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梅雨のオペラ鑑賞~レナード・バーンスタイン『ウエストサイド・ストーリー“メイキング・レコーディング”』

137  実は先月から妻とオペラを見るようになった。

 とは言っても本物のオペラはチケットが高いし、第一何を見て良いのか、全然知識もない。が、ある日、家の前の公園の掲示板に地域のある団体が“映像による音楽”と題してオペラの舞台のフィルム上映会を催しているポスターを見つけた。

 私の住むH市の音楽連盟の会長M氏の解説が初めにあって、日本語字幕つき。第一回の前回はプッチーニの『ラ・ボエーム』で、その素晴らしさに夫婦共に感動し、それで毎回行こうと言うことになった。会場は我が家から歩いて5~6分の新しく出来たばかりのH山交流センター大ホールで、何しろ無料と言うのが良い。

 で、本日も朝食を食べ、少ししてから雨の中、傘をさして出かけたのだが、本日の上映予定はレナード・バーンスタインの『ウエストサイド・ストーリー“メイキング・レコーディング”』というもの。

 1957年ブロード・ウェイ・ミュージカルとして大ヒットし、また映画としても今や不朽の名作である同作だが、今日のこれは作曲者バーンスタイン自身が指揮し、本格的なオペラ歌手を擁してレコーディングしようとした1984年の歴史的セッションを記録した映像。

私と妻はてっきり映画のメイキングだと思って、ジョージ・チャキリスのように足が上がるか?など二人で馬鹿なことをしながら「え、ウエストサイド・ストーリーってオペラなの?」とか言って、何にも分からないまま家を出た。

会場は前回の『ラ・ボエーム』の時と同様、年配の方ばかりで、多分、私と妻が一番年少だった。そしてこれも前回と同様に皆さんお洒落な方達ばかりで、私と妻が中で一番がさつ者な感じだった。

bそれで解説の後、本編が始って5分と経たない内に私達夫婦は顔を見合わせた。見る内になんだか凄いものを見せられていることに二人とも気づいたから。それはまるで宇宙の創造に立ち会っているかのような映像で、もちろん、この場合、創造する神はバーンスタインだが、このおっさん、とんでもなくカッコ良かった。

 この頃のバーンスタインはすでに見るからに爺さんだが、ニューヨーク・マフィアのボス風の彼はエネルギッシュで、機知にとみ、時に残酷で優雅、女性ならずともセクシーの一言。その彼が自ら書いた名曲の数々に、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったオペラ歌手達を導きながら新たな命を吹き込もうとする様は圧巻で、後半フォセ・カレーラスが『マリア』のOKテイクを歌い終えた瞬間は、私は不覚にも涙が出そうになった。

 

Westsidestoryby_at6zc8ubskwx_full37  映画『ウエスト・サイドストーリー』を見たことが無いという人も今は多いと思うので簡単にあらすじを説明すると、対立する二つの不良グループの一方に属する青年トニーと、もう一方のグループに属する青年の妹マリアが恋に落ちるというもので、言わば50年代のアメリカ版『ロミオとジュリエット』と言ったところ。このレコーディングではトニーを若きフォセ・カレーラスが、マリアをニュージーランド出身でマオリの血をひくキリ・テ・カナワが担当している。キリについてのバーンスタイ談。

キリの歌うマリア、というのは一つの夢だった。マリアはプエルト・リコ人の女の子だが、キリの声には暗さがあるだろう。マオリの血をひいているからね。これはとても感動的で、はまり役だと思う。それに高音で、女の子らしい、リリカルな響きがほしい時にもほんとうにそのとおりの声を出している。」(『ウエストサイド・ストーリー“メイキング・レコーディング”』レーザーディスク解説より)

私がこの映像を見て一番に感じたことは、歌手、演奏者、全ての人々が、皆この『ウエスト・サイド・ストーリー』の音楽を愛しているということ。上述したキリや、フォセ・カレーラスはじめ、これに関る多くが映画『ウエスト・サイド・ストーリー』にリアルタイムに触れた世代でもあって、例えばキリは青春時代、あるピアニストと許されない恋をしていて、彼の伴奏でそれらの歌を歌った、だからマリアの気持ちになれる・・というようなことをインタヴューで明かしていた。

 そして、この物語を歌い上げるのに一番苦労して見えたのは、今や世界三大テノールの一人として押しも押されぬ大家になった若き日のフォセ・カレーラス。スペイン人の彼には発音の上で、とても難しい面があるらしくて、バーンスタインに何度もダメだしされる彼は痛々しくさえあった。そして、その彼に「譜面を見ているから間違えるんだ!俺を見ていろ!」と言い、口伝に歌のテンポを教えようとするバーンスタイン・・・・うーーん、すげえ・・・。

 この上映会は毎回レーザー・ディスクで見ているようなので、今日、終了と同時にM会長にこの作品がDVD化されているか?と聞いたら、もちろんある、と仰っていたので早速、ネットで探したらあった。勢いYouTubeも見たらUPされていたのでその一端だけでもと思い貼り付けておきます。

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梅雨のオペラ・グラス

Photo_2  子供の頃、父に初めてグローブを買ってもらった時、抱いて寝た覚えがある。少年野球のチームでレギュラーになり背番号入りのユニホームが支給された時も確かそれを着て寝た。そして初めて病院から息子&娘が来た日も、初めて嫁が来た日も、初めての彼女が初めてのお泊りに来た日も、それぞれをそれぞれの状況で抱いて寝た・・・・と、何の話か分からんようになってしまいましたが、かように私は昔から欲しいモノが手には行った時は必ず体で喜びを表現する奴でして、で、現在、今回はどう表現?しようかと思案しているところ。

 手に入ったのはオペラ・グラスと財布。明日、第三日曜日は「父の日」ということで、今日、一日早いが妻からはオペラ・グラスを、娘から財布をプレゼントされました。嬉しい。目は快楽の器官、と言ったのは写真家藤原新也ですが、私も本当にモノを“見る”のが好きな性質(たち)でして、最近は、野球や歌舞伎にはしょっちゅう行くし、時々、野鳥観察のようなこともしますので、ちょっと程度の良いオペラ・グラスが欲しいなあ・・・と、常々思っていて、以前、何かの折にそう言ったのを妻は覚えていてくれたようです。そして娘は財布。私の仕事は現場仕事なのであんまり良いものを持っていても仕方が無いと思っていましたが、今使っているやつがあんまりボロいので買ってくれたのでしょう。

 このオペラ・グラスはJOYFUL M21×21(ジョイフルM7~21倍21mm)というやつでなかなかの優れものです。私の部屋の窓からやや遠くには陸橋があるのですが、さっき何気にこれを覗くと、運転手の顔がいきなり至近に見えて驚きました。面白くて色々な倍率でキョロキョロ周囲を見回していると、「あんまり、見ているとのぞきに間違われるから止めなさい。」と娘に注意されてしまいました。

 これで真っ先に何を見たいかと言うと、やはり歌舞伎でしょうな。老眼鏡こそかけるようになったものの、遠くは全然大丈夫なので私は未だに幕見席の住人ですが、やはり役者の微妙な表情などはでかく見たいものです。それと鳥。去年度まで私が仕事場にしていた事務所は窓の外が空き地になっていて、落ちた草の実を食べに雀やらセキレイやらツグミやらがやって来て、それを皆で見ていたのですが、以来、家の近所にどんな鳥が飛来してくるのか気になるようになってしまいました。

 昔、男子なら誰でも戦争映画などで主人公が戦車から顔を出して双眼鏡を覗くシーンなんかを、ちょっとカッコいいと思ったことがあると思うんですが、これにストラップをつけて胸の前に下げているとやはり気分がでます。ただ難を言えば、とっさに覗いた時、まだどっちが覗き窓か分からなくて、逆さに見て、それで近くのものがすごーーーーく、遠くに見えてしまう時があることです。

でも、今気づいた、そうか、嫌な奴が来た時はそう使えば良いのか・・と、怒るだろうな、やっぱ(笑)。

とにかく・・・・ありがとう!妻&娘! 

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蜜蜂はどこへ (COLONY COLLAPSE DISORDER)

 

消えた蜜蜂はどこへ?

それは花の中へ 
密やかな花弁の奥の
手招く
夏の迷宮の中へ

花の色に酔い
花の蜜に溺れ

嵐の後
朝の舗道に落ちた花々の種は
嬉々とした
蜜蜂たちの

見ろ
飛ぶのに飽いて 
転生し
街路に咲く

美しき蜜蜂の群れをー

 

 世界的な規模で蜜蜂がいなくなる現象を、以前、このブログでも取り上げましたが、その頃はまだ一部の人しかこれを話題していませんでした。この問題、数日前の新聞で大きく取り上げられていましたが、原因は諸説考えられるものの、正確にはまだ分かっていないとのことです。

ただこれを人間が自然界のシステムを破壊して何かが狂ったため・・・というような考え方ははっきり言って嫌いです。過去にもこの現象はあったとの報告もあり、もっと違う面からの考察も必要でしょう。

一番、不思議なのは蜜蜂が大量に消えているのに死骸は全く見つからないということ。それで思いついたのが上の詩。

絶対そうだ、そうとしか考えられない・・・・・・(笑)。

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12度目の歌舞伎~女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)

Photo_7 『廓文章~吉田屋』、『曽根崎心中』、『毛剃』、と先月まで3本立て続けに近松ものを見た私ですが、もう一丁いったれっ!てことで本日も見てきた。歌舞伎座さよなら公演、六月大歌舞伎昼の部4幕目『女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)』。

これはむかーしテレビで見たことがあって(ビデオか?)、主人公の与兵衛を松田優作が、お吉を小川知子が演じていた。で、その頃は近松とか浄瑠璃とか歌舞伎とか、なんも分からず、ただ恐ろしく暗い、救いようの無い話だなと思いつつ見ていたが、最後の殺しの場、油の中でのたうちながら優作が小川知子をを殺すシーンの尋常じゃない緊張感と凄惨さが印象に残って、それで覚えていた。と、言うより歌舞伎を見るようになって、ガイドブックのようなものでこの演目の名とあらすじ紹介を読んで、「ああ、あれのことかあ・・・」と逆にそのドラマが『女殺し~』だったと知った次第。

                                     ☆ 

近松はルポタージュ劇、『曽根崎心中』、『毛剃』を例に取るまでも無く、実際の事件を題材にして物語をつくる天才なので、きっとこの『女殺し~』も題材とした事件があったと思うのだが、その辺の詳細はこのお芝居の場合分かっていない。しかし、想像するに、これは特定の一つの事件と言うのじゃなく、きっとその頃の世相のエッセンスを凝縮して書かれたものなのじゃないだろうか。2009年の現在、嫌な事件が多くて、世も末だ・・・と皆が思うように、江戸のこの頃も甘やかされて育ち、自分の欲望に歯止めが効かなくなった輩が横行し、嫌な事件が一杯あったのだと思う。そう考えると、今、世の中がどんどん悪くなっているような気分が巷にあるが、人間は江戸の頃とあまり変っていないとも言える。

で、今回の与兵衛は仁左衛門だが、よほど私は彼に縁があるのか、歌舞伎座に通うようになって約半年、何も意識しているわけではないのに、見たい!と思って出かけていく芝居の重要な役どころに必ず仁左衛門が出ている気がする。考えてみれば何も分からず初めて歌舞伎を見た時の『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』の薩摩源五兵衛役も仁左衛門だった。

Photo_9  この『女殺し~』の与兵衛は初演の昭和39年の、孝夫時代からの仁左衛門の“当たり役”ということで、何度も演じられてきたものらしいが、今回は“一世一代”と銘打たれていて、つまり一生の仕納めということ。なんでもこの役には芸の上での若さと言うのではなしに、生の若さが必要だとのことで封印していたところ、“歌舞伎座さよなら公演に是非と請われ、今回を最後にということで引き受けたとか。

それで、その与兵衛ぶりだが、上方のボンボン風でありながら切れやすく、それでいてクールで何を考えているのか分からない悪役・・・見た目にもダンディで冷徹な雰囲気のある彼にはまさにはまり役だった。殺しの場、初めお吉を殺すのをためらっているが、二人で油にまみれ、逃げつ追いつして、すべり、転びしているうち、サディスティックな気分に目覚め、お吉の帯を解き、段々と殺すのを楽しんでいるようになっていくところ。そして、殺し終わって正気に戻り、自分がしでかした事に驚愕し、恐れ慄く様。その辺の心理描写の演じ分けはもうただただ目を見張るばかりで、さすがと言う外なかった。クールで気の小さいサディスト、これぞ仁左衛門の真骨頂という気がした。

実は今日、本当は娘とこれを見に行く筈だった。一度、歌舞伎を生で見たいと言うもので。でもねえ、生まれて初めて見る歌舞伎が『女殺し~』っていうのもどんなもんだろうかと思い、連れて行くのを止めた。もっと楽しくて、華やかなものを最初は見せてあげたい。父親としてはやはり。本人はテレビのサスペンス劇場で殺人シーンとか一杯見てるから大丈夫とか言っていたけど。

仁左衛門の与兵衛の他は、父徳兵衛に歌六、母おさわに秀太郎、お吉に孝太郎。仁左衛門の至芸に体当たりの孝太郎のお吉もとても良かった。

 情けは人のためならずって、複雑な家庭環境で、そして愛情も過ぎるととてつもないモンスターを育ててしまうという、江戸時代に書かれたというのに、これはなんてモダンなテーマな芝居なのだろう。

               ☆           

中学の娘に初めて見せるにはためらうが、その他の歌舞伎ファンの皆さん、これは絶対、見た方が良いですよ。だって、この殺しの場、凄いんだから。凄惨なのになんか美しい。それに孝太郎のお吉も色っぽいんだから。

それで、仁左サマの与兵衛・・・・これで見納めなんだから。

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