『荒野の少年イサム』とブランキージェットシティの「悪い人たち」
去年の正月に実家に帰った際、兄弟三人で酒を酌み交わす席で世間話がてらに私はこう言った。「昔、俺たちが夢中で読んだ漫画『荒野の少年イサム』が今、中々手に入らない」と。
『荒野の少年イサム』とは70年代に少年ジャンプに連載されていた少年漫画で、私達が子供の頃はテレビアニメ化もされていた。私と同じ世代の人ならきっと知らない人はいない作品だと思う。
明治期にアメリカに渡った渡勝之進がインディアンの女性と恋に落ち、生まれた赤ちゃんがイサム。母はすぐ死に、旅の途上で父ともはぐれ、ゴールドラッシュに沸くサクラメントの陽気な金鉱堀り「ロッテン・キャンプ」の男達に育てられるが、洪水でキャンプ壊滅後は強盗の一味「ウィンゲート一家」に悪の手段として天才的なガンさばきを教えこまされる。しかし、それでもイサムが悪に染まらず、正義の側に立ち力強く生きていくという、これは日本初の一大西部劇だった。
何故、これが手に入らないのだろう?個人的には日米合作で映画化しても良いのではないか?と思うほどの名作なのに。『キャンディ・キャンディ』や『マスター・キートン』のように原作者と作画者がもめたとか言う話は聞かないし・・・私がただ見つけられないだけなのか?
で、今年の正月に去年私がその話をしていたのを弟が覚えていてくれて、なんと!見つけたからと全巻買い揃えておいてくれた。嬉しい!早速、手にとってパラパラとめくるとあれもこれも・・懐かしいシーンが満載である。
そして懐かしいながらもそれらの絵を見て私が一つ感慨深かったこと。それはそこに描かれている暴力描写と不条理な世界観のこと。昔はこんなの別に、普通に見てたのになあ、と思うが、今、夢中で読んでいる同じジャンプの『ワン・ピース』と比べると隔世の感がある。『ワンピース』は面白いが、やはり絶対的な性善説を基本にした物語なので、自らの悪意や暴力性に気付かされるようなことは特に無い。
例えば『荒野の少年イサム』ではさっきまで赤子のイサムにお乳を飲ませてくれた優しい黒人おばさんが次の瞬間、虫けらのように銃で頭をぶち抜かれて殺されてしまったり、小さなイサムを守ろうとしてキャンプの男達は蜂の巣のようになって死んでいく。
また、ひょんなことから奴隷の集団の1人とされてしまった登場人物のなかでも重要な一人、黒人のガンマン、ビッグ・ストーンが独力で解放した奴隷達は、心を通わせた小さな少年までもが隣町で凄惨な方法で皆殺しにされている。そして、怒りに燃えたビッグ・ストーンがその奴隷商人に皆の墓穴を掘らせ、旅立たせ、遠方からライフルで狙撃しながらじわじわと殺すのを当時の子供達は拍手喝采して見たものだった。しかし、だからと言ってそれを読んだ私等が暴力に目覚め猟奇的な犯罪に走る性向を身に付けるなんてことは全然無く、ただ、世界は、人間は、このようである、と無意識に学んだだけである。
☆
さて、もう去年の暮れ頃の話になるが、東京都が今漫画を規制する条例を強化しようとしているとのことで、もう『ワンピース』その他の漫画が子供だけでは買えなくなるかもしれないと、息子と娘が憤っていた。性描写が特に問題視されているらしいが、それとセットになって暴力描写もしかり。
こういった話は何も漫画に限ったことではない。映画・テレビドラマからロックミュージックの歌詞に至るまで、セリフや歌詞の言葉狩りの問題を見れば分かるように、人間の暗部を含めたリアルな表現と言うのは今極力排除・隠蔽されている。私にはそれがかえって手に負えない問題の萌芽になっているように見えるのだが。
こういうのは一つの言葉や一描写を取り上げるより、作品の質そのものを問うべきじゃないだろうか?現知事のデヴュー作だって男性の一物で障子を突き破るシーンがあるけど、私はあれはあれできれいな恋愛小説だと思うけど。そうでしょ、石原さん。
☆
私にリアルな世界の実相というものを表現として教えてくれたのは間違いなくロック・ミュージックであるが、それも最近は完全に商業主義に毒されてしまって、聞いてざわざわとくるようなものはとんとお目にかからなくなった。
↓はブランキージェットシティーの名曲。
この曲を初めて聞いた時はざわざわときたな。この歌もそのショッキングな内容から当時発売禁止になったりしたが、現在はどうなのだろうか?今、良く聞くと、ただ人間が“平和”を希求する瞬間がリアルに歌われている、性悪説の側からの痛い「ピース・ソング」という風に聞こえるが。
荒野の少年イサム』に、様々な人種の人々が小さな教会にインディアンに包囲され、戦う巻がある。中に人種差別主義者の白人の女の子がいるが、最後、救出に来た騎兵隊がインディアンを殺すのを見て、「何故、肌の色が違うだけで人は殺しあうのかしら?」と呟くシーンがある。長い戦闘の途中、篭城する教会の中では黒人の赤ちゃんが生まれたりしていて、「生まれた時はどんな人もあんなに喜ばれているのに・・」と。
この年始、上の漫画のシーンとブランキーの上の歌の最後のリフレインが頭の中で重なった。
そして、私は息子と娘にはくだらないもの、低俗なものに取り囲まれながらも、本当に良いものを自分で選び出せる人間になって欲しいと思う。
で、最後に、本当は違う目的があるくせに「子供を守るため」なんてお題目で法を改正(改悪)するのはやめてくれ。
PS、「悪い人たち」の詞、長いのでコメント欄にペーストしときます。
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コメント
悪いひとたちがやって来てみんなを殺した
理由なんて簡単さ そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され 老人と子供は燃やされた
若者は奴隷に 歯向かう物は一人残らず皮を剥がされた
悪いひとたちはその土地に家を建てて子供を生んだ
そして街ができ 鉄道が走り
悪いひとたちの子孫は増え続けた
山は削られ 川は死に ビルが建ちならび
求められたものは発明家と娼婦
すさんだ心をもったハニー ヨーロッパ調の家具をねだる
SEXに明け暮れて 麻薬もやりたい放題
つけが回ってくるぜ でもやめられる訳なんてないさ
そんなに長生きなんてしたくないんだってさ
それを聞いたインタビュアーがカッコイイって言いやがった
お願いだ 僕の両手にその鋼鉄の手錠を掛けてくれよ 縛り首でも別にかまわない
さもなきゃおまえの大事な一人娘をさらっちまうぜ
残酷な事件は いつの日からかみんなの一番の退屈しのぎ
残酷性が強ければ強いほど 週刊誌は飛ぶように売れる
その金で買った高級車 夜の雪道でストップしたその時
ヘッドライトに映し出されたのが 黒い肌に包まれたチキンジョージ
今日もあの気持ちのまま一人で歩いてる 街に真っ白なMILKを買いに行く途中
それを見たバックシートの男は 12月生まれの山羊座で
第三次世界大戦のシナリオライターを目指してる
日傘をさして歩く彼の恋人は妊娠中で お腹の中の赤ちゃんは きっとかわいい女の子さ
ガイコツマークのオレの黒い車は低い音をたてて走る
すれちがう人たちの骨の軋む音をかき消しながら走る
それを見ていたひとたちが 頭の中に思い浮かべるのは
ガードレールに激突したオレの黒い車のガイコツマークが炎に包まれてる場面
BABY Peace Markを送るぜ このすばらしい世界へ
きっとかわいい女の子だから きっとかわいい女の子だから
きっとかわいい女の子だから きっとかわいい女の子だから
きっとかわいい女の子だから きっとかわいい女の子だから
きっとかわいい女の子だから………………………………………
(Blankey Jet City【悪いひとたち】)
投稿: 「悪い人たち」の詞 | 2011年1月16日 (日) 13時55分
こんにちは。
荒野の少年イサム で検索してきました。
私も小学生の頃、読みました。
本格的な西部劇で面白かったです。
再版されないのは、お察しの通り人種差別が根本的テーマだからでしよう。
ニグロも連発してましたし。
今思うと残虐シーンのオンパレードでしたね。
人が蜂の巣にされるのは当たり前。
確か結婚式のパーティーをウインゲート一家が
「的があるぜ。」
と、気晴らしの為に皆殺しにするシーンはエグかったです。最後に一人生き残ったガキを容赦なく頭を撃ち抜くし。
昭和40年代の川崎のぼるさんはノリに乗ってましたね。巨人の星、アニマル1、いなかっぺ大将と大ヒットを連発。
多くがアニメ化され、それも大ヒット。
イサムの声は神谷明さんだったように記憶してます。アニメの方は毒が無かったせいか、原作ほど面白くなかったですね。
投稿: わい | 2011年9月 8日 (木) 00時36分
わいさん、コメントありがとうございます。エントリーの記事とわいさんのコメントを並べると、この漫画がとんでもなく、おどろおどろしいもののように聞こえてしまうようですが、全然、そんなことないんですよね。悪の対極にあるものも強烈に描かれているからでしょう。
アニメ版は確かに面白くなかったですね。ただ、たまに“オー、サンボーイ、僕らのイサムぅー”って、エンディングテーマを口ずさんでしまいます。
投稿: ナヴィ村 | 2011年9月 8日 (木) 04時28分