初めての弁士付き無声映画鑑賞 生誕百年・映画女優田中絹代(1)~『晴曇』
今日は仕事の後、東京都国立近代美術館フィルム・センターへ行って『生誕百年・女優田中絹代(1)』に行ってきた。
これは日本映画史に残る大女優田中絹代の生誕百年を記念しての展示と、今年10月6日~11月15日からを第一部、11月17日~12月27日までを第2部として、現存する初期の無声映画から晩年ベルリン映画祭で主演女優賞を受賞した『サンダンカン八番娼館 望郷』まで、また自身が監督した6本の作品を含む90本以上を一挙上映し、その偉大な足跡を辿ろうというもの。
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私は田中絹代と言うと、昔の倉本聰のドラマ『前略、おふくろ様』の“おふくろ様”しか知らない。ショーケン演じる板前修業中のサブはいつも辞書を引き引き、また心の中でも母親に手紙をしたためていて、その母親役が田中絹代だった。明治生まれの気骨のある可愛いおばあちゃんといった印象で、確か、突然、サブの下宿を訪ねてきて、無言でばたばたと部屋を掃除し、息子に一目も会わずまた帰って行ってしまうという巻があったナ。
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実はこれに出かけて行ったのはこの田中絹代の若き日の姿を一度見てみたいという他に、もう一つ目的があって、それは今夜の上映は弁士・伴奏付きの上映だったということ。私は新旧を問わず何でも見る方だが、サイレント映画を弁士付きで見たという経験はなくて、これを機に一度・・との思いがあった。
入館して座席に着くとスクリーン脇に大きなグランド・ピアノがあってなんか良い雰囲気。周囲は安く良い映画が観れるということでいつも来ているようなお年寄り他、大学で映画研究などをしているような学生や教授、映画関係者もどき?のような人々で、上映までその話に耳を傾けているだけで興味深かった。
さて、弁士だが、私は始る直前までモーニングに蝶ネクタイみたいな姿のおじさんをイメージしていたのだが、昨夜のそれは澤登翠さんという女性。なんでもプロフィールを読むと“・・・「伝統和芸、括弁」の継承者として“括弁”を現代のエンターテイメントへと甦らせ、「無声映画鑑賞会」「括弁in学士会座」の定期公演、全国各地の映画祭への出演に加え、フランス、イタリア、ドイツ、アメリカなど海外でも多数の公演を行なっている”とある。また“日本映画ペンクラブ賞、文化庁芸術祭優秀賞他数々の賞を受賞”とあって、お気楽な「見もの」と半分思っていたのだが、俄然、身が引き締まる気持ちになった。
映画『晴雲』は1933年の作品。監督は野村芳亭。久米正雄の連載小説をもとにしたメロドラマの大作で、男女の愛憎を描いた『金色夜叉』のような、または今で言う“韓流”なお話であった。田中絹代は下宿屋の娘で下宿する野心家の学生と恋仲になるが、やがて捨てられ、最後には死んでしまう悲劇のヒロインといった役どころ。田中絹代の他、悪女役の栗島すみ子も良かった。
田中はスクリーンに登場した瞬間はなんだか地味でなんということもない印象なのだが、映画が進行していくにつれ存在感、オーラともに増して行き、最後にはモノクロのスクリーンの中で俄然輝いて見えた。
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この弁士付きの上映会を見て一つ疑問に思ったことがあって、それはサイレント時代の映画の撮影でも演者はちゃんとセリフを喋っているのだろうか?ということ。チャップリンなんかはパントマイムに近い世界だし。無声映画を見たことがある人は分かると思うが、普通、映像の後、黒字に白抜きの文字が出てきてセリフや状況を説明する。昨夜、弁士はこのダイヤローグを基に喋っていたのだが、役者の口の動きにもあっていてとても自然であった。もし、音が無いのを前提の映画でも撮影時にはちゃんとセリフも喋っているのなら凄い労力だと思う反面、逆にセリフもなく演技するのだとしたらその方が断然難しいだろうとも思ったりもして。
弁士の澤登翠さんは男女、役柄に併せ声色を変え、緩急があってとても良かった。この弁士付きでサイレントを見るというのに以外とハマってしまいそうで、私はこのレトロなシチュエーションで、チャップリンの『街の灯』や『キッド』を見たいと思った。
「無声映画鑑賞会」というやつ・・・・調べてみっかな。
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