会いと別れの季節でもあって、私にもそうした想い出はいっぱいありますが(おもに数人の愛の女神たち・・・・・(ρ_;))、数年後、この四月をこの曲とともに思い出せたら・・・なーーんてちょっと思いまして、この後、Tower RecordsにGOしそうです。

                ☆ 

 どういう訳か我が家はNHKFMの電波を受信する環境が悪くて、今、聞いているテープは凄いノイズ混じりです。番組は翌週の火曜日昼間の10時に再放送があるので、これを仕事場で毎週エアチェックしようと今決めました。

 ・・・と、言うわけでラジカセ用意しておくからさ、頼むよ山ちゃん。俺達、縁あるだろ、佐野元春に(笑)。

 

 PS 番組ウェブ・サイト、「指定席」にリンクしておきます。見てね。

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