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佐野元春『光』~真空パックされた祈り

 携帯メール、PCメール、ブログ、Twitter.....今やもう何でもやっているが、本当は私はこういったコミュニケーションについてとても懐疑的だ。物心ついた時からすでにこうしたモノが環境として周囲にあって、それらになんら違和感の無い世代を最近は“デジタルネイティブ”と呼ぶらしいが、そういう意味からすれば私などはもう古い人種なのだろう。

 これからも次々と新しいツールが出てくると思うが、どんなものにせよそこには必ず光と影の部分がある筈。下らない物も含めて様々なものの存在が許される社会は十分に健康的だと私は思うが、ただコミュニケーションツールの発達がかえって人間を孤独にしていくのならそれはナンセンスだ。

 4年前、このブログを始めるにあたって読んだある本に、ブログの爆発的な普及の背景には2001年の同時多発テロがあることを知った。当時、アメリカで人々は身内や友人・知人の消息を知る手がかりを得るため、このまだ目新しかったメディアをフル活用したのだと言う。

 巨大なデス・コミュニケーションから生まれた悲劇がこの小さなツールの普及を急速に促したというのは皮肉な話だが、時々、漫然とブログやTwitterをやっていて、もう少し切実に使いこなす方法は無いものかと徒労感に襲われることがある。

 要はネット・コミュニケーションというものの特性を良く考えクレバーに使いこなす、という以外にないのだが、その手本とすべき先人はというと、私の場合はここでも↓の人である。

 

 佐野さんは日本に限らずグローバルに見ても、最も早くインターネットコミュニケーションの可能性を追求し実践したミュージシャンの一人だと思う。氏のホームページの充実振りは言わずもがなだが、昔から、折に触れ展開する知的かつ大胆なアプローチにはいつも感心させられていた。

 この曲は2001.9.11の事件に衝撃を受けた佐野さんが即座に書き上げ、当時はまだ珍しかったネット配信という方法で発表した曲。当時、我が家のPCは容量が足りなくて聞くことができず、Moto's Web Serverにアップされていた詩だけを読んで、どんな曲なのか想像していたことを思い出す。

 これは世界中の人と一つの思いを瞬時に共有できるインターネットというものの特性を生かした、鮮やかなまでの例で、今聞いても、あの事件の時誰もが思った、“世界が今までどおり正常であって欲しい”といった祈りにも近い気持ちが真空パックされているようで、生生しい。

 「平和とは完璧なコミュニケーションが存在する社会のこと」と言ったのはかのジョン・レノンだが、本日は9.11アメリカ同時多発テロから9年目。私は毎年、この日は身近な人達とのコミュニケーションの形について考える。

 

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