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映画『ブルー・ベルベッド』~生命力のリアルな姿

20070406091452_3   私は追悼という行為があまり好きではない。だから人の死に直面した場合も身内や本当に仲の良かった友人、あるいは心底愛した女性以外は嘆かないことにしている。

 しかし、この人はちょっと追悼したいなと思った。デニス・ホッパー。多くの日本人にとって彼は『イージー・ライダー』の人なのだろうが、私にとってはその100倍くらい圧倒的に『ブルー・ベルベッド』の人である。

 映画『ブルー・ベルベッド』。この映画を私は何度見たことだろう。そして見る度、この映画のどこに惹かれているのかを考え、もしかしたら自分はちょっとおかしいのでは?と思ったりした。

 この映画を初めて見た時の衝撃を私は昨日のことのように思い出す。映画の前半に切り取られた耳の映像があるが、何度も見たので私はその耳に這う蟻の動きまでが脳内にトレースできる。この始まりの異様さからして私達は天才デビッド・リンチの術中にはまっていってしまうのだが、それは次第に加速度を増し、見る者の心は全編を通しずっと鷲づかみにされたままだ。

 そして、その異様さを全身で支えきったのが偏にデニス・ホッパーという個性であった。

Blue_velvet_filmimage  この映画には監禁された女イザベル・ロッセリーニの股に顔を埋め「ママ、ママ」とデニス・ホッパーが囁き、次の瞬間、「見るんじゃねぇー」と彼女を殴るシーンがある。普通の人間が営む日常の規範からするとこれはとても異常な光景である。お茶の間のモラルからして多分、放送禁止なシーンだ。

 しかし、人間存在の不可解さ(豊かさ)を考えると、この異常さは実はとてもリアルなことで、程度の差こそあれ、皆、こんな風なのじゃないか?と思わせるものがあった。

 思うにこの映画が素晴らしいのは生命力というもののリアルな姿を包み隠さず見せたことにある。

 最後に開放されたイザベル・ロッセリーニが幼い子供と再会し、抱き合うシーンがスローで映されるが、そのヒューマンな美しさと、途中のグロテスクな行為が同じ人間によって行なわれたものだという思いは常に私を慄然とさせる。そして、何の花かは忘れたがそのシーンの前後に花に蜂(多分)が群がっているカットがあったと思うが(確か?)、私は人間の奇妙な欲望が自然の営みと対比した場合、実はとても普遍的なことだという風にも見えたし、逆に自然はどんな些細な光景にせよとても暴力的だという風にも見えた。

 また、ヒューマニズムというものを排除して見た場合、“愛”とはとても異常な精神の働きであるという風にも。そして、そこには「支配」と言う問題が必ず隠されている。

 イザベル・ロッセリーニ演じるドロシーに示したデニスホッパー演じるフランクの行為が“愛”ではないと誰が言えよう。そして“愛”の最中にある時、私達は誰もが多かれ少なかれこのドロシーのようでありこのフランクのようである筈だ。

 実は私は密かに我がショーケンにデニス・ホッパーのようになって欲しいと思っている。 6、70年代の反抗の象徴でありながら今も危険な現役バイプレイヤー。

 デニスを最後に見たのは映画『エレジー』の中の詩人の役だった。奥さん役は元ブロンディのデボラ・ハリーだったが、私はそれだけで何故か泣けてしまったっけ。

 どんな反逆者にもやがて死が訪れるということか。

 さよなら、デニス・ホッパー 

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