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MIND WALL

 コミュニケーション・ツールが多様になるほど、壁(wall)はより強固になっていく。でも、もう、そこから出てきませんか?僕自身、こんなブログやってて矛盾してるけどネ(笑)。

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時は海

 

   ~時は海だか岸辺までだ~ 

      ボブ・ディラン『Oh sister』より

 

    時は

    茫洋とした広がりの海

    その全てを手に入れたいと思うほど

    女は

   我儘ではない

    海を切り取る窓

    その打ち返す波の音に

    いつまでも耳を澄ませていると

    いつしか身体は

    足下のほうから透明になり

    魂だけが

    愛した男達の背中のような砂丘に

    足跡を

    一歩づつ

   残していく

    海は

    時間の別の名前

    

    時は

    ワイングラスの中で波打つ水

    

       時は

    水平に広がる巨大な球体

    

    透明な魂にとって

    時は海

    

    月明かりが散らばる夜の海を

    魚達が泳いでいる

    

    透明な

    あなたが泳いでいる

    

    折々の思いの色をした

    その魂の

    一匹一匹が

 

 

 

 拝啓miiさん先日、インドへ旅立った青年がいて、その彼に旅先で体を壊すことがいかに恐怖であるかを話していて、遠い昔、フィラディルフィアのホテルで高熱を出して倒れた時、あなたが持っていた薬で奇跡的に回復しなんとか旅を続行したことを思い出していました。なんか、おばあちゃんにもらったとかなんとか、巾着袋のようなものに入っていたピンク色の丸薬でしたネ。今でも時々、あれはいわゆる赤球、腹痛の薬だったんじゃないか?と思っているんですけど(笑)。

 だから、昨日、コメント欄にあなたの名前を見つけたのは、僕的にはとてもタイムリーな気分でした。

 

 この前、自分の部屋を整理していたら“パラヴァス”開店の時、贈った詩が出てきました。種明かしをすれば、これはディランの上の歌の1節にインスパイアされてできたものです。

 またまたタイムリーなことに、一昨日、M野くんから映画の上映会のDMが届きました。彼はあの後も地道に短編映画作家の道を歩んでいるようで、どうやら新作ができた模様。他の作家達の作品と一緒に西荻窪で上映するようです。“パラヴァス”で僕の詩と一緒にやった『宇宙のりんかく』もやるようです。

 東京にいると、時々、無性に波の音が聞きたくなる時があります。来週からもう6月、梅雨の時期ですので紫陽花を見に、波の音を聞きに、また鎌倉に行きますよ。

その時、また『魔王の愛』の話をしましょう。ではまた。

 

 PS ブログとして、使い方、間違ってるよなあ ・・・・。

 

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砂漠で出会うコップ一杯の水

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 最近、仕事終了後、自転車で曲芸のように人波を潜り抜けながら某駅まで東京新聞の夕刊を買いに行く。私が現代日本の作家の中で最高の一人と考える宮内勝典氏の初の新聞連載小説『魔王の愛』を読むためである。で、この小説の“魔王”とは誰であろう、あのマハトマ・ガンジーのことだ。

 ガンジーと言うと、普通、非暴力主義を唱え大英帝国からインドを独立に導いた好々爺としたイメージの偉人ということになっているが、実際はもっと複雑な人だったらしい。宮内氏のエッセイで読んで知ったのだが、ガンジーは東洋人で初めて西洋の法体系の元で弁護士資格を取った人かも・・・という点からも分かるように、東洋の叡智そのもののように思われていて、その実、西洋文明、“近代”の波を深く深く潜り抜けてきた人だ。彼はあの時代にしてすでに地域通貨についても知っていたらしく、それだけでもとても戦略的な人だったことが伺える。

 小説についてはまだ始ったばかりで何も言えないが、毎夕買うこの新聞は紙ではなく、肉とか野菜のような、何故か生もののような気がする。そう、早く読まないと腐ってしまうような。そしてビジネス・トークが行き交う通りを横目にガンジーについての小説読むというのは、当たり前だがとてもシュールだ。

 連載が終了し、本になる時は、きっと加筆・修整が入り、もっとブラッシュ・アップされたものになるかもしれないが、私は今、この形のものが読みたい。その気持ちは砂漠で一杯のコップの水にありつく時のような切実さに似て、それは今の自分が過ごす日常と精神の何がしかの反映でもある。

           ☆           

↑は週末から今週初めにかけて不調をきたし、家で静養中、読んでいたものです。お金にいくら困っても、どうしても売れないものと言えば、私の場合、CDで言えば『ジョンの魂』、本でいえばまずこれで、かれこれもう十五年近く、繰り返し読んでいて、また読んだ。これも『魔王の愛』同様、生ものの本だが、きっと未来永劫、いつまでも腐らない。訳は宮内氏で、彼はインド放浪中、この聖者の話を聞く機会を得、帰国後、本書の翻訳の話が来た時は運命を感じたと言う。そして、そのように臨んだ仕事だけあってとても美しい文章、名訳だと思う。

 私の仕事場で先週インド一周の旅に出た青年がいる。旅立ちの日の朝、彼から私のPCにメールで長い詩が届いた。

 彼は彼のガンジー or クリシュナムルティに出会えるだろうか?

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十一度目の歌舞伎~暫(しばらく)

 

十一代目團十郎と六代目歌右衛門―悲劇の「神」と孤高の「女帝」 (幻冬舎新書) Book 十一代目團十郎と六代目歌右衛門―悲劇の「神」と孤高の「女帝」 (幻冬舎新書)

著者:中川 右介
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 死んで初めて、人々は彼が神であったことを知った。その神を、神として扱わなかったことを悔いた。             

 中川右介著 『十一代目團十郎と六代目歌右衛門』(幻冬舎新書)より

 

 現在の、第十一代市川海老蔵は10代の頃、その幼少期から続く厳しい稽古と名門の家柄を背負って立つことの重責に耐え切れず、常に反抗を繰り返していたと言います。そんな彼を立ち直らせるキッカケになったのが偶然、フィルムで見た第十一代市川團十郎、つまり彼の祖父が演じる『勧進帳』の弁慶だったとのことですが、では十代の堀越孝俊(海老蔵の本名)少年は、祖父の芸の中に一体何を見たのでしょうか?

 彼の祖父第十一代市川團十郎は戦後、絶大な人気を誇った名優です。そして上の本を読むと彼は「神」であろうとした今のところ最後の“團十郎”だったと言ってもよい人です。

 知らない人は一歌舞伎役者が「神」などと何を大袈裟な、と思ううかもしれませんが、この「神」という言葉は最近良く使われる形容詞としてのそれではありません。文字通り歌舞伎の市川家、市川團十郎は江戸時代には信仰の対象としてしての、紛れも無い「神」だったのです。

 その十一代目團十郎も実は中々「團十郎」を襲名しませんでした。彼の前には「劇聖」と謳われた九代目團十郎がいて、その死後から実に60年の間、歌舞伎の世界に「團十郎=神」は不在だったのです。ですが当時はその空白こそが一つの権威のようでもあり、名乗ろうなど考えても恐れ多いことだったようです。

 なので、散々迷い、ようやく襲名した後、十一代目團十郎はことさらにその「神性」にこだわります。しかし、時はあたかもアメリカから輸入された民主主義謳歌の時代、それは時に奇行と映り、必要以上に周囲との軋轢を生み、この十一代目はやがて悲劇的な死を迎えます。

                 ☆Photo_4

 今日見た歌舞伎十八番の内『暫(しばらく)』はまるで神事のように見えました。それは学生時代、私がイカレていたネイティブ・アメリカンをはじめとする世界の少数民族に残る儀式のようで、きっと何も知らない外国人がこれを見たら、絶対私と同様、日本の民間に残る宗教儀礼の一つと思うに違いありません。

 とは言え『暫(しばらく)』は何も難しいお芝居ではありません。簡単に言えばこれは“仮面ライダー”(笑)。世を支配しようとする悪の一味が善良な人々を捕らえその首を切り落とそうとする。そして、まさにその首が切り落とされようとする瞬間、正義の味方鎌倉権五郎景政が現われて、その超人的な力で悪人達をやっつけるというもの。

 昨日に引き続きまたまた松井今朝子女史の言説を引用するに、昔、歌舞伎の顔見世は毎年冬至の頃に行なわれ、第1幕目は必ずこの『暫(しばらく)』だったとか。そして、その一幕目は早朝から行なわれ、この一年で闇から光へと向かう転換点である日の初めに、颯爽と登場する鎌倉権五郎景政は正に江戸の人々にとって、“冬至フェスタ”に登場するヒーローそのものだった、と女史は言います。

                  ☆ 

 昨日の海老蔵の『暫(しばらく)』についてはあるウェブ上の歌舞伎評で酷評されている一方、新聞の劇評では「荒ぶる神が舞台に降臨したよう」とあって、是非、この目で確かめたいと思い一人出掛けてきましたが、それで、私の感想はと言えば・・・・上のウェブ上での酷評も「荒ぶる神が・・・・」という表現もどちらも当たっていると思いました。

 つまり、芸としてはまだ成長すべき点があるものの「神」としての存在感は十分で、私は善良な人たちの首が切り落とされようとしたその時、花道の奥から「しーーーばーーあーらーーくーー。」と声が聞こえてきた時、体内で眠っていた「江戸部族」とも言うべきネイティブの血が、ザワザワと蠢くのを感じました。

 今日の鎌倉権五郎の登場時の花道でのセリフは口上のようでもありました。「スジを通すは親父譲り・・・・」のセリフのあと、海老蔵はこの歌舞伎座が来春でなくなること、そして、新しい歌舞伎座になっても歌舞伎は永遠である・・・・というようなことを高らかに宣言し、喝采を浴びていました。他の出演者たちも、彼を役名ではなく、「成田屋の海老サマ」と呼んだりして、それだけで彼の現在の歌舞伎界での立ち位置を思い知るようでもありました。

                 ☆  

 最近、私はまるで教会に通うのを楽しみしている日曜日のカトリックの信者のように足しげく歌舞伎座に通っていますが、今日の教会=歌舞伎座には確かに「神」がいました。神の名前は第十一代市川海老蔵。私たちはこの海老蔵が第十三代市川團十郎になるところがきっと見れる。私は世の女性たちが注ぐのとはまた違う視線で、彼をづっと見続けていこうと思いました。では最後に彼自身の言葉。

 (市川家の芸「荒事」の精神についてどう考えるかと問われて)

 直接的に言うと「神」なんです。初代團十郎から始って、それぞれの時代の中で神々しいまでの力を身につけた祖先たちがいる。そういう在り方を追求していきたいです。それが市川家のスピリッツだと思っています。

    「婦人公論」2008年3月22日号、篠山紀信との対談より 

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十度目の歌舞伎~恋湊博多諷(こいみなとはかたのひとふし)・毛剃(けぞり)

 これはとても面白い芝居でした。上方歌舞伎と江戸歌舞伎のコラボ。四代目坂田藤十郎×第十二代市川團十郎。それで私にとっては先月見た『廓文章~吉田屋』と『曽根崎心中』に続く3本目の近松モノでもあります。

 これも例によって江戸時代、実際に起きた事件を題材に近松門左衛門が書き上げた世話物の一つで、前2つが心理描写に重点を置いた演出の芝居だったのに対し、今回のこれはなかなかスケール感のある大きな芝居だと思いました。

 実際に起きた事件と言うのは享保三年(1713年)、九州博多沖で繰り広げられた密貿易(荷抜け)事件のこと。今回の演目はそれを取材して近松が書き上げた『博多小女郎波枕』という世話浄瑠璃が元になっております。

 お話の方は・・・・第一場、船上で何やら数人の男達が車座に座っておりますが、中でも親分の毛剃九衛門(團十郎)は今回の仕事の首尾が分かるまでは心配でおちおち寝ておれんとのこと。退屈しのぎに何か話でもしろい!ということになり、そう言や、船内に京都の奴が乗っていたな、とわざわざ船上まで連れ出します。連れ出されたのは商いの為、筑前を行き来しているという小松屋宗七(藤十郎)という人物。しばらくは皆と酒を酌み交わし良い雰囲気で話も弾みますが、宗七が博多柳町の傾城小女郎とののろけ話を始めると、九衛門は突如不機嫌になります。実は九衛門もこの小女郎に入れあげている客の一人なのでした。

 その後、宗七は彼らの密貿易の現場を見てしまい、九衛門以下に口封じにと海に投げ込まれてしまいます。そして、数日後、何とか生き延びた宗七は乞食同然の体で柳町の小女郎を訪ねて行きますが・・・・・・。

                 ☆ 

今回のこの舞台は上方歌舞伎と江戸歌舞伎の違いを知るには格好の演目だったんじゃないでしょうか。落とされた海から命からがら生き延びてボロボロで小女郎を訪ねる宗七は、紙衣で夕霧を訪ねる『吉田屋』の伊左衛門のようでもあり、濡れ衣を着せられて世間の目をはばかりながらお初をこっそり訪ねる『曽根崎心中』の徳兵衛のようでもあります。元々『廓文章~吉田屋』の伊左衛門は初代坂田藤十郎の当たり役だったとのことなので、この“やつし芸”は代々藤十郎の十八番(おはこ)と言って良いものなのでしょう。

 で、その“やつし”とは何か。美しく、豊かなものが落ちぶれる、そしてその様をこれまた“美しい”と感じる感性。その辺を表現する藤十郎の身のこなしの柔らかさと、しっとりとした小女郎(菊之助)とのやりとりなど、特に二幕目奥田屋、“髪梳きの場”にあるよう、私にとって上方歌舞伎とは、繊細な“叙情”そのもといったイメージです。

 一方、團十郎演じる毛剃九衛門は、現在、月曜日の夜、NHKでやっている『極付歌舞伎謎解(きわめつけかぶきのなぞとき)』の松井今朝子女史が言うところの“男伊達=任侠”の芝居です。

 女史曰く任侠とはつまり自分自身は損をするということらしく、侠客とは損をするのに自分の面子やプライドを守るため何かを押し通そうする男のこととか。この九衛門も良く見ると損だらけの男です。本当は惚れこんでいた小女郎を宗七のために諦めますし、その上二人のための身請けのための金ばかりか、他の子分たちのためにもそれぞれに遊女を身請けして、さらに大金を大盤振る舞いしてしまいます。そして、それをカラカラと爽快にやってのけてしまう豪快さを演じるのに当代團十郎のなんとはまり役なこと。

 実はこの『男伊達』の芝居の代表である『極付幡随長兵衛』を先日テレビで、この團十郎で見たばかりだったので、頭の中でこれと今日の芝居が重なりました。と言うか、博多特有の“ばってん言葉”以外、セリフの抑揚や言い回しはまんま同じ。この手の親分肌の男を演じる際はこういう口調でと、何か決まりごとでもあるかのようです。

 さて、そんなセリフ回しで格好良く決めていたのに人改めの役人が来ると聞いた途端、急にオロオロし出すところなど、なんとも愛嬌も感じられ、この毛剃という親分を團十郎は魅力たっぷりに演じていました。

                ☆ 

 濡れた叙情(上方歌舞伎)と豪快なきっぷの良さ(江戸歌舞伎)。その二つがくっきりコントラストになった良い芝居。考えてみればそれを坂田藤十郎と市川團十郎で見れるのだから贅沢と言えばこれほどの贅沢も無いでしょう。見終わって歌舞伎座を出た時は私自身、花道を去って出てきたような気分で、しばらくその気分は抜けませんでした。

 その後、単純な私は急に博多ラーメンが食べたくなって、新橋駅近くの博多天神まで歩いて行きました。それで替え玉を二玉。よって現在、気分と同様超満腹でございます。

 さて、明日はいよいよ海老蔵の『暫(しばらく)』。早く寝よっと。

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草帽歌

 本日は母の日.。

        

        僕の帽子        詩 西条八十

    母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
    ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
    谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。

    母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
    僕はあのときずいぶんくやしかった、
    だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

    母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
    紺の脚絆に手甲をした。
    そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
    けれど、とうとう駄目だった、
    なにしろ深い谷で、それに草が
    背たけぐらい伸びていたんですもの。

    母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
    そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
    もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
    秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
    あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

    母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
    あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
    昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
    その裏に僕が書いた
    Y.S という頭文字を
    埋めるように、静かに、寂しく。

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甥誕生、そして「青山ロックンロール・ショウ」

 生まれました。愛人に第一子が・・・・・。と言うのは嘘で、今日、弟夫婦のところに第二子が誕生しました。PM1:00頃、携帯に連絡があり、元気な男の子!弟は「世継ぎ」が出来たと喜んでいました。名前ももう決まっていて↓の映画に出てくるコンピューターと同じだとのこと。

 双子同士とは言え、私は20代後半~30代前半に2児の父になったのに比べ、弟は40代になってから。やっとオレと同じ土俵に立ったな(笑)。色々と大変でしょうが、子育て、楽しみながら頑張って下さい。ホント、おめでとうございます。

            ☆

 昨夜、新橋の飲み屋を出たのはPM9:00頃。T君の送別会という場所に専務、所長と乱入する形になったのだが、私は車と言うことでアルコールは抜きにし、周りがみるみる壊れていくのをただ見守る、そんな飲み会であった。

 家に電話すると妻の第一声は、「あれ、清志郎の葬儀にいったんじゃなかったの?」というもの。なんでも昼の1:00位から始まったが、弔問客が多くて夜中までやることに決まったとニュースでやってるとのこと。別に急いで早く帰らねばならない理由も無いので、私は急遽亡き“King of Rock”に手を合わせに行くことにした。

 Photo

銀座線で青山1丁目まで行き、5番出口の階段を上ると道案内の地図があった。そこに「青山ロックンロール・ショウ→」という表示があり、道なりに歩いていくと、やがてピンクのスーツを着てギターを下げた巨大な兎のバルーンが目に入った。そしてもう夜遅い時間だというのに人、人、人。会場には遺作の『OH RADIO』、『Around corner』、『デイドリーム・ビリーバー』などなどが聞こえる。

 彼の死に関してはなるべく感傷的にならないようにしていたので、もし、そうなってしまったらどうしようと、恐る恐る入場したのだが、この時間、雰囲気としは不遜だがお祭りみたいで、助かった。私のここ数日の正直な気持ちは、彼は全然死んだことを感じさせない人というもの。

 彼のロックはそれだけ私達の日常の意識にすっかり根付いてしまっているということだが、つまり彼は音楽で世の中をほんの少しだけ“良く”した人ということで、だが、それはとてつもなく凄いことだ。

 今日生まれた甥が、大きくなって“自分が生まれた日の出来事”みたいなことを調べた時は、必ずこの「青山ロックンロールショウ(忌野清志郎の葬儀)」というのがついて回るのだろうな。HALL、叔父さんはちゃんと参列したぞ。

 帰りのカーラジオ、FENを付けるとなんだかR&Bの特集のような選曲。スティービー・レイボーンのギターをフルボリュームにして甲州街道をひた走る。今夜に相応しいエンディング。

 で、↓の「スィート・ソウル・ミュージック」。これを甥に、今日一日を生き延びた自分に、仲間に。これからも頼むぜ、清志郎!

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あらかじめ踏みにじられているイノセンス

対岸の彼女 (文春文庫) Book 対岸の彼女 (文春文庫)

著者:角田 光代
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 陽気で優しく、自信に溢れ、、テキパキと仕事をこなし、誰からも愛されるキャラクターに出会うと、多くはその人のことを世の悪意や醜さといったものと無縁でいられるシアワセな環境ですくすくと育ってきた人と思うのではないだろうか。それはある種の幸運によって保護され続けたイノセンスの結果なのだと。

 この小説の主人公の一人小夜子が始めて葵に会った時もきっと同様に思ったに違いない。小夜子が娘を遊ばせる際の“公園デヴュー”もおぼつかない内気性格なのに対し、葵は同じ35才でありながらさばさばとした性格で、自信に溢れたヴェンチャー企業の女社長。経済的な理由より自分の内気な性格をどうにかしたい一心で出かけた面接先で小夜子は葵と出会う。

 この小説は奇数章に小夜子が葵の会社で働き始めてから以後の物語が、偶数章に葵の高校時代の物語が交互に語られる。そして偶数章で語られる葵は奇数章の彼女とは似ても似つかない長年いじめに合った経験を持つ繊細で内気な女子高生である。中学を卒業し、これを機にと家族で越してきた群馬県の高校で、葵は魚子(ナナコ)という名の少女と友達になる。魚子(ナナコ)は始まりから、またいじめに合うのではないかと身構えている葵の懐に屈託なく飛び込んできては葵を驚かせる。

 いつも思っていたのだ。だれか、気持ちの優しい、顔立ちの整った、クラスでも人気者の女の子が、自分と仲良くしたいと言ってくれ、葵が無理に誘わずともこうして遊びに来てくれ、笑いかけてくれる、そんななんでもない光景を、葵は今まで何度も何度も何度も夢想してきたのだった。テーブルにつく童顔のクラスメイトを葵はまじまじと見、ふいに背中を向けて台所へかけこんだ。泣いてしまいそうになったのを、見られるわけにはいかなかった。(本書P45から抜粋)

 そして、別のシーンで葵はナナコにこんな風に言う。「いいなあ、ナナコは。こわいことがなくて。きっとナナコってさあ、すっごいしあわせに生きてきた人でしょう。人に嫌われたこととかないでしょ。兄弟喧嘩したこともなくって、おかあさんはすごくやさしくて、なーんでも思い通りになっちゃって。」と。

 しかし、この二人の「イノセンス」はあらかじめ踏みにじられている。友達と言いつつ葵は、自らがいじめに遭った経験から、誰とでも仲良くできる八方美人的な魚子(ナナコ)を、やがていじめの対象になるのではないかと読んでいて、その時、自分が巻き添えになるのを恐れて皆がいる前では決して彼女に声をかけない。二人はいつも学校から2、3離れた駅で待ち合わせしていて、そんな葵の打算を魚子(ナナコ)は軽く許している。だから二人が会っている時の、何処にでもいる女子高生同士のような会話やシーンは、踏みにじられながらも僅かに残った「イノセント」な部分をなんとか捻出し持ち寄った時間でもある。

 二人は何よりもこの「普通の」女子高生的な時間をかけがえなく思い、それをいつまでも持続させたくて夏休みにペンションでのバイトに出かける。そして一夏やり遂げた後の家へ帰ろうとする駅のホームで、突如、魚子(ナナコ)の「イノセンス」もまた大きく踏みにじられていたことが露呈する。「帰りたくない」とナナコは泣く。弾かれたように逃避行を始める二人。そして、やがてある事件が起きるー。

               ☆

 この小説の宣伝文句を見ると大体が「勝ち組」と「負け組」の女同士の間に友情は成立するか?といった類の紹介がされているが、これはそんな小説ではない。これは人が人に出会うということの切なさを描いた小説である。本当の出会いというのは人の内部を大きく変化させるが、同じ場所で同じものを見、束の間の幸福を過ごす少女達は、だが、互いが相手に変化をもたらす存在であることに気づかない。二人が起こしてしまう事件は互いの変化があるレベルで一致し共鳴した結果であり、その変化はそこで交差した後、どんどんと距離を伸ばし、やがて別れがくる。

 奇数章で小夜子が、葵がかつて世間を騒がした事件の当事者と知って、その後、相手の少女とはどうなったのかと質問すると、葵はおもしろおかしく語り、その後一度も会っていないと言って小夜子を失望させるが、しばらくして、小夜子は気づく。

 なぜそれきり会わなかったのか小夜子はふいに理解する。連絡しなかったのではない。子供だからすぐ忘れてしまったのではない。葵ももうひとりの女の子も、恐かったのだ。同じものを見ていたはずの相手が、違う場所にいると知ることが。それぞれ高校を出、別の場所にいき、まったく異なるものを見て、かわってしまったであろう相手に連絡をとることがこわかったー。(本書313Pから抜粋)。

 事件後、葵の父の計らいで印象的な再会を果たした後、葵とナナコは二度と会うことは無い。しかし、葵はその後もナナコという少女に出会った痕跡を自らの内に抱え生きていく。ナナコはどうだったのだろう?と私は思わずにいられないが、その後のナナコに関してはこの小説には一切触れられていない。ただ、偶数章の「アオちん」が奇数章の「葵」に生まれ変わるようなシーンとして、彼女が大学時代旅したラオスの路上での出来事が書かれているが、深読みすれば、その時、葵はナナコになったのだと私は思う。

 奇数章の最後、一度、葵の会社を辞めた小夜子がもう一度葵とやり直そうとする場面、雑然とした部屋を片付ける小夜子の目に唐突に飛び込んでくるナナコの丸文字の拙い手紙は残酷でもあり、美しくもある。

それは再現不能な過去の関係の遺物でもあれば、現在の葵の強さが、かつての親友となんとか持ち寄ったイノセンスの果てにあることの証でもあるからだ。

 かつてのナナコのような葵の亀裂を、かつての葵のような小夜子が覗いている。しかし、二人の出会いが互いにもたらした変化に共鳴しているのは、この場合、青臭いイノセンスではない。

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女性としての「島」、絆としての「手紙」

アルトゥーロの島/モンテ・フェルモの丘の家 (世界文学全集 1-12) Book アルトゥーロの島/モンテ・フェルモの丘の家 (世界文学全集 1-12)

著者:エルサ モランテ,ナタリア・ギンズブルグ
販売元:河出書房新社
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 1960年代にこの「アルトゥーロの島」が映画化された時、題は『禁じられた恋の島』というものだったらしい。私は映画は見ていませんが、題名からしてそれはこの小説のある部分を通俗的に解釈して膨らましたものだろうと察しが付きます。

 エルサ・モランテのこの小説は本を開くとまず、「この書物に登場する土地はどれも現実に地図上に存在するものであるが、ここではその土地を忠実に描写することは全く意図していない。土地の地理をはじめ、すべてが想像力の導くままに書かれている・・・・。」と断りがあって、舞台となるプロチダ島の細部は作家の全くの想像力の産物であることが明らかにされています。

 そして、この想像の島で作家が用意した物語は、誕生と同時に母を亡くし、旅がちな父に代わり恐ろしく無口な青年に育てられた、文字通りの野生児アルトゥーロの成長譚。でも私はこれを女性性というものが、少年が青年へ、大人へとなる過程にいかに働きかけるのかを描いた小説として読みました。

 上で“通俗的”という言葉を使いましたが、それはアルトゥーロと義母ヌンツァータの関係の事です。旅がちな父が突然連れ帰ったこのヌンツァータは義母と言ってもアルトゥーロより僅か2歳年上なだけの少女のような年頃で、父はそんな娶ったばかりのヌンツァータを島に置いたまま、また旅に出かけてしまいます。

 映画はこの年若い義母と楽園のような島で暮らすことになる少年、と言った部分を多分に描きこんだものだったと思われますが、原作はそう単純な話ではありません。

 第一、ヌンツァータの登場から暫くはアルトゥーロは彼女を憎んでいます。それまで父の寵愛を一身に受ける身であったのに、それを分け合わなければならない存在に対する憎しみですが、それは読んでいてヌンツァータが可哀相になるほどです。また無神論者の父子に対し、ヌンツァータは敬虔なカトリックの信者でもあって、それも「他者」に触れずに生きてきたアルトゥーロには奇異に映り、一々面白くありません。

 アルトゥーロがヌンツァータを女として意識し出すのが、彼女の出産に立ち会う時から始まるのはとても象徴的です。自分を生んだと同時に死んだ母と、幼少の頃、飼っていた愛犬の最後の時の様子を重ねて彼はうろたえますが、出産後、彼の彼女に対する気持ちが段々と変化していきます。

 そして、その後少しして、彼は生まれたばかりの赤ちゃんを抱き、キスするヌンツァータの母親としての態度とイメージに苦しみ始めます。それは「嫉妬」という苦しみです。母を知らないアルトゥーロは、ヌンツァータが赤ちゃんに日に何度もするキスに気も狂わんばかりになります。

 これほどたくさんのキスをすることがこの世にあり得るなんて、ぼくは知らなかった。ぼくはキスなど一度もしたことも、してもらったこともないというのに!<中略>はじめてのとき、ぼくは誰を選ぶだろうか。そしてぼくは、島で見る女たちとか父とか、あるいは将来の理想の友人などを思い浮かべてみるのだった。けれども、それらのキスは想像するだけでも、味気もなければ価値もないように思われた。それでもっとも素晴らしいキスを期待して、そのため一種の呪いのように、想像のなかでさえ、キスを受けるのを拒むことにした。人はキスのほんとうの幸福を知ることはできないのではないかと思われた、いちばん最初の、いちばん幸せで、いちばん甘美なキスを知らなかったら。母親のキスを知らなかったら。

 その後、自殺未遂のようなことがあり、ヌンツァータへのあてつけのように愛人をつくったりとありますが、ついには愛の告白と拒絶を経て、島を離れるに至ります。

 このヌンツァータとの関係と平行してもう一つ同様に語られるのは父との関係です。幼少期、旅がちな父を島で一人待ちながら、その想像の中で英雄と崇め、狂おしいほどに憧れていたアルトゥーロは、しかし、次第に父の実像を知るに至り、やがて永遠の別れを告げることになります。

 物語を通して父もヌンツァータも実はその人間性はほとんど変りません。アルトゥーロだけが変化していく。父やヌンツァータの変化はアルトゥーロの眼差しの変化であり、やはり、これは神話の構造を借りた成長譚と言うべきものでしょう。

 男は異性から生まれてくる。題は『アルトゥーロの島』。「島」とは母・異性のメタファーであり、その愛の葛藤を経験した青年が旅立つ物語。ラスト、ヌンツァータがアルトゥーロにとって、ありきたりな島の女としか映らないのは、良くあることですが、とても切ないです。

              ☆

 さて、次はナタリア・ギンズブルグの『モンテフィルモの丘の家』ですが、これは多数の人間が絶えず誰かに手紙を出していて、言わばその往復書簡をそのまま小説としている作品です。はじめは他人の手紙を盗み見しているような感覚で、誰が誰なのかも分かりませんが、読み進めるうちに、どうやら、ジョゼッペなる男とルクレツァなる女の暮らしぶりを軸とした話であることが分かってきます。

 ルクレツァには5人の子供がいて、ジョゼッペはかつての愛人、その中の子供の一人グラツァーノはジョゼッペの子だとルクレツァは思っていますが、ジョゼッペはそうは思っていない。彼はイタリアを離れアメリカに渡り、そこで兄の家に世話になりますが、兄の死後、兄嫁のアンヌと結婚し、またアンヌの娘シャルタンとも関係してしまうという、そんな男。

 一方、ルクレツァにはピエロという良く出来た旦那がいましたが、にも拘らず、違う男に恋し、身ごもり・・・・という女で、他にもたくさんの人物が縦横に手紙を出し合って、物語は意図せづして形作られていくといった趣向。これは作家として凄い力量だと思いました。

 学生の頃、私はアメリカのビートニクスたちにイカレていたのですが、一番憧れたのはそのコミュニケーションに対する熱意の部分で、アレンもジャックもニールも夥しい数の手紙をj書いており、本書を読んでそれをちょっと思い出しました。

 この小説の登場人物達は「家族」というものを重視しない代わりに、その友人同士がかえって擬似家族的で、そこに時代を感じます。

 かく言う私にも決して捨てられない手紙というのがあります。そこには過去の自分とその周辺の人間関係が書かれていて、何度読み返しても時を経るほどに客観的に面白いのですが、この『モンテフィルモの丘の家』は、正にその人間関係そのものが主役のような小説です。

 マテリアルとして在る手紙は、そう簡単に“消去”出来ません。携帯メールの今では想像できないかもしれませんが、それはかつて“絆”を形作る手段だったのです。 

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墓参り考

                                                                                「我が愛するエラここに眠る。感謝を捧げる。50年の幸福に。1893年7月7日永眠。・・・・ヘンリー・マクデビッド、エラに加わる。1893年9月11日。・・・・・奥さんの死後僅か2ヶ月よ。」

「うんと愛してたんだ。」

「50年の幸福。50年って長いわね。」

「休暇をのけて150学期だ。」

「愛し続ける?・・・・・ムリだわ。」

「愛し続ける。もう一週間愛してるよ。」

              映画『小さな恋のメロディー』より 

 

 今日は埼玉県の岩槻に妻の両親の墓参りに行った。子供達は部活等で来れず、妻と二人だけ。このお墓は私達が結婚してすぐの一番大きな買い物でもあったので、変な話、思い入れも深い。

 とても不謹慎だが、墓参りに来る度、私は墓地にあるそれぞれの墓誌に刻まれた没年月日と年齢、家族構成などを見て色々と想像する癖がある。連れ合いに先立たれた後、すぐに亡くなった人、子供、もの凄く長寿な人・・・と、そこには日付と年齢しか書かれていないのに様々な物語が秘められているような気がして、想像力をくすぐられずにおれない。

 また最近は墓も色々で、宗派のお題目の代わりに死者が好きだった言葉や詩などが彫られているものもあり、見るほどに興味深い。

 以前、100年カレンダーというものがあって、そこの何処かの日付が自分の死ぬ日だと思って精神がおかしくなる人の話を聞いたことがあるが、確かに私たちは誰もが、生前たとえどんな人生を送ったとしても、いつかこの日付と年齢だけの記号のような存在になる。その時、単独では後世の人に語りかけることなど何も無い。

 私は自分の死後、どのようにして欲しいなどという希望は全く無い。それは残された人間達の問題である。唯一、葬式にUA&菊池成孔の『Over the rainbow』をかけて欲しいと妻に言うと、「私、あれ嫌い」と、昨日、あっさり断られた。

 墓参りに来て墓を掃除し、花を手向けると妙に心が落ち着くのは、そこで自分もいずれ死に行く有限の存在だと確認し、死者を介して今生きている事実に手を合わせているような気になるからではないか。

 それは感謝の気持ちに似ていて、今日は何故かポジティブな気持ちでさえあった。

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自転車で銀ブラ

Photo_3  King of Rockn'Rollが死んだ翌日の東京、ゴールデン・ウィーク本番の今日、旅行、帰省などの民族大移動のためか通りは普段より閑散とした印象だった。今年は子供の部活などの都合があり、また実家では弟嫁が出産真近ということもあって、今回はいわきには帰らず東京にいることにした。

 東京に出てきてかれこれ四半世紀になるが、毎年なんだかんだでこのゴールデン・ウィークと盆暮れは実家にいるのが常だったので、こういった時期の東京は私の目には非常に新鮮に映る。

とは言え、休み初日の昨日は部屋の片付けと昼間からのビール、それと読書三昧でゴロゴロしてしまい、そして夜中に清志郎逝去のニュースでノスタルジーずぶずぶになるという一日だった。きっと彼の場合もこれからマスコミによって着々と伝説化・神話化が進められ、今はまだほのかに感じられる実在感が、これから無残に形骸化されてくのだろうと思うと今から辛い。

 で、そんな休み2日目、ただ家にいる手はないと、今日は妻と自転車で“銀ブラ”と決め込むことにした。私の仕事の虎ノ門の現場事務所に車を止め、そこに何台かある会社の自転車にまたがって新橋、虎ノ門、銀座界隈を二人で走り回わろうということになった。

 一番の目的は東京国立近代美術館フィルム・センターで、『紅葉狩』を見ること。今日上映予定のこの歌舞伎の演目『紅葉狩』を映したフィルムは、日本人が撮影した現存する最古の映像ということで、この3月、国の重要指定文化財に指定されたというもの。撮影されたのは1899年。出演は劇聖と謳われた九代目市川団十郎と五代目尾上菊五郎、尾上丑之助(六代目尾上菊五郎)である。

 上映開始予定はPM4:00。それまでは何の予定も無いので、何処に行くでもなくフラフラ走り回るつもりでいたが、それも疲れると言うのでまず向かったのは増上寺。いつも前だけならそれこそ日に何度も通り過ぎるのだが、ちゃんと入ったことはなくて、それで行ってみた。

 香の煙を浴び、賽銭を投げて手を合わせる。中に入ると正面に金色の仏像。ここの仏様はとてもいい顔をしていて思わず見蕩れてしまう。見ているだけで煩悩が洗い流されるようで思わず長居する。デジカメで撮ってしまいそうになるがバチがあたりそうな気がしてさすがにそれは止める。寺務所に置かれたチラシを見ると今月30日にここで薪能が行なわれるらしくて一番安い席で3000円とのこと。去年の歌舞伎から始まり、最近つとに古典芸能づいている私は能にも興味があって、ちょっと心惹かれる。演目には今日フィルムで見る予定の『紅葉狩』もあり。

 

昆虫4億年の旅 昆虫4億年の旅

著者:今森 光彦
販売元:新潮社
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 その後、銀座のニコンサロンに行き、森光彦写真展『昆虫4億年の旅』を見る。虫嫌いの妻は一々ギャーギャー喚く。特に蝶の羽根の模様がダメだそうで、そうかな、私はとても美しく見えるけど。しかし、その割に一枚一枚を食い入るように眺めていて、結構楽しんでいる模様。私は金子みすずの詩『はちと神様』を思い出す。

 365_2

2:00頃、歌舞伎座の前へ。昨日の新聞に現在の歌舞伎座が修復の為、取り壊されるまでの残り日数を表示するカウントダウンのボードが設置されたとあって見に行く。“363”と表示板にはあって、そう数字で示されると、何か切迫感があるが、まあ良い。数日後、私はここで現在の海老蔵と12代目団十郎を見る予定。

 東京国立近代美術館フィルム・センターには2:30頃到着。しかし、早すぎで開場は3:30とか。まだ1時間あるので、その間、食事でもしようということになって、またまた自転車で走り出す。が、何処もかしこも閉店中。看板を見ると安くて美味そうな店がいっぱいあるのに。八丁堀辺りを走っていると、中華料理屋の店先でその店の家族がテーブルを外に出して皆でバーベキューをしていて、思わず混ぜてもらいたくなる。いいなあ、こういうの。だが結局、入ったのは普通の定食屋で自分、サバの塩焼き定食、妻、しょうが焼き定食。ごはんおかわり自由で二人とも満腹。

 で、いよいよ4:00。『紅葉狩』を見る。九代目団十郎は写真で見たことがあってその印象は馬面。なので荒れた映像の中、女形姿でもすぐに分かった。舞踊の途中、九代目は扇子を落とすが、現在ならカットか撮り直しというところを続行。当時はフィルムが高価だったからだろうか?後世にこういう姿が残ってしまって九代目がやや気の毒だが、だからこそ貴重ってこともあるか。その他、このフィルムで記憶に残るのは丑之助、後の6代目菊五郎の“風の神”。印象として姿勢の良い、基本に忠実な演技をする人だったんじゃないかと思った。この少年が後年J・コクトーに“司祭”と称される人になるのかと、思わず目を見張る。

                   ☆ 

 夕方、妻と二人、自転車で事務所に引き返す時の鼻歌はRCの『すべてはAll right』。その時、突如、私は歌舞伎を見る前から歌舞伎をやっている人を知っていたと思い至り、それが清志郎。

 彼は普段は繊細な人なのに、ステージでは常に確信犯的に時代に対してかぶいていた。放送禁止、発売中止、放送事故。権威を恐れない反骨の人。そして、“愛”と言う言葉を使わずにとてもリアルなラブ・ソングを書いた人だ。

 私が好きな2曲は『君が僕を知ってる』と『アイディア』・・・・・・・・・・です。

 夜、帰宅すると、息子と娘がカレーを作って待っていた。とても美味しかった。

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さよなら清志郎

 もう寝ようと思っていたところにこのニュース。忌野清志郎氏死去。ご冥福をお祈りいたします。合掌。

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