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『斜陽日記』~日記考(2)

斜陽日記 (小学館文庫) Book 斜陽日記 (小学館文庫)

著者:太田 静子
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 先日、NHK・ETV特集で『太宰治“斜陽”への旅~生誕百年・ベストセラー誕生の知られざる物語』を見た。太宰の代表作の一つである『斜陽』が愛人太田静子の日記を基に書かれたことは文学史に名高い事実だが、番組は生誕百年ということもあって娘の治子が太宰と静子の往復書簡など未公開資料を紐解きながら、二人の愛と素顔に迫ろうというものだった。一時間半の番組だったが、知らなかった二人の素顔が色々と明るみになり、飽きることなく一気に見てしまった。

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 番組の内容をここで細かく説明するつもりは無いが、紹介された太宰と静子をめぐる様々なエピソードの内、個人的に一番興味深かったのはやはり“日記”に纏わることだ。

 最初の結婚で幼いわが子を死なせてしまったことに深く罪悪感を抱いていた静子は、太宰がかつて起した自らの心中事件をモチーフとして書いた小説『虚構の彷徨』に激しく共鳴する。簡単な手紙のやりとりの後、二人は会い、太宰と静子は初め文学上の“師弟関係”のようになる。

 静子は太宰を師事する一方で、過去の不幸な出来事をなんとか告白体の小説にしようとするが、形にならなず、そして彼女が絶望し、筆を折ろうとした時、太宰は静子にこんな風なアドヴァイスをしたと言う。「身の回りで起きている事を書き留めるようにしてごらん」と。

 文章を書くという事に関しては悪魔的な才能の持ち主の太宰にしてはしごく真っ当なアドヴァイスだなと思って、私には逆にその事がとても印象に残った。“身の回りで起きた事を書き留める”=“日記をつける”ことを太宰は静子に薦めたわけだが、日記こそは私小説の伝統が色濃いわが国の文学の基底を成すものであり、太宰はそのことが分かっていたのだろう。

 何ということも無い日常の出来事を文章にして客観視すると、そこに思いがけない意味や美しさを見つけることがある。太宰は日記をつけるという行為を通して、抱えている苦悩をもっと客観視する訓練をせよ、と静子に言おうとしたのだと思う。何故なら、言うに及ばず太宰こそがそれが恐いまでに“できる”人間だったからだ。

 番組を見る限り、大田静子という女性はとても才能のある人だと思った。静子は太宰に言われる通り、下曽我での母との暮らしを日記につけ始め、初めてその日記を目にした太宰は「想像以上だ。」と言って舌を巻いたと言う。そして、チェーホフの『桜の園』のような貴族が没落していく物語を書きたいと思っていた太宰はこの静子の日記から名作『斜陽』を着想するに至る。

 番組は太宰と静子の手紙も克明に紹介していたが、静子の遊び心に溢れ、それでいてストレートに感情をぶつけるようなそれに比べ、太宰の手紙は意外にも平明で言葉が足りない。そして、またその事を手紙で謝ったりもしているが、そこに私は男の狡さとある計算のようなものを感じた。

 日記を手渡す過程で、静子は太宰の子を身ごもる。お腹に子供がいることを静子に告げられた太宰は、「これで君とは死ねなくなった」と言ったというが、そのことが当初主人公カズコの死によて終わると考えられていた『斜陽』の結末に大きな変更を迫ることになる。小説は一転して、私生児を生んだカズコが新しい価値観を持った、新しい女性として強く生きていこうとする、言わば生を肯定する物語となり、その最後の部分に関して娘治子は「現実とフィクションを混同する大馬鹿者と言われるかもしれないが、これは私達母娘に送られた太宰からの遺書・・・」と言っていて、とても説得力があった。

 『斜陽』がベストセラーとなったその2ヵ月後、太宰治は死ぬ。一方で静子は小説のカズコのように戦後社会の中、女手一つで娘治子を育て生きていく。

 上で私は太宰は静子に日記をつけることで自分を客観視することを薦めたのだと仮定したが、心中事件や薬物中毒の経験、果ては静子との間にあったような愛に対してさえもそれができてしまう自分に太宰はほとほと絶望したのではないかと思う。

 そして、“刺し違える”と言う言葉があるが、静子と太宰の愛はまさにそのようであり、小説『斜陽』は物語と同様、その成立過程においても女性の強さが際立っているとの感想を持った。

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 本記事は ・桜桃忌によせて 『斜陽日記』の太田静子と「和田の叔父さま」のモデル・大和田悌二 ・『斜陽』「かず子」太田静子・「和田の叔父さま」大和田悌二の日記読み比べ 続き  の続篇です。えらく長くなってしまいましたが、さすがに今回で完結します。 前回の記事の末尾で、太田静子のお母さまが亡くなる場面の『斜陽日記』と大和田悌二の日記を読み比べ、お母さまの最後の心残りが静子と未帰還の末子(静子の末弟)にあり、それを大和田に託したという記述の一致を確認しましたが、それではその後はどうなったの... [続きを読む]

受信: 2013年6月24日 (月) 23時36分

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