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地震後の東京~買占めラプソディ

 

Photo_4 【五大作戦】①ヤシマ作戦 節電②ウエシマ作戦 どうぞどうぞ(譲り合い、買い占めない)③アオシマ作戦 事件は会議室で起きてるんじゃない(現場応援)③コジマ作戦 不謹慎とかそんなの関係ねえ(呼びかけの拡散)⑤ナカジマ作戦 磯野ー野球しようぜ(電気を使わず遊ぶ) 。以上 Twitterより。

 地震後の東京。「火の七日間」後のナウシカ的世界と言うよりは、「セカンドインパクト」後のエヴァンゲリオン・「第三新東京市」というのに近い感じ。

静で、車が少なく、スーパーには品数が薄い。公園では普通に子供達が遊んでいて、老婆達がスーパーの開店に並びながら「計画停電」の話をしている。今、テレビで騒いでいることと、目の前の日常の落差が自分の中で上手く調整できない。

 昨日はずっと外にいた。家にいると電気や暖房の燃料を使うし、また変な時間に物を食べてしまって太ってしまう。金曜日にみずほ銀行のATMが不調で給料が振り込まれないことが分かってあまり遊びにも行けないとなって、それなら家の周りでも散歩して過ごそうということにした。

散歩は朝から無目的に始めたのだが、スタートしてすぐ、家の前の国道沿いで、ある一つの文字が目を引いた。

「整理券」。

近所のガソリンスタンドのお兄さんが手に看板を持っていて、聞くとそれは前日に配った整理券を持っていない人は給油できませんという意味なのだった。

しかし、驚いたのはその後。

 私が「じゃあ、明日、給油するための整理券は今日もらえるのですか?」と聞くと、実はこの看板は買占めのために遠方から来ている人をナンバーから当たりをつけて断る口実で、近所の人は並んでくれれば普通に給油できると言う。

 それで、俄然、私の興味に火がついた。それは地震に端を発したこの特定の商品についての品不足に関して、何か、それぞれの店舗独自の“小さなからくり”があるのではないかと思ったのだ。またそうでなくとも、何故、それら商品が無いのか?を漠然とではなく、一度ちゃんと身を持って知りたいと思った。

 で、私がやったことは徒歩で何件かのスーパー、ドラッグストア、大型電気店、コンビニ、ガソリンスタンド等を回り、売り切れているものを調べること。そしてその店がそれら商品に対し、どのように対応しているかということ。そして、店員に必ず、何故無いのか?を単刀直入に聞くことにした。

 まず、最初のガソリンスタンド。何故、今のような事態になったのかを店員に聞くと、初めに買占めがあり、その後、供給が不安定になった。現在はだいぶ良くなったものの、今も平常時の一日の売り上げ量が3~4時間で売り切れてしまうと言っていた。原因は今は非常時なのでガソリンは被災地に優先して供給されており、また輸送面の問題もあって供給が未だ不安定だからと言っていた。そうか、それならしょうがないな、納得。

 その後、数店のスーパーで見たこと・聞いたことをダイジェストに書くと、まず無いものは予想通り、米、パン、うどん、そば、カップ麺、インスタントラーメン等の主食となり得る炭水化物の類と備蓄できる非常食関係。そして断水に備えての水。それと牛乳・卵・納豆。トイレットペーパー、ティッシュ。

あるものは果物と野菜。しかし、やや高い。

 大抵の店で米に関しては“一家族一点まで”と制限があり、その他もパンなら“食パンは一袋・菓子パンは5点のみ”とかの表示があった。印象では米よりもパンの方が欠乏感が強烈だった。また不思議に思ったのはスパゲッティ。これは私の住む周囲に限ったことで全体的にそうだとは言えないが、何故かどの店もスパゲッティだけは普通にあった。

 また米に関して気がついたこと。私が住んでいるのは東京でも郊外なので、広い駐車場があり車で買い物に来る、いわゆる“モータリゼーション”な店が多く、そういった店舗ではほとんど開店してすぐ売り切れてしまっていた。唯一、最後に行った某駅ビル下のスーパーだけは夕方6時を過ぎても5㎏入りの米が山積みされていた。店員の女性は他の店の人と違って「もう、買占めはない。今日辺りから供給は安定してきている。」と断言していた。どういった客層を狙っている店か、また店の立地によっても仕入れや残っているもの等が微妙に違うように感じた。

 そして最後に行ったのが某大型電気店。ここでの売れ筋は小型ラジオで全部売り切れていた。私はラジオという機械に偏愛があって、この電気店のこのコーナーは実は日頃から良く来ていた。しかし、ここには良く見られる災害用の、あの手でレバーをぐるぐる回す奴は無かったはずで、つまり売れたのは1000~1500円程度の小型のトランジスタラジオである。聞くとこれは単純に生産が需要に追いつかなかったということで、現在も入荷の目途はたっていないと言っていた。

                 ☆

 さて、福島第一原発のことがあって「計画停電」ということになり、今改めて東京という都市がいかに地方によって支えられているかということを皆が痛感していると思うが、この停電は初め四月一杯まで、と期限が謳われていたように思う。それは原発で作られていた電力と同等のエネルギーを作れる火力発電所を始動できるまでにそのくらいの時間がかかるという意味だったが、どうだろうか。もっと長期化しないだろうか。

 そして、長期化が心配されるのは上に書いた食料をはじめとする品不足気味の商品もだが、これも結局は地方に支えられているということの結果である。農作物は勿論、小さな加工食品や機械製品だって工場は大体東京周辺の地方にあるので今回のような事態になった場合、少なからず打撃を受けることになる。

 ただ、それでも電力とは少々事情が違うのは、そもそも食料は“ある(あった)”のだが、事態があまりに緊急かつ深刻だったゆえに皆が慌てて、公平を保つと言う点で大きく問題が出ている(出た)ということだ。

 例えばスーパー等は問題になっている商品を一度に店舗に並べず、時間を分けて数回に分けて出すとかはできないのだろうか?今のままでは平日の昼間に買い物に行ける人ばかりが手に入り、普段働いている人は普通にしていたら絶対に手にすることができない。そろそろ事態は改善され、これも時事的な笑い話ということになると思うのだが、もし、そうならない場合には何かルールなりシステムが必要だろう。

・・・・・とここまで書いたら今、妻が買い物から帰ってきて、近所の大型スーパーでは未だ買占めが続いているとのこと。また一方でちょっと離れた小さなスーパーでは人もまばらで米もパンもちゃんとあるとのこと。

 皆さん、ウエシマ作戦で宜しく。落ち着けよ、東京。

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佐野元春の詩~『それを「希望」と名づけよう』

      

     それを「希望」と名づけよう
                      佐野元春


     街が揺れた夜、君はひとり無断で、
     市営プールに潜りこみ、身体を水に浸した

     そして暗がりの中、瞑想した

     人は時に、光に水に、雨に風に、感謝し、
     人は時に、光に水に、雨に風に、屈服する

     この闇の向こうに震えるのは
     誰か、嘆きの声

     同胞の不在は確かに不可解だ

     それはそうだ
     しかしどうだろう

     君は偽善の涙など流さないと誓ってくれ
     決まりきったお悔やみなど無用だと言ってくれ

     夜が明けて、そこにいつもどおりの太陽が照り、
     草木は首をもたげ、
     鳥たちは空を往く

     あぁ、美しくも残酷なクリシェ!

     一方で、
     君の身体の細胞ひとつひとつに染みいる光はどうだ
     傷だらけではあるが依然雄々しいその筋肉はどうだ

     そうさ、君は同胞の不在を気にかけているんだろうが、

     たとえば、
     偶然にも生き残った君の生を讃えてみてはどうだ?
     たとえば、
     生き残ったことへの幸運を噛みしめてみてはどうだ?

     不謹慎だとわめく偽善者を後に残し
     君が光を放つことで、友を弔うんだ

     それを「希望」と名づけていいんだよ

     余震は続く

     -----
     2011年 誕生日に寄せて
     佐野元春

 交通機関の麻痺、ガソリンの不足、計画停電の不徹底・・・今日、東京は大混乱だった。でもね、ネット上にせよ職場や街角のお喋りにせよ、文句や不満やあげ足取りはもうたくさんだ。今は、物理的にも精神的にも皆の叡智を結集する時じゃないか?

 今回のことは歴史上かつてないことで、地震の大きさから言ったら千年に一度のことらしく、誰もスムーズに事を運ぶノウハウなんか持ってない。平安時代から生きている政治家なんているのかい?

 今夜は6:20から10:00まで我が家は停電になるとかで、どうせなら楽しもうと娘に案内されてわが街を一望できる高台に二人で行った。私には初めて行く場所だったが、そこで街の灯りがローソクの火を吹き消すみたいに少しずつ消え、完全に闇に包まれる様子を見ようと二人で企んだのだ。

 だが、計画停電は実施されなかった。街の灯りの一つづつは依然輝き続け、今回の出来事が嘘のよう美しかった。

 ↑は昨夜、いわきの弟に促されて知った、今回の地震に際し佐野元春が書いた詩。佐野さんは9.11の時もそうだったが、W.H.オーデンと同様“危機の詩人”だ。

 言葉は人を貶め、自分が無価値な存在だと思い込ませることもできる。最悪な状況にある者に勇気を与えることもできる。

 あげ足とりはもういい。今は叡智を結集する時じゃないか?

 PS 弟夫婦は本日、いわきを脱出?したようです。

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東北沖大地震~都心で被災したら。 

Photo_2 現在もまだ余震がある地域もあり、緊急事態の中にあるので何を書くのもはばかられるような気持ちもあるが、その時、自分がどのような状況だったか、またその体験から何を考えたかを記しておくのは今後のために有益かと思い書いておく。

まず私は3/11のその時、虎ノ門にある現場事務所にいた。遺跡発掘作業の作業員のための休憩所兼作業所兼事務所。工事現場などに良く見られる3階建てプレハブの建物だが、その3階で数人とPC作業をしていた。

 そして揺れの第1波が来た時、誰もがそうだと思うが、いつもの普通の地震だと思った。しかし、揺れの時間は長く、次第に強くなり・・・それで責任者の1人として正直に自分が考えた(感じた)ことは、この建物が倒壊するとしたらこの3階のフロアにいるのが安全か、それとも、この揺れの中でも、とにかく皆に階段を駆け下りて外に出ろ!と指示した方が良いのかという事。実際、少しおさまったらそうしたのだが、揺れの最中でそれを瞬時に判断し、行動に出るのは(移させるのは)事実上無理であった。

 そして、外。建物の外はこのエリアには珍しく、やや広い空間があり、皆でそこにいたのだが、周辺の高層ビルがどれもゆらゆらとしていて驚いた。そのうち周辺のビジネスマン達がぞろぞろと集まってきて、騒然としていたが、その次に私が考えたのは私が抱える作業員達が今日、無事に帰宅できるのか?ということ。揺れが来て30分くらいして私は作業員の一人に最寄駅に様子を見に行ってもらったが、周辺の駅はすでに運転を見合わせていた。

 安否確認については携帯は役に立たなかった。テレビ、ネットは繋がっていたが有用な情報はあまり得られなかった。その日は私の代わりに大量の荷物を虎ノ門から北綾瀬までトラックで運んでくれている人がいて、彼の安否を思うと気が気ではなかった。

 で、その後、多くの人、特に子供を持つ女性達が、もう帰っても良いか?と聞いてきた。交通機関は麻痺していそうだが、皆、徒歩でも帰る、と言っている。天気は曇ってきてやや小雨も感じられて、私は「安否の確認さえ出来れば、かえってこの場に留まっていた方が安全だから・・・」と言ったが、安否の確認ができないのだからしょうがない。皆、虎ノ門から板橋区や杉並区や国立や府中にまで・・と歩き始めた。

 その後は帰宅難民化した30名近い人々と現場に泊まることにしたのだが、次に考えたことは皆の夕食、食料のこと。幸いガス、水道、トイレ等のライフラインは問題ないし、留まると一度決心してしまえばここほど安全な場所はないが、コンビニに行くとどの店も全て食料は売り切れていた。が、営業している飲食店が多数あり、順番で食べに行けばいいのだった。心配は杞憂に終わった。

 そして夜は皆でテレビを見、心配していたトラックの彼が戻ってくると、私は安心して酒盛りという事にしてしまった。

 さて、この程度の経験だが、その間、見たこと、考えたこと等を以下箇条書きにしておく。

 部屋の棚などにはちゃんと耐震措置をしておくこと。実際、私のいた部屋は3方を棚、ロッカーその他に囲まれており、揺れている間、視認したが、あれは本当に有益だった。私は買って来いと言われても、ケチって?算木で作った手製のものを各所に施させていたのだが、しっかり役にたっていた。もし、棚がバタバタと倒れていたら当事者達のパニック感はもっと大きかったと思う。

2 大事な人との連絡方法としてお互いのメルアドを常に確認しておくこと。意外と携帯の番号は知っていてもメルアドを知らないということは多い。安否さえ確認できれば不要な行動に出る必要も無くなり、大変な思いをしないでも済む。メールも繋がりにくかったが、TELよりは良かった。使えない人(高齢者)などにも、日頃から使えるよう訓練させておくのは大事だと思った。

3 食料・水の備蓄。今回はさほど深刻ではなかったが、コンビニ、スーパー等の食料(カップ・ラーメン、パンなど)はあっという間に売り切れた。地震後数時間してとれた日野市の妻・息子の話では多摩地域の一部で供給のための電気系統の故障から断水になり、近くの公園の湧水を二人で汲みに行ったとのこと。

4 しっかりした靴を履いていること。私は歩かなかったが、歩いて帰ることを想定すると長時間、長距離になるのでハイヒールやつっかけ程度の履きものではダメだろう。綾瀬から戻ってきた彼の話では、途中、建物のガラスが割れ舗道に散乱している例を多数、見かけたとのこと。

5 歩いて帰宅する時のため携帯用のラジオを用意しておくこと。テレビでもラジオでも被災状況と同時に、帰宅難民のためにどの公共施設が解放されたか、アナウンスしていた。ラジオを持っていると力尽き、また怪我に見舞われた際、今いる地点からの最寄の施設に行くことができる。

6 テレビ等で交通機関再開のニュースを聞いてもすぐに動かないこと。実際、深夜(早朝?)某地下鉄の再開のニュースがあったが、人が殺到して、すぐ見合わせになっていた。そのような状況下では二次災害の方が恐い。今、いる場所がある程度の安全が確保されているなら、留まっている方が良い。

7 歩いて帰宅した人達の話を良く聞く。 これはシンプルな事だが重要な情報だ。被災直後、歩いて帰る、と申し出た人達が多数出たが、徒歩という手段で何処まで何時間かかるかというのは推測のみで誰も分からなかった。そして、その時の人々の様子がどうだったのか。ちなみに、私の聞いた話によると、夕方4時半ごろ府中に帰るため虎ノ門を車で出発したA君と、歩いて出発したB君の到着がほぼ同じで深夜1時だったとのこと。

8 ネット、Twitterなどにデマを流さないこと。これは今後の方が大事なことだが、このような緊急時にデマを流すのは犯罪である。現在、福島原発で大変なことが起きていて、政府の発表その他に怒り、苛立ちを覚えるのは分からないではないが、中途半端な知識や推測で不用意に不安を煽るような発言を流すのは控えること。現在、最悪の事態を回避しようと実際にその作業にあたっている人々がいて、それは宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』のような仕事である。ローリング・ストーンズの『地の塩』ではないが、今は彼らの任務について考えよう。

9 原発を止めること。これはもう議論の余地は無い。もし、この危機を乗り越えることができたら、私達は真剣にその運動を起こさなければならない。私が学生の頃、学生運動というのはもう無かったが「反原発運動」があった。随分、色んなことをしたが、結局、今まで止められなかったのだから、誰も偉そうなことは言えない。特に福島原発の電力は東京に供給されている。皆、今度こそ真剣に。

以上のようなことだが、感心したこともあって、それは今のところ略奪や暴力沙汰など、混乱に乗じたそのような事件が起きたというニュースが無いことだ。日本人の美徳ということか。ただ、阪神・淡路大震災の時は、明るみに出ていないが一人暮らしの老人や女性を狙って、電気・ガス・水道などのチェックと装って、強盗・強姦の類が少なからずあったと聞いているので、そうした注意も必要だと思う。

 ネット、twitterに関して言えばクレバーに使えば十分ポジティブな力も発揮できる。このブログでも以前、何処かに書いたが、ブログというのはそもそもアメリカの9.11の時に安否確認の方法として巷に広がったメディアなのである。

 連絡の取れない友よ。もし、無事ならコメントを。もしくはTwitterを。

PS  親戚、友人、恩師からいわきに在住の弟についての問い合わせが多くありましたが、携帯メール、twitterで呼びかけたら、彼のtwitterにいくつかのツィートが寄せられていてやや状況が分かりました。電気は大丈夫だが、水は断水中とのこと。常磐道は全面通行止めでガソリンも各店売り切れとのこと。hopi09です。見てください。

PSのPS 何故かTwitterの返信とかリツィートができなくなった。弟へ。もし、相互に連絡を取り合う必要を感じたら、このブログのコメント欄へ。

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さよなら


年老いた太陽が
いつまでも水平線に触れずにいる
時計は止まったままで ぼくら
ずっと夕暮れの中にいる


あの時、きみにさよならを言って良かった
二人が知らなければならなかったことは
二人でいたら きっと知り得なかったことだから

あの時、きみにさよならを言って良かった
賑やかなお喋りを止めなければ
貝殻の音楽に 二人は耳を澄ますこともなかったから


白紙のページの砂の上の
幾筋もの足跡がつくる幾何学模様
上空を飛ぶカモメは
そこに
どんな物語を
読み取とることもしない

 

ビールの泡立つ音
それは太陽が海に触れる音
そして二人の
長いさよならが終わる音

きみにまた会えて良かった
驚いたことに
きみは未だ
ぼくの今日に潜む明日

きみにまた会えて良かった
時計は動き始め 陽が沈み 夜がくる

きみにまた会えて良かった

あの時 
きみに
さよならを言えて良かった 

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こんにちは


喫茶店の窓から
駅前の群集を見て
ぼくもきみも
以前はこんな風だったのか
と思ってみる

 

色とりどりの傘をさして
無言ですれ違う人々
信号が赤になり立ち止まると
顔見知りというだけでは
向こう側の人となんだか気まずい

 

人生のビデオテープを
出会いの場面まで巻き戻して見れたなら
初めて声をかけたのは
果たして ぼくか
きみか
そして その第一声は何だったのか

      ★
     
「マストロヤンニっていい男だと思わない?」
「マストロヤンニって誰ですか?」
「スイマセン、ライターお借りできますか?」
「いいえ、ぼく煙草吸わないので。」

 

ぼくらを他人じゃなくしたキッカケが
ユーモアやウィットの効いた会話だった可能性は
極めて低い
運命の出会いとやらに見舞われた時
大概 人は
ただぼんやりとしているだけなので

 

信号が青に変り
人々がまた歩き出す
その時
すれ違いざまに1人の少女が
小石のようにありふれた呪文を
ぼくに呟く

「こんにちは」

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おやすみ


おやすみは“お休み”
目覚めていると結局
心は忙しく働いてしまうから

夜 
自分の居場所はそこにしか無い
とでも言うように
きみは眠る

飲みかけのグラスと
低くかけられたラジオの音

なのに 夢の中でまたしてもきみは
プッチーニを歌い
料理に舌鼓をうち
古代語で詩を吟じ
ナスカの地上絵を辿る

まるで目覚めた時 心をまた
忙しく働かせるための
準備でもするみたいに

おやすみは“お休み”
電車が通り過ぎる音がすると
街が灯りを消す

その訪れる闇の中で
ぼくはきみの背中に
指で
世界中の名画を落書きする

「おやすみ」
    

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