ウォッカの引退
ウォッカ電撃引退。“バブルの時代と一緒に華やかに舞ったのがオグリキャップなら、ディープインパクトは低迷する景気を吹き飛ばすようなスターだった。ウオッカは、どちらでもない。期待を何度も裏切りながら大舞台では劇的な演技を見せる、最高の女優だった。”と、デイリースポーツ紙。
今朝、YouTubeで4日に行なわれたドバイ・マクトゥームチャレンジ・ラウンドⅢの映像を見ていて、そのコメント欄でウォッカの引退を知った。「なぬ!」と思って雨の中、コンビニまで行くと、スポーツ紙各紙一面に“ウォッカ引退”の文字。去年末のジャパン・カップの後と同様、またも鼻出血を発症したとか。3/27に予定していた世界最高峰レース、ドバイ・W・Cへの出場予定を回避し、そのまま引退ということになった。
かつて大学の講師をしていたフリードリヒ・ヘーゲルはナポレオンがイエナの町を通り過ぎるのを見て、友人に「世界精神が馬に乗って通るのを見た」と手紙に書いたと言う。
この“世界精神”を“時代精神”と言い変え、上のデイリー・スポーツ紙的な見方をした時、ウォッカが走った今とはどんな時代なのだろうか、と私はつい考える。
思うに今は“闘う”という行為が女性のものになった時代だと思う。勿論、闘っている男も沢山いるが、バンクーバー・オリンピックを例に出すまでも無く、一つの時代を表象するような戦いを演じるのはいつの頃からか女性の役目になってしまった。
それは周りで見ている我々が闘いの中に美しさや儚さを無意識にも求めるようになったからで、その中には女性特有の精神の不安定さや不可解さも含まれる。“ナリタブライアンの持っていた圧倒的な力強さとも違う。ディープインパクトが見せた完璧な強さとも違う。激しく燃えたかと思うと、揺れて消えそうにもなる。ろうそくの灯りのように強さともろさが同居する、そんな不安定さもウォッカの独特の魅力だったかもしれない”と、今朝の新聞にもあった。
私はこの歴史的な名牝を2度見た。去年の秋、東京競馬場でのことだが、最前列にいる私のすぐ近くに来たウォッカは拍子抜けするほど可愛い顔をしたお嬢さんだったが、レースで目の前を駆け抜ける様はまさしくヘーゲルの前を行くナポレオンのそれであった。
今、ウォッカの過去のレースをYouTubeで見るとそれぞれどれも凄い。どれもこれもいちいち劇的だが、やはり2008年秋の天皇賞、ライバル、ダイワスカーレットとの激闘は何度見ても鳥肌がたつ。これは今月の雑誌『優駿』の特集“大接戦のGⅠベスト100”の第1位にも選ばれていて、競馬離れが叫ばれる中、このレースの時は前年比121・9パーセントの12万1961人が府中に詰め掛けこの闘いを見たと言う。正に時代を切り取る歴史的な一戦であった。
今日、テレビで松本ヒロシ氏が「ウォッカにはありがとう、と言いたい。自分が生きている間、もう女の子馬がダービーを制するところなど二度と見れるはずは無いから。」と言っていた。
自分が競馬を始めた時に、ウォッカがいたことを私も神様に感謝すべきなのだろうな。
今後、彼女は予定通りアイルランドにお嫁入り。
ありがとう。お疲れ様でした。いい子を産んでください。
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