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EIKICHI YAZAWA コンサートツアー2010 “TWIST”日本武道館

 今夜、矢沢永吉のコンサートを見てきた。EIKICHI YAZAWA コンサートツアー2010 “TWIST”日本武道館。

生エーちゃんは実に30年振りである。15の時に見た31才のエーちゃんはとてつもなくカッコいい中年になりたてのオッサンだったが、45の今見るエーちゃんはやはりとてつもなくカッコいい61才のジジいだった。

武道館に着いて着席しても実は私は醒めていたのだが、オープニングのスクリーンにキャロルのデヴューから文字通り炎に包まれたラストコンサート→ソロになりスター・イン日比谷→初武道館→後楽園→アメリカ進出・・・と、ヒストリー映像が流れた瞬間、私の中で何かが決壊した。

チケットを取ってくれた人は私が最近のエーちゃんを知らないのを気遣って、古い曲を何曲やるか心配してくれていたが、私自身、意外にも昔のものより新しい曲の方が良かった。

↓はニューアルバム『TWIST』の中で私が一番好きな曲。今、トヨタアルファードのCMで流れているやつだが、今日のコンサートでも歌っていて、エーちゃんは全盛期と変らず超絶的に歌が上手くて・・・良かった。シビレタ。

 

 

 アンコールでは例のタオル投げがあって、最後は『I love you OK』。あっという間の2時間半で、とても濃密なロックンロール・ショーだった。

それで今、超強力なドラッグを強引に注射されてしまったような、とてもハイでとてもハッピーな状態。昔、矢沢永吉のコンサートというと、暴力の匂いがして騒然とした雰囲気があったが、今はとても温かくアットホームな感じすらして、私の中で例のロゴマークの印象が今日ですっかり変ってしまった。

 こんなに良いなら年末毎年見ようかなと今考えている所。ちなみに明日、WOWWOWでツアーの最終日が生中継されるので時間がある方は是非。

 PS ところでエーちゃんってほんとイイ身体してんだよね(笑)。私はホモではないがその均整がとれたプロポーションは惚れ惚れするほどだった。身長180センチというから元々が長身なのだが、足が長くて腹が出ていなくて、それで普通に歩いていても何気にモデル・ウォーク(笑)。こんなスタイルの良い60男って世界中捜してもなかなかいないんじゃないだろうか?

脱帽。身体鍛えたくなりました。

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『歌うクジラ』~This is New Song

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 村上龍の小説を読んで読後こんなに深い余韻に浸るのは久しぶり。私は氏の膨大な著作をデヴュー作の『限りなく透明に近いブルー』からほぼ順番に ある時まで律儀に読み続けていたが、いつの頃からか止めてしまった。

 80年代の後半から90年代、氏はもの凄い勢いで小説を量産していて、それは1人の作家が短期間でこんなに沢山の小説を書き上げることが可能なのか?と思うほど程の、正に驚くべき状況であった。

 そして小説の種類も『イビザ』・『エクスタシー』・『タナトス』のような倒錯した性を延々と独白体で語るものから『五分後の世界』・『ヒュウガウィル』のような構築系のシュミレーションもの、『オーデション』や『ピアッシング』『イン・ザ・ミソスープ』のようなサイコホラーまでと実に様々で、つまり一言で言うと私は一読者としてこの作家の想像力と圧倒的な筆力についていけなくなったのである。

 ただ一つだけ言い訳をさせてもらえば、これはある評論で吉本隆明氏も言っていたことだが、氏の小説は読んでいる時は無類に面白く、読むのを止められない程になるが、読後しばらくすると何が書いてあったか思い出せないというところがあって、ある時から私にとってそれは喉越しの良いコーラ、あるいは効かないドラッグのようになってしまった。

 何故か?私の勝手な解釈だが、それは多分、氏が映像作家でもあるところが原因なのではないかと思う。デヴュー作の第1行目から氏の文章は映像的で「この人、本当は映画を撮りたいのに色々あって撮れないから、それで小説を書いてるんだろう」という印象が当初からあった。その後、周知のように氏は映画も撮るのだが、それでだろうか、私は一頃の村上龍の小説を、映画かアニメ・コミックの原作なら良いのに、と思うようになってしまったのだ。

 例えば『五分後の世界』だが、私はこの小説を氏の最高のものの一つであると思う反面、大友克洋等が漫画・アニメ化してくれば良いのに、と当時思ったりした。延々と描写される戦闘シーンは確かに凄いが、アニメやCG映像等を見慣れた昨今にあって、別に小説じゃなくても・・・という思いもあった。続編ともいえる『ヒュウガウィルス』もしかり。その読後感は意外にも強くて、前作の『半島を出よ』は上の二作と同様の映像的なミリタリーものと判断して読まなかった。

 それともう一つ。そんなジャンルがあるのかどうか分からないが、私はシュミレート小説が嫌いだ。“もし、OOがXXだったら”みたいなもの。ある意味『五分後の世界』や『半島を出よ』もそうだし『希望の国のエクソダス』というのもあったが、それらはどんな力作にせよ時々の時事的な事象と結びつきすぎていて、それこそ一過性のものという感じが否めない。

 私は村上文学のファンである。だから、できれば小説という容器でしかなし得ないものをもう一度読みたいと熱望していた。

                  ☆

 最新作の『歌うクジラ』はその牧歌的な題名からニューエイジでエコロジカルな海洋冒険ものなどと思って手にしたら痛い目に合う。私はそんな筈はないと勿論分かっていたし、上記したような理由からしばらく氏の著作とは遠ざかっていたのだが、上巻の帯びの“22世紀の「オィディプス王」「神曲」「夜の果ての旅」を書きたかった”という言葉につられてつい買ってしまった。「夜の果ての旅」、セリーヌか・・・・切ない。

 内容は2022年のクリスマス・イブにハワイの海底で グレゴリオ聖歌を正確に歌うクジラが発見される。そしてその1400年も生きているとされるクジラのDNAから不老不死の新薬SW(Singing Wheels)ウィルスが開発されるが、格差社会が徹底した未来の日本では上層階級の人々しかその恩恵を得られない。そして最下層民である少年アキラは父からSWウィルスの秘密を巡る重要なデータをある人物に渡すよう頼まれ、最下層民を隔離するべく設定された「新出島」から脱出することを決意する・・・・・・・。

 読み始めてすぐ、これもある種のシュミレーション小説なのでは?と思ったがそれは間違いだった。“もし、このまま格差社会が進んだら?”のような。

 そして氏自身によって想像された未来社会像と延々と続く戦闘と暴力、またグロティクスな性描写だが、今回の氏の想像力は最高度に爆発していて、この小説はどんな形にせよ映像化は不可能であると思った。もし、万が一できたとしても上映はできないだろう。上記したような80~90年代の作風は突き詰められて、もう文学でしか表現し得ない地点にまで氏は到達してしまったようだ。私の危惧などあざ笑い、逆手に取ったような氏のこの筆力にはただただ驚く。

 この小説について新聞のインタヴューで氏自身は「移動」ということの重要性を挙げていた。移動し続けること。移動しなければ人に出会えない、人と出会うということそのもが生きることなのだと。

 そして私が読後、思ったのはこの小説で“歌われて”いる歌があの記念碑的傑作『コインロッカー・ベイビーズ』で最後に主人公の1人であるハシが歌ったものと同じ歌だという事だ。

 コインロッカーに遺棄された少年と格差社会の最下層に生きる少年。村上龍という作家は結局こういう人で、社会の中で声を与えられていない人々に声を与え、地獄巡りのような現実をなんとか突破させた後、最後に生命の歌を歌わせる。それは風俗嬢たちを描いた『トパーズ』でも同じだ。

                 ☆

 さて、この小説はiPad版もあり、話題になっているが、こちらの方はまだ私は見ていない。TVで見たところでは映像や音楽等のコンテツが盛り込まれているようで、面白そうである。そして様々な分野に果敢に挑戦している氏がいち早くこの分野に参入したというのは頷けるところ。

そう言えば下巻の帯にはこうある。“未来はもう、始まっている”と。まさしく。

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70才のジョン・レノン



Ai ジョン・レノンが見た日本 (ちくま文庫) Book Ai ジョン・レノンが見た日本 (ちくま文庫)

著者:オノ ヨーコ
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 今日でジョン・レノン没後30年。それでもって今年は生誕70周年でもある。しかし、彼くらい語れば語るほど実像とかけ離れていく気がする人も珍しいんじゃないだろうか?これだけ神格化されてしまうと今の若い人は嫌いなんじゃないかな、かえって。

 『ダブル・ファンタジー』発売前後の頃って、ジョン&ヨーコは世界で最もうんざりするカップルとかにも選ばれたりしていて、もうちょっと我々が立っている地べたと地続きな位置にちゃんといた人だったような覚えがある。それでいて、時々なんか胸のすくようなけったいなことを言ったりやらかしたりする頭のぶっ飛んだ人みたいな印象だった。

 今はもう誰も言わないけど音楽業界から足を洗ってショーンの世話をしながら“主夫”をしていたというのも、当時は充分に「奇行」と見られていて、ジョンがパンを上手に焼けるようになったらしい・・とかのニュースが聞こえてくるとファンは結構マジにガッカりしていたものだ。

 昨日、ニュース番組で彼と軽井沢の関係を特集していて、70才のジョン・レノンが日本に帰化してそれで軽井沢に住んでいるところをイマジンしてしまった。

 きっと生きているんだから今ほど神格化もされていなくて、“元ビートルズの人がいるらしい”みたいな感じで避暑に来た観光客に話題を提供するような存在で、会えたらラッキー、そんな“おじいさん”だったんじゃないだろうか。

 それで日本語も凄く上手くなって、たまにニュース番組や恋愛相談的なバラエティに出てヨーコとの関係をネタにしたアドヴァイスをしたりする。

 そして音楽よりはもう絵の方を活動のメインにしていて、軽井沢の小さなギャラリーとかでたまに個展を開き、そのオープニング・パーティの時だけピアノかギターでちょっとだけ歌う。本当はそれで良かったんじゃないか、ジョン?

 彼の伝記を読むと晩年、軽井沢のホテルのロビー(だったかな?)で、アコースティック・ギターだけで突然歌い出したことがあったらしい。そして、その時、その場にはビートルズなど知らなさそうなおじさんだかおばさんがいただけで、その人がきっとジョンの生歌を聞いた最後の日本人だろうということになっていた。

 もし、生きていたら・・・もっとそういうことをして欲しかった(笑)、そして、そういう場所に居合わせたかった(笑)。

 それで夫婦の問題とか恋愛相談なんかすると「そうそう、僕も昔、ヨーコとね・・・・・」なんて流暢な日本語で言われたりして・・・うん、もし、そんな風だったら、想像するだけでシアワセだよ、ジョン・レノン。

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