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『煙突のある街』と『モノクローム・レイン』~NAKED SONGS-Beat gose on 2010レポート

 日曜日の秋華賞と話は前後するが、先週の土曜日、虎ノ門で仕事を終えた後、私は一人池袋へと向かった。向かった先は「POLKA DOTS」という店。この日の夜、この前このブログでも告知した詩の朗読と弾き語りのイヴェントがあったのだ。『NAKED SONG  Beat gose on 2010』。

 私は夏にパンフレット用の文章を頼まれ、それでこのイヴェントの企画を知ったのだが、会場に着いていきなり渡されたパンフは私が想像していた以上に立派なもので、かえって恐縮してしまった。

 「POLKA DOTS」なる店は店内が全てディランのポスターや額やらで飾られていて、BGMもディラン。聞くとそれもその筈、この店の店長はディラン好きの間では有名なあの東京ボブ・ディランさんその人であり、店内で自分のライブもやっているらしい。

 私はカウンターに座ったのだが、見るとカウンターの上部にはディランの今まで発表されたアルバムジャケットが順番に並べられたポスターが貼ってあって、面白いことにそのアルバムジャケットの下にはそれぞの時のディランの年齢が書いてある。

 現在の私の年齢(45才)の時は何を?と思い見てみると、45の時は何も無くて、ただ、44の時に『ノックアウト ローデッド』と『ダウン・イン・ザ・グルーブ』と言う、他のアルバムのアウトテイクを寄せ集めたような2枚が発表されている。これは地味な時期で、もっと言えばディランの何度目かの低迷期に当たる。ディランが90年代を過ぎても現役第一線のロッカーであることを世界に告げた名作『オー・マーシー』が発売されるのはディラン48才の時であるから・・・うーん、まだ、3年あるなあ・・・と、私は意味無く思ったりした。

 さて、イヴェントのことだが、出演者は篠原太郎、浜田裕介、CROSSという3人。それぞれ自身のオリジナルにカヴァー曲を織り交ぜ、各々素晴らしいステージだった。私が興味深かったのはオリジナル曲もさることながら、それぞれが取り上げたカヴァー曲で、太郎さんはビートルズの『ウィズ イン ユー ウィズ アウト ユー』、浜田裕介はサイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』、そしてCROSSはトム・ウェイツの『トム・トルバドール・ブルース』。

 太郎さんのそれはあの『サージャントペパーズ』に収録のジョージ・ハリソン作の例のインドフレーバーな曲だが、私はこの曲を日本語に訳して唄う発想そのものに驚いた。そして、それが異様にカッコいいことにも。また太郎さんは“ビート”をテーマにしたイヴェントにふさわしくギンズバーグばりの長編詩を読んだが、そこには共通の友人だった故下村誠のことやガンで急逝した川村カオリ、また元同じブレイカーズだったマーシーこと真島昌利のことが読み込まれていて、私にはすぐに分かった。

 さて、演奏に関して私が個人的に白眉だと思ったのは篠原太郎&浜田裕介で歌われた『煙突のある街』。この曲は真島昌利がブレイカーズ時代に書いたものを小山卓治がカヴァーしたもので、小山卓治の名作と名高い2ndアルバム『ひまわり』に収録されている。

 これを同じ元ブレイカーズだった太郎さんと小山卓治と親交がありジョイントでライブを行なったりしている浜田裕介のツーショットで聞くのは中々感慨深いものがあった。今、YouTubeで見ると今の若い人にはミスチルの桜井がカヴァーしているバージョンが馴染み深いようだが、そちらはもっと絵画的な耽美な演奏。篠原&浜田のそれは原曲に忠実なレゲエバージョンだった。

 この曲にはある恥ずかしい思い出があって、それは小山の『ひまわり』が発売された時、何の雑誌だったか忘れたが、そのレコード評が出ていて、それを書いていた人が自らが昔労働争議に関っていた思い出とからめてこの曲を紹介していた。が、私は、てっきりこの曲を書いた人が労働争議に関わり、その実体験を書いた歌だと言っているのだと勘違いして解釈し、友人達にそう吹聴して回ってしまった(そのくらいリアルな歌詞だが)。

 だから私の中ではブルーハーツで鮮烈に登場する以前、真島昌利という名前は労働争議で傷ついたいかついおじさんのイメージだった。

             ☆

 さて、長くなるので最後にそれぞれのオリジナル曲の中で私が一番沁みたナンバーだが、それは浜田裕介の『モノクローム・レイン』という曲。男女の別れの場面を歌った歌だが、私は何故か故下村と最後に分かれた深夜の南武線谷保駅のホームを思い出した。ホームの向こうとこちらにお互い一人ずつ。手を振って、そして電車が彼を連れ去って、それが永遠の別れとなった。

             ☆

 イヴェントには客席からお気に入りの言葉やフレーズを募集してその場で構成し、歌を作るとうコーナーがあったが、“ビート”と言ってもこちらはウィリアム・バロウズの“カット・アップ”的でとても面白かった。

 「オレはこれが良い」と言ってくれた「君は僕の鏡を割り、僕は君の夜を解く」と言うフレーズ、浜田さん、それ、書いたのは私です(笑)。 

 で、WAカマツさん、たいへんお疲れさまでした。 

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緊急告知!『NAKED SONG―Beat Goes on,2010』開催について

T
 

明日10/16(土)、池袋のPOLKA  DOTSというお店で、ポエトリーリーディングと弾き語りのライブがあります。

出演者 浜田裕介
      CROSS(The LEATHERS)
            篠原 太郎(The BRICK'S TONE)
            ゲスト朗読者: 阿蘇品 青
 18:00 OPEN  19:00START
CHARGE 3000円+DRINK オーダー (予約制)
 
猛暑の真っ盛りだった7月のある日、ブログを通して連絡のあった古い友人からこのイヴェントの企画を聞かされた。なんでも私には当日会場で配るパンフレットに載せるための文章を書いて欲しいとの事だった。それで書いたのが↓。
                
完全予約制なので、もしかしたらすでにチケットはソールドアウト、ということもあるかもしれませんが、興味のある方はリンク先で調べてTELしてみて下さい。私も篠原太郎以外は初めて見る人達ばかりですが、頂いたCDを聞いた限りでは皆、いい感じです。
私もお店の中をウロウロしていると思います。会場でお会いしましょう。
 
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                  -今夜から始まる-
 
昔、ある雑誌のインタヴューに答えて詩人長田弘氏がこんなことを言っていたのを覚えている。「音楽に興味の無い詩人はたいした詩人ではないし、詩に関心のない音楽家はたいした音楽家ではない」と。
確かに素晴らしい詩には本質的にメロディとリズムがあるし、素晴らしい音楽にはすべからくポエジーや魅惑的な物語が内在している。アラビアンナイトやシェイクスピアの戯曲、万葉集、黒人の綿花畑で歌うブルースからプッチーニのアリア、そしてビートルズやボブ・ディラン、無数のパンクロッカー達の歌まで。                
 
現在では学校の教科書よりもポップ(ロック)ミュージックのCDなりを手にすることによって初めて自分の「詩人」を発見するという可能性が少なくない。かく言う私自身、小学生の時ビートルズの赤盤を聞いて以来、一体、何人の詩人たちと出会うこととなっただろうか。詩人とはジョン・レノン、ボブ・ディラン、ニール・ヤング、トム・ウェイツ、ルー・リード、友部正人、忌野清志郎、佐野元春、甲本ヒロト、真島昌利、スガシカオ、藤原基央etcetcのことで、またそこには路上や小さなライブハウスで唄う一度きりの無名のシンガー達も多数含まれる。
 
今回のこの『NAKED SONGBeat Goes on,2010』には基層を成す一つの出来事があって、それは今から22年前に遡る。198810月×日に下北沢ロフトで行われた『Beat Generatin 88』というイヴェントがそれで、主催は音楽ジャーナリストでミュージシャンでもあった故 下村 誠。もう20年以上も前の秋の日、その頃私が住んでいた三鷹のアパートに届いた一枚のDMを今も懐かしく思い出す。
 
DM50年代のアメリカの作家ジャック・ケルアックの写真から起こしたイラストの横に出演者の名前が銘記されたものだった。ケルアックやビートジェネレーションについての説明は長くなるのでここでは避けるが、一言、20世紀の青春の発明者とだけ言っておきたい。車と女の子と酒とマリワナとジャズと放浪。生きることそのものに熱狂し、それにより「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」にNOを突きつけた人達。
 
そのDM50sのアメリカに匹敵する経済の爛熟期でもあったバブル真っ只中の当時の日本の、ともすると豊ではあるけれど画一化された価値観に陥りがちな周囲の状況に対する、 下村 の反射的な異議申し立てのメッセージでもあったのだ。
 
出演者達の名前を見ると篠原太郎や友部正人、当時デヴューしたばかりのストリートビーツに混じって、ケルアックとビートジェネレーションの双璧であるアレン・ギンズバーグの翻訳者であり詩人の諏訪優や、明らかにサプライズ・ゲストを表す名前として“ジャック・ベルモンド”とか“ニール・スレイダー” なるインチキな名前も書かれていた。(ジャック・ベルモンドは真島昌利、ニール・スレイダーは佐野元春のことだが、当日佐野はロフトの上まで来ていたが帰ってしまった、と 下村 は言っていた。真偽のほどは不明)。
 
イヴェントでは出演者は演奏以外に自ら書いた詩を必ず一編朗読しなければならないことになっていて、それはビート達に憧れていた 下村 の遊び心に端を発したアイディアに過ぎなかったのだが、当時では珍しい趣向であったと思う。そしてその集まりは例えば60年代の初め、サンフランシスコのシックスギャラリーで当のビート達が行なった伝説的なポエムリーディングのような、その後の文化状況に多大な影響を残したなどということは全然無かったにせよ、その場に居合わせた者たち、その周辺にいた者たちとって『特別な夜』としていつまでも記憶されることになった。
 
 今夜のイヴェント『NAKED SONGBeat Goes on,2010』の企画書には上記の故 下村 誠と故諏訪優の二人についてのリスペクトが語られている。振り返ると私の「ビートとは何か?」なる質問の答えとして諏訪優が紹介してくれた人物こそ が下村 であり、著書『佐野元春ドキュメント・路上のイノセンス』文庫版のあとがきで、亡くなった諏訪優の意志を継いでいくのだと宣言していた人こそ が下村 であった。そして二人がリレーしたものはこの日本における“ビート・スピリット”としか言いようの無いもので、そのバトンは今回のこのイヴェントを企画したスタッフ(かつてあの場所にいた者たち)に、いつの頃からかすんなりと手渡されていたのだと思う。
 
                         ☆
さて、最後にビート達の作品を読むことや彼らのメッセージに、今、触れ、共鳴することの意義についての私の考え。彼らの特徴は大きく「旅」と「詩を書き読む」ことの二つにあると思うのだが、あらゆる場所にヴィデオ・カメラが持ち込まれ踏破され、この地球上から「旅」は消滅してしまった。
 
残るは「詩」を書き、「読む」ことなのだけれど、これはデジタルなコミュニケーションツールの進化に伴い、かえって人間同士が疎遠になっていく状況に対し十分に有効なのではないだろうか。そう、人は今、人と相対するのがとても面倒臭いのだ。恐れていると言ってもいい。あらゆる機器が人と人が生身で接しなくていいような空間を現出させる方向で出来ていて、ケイタイやメールの普及はかえって私達から時間や場所を共有する意志と機会を奪ってしまった。
 
大事なのは「声」を「発する」ということ。ハワイの秘法「ホ・オポノポノ」によると、声に発せられた言葉にはその意味以上にそれぞれ「波動」があって、特に良い言葉には個人の精神のみならず社会そのものを癒し、回復させる力があるのだと言う。
 
声に発せられる良い言葉の最たるものは「うた」だと私は思う。かつてビート達が持っていたコミュニケーションへの狂暴なほどの熱情は、全て「ことば」へのこだわりから始まったものなのだ。
 
浜田裕介、CROSS、篠原太郎等、今夜の言葉を大切にするシンガー達の朗読と歌の演奏。そして歌が誕生する瞬間を追及したワークショップ。数は要らないし、伝説や語り草になんかにならなくても良い。
 
 ただ大事なことが今夜から始まる。

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映画『バベットの晩餐会』~美味しいはアート 

Photo 今夜の夕食。鱒の塩焼きの大根おろし添え、マエタケの天ぷら、きんぴらごぼうとベニ生姜入りさつま揚げのミックス、及びタマネギとワカメの味噌汁、プラスごはん&ビール。

 こうメニューだけ書き記すことは簡単にできるのだが、だいたいにおいて自分はは食べ物に関する文章を書くことは大の苦手。それを証拠にこのブログの食べ物に関するカテゴリーを紐解いても、納豆焼きやら親子丼やらナポリタンスパゲッティーやらの思い出話が語られているだけで、どうにも食指を動かすようなものはない。本当はレストラン・ガイドのようなものでも書ければ、このブログももっと多くの人に読んで貰えると思うのだが。

 これは食道楽で、あの時代の男にしては珍しく自らも厨房に立って包丁を振るうのが常だった亡き父の影響がある。父は自身は食通であるのに子供の私が食べ物に関するウンチクを語るのは決して許さなかった。全てにおいて「男は出されたものを黙ってたべろ」式で、それで、散々美味しいものを食べた後でも、いざ言葉にしようとすると禁忌が働き、私は腕が“縮んで”しまうのだ。

 食べ物に関する文章で私が一番好きなのはやはりムッシュ・イケナミ、池波正太郎センセのそれである。センセの文章はなにも過剰な美辞麗句やワイン・ソムリエが味を表現する時のようなけったいな物言いは一切ない。極シンプルに、何はこうしたら美味い、何はこうしたら不味い、というようなことがほぼ独断で語られているだけだ。が、ただ、それだけなのに口中に料理そのものの味が広がっていくようで、つい読まずにいれなくなるようなところがある。

 何故だろう?それは一にも二にも説得力と言うしかないのだが、戦中の食糧難を経験したからなのだろうか、そこには良い意味での執着心のようなものがあって、一食一食を常に大切な出会いとして食事をしている人でなければ、結局、こういう文章は書けない。執着心は愛情と言い換えても良い。  

 と、ここまで書いて私はそもそも“美味しい”とは何か?という根源的な問いに行き着く。五大栄養素とカロリーさえ足りていれば本来的に人間は死なないのに、人は古来から“美味しい”を求める。野生動物、例えばライオンが獲物をしとめて喰らいつく時、果たして美味い、不味いを吟味しているのだろうか。それ以前に空腹が満たされていく・・・ただそれだけを感じているだけのように思うが。

              ☆ 

 昨日、見た映画『バベットの晩餐会』は人間にとって“美味しい”とは何か?ということを見事に表現した映画だった。

 厳しい戒律を守り、美しい姉妹と共に質祖に暮らす漁村の人々。ある日、宗派の開祖であった姉妹の父の生誕百年の宴に、姉妹の家で召使いとして長年働く女が、フランス料理による晩餐会の企画を申し出る。姉妹は本当はいつも通りの食事とコーヒーだけのシンプルな集まりを考えていたのだが・・・・。

 詩=ポエムの語源は「ものをつくる」ということらしい。以前、故田村隆一氏のエッセイで読んだ。「だから毎日台所で料理をつくるご婦人方は皆、詩人なのだ。」と戦後最大の詩人は言っておられた。が、それは例えとか単なるウィットの効いた言葉ではなく、本当のことだとこの映画を見て思った。

 “美味しい”とはアートだ。だからこの映画は一人の天才のアートに日常のレベルで出遭ってしまった市井の人々を描いた映画であると言っても良い。そして真のアートとは目を開かせてくれるものでもあり、危険なものでもある、ということ。この辺りのことは原作にはもっと如実に表現されていて映画と比べると興味深い。

 料理=アートと考えると、食欲の・・芸術の・・と言われる秋に見るのに、これはピッタリの映画。原作はイサク・ディーネセン。あの『アフリカの日々』を書いた人だ。

 そして、この映画、ネットなどで見るとDVD化されていないような書かれ方が一部にはされているが・・・ホントだろうか?こんな名作なのに。昨日、試しにレンタル屋を数件回ってみたが案の定、無かった。見つけた人は必見です。そして、実際のところを知っている人、どうか教えて下さい。

 で、最後に教訓。女性の皆さん、世の男性はいつだって偉大なアーチストがそばにいてくれることを望んでいるんですよ。

 “美味しい生活”って、そりゃーもう、かけがえないもんですから。

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秋の鱒釣り 



アメリカの鱒釣り Book アメリカの鱒釣り

著者:リチャード・ブローティガン
販売元:晶文社
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 今日、仕事場の仲間数人で鱒釣りに行った。秋雨前線の影響でずっと雨だった先週、そして予報では明日からもまた数日雨と言うことなので、その間の束の間の晴れ間にピンポイントで予定を立てた自らの「晴れ男」ぶりに我ながら笑ってしまった。

Photo_3  場所は八王子市高尾にある『恩方鱒釣り場』というところ。釣りをしながらバーベキューもできる。十年くらい前に、やはり職場の人に連て来られて、すごく楽しくて、それで覚えていた。竿代は3150円。餌はイクラ400円、ぶどう虫600円。釣った魚は一人十匹までは無料で、塩焼きにしてその場でも食べられる。わた抜きやら串打ちやらは管理人さんがやってくれる。

企画者として参加者に私が付けた条件は“なんでも良いから一人一品、食べるものを何か持ってきて”ということ。すると酒類、肉、野菜等の他に、スペアリブの香草焼きやらフランクフルト、焼きそばの材料、まつたけ、手焼きのワッフル等、あらゆるものが集まって、見るからにゴージャスなバーベキューとなった。

私はダッヂオーブンで「ロールチキンのビール煮」というのを作った。鳥のモモ肉にスティック状のにんじんとインゲンを巻いてタコ糸で縛ったものを、ビールに固形スープの元を入れて煮るといっただけのもの。しかし、出来上がりは素材そのものの味が濃くて美味く、皆からも好評であった。

               ★

Photo_5  さて鱒釣りの方だが、管理人の話だと午前中に集中して釣った方が良いとのことで、その間は皆、真剣だった。初め、なかなか釣れなかったが、一人釣れ出すとバタバタと皆釣れ出して、しばらくした後にはそこかしこで歓声が上がていた。楽しかった。

 で、 釣れない時間、釣り糸を垂れている時、私が何を考えていたかというと、明日の競馬、スプリンターS,何が来るか?ということと、釣りをテーマにした歌にはどんなものがあるかということ。海釣りなら『北の漁場』やら『兄弟船』なんかがあるが、こうした渓流釣りを歌った歌ってそんな思い浮かばない。BOOMの『釣りに行こう』と吉田拓郎の『野の仏』くらいか。

 

 それと小説。小説にはヘミングウェイに代表される「釣り文学」というものがレッキとしてあるが、私がすぐに想起したのは題名もそのものずばりの、リチャード・ブローディガンの『アメリカの鱒釣り』。そして、先日取り上げたロバート・アルトマンの映画『ショート・カッツ』の中でもコラージュされていたレイモンド・カーヴァーの短編『足元に流れる深い川』。

ちなみにレイモンド・カーヴァーの小説『足元に流れる深い川』とはこんな話。

 ある三人の男達が連れたってキャンプがてらの鱒釣りに行く。釣りの最中、中の一人が水中に全裸の若い女の死体を発見するが、男達はせっかくの釣りの機会をふいにしたくなくてそのまま釣りを続行する。そして引き上げる数日後になってようやく警察に連絡するのだが、帰宅した夫にこの話を聞いて妻は精神に深い衝撃を受ける・・・というもの。

 この小説を初めて読んだ時、釣りを中断されることを嫌って目の前の異様な光景をやり過ごしてしてしまう心情にリアリティを感じなかったが、今日、わざわざ仕込んだ料理の数々をほったらかし、真剣に釣りに興じる仲間たちを見て、そういったこともあるのかもな、と素直に思った。男女問わず、人には狩猟本能というものがあるのだ。当初、バーベキューついでの釣りと思っていたが、意味は大きく逆転していた。

 結局、十人で行って釣った鱒は48匹。管理人さんは「少ない」と言っていたが、我々全員はとても満足だった。当初“PM3時くらいには引き上げよう”と言っていたが、楽しくて時間はあっという間に過ぎてしまい、結局5時まで現地にいることになった。

               ☆   

 中国の故事に「一生、しあわせでいたかったら釣りを覚えろ」というのがあるらしいが、今日、興じたのは管理釣り場での釣りで、言わば“やらせ”。しかし、人生の後半戦へ折り返しを始めた年令になると、自然と向き合う口実としてこれはやはり最高のものだと思った。帰り際、皆、口惜しそうに「絶対、また来ましょう」と言ってくれた。良かった。

酷暑で季節感を楽しむどころではなかったが、ようやく涼しくなった。素晴らしい秋の一日。また『釣りキチ三平』でも読もうかな。   

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