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13度目の歌舞伎~夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)

Photo_2  毎日、暑い。皆さん、暑中お見舞い申し上げます。

世間の子供達は皆、夏休みに突入。我が家の前の公園では夜な夜、家族連れが花火に興じていて、それを見ているこちらもビールに枝豆、その上、昨日は土用ということで鰻(うなぎ)でも食そうというからには、俄然、夏気分も高まってくるというもの。これで祭りのお囃子でも聞こえてくれば言うことなしだが、まあ、こちらの気分に合せて出る山車(だし)なんぞあるわけもなし、だからと言って風鈴の音だけと言うのも妙に淋しい。

それでこの降って沸いた夏気分、どう埋あわせようかと考えて、出かけてきたのが銀座・歌舞伎座、7月大歌舞伎夜の部の一幕、『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』。

                  ☆ 

さて、このお芝居、以前テレビで“ヤクザ映画、任侠映画の原点”のような紹介のされ方をしていたが、そのストーリーはと言うと・・・・・・。

 つまらん喧嘩がもとで牢に入っていた魚屋団七。とある武士の計らいで無事放免と相成り、恩義を感じた彼はその武士の息子である磯之丞(いそのじょう)と恋人の遊女琴浦の力になろうと心に決める。ひょんなことから団七は琴浦に横恋慕する男大鳥から彼女をかくまうが、金銭欲の塊のような舅義平次が金に転んで敵方につき、彼女を連れ去ってしまう。結局、団七は追跡し彼女を取り戻すが、その過程でついには舅義平次を殺してしまう・・・というもの。

 昨夜は団七に海老蔵、一寸徳兵衛に獅童、釣舟三婦に猿弥、団七女房お梶に笑三郎、徳兵衛女房お辰に勘太郎、三婦女房に右之助、磯之丞に笑也、琴浦に春猿。

 前回見た『女殺し~』で仁左衛門は「この与兵衛と言う役は“生”の若さが必要・・・。」と言って仕納めにしたと聞きくが、さて、この団七九郎兵衛はどうなのだろう。それに一寸徳兵衛は。

 “若さ”という点では海老蔵も獅童も申し分ないが、この“若さ”、“爽やかさ”が・・・・私が期待していたこの芝居の雰囲気とちょっとかち合うところがあった。私はもっとこってりした上方歌舞伎を想像していたのだが、上の二人+勘太郎等は生粋の江戸前役者。関西弁がこなれてなくて、そのせいか芝居にスケール感が出ず小粒に見える場面もあった。そして、それぞれが切る見得も中途半端なところがあって、大向こうがタイミングが取れず掛け声が不発に終わるところも・・・・・。まあ、難しいのだろうな、東京もんにとって関西弁は。

 思うに私が今まで見た芝居は菊五郎、勘三郎、仁左衛門、吉衛門、団十郎、幸四郎などなどが中心で、今回のような世代が中心でやる芝居を見るのは初めて。で、余計感じたのだが、歌舞伎ってオジサマ方のそれこそこってりとした大人の色気を原動力に成り立っているジャンルなのか。この『夏祭浪花鑑』の、私が期待していた“こってり感”が無かった、と言うのは実は上方ー江戸前の違いなどではなくて、この“色気”の有無ってことなのかもしれない。

                   ☆

 さて、くさしてばかりいるようだが、もちろん、若手には若手の魅力があって、見所も一杯あった。特に勘太郎演じるお辰。磯之丞を一度預かるとなったところ、“若い女に若い男を預けるなんて・・・・それに、お前の顔には色気がありすぎる・・”と釣舟三婦に言われた途端、焼けた鉄弓を自らの顔に押し付けるところ。その後、花道を去りながら“そんな顔になって、徳兵衛さんに嫌われはしないかえ?”と聞かれると「コチの人が好くのは(指で顔を指しながら)ここじゃありまへん、ここ(胸元をポンと叩いて)でござんす!」と言い放つ例の場面。これは以前テレビで、父勘三郎が演じるのを見たが、勘太郎のそれは全然違って、おお、これはこれでなかなか決まっていた。

 そしてもちろん海老蔵。最後「長町裏」の義平次殺しは圧巻だった。『女殺し~』での仁左衛門の芸術的とさえ思える殺しの場に比べれば、まだまだ大味な感じがするものの、本水あり、本泥あり、舞いとも思える様式美と写実性が渾然一体となっていて、見ごたえ十分。  

 ただでさえ苛苛する蒸し暑い夏の夜。義平次を殺した刀を鞘に納めようにも手が震えて納まらず、鍔が二つ着いた鳴り鍔がかちゃかちゃかちゃかちゃ、延々と響く祭のお囃子と重なってその効果が凄かった。

 で、最後に春猿。私は今回初めてこの市川春猿という人を生で見た。で、今風の女子高生じゃないが、やばいよお、やばい・・という言葉しか出てこない。ホント、やばい。

                   ☆

昨夜のはとても若い『夏祭浪花鑑』。見た後は、多分、今回の狙い通り、清清しくってそれはそれで良かった。終幕後、歌舞伎座の外に出ると何やら人々が空を指差しながら騒いでいる。ついにUFOでも飛来したかと思い、目を上げると濃くハッキリとした虹!。もう、ホント、最後まで爽やかだった。

PS 欲しかったこってり感は、その後、鰻を食って埋め合わせた。

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古い電車


古い電車の写真パネルを
見つめる少年
君、あれは未来の乗り物じゃあない
あれは
君のお父さんやお爺ちゃん 
そのまたお父さんを
毎日毎日乗せた電車だ

その写真の中のレールに沿って
古い電車の旅に出れば
君は見たことの無い風景に
出会うだろう

デパートの催し物会場の
<平成>から
鉄橋を渡り
<昭和>へ
そして 
トンネルをくぐり
<大正>へと

君がいる街の昔を写した写真の中に
変わった部分と
変らない部分
どれだけあるか探してみな

そして 人々の想いも
 
終点まで行ったら 
また折り返してきて1と駅づつ
今に戻ってくればいい

もし元いた駅を通り越してしまったら


そこが未来だ      

 

 これは息子がまだずっと小さかった時、聖蹟桜ヶ丘のデパートで催された“鉄道の日記念写真パネル展”車両の変遷に見る京王電鉄の歴史”を見に行った、その会場でできた詩。小さい息子は熱心でいつまでも会場を離れようとせず、暇を持て余した私は会場のアンケート用紙に、用意されていたペンでこの詩を書いた。

 

Photo_3 今日、とある駅のホームに立っていると、現在、鉄道博物館で開催されている『第2回時刻表展』のポスターが貼ってあるのを見つけた。最近は鉄道マニアの人を“鉄ちゃん”と称してお笑いの対象にしてしまう風潮もあるが、私はこの時刻表を偏愛する人々を昔から素敵な人々だと思っていた。

お金がある人と言うのはだいたいにおいて時間が無いし、時間だけはたっぷりあるという人は大方お金が無い。私のように貧乏暇なしなのは言わずもがなで、そんな時、この時刻表で“幻想旅行”に出ると言うのはなかなか豊かな時間という気がする。

きっと古い時刻表には今はもうない路線の、今はもうない駅の名前が記されているはずで、この旅行ではそんな風に時空間を行き来することも自在な筈だ。

今、一番したい旅は 私の場合、駅弁を食べながらの鈍行列車による一人旅である。

 ところで、昔の時刻表、当時どんな駅弁があったのかも分かるだろうか(笑)。

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“ジョン・ナッシュ型”競馬

Photo_2  もう先週の話になるが、私は生まれて初めて競馬をやった。第50回宝塚記念。

 この歳で“初めて”というのが嬉しいが、キッカケは私が責任者を務める現場に競馬ファンが多く、休憩時間の彼らの話を聞いているうちに興味を覚えたからだ。

 ある日、自分で競馬専門のブログまで立ち上げているというM君に挨拶がてら、「今度、俺にも競馬教えてよ。」と言うと、「何を言っているんですか!ナヴィ村さんの班にはIさんという“競馬の神様”がいるじゃないですか!」なる答えが帰ってきた。

 私の仕事は現場作業で大体80人弱の人間が五つの班に分かれて仕事に従事する。私は全体の責任者でありながら自分でも1班持っていて、その“神様”は私の班の班長さんだ。

 北野武が父菊次郎を評して「毎日判で押したような暮らしぶりで、仕事帰りに行く飲み屋も、飲む酒も、頼む肴もみんな決まっていた・・・。」と、以前テレビで言っていたが、彼もそんなタイプ。

 下町育ちの江戸っ子で無口。毎朝、私が車で仕事場に向かうと、必ず某通りの某カフェのテラスに座りスポーツ新聞を広げており、そして新聞をたたむ時間も、そこを立ち去る時間も決まっている(多分)。つまり、昔はそこかしこに良くいた頑固者で、今の若い人にはただただ変人としてしか映らないようだが、私はその人柄に密かに愛着を感じている。数ある作業員さんの中で私が唯一年賀状を出したのは彼だけである。

 そして、その“神様”に「競馬、いつもどういう風に買っているんですか?」と、聞くとある奇妙な返事が帰ってきた。

                 ☆

 ちなみに私同様、競馬をやったことの無い人に説明しておくと、馬券の買い方は幾通りかあり、例えば1着だけを当てるのを“単勝”、1-2-3着の馬を当てるのを“3連単”、選んだ馬が3着までに入っていれば良い“複勝”、順番はどうでも1~3着を当てれば良い“3連複”などなどがある。

 私はそのことを聞いたつもりだったのだが、“神様”は私が「どの馬がくると思うか?」と聞いたのだと思ったらしく「競馬中継って8チャンネルでやるんですけどネ、今週から8チャンの×時からやるニュースのお姉さんが○△×さんから○□さんに変ったでしょ、それで8チャンがスポンサーの映画が今週から封切りになるんですけど、その映画の題名が『×××』、ちなみにうんちゃら通りとかんちゃら通りの角にあるビルの広告がソニーのだれそれからキリンのだれそれに変ったんですが、その二人の頭文字を並べると・・・ほうら、もう分かったでしょう?」と言って、ニヤリと笑った。分かんねえよ、そんなもん・・・・絶句。

 それで、その思いつきによっぽど自信があったのか、なんと、昼休み、神様は“当たり”を取るのを前提に以前から欲しかったというCDコンポまで買ってきてしまった。あわあわあわ・・・。

               ☆                    

・・・と、以下、私の周囲の人達の競馬のやりかたを私なりにタイプ別にすると、大きく3つに分かれる(ような気がします)。

 1 学究型・・・血統や過去のデータを綿密に調べ、勝ち馬を割り出していくタイプ。

 2 グレート・マザー型・・・好きな馬をわが子を愛する母のように応援し、そこからバリエーションするタイプ。

 3 ジョン・ナッシュ型・・・日常のあらゆる変化に目を配り、そこに“サイン”を読み取るタイプ。神様はこれ。

               ☆ 

 ジョン・ナッシュとは映画『ビューティフル・マインド』で有名な実在の天才数学者である。精神にある病を抱えていてタイム誌の記事のアルファベットの配列に旧ソ連の対米核戦略の暗号が隠されているとの妄想を抱き、長年その解読に務めたジョン・ナッシュ。上の3の人の競馬のやり方とはまるっきりそれと同じで、良く言えば“インスピレーション”、悪く言えば単なる“妄想”である。で、初めて競馬をやるに際し、色々考えた挙句、私はこの“ジョン・ナッシュ型”でいくことに決めた。

 宝塚記念当日、朝、私にはすでに心に決めた馬がおり、立川のWINSに馬券を買いに行こうと玄関で靴を履いていると、背後に妻。「何処に行くの?」と聞くので、馬券を買いに行くと言うと、突然、嬉々として、「やっと、あなたも競馬をやってくれる気になったか。」と言った。職人の娘で川口出身の彼女は競艇や競馬をやっている大人に囲まれて育ったらしく、抵抗はないらしい。それどころか新聞を見せながら私が買おうと思っている馬を告げると、しばらく新聞を睨んだ後、「あなた、マイケルが死んだことをどう思っているの?」と、一言言った。

 そう、この日の前日、あのマイケル・ジャクソンが死んだのだった。その事実を、そのサインを、その天の配剤を、あなたはどう読み取り、このレースにどう反映させるのか?妻は私にそう問いかけたのであった。あああ、ここにもいたジョン・ナッシュ・・・。

 それで買ったのが単勝マイネルキッツと、1-マイネルキッツ 2ーディープ・スカイ 3-サクラメガワンダーの3連単。マイケル=マイネル・・・・・ちょっと苦しいけどなあ。

 テレビ中継は娘と見た。娘には以前「競馬でもパチンコでも麻雀でもギャンブルと名の付くものをちょっとでもやったら別れる。」と言われていて(本当にこう言われたんです。)、怒るかな、と思ったら一緒に見てくれた。で、結果は?と言うと・・・・・ま、言わずもがな、でしたが、高い額を買ったわけではないので単純に遊びとして面白かった。

              ☆

 翌日、仕事場にいくと神様が当たり馬券のコピーを見せながら「ね?」と、一言言った。またまた絶句。で、こんなわけの分からん世界、今回限りにしようと思っていたら昨日、神様が私に近づいてきて「今週の函館、××ですよ。」と、ある馬の名前を囁いた。理由は?と聞くと「今週、だれそれが死んで、その人が北海道生まれでそしてこの馬に乗る騎手の名前が同じでその人の年齢が○歳で、どこどこのスーパーの・・・・・・」

 うーーーーん、神様、難しすぎて私のような凡人には分からん・・・・です w(゚o゚)w。

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