15度目の歌舞伎~勧進帳
来年四月に現在の歌舞伎座が取り壊されるまでの“歌舞伎座さよなら公演”。この間にできるだけ多くの演目を見れるだけ見ようと始まった私の歌舞伎鑑賞だが、2月に続きまた見てしまった『勧進帳』。
この9月は他にも司馬遼太郎原作の『竜馬がいく』、鶴屋南北の『時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)』、『浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま)』、福森久作『松竹梅湯島掛額(しょうちくばいゆしまのかけがく)』などなど、そそる演目が目白押しだった。なのに何故、また『勧進帳』か。
それは同じ芝居を違うキャストが演じるとどのくらい違いが出るのかをこの超メジャーな演目で体感したかったこと、そして松本幸四郎演じる弁慶にとても興味があったからだ。
今回の『勧進帳』は“七代目松本幸四郎没後60年”と銘打たれており、それは生涯に1600回も弁慶を演じ、現在の弁慶の“型”を作ったと言われる祖父の芸が当代幸四郎にいかに受け継がれているのか、といったそんな趣向でもある。
昨夜は弁慶に幸四郎、義経に染五郎、亀井六郎に友右衛門、片岡八郎に高麗蔵、駿河次郎に松枝、常陸坊海尊に錦吾、富樫に吉衛門。
吉衛門は2月に素晴らしい弁慶を演じていて、それは私の中で「弁慶」の基準にすらなっていて、今回は言わば幸四郎がそれをどの位ぶち壊してくれるのか?と、個人的にはそんな期待もあった。
『勧進帳』は言うまでもなく頼朝に追われ、山伏姿に身をやつした義経一行が、富樫左衛門が関守を務める安宅の関を越えていく物語。これは能の『安宅』を基にしていて、中世の芸能である能では富樫は弁慶の呪術・暴力を恐れ関所を通すが、江戸時代の歌舞伎では、義経一門の絆の深さに心を打たれて見逃すこととなり、つまりこれは人情が主役の芝居。この強力な発信源は勿論弁慶、そしてその受諾者としての富樫も決して大袈裟な態度に表せなくとも人情の人。
私には幸四郎はどうしても内省的な芝居の人という印象がある。かつての三谷幸喜のドラマ『王様のレストラン』で彼が演じた伝説のギャルソンよろしく、恩に報いようと、溢れるほどの人情をうちに抱えつつも決してそれを億尾に出さず、そして大きな結果を残す。昨夜の弁慶はそんな印象だった。これは2月の吉衛門の気迫の塊のような弁慶と比べると好対照な気がした。当代幸四郎も去年『勧進帳千回』を記録して、これも相当に磨き上げられた弁慶だが、こちらの方はそこはかとなく品がある。
しかし、予想通りと言うか、心配していた通りと言うか、各所気迫で押して欲しいところが内省的に見え、芝居の流れが中断してしまうように感じた部分があった。例えば“山伏問答”。警察の尋問のように同じ事を二度聞く富樫に丁々発止、気迫で相対するところがそれが伝わらず、小声でもごもごと何か平明な現代劇の一場面のようになっていて惜しい気がした。そして、それに続く“元禄見得”も“問答”自体がそうなので余り迫力を感じなかった。
だからこの弁慶に関しては関を越えた後半に見所あるように思った。弁慶が義経を打ちゃくしたことを詫びて泣く山間での“判官御手”から“戦(いくさ)回想”→“富樫二度目の出”→“人目の関”→ “延年の舞”と続く後半に。
私は前回2月には芝居の細かい意味は分からず、ただただ吉衛門の弁慶に見蕩れていたが、何故、富樫がもう一度出てくるのかが分からなかった。しかし、その後、本などを読んで富樫も義経一行を通したことで自らも死ぬ覚悟をした、そして自分の人生を変えた男弁慶と純粋な気持ちで最後に酒を酌み交わしたいと思ったのだ、と読んで少々驚いた。
ものの本にはこの後半は危難を突破した安堵感に包まれたものなどではなく、やがて全員に訪れる「死」の予感に彩られたものでなければならないとあり、そう考えるとそれを演じるのに幸四郎の弁慶はある意味はまり役だと思った。そう、歌舞伎の醍醐味を味わうなら吉衛門の弁慶、芝居の深い意味を感じるなら幸四郎の弁慶・・・・見終わってそんな気がした。
歌舞伎を見続ける限り『勧進帳』はこれからも何度も見ることになるだろう。そして、その都度、様々な弁慶に会える。今後もその違いを楽しもうと昨夜は思った。
で、最後の“飛び六法”はどうしたってか?今回も見れねえよ、そんなもん。毎度、幕見なもんで。
次回は『義経千本桜』です。
| 固定リンク
「歌舞伎(36)」カテゴリの記事
- 31度目の歌舞伎 「あらしのよるに」(2016.12.18)
- 30度目の歌舞伎~蛇柳(じゃやなぎ)(2015.05.25)
- 中村小山三氏死去(2015.04.07)
- 29度目の歌舞伎~鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)(2014.10.24)
- 28度目の歌舞伎 「天守物語」(2014.07.20)
最近のコメント