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14度目の歌舞伎~六歌仙容彩(ろっかせんすがたのいろどり)

 歌舞伎座さよなら公演八月納涼大歌舞伎。歌舞伎座のこの八月の夏芝居は平成2年に始まり今年20年目とのこと。しかし、江戸の頃も暑くて芝居小屋から客足が遠のくこの時期は怪談ものや“本水”を使った大掛かりな舞台装置を屈指した芝居をかけるのが通例だったと聞きくから、“20年目”とは言え、それは本来の歌舞伎の伝統に戻った、ということなのかもしれない。

今回も演目に『真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)』や『怪談乳房榎(かいだんちぶさのえのき)』と、納涼歌舞伎らしく怪談ものがあるが、私はあえてこれにした。『六歌仙容彩(ろっかせんすがたのいろどり)』。短い舞踊の幾つかを組み合わせて一人の踊り手が何役も踊る、いわゆる“変化舞踊”というやつです。踊るのは坂東三津五郎。去年12月、『京鹿子娘道成寺』の名演で私の舞踊好きに火をつけたニクイお方。

                 ☆

ところで皆、“六歌仙”ってすぐに言えるだろうか?『古今和歌集』の序文に紀貫之が平安初期を代表する歌人として6人の名を挙げたところからそういうことになったらしいが、小野小町、僧正遍照、文屋康秀、在原業平、喜撰法師、大伴黒主、の、この6人。

『六歌仙~』はこのそれぞれの色恋を舞踊仕立てにしたもので、六人のうちの小野小町を除く5人を三津五郎が演じる。小町には福助、喜撰法師の相手、お茶屋のお梶には勘三郎。で、“色恋”と一口に言っても様々あるわけで、以下、この“六歌仙”の恋のパターンと、舞踊には関係無いが、せっかくなのでそれぞれの歌を見ていこう。

                  ☆    

1・僧正遍照・・・・・・まあ、“老いらくの恋”ってやつ。遍照は同じ歌仙の一人小野小町に恋をして一目会いたさにやってくる。もう、仏罰も覚悟の上だ。この演目、ゆるーいところから入ってくるなあ、という感じだが、小町に会った途端、心奪われ口説きにかかる僧正遍照。しかし、結局はそれでは仏の道に外れると小町に諭される。実際に二人にはこんな歌のやりとりがある。小野小町が石上という寺に来て遍照がいると聞いて歌った歌。

小野小町  岩のうへに旅寝をすればいとさむし苔の衣を我にかさなむ

返し 世をそむく苔の衣はただ一重かさねばうとしいざふたり寝む(後撰1196)

「石上というところだから言うわけじゃないですが、岩の上に旅寝をすると寒いので、粗末なものでいいから何か衣を貸して下さい」・・・みたいな小町。それに対し遍照は「私が持っているのはこのみすぼらしい衣一つきり、じゃあ、二人で寝ようか」みたいな返歌。・・・・・・もう・・・遍照・・・・・。

2・文屋康秀・・・・・・・・容姿と財力に自信のある遊び人が、店のお気に入りの女の子を勢いでモノにしようとするのを周りのベテランさんが寄ってたかってなんとかそれを阻止しようとする、みたいな・・なんかそんな場。でもこういう男の傍若無人さは実は照れの裏返しでもあって、意外と想いは一途だったりする。相手はまたも小野小町。小町ちゃん、モテる。

文屋康秀  草も木も 色はかわれど わだつみの 浪の花にぞ 秋なかりける 

 これは恋の歌ではないと思う。「秋になると草や木の色は変ってしまうけど 海の浪の上に咲く花の色は変らないぜ」みたいな歌。なんか良い。古今和歌集によると、実際に康秀は三河に赴任する際、小野小町を誘っている。それに対する小町の返歌。

小野小町   わびぬれば 身を浮草の根を絶えて さそふ水あらばいなむとぞ思う 

「さびしくってえ、根無し草のようにフワフワした気持ちなのでえ さそう水があるならあ、行こうと思いますう。」という意味。

なあんだ、まんざらでもないんじゃん。小町ちゃん。

3・在原業平・・・・・・・・・・今回の恋の相手もまた小野小町。前の二つはややコミカルな面があったが、これは美男美女が織り成す平安絵巻。武官姿に盛装した業平が扇尽くしで誘いかけるが小町は優美にそれをかわす。最後には御簾に入ってしまう小町。そして一人去って行く業平。

在原業平  月やあらぬ 春や昔の春ならぬ 我が身ひとつはもとの身にして

『伊勢物語』によればこの歌の相手は仁明天皇の妃藤原順子ということになっているが、もちろん本当のことは分からない。「月はもうあの時の月じゃない。春はもうあの時の春じゃない。自分一人があのときのままだ・・・。」みたいな歌。切ない。

4・喜撰法師・・・・・・・・・・・・やっと小野小町じゃない恋の相手が出てくる。祇園の茶汲み女お梶。勘三郎。喜撰法師は名僧として名高いが、それをこんな色恋にうつつを抜かす坊主に変えてしまうとは、歌舞伎は強引だ。

喜撰法師  我が庵は みやこのたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人は言ふなり

「私の庵は都の東南にあって こうして暮すここを 世を憂う山と人は言うんだよ、恋なんて浮ついたこと俺とは無縁だぜ」みたいな、まったく色っぽくない歌。こうした堅物を恋に血道をあげる人物として歌舞伎舞踊にしてしまうところに・・・・・江戸人の遊びを感じる。

5・大伴黒主・・・・・・・・・・・・さて、この変化舞踊の最後だがここは色恋沙汰の踊りではない。その証拠にこの大伴黒主の顔には歌舞伎では悪役を示す黒い筋膜が施されている。いわゆる「ウケ」という役だが、黒主は小野小町に、お前の歌は古典の盗作だと文句をつける。それを受けて小町は草紙を水で洗えば新たに書き加えられた部分は消え、古いものがのこるはずだから疑いが晴れると言って実行する。そして、洗うと草紙は真っ白に。そして黒主の歌に天下横領の企みを読み取った小町に黒主が刃を向けた瞬間、討手が彼を取り囲んで幕となる。しかし、名前がいけなかった。“黒主”って。

大伴黒主  思ひいでて 恋しき時は 初雁の なきて渡ると人知るらめや

「昔のことを思い出してあなたを恋しいと思う時、あの雁が鳴くように私がづっと泣いていること、をあなたは知っているだろうか。」という意味。そうかずっと泣いているのか。

                ☆

坂東三津五郎の舞踊はいつかじっくり見てみたいと思っていたが、今回、それが実現した。個人的には「業平」がやはり良かった。そして「喜撰」での勘三郎との絡みが。

で、この八月納涼大歌舞伎・・・怪談ものはどうしようか。でも『女殺し~』『夏祭り~』と“殺しの場”を二つ立て続けに見たから。もう納涼は済んでいるかも。この夏は“平安の恋”ってことで良いかも。

それに恐いの・・・苦手なんだよね。実は。

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日舞の流派について こんにちは。日舞には色々な流派がありますが、その中でも5大流... [続きを読む]

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