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映画『愛を読む人』~声を発すること、物語を“聴く”こと

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 もし、視覚を失ったら、ボランティアで朗読サービスをしている団体でも頼り、私はテープその他を借りて「本」を「聴く」のだろうか?そうするんだろうな、やはり。

 そして、もし、そうなったら朗読者の「声」というのは事の外重要になると想像するが、女性ならテノールの低い男性の声が、男の私なら柔らかく優しい女性の声が良いということになるのではないかと、密かに考える。

 私が良い声と言われて真っ先に思いつくのが歌手の平原綾香である。良く彼女のラジオを聞くが、彼女は歌は勿論のこと、なんと言っても声が良い。何も40過ぎのおじさんがガールズトークに萌えているわけじゃなくて、サウンドとして彼女の声はとても耳に心地よく、聞いているだけで日頃の慌しい日常が浄化されるような気がしてくるのだ。

 で、先週、その彼女の番組で紹介されていたのが、ハワイの“ホ・オポノポノ”という秘法。ある4つの言葉を事あるごとに声に出して唱えると、過去や前世やらの様々なことがクリーニングされ幸福に導かれるというもので、その言葉とは

        ごめんなさい (I'm sorry) 

        許してください (Please forgive me)

        ありがとう (Thank you)

        愛しています ( I love you)

 のこの四つ。これは意味以上にそれらの言葉そのものにパワーがあるらしく、ハワイの人の間では昔から知られているものとか。良く人間の言葉を理解しているような動物に出くわすことがあるが、それらは意味ではなく言葉を一つのエネルギーとして理解しているのであって、だから、ちゃんと分かってるのだとも、以前、紹介していた。

             ☆ 

 言葉にはそれ自体に運命を変える力がある。そう考えると選び抜かれた言葉によって書かれた詩や物語にはとてつもないパワーが秘められている、と私は考えるが、それで思い出したのが↑の映画、『The reader~愛を読む人』である。

01  これはドイツの作家ベルハルト・シュリンクの世界的ベストセラー『朗読者』の映画化だが、私は原作を読んだ時の感動が強くて、封切られた時見るべきかどうか迷って、結局、見なかった。それは人間にとって「物語」とは何か?という根源的なテーマが重奏低音としてあり、また「ナチズム」と言うドイツの歴史の非常にデリケートな部分を扱っているのにも関らず全編英語で制作されているという無神経さがどうしても気に入らなかったからだ。で、今朝ついにレンタルしてきたものを見て、映画は恐れていた通り原作の深さに比べ、当たり障りの無いものになっているとの印象を持った。

 何故か。それは主人公の一人であるハンナがミヒャエル(映画ではマイケル)に物語を読むのをせがむ理由をどう解釈するかによる。そして、成長し、彼女の過去を裁判を通して知ってしまったミヒャエルが物語を読み続けることを選んだ理由についても。

 そもそも何故人は物語を欲するのか。ホメロスの『オデッセイア』にしろ、チェーホフの『子犬を連れた貴婦人』にしろそれは作り話、言わば大きなウソなのに。

 これは私の勝手な解釈かもしれないが、ハンナは本能的に人間個々の存在の奥深さを知ることによってしか、自らの罪を償う方法は無いと考えたのではないだろうか?そのためには古今の様々な物語に触れるしかないと。そして彼女の秘密を知っているミヒャエルはかつて自分がさせられていたことの意味を知り、彼女の協力者になることを選んだのでは?と私は思う。

 原作にしろ映画にしろ、その辺についての理由は表面的には語られている。表面的としてしまうには重過ぎるほどの理由だが。しかし、ストーリーからだけで解釈してしまうと、これは単に不幸な出会い方をした年の差のある男女の可哀相なお話というだけになってしまう。そして、映画は現にそうなっていた。映画の中では「物語を読む」という行為は、歴史の暗部に引き裂かれた男女を繋ぐ些細な装置でしかなくて、それを実行するミヒャエル(マイケル)は、哀しくおろおろするだけの、ただの冴えない奴に見えた。

 “人間にとってのオーラルな物語の必要性”ということを表現しようと試みた映画にはもう一つヴィム・ヴェンダースの『夢の涯てまでも』があるが、あれも失敗作だった。きっとこれは映画にするにはとても不向きなテーマなのだと思う。

            ☆

 上述の“ホ・オポノポノ”のことやこの映画や原作に触れて、私が最近、意識しているのは声に発せられた“良い言葉”というもの。今は様々なツールが発達して、人は昔ほど声を発しなくても良くなった。(こんなことを言いつつ、私自身、こんなブログなんぞをやっていて矛盾しているが。)そして、良く喋る人は言葉の大事さに無自覚だし、それに自覚的な人は余り喋らない。

 この映画を見て、世界文学と呼ばれるほどの名作を良い声で朗読されるのを聴くというのに少し憧れを抱いた。ゲーテとかトルストイとか・・・・。とにかくお堅くて長いものほど良い。それもテープに録音されたものじゃなく、できればプライヴェートな空間で素敵な声の持ち主と。それって今や最高に贅沢なことじゃないか?

 確かに、運命が変ってしまいそうな気がする。

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