18度目の歌舞伎~『野田版 鼠小僧』
屋根の上の勘三郎。このシチュエーションには密かに思い入れがある。それは私が二十歳の頃、テレビでやった2夜連続2時間(3時間だったかな?)ドラマ『幕末青春グラフティ・福沢諭吉』のラストシーン。
まだ勘九郎だった頃の勘三郎演じる福沢諭吉が狂信的な攘夷思想家に変貌してしまったかつての仲間に追われ、命からがら長屋の屋根に逃げる場面。ようやくよじ登り一息つくと何やら同じ屋根の上にもう一人誰かいる。それは武田鉄也演じる坂本龍馬(今の人は笑うかな?でも当時“龍馬”と言うとこの人だった。)なのだが、そこで二人はお互い追われる身でありながら、ただ短い言葉で日本の未来を語り、そして別れる。
「いつか一緒にあめりかんねいちゃんを見るんじゃ」と龍馬。「American Naition!」と息を弾ませながら諭吉。「Friend!元気で!」と竜馬。「Thank you! you too!」と諭吉。バックにはサイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』が流れていて、強烈に記憶に焼きついて離れないワン・シーンだ。私と同じ世代の人は勘九郎=現勘三郎をこのドラマで初めて知ったという人は多い筈で、ある本を読むと勘三郎自身このドラマ『幕末青春グラフティ・福沢諭吉』に非常な思い入れがあると語っていた。
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さて、昨夜の歌舞伎座、“十二月大歌舞伎”は午前の部最後に宮藤官九郎の『大江戸リビング・デッド』、午後の部最後には『野田版 鼠小僧』を配し、間に挟まれた古典と新作の両方を楽しめる趣向となっていた。
私が見たのは『野田版 鼠小憎』。平成十五年、歌舞伎座にて大ヒットを記録した野田秀樹の手による新作歌舞伎の待望の再演。今まで見た歌舞伎とは全く違う斬新な演出とセリフ、そして現代的なテーマを持った物語で、あっという間の2時間。大笑いし、そして泣かされた。
ケチで強欲な棺桶屋の三太(勘三郎)が、仕組まれた遺言状により騙し取られた兄の遺産を取り返そうとするうち、“鼠小僧”ということになってしまい、何度も盗みに入るうちに周囲の様々な裏の事情を知ってしまう。
初め“人に施しなんぞをすると手が腐る、死んでしまう”と嘯いていた三太が、ふと知り合った少年さん太の頭上になんとか金銀小判の雨あられを降らせてやろうとするラスト瓦屋根の上まで。
舞い散る白い粉雪がだんだんと金色に変わっていって・・・三太=サンタ、「年の瀬の24日が一体何の日か、おめえ、知っているのかぇ?」なんてセリフもあって、江戸時代のクリスマスってキレイだったんだろうな?と思わせる美しいシーンだった。
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この12月は本当はクドカンの『大江戸リビング・デッド』か『双蝶々曲輪日記(ふたばちょうちょくるわにっき)・引き窓』を見るつもりでいた。が、私は以前からこの歌舞伎座でまだ“芝居”する勘三郎を見ていないことがずっと気になっていて、それで昨夜、結局、これにした。私が今まで歌舞伎座で見た勘三郎は『春興鏡獅子』、『六歌仙姿彩』など、舞踊だけだったのだ。
で、昨夜の勘三郎を見ての感想はこの人は全くオーラの質が変らない人だということ。初めて『福沢諭吉』で見たときから、演じることへの情熱がストレートに感じられる。そして、何より常に自身が楽しんでいる風なのがいい。古典を演じている時の芸の確かさはもちろんのこと、常に新しいことに挑戦し・・・私は団十郎、仁左衛門、幸四郎、吉衛門、皆それぞれ好きだ、今はやはり勘三郎の時代なのかなと思った。
信頼する歌舞伎評によればこの『野田版 鼠僧』は今回の公演により歌舞伎の演目として定着した感があるとのこと。そうか、新作はこうして段々と古典になってゆくのか。
初演時、これは8月の納涼歌舞伎!でかかっていたそうで、“クリスマスネタ”ということで言えば本来は今の季節のもの。そして、きっと未来の年の瀬ではこの『野田版 鼠小僧』がいつも何処かで演じられているといったことにきっとなるのだろうが、今のところ主人公“棺桶屋三太”を演じられるのは当代勘三郎しかいないと、私は思う。その位のハマリ役。
平成15年の舞台がシネマ歌舞伎DVDになっているので↑見られない方そちらで是非。また見た人も今回は前回と微妙に脚本が変っているらしいので見比べるのも一興かもしれません。
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来るべき日本の未来を見据えて・・・、親に見捨てられた子供に金銀の雨を降らせるため・・・屋根の上の勘三郎。昔も今も・・・・絵になる。
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