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パリーグCS終了。ノムさん、お疲れさん。

野村再生工場 ――叱り方、褒め方、教え方 (角川oneテーマ21 A 86) Book 野村再生工場 ――叱り方、褒め方、教え方 (角川oneテーマ21 A 86)

著者:野村 克也
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 今年は春にWBCで凄いドラマを見せられ異様に盛り上がったせいか、プロ野球のペナントレースは全然見なかった。もう一つ理由としては野球場大好きの息子が受験生なので自制していたというのもあるが、それにしてもシーズン中一度も野球場に行かなかったというのは我ながら驚く。気が付くとセパ両リーグの優勝チームが決まりクライマックス・シリーズをやっていた。

 野村監督の解任劇というのが今回のパリーグCSには絡んでいたが、どうして最近はシーズン途中とか、これから大事なシリーズが始るという時に監督の辞任やら解任などを発表するのだろう?ちょっと前までは余程結果を出せない監督とか来てすぐ帰る外人選手以外こんなことは無かった気がするけど。選手のモチベーションに影響が出るに決まっているだろうが。

 ただ阪神岡田監督の時や日ハムのヒルマン監督の時と違うのは、今回はやはりノムさんはそれすらを“戦略”の一つとして使おうとしていたフシがある。ベースを投げたり、選手を集めて涙を見せたり・・・まあ、勿論、本心からってのもあるけど、選手達は異様に闘争心を掻きたてられていたな。

 印象的だったのは一昨日23日のCS第2ステージ第3戦での田中マー君。私はここ最近あんなに闘争心剥き出しの若者を見たことがない。特に8回の投球、投げるごとに吠え、叫び、後半だというのにほとんどが150キロ台の、火の玉のようなボールを日ハム稲葉に対して投げていた。もうケンカ腰。ヒーロー・インタヴュー後も観客席に向かってガッツ・ポーズしながらシャウト。あれれれ・・マー君、ちょっと見ないうちキャラ変ったね。

 しかし、ついに昨日、8回まで6対4と接戦だったが、2アウト2・3塁の場面で第2戦で投げた岩隈を投入直後スレッジに3ランを浴び、撃沈。その瞬間、日ハムの日本シリーズ進出が決まり、野村楽天が終わった。

ノムさんはこういう運命の人なのかな。阪神時代も若手を育て退団。その後、星野に変って阪神の黄金時代が来た。試合終了後は史上初の両チームからの胴上げ。そりゃ、そうだ、日ハムにだって稲葉やら武田やら吉井やら、ノムさんの薫陶を受けた選手が一杯いる。

もう歳も歳だから監督としてのユニホーム姿を見るのはこれが最後だろうか?私が小さい頃から見ていた野球界の匂いをずっと引きずっていた最後の人なので、やはり寂しいなあ。

 ノムさん、お疲れさま。楽天は強くなったヨ。息子が野球に興味を持ち始めた時期とあなたの楽天就任は重なっていて、親子で“ぼやき”も含めて楽しませてもらいました。また、あなたの学校・再生工場入りたかったです(何を再生する?)・・・・・・・・。

そう言えば、かつての同僚?“あぶさん”も引退しますしネ。

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初めての弁士付き無声映画鑑賞 生誕百年・映画女優田中絹代(1)~『晴曇』

Photo_4 今日は仕事の後、東京都国立近代美術館フィルム・センターへ行って『生誕百年・女優田中絹代(1)』に行ってきた。

 これは日本映画史に残る大女優田中絹代の生誕百年を記念しての展示と、今年10月6日~11月15日からを第一部、11月17日~12月27日までを第2部として、現存する初期の無声映画から晩年ベルリン映画祭で主演女優賞を受賞した『サンダンカン八番娼館 望郷』まで、また自身が監督した6本の作品を含む90本以上を一挙上映し、その偉大な足跡を辿ろうというもの。

                  ☆

 私は田中絹代と言うと、昔の倉本聰のドラマ『前略、おふくろ様』の“おふくろ様”しか知らない。ショーケン演じる板前修業中のサブはいつも辞書を引き引き、また心の中でも母親に手紙をしたためていて、その母親役が田中絹代だった。明治生まれの気骨のある可愛いおばあちゃんといった印象で、確か、突然、サブの下宿を訪ねてきて、無言でばたばたと部屋を掃除し、息子に一目も会わずまた帰って行ってしまうという巻があったナ。

                  ☆

実はこれに出かけて行ったのはこの田中絹代の若き日の姿を一度見てみたいという他に、もう一つ目的があって、それは今夜の上映は弁士・伴奏付きの上映だったということ。私は新旧を問わず何でも見る方だが、サイレント映画を弁士付きで見たという経験はなくて、これを機に一度・・との思いがあった。

 入館して座席に着くとスクリーン脇に大きなグランド・ピアノがあってなんか良い雰囲気。周囲は安く良い映画が観れるということでいつも来ているようなお年寄り他、大学で映画研究などをしているような学生や教授、映画関係者もどき?のような人々で、上映までその話に耳を傾けているだけで興味深かった。

Photo_7 さて、弁士だが、私は始る直前までモーニングに蝶ネクタイみたいな姿のおじさんをイメージしていたのだが、昨夜のそれは澤登翠さんという女性。なんでもプロフィールを読むと“・・・「伝統和芸、括弁」の継承者として“括弁”を現代のエンターテイメントへと甦らせ、「無声映画鑑賞会」「括弁in学士会座」の定期公演、全国各地の映画祭への出演に加え、フランス、イタリア、ドイツ、アメリカなど海外でも多数の公演を行なっている”とある。また“日本映画ペンクラブ賞、文化庁芸術祭優秀賞他数々の賞を受賞”とあって、お気楽な「見もの」と半分思っていたのだが、俄然、身が引き締まる気持ちになった。

 映画『晴雲』は1933年の作品。監督は野村芳亭。久米正雄の連載小説をもとにしたメロドラマの大作で、男女の愛憎を描いた『金色夜叉』のような、または今で言う“韓流”なお話であった。田中絹代は下宿屋の娘で下宿する野心家の学生と恋仲になるが、やがて捨てられ、最後には死んでしまう悲劇のヒロインといった役どころ。田中絹代の他、悪女役の栗島すみ子も良かった。

 田中はスクリーンに登場した瞬間はなんだか地味でなんということもない印象なのだが、映画が進行していくにつれ存在感、オーラともに増して行き、最後にはモノクロのスクリーンの中で俄然輝いて見えた。

                  ☆

 この弁士付きの上映会を見て一つ疑問に思ったことがあって、それはサイレント時代の映画の撮影でも演者はちゃんとセリフを喋っているのだろうか?ということ。チャップリンなんかはパントマイムに近い世界だし。無声映画を見たことがある人は分かると思うが、普通、映像の後、黒字に白抜きの文字が出てきてセリフや状況を説明する。昨夜、弁士はこのダイヤローグを基に喋っていたのだが、役者の口の動きにもあっていてとても自然であった。もし、音が無いのを前提の映画でも撮影時にはちゃんとセリフも喋っているのなら凄い労力だと思う反面、逆にセリフもなく演技するのだとしたらその方が断然難しいだろうとも思ったりもして。

 弁士の澤登翠さんは男女、役柄に併せ声色を変え、緩急があってとても良かった。この弁士付きでサイレントを見るというのに以外とハマってしまいそうで、私はこのレトロなシチュエーションで、チャップリンの『街の灯』や『キッド』を見たいと思った。

「無声映画鑑賞会」というやつ・・・・調べてみっかな。

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16度目の歌舞伎~義経千本桜

Photo_6   私は去年11月から歌舞伎座に通い始めたが、昨日、ついに幕見以外の席で観劇することになった。まあ3階のB席だが・・・それでも・・長かった(笑)。ようするに初めて“中”に入ったのだが、それもこれも今回の芸術祭十月大歌舞伎<夜の部>の演目をじっくり見たかったからで、それが今回の『義経千本桜』。

 これは『仮名手本忠臣蔵』、『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』と共に義太夫狂言の三大名作の一つと言われていて、確か現在の歌舞伎座が来年取り壊されるのを機に行なわれたアンケート・“あなたの愛する歌舞伎”では『勧進帳』の次に選ばれていた。

 初演は延享四年(1747年)、竹田出雲、並木千柳、三好松洛の三者による合作です。平家滅亡後、後白河法皇から今度は頼朝を討てと密かに求められた義経の悲劇を描きつつ、その一方で義経に滅ぼされた平家方の武将、平知盛、惟盛、教経の三人が実はまだ生きているというストーリー。演題に“義経”の名を謳ってあるし、本人も勿論登場するが、これは今で言う“スピン・オフドラマ”的な要素が大きくて、初段から四段目まで様々な人物のエピソードが交差することで、全体の大きなドラマが構成される。

Photo_9  今回上演されたのは、逃げる義経が大物浦で船頭となった知盛に襲われるもこれを撃退し、知盛が守り育てていた安徳天皇を逆に託され保護するまでを描いた、“渡海屋”・“大物浦”と、そして義経の愛妾静御前と佐藤忠信(実は狐忠信)の道行き、狐忠信の本性が明かされ、初音の鼓とのいきさつが語られる 吉野山・川連法眼館(かわつらほうげんのやかた) の4幕。

“渡海屋”・“大物浦”だが、これは全体で見ると2段目にあたり、主人公は渡海屋銀平=平知盛だ。そして昨夜はこれを吉衛門が演じていたが、良かった。

『勧進帳』の弁慶他、私は彼を何度か見ているが、今の所外れナシといった感じ。偉そうに言ってなんだが、この人、歌舞伎役者として今一番“旬”なんじゃないだろうか。“渡海屋”は船頭に身をやつしての任侠溢れる芝居だが、一転、“大物浦”では義経にリベンジ戦を仕掛けるも再度敗れる知盛を艶っぽく演じていて、またまたシビれた。この人は声が良い。良くとおり、情感豊かでその時々の感情がダイレクトに伝わってくる。父清盛の非道が一門に三悪道の苦しみを与えたのだと瀕死の体で述懐する件や天皇との別れ・・などなど。そして碇を繋いだ縄に自ら身体を縛りつけ、断崖に身を投げるラストは圧巻だった。

                  ☆ 

Photo_14 そして休憩を挟んだ後は“吉野山”と“川連法眼館”。忠信に菊五郎、静に菊之助。普通、『義経千本桜』と言うと、この“川連法眼館”での狐忠信と初音の鼓の話、いわゆる<四ノ切(しのきり)>を思い浮かべる人が多いと思うが、上述したアンケートでこの『義経~』を挙げた多くの人は、きっとこの段のことを指してのことと思われる。

義経が平家討伐の恩賞として後白河上皇から賜った「初音の鼓」。兄弟狐の皮で出来ているということで、義経はこの鼓を貰ったことにより“兄を討て”の院宣を受けたことになる。しかし、実はこの鼓の皮は「兄弟狐」のものではなく「夫婦狐」のもので、この鼓が宮中から出た途端、親を慕うその子狐が一匹つきまとい始める。

“吉野山”はこの子狐が義経の家臣佐藤忠信に化け、鼓を預る静と道行するというもの。そして“皮連法眼館”では狐忠信はついに化けの皮がはがれ、親を殺され鼓にされた悲しい身の上を明かし消えるが、静がもう一度呼び戻そうと鼓を打つと音が鳴らない。ここがツボで、兄に追われる義経の運命とこの獣の親子の情愛が対比となって涙を誘う。この狐忠信を「源九郎狐」とも言いうが、「義経」は“きつね”とも読め、この狐は実は義経をカルカチュアしたものとも見ることができる。

Photo_15 菊五郎の狐忠信は期待していたのとはちょっと違かった(笑)。セリフ回しにしても動きにしても、もう少し“ケレン”が過ぎても良かった。その方がこの芝居の場合、余計哀しさが伝わると思うけど。また菊之助の静も美しかったが、1ヶ所セリフを言うタイミングが早すぎるように感じるところがあって、これも情感が伝わり辛く惜しい気がした。

                 ☆

夕方の4時半から始って終了は9時。実は昨日は初めて娘を連れていって、長くてどうかと少し心配していたが、イヤホン・ガイド片手に最後まで興味深げに観劇していた。良かった。

Photo_16 それと初めて中に入ったので、公演終了後、1階~2階、舞台その他を親子でまじまじと見てしまった。特に「花道」。3階席や幕見だと僅かしか見れなくていつも惜しい思いをしているが、実際、そばで見るとそんなに長いものではないのだな。いつも見逃している部分はそれほどではないのではないかと・・・少し、慰められた?気持ちになった。

で、娘が「ここが一番見易いと思う!!」と、指差したのは1階の桟敷席。確かに座敷になっていて食事を広げる卓までついていて楽そう。ここで弁当を広げ酒を飲みながら・・・って、この歌舞伎座がなくなる前に必ずやるつもりでいますが、でも高けぇーだよ、この席。

 ま、娘よ、お父さん、頑張るよ。。。。。。。。競馬。

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『斜陽日記』~日記考(2)

斜陽日記 (小学館文庫) Book 斜陽日記 (小学館文庫)

著者:太田 静子
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 先日、NHK・ETV特集で『太宰治“斜陽”への旅~生誕百年・ベストセラー誕生の知られざる物語』を見た。太宰の代表作の一つである『斜陽』が愛人太田静子の日記を基に書かれたことは文学史に名高い事実だが、番組は生誕百年ということもあって娘の治子が太宰と静子の往復書簡など未公開資料を紐解きながら、二人の愛と素顔に迫ろうというものだった。一時間半の番組だったが、知らなかった二人の素顔が色々と明るみになり、飽きることなく一気に見てしまった。

                  ☆

 番組の内容をここで細かく説明するつもりは無いが、紹介された太宰と静子をめぐる様々なエピソードの内、個人的に一番興味深かったのはやはり“日記”に纏わることだ。

 最初の結婚で幼いわが子を死なせてしまったことに深く罪悪感を抱いていた静子は、太宰がかつて起した自らの心中事件をモチーフとして書いた小説『虚構の彷徨』に激しく共鳴する。簡単な手紙のやりとりの後、二人は会い、太宰と静子は初め文学上の“師弟関係”のようになる。

 静子は太宰を師事する一方で、過去の不幸な出来事をなんとか告白体の小説にしようとするが、形にならなず、そして彼女が絶望し、筆を折ろうとした時、太宰は静子にこんな風なアドヴァイスをしたと言う。「身の回りで起きている事を書き留めるようにしてごらん」と。

 文章を書くという事に関しては悪魔的な才能の持ち主の太宰にしてはしごく真っ当なアドヴァイスだなと思って、私には逆にその事がとても印象に残った。“身の回りで起きた事を書き留める”=“日記をつける”ことを太宰は静子に薦めたわけだが、日記こそは私小説の伝統が色濃いわが国の文学の基底を成すものであり、太宰はそのことが分かっていたのだろう。

 何ということも無い日常の出来事を文章にして客観視すると、そこに思いがけない意味や美しさを見つけることがある。太宰は日記をつけるという行為を通して、抱えている苦悩をもっと客観視する訓練をせよ、と静子に言おうとしたのだと思う。何故なら、言うに及ばず太宰こそがそれが恐いまでに“できる”人間だったからだ。

 番組を見る限り、大田静子という女性はとても才能のある人だと思った。静子は太宰に言われる通り、下曽我での母との暮らしを日記につけ始め、初めてその日記を目にした太宰は「想像以上だ。」と言って舌を巻いたと言う。そして、チェーホフの『桜の園』のような貴族が没落していく物語を書きたいと思っていた太宰はこの静子の日記から名作『斜陽』を着想するに至る。

 番組は太宰と静子の手紙も克明に紹介していたが、静子の遊び心に溢れ、それでいてストレートに感情をぶつけるようなそれに比べ、太宰の手紙は意外にも平明で言葉が足りない。そして、またその事を手紙で謝ったりもしているが、そこに私は男の狡さとある計算のようなものを感じた。

 日記を手渡す過程で、静子は太宰の子を身ごもる。お腹に子供がいることを静子に告げられた太宰は、「これで君とは死ねなくなった」と言ったというが、そのことが当初主人公カズコの死によて終わると考えられていた『斜陽』の結末に大きな変更を迫ることになる。小説は一転して、私生児を生んだカズコが新しい価値観を持った、新しい女性として強く生きていこうとする、言わば生を肯定する物語となり、その最後の部分に関して娘治子は「現実とフィクションを混同する大馬鹿者と言われるかもしれないが、これは私達母娘に送られた太宰からの遺書・・・」と言っていて、とても説得力があった。

 『斜陽』がベストセラーとなったその2ヵ月後、太宰治は死ぬ。一方で静子は小説のカズコのように戦後社会の中、女手一つで娘治子を育て生きていく。

 上で私は太宰は静子に日記をつけることで自分を客観視することを薦めたのだと仮定したが、心中事件や薬物中毒の経験、果ては静子との間にあったような愛に対してさえもそれができてしまう自分に太宰はほとほと絶望したのではないかと思う。

 そして、“刺し違える”と言う言葉があるが、静子と太宰の愛はまさにそのようであり、小説『斜陽』は物語と同様、その成立過程においても女性の強さが際立っているとの感想を持った。

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